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7.〝悪徳〟

 時刻は、夜の九時をまわるところだった。


 居間に散らばったガラスはすでに片付けられ、覆いを失った引き戸の代わりに雨戸が閉められている。もう四月も終わりの時期とはいえ、夜はまだ寒い。吹きさらしの状態で夜を明かすのは辛いものがあった。


 そして居間に向かい合うように置かれたソファーに八尋とアンジェリカは座り、八尋を挟むようにして早苗とアンリが八尋と同じソファーに座っていた。


「八年前のあの事件の日。俺と早苗は空港にいた。ゴールデンウィークを使って家族で海外旅行に行く予定だったんだ。ちょうど幼馴染の家族も一緒でな。同じ飛行機に乗るために一緒に空港に行って……時間が空いたから、俺と早苗と幼馴染の三人で一緒に、空港の探検なんて言って、親達からは離れて遊んでいたんだ」


 両親同士が大学時代の友人同士であり、また同じ年に生まれたためか八尋とその知り合いの子供は幼馴染のような関係だった。


 そう語る八尋の言葉は、どこか懐かしそうな、それでいて悲しそうなものだった。


「空港は思いのほか広くて、そして俺もその子も好奇心旺盛な八歳の子供だった。探検に夢中だった俺達は周りの大人達の異変に気付かなかったんだ。だから、事件が起こったのは俺達にとっては、本当に唐突なことだった」


「もしかして、早苗さんの両脚もそれが原因で……?」


「いや。早苗の足は違う。それとはまた、別の要因だ」


 そこまで話すと八尋は、隣に座っているアンリへと視線を向けた。


「アンリ」


『……確かにここからは、私が話した方が良いのでしょうね。しかし、八尋。良いのですか?』


「構わん。俺は現場を見ていたわけじゃないからな。当事者であるお前達の視点から話すのが一番分かりやすい」


『八尋がそう言うのであれば、私は構わないのですが』


 皮肉もなにもなく、素直に八尋に従うアンリ。


 その姿に、アンジェリカは違和感を覚えた。


「随分と、素直なんですね?」


『そうですね。私は彼らに敬意を払うことにしていますから』


「敬意、ですか?」


『ええ。漆黒の悪意を持つ彼らに、私は敬意の念を抱いています。だから私は八尋よりも先に、まず彼らと契約を結んだのです』


 アンリの言葉になにかを言おうとするアンジェリカを、アンリは片手を上げることで制した。


 これから、契約主の意向に従ってあの日起こった真実をすべて話します。


 そう前置いてから、アンリは語り始めた。


 彼女が心からの敬意を抱く、漆黒の悪意を持った八尋の両親のことを。








 テロ事件の皮切りは、鳴田市の至る場所で発生した爆弾テロだった。空港の待合室などに設けられたテレビには爆弾テロの様子や、日本人には馴染みの薄い異教の天魔や悪魔が街中に絶望を振りまいている様子がライブ映像で映し出されていた。


 それを見た周囲の人々が騒然とする中で、八尋の両親を含む一部の聡明な人達は気付いた。


 これは以前から懸念されていた日本に対する大規模テロであり、契約をした狂信者の集団によってこの街で惨劇が起こるのは間違いない、と。


 それが理解できたところで、すでに手遅れだった。


 彼らがそのことを理解できた次の瞬間には、飛行機は問答無用で空港へと自爆テロを敢行したのだから。


 数百人の乗客が乗った国際線が、対処する暇もなく鳴田空港の管制塔に突っ込んだ。さらにそれだけでは勢いの止まり切らなかった飛行機は、そのまま搭乗待ちの乗客がいる待合室のある場所へと墜落した。


 被害が可能な限り大きくなるように、突入の方向と速度を入念に調整した結果らしい。


 轟音と共に大きな揺れが空港を襲い、飛行機に突き破られた箇所が次々と崩落していった。多くの搭乗待ちの人々が飛行機に轢かれ、瓦礫に押し潰され、八尋達のいた鳴田空港も瞬く間に地獄へと生まれ変わっていった。


 直接的な死傷者は、推定で百人を超えるほどだろう。


 それでも、幸運にも助かった人も大勢いた。


 なにせ人数自体が多い上に、人間という存在は思いの外しぶとい生き物なのだ。墜落した飛行機の軌道の直線上にいなければ、崩落に巻き込まれなければ、あるいは当たり所が悪くなければ、被害は免れなくても生存率自体は高かった。


 事実、そのときの空港では八尋の両親を含む生存者の方が死傷者よりも多かった。


 だが、ライブ映像を一目見ただけで現状を理解できる程度には聡明であったからこそ、自分達は助からないということを八尋の両親は即座に理解させられた。


 完全に飛行機の動きが止まり、自分達の生存を確認した八尋の両親は他の生存者達もまたそうしていたように、自分の子供達を探そうと周囲を見渡した時に気付いたのだ。


 瓦礫に半分埋もれた旅客機の翼から、可燃性の高いジェット燃料が漏れだしていることに。


 切断されあらゆるところから垂れ下がった電線からスパークが飛び散る中、可燃性や発熱量が極めて大きく、それでいて発火温度の低いジェット燃料に引火し大規模な爆発が起こることは時間の問題だった。


 どう足掻いても自分達は助からない。


 そう理解できたからこそ、八尋の両親は願ったのだ。


 せめて自分の子供達だけは、助かってほしいと。


 言葉にすればたったそれだけの――しかし、明確な意志のこもった悪意の混じる想い。


 だからこそ、なのだろう。


 ハイジャックを起こし、自らの命を賭して飛行機を鳴田空港に叩き落とした狂信者――彼と契約していた〝絶対悪〟が、彼らの目の前に現れたのは。


『あなた方は、私になにを願いますか?』


 今の八尋がそうであるように〝絶対悪〟もまた、人の悪意には敏感であった。そんな〝絶対悪〟が心からの自然な悪意を抱いた彼らに気付かないわけがない。


 だからこそ八尋の両親は〝絶対悪〟と契約を履行することができたのだ。

 契約内容は『八尋と早苗を爆発から守ること』。


 対価は『自分達二人の命』。


 それはある意味では、人の親として当然の想い。自分達はおそらく助からないだろう。それならばせめて自分達を犠牲にして、どこにいるかも分からなくなってしまった子供達を助けることを優先した願いは合理的ですらある。


 自分達を対価にして子供自身と契約を結ばせ、子供達を守ってもらうのだ。幸いにして拝火教の主神格である〝絶対悪〟は炎の扱いに長けている。人二人分の命が対価ならば、爆発から二人の身を守ることは可能だろう。


 そこまで考えて、不意に八尋の両親は気付いた。


 本当の意味で子供達を護るためには、それでは足りないのだと。


 自分達二人分の命を対価に奉げれば、確かに爆発からは子供達を守れるだろう。


 だが、仮にここで爆発から身を守ることができたとしても、それから一体どこへと向かえばいいというのか。街中いたる所で爆弾テロが起こり、主神格の天魔や悪魔と契約した狂信者達が住民達を襲っている。これほどの大規模テロを起こすほどの狂信者なのだ。彼らが自らの命や人生など極めて大きな対価を払っていることは簡単に推測できることであり、そのような存在に個人が対抗できるとはとても思えなかった。


 命を少し伸ばすだけでは意味がないのだ。


 なにも特別なことを願うわけではない。この地獄の中で生き延びて、自分達がいなくなった世界でも普通に生きて、真っ当に人生を歩んでほしいのだ。


 だが、自分達と同じように命を対価に捧げた狂信者達が生み出した地獄の中でそれを願うには、自分達二人分だけの命では圧倒的に対価が足りなかった。


 八尋の両親達が普通の人間であったならば、そこで諦めていただろう。神に自分達二人の命を奉げてもまだ足りない無情な現実に打ちひしがれるか、あるいは最後の足掻きとわずかな可能性にかけて二人の生存を願って犠牲になっただろう。


 だが、幸か不幸か二人は聡明であり、二人の目の前にいたのは〝絶対悪〟であり、そしてなにより二人は〝絶対悪〟と契約を結べるほどの悪意をその胸の内に秘めていた。


 そんな二人が、ひとつの可能性に気付いたのはほとんど同時だった。


 二人は改めて、半壊した空港内へと視線を巡らせた。


 そこには頭から血を流してぐったりとした我が子を抱きしめ、泣き叫ぶ母親の姿があった。瓦礫に下半身を押し潰された父を、なんとか助けようとする母と子供の姿があった。顔を血で赤く染め、潰れた足を引きずり、それでも自分の子の名前を呼んで探し回る父親の姿があった。下半身がなくなり、視線を虚空に留めたままの母の傍で泣き叫ぶ子供の姿があった。千切れた兄弟の手を握ったまま、泣きながら親の名を叫ぶ子供の姿があった。脳漿の零れた息子を抱きかかえ、慟哭する母親の姿があった。呼吸の止まった妻をなんとか蘇生しようと涙を流しながら心臓マッサージを繰り返す夫の姿があった。自分のことはいいと、早く逃げろと家族に告げる両足を失った父親の姿があった。子供を両腕に抱え必死に逃げ惑う両親の姿があった。自分も頭から血を流しながら、弟をおぶさり逃げる小さな姉の姿があった。妹を守るようにして瓦礫に潰れた兄の姿があった。そこにいる誰もが大切な人のことを必死に想い、心を痛めていた。


 そこには自分と同じように子供を愛する親が子供を助けようとし、そして自分の子供と同じ年齢の子供が親を助けようとする姿があった。それは決して他人事ではない。彼らにも自分達と同じように家族があり、そして家族を救おうと必死にもがく姿がいくつもそこにはあった。



 そのすべてを踏み躙っても構わないと、二人は心から思った。



 二人が抱いたのは、自分達以外のすべてを犠牲にしても構わないという、極めて自己中心的な願い。


 だが、その願いの中心に自己は微塵として存在していなかった。


 その光景を目に焼き付けた二人は飛行機へと近付き、翼の付け根から漏れる燃料の前で立ち止まってから、二人は〝絶対悪〟に告げた。


 契約内容は『自分達を対価にして神楽威八尋と契約を結び、八尋と早苗を護り助けること』。


 対価は『自分達の命と、自分達を含めた爆発で死ぬ予定の人間の命』。


 命を持つ存在が対価に捧げられる場合、自らが対価になることに合意していなければ対価になることはない。


 だが、それが生贄というかたちであるならば話は別だ。


 古今東西、生贄として動物や人間の命を奪うことは珍しいことではない。そしてそこに、生贄に捧げられた当人達の意志が入り込んでいないこともまた珍しいことではない。無論、命そのものに比べれば対価としての価値は落ちる。それでもこの空港には千を超える人間がいた。


 人の生命エネルギーという触媒は、対価としては十分だった。


 それを二人は〝絶対悪〟に告げ、そして彼らの騒乱の只中で、漏れ出る燃料に火のついたライターを放り投げた。


 放っておいても自然発生する事故ではなく自らが直接手を下すことで、八尋の両親は死ぬことが確定していた空港の人々を生贄に変えたのだ。


 そこに後悔など、微塵として存在していない。


 自己が中心にいない、究極の自己中心的な願い。


 それが八尋の両親が〝絶対悪〟と契約を結べた、漆黒の悪意の正体。


 それをアンリは〝悪徳〟と評した。


 そして、最後の瞬間。


 八尋の両親は自分達の子供の幸せだけを願い、微笑みの中爆炎に包まれたのだった。


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