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20.

 車軸を流すような雨と、獣のような咆哮ほうこうをあげて吹き荒れる風。


「弱まらないな……」

 砦の狭苦しい一室で拘束されているロッツは、嵐に耳をすませた。丸一日たっても激しい嵐はやむけはいを見せず、人々の不安をあおっている。


「生きているか?」

 見張りに話を通してエセルが入ってきた。

「愚問だね」

「そうだったな」

 エセルは扉を閉め、ロッツの前に座った。


「ずいぶんと大人しくしているようだな。逃げだそうともせず」

「逃げだしたって意味がないじゃないか。大体、『いばらの冠』をかぶっている限り僕は死なないし、君が冠を外して巫女を蘇らせれば生贄を捧げる必要なんてなくなるんでしょ?」

「その通りだな」

 エセルは指輪をはめると、ロッツの額に手を当てた。


「ちゃんと島のこと助けてよ? 君にすべてがかかっているんだから」

「それこそ愚問だな」

「そうだったね」


 指輪の青い燐光がまぶたの裏にまで浸透する。薄暗い室内で銀色と青色が交錯し、青銀の光が室内を満たした。光が強くなるのに比例して、ロッツはそれまで体を満たしていた何かの力が抜け落ちていくのを感じた。


「伯爵」

「なんだ?」

 ロッツは悲しそうな顔をして、小さな声でいった。


「……ごめんね」

 光が収束し、無数の棘が生えた銀の冠が具現化すると、ロッツは糸が切れたように前へ倒れた。

「ロゼット!?」

 エセルは慌てたが、どうやら眠っただけのようだ。拍子抜けする。

「驚かすな……。待ってろ、すぐにでも嵐をとめてやるから」


 冠を服の内側に隠し、エセルは部屋をでて自室へ向かった。キートとエドロットを見張りに立てると、木箱に入れておいた『摘蕾の杖』と『花片の首飾り』を取りだし、『いばらの冠』と共に床の上においた。


「神の復活儀式をするにしてはずいぶんと安っぽい場所だな」

 うそぶくようにいい、エセルは左手をかざした。耳鳴りのような音を立てて、指輪と杖たちが共鳴して淡く光る。


「『結実の指輪』よ、失われた薔薇を取り戻せ!」

 命じた瞬間、指輪は爆発するような勢いで青い光を放ち、旋風を巻き起こした。紙が乱れ飛び、燭台が倒れ、吹き飛ばされた小物が壁にぶつかる。今までにないほど力を使っているのがわかった。指輪に根こそぎ魔力を奪われていく。


 旋風の中心では冠や杖が溶けるように消え、それと共に大きな光の塊が現れた。最初は不定形だった光は次第に人の形をとり、ついには長い銀の髪と青い目を持つ女性の姿になった。ロッツが見たら『君を女装させたらこんな感じだろうね』、というだろう。


「はじめまして、巫女。俺はエセル・エヴァンジェリン。あなたの子孫だ……」

 今にも倒れそうなほど疲れた顔をしながら、エセルは殊勝にも挨拶した。息が荒い。魔力だけでなく、体力の消耗も激しかった。


「大丈夫ですか! 伯爵!」

 物音を聞きつけた兵がやってきたが、キートとエドロットがなんでもないと追い払う。


「これで、島を救ってもらえますね?」

 巫女は状況がわからずしばらく戸惑っていたが、そのうち事態を把握して、こっくりとうなずいた。

「では、後のことは頼みます」

 エセルは壁にもたれかかると、そのままずるずると座り込んだ。


「でも、待って下さい。一ついうことが――」

 巫女が何事か必死に訴えていたが、エセルはそのまま床に倒れ込んだ。




「……く…しゃく! 伯爵! 起きろってば! 伯爵!」

 体を揺さぶられ、耳元で叫ばれ、泥のように眠っていたエセルは不機嫌そうに眉をしかめて起きた。

「……キートか。なんだ?」

 体が重い。まだ疲労感が抜けきっていない。口をきくのもおっくうだった。


「なんだじゃない! ロッツがヤバイんだよ!」

「どういうことだ?」

 風雨に揺られてガタガタと雨戸が音を立てているのに、エセルは怪訝そうにした。


「どのくらい寝ていた?」

「丸二日」

「……嵐は?」

「まだ収まってない。少し弱まったけど」

「そんな馬鹿な! 巫女は!?」

「ここです。大丈夫ですか?」

 巫女が心配そうにベッドの中のエセルをのぞきこんだ。


「巫女、あなたを蘇らせれば島は助かるのでは?」

「ええ、その通りです。でも、正確には私のお腹に宿った子供を、です」

 巫女は憂いをおびたため息をついて、膨れたお腹に手をやった。


「つまり、子供が生まれなければ意味がないのです」


 エセルは絶句して、自分の失態に気づいて頭を抱えた。生まれるまで待っていたら、島が沈む。

「……嵐を収める方法は?」

「人柱をたててもらうより他に仕方がありません」

「だから伯爵、ヤバイんだよ! 神官たちがロッツを神殿に連れてった! 収穫祭まで待ってたら島が水没するから、今から贄を捧げるって」

 眠気も吹っ飛んだ。


「いつの話だ!?」

「ついさっきだ」

 エセルはすぐさまベッドから跳ね起きて神殿へ行こうとしたが、巫女が呼びとめた。

「待ってください! あなたが助けに行こうとしているのは、子供の方ですよね?」

「そうだ。何か問題でもあるのか?」

 苛立たしげにエセルがふりむくと、巫女は沈痛な面持ちでまぶたを伏せた。


「無駄です」

「なんだと?」

「あの子の命は、もう尽きます。長くはもたないでしょう」


 命数が『えた』らしい。エセルは目を見開いたが、すぐに巫女に背を向けた。

「今さらどうなさるのです!?」

「今さらだろうがなんだろうが、このまま放っておけるか!」

 このまま死ぬのは、あまりにひどすぎる。

 エセルは重い体を引きずるようにして動かした。




 手枷足枷をつけられたままロッツは馬に乗せられ、神殿へ連れて行かれた。


 黙って馬に揺られていると、顔に小石がぶつかった。風のせいかと思ったが、二度目で人によるものだとわかった。飛んできた方を見ると、元ラヴァグルートの兵が小石をもてあそびながら裏切り者の自分を睨んでいたからだ。

 その他にも、石はぶつけてこないものの、こちらを恨みがましげに睨んでいる者が数人いる。少しでも反抗したらすぐにでも切りかかってやる、という殺意がみなぎっていた。


「……………」

 ロッツは彼らを睨み返さず、静かにその視線を受けとめた。


 エセルのいった通りだ。いくら自分の名から逃れようとしても、逃れられることはできないのだ。名前を変えても自分がロゼットだったという事実は消えないのだし、自分のやった復讐はどんな理由があれ、人殺し以外の何物でもない。


 騎士の顔がふと思い浮かんだ。騎士は自分の末路を正確に見通していた。あのときは馬鹿馬鹿しいと思ったが、現実はどうだろう。自由になるためにしたことが、結局自由の桎梏しっこくとなっている。


 自分は、選ぶ選択肢を間違えたのだろうか。復讐など考えなければよかったのだろうか。


「着いたぞ。降りろ」

 神官が乱暴な手つきで、引きずりおろすようにロッツを馬から下ろした。拘束されているせいで行動が不自由なロッツは、バランスを崩してぬかるんだ地面に転んだ。


「さっさと立て」

 神官が冷たくいい放つ。泥だらけになったロッツに、周りからわずかな失笑がもれた。

「……………」

 それでもロッツは静かに立ちあがり、背筋を伸ばした。


 最後の最後まで、胸を張って生きてやる。それが自分の誇りだ。自分の選んだ選択肢が間違いかどうかなど、誰にも判断できることではないはずだ。

 他人からどれだけ間違っていると責められようとも、自分はこの選択肢を絶対に後悔しない。どれだけ血にまみれて汚れた道だろうと、これこそが自分の生きてきた道であり、この道を歩んで、胸を張って歩いている今の自分がいるのだ。


 よろよろと力なく歩くアヌシュカの王とは対照的に、ロッツはしっかりとした足取りで歩いた。鮮やかな緑の目でまっすぐに前を見つめ、毅然とした態度で進む。その姿を目にすると、笑いを漏らした人々はまるで恥じ入るように笑うのをやめた。


 ロッツは神殿内で一旦身を清めさせられると、麻で作られた簡素な白い服に着替え、中庭へ連行された。中庭には、十字に丸太を組んだはりつけ台が用意されていた。神官たちは手際よく生贄を丸太に縛りつけると、磔台を地面へ突き立て、槍を構えた。


「なんて嫌味だ……」

 構えられた槍を見て、ロッツは苦々しげに舌打ちした。構えられた槍は、自分の物だった。師の形見に突き刺されるとは、皮肉な感じがした。


「何かいい残すことはあるか?」

「ああ、クソ食らえかな」

 神官長に問われ、ロッツはどうでもよさそうに答えて、咳き込んだ。


 未練はなかった。この槍に突かれなくても、自分の命はもう尽きる。冠を外した時点で自分の命は尽きたのだ。ロッツの体は、ある意味で冠に守られていたのだから。

 小さい頃はどんなケガをしても傷跡一つ残さず治った体は、ここ三、四年の間に傷が残るようになった。傷が残るということは、損傷を完全に癒しきれていないということだ。


 そしてそれは、体の内部も例外ではない。癒しきれない傷は確実に内部をむしばんでいたのだ。冠のおかげで不自由なく動けるし、見えないから気づかなかっただけだ。感づいたのはほんのつい最近で、セレスティアルとの戦いの後からだ。カゼでもないのに咳をするようになってから。


「では、そろそろ――」

 神官長が目配せすると、神官たちがうなずいた。鋭い穂先が向けられる。


「おい! 待て!」


 全員が闖入者をふりむいた。エセルと護衛たちが、馬で乗り込んできている。

「ちょっと待てよ。別にロッツの命でなくてもいいんだろ? ロッツは伯爵に協力して一族を滅ぼしたし、セレスティアルも、アヌシュカも制圧するのに協力した。祖先の犯した罪を償うには充分だろ」

 キートは息を切らしながら、怖気づくことなく神官たちをねめつけたが、神官長はまったくひるまなかった。


「ふむ……そうだな。その件については、確かに充分かもしれない。だが、一族を裏切るとはなんとも不忠義者だな。じつの親ですら手にかけたのでは、明らかに罪人だ。この件については、逃れようがない」

「あんたたちは……!」

 エドロットが怒りに歯を噛みしめた。


「――結局あんたたちは自分の身がかわいいだけだろ! そんなに生贄が欲しけりゃ、神官長! あんたがなれよ! 島のために役立てるんだ! 本望だろ!」

 エドロットが咆えるように叫んだが、神官長は涼しい顔をして応じた。


「これはこの島の問題だ。大陸の方々には、黙っていてもらおう」

「大事な友人の命がかかっているんです。悪いですけど、黙っていられません」

 温和なヤナルが食ってかかると、神官長は不快げに顔をしかめた。


「なんなんだね、君たちは。無遠慮に島を侵略しにやってきて、あげくの果てに遠慮の欠片もなくこちらの事情に口だしするとは無礼千万! 腹正しい! おい、誰かこの大陸からの客人たちを外に連れて行け! 丁重にな!」

 神官長が命じると、神官たちと客人は臨戦態勢を取った。一触即発の空気。


 すると、その場に不似合いな忍び笑いが流れた。

「……何笑っている」

 あまりのぶきみさに、エセルのみならずその場にいた全員がロッツから数歩退いた。

「いや、だって、なんか楽しくて」

 朗らかな声に、全員がさらに引く。


「気がふれたって思わないでよ? 僕は本当に嬉しくて笑っているんだから」

「何が嬉しいんだ、この状況で」

 エセルが思いっきり怪訝そうにした。

「何が嬉しいかって? 君たちがそうやってしてくれることが嬉しいんだよ」

 ロッツはエセルたちにほほえみかけた。


「ねえ伯爵、僕は死ぬことがこの世で一番ひどいことだなんて思ってない」

 何かを覚悟しているように、エセルをまっすぐに見つめる。

「ずっと一人ぼっちでいることこそが、僕には一番ひどいことなんだ」

 一瞬、その場が静まり返った。

「ロゼット……」

「だから」

 エセルの声をさえぎって、ロッツは明るい声でつづけた。心底嬉しそうに笑いながら。


「僕は今、とても幸せなんだ」


 もう一人でもなければ、不要でもないのだから。




 一時の嵐が嘘のように、海は穏やかだった。波は静かに港へ打ち寄せ、潮風は空を蒼々と掃いている。港から望む島は陽光に照らされ、楽園のように緑豊かな土地に戻っていた。


「残念だったな、伯爵」

 港に集まった大勢の見送りを、手すりに頬杖をついて見やりながらエドロットがいった。

「……めでたい出航なんだ。そんなことをいっていないで、見送りの奴らに愛想をふりまけ」

 護衛三人ははやる気のない返事し、甲板から見送りの人々に手をふっておいた。今日、エセルたちは帝国に凱旋するのだ。


「ホント、あいつもこられればよかったのに……」

「キート!」

 ヤナルがたしなめるが、エセルは聞こえなかったふりをして、手をふりつづけた。くるはずのない待ち人の姿を探しながら。


「エセル様、神殿の巫女から贈り物です」

「巫女から?」

 なぜか顔をしかめている執事を怪訝に思いながらも、エセルは小さな花束を受け取った。

 薔薇だ。それも今の冬の季節にはありえない、山野に咲く野薔薇。

「……嫌味か」

 あの巫女め。棘つきで薔薇を送ってくるとはいい度胸だ――と思いかけて、気づいた。


 野薔薇は野茨のいばらともいう。


「……いばら」


 エセルは薄く笑った。

 神の怒りは解け、島は元に戻った。エセルは血族に科せられた役目から解放された。そして、一人の少女の命も救われた。


「伝言があります。『ご機嫌いかが? 伯爵。あの生まれもしないうちから実は話せた・魔法を使えた・嫌味をいえた生意気な赤ん坊神様の世話に追われて、見送りにいけなくて悪いね。命を助けた恩を返さないと呪うって脅してくるから、神様に借りを返したら遊びに行くよ』、だそうです」



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