香 ~こう~ その参
三人のサラリーマンが居酒屋にいた。
「つぅ、暑いなぁ、まったく、いったいどうしちまったんだ?」
年長者が残った生ビールを一気に飲み干した。
クウ・・・唸ったその肩を軽くたたかれた。
「大丈夫ですか、課長?」
「君こそ大丈夫か、もう七杯目も終わりだぞ、ピッチが早い」
「そりゃそうですが、ちっとも酔わんのです、おかしいな、ションベンも出やしない・・・」
「そうだな、僕も同じだ。今日の君も強いな。ならば酔ったふりして聞こう。もしかして精子も困った事になっているのじゃないかね?」
少し小さく声を落としそう聞くと、課長は疲れた顔ではあるが、にやと笑った。
実際七杯目の生大を体に流しているにも関わらず、二人ともトイレには一度も行っていない。
二人ともそういう体質では無かった。いくら暑くても酒を覚えてから初めての事であった。
空調はほどよく効いている。
「そうです、そうです。よくご存知で。女房がここのところ実にしつこくてね、ありゃ異常だ、淫乱だ。搾り取られてますよ毎日ね、まるで飢えた狼の乳搾りだ。このままでは精子の枯渇ですよ。いや体がもたんすね、課長・・・」
「そりゃ羨ましい限りです。僕なんか彼女もいませんよ」
こちらは反対に三度目のションベンである。新卒者が、トイレから帰って来た。
「ああん? 君はもう帰りたまえ、これからは既婚者同士で、飲む。決算が近いだろ。家に持ち帰ってその準備でもしたまえ」
課長が深刻そうな顔をして睨んだ。
「そうとも、俺は家に帰りたくないんだ。今日はやりたくない・・・女日照りの独身は帰れ!しっっ!!」
情けない顔が、犬を追い払うように手を払った。
「仲間はずれにしないで下さいよ、課長、主任。僕だってちっとも酔ってないんです。もう一軒つき合わせて下さいよ。明日は休み、まだ九時半ではありませんか?」
―――まだ、九時半だと?なに、と課長は腕時計に目をやった。随分ここに居るような気がした。
しかしだ、あの鬼ババァの事だ、いつもなら決まってこう電話をかけてくる。鍵は掛けて寝るから、お好きなだけお飲みなさいな、などと言って来る憎たらしい時間帯だ。やかましいあてすりが、ここ一ヶ月以上無い。ざまあみろと思ったのはほんの束の間であった。
代わりに地獄が始まった、セックスの地獄である。毎日だ。絞り殺されるような寒気がする毎日であった。
その都度射精はあるが不思議に萎えない自分にも疑問を持つ。
おそらくはビールを飲んでも小便として体外に排出させようとしない体と、大きな因果関係があるのかなと何度考えたことか。生エネルギーを放出させない為だ。性交の為だ。来年は45歳になる。妻は年上の48だ。
本能なのか・・・と、ふと思った。いや違うと首をかしげた。性欲を獣のように剥き出す時代は遠い昔のはずだった。毎日交じっても満足出来ない時代があった。ところが急に二ヶ月ほど前から、その時代よりも遥かに凌駕する勢いで、更年期近しの妻が異常な性欲を剥き出し始めた。異常な速さで、種を残そうとする本能がそうさせいてるのか?違う。それは本来男の本能であるはずだ。逆でなければならない。
こっちからは決して求めてはいない、地獄さながらの中であっても快感ととともに、何かに魅入られたように射精をしてしまう。
鬼ババの憎らしい嫌味が懐かしい。
振り返ると主任と目が合った。どうやら同じ事を考えていたようだ。
―――おかしな香りがしませんか?嗅いだことがないな・・・あれはなんの香水だろう・・・?
―――あ?なに!君の妻もか!
「生ダイ三つね、大至急!」新米は大きな声で喚いた。
「いやふたつだ、君は帰れ!」
主任の剣幕に目を丸くした新米は「・・・なんですかおふたりとも?今日はおかしいですね?」
「体調不良なんだよ。これから主任とその話をする。君には目の毒、いや耳に毒だ」
課長はおしぼりで顔を拭き、「飲みたいならひとりどこかへ行け」といった。
―――なら俺を誘わなくともよかったのに
新米は心で毒ずいた。
「そうですか、じゃあソープでも・・・」
変な事を言ったつもりはない。
ふたりの上司の目が怒気をまとっているのを見ると、失礼しますといって新米はあわてて出て行った。
八杯目になる。二人はまだトイレには行っていない。




