2.慣れて欲しいけど、慣れて欲しくない
一部の表現訂正と、分かり難いので後半に加筆しました。
最近、重量感知型の自動ドアに切り替えた居間の扉が左に開く。
既に温まっている中に入れば、子供たちとその伴侶、合わせて四対の視線がこちらを向いた。
目が点になるのが半分、残り半分が呆れた視線を向けているがそこは慣れの差だろう。
どっちがうちの子かは今更説明する必要も無い。
「また父親が何かやったんですか?」
「またって何だ、またって」
失礼なことを言う息子を軽く睨み、俺は胸元にしがみついている妻の背中を撫でながら肩を竦める。
「別にそう言う訳じゃないけどな……こいつがなかなか降りてこなかったから連れて来たまでだ。ほら、お前も照れてないで挨拶しないと」
「照れてません」
俺の胸に顔を埋めたまま連れがぼそりと言う。
耳が赤いのは図星のせいか。
とりあえず、俺の奥さんは今年も可愛い。良いことだ。
ゆっくりと床に下ろしてやるとそそくさと俺から離れ、しきりと髪や服の端を引っ張って直し、子供たちの方へ顔を向ける。
そして微妙に後じさる。
……どうやら今年も怯んでいるようだ。
何も怯む必要はないのは分かっているだろうし、子供たちが結婚した時には俺よりもコイツの方が余程喜んでいたはずなんだが……こうやって改めて顔を合わせると緊張するらしい。
じりじりと下がりながら俺を見上げ、向こうを眺め、また俺を見上げと忙しく視線を動かしていたが、結局俺には助けを求めないことに決めたらしい。
「あー、えーとですね……明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます」
「本年もよろしくお願いいたします」
よしよし。退け腰な上に、若干照れを隠そうとしているせいで不機嫌なように見えてしまっているが、彼女にしては上出来な部類の挨拶だろう。
挙動不審な彼女の言動にも普通に挨拶を返している子供たち夫婦の反応も合格ラインだ。まぁ、毎年連れはこんな感じだからいい加減彼らも慣れたって考えるのが自然だろうけどな……そろそろ慣れて欲しいような、まだ慣れて欲しくないような。
挨拶を交わしたことで腹が据わったのか、連れは遅れを取り戻そうとするかのようにてきぱきと正月料理の準備に取り掛かっている。
大体は昨晩のうちに作り終えている物ばかりで大して時間はかからないはずだ。ま、毎年恒例の「手伝います」「お客さんだから座ってて下さい」のやりとりでタイムロスするぐらいだろう……ってもう始まっていたか。
ほとんど毎年恒例の行事になりつつある押し問答を眺めて、俺は苦笑する。
「手伝おうか?」
見かねて声をかけると、ぱっと振り返った連れがぶんぶんと首を縦に振った。
素直で大変結構。
エプロンをこちらへ渡しつつ、すみませんと頭を下げる息子の嫁に「ただの役得だから気にするな」と笑いかけ、俺は連れの横に並ぶついでにそっと小声で注意する。
「あんまり遠慮が過ぎると向こうにも失礼だぞ」
「分かってますよ……ただ、お客さんに働かせるのもどーかと思いますし」
「義理の子供なんだから、家族みたいなものだろう?」
「そーですけど……何か緊張するし」
「仕方ないな。まぁ、そのうち慣れて来ると思うけどな」
「うー」
「はは」
眉間にしわを寄せながらちまちまと餃子を包んでいる彼女の姿に思わず笑みをこぼし、俺は澄ました顔で包み終えたものを鍋にたっぷりと沸かした湯の中に投入した。
暫くして、ぷかんと水面に浮かんで来たところをさっとすくい、軽く水を切って皿に乗せる。
サワークリームとヨーグルトソースで食べても良いし、ラー油にフライドガーリックなどの数種のスパイスを混ぜ込んだ辛味ソースを付けても良い。連れのお手製のごまドレッシングはサラダ用だが、これに絡めて食べても旨い。
胡瓜のピクルスと鶏肉を入れたポテトサラダと、スモークサーモンを花型に飾ったミモザサラダ。薄切りのカブと塩の利いた生ハムの紅白盛り。オリーブとタコのマリネ。脂の乗った純白のタラとじゃがいも、そこにたっぷりのパセリを散らしたスープ。それからじっくりとタレをしみこませ、一晩煮込み、程良く脂が落ちたところでこんがりと焦げ目が軽くつくまで焼きあげた豚バラのブロック肉。これはスプーンでも崩せるほどの柔らかさで、毎年評判が良い。
それらをせっせと大皿に盛り付けている連れを横に、俺は出来あがっているサラダを冷蔵庫から出して食卓へ運ぶ。この手の作業は非力な彼女よりも俺がやった方が早い。
彼女が置く、俺が運ぶ。俺が戸棚の上から皿を出し、彼女がそこに盛り付ける。その間にテーブルを俺がセットする。大体どれが欲しいのか見て居れば分かるし、目を向けなくても彼女が何処に何を置くのかは分かる。この辺はもう打ち合わせるまでもない――阿吽の呼吸という奴だ。
黙っていてもある程度分かるようになったのはごく最近だけどな。
彼女が俺を信じて、頼ってくれるようになったからこその連携だ。
……。
いかんいかん、顔がにやけそうだ。
ちまちまと働いている彼女の頭のてっぺんを見下ろし、俺は緩みそうになる口元を引き締める。
……まぁ、彼女がこうして俺を頼ってくれるなら、もう少し慣れなくても良いか。
「余所見してないでさっさと運ぶ」
「はいはい」
「はいは3回」
「はいはいはい」
他人に慣れて欲しいような、欲しくないような。
子供たち夫婦に気付かれないようにこっそりスリッパの先を踏んでくる連れに笑って、俺はこのままでも良いかと笑った。