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3/3

3/ 幻肢痛

 斯様な言に源之丞は首を捻った。

「見たことがある、だと? なら、ここの構造が解るのか?」

「全部ではありません。断片的にです……うっ、く……どうして私に、こんなものが」

 階段の途中でうずくまる。

 耳鳴りのような甲高い音。心臓が強く脈打ち〈一度見た未来〉を描き出す。


『――見つかったか!?』

『いえ、でも、それにしては動きが妙では……』

『確かに、どこか違う場所を目指しているように見える。俺たち以外にも侵入者がいるのか……?』


 頭痛が収まる。早百合は源之丞に小声で伝えた。造船所内は反響して声が響く。

「この下は船舶ドックです。でも、今行ってはいけません。そこの階段の裏に隠れましょう」

 下にいく階段が途切れ、眼の前にはドア。早百合はそこで階段裏に積まれた物資の影を指さす。

「どうしてだ?」

「じきに混乱が起きます。出来るだけ見つからずに行くべきではないですか?」

「それは、そうだが。しかし、そんなことまで?」


 言の通り、突如として緊急事態を告げるサイレンの音が響き渡った。

 源之丞は慌てて早百合の後に続き、階段裏に隠れる。

 やがて多数の足音。ドアから現れ、通り過ぎていく人影は照明に切り取られた影絵の蠢き。

 慌てぶりから、余程のことだと見て取れる。がちゃがちゃという装備の鳴る音が耳に残る残響を結ぶ。

「俺たちが見つかった、というわけではなさそうだが。君はここで起こる出来事が、本当に見えているんだな」

「とても曖昧なのですが、強く訴えかけてくるものがあって……」

 自分自身でもよく解っていないのだろう。

 だがそれでも、少女の力は状況を左右する強さがある。

「解った。次からも当てにさせてもらおう」

 最大の欠点は頭の痛み。バイオリズムな鈍痛が集中力を決定的に奪うため、状況の変化に逐次対応するのは難しい。

 そう伝えると、源之丞は微笑を返した。

「なら、そっちは任せてもらおう。俺には俺の役割がある、ということだな」

 早百合は源之丞に続き、ドアを潜って先に進む。


 どうして自分にこんな力が。

 考えても解らない。これが何を意味しているのか。自分に何をさせようとしているのか。

 早百合は思う。〈一度見た世界〉では、一体どんな結末が待っていたのか。


『アドリアーナ博士。どうして私にこんな力があるのでしょう?』

『それは君が〈トリガー〉だからだ。君の望んだ結末が訪れるまで、この時間漂流は繰り返される。何度でも、何度でも』


 やや時間を置いてから、船舶ドックへの扉を開ける。まだそれなりの人員が警備に当たっているが、どうも最低限のよう。

 だが、それよりも。

「あれが、そうか」

 それは建造物だった。巨大な船という様相ではなく、まさに要塞のごとき威容を誇る、潜水艦にあるまじき潜水艦。

「こ、こんなものが水に沈むのですか!?」

 あまり大きな声だとドック内に反響するので、囁くような小声。

「ああ。船体周囲の水を分解し、それによって発生したエネルギーが推力に変換される独自のジャケット航行機能を有している海洋探査船プラットフォーム、オービタル。周囲の水を分解するために水流の影響や摩擦の抵抗が極限まで減らされ、どんなに荒れた海でも自在に進めるという。長期滞在を見越して内部には研究用の施設がまるまる移植され、簡単な娯楽施設も組み込まれたとか」

「こんな……これは城塞ですよ。まるで砦そのものです。とても潜航するものとは思えません」

「ああ、これはまっとうな船じゃない。今言った情報さえ確かかどうか。実際に内部を確かめなければ解らん。もしかするとガチガチの戦闘用かもな」

 水の抵抗などまるで意に介していない、縦長のフォルム。横幅もかなりのものだ。

 さらに早百合を驚かせたのは、その横幅の部分だった。展開された装甲の内部に見える、片側四つの円筒は……

「あれは……」

「砲塔だ。なるほど、砲撃可能な潜水艦ってところか。沿岸部に浮上し、あれで都市や基地を破壊するらしい。そういえば、ジャケット航行機能によってこいつ本体の周囲には膜が張られるため、魚雷は軌道を逸らされるとか。まるでSFだな」

「海の要塞……だからこそ、博士の研究はこの内部に隠される、ということですか」

「そういう話。だがまあ、弱点は図体のでかさだ。今なら忍び込む隙がある。後部まで回り込むぞ」


 早百合は源之丞の後に続き、並んでいるコンテナの陰から陰へと移動していった。

 やがて上部ハッチへと続く階段の前に辿り着くと、源之丞は見張りの警備員を認めて双眸を眇める。

「合図をしたら走れ」

 数は二人。拳銃から弾丸を一発取り出して、明後日の方向に投げる。

 甲高い音。それに気を取られて二人の視線がそちらを向く。

 コンテナの影から静かに飛び出した源之丞は、階段の右にいた警備員の腕をとると背後に回り、関節を極めつつこめかみを銃底で殴りつける。脳震盪。あっという間にひとりを無力化。

 もうひとりが異変に気付いた時にはもう遅い。構えようとした突撃銃が銃口をあげる前に片手で上から押さえ、空いた手で顎を跳ね上げれば脳が縦に揺らされ、平衡感覚を失って仰向けに倒れる。

 その隙に早百合へ合図。上部ハッチへ急ぐ。

 銃声。足元で火花が弾ける。気づかれた。運搬作業中の人間ですら全員が傭兵なのか。警告なしの銃撃。

「きゃあっ」

「止まるな! 入ってしまえばこっちのものだ!」

 始めて銃撃にさらされる早百合は、今にも膝を折りそうだ。源之丞がその手を取り、強引に上部ハッチまで走らせる。

 転がり込むように侵入を果たした後、源之丞はハッチを閉めてパネルを操作。ロックがかかる。

 これでしばらくは時間を稼げる。背後で荒い息をする早百合を見た。

「大丈夫か? すまない、どこか痛いところは」

「はぁっ、いえ、大丈夫です」

 混乱、戸惑い、恐怖。それらは少女の心を破壊して恐慌状態に陥らせるには十分な要素。

 今ここで泣き叫んでもおかしくはないのに、この姫継早百合にそれはない。

 奇妙な感覚だった。この光景、あの銃撃、そして今感じている恐れが〈初めてではない〉ような。

「このままここに居座るのはまずい。隠れる場所を探そう。迷路のようになっているはずだから、はぐれるなよ」

 差し伸べた手をとって、早百合は源之丞の後に続く。すぐにも内部に侵入者の報が届くだろう。

 首を巡らせると、むき出しのコードやパネルが見当たる。まだ建造中というのは本当らしい。

 それにしても驚きが先に立つ。住んでいた場所の近くで、こんなものが造られていたなんて。

 うっかり迷い込んだ、ではもう済むまい。見つかれば問答無用で射殺される。

 そういう世界に踏み込んでしまった。戻る道は、もう閉ざされている。

 ウェスト博士の研究。兄の死。父の思惑。

 何か、運命の歯車のようなものがあるのだとしたら、それはどこで狂ったのだろう。

 早百合は、自分があまりにも何も知らなさ過ぎたという思いにかられ、つい口を滑らせる。

「どうして、こんなことに……」

「君が真実を知りたいと願ったからだ。言ったろう。真実を知るには代償が要る。あるいはそれが、命の場合もある」

 ぞくりとする。今さっきの銃撃は確かにこちらを殺そうとしてのものだった。牽制か威嚇かなど、素人の早百合には判断がつかない。銃は人を殺すもので、そこには確かに殺意が込められていた。

 ただそれだけを、純粋に感じ取る感受性が思考を恐怖に陥れ、体を強張らせる。

「だがまあ、安心してくれ。君は無事に帰す。そうしないと、俺があの世であいつに殺されてしまうんでな」

 言うと、源之丞は首だけで早百合を見る。薄い笑み。

 真実。確かにそれが知りたくてここまで来た。

 だけどどうしてなのか。今は、それだけで自分はここへ来たのではないとさえ思ってしまう。

 ――頭痛。

「うっ……また……」

 フラッシュバックが過ぎる。だが既に、何故これが見えるのかという疑問よりも利を取らねばならぬ状況。

 戸惑うのは後でも出来る。今はただ、この男性の力にならなければいけない時。

「大丈夫か、お嬢さん? まさか、また何か見えるのか?」


『――博士! 源之丞さんが、撃たれて……! 血が止まらないんです!』

『もう手遅れだ。諦めろ。〈運命〉には逆らえないのさ。解るだろう、姫継の娘』


「――はっ! はぁっ、今、のは」

 悪寒が背筋を凍らせて止まない。後頭部から血を流し、倒れて動かない男の姿。

 胸に穴が空いたような、細い針が心臓に突き刺さる痛み。

 まるで、大切な人が死んだかのような。まだ出会ったばかりなのに、どうして。

 だが反対に実感と既視感さえ覚える。そう、早百合はこの光景を知っている。

 この男性は、いつかそういう存在になる。

 ここまで来れば、幾つかの推測が成り立つ。

 例えば、この光景が〈かつて本当に起きた出来事〉だとして。

 早百合の不注意、源之丞の油断、判断ミス。

 そうした要因が重なり、失敗した分岐点ごとにこの光景を見せてくるのだとしたら。

「……私は、未来を視て、いる?」

 それも単純な未来視ではない。フラッシュバックにはどうしようもないほどの実感がある。冷たくなっていく男の体を抱く感触、頬を伝う涙の感覚は現実のそれと変わらなかった。

 そして胸を貫く慟哭が、この幻視をかりそめのものではないと裏付ける。

 彼には見えない。自分だけが見えている。この痛みも、悲しみも。


「お嬢さん。どうして、泣いている?」

「源之丞さん。あなたは、運命を信じますか?」

 これは、何度も何度も繰り返し、心を寄せ合い、そして引き裂かれるふたりの記憶。

「私は、信じません。こんな運命、絶対に」

 

 いつか誰かが言うだろう。このふたりもまた、ウェスト博士の研究に近付いた末、姿を消した哀れな男女だと。

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