17.
戦は楽に進んだ。アヌシュカでは激しい王位継承権争いの結果、有能で有力候補だった継承者たちは互いをつぶしあって死んでしまい、数々の優秀な人材も巻きこまれて死んでしまった。
王座についたのは気弱で無能と噂の前王の末息子だ。当然、王など務まるはずがなく、戦争がはじまったと聞いて脅えるばかり。王がそんな調子なので、生き残った臣下たちも右往左往するか、もしくは死んだ権力者たちに代わって権力を握ることに目が行き、それぞれが勝手に動く。放っておいても崩壊しそうなほどだ。
「手ごたえがないね。全然」
てんで統率の取れていない兵団を相手にしたロッツは、物足りない感じだった。殺し合いが好きなわけではないが、こうも手ごたえがないと肩透かしを食らった気分だ。
「幻術の一つでも見せられると思ったんだけどな。そういえば伯爵、幻術にあったらどうすればいいの?」
「気合でなんとかしろ」
「気合!? すごくいい加減だよ、それ。無責任すぎる」
「要は幻に惑わされないような心を持っていればいいだけだ。それとも、幻に惑わされない自信がないのか?」
「そんなことないよ」
エセルの挑戦的ないい方に、ロッツはむっとした。
「どうだか。お前の場合、大事な師匠が現れたら戦意を喪失しそうだな」
「あるわけないだろ、そんなこと」
「頼もしいことだな」
信じていないエセルの態度に、ロッツの決意はますます固まった。
「伯爵こそ、女の幻に囲まれて固まらないように気をつけるんだね」
「ふん、幻とわかっていて惑わされるわけがないだろう」
「たいした自信だね」
お互いにらみ合った。その顔には、『もし惑わされたら死ぬまでそのことをあざ笑い、かつココロの傷となって残るほど話を恥ずかしく歪曲して垂れ流してやる』という並々ならぬ決意があった。
「乗せられてるよな、アレ」
「ああ。完全に手玉に取られてるぜ」
「伯爵もわざわざ憎まれ役を買わなくても……」
キート、エドロット、ヤナルがひそひそとささやきあった。
戦が一段落したので、兵士たちは拠点としているラヴァグルートの砦まで戻った。日暮れ頃のことで、それからすぐに夕食となった。メニューはキノコのシチューとパン。それを広間の隅で食べていると、護衛三人が押しかけてきた。エセルも無理やり三人に連れてこられていた。キートとエドロットは酒を手にしている。
「さ、お前も飲め飲め! ぐいっといけー!!」
「キート、無理に勧めるなって! だいたい今は戦時中だぞ!」
「固いこというなよ、ヤナル。そんなに警戒しなくても大丈夫だって。あちらさん、手を下すこともないほど弱ってるし。楽勝楽勝」
「エドロットも、そういう油断が危ないんだぞ」
ヤナルが堅苦しく注意したが、二人はいざというときに動ける程度に飲むといって聞かなかった。
「今敵に攻め込まれたらどうするんだ」
果たしてヤナルの懸念は当たった。
腹が満たされ皆がくつろぎはじめたころ、異変は起こった。
「ひっ、ひいいいっ! 化け物! 化け物が!!」
兵の一人がロッツのいる広間に、恐怖に顔を引きつらせて飛びこんできた。戸口の外を指差して脅えるので、何人かの兵士が廊下にでた。
「おいおい、何もいないじゃねえか」
「びびって自分の影と見間違えたんだろ」
確かめに行った兵たちは臆病者とせせら笑ったが、それでも兵士は脅えた表情で、わなわなと口を震わせて何もない空間を指差した。
「そ、そこにいるじゃねえか! お前らの後ろに!」
「はあ? なにいって――」
馬鹿にしきってふり返った兵たちだったが、その口からでたのは絶叫だった。
「ぎゃ、ぎゃあああっ!! なんだよっ! これっ」
兵士たちは戸口から飛びすさった。腰が抜けて呆然とする者もいれば、剣を抜いて何もない空間にふり回すものもいた。
「な、なんなんだよ……何もいねえぞ?」
キートが異常な事態に困惑した。その場にいた他の兵士たちも同様だ。
「ひっ、そ、そこかっ! そこにも! うわあっ! やめろっ」
最初に化け物と叫びだした兵が剣をふり回しながら、あちこち指差す。すると、最初は落ちついていた兵にも、だんだんと化け物を見るものが増えていった。水滴を落とした水面が波紋を描くように、徐々に。
「――幻術だな。とうとう来たか」
エセルが舌打ちした。
「四人とも、気をしっかり持てよ」
「そんなこといわれても……」
男三人が情けない声をあげると、ロッツが一喝した。
「何を今から気弱になっているんだよ。何が見えてもそれは幻。何を恐れる必要があるんだ。邪魔するものは吹き飛ばす。なぎ倒す。いい!?」
「……そんなこといわれても、じつはもう見えてたりして」
キートが青ざめた顔で何もない空間を注視していた。それを皮切りに、エドロットもヤナルも訴えだす。
「……好奇心で聞くけど、何が見えてるの?」
「それだけは聞かないでくれ! 男にはプライドってもんがあるんだ!」
男三人は首をふりふり固く口を閉じた。
「プライドってものがあるなら幻覚なんて吹っ飛ばしてよ!」
三人は申し訳なさそうに肩をすぼめた。
兵士たちに見えるものは化け物だけではなく、各人の嫌いな物や、苦手な物、憎い者、好きな者が現れているようだった。ほとんどの兵は、剣を片手に見えない敵と戦っている。滑稽だったが、笑ってはいられなかった。どうやら人自体がそう見えることもあるようで、仲間同士で争いはじめた。
「ヤナル、目をつぶっても見えるか?」
「見えます。なぜかわかりませんが」
エセルが顎に手を当てて考えこんだ。
「くっそ、こんなときに攻めこまれたら……」
ロッツは歯噛みした。一刻も早く対処しなければ。
「とりあえず、人のいないところまで行くぞ」
この護衛三人を人のいないところに連れて行き、幻覚に惑わされた者たちに攻撃されないようにしなければ。エセルとロッツが護衛三人を引きずるようにして廊下へでると、そこにも幻覚に惑わされた者たちがいた。
「邪悪なドラゴンめ! このケリンス・ワードナー様がお前を退治して――」
「誰が邪悪なドラゴンだっ!」
ロッツは襲いかかってきた兵士を問答無用で殴り飛ばした。かなりの巨漢だったが、兵士は廊下の端まで吹き飛ばされた。すると、それを目にした別の兵士が叫んだ。
「お、お前は親父を殺したあの灰色熊だな! 仇を討ってくれる!!」
「だからっ、誰が熊だっ!!」
今度は容赦なく股間を蹴りあげた。
「まったく、このか弱い子供をなんだと思ってるんだよ、みんなして」
並外れた脚力でオトコの急所を蹴られて悶絶する兵士。エセルを含む男四人はこの猛獣系小動物の怪力と容赦のなさに震えあがった。幻覚よりも恐ろしい。
「早く安全な場所に移動しないと。ほら、びびってないで行くよ。肝っ玉が小さいな」
「ヒドイっ、俺らオトコのコなのにっ」
「アタイらのことなんてヘソの垢ほども愛してないのねっ」
恐怖にわけのわからないことをわめくキートとエドロットを、ロッツは襟首をつかんで引きずった。
「そうだ! ねえ、キートたち。気絶した方がいっそ幸せかもね」
「親切そうな顔しながら物騒なことをいうなっ!」
すでに手刀を構えているロッツに、二人は戦慄した。
「痛くないよ。一瞬で終わるから」
「嫌だっ! 絶対に嫌だっ!!」
「そう? いい案だと思ったんだけどな」
残念そうにロッツが手刀を収めると、兵士が剣を持って襲いかかってきた。ロッツは二人を放して槍を構えたが、動きをとめた。
「――………師匠」
懐かしい姿に、体が動くことを躊躇した。
だが、それも一瞬のこと。すぐさま幻覚をふり払って兵士を倒した。
しかし、幻覚はそれで終わらない。ラヴァグルート王族や、騎士や、セレスティアルの女王たちの姿が視界にちらつく。
「くっそ……」
また師が現れ、ロッツは唇を噛みしめた。いくら幻だとわかっているとはいえ、気分がいいものではない。
おまけにこれが幻なのか、それとも生身の人間がそう見えているのかがわからない。師が襲いかかってきた瞬間、ロッツは目をつぶり、己の感覚に頼った。何も感じない。実体のない幻だ。
「こんなの全部、嘘っぱちだ!!」
気合と共に、叫ぶ。次に目を開けた瞬間には、全ての幻が去っていた。
「まったく……やり方がセコいんだよ!!」
憤懣抑えがたい。大事な思い出をこんなふうに使われるのは不愉快だった。なんとしてもアヌシュカから『花片の首飾り』を奪い取ってやる。
「伯爵、首飾りはどこに――」
ふりかえって、ロッツは静止した。エセルが兵士に囲まれて固まっている。どうやら女に見えているらしい。
一方、囲んでいる兵士たちはみな一様に鼻の下を伸ばしてだらしない表情をしている。美貌の伯爵が、絶世の美女にでも見えているのだろう。
男にしては細身のエセルが、筋肉のついた無骨な兵士たちに襲われそうになっている図は、どこからどう見ても深窓のご令嬢がチンピラに絡まれているようにしか見えなかった。
「……………」
なんとなくどうなるか気になって、ロッツは助けるのをためらった。
その間に、兵士の一人が下卑た声をあげてエセルの腕をつかんだ。エセルは女ではありえない太くて固い指の感触に我に返り、すぐさま状況を把握すると、拳を固めた。
「――寄るな下種っ!」
自分の兵士に向かって酷いことを口走りながら、兵士を殴り飛ばした。
「この変態どもがっ!」
抱きつこうとした兵士に回し蹴り。
「地獄に落ちろっ!」
アッパーカット。
エセルは次々と襲いかかってくる兵士を殴って蹴って地面に伏させた。欠けた歯が舞い、血混じりの唾が飛び、骨が砕ける音がし、悲鳴が交錯する。
「意外と力あるなあ……」
襟をつかんで兵士を半ば宙に浮かせているエセルを見て、ロッツは感心した。
「痴れ者がっ! 貴様の頭はケダモノかっ! この――(以下自主規制)!」
錯乱しているのか、人前で口にするのがはばかれるような罵倒を浴びせかけるエセル。ロッツは語彙数の多さにも感心したが、あまりの変貌にちょっと青ざめて後ずさった。
「伯爵、もうそのくらいでやめたほうが」
ロッツがわずかに及び腰になりながらとめに入った。するとエセルは驚いたように胸倉をつかんでいた兵士を見て、自分のしていたことにはじめて気づき、兵士を解放した。憑き物が落ちたような表情をしている。
「なぜだろうな……今ならお前が女に見える」
「一体何を見てたんだよ」
「最初は普通に女だったんだが、途中から女装した男に変わった」
「はは、嫌なふうに混ざったね。拷問だ。なんで男装した女性じゃないんだ」
「どっちにしろ御免だがな。ははは」
乾いた笑いがその場を支配した。
「で、初めて女に見えた僕に何か感想はある?」
「近寄るな」
「……結局それなのか」
そのとき、ロッツは後ろから新たにやってきた兵士に抱きつかれ、あちこち触られた。
「この人は僕の方が女に見えてるんだ」
「いや、そいつは確か美少年好きだ」
ロッツは無言でその兵を気絶させた。
「触るな。気持ち悪い」
「それは抱きつかれたときにいえ」
エセルは指輪を取りだしてはめた。
「ここで魔法を使うの?」
「今なら何をやっても幻覚の一言でカタがつく」
エセルは暗い笑みを浮かべた。ほの暗い廊下で、青い瞳が絶対零度の炎で輝いた。
「伯爵、敵はアヌシュカだからね」
「わかっているさ」
「いや、だったら今現在のその行動はなんだよ」
「俺は男色家も嫌いなんだ」
エセルは先程ロッツに抱きついた兵士を二、三発殴った。過去に何か恨みでもあるのだろう、とロッツは素直に納得した。
「よし。やるか」
すっきりした表情で、エセルはまぶたを閉じて意識を集中した。
「まずいな、兵が砦を囲っている。王は……砦の東、杉の大木の下か。――来るぞ」
砦を震わすような鬨の声があがった。
「どうするんだよ! 伯爵!」
「とにかくやれるだけのことをやるしかないだろう」
渋面を作って、エセルはさらに意識を集中させた。敵の足音が迫ってくる。ロッツはつばを飲み込み、槍をしっかりと握りしめた。
「……取れた」
鎖のこすれあう音にエセルの方を向くと、その手に薄紅色の結晶でできた薔薇のついた首飾りがあった。
「『花片の首飾り』? 魔法で奪ったわけか。使えないの?」
エセルは試してみたが、薄紅の薔薇はまったく応じてくれなかった。
「魔法も肝心なところで役に立たないなあ」
「だから頼るなといっているんだ」
首飾りをポケットにしまい、エセルも剣を抜く。ロッツは護衛三人をひっぱたいて正気に返らせ、戦闘態勢に入らせた。他の兵士もできる限り我に返らせる。
敵兵が砦の内部になだれ込んで来た。
絶体絶命の危機だった。