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はぁ・・・どうしてこうなったのか・・・、我は悪王子こと、赤穂寺、我は悪王子こと、赤穂寺、我は赤穂寺。ふむ、我は赤穂寺だ。
この名前は便宜上、当面人間として生活しなければならないので、その間『悪王子』と呼ばせる訳にもいかないので、この名前を使わせてもらおうことになった。全ては悪鬼・紅坂朱音のせいである。
私としては封印されし木像が破壊され、行き場を失ってしまった事で器物損壊の訴えを申し入れたいところなのだが、説明するのも難しいし、下手に動いて警察に突き出されたものなら、豊作の神(住所不定無職)の存在がバレてしまい、「この人、ストーカーです」「つい出来心でやった、若気の至りだった、嫌がっているとは思わなかった、反省はしている」、などと、ありもしない調書を書かれ、即刻監獄送りだろう。そして、世に居る龍聖族からは嘲笑、軽蔑され、妖魔族からは同情の目で見られるのだろう。龍聖族は総じてプライドが高いから、龍聖族の長から「お前なんぞ、龍聖族の風上にも置けん。死んで償え、いや、死なんて生ぬるい。消滅しろ。お前なんぞこの世人々の記憶から抹消してやる。」といわれる事間違いなしだ。龍聖族と言うのは基本的に信仰対象である事が多い。という事は、逆に言うと人々の記憶から抹消されると言うことは、自分自身の消滅を意味する。龍聖族は一応死ぬ事もあるが、それは生物的な死であって、存在の消滅ではない。例え、死んだとしてなので転生したり、蘇ったり、はたまた、全くの不死身であったりする。ただ、存在の消滅に陥った場合、古今東西居なかった事になる。と言うことは無論、居なかった事になり、それどころか、その伝説自体無かった事になり、人々の記憶からも消えてしまう。とすると、自分自身の姿も形成できなくなり、存在する事自体が出来なくなってしまう。これは非常に恐ろしい。なんせ、居なくなってしまった事を誰も認識することが出来ないのだから。
そうならない為にもここは、朱音の気を損ねてはならないにするしかない。
朱音に言われた口裏はこうである。
私は赤穂寺という名の今年大学を卒業したての人間で、昔から彫刻に興味があり、以前、ネットで彫刻の弟子募集の記事を見て、居ても経っても居られなくなり、ここまでたどり着いたのだが、道に迷ってしまい、ここに行き着いた。無鉄砲に着てしまったは良いが、住む場所がない。なので、住み込みで働かせて欲しい。 だと。
朱音の父はどうやら彫刻家のようで、代々彫刻家家系だったのだと。しかし、例年の過疎化により彫刻家の担い手が不足しており、このまち全体で後継者を募集していたのだと。彫刻家の住み込み弟子入りは珍しくないから、そう言えば何とかなるのだと。 アンタ、自分の家壊れちゃったばかりだし、自分で彫っちゃいなさいよ。そうすれば一石二鳥でしょ? だと。 いや~霊験ある人間が彫った封印用の彫刻で無いと、封印できないんですけど・・・と言うことは今は秘密にしておいて。まぁ住むところに困らなければ、一応は生活出来るし、自分が元々住んでいた場所だって、千年前だから、もう既に無くなっているだろうし・・・。悪い話ではない、そう思って、この話を飲む事にした。
朱音は予想以上に頑張って説得してくれたらしく、紅坂家の工房の2階の空き部屋を住まいとして使わせて貰えるようになった。有り難い限りである。
しかし、龍聖族自体、偶像崇拝をそこまで良しとしている訳ではないのに、神である本人が偶像を彫るのは果たして有りなのだろうか、という疑問を抱きつつも、生活の為、元より生き残るために朱音の父に弟子入りする事になった。
ここではいつも菅原道真公の彫刻を掘っている。
道真とは千百年ほど前に実在した人物で、大宰府学業の神と祭られる
こういった実在した元々神でもない人物の神格化は誠に不思議なものが多いである。
三国志の武神とよばれの高い関雲長は元々商人の出だった事を理由に商業の神となっている。商業の整備だけなら、内政担当の人を、と思ってしまったりするのだが。せめて武術の神なら解りやすかったのに・・・息子達も武名名高いのだし。
まぁそれは置いといて。
いつもはそんなこんなで菅原さんの顔を彫っている。
そして、我が紅坂家に弟子入りして数週がたった時のこと。