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1/ 水天のクレイドル

 少し前の話。

 やつれたウェスト博士は自らの研究成果の全てをいずこかへと隠し、行方不明となった。

 やがて、損壊の激しい自殺死体が発見される。それが博士本人ではないかと話があがった時、親族はその死因に否定的だった。

 博士の助手も同意見。自殺は有り得ない、そう唱える。

 そして、そう口を揃えた親族と助手も、時を待たずに行方不明となり。

 何かが動いている気配だけを残して、真相は闇へと葬られることとなった。


 つまり、ウェスト博士は何者かに命を狙われ、その研究成果が奪われることを避けて隠し――

 それに関わった者達もまた、同様に命を奪われたのだ。

 遺伝子工学の権威であった博士の研究。

 それは、神の領域に挑む何らかの技術であったと、知る者は少ない。


    *    *    *


 暑い、夏のことだった。

 透き通るような蒼穹に向かってヒマワリが伸びゆく季節。

 都会と違い、ここでは時間の流れが随分緩やかに感じられて、少女――姫継早百合ひつぎ・さゆりは世間の忙しない喧騒を一時忘れて童心を思い出していた。

 散歩の途中に足が向いたので、小高い丘へと向かった早百合は、そこでひとりの男と出会う。

「やあ、お嬢さん」

「……あなたは?」

 全身黒ずくめの男は片眼を細めてから名乗った。

「この街は田舎だし、避暑地としてはいいのかも知れないが。誰も住んでいない家が数軒も並ぶと閑静でいけないね。俺は十河。十河源之丞とうが・げんのじょうだ。君の兄とは昔馴染みでね。今、向かっているところだったんだ」

「そうでしたか。兄の。初めまして、私は姫継早百合と申します」

 丁寧にお辞儀をする早百合を見て、源之丞は片眉をあげた。

「礼儀正しい人だ。しかしお嬢さん、君ははやくこの街を出て行ったほうがいい」

「え……? それは、どうしてですか」

「ことが起こるのに、そう時間がない。巻き込まれる前に、離れることを勧めるよ」

 そう言葉を重ねる、奇妙な男。よくよく見れば柔和な笑みを絶やさず、しかし眼は剣呑な輝きの兆しを孕む。

「何を仰っているのか、解りかねます」

「ま、だろうな。突然こんなことを言われて、はいそうですかと納得するバカはいなかろうさ」

 とはいえ、不思議な魅力のある男だった。肩を竦め、やれやれと首を振る仕草は様になっている。

 落ち着いた佇まいに長身。陰のある面差し。

 単に妄言を吹いて回るだけの変人と判断するには、理性的で落ち着きすぎている。

 早百合はこの男に、穏やかさの陰に剣の切っ先のような鋭さを持つ、油断のならない印象を抱いた。

 自分の直感はよく当たるのだ。

「色々と込み入った事情があってね。俺はアルバート・ウェスト博士について調べているんだが、つい最近、その研究資料の手がかりを掴んだ」

「……本当に、何を仰っているのか」

「さてどうかな。お嬢さんが本当に姫継の人間なら、知っていると思うけど。ほら、あの造船所」


 源之丞が指で示した先には、この街でもとりわけ大きな建造物。

「あそこで極秘裏に建造された海洋探査船プラットフォーム。ウェスト博士の研究資料はあれの内部に隠され、運ばれる。あとはもう、日の目を見ることなく隠匿されるのさ。計画したのは姫継の当主、姫継恭司。お嬢さんの父君だよ」

「お父様が……? 私は何も聞いていません。何かの間違いでは? 父はただの建築家でして、そんな大それたことの出来る人では、」

 だが、次の一言が少女に現実の重みを叩きつける。

「……それを止めようとした君の兄は、父によって殺された。それでもまだ信じないか?」


    *    *    *


 確かに、兄の訃報が届いたのはつい先日。葬儀は親族のみで執り行い、一体何があったのかも解らずじまいだった。

 源之丞と名乗った男の言は、兄の死の裏に隠された真実へと繋がっているように感じられる。

 ひとまず屋敷へ案内し、給仕係にもてなしの用意をさせる。

「線香のひとつでもあげてやろうかと思って来たんだが。まあ、墓参りは後にさせてもらうか」

 居間の向かいでテーブル越しに座る源之丞。黒ずくめは喪服代わりだったようだ。

「さて、お嬢さん。ショックなところ申し訳ないが、早々にこの街を出ていくことを勧めるよ。単なる避暑なら、ここでなくても問題ないだろう?」

「まだ、あなたの言を信じると決めたわけではありません。妄言の塊と思われても仕方がないのですよ。今のあなたは」

 先ほどまでと違い、早百合の食ってかかりように源之丞はことさら楽しげに表情をゆがめる。

「それでいい。それが普通の反応だ。だが、真実を識るには代償が必要でな。それは君の平穏を奪うかも知れないが、いいのか?」

「まず、あなたが何者なのか。そこからお尋ねしたいと思います」

 すると、源之丞は懐から名刺を取り出して早百合に見せた。

「探偵をやっている。君の兄とは小学校からの付き合いだ。なんで、今回の件は誰に頼まれたからでもない。俺自身、あいつに何があったかを知りたいからだ」

「探偵……」

「ま、浮気調査ばかりの毎日だがね。しかし、兄について調査をするには君の許可を取り付けなければ動けない。何かあるとするなら、あの造船所。そしてあそこは姫継の管轄。となればお嬢さんから一本、電話を入れてもらえれば中に入ることが出来るわけだが」

 嘘でも、父から、と頭につければどうにかなるという話なのだろう。とはいえ、そこまですることかどうか。

「なるほど。だからここへ来たと。では、調べてどうするおつもりですか? 単に兄の死について知りたいだけならば、アルバート・ウェスト博士の名を出すこともなかったでしょう。私に犯罪の片棒を担がせるだけなら、ここで追い払われても仕方ないのですよ」

「君の兄はウェスト博士について調べていた。その結果として殺された。秘密に近づいた者は例外なく消される、なんて、昨今にしちゃ随分ミステリーだと思わないか」

「答えになっていません」

「俺もだよ。だから俺は、それが知りたい」

 早百合はこの男が理解できなくなりつつある。

 いや、最初から理解させるつもりがないのだ。

 しかし、人を煙に巻いて楽しむような人間が、兄の知り合いにいたという話は聞いていない。

「……ウェスト博士は遺伝子工学の権威だったお方。そんな謎に繋がるものがあるとは思えませんが」

「ほう。確かに遺伝子工学において、博士の名を知らない者はいない。だが、それはあくまで表向きの話だよ。裏側は、もっとどす黒い」

「……一体、どういうことです? それが私の兄と関係があるのですか? あなたは一体、何を知っているんですか!?」

 いきり立った早百合に面食らう、ということもなく。ここまで温和だったはずの少女を激昂させてなお、源之丞という男は依然として余裕を崩さない。

「怪異は怪異を呼び寄せる。裏の世界にいると、よくあることだ」


 姫継の一族が隠さねばならない理由。ウェスト博士の研究成果がこの街にある理由。そして兄が殺された理由。

 様々なものが複雑に絡み合う、複雑怪奇な迷路。

 美しい少女は、以前にもどこかでこの話を聞いたような覚えがして、ずきりと痛む頭を抱えた。


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