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箱舟が出る港  作者: 村雨 正巳
3/16

香 ~こう~ その参

 三人のサラリーマンが居酒屋にいた。

 

 「つぅ、暑いなぁ、まったく、いったいどうしちまったんだ?」

 年長者が残った生ビールを一気に飲み干した。

 クウ・・・唸ったその肩を軽くたたかれた。

 「大丈夫ですか、課長?」

 「君こそ大丈夫か、もう七杯目も終わりだぞ、ピッチが早い」

 「そりゃそうですが、ちっとも酔わんのです、おかしいな、ションベンも出やしない・・・」

 「そうだな、僕も同じだ。今日の君も強いな。ならば酔ったふりして聞こう。もしかして精子も困った事になっているのじゃないかね?」

 少し小さく声を落としそう聞くと、課長は疲れた顔ではあるが、にやと笑った。

 実際七杯目の生大を体に流しているにも関わらず、二人ともトイレには一度も行っていない。

 二人ともそういう体質では無かった。いくら暑くても酒を覚えてから初めての事であった。

 空調はほどよく効いている。




 「そうです、そうです。よくご存知で。女房がここのところ実にしつこくてね、ありゃ異常だ、淫乱だ。搾り取られてますよ毎日ね、まるで飢えた狼の乳搾りだ。このままでは精子の枯渇ですよ。いや体がもたんすね、課長・・・」

 「そりゃ羨ましい限りです。僕なんか彼女もいませんよ」

 こちらは反対に三度目のションベンである。新卒者が、トイレから帰って来た。

 「ああん? 君はもう帰りたまえ、これからは既婚者同士で、飲む。決算が近いだろ。家に持ち帰ってその準備でもしたまえ」

 課長が深刻そうな顔をして睨んだ。

 「そうとも、俺は家に帰りたくないんだ。今日はやりたくない・・・女日照りの独身は帰れ!しっっ!!」

 情けない顔が、犬を追い払うように手を払った。

 「仲間はずれにしないで下さいよ、課長、主任。僕だってちっとも酔ってないんです。もう一軒つき合わせて下さいよ。明日は休み、まだ九時半ではありませんか?」

 ―――まだ、九時半だと?なに、と課長は腕時計に目をやった。随分ここに居るような気がした。

 しかしだ、あの鬼ババァの事だ、いつもなら決まってこう電話をかけてくる。鍵は掛けて寝るから、お好きなだけお飲みなさいな、などと言って来る憎たらしい時間帯だ。やかましいあてすりが、ここ一ヶ月以上無い。ざまあみろと思ったのはほんの束の間であった。




 代わりに地獄が始まった、セックスの地獄である。毎日だ。絞り殺されるような寒気がする毎日であった。

 その都度射精はあるが不思議に萎えない自分にも疑問を持つ。

 おそらくはビールを飲んでも小便として体外に排出させようとしない体と、大きな因果関係があるのかなと何度考えたことか。生エネルギーを放出させない為だ。性交の為だ。来年は45歳になる。妻は年上の48だ。

 本能なのか・・・と、ふと思った。いや違うと首をかしげた。性欲を獣のように剥き出す時代は遠い昔のはずだった。毎日交じっても満足出来ない時代があった。ところが急に二ヶ月ほど前から、その時代よりも遥かに凌駕する勢いで、更年期近しの妻が異常な性欲を剥き出し始めた。異常な速さで、種を残そうとする本能がそうさせいてるのか?違う。それは本来男の本能であるはずだ。逆でなければならない。

 こっちからは決して求めてはいない、地獄さながらの中であっても快感ととともに、何かに魅入られたように射精をしてしまう。

 鬼ババの憎らしい嫌味が懐かしい。

 振り返ると主任と目が合った。どうやら同じ事を考えていたようだ。

 ―――おかしな香りがしませんか?嗅いだことがないな・・・あれはなんの香水だろう・・・?

 ―――あ?なに!君の妻もか!

 「生ダイ三つね、大至急!」新米は大きな声で喚いた。

 「いやふたつだ、君は帰れ!」

 主任の剣幕に目を丸くした新米は「・・・なんですかおふたりとも?今日はおかしいですね?」

 「体調不良なんだよ。これから主任とその話をする。君には目の毒、いや耳に毒だ」

 課長はおしぼりで顔を拭き、「飲みたいならひとりどこかへ行け」といった。

 ―――なら俺を誘わなくともよかったのに

 新米は心で毒ずいた。

 「そうですか、じゃあソープでも・・・」

 変な事を言ったつもりはない。

 ふたりの上司の目が怒気をまとっているのを見ると、失礼しますといって新米はあわてて出て行った。



 八杯目になる。二人はまだトイレには行っていない。









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