2/ 夜を歩く
時刻は深夜。
姫継の屋敷で夕食まで世話になった後、源之丞は時を待って静かに客間を抜け出した。
暗がりは彼にとって都合が良かった。黒ずくめというだけでなく、彼の特異体質として夜目が恐ろしいほどに冴えわたる時間。その効果は陽光差す昼間よりも、夜の暗闇のほうが明るく見えるほどに鮮明だ。
拳銃の遊底をゆっくりと半分引き、弾丸が装填されているか確認。
屋敷を出る際、一度だけ振り返る。早百合の部屋の灯りは消えていた。もう寝たのだろう。
「……じゃあな、お嬢さん」
短く別れを告げて、源之丞は夜を歩く。
造船所への侵入経路は当たりをつけていた。目的地に近付いていく――人影。
「……待っていました。十河さん」
「お嬢さん!? どうしてここに!」
暗闇に佇む姫継早百合は、その問いに眦を決して答える。
「兄がどうして死なねばならなかったのか。その理由を知りたいのです。そして、父が何をしようとしているのかも」
「気持ちは解るが。ちょっと手を貸してくれるだけでよかったのに。飛び込むってのは感心しないな。姫継家はもう君しかいないんだろう?」
「はい。だからこそ、知る義務があります」
「身を守る術もない君に、ここは荷が重いな」
「……それに、知っている気がするんです」
「何を」
「あなたが来たこと、そしてここに入っていくこと。ウェスト博士の研究のことを。私は〈既に見ている〉気がして、」
物音。警備員が話し声を聞きつけたか、近づいてくる気配。
「どうやら問答している暇はなさそうだ。こっちへ」
建設会社の名が書かれた幕をめくり、源之丞は早百合を促して柵の向こうへと足を進めた。
やり過ごした後、静かに移動を開始。鉄の城のように聳える造船所は未だ建設中ながら、源之丞はそれが外見だけのものだという情報を手に入れていた。
内部、それも機密用地下ドックでは既に海洋探査船プラットフォーム、オービタルが建造中だ。さらにそれは完成間近で、潜水艇としての機能も備えている。
出航すれば外部からの侵入が不可能な要塞となり、加えて極秘裏に攻撃能力すら備えた、この時代にあるまじき大型潜水艦。
多数の新型魚雷を内部に抱え、ことによっては軍事行動すら可能とする。
源之丞が、姫継孝一から受け取った情報はこのようなものだった。
ここまで来れば、誰でも解る。これは名目通りの海洋探査船などでは断じてない。
水上戦闘機に砲塔まで装備した、原子力で動く戦闘艦。
こんなものが世に出れば、恐ろしいことになる。
だが、だからこそ博士の研究はここに移された。
存在そのものが禁忌にして危険。場合によっては戦争の火種になりかねない。よって誰も手出しが出来ない。
「全く、こうなるか。お嬢さんを連れてっていうのは想定していなかったが」
人目を避けて行動し、工事現場でよくみるフレームがむき出しの簡素な階段を下りる。なるべく足音が出ないようにゆっくりと。
「……やっぱり、見たことが、ある。この光景」
頭にキーンという甲高い音が走る。幻覚のフラッシュバック。
そう、見たことがある。今じゃない未来、ここじゃない、どこかで。
『――十河さん、逃げて!』
『君を置いていけるか! アドル博士、彼女を!』
「う……!」
「やれやれ、見た目より無茶をするお嬢さんだ……おい、大丈夫か?」
「――右側の通路から人が来ます。そこに、隠れましょう」
「何だって?」
「私の勘は、当たるんです」
通路の窪み、ここだけは照明が当たらない完全な死角となっている。
よく見れば、コードが足元を伝う雑然とした建設現場。物音もそれなりにしている。
そんななかでは足音を聞き分けるのも難しい。
結果として、早百合が言ったことは的中した。
すぐ傍らを通り過ぎる警備員。手には突撃銃。体の前に持ち、銃口が斜め下を向く、正規の構え。あんなものものしい装備がこの日本で許されているなど異常事態だ。
「何だ、一体……あいつら、軍人なのか?」
源之丞の見立てではあの警備員、まず日本人ではない。
「……防弾装備、ヘルメット、それに無線機……もしやミリタリーサービスか?」
傭兵派遣企業というものが世の中にあるのは知っていたが、実際に眼にしたのは初めてだ。
「きな臭いじゃないか。ここまでするほどのものか。オービタルというのは」
「――いえ、違います」
早百合が口を開く。頭に手をやり、頭痛を堪えているようだ。
「これも全て、博士の研究を守るため。オービタルは、そもそもそのために建造された」
「何だって? 君は、やはり知っていたのか!?」
「違います。見えるんです。さっきから、奇妙なフラッシュバックが止まなくて……」
頭痛は止んだらしく、言い終えて立ち上がる。
「行きましょう。そこの気密扉から地下に降りられます」
「見える、とは?」
「私もよく解りません。でも、私は一度、いえ、何度もここに来たことがある。そう感じるんです」