ブラック企業殺人事件 社畜に神様はいない
推理小説風のタイトルですが、読者に犯人を考えさせるような書き方にはなっていません。
普通のラノベと同じように、肩の力を抜いて御覧ください。
どうやら今まで私は、大きな会社の社長ばかりを相手にしてきたみたいね。というか、株式公開もしてないトコとは、相手をする機会も無いというか。
だから、今回の被害者は社長だと聞いてすっ飛んで来た私は自分の目を疑った。何せ、辿り着いた先は、机と書棚を押し込んだ小部屋のような場所だったのだから。あまりに落胆して、うっかり職場の真ん中で『え!? 人こんだけ!? 十人足らずで法人名乗ってんの!?』と声を上げてしまい、物凄く居辛い空気を作ってしまった。
ということで、私は退避してきた駅前の喫茶店で部下の守谷からの報告を受けることにした。全社員からの事情聴衆に三〇分も掛からなかったとか言うから、絶対サボリだと思ったのに。
「……ったく、そんなカラクリがあったなら最初に言いなさいよ、無能め」
「社の情報は事前資料にあったはずですが。それにすら目を通していなかったのですか、警部」
どこぞの社長が殺されたと聞いて、これは歴史に残る大事件かも!? と脊髄反射で引き受けちゃったけど……こんなことなら別の課に回しておけば良かったわ。
「どうにもやる気がないようですね。でしたら、お帰りいただいても良いのですよ?」
「うんにゃ、やるわよ。庁の方も手続きも済んじゃってるし、今更放り投げたら叔父さんに迷惑かかるし」
「いえ、我々だけで十分、という意味です。警部はおられても役に立ちませんし」
ムッカー! コイツ、どんなに暴言吐いても自分のポストが安泰だからって……!
「守谷……アンタねぇ……私のコネで警部補に就いてるクセに偉そうに……ッ!」
「コネは警部も同じでしょう?」
同じコネでも私と守谷じゃ扱いがちょっと違う。
私は他人から指図されるのが嫌で、警視総監である叔父さんに相談したところ、警部の役職を充てがわれたのだ。但し、その条件として、この守谷を警部補として就けろ、と。つまり、守谷は私のオマケ。とはいえ、こういうつまらない事件についてはこれまで全部守谷に任せきりにしてきたから、役に立つといえば立つのだけど。今回も一任しちゃいたいところだが……
「で、帰庁されますか? それとも、直帰されますか? 警部に説明するのも時間の無駄なので、早々にお引取り願いたいのですが」
うっせぇー! そこまで言われて引き下がれっかコノヤロウ!
「そゆことゆーなら、事件解決まで絶対帰ってやんないからね! 覚悟しなさい!」
コレに対する守谷からの返答は、深い溜息だった。……まぁいいわ。不本意ではあるけど、こんな事件はズバっと解決して、私の実力をしかと思い知らせてやるわ!
ということで、早速守谷から調査結果とやらをほじくり出す。
「じゃあ、手始めに資本金と、営業キャッシュフロー。あと、自己資本比率はどのくらい?」
「……警部、我々はそのような情報は取り扱っておりません」
「はぁ!? 何やってんの! そんなんで金なんか出せるワケないでしょ!」
と、一頻り怒鳴ってみて思い出した。
「……あ、今日は事件の調査だったっけ」
資産家の父親から経営学について全力で叩きこまれてきたから、ついクセが出ちゃったわ。でも、その教育のお陰で向こう百年優雅に暮らせるほどの資産は作れたよ。ただ、ここまで来るとそれ以上あくせくするのも面倒になっちゃってねぇ。
ということで、警察を始めたのはつい最近。実のところ、警視庁にいるより投資家やってた方が長かったりする。
警部ともなると、給料もたくさん貰えるんだろう、と僻む人は多いけど……ぶっちゃけた話、そんな端金に興味はない。だから、ここからの給与振込みは別口座を作って丸々寄付しちゃってる。いくらか知んないけど。
お金は社会のために使われ、事件は解決され、私の名声も上がる! いいコト尽くしね! ……尤も、未だに私に見合う事件に出会っていないのだけど。
「気乗りがしないなら何時でも帰って頂いて構わないのですが。こちらも忙しいですし」
「ヘぇヘぇ悪かったって。だから、早く報告して頂戴」
私は上司ながら、部下に対して誠心誠意謝った。情報を握っているのが守谷の方なのだから仕方ない。
「で、何だって殺されたの? そんな弱小泡沫企業の社長に手を出したっていいことないでしょうに」
「それを調べるのが、我々の仕事です」
まー、そーなんだけどね。
「とりあえず、金目当ての犯行では無さそうね。あんなとこ強請って纏まった金が出てくるとは思えないし」
「お得意の迷推理は、せめてこちらの話を聞いた後にしてくださいますか?」
コラ、迷推理ってナンだ。こちとら推理力を人前で披露したことも無いんだから、勝手に”迷”って決め付けんじゃないよ。
こんなことで言い争っていても始まらないので、とりあえず守谷からひと通り話を聞くことにする。私が華麗に真犯人を突き止めれば、今後素直にもなるでしょうよ。
今回の被害者の名前は伊藤清隆。四八歳。株式会社伊藤商事の社長を務めていた。株式会社、と言っても東証どころかJASDAQにすら上場していない。上層部が決定権を握りたい、というより、単純に上場水準すら満たせないだけでしょうね。
で、その社長が今朝、死体となって発見された。第一発見者は使用人の黒田さんという女性。彼女が気づいた最初の違和感は、早朝社長の家に出勤してきた際、玄関の鍵が開けっ放しだったことみたい。黒田さんが言うには、『昨夜は自分が退勤する前に社長は帰宅していて、氏に一礼してから施錠して退勤した。それは間違いない』とのこと。
「そんなの、そのあと社長が出掛けて戸締まり忘れただけじゃない?」
「黒田氏も、その時はそのように考えたようですね」
なお、使用人は彼女一人で、住み込みでもないんだって。そんなんで家の中回せるのかしら……? と思ったら、その疑問は続いて提示された被害者宅の間取りを見てすぐに解消された。
「何これ? ドレッシングルーム?」
一応ご飯を作れる調理台とかお風呂やトイレ的な設備はあるようだけど、さっき見た物置のような小さな職場よりも更に小さな部屋が三つあるくらい。敷居はあっても実質一部屋ね。これじゃあ会食どころか会合すらも開けないじゃない。どこでどうやって人と合うつもりだったんだか。
「警部、これは2LDKと呼ばれるファミリータイプの間取りです。去年までは奥様と二人暮らしだったそうですが、現在は別居中とのことです」
ふぅん、ファミリータイプ、ってことは、業務用ではない、ってことね。でも、社長たるもの、いつでも仕事ができる態勢くらいは整えておくものだと思うけど。
「玄関側の洋室は元々奥様の個室として使用されておりましたが、別居後は応接間として改装されたようですね」
む。こんなせせこましいとこで応接って、どんな密会よ。
「怪しいわね。ココ、怪しすぎる」
私の直感から漏れた呟きに、守谷は軽く驚いた表情を見せる。
「ほう、警部にしては勘が冴えてますね」
私にしては、というのは余計な一言だけど、一応裏のない褒め言葉として受け取っておこう。
「遺体が発見されたのは、この応接間となります」
黒田さんの証言によると、出勤時の違和感はさておき、彼女はいつも通り朝食の支度を始めたらしい。ちなみに、黒田さんが調理をしていたのはキッチン……という名の廊下のような場所。そこに、コンロや水場、冷蔵庫なんかをギュウギュウに押し込んだみたい。とてもじゃないけど、どんなに頑張っても調理師三人入るのが限度。ちょいと十人くらい来客が集まってきたら、もうランチも振る舞えやしない。学校の家庭科室だってもちっと広くない? 大丈夫かいな、この社長宅。
「しかし、朝食の準備が整った頃、普段なら身支度を整えて寝室から出てくるはずの時間に伊藤氏が出てこない。それを不審に思った黒田氏が――」
「待って」
守谷の説明には不可解なところがある。
「ココが応接間で、ココがキッチン? でしょ? だったら寝室って……」
「この九畳の洋室以外にどこを寝室とするのです?」
守谷はさも当然のように小さな一角を指差すが……
「へ? そこってクローゼットかとばっかり」
この家、どこに服を掛けてるんだろ?
「……警部、ウォークインではないクローゼットをご存知ですか?」
「歩く以外にどうやって入るのよ。もしかして、ベルコンで運んでくれたりするワケ?」
守谷はいつも以上に厭味ったらしく長~い溜息を吐くと、大袈裟に頭を振る。
「……不審に思った黒田氏が寝室を覗いてみると――」
無視して説明再開しやがった。チッ、感じ悪っ!
「――ベッドメイクされたまま使用された形跡が無かったため、家中を調べてみたところ、先程の応接間にて遺体を発見されたそうです」
家中を調べる、っつーても、部屋なんてあって無いよーなもんじゃない。
「で、流石にその家政婦さんが犯人、ってこともないんでしょう?」
自分で殺して自分で通報とか、あまりに間抜けすぎる。
「一応容疑者の一人として調べてはおりますが、被害者宅に勤務するようになって半月足らずです。殺害に至るほどの動機を抱える可能性は低いと言わざるを得ません」
「事故の線は? アリバイはあるの?」
そういえば、犯行時刻を聞いてなかったわ。
「死亡推定時刻は昨晩九時頃ですが、その一時間前、八時頃には被害者宅から退勤されています。その後、同業者複数人と夕食を摂りに行ったそうなので、現在その証言の裏を取っている最中です」
ふーん、まあ、念のため、ね。
「で、こういう事件って大抵直前に『近々大金が手に入りそうだー』みたいな死亡フラグが立ってるもんだけど、そーゆーの無かったの?」
「いえ。先日も被害者に変わりはなく、突然のことに社員たちは皆信じられない様子でした」
「じゃあ、内部関係者の犯行で確定ね」
さっきゆったとーり、こんな貧弱な企業を死ぬほど強請るなんて考えられない。だったら、何らかの内輪揉めがあったんでしょーよ。人間関係って複雑だから。
これについては守谷も同意見のようで、余計な口を挟むことはない。
「各社員のアリバイについては現在調査中ですが、動機がありそうな容疑者が三名おりました」
ふぅん。十人程度の組織で三人から恨みを買うとか、あんま良い経営者とは思えんねぇ。
さてさて、容疑者その一。社長秘書の山縣正美。二六歳。生前の被害者から愛人になるよう迫られていたようだ。そーいうのは、きちんと別居中の奥さんと離婚して、身を綺麗にしてからにしろっての。
しかも怪しいことに、昨日は打ち合わせと称して社長の家に来るようしつこく言い寄られていたらしい。キモっ。
「それって、何時頃の予定だったん?」
「遺留品の手帳によると、午後九時だったようですね」
ジャストお亡くなり時刻じゃん!
「黒田さんは来客のこと、社長から聞いてなかったの?」
人が来るのに使用人追い返しちゃうとか不自然だし。
「彼女は何の指示も受けていなかったので通常通り八時に退勤した、とのことです」
やれやれ、二人きりで密かにやらしいことするつもりが、こんなことになっちゃったんだねぇ……。
「容疑者である山縣氏本人にこの件について尋ねてみましたが『夜の自宅訪問などという悪い冗談を真に受けるつもりはなかった』とのことで、断固として聞き入れず、社長宅には近寄ることなく真っ直ぐ帰宅したそうです」
セクハラで訴えられなかっただけでも感謝しなきゃねぇ。とはいえ、過ぎた制裁は受けたようだけど。
何にせよ、きちんとアリバイ確認できない限り容疑者筆頭間違いなしね。
次、容疑者その二。松方重信営業部長。三二歳。一課にも満たない社員数で部を割ってんじゃないよ。
彼は社員からの信頼も厚く、次期社長ポジションといわれている、とのこと。その分、社長に意見する機会も多くて、経営方針の食い違いでよく口論になっていたのは社員みんなが知るところらしい。遺体が事務所から見つかってたら、間違いなく真っ先に疑われてたでしょうね。
「アリバイは? 何か無いの?」
「当日はある知人から相談を受けていて、話を終えて帰宅したのは深夜十時だったそうです」
相談? 不倫騒動の後だからか、変な話にしか聞こえないわ。
「ある知人って誰よ。何の相談?」
「プライベートな相談のため、相手も内容も黙秘する、とのことです」
へーぇ、自分が逮捕されるかもしれない、って時に随分殊勝なこと。
「それってもう、犯人か不倫かどっちかじゃん。どっちにせよ犯罪じゃん!」
この会社にはロクな男がおらんのか。
「警部、松方氏は独身です」
「相手が人妻かもしんないでしょ!」
守谷は一瞬キョトンとして頭上の店内照明を仰ぐ。本気で気付かなかったらしい。
「そういうところばかり知恵が回るんですね」
うっさいわ、ほっとけ。
最後、容疑者その三。大隈太郎。四二歳。特に肩書きのない平社員で、社長と縁があって四年ほど前にコネで入社してきたらしい。
「その入社経緯だけ聞くと、逆に容疑者から外れそうだけど、ここに挙げた、ってことはそれ相応の理由があるのよね?」
何となく故人と関係があったから……だったらぶっ飛ばす!
「どうやら大隈氏は被害者との間に私的な借金があったようです」
ウホッ!? そいつは穏やかじゃないねぇ!
「金額は? 期限は? 単利? 複利? 使用目的は!?」
「鬱陶しいところに食いつかないで下さい」
守谷の話によると、これはまだ噂ベースで、借用書等は確認できていないらしい。
「なぁんだ、つまんない。ま、こんなところで動く金額なんて高が知れてるでしょうけど。で、アリバイは?」
「終電まで職場で業務を行っていたとのことです」
残業かぁ。仕事が終わらないからって定時後まで引き摺るなんてダサイわねぇ。とはいえ、そんな解りやすいアリバイなら、会社の防犯カメラや他の人の証言でいくらでも確認が取れそうね。
ひと通り話を聞いてみたけど、これだけじゃ流石の私でもどうにもならない。続報を待つにしても、どうやって時間を潰したものかと窓の外を眺めていると、見知った顔がこちらに向かって早足に歩いてくる。
思った通り、彼の目的地はここだった。相手も外から窓を通して私たちの席の場所は認識していたようで、店に入ると当てを探すことなく真っ直ぐにやってきた。
「守谷さん。こちらだと伺っておりましたので、追加情報の資料をお持ちしました」
警部たる私より先に警部補の守谷に挨拶する失礼な男の名は吉村。警部補補佐という聞いたこともない役職を与えられ、現場を取り仕切っている。本来その役目は警部補たる守谷なのに、コイツはデスクワークばかりであまり現場に出ることがない。仕事ナメてんのか。
私を無視した吉村の非礼とは別に、守谷も部下の態度に思うところがあったようだ。いつものヤレヤレ溜息で部下に対して苦言を漏らしている。
「そういうことなら、俺の方から行ったのに……。ここには……ホラ」
私は何故か吉村と目が合った。そして、何故かすぐさま気不味そうに目を逸らされた。
「あ、すいませんでした……」
何がスマンだゴルァ! スゲェ馬鹿にされた気がすっぞ!?
「吉村! 新しい情報があるならとっとと出す出す!」
直属の上司を飛び越えた上司からの指示に戸惑っていた吉村だったけど、守谷の無言の溜息を受けて、テーブルに紙束の挟まったファイルを差し出した。
「警部……これは機密情報ですので、くれぐれも取り扱いには……」
「そーいうのを釈迦に説法ってのよ、阿呆」
こちとら、ちょっとでも取り扱いを間違えればインサイダーやら何やらでとっ捕まる世界で綱渡りしとんじゃい。投資家ナメんなよ? 情報に関するコンプライアンスはお前らよりよっぽど厳しいわ。
吉村を守谷の隣の席に座らせて、私はざっと新情報に目を通す。それは、現場の状況写真や全社員の調査メモのようなものだった。
先ず、現場なのだけど、物盗りに荒らされた様子はなかった。勿論、寝室と呼ばれる部屋や、その他にも。そもそも、家に大きな異変があれば、使用人が気づいたはずだし。
被害者の死因は後頭部の強打。とはいえ、これは転倒した際に机の角でぶつけたものらしい。これだけだったらすっ転んで自滅しただけとも思えるけど、顔の正面――額にも不自然な傷があったみたい。これの理由が判らないことには事故と断定はできないわね。
さて、続いて容疑者たちからの証言とその裏付けだけど……これがいよいよ胡散臭くなってきた。
先ず、第一容疑者の山縣秘書。社長指示を無視して帰宅した、と言っていたけど、彼女宅の最寄り駅の防犯カメラに彼女の姿は確認できなかったらしい。本人曰く『疲れていたからタクシーを使った』とのことだけど……怪しいねぇ。この証言については、引き続き確認中らしい。
続いて、松方部長。社員一人ひとりに尋ねてみたけど、彼と相談したような人はいなかったみたい。社外の相手か、もしくはそれ自体が嘘か。なお、帰宅時刻については間違いないみたい。時間的に何のアリバイにもならないけど。
そして、大隅社員の借金について。少なくとも会社と、社長の家から借用書のようなものは出てこなかったって。これから大隅さんの自宅を捜索するための手続きに入るようね。
アリバイについては他にも残業していた社員がいたようで、複数人から確認が取れた、とのことだけど……ん? むむむ……? これは……!
「ふぅん……これは結構大きな犯行計画が練られていたのかもよ?」
「ああ、そうですか。読み終わったなら資料をこちらに回して下さい」
あまりの露骨な無視っぷりに、私はイラっとして全部の資料をズイっと守谷の方に押し込んでやった。もう全部目を通したし。
「吉村」
私は守谷ではなく、調査のために現場に戻る吉村に直接指示を出す。
「残りの全社員のアリバイと身元、直近一週間の動向について徹底的に調べて。何か判ったらすぐに報告すること」
これに対して、イチイチ守谷に許可を求める吉村。ウザイなぁ。上司の上司がいいってんだからいいんだよ!
「それじゃ、警部には他の社員の分だけ伝えとけ。それ以外は何も出さんでいいぞ」
ナニその情報統制みたいなの。ま、いーけど。外堀を攻めていけば、絶対真相に辿り着くんだから!
その後すぐに守谷・吉村は各々の業務に戻るため、私を残して店を出て行った。支払いは私持ち。まー、上司だしね。
結局二人共重要なところを見落としていたようなので、上司たる私が尻拭いしておいてやろうじゃないの。いやー、無能な部下を持つと苦労するわー。
その見落としってのは……ズバリ、タイムカード! 証拠品の一つとしてタイムカードのコピーが挟まっていたのだけど、それによるとあの大隈って男、事件当日定時に上がってたんよ! 何が終電まで残業よ。見え見えな嘘つきやがって!
だけど、それにはある種の自信があったんでしょうね。というのも、複数の社員から大隈さんが残業していた、という証言が取れてる。つまり、これは複数犯ってこと!
念のため共犯と思われる桂、西園寺、山本って社員のタイムカードを見てみると、コイツらもしっかり定時上がり! 大隈さんの残業模様を確認できるわけないじゃない!
とゆーか、残りの社員も全員定時上がりだよ! 社長の伊藤さんは元より、管理職の松方部長、秘書の山縣さんにはタイムカード自体ないから正確な時間は解らないけど、多分、誰も残業なんてしてないな。
こうなってくると……私が想定していた中ではかなり大きなケースになりそう……。つまり、これは会社全体による計画的な犯罪ってこと! 私が睨んでいたとおり、あの社長、みんなからかなり嫌われてたみたいね。
集団行動にはメリットも多いけど、どこかで誰かがミスをすると、そこから一気に切り崩されるリスクがある。二・三人ならともかく、十人近い人間が完全に犯罪を隠蔽しきれると思う? 無理無理! 誰かが絶対ボロを出すわ!
吉村には一応防犯カメラの画像を用意するように言っておいたけど……無駄かしらね。全員が口裏合わせて決行したなら、当然カメラに細工するなり、カメラに写らないように抜け出すなりするでしょうから。
そうなってくると、犯行の現場とかにも細工がされてるかも。一人じゃ難しくとも、みんなで協力すれば色々やれるでしょうし。
それでも、とにかく今は決定的な綻びのある誰かを探すしか無い!
……と日が暮れるまで頑張ってみたものの……後に吉村から受け取った追加資料第二弾を読んで頭を抱えてる。何よ、コレ。全然怪しすぎて、逆に動向が掴めない。とゆーか、さすがに堂々としすぎでしょ!
みんなのタイムカードは毎日定時に打たれているので、仕事はそこまで、ってのは間違いない。それなのに、みんな退勤時刻の証言がバラバラ。空白の時間が多すぎる! もう無茶苦茶だわ! まるで三億円事件みたい!
ここまで来ると、タイムカードの方を疑うべきなのかも。例えば、何時に押しても定時に印字されるよう細工されてるとか。……いや、それは無いか。社員全員が誰もそれに気付かないなんてあり得ない。
悩ましげな私のところに、追加情報第三弾を頼んでおいた吉村が戻ってきた。病院通いの社員が何人かいたから、そのアリバイの確認ね。次はタイムレコーダーにいじられた形跡がないかの確認を頼もうかしら。
しかし、今回の吉村は手ぶらだった。
「……吉村、何しに来たの? 成果もなしにノコノコと――」
しかし、吉村は正確には手ぶらではなかった。それどころか、とんでもない情報を持ってきていたのだ。
「事件が解決したそうなので、現場の方にお戻り下さい。守谷さんがお待ちです」
……あんだって?
私は言われるがままに現場に戻ってきた。正確には被害者が経営していた伊藤商事の建物の前だけど。時刻は夜七時。私は資料と睨めっこしながらあの喫茶店で丸一日を潰してしまったことになる。
タイムカードによれば通常全員六時に退社しているハズだが、フロアの電気は煌々と灯り、まるで営業時間中かのようだ。
「コレ……どういうことよ……。今日が特別ってことでもないんでしょ……?」
驚いて思考が纏まらない私に対して、守谷は訳の分からないことを口にした。
「ようやく、この会社も正常に回り始めた、ということです」
犯人は……何と松方部長だった。
事件は、山縣さんが、部長に相談を持ちかけたことから始まったらしい。
社長からしつこく言い寄られていた山縣さんは、もし来ないようなら、自宅に迎えに行く、とまで脅されたようだ。ストーカーかよ!
普段から社長の方針に反発していた部長は、秘書への限度を超えた嫌がらせに腹を立てて、本人の代わりに直談判に向かうことにしたらしい。山縣さんは身の安全を考えて、会社近くのホテルに隠れていた模様。彼女の所在が不明になっていたのはそのためだ。
「今朝、彼らが一緒にホテルから出てきたところがカメラに写っていましてね。事情を尋ねると、全てを自白されました」
「今朝!? 一緒に!? 何で!?」
部長は自宅に帰ったの確認したんでしょ!?
「松方氏は帰宅後、山縣氏の携帯に『一喝入れておいたからもう帰っても大丈夫』と電話を入れたのですが、彼女の方から『心配だから今夜はここに泊まる。女一人では不安なので一緒に泊まって欲しい』と松方氏をタクシーで呼び出したようです」
このあと無茶苦茶セックスしたーーー!?
「何よアイツら! 人一人殺しといてイチャイチャと! 有罪有罪! 懲役百年くらい牢獄にぶちこんどけっ!」
「それなのですが……本人にも殺すつもりはなかったようです」
社長が呼び出した時刻に自宅に現れたのは、麗しの美人秘書……ではなく、小憎たらしい若部長。家の前でご近所に不倫を暴露されても困るので応接間までは入れてもらえたようだが、そこからが大変だった。
「どうやら、伊藤氏の中では山縣氏の方が自分に惚れ込んでいるような脳内設定になっておられたそうで……あまりの身勝手さについ手が出てしまった、とのことです」
一発殴って倒れた社長に『彼女に二度と手を出すな!』と啖呵を切ると、相手の容態も確かめずにそのまま帰宅してしまった。そのため、社長の死を知ったのは今朝になってかららしい。
このような事情があったとはいえ、社の責任者である社長と、業務の中核を担う部長が同時にいなくなっては、会社の業務に支障を来す。なので、社員たちには事情を説明して、業務の引き継ぎを行った上で、二人揃って出頭してきたそうだ。
二人、というのは主犯の部長と、原因となった秘書。
「山縣氏は『刑務所から出てくるまで独りで待ってる』と泣きながら松方氏を見送っていたそうですが……まあ、初犯ですし、計画性も殺意も認められないでしょうから、殺人罪ではなく傷害致死罪、執行猶予付きの有罪判決、ってところでしょうね」
うーん……いいのかなぁ……それで。
「仮にそうだとしても、殺人事件のあった会社に居続けたい人なんておるんかいな」
「退職者は、私一人のようですね」
私たちの背中に自嘲気味に答えるその声の主は……容疑者の一人だった大隅さんだ。これから帰宅するところらしい。
「仕事も取れずに皆様に迷惑ばかりかけていた私ですから、伊藤社長のお陰で何とか今日まで席を確保してもらっていたようなものですし……」
ズレたメガネに薄くなった髪の毛、そして猫背に掛かるヨレたスーツ。全身から漂う自信の無さが、仕事ができない雰囲気を醸し出している。これは……あかんヤツやなぁ……。
「でも、伊藤さんとの借金は精算できましたし……この会社に思い残すことはありません……」
それでは、と言い残すと、大隈さんは頼り無さそうな足取りでトボトボと夜の住宅街へと消えていった。あー……こんな形ではあるものの、返す必要なくなったみたいね。借用書も無かったそうだし。
小さくなっていく彼の背中に届かない声で、守谷は衝撃的な事実を口にする。
「この一時間分が……彼が貰う最初で最後の残業代、なのでしょうね」
「はぁ!? 今なんてゆった!?」
今まで一分たりとも残業したことがなかった……という風には聞こえなかったけど!?
「警部、タイムカードは確認されて――」
「したわよっ! みんな定時に上がってた! なのに、みんな残業してるって!」
「つまりは……そういうことです」
「どゆことよ!? 濁さないでちゃんと説明して!」
守谷から告げられたこの企業の”しきたり”は、私には到底信じられるものではなかった!
「ここでは、定時になったらタイムカードを押すように強いられていたのです。その後残業があろうがなかろうが、ね」
何よ……何よソレ!? ここって株式会社でしょ!? 営利団体でしょ!? そんな企業……見たことないわ!
「変だよ! そんなの絶対おかしいよ! だったら、その時間は残業手当どころか給料自体支払われないんでしょ!? お金も貰わず責任ある仕事なんてできるワケない! 何より労働監督署は何してるのよ! 完全に違法行為じゃない!」
それでみんな黙ってる、ってのもおかしい! どうなってるのよ、この会社は!!
「そのような犠牲の上で、日本社会は回っているのです。とはいえ、これからは新社長の下できちんと残業代が支払われることが約束されたようですが」
「何が約束よ! そんなの社長と約束するまでもなく、法で約束されてるんだから!」
まさか、法に背いてまでタダ働きする人がこんなにたくさんいるなんて思わなかったわ! 何でそういう重要な情報隠してるのよ……分かるワケないじゃない……!
「しかし、大隈氏も災難でしたね。事件に何の関係もないのに取り調べを受け、職まで失うことになったのですから」
「そうねぇ……唯一の救いは借金が帳消しになったことくらい、かな」
額面は如何程か知らないけど。
「それなのですが……実は、貸していたのは社長ではなく、大隈氏の方だったようです」
私は驚いて大隈さんが消えていった道の先に振り向く。当然彼の姿は既にない。
「大隈氏の自宅から、”本当の出退勤時刻が記入されたタイムカード”が発見されました。憶測も入りますが、どうも残業代は口約束で”ツケ”として扱われていたようですね」
「うわぁ……でも、支払う旨の念書もなしに、時間だけ残して意味あんの?」
「一応明確な時刻は残されているので一つの証拠にはなるでしょうけれども、仮に訴えたとして全額出るかどうか……」
なーんか、あの大隅って人、騙されてたよーな気がしてならんわ。
「それでは、帰りましょう。警部の送迎も自分の仕事の一つなので」
何か嫌な言い草ね。まるで、私のお守りを頼まれてるみたいじゃない。ま、楽できる分には助かるけど。
助手席で守谷の運転に揺られながら、私は頭の隅に引っかかっていた違和感を思い出した。
「そういえば、大隈さん、『借金は精算できた』って言ってなかった?」
守谷の話では、大隅さんは貸した側だ。それなのに精算ってどういうことだろ? 死亡保険でも下りるの?
「それなのですが……大隅氏から松方部長に相談したところ、紆余曲折あって、五百万ほどあった社長への借金は、満額退職金として支払われることになったとのことです」
「待って」
退職金って、退職時に支払われるものでしょ?
「退職金”に上乗せ”でなくて、退職金”として”!?」
ツケは元々貰って当然のお金なんだから、それって事実上退職金ゼロ円で追い出されてない!?
「重要なのは、本人が納得しているか、ではないでしょうか」
……なぁーんだろうなぁ……この朝三暮四に引っかかるお猿さんみたいなモヤモヤ感は。大隅さん、新しい仕事が見つかったとしても、また上手いように言い包められて騙されちゃう気がするよ。人がいいというか、物事を深く考えないというか。
大隅さんも幸せになれる日が来るのかねぇ。それこそ、神のみぞ知る、ってヤツなんだろうけど。