第2話
眠れずに朝を迎えたときに、夜中に見た時刻を人は忘れないものだ。少なくとも僕はそうだった。全く眠れていないわけではない、三時間は眠っただろうと、僕は自分に言い聞かせる。と同時に、眠れなかった自分に腹が立ってもいた。眠れなかったという事実が、一日を台無しにしてしまいかねないという恐れに起因する感情だった。ただ着替えるうちに、自分の感情に根拠がないと気付き、僕は落ち着きを取り戻すことができた。
そのときの僕は、学校に通うことをばかばかしいと感じる年ごろだった。やくざな道に入ることこそなかったが、授業をサボっては、サボり仲間たちとクリケットをしたりしていた。クラスで唯一の友だちだったピップという少年が、父親をコルトのリボルバーで撃ち殺して以降、僕は煙草を吸うようにもなっていた。
僕は家を出る。道は左右に開けている。一方は学校に通じる道で、もう一方は別の道だった。僕は迷わず別の道に進む。
向かう先は、セルジオの経営するバール(注:軽食堂)だった。このころの僕は、セルジオのバールを手伝いに行っていた。学校で学ぶことよりも、セルジオの店で給仕を行ったり、卸された酒や魚、果実の搬入に手を貸す方が、僕の性には合っていた。
セルジオは、この街の人間ではない。ベスパのスクーターのエンジンに、トラクターのホイールや、鉄パイプを渡しこんだ手製の車を駆って、彼はこの街まで、まるで風のようにしてふらりとやって来た。
「古い友人を訪ねに来た」
とセルジオは言ったが、果たしてかれは、友人に会うことができたのだろうか。そもそも、友人に会うことが、セルジオが街へやって来た真の理由だったのか。今となっては誰にも分からない。セルジオは街を離れなかった。街へやって来る途中で、買うのか貰うのか、端から見ているだけでは分からないくらいの自然さでガソリンを手に入れたのと同じように、かれはこの街の暮らしに溶け込んだ。セルジオはカリブの海賊の末裔なのだ、いや違う、南アメリカの革命家の幹部なのだ、それも違う、かれは生粋のアナーキストなのだ――やって来たセルジオをそのように言う者たちもいたが、それも遠い過去の話になっていた。
家の隣には、薊の生えた空き地がある。その更に隣には、一軒のアパートが建っている。目を向けてみれば、アパートの一階の鎧戸が開かれ、網戸になっていた。
「シルバ」
網戸に向かって、僕は声を掛ける。アパートの一階には、シルバという男が住んでいる。かれはボクサーで、ミドル級のチャンピオンだったこともある。僕はシルバを気に入っていたが、神経質で、女々しいところがあったので、周囲の大人たちは、かれを評価していなかった。ただ、大人たちのシルバに対する評価を知ったのは、ずっと後になってからだった。
「シルバ」
僕は再度呼びかける。鎧戸が開け放たれているのは、シルバが室内にいる証拠だった。しかしシルバからの返事はない。
このところ、僕はシルバにお目にかかっていなかった。ただシルバは、セルジオのバールの常連で、しばしば深酒をしては、昼過ぎまで寝ていることがあった。だから、まだ寝ているのだろうと、僕はそのままバールへ向かった。