18.
何人切ったかなど、数えていられなかった。
「くっそ! 邪魔っ!」
叩き切るようにして敵に槍を打ち下ろす。ロッツたちは大広間に追い込まれ、只今乱戦真っ最中だった。砦はアヌシュカに包囲され、脱出すらままならない。
「ロッツ! 生きてるかー!」
「ヤナル! 人の心配する前に自分の心配しなよ!」
敵勢の向こうに声を投げ返す。
「伯爵は!?」
「こっちにはいない! たぶんエドロットと一緒だ! 援護頼む!」
「はいはい!」
ざっと辺りを見回すと右手の方にそれらしき影が見えたが、人垣が厚い。ロッツはわずかな歩数で勢いをつけると、大人の身長ほどの高さまで跳躍した。ぽかん、と口を開ける敵の顔を次々と踏み台にして人の壁を乗り越える。
「助っ人参上!」
最後はエセルが戦っていた兵の頭の上に着地。よろける兵。ロッツはそれをさらに踏み台にしてジャンプ。空中バック転を決めて、華麗に地面に降り立つ。
「見物料は銀貨一枚から!」
「馬鹿なこといっていないでまじめに戦え!」
「……これだから頭の固い奴って嫌いだ」
ぶうぶう不満を垂れ、ロッツは背後から襲いかかってきた敵の側頭部を槍で横殴りにした。
「師匠は褒めてくれたのに」
柄の先で敵のみぞおちをついてロッツ。
「ふん、戦いの最中に気を抜けと教えるなんてろくでもない師だな」
剣を弾き飛ばしてエセル。
「師匠がろくでもないなら、君なんてゴミだ」
「ならお前はチリだな」
「廃棄物」
「塵埃」
「灰燼」
「土芥」
かなりどーでもいい会話だった。ひたすら『役に立たず!』といいあっているだけなのだから。
「おいおい、こんなときに仲間割れか? おぼっちゃんたち」
敵兵がにたにたと笑いながら会話に割り込んだが、
「黙れこのクズ!」
二人にもっとも端的な侮蔑用語で『お前はクズだ! クズ以外にありえない!』と疑問を挟む余地がないくらいきっぱり決めつけられて落ち込んだ。全人格を否定されると共に塗り替えられた気分だった。
「お二人さーん、まじめに戦ってくれよ」
「俺はこの上なくまじめだ!」
「僕だってこの上なくまじめだ!」
「……………」
エドロットはそれ以上あえて反論しなかった。
「伯爵! 後ろっ!」
エセルを突き飛ばし、今まさに棍棒をふりおろそうとしていた敵を突く。
「……もう少し加減して突き飛ばしてくれ」
咳き込むエセルだったが、のんきに不平をいっていられなかった。敵が殺到してくる。
「くーるーなーっ!!」
虫でもけ散らすように敵を払うが、ロッツが三百六十度全てを守りきれるわけではない。
「伯爵、君だけでもなんとか脱出できないの?」
さすがに息を切らしながら尋ねる。
「脱出しようにも、これでは脱出する暇がない」
「じゃあもう君が死なないよう祈るしかないな」
エセルに死なれれば島が助かる希望がなくなる。島だけでなく、自分も――
不意にロッツは咳き込んだ。しまった、と思ったときにはもう遅い。すぐに右へ体をひねったが、一瞬の遅れは大きかった。脇腹に鈍い衝撃。体が斜め後方へ倒れ込む。
「が――ッ」
なんとか尻餅はつかなかったものの、痛みに体を曲げる。
「ロゼット!」
馬鹿伯爵、こっちに気をとられるな――そう無声で叫ぶ。ロッツがわずかに傍から離れたせいで、敵がエセルに集中した。
「させるかっ!」
エドロットがエセルの前に踊りでて、エセルに向けられた一撃を受けとめるが、攻撃は一人だけではない。
「伯爵っ!」
痛みに顔を歪めながらロッツは槍をふるった。エセルの傍に戻ろうと、ひたすら眼前の敵を切り払う。
「どけえっ!」
柄の先で兵の襟首をひっかけてそのまま横に投げ飛ばそうとしたが、それは叶わなかった。背中に焼けるような痛みが走る。
「――っ!」
頭に血が上って前しか見ていなかった。なんてざまだ。斬られてから冷静になっても無意味だというのに。
狭まる視界は敵だらけで、あのクソ憎たらしい伯爵の姿が見えない。
「はくしゃ……!」
気づけば視界いっぱいに、一本の木の棒が。
ガツッ
――殺すなら、確実に殺せよ。
意識が遠のく。
――目覚めたとき、誰もいないなら起きたくなんかない。
目の前が暗くなる。
――お願いだから
ロッツは意識を手放す瞬間まぶたを閉じて、願う相手を思い描いた。
僕を一人にしないで。
見渡す限りの屍、屍、屍――
ロッツは虚脱したように腕を力なく垂れ、地面に座り込んだまま空ろな目でそれを眺めた。
永遠の静寂を激しい雨音が埋めている。
松明に照らされた骸の中に銀色に輝く髪を見つけて、ロッツは緩慢な動きで移動した。
「伯爵……?」
軽く叩いてみるが、反応はなかった。冷たい。床と同じ冷たさだ。死んでいる。
ロッツはふっ、と笑った。
「やっぱり綺麗な顔してるなあ……肌真っ白だし。氷の彫像みたいだな……」
ぶつぶつとつぶやきながら、ロッツはエセルの顔に指先で触れた。
「エドロットも、ご自慢の顔に傷がつかなくて良かったね」
すぐ近くに横たわる遺体にほほえみかける。
「キートとヤナルはそこ?」
足元の屍を踏み越えて歩み寄る。
「どうせなら大陸の話を聞かせてもらえばよかったな」
どこの誰だか知らない遺体に腰かけて、ロッツは二人の骸に話しかけた。
静かだった。
ただ一人の生存者の声だけが広間に寂しく落ちて、雨音の他は物音一つしない。
「ねえ、知ってる? とっても残酷で残忍な男の人がせめて最期ぐらいは何かの役に立とうと思って、遺体を墓に入れずに森に放置してもらったんだって。野犬とか、ハゲタカに自分の肉をやろうと思ったんだ。
でも、犬もタカも、誰も食べなかった。生前男は動物にもすごく酷いことをしてきたから、死体になっても怖がって誰も近づいてこなかったんだ。笑っちゃうよね。それどころか、冥界の使いすらも男を恐れて魂を運ぶのを嫌がったんだ。
だから、男は生き返ったんだけど、全然嬉しくなかった。だってそうでしょ? 死体になっても誰も近づいてこないんだから、生きてるんだったらなおさらだ。そして、男は嘆き悲しみながらずっと生きるハメになったんだ。肉の一片も、髪の一本すらも、完全に風化して土になるまで――」
言葉を一旦切って、ロッツは笑った。
「馬鹿みたいだよね。せっかく生き返ったんだから、大富豪になるとか世界征服を目指すとか、なんでもいいからやればよかったのに。そう思わない?」
無数の骸に向かって語りかける。
「僕がそういったら、師匠は苦笑いするんだ。それで、『この話の教訓は?』ってきいてくるの。ちゃんと答えないといつまでたっても修行も終わらないんだよ? ひどいよね。話の解釈の仕方なんて、人それぞれなのに」
不満げに口を尖らせる。
叩きつけるような風が吹いた。
松明の炎がわずかにゆらめいた。
「――ねえ、伯爵」
ぽつり、とつぶやく。
「助けてくれるんじゃなかったの……?」
その問いかけに答える者は誰一人としていなかった。