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第4話

 程なくして、常連客たちがバールにやって来た。かれらは、女性の異様さに立ちすくむか、又は


「この店はやっていない」


 という女性の言葉に(ひる)んで、おとなしく去っていった。去る間際に、女性の腕の隙間から店内をぬすみ見て、僕の姿を認めた常連客もいたが、僕がかれらに声を掛けることはなかったし、かれらもまた、僕に声を掛けようとはしなかった。バールの入口から僕の座っているところまでは距離が離れている上、女性の迫力を前に、声を掛けようなどという勇気もしぼんでしまったのだと思う。


 さて、ピクルス入りのサンドイッチを食べ終えてしまった僕には、するべきことが無くなっていた。とはいえ、クリケット仲間を待つのだ――と言ってしまった手前、すごすごと引き下がるのはばつが悪かった。


 それに、どうしてセルジオが不在で、東洋風の女性がここにいるのか、セルジオの姿を確認できるまでは居座ってやろう、襟首を掴まれて、バールから引きずり出されない限りはここにいてやろうと、そのときの僕はそう思っていた。


 そんな中、バールに新顔がやって来た。白い毛並みに、灰色の円い斑点を無数に帯びた猫だった。僕は猫が好かなかったが、女性は僕以上に猫を好いていないようだった。カフェテーブルの上に飛び乗った猫を見かけるやいなや、女性は歯茎をむき出しにして、何かの言葉を猫に浴びせかけた。うがいのような音だったが、女性の母語の悪態だろうと、僕は勘付いた。と同時に、女性の意に反して居座っている僕ですら悪態を浴びていないというのに、ふらりとやって来た猫が、どうしてここまで嫌われているのだろうかと、僕は猫に(れん)(びん)の情を覚えた。


 長い腕を伸ばすと、女性は猫の首元を掴む。不浄のものをつまむような、宗教じみた持ち方だった。猫は一声鳴いたが、それ以上の抵抗はしなかった。空いた片手で扉を開けると、猫をつまんだまま、女性は外へと出ていった。


 女性の姿が見えなくなると、僕は深くため息をついて、机の上に突っ伏した。心臓は無闇に高鳴っており、背中から腰にかけて、軋んだような痛みがあった。夜に眠れなかったことが、今頃になって、僕自身の身体に作用しているようだった。


 机に寝そべった僕の視界に、バールの勝手口側の光景が映りこむ。勝手口の扉は、わずかに隙間が空いており、その向こう側には、黄色いベスパのスクーターが停まっていた。黒人(ネグロイド)の配達員であるシドロは、いつも黄色いベスパに乗って、朝早くにバールまで食料を届けに来る。


 壁掛け時計に、僕は目を向ける。短針が十二時を指そうとしていた。


 立ち上がると、僕はカウンターの中に入り込む。カウンターと厨房をつなぐ扉には、ダイアル式の鍵が掛けてある。セルジオには妙に几帳面なところがあり、三桁のダイアルは、普段はすべて【0】にされている。しかしその日に限っては、ダイアルの数字はぐちゃぐちゃだった。


 鍵を開けて、僕は厨房に入る。入った瞬間、ロープでぐるぐる巻きにされ、猿ぐつわを嵌められている人と、僕は目が合った。セルジオとシドロだった。


 手を伸ばすと、セルジオの猿ぐつわを、僕は外してやる。口が自由になるやいなや、セルジオは、


「後ろだ」


 と言った。振り向いてみれば、女性が立っていた。


 女性の腕が伸びる。上着の内側に、大きな(なた)が隠れているのを僕は見た。何もできず、僕は引きずられていく。戸棚に叩き込まれると、取っ手の部分に、フライパンの持ち手が差し込まれた。


 僕は殺されるのだろうか。しかし、人はこうもあっさりと死ぬのだろうか――と、このときの僕は、なぜか冷静だった。戸棚の中で、僕は“そのとき”が来るのを待ったが、しかし女性は、セルジオに猿ぐつわを嵌めなおすと、そのまま厨房を抜けていってしまった。


 ダイアル錠の再び掛けられる音が、遠くから聞こえてくる。僕はもう一度ため息をついた。

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