16.
王の間は荒廃としていた。死体は取り除かれているが、焼け焦げた絨毯や煤はそのままだ。今のところ使うことがないので、放っておかれているらしい。
北側に作られた王の間は昼間でも薄暗いが、夜になるとさらに暗い。だからこそ高い位置に作られた小さめのガラス窓や、ステンドグラスから降りそそぐ光が効果的になるのだが。
青白い月の光が円いステンドグラスを抜けて、床に光の円を落としていた。その中心にひざをくずして座り込み、ロッツはやや陰をおびた色とりどりの光を全身に浴びた。
「ロゼット・ラヴァグルート?」
蝶番のきしむ音と共に、エセルが入ってきた。
「まだここにいたのか。お前に客が来てるぞ。この前、髪留めを贈った家族だ」
「会いたくない」
ロッツはふりむかずに応じた。
「ぜひ会いたいといっているが」
「断る」
「そう無下にするな。礼をいうために、わざわざラヴァグルートから家族そろってきているんだぞ? 戦争中で危ないというのに」
ロッツは返事をしなかった。
「……何か会いたくない理由でもあるのか」
「僕は彼の仇だったから、会えない」
「……わかった」
扉の閉まる音が淋しく広大な空間に響いた。
エセルが去ると、ロッツは床をなでた。煤や、燃えかすなどの汚れが手についた。黒くなった手をロッツはじっと見つめていたが、やがてゆっくりと体を倒して床に横たわった。
床とほぼ水平になった目線の先には、肉や血の燃えかすがあった。ロッツは手が汚れるのも気にせずそれに触れ、目を閉じた。
月の光は、日の光のように刺すような力がなくていい。いつも隠れていた木陰に差しこむ光のように柔らかくて、優しい。
「煤だらけになるぞ」
戻ってきたエセルが眉根を寄せていったが、ロッツはそのまま横たわっていた。
「こんなところで寝るとカゼを引く」
「そんなことぐらいでカゼ引くようなやわな体をしてないよ」
といった傍から、ロッツは咳き込んだ。
「ちょっとむせただけだ」
そらみたことか、といった表情のエセルにいい返す。
エセルはため息をついてロッツの横に座り込んだが、ロッツに話しかけるわけでもなく、ただステンドグラスを見ていた。
「……ねえ、伯爵」
「なんだ?」
「さっきいってた家族は何人で来てるの?」
「あの兵士の母親、妻、息子、娘、あと兵士の弟の五人だな」
「どんな人たち?」
「どんなといわれても困る。会えばわかるだろう」
「……目は緑色?」
「母親と弟は緑だったと思うが、そんなところまで覚えていない」
「充分だ。ありがとう」
会話の余韻すらだだっ広い空間に溶け消えたころ、エセルが口を開いた。
「結局、あの兵士は誰なんだ」
「元ラヴァグルートの近衛騎士。僕の母親に最後までつき添ってた人。女王襲撃犯の片割れ。そして、僕を恨んでいる人第二十八号」
ロッツは床の上の汚れをさらった。もはやあの騎士はこうして残るのみだ。
「無駄死にだったな」
エセルはそれ以上のことは聞かないでおいた。
「……さあ……どうなんだろうね。結果は駄目だったけど、過程にはそれなりに意味があったと思う」
「敵討ちをしようという意思が大事だったわけか?」
「うん……。まあ、そんなところ」
ロッツはあやふやに返事をした。
たぶん、騎士は敵討ちだけをしたかったのではないのだ。騎士は騎士なりに、誰にも省みられることのないロゼットと、罪を重ねすぎたロッツを助けたかったのだ。あのとき向けられた刃には、憎悪と慈悲が混在していたのだと思う。
憐れまれるのは嫌いだが、なぜか騎士を嫌いになれない。自分が生まれてからの十五年間、騎士は一体何を思って生きたのだろう。王に背いたことを悔いたのだろうか。報われない思いを抱いてしまったことを悔いたのだろうか。そのどっちだったにしろ、両方だったにしろ、その後悔は騎士にもはやそれ以上、迷う余地も選択肢も与えなかった。
ふしぎでしょうがない。どうして自分はここまで騎士に肩入れするのだろう。負い目を感じているからでもない。同情でも、憐憫の情からでもない。そんな感情を持つことは自分が許さない。
だとしたら、後は共感だ。
自分もまた、選んだ選択肢に後悔しているのだろうか。
「……ねえ伯爵、君は後悔していることって、ある?」
「ありすぎて困るが、そうだな……一番後悔していることは、この地位を得るためにしてきたことだ」
「島のために使ったの?」
「ああ……。だが、島を救うためと人殺しや人心操作の理由を飾っても無意味なことだ」
エセルは重いため息をついた。
「伯爵にとって、エヴァンジェリンの名と島のことはずっと重荷だった?」
「小さい頃からひたすら島のため、島のためと、うんざりするくらいにいわれて育てられ、島のために罪を重ねてきたからな。島のことが片づいたら、もう島には近づきたくない」
「島の人たちにエヴァンジェリンと名乗らなかったのはそのせい?」
「前にもいったと思うが、大陸では魔法が使えるなんていったら化け物扱いだからな。エヴァンジェリンの名はふせておいた方がいい。
――だが、どんなに嫌ってもこの名からは逃れられないなんだろうな。してきたことからも」
ステンドグラスを見あげる薄い青の目は空ろで、何を考えているのか推し量れないが、ロッツにはなんとなくわかった。自分のしてきたことが、かけがえのない何かのためであっても、罪だと認めているのだろう。
わかった瞬間、ロッツはエセルに親近感を抱くと同時に嫌悪感を抱いた。親近感を抱くということは、自分がしていることを罪だと認めることだ。人に好かれるような事はしていないと自覚はしているが、罪だとは思っていない。
親近感を抱いてしまったのは、人徳者だった師の影響だろう。このときばかりは、ロッツは師を恨む。
そのとき、またしても地面が揺れた。前回より揺れが強かったが、すぐに収まった。
「僕がこんなところにいるから、神様のご機嫌を損ねたかな?」
起きあがって服についた煤を払うが、払う手にも煤がついているので、意味がなかった。
近くの湖で水浴びでもするか、と立ちあがりかけると、エセルがぽつりとつぶやいた。
「お前は神を信じるか?」
「ずいぶんと不謹慎な発言だな、それって。君がいっていい台詞なの?」
「俺はもうエヴァンジェリンじゃない」
「ああ、そう。僕は信じてるよ」
ロッツは神の描かれたステンドグラスを、挑戦的な目で見あげた。
「ただし、僕のいう神様は僕を助けてくれる奴のことだ。そうでないのなら万人が認めようと、僕にとっては神じゃない。だから、僕の信じる神様は師匠だ」
「お前らしいな」
エセルが珍しく皮肉も揶揄もなく笑った気がしたが、一瞬のことで、薄暗い室内でのことだから気のせいだったかもしれない。
「座れ。おもしろい話を聞かせてやる」
「おもしろい話?」
エセルは皮肉げに笑った
「神などいないということだ」
ロッツは一瞬あっけに取られて動きをとめた。
「いない? どういうことだよ」
すぐさま床に腰を落ち着ける。
「正確にいうと、今はいない」
「今はってことは、そのうちでてくるってこと?」
「三王家に盗まれた薔薇を回収すればでてくる。一応、だが」
ロッツは戸惑いの表情を隠せなかった。わけがわからない。
「最初から話そうか。まず――そうだな、三王家が盗んだ薔薇について話そうか」
「薔薇から?」
「薔薇がなんの象徴か知っているか? 女だ。それで、何か連想しないか?」
「何かって………何を連想しろっていうんだよ」
「三王家は盗んだ薔薇で、ふしぎな力を手に入れた。なら、その摩訶不思議な薔薇は一体どんなものだったんだろうな?」
その言葉がまるで針と糸のように、それまで繋がっていなかった情報をつなぎ合わせた。
「……まさか、巫女?」
「当たりだ」
エヴァンジェリンがこの島を治めていた時代、神殿にはエヴァンジェリンの一族から選ばれた巫女がいた。特に魔力の高い者が選ばれ、神の声を聞き、生涯神に仕えていた。
「薔薇を茎と蕾と花に分けたってことは……」
「考えている通りだ。セレスティアルは巫女の腹に宿っていた神との赤子を、アヌシュカは巫女の頭を、ラヴァグルートは心臓を食らって、力を手に入れたんだ」
吐き気がした。そんなおぞましいことをして手に入れた力が自分の体にあるかと思うと、鳥肌が立つ。
「くっそ、先祖の墓を蹴ってやりたいよ」
「蹴るならエヴァンジェリンの墓もけってやれ。エヴァンジェリンも非があるからな」
「エヴァンジェリンまで!? 何やったんだよ」
「神殺し」
二の句が継げなかった。
「なんでまたそんなことを」
「人間の欲望には終わりがない。神に捧げる供物を着服して贅沢をしていたのが神にばれ、殺されそうになったから逆に殺した」
「……なんだか僕はめまいがしてきた」
「俺も真実を知ったときはそうだった」
他人の私利私欲のせいで自分がこういう目にあっているのかと思うと、腹が立つのを通りこして呆れてくる。
「といっても、エヴァンジェリン全員が神殺しに参加したわけじゃない。ごく一部の、過激な奴らがやったんだ。彼らは神を殺すと同時に、巫女も殺した。腹に宿していた神との子のことを恐れたんだろうな。
馬鹿な奴らだ。自分たちが魔力をもてたのはそうやって神と混血したおかげなんだから、ちゃんと育てれば味方にできただろうに」
苦々しげな口調だった。
「あれ? でも、そこで殺されたってことは、三王家が盗んだのは巫女の遺体ってこと?」
「そうだ。三王家は前々からエヴァンジェリンの座を狙っていた。だが、エヴァンジェリンの魔力が厄介だった。それに匹敵する力が欲しくて遺体を盗んだんだ。肉を食らうと、その者が持つ力を手に入れられるという言い伝えを信じたのさ」
そして、みごと力を手に入れたのだ。
「起こった順に説明すると、こうなる。まず裏切り者のエヴァンジェリンが巫女を殺し、神を瀕死の状態まで追いつめたが、あえなく返り討ちにあった。この時点で、神はまだ生きている。
一族は裏切り者と巫女の死因を事故死や病死として真実を隠そうとしたが、まあ無理だな。一気に十人も死んでいるんじゃ、疑われて当たり前だ。
おぼろげながら真実を見抜いた三王家は好機と見て巫女の遺体を盗み、食らって力を手に入れ、武力と脅迫でエヴァンジェリンを追いつめた。
そして、エヴァンジェリンが滅びる間際、神は三王家に呪いをかけて死に、エヴァンジェリンも滅んだ。生き残ったエヴァンジェリンは神がいなくなったという事実の隠蔽工作をできるかぎり行って、大陸へ落ち延びた。――こんな感じだ」
「ふうん………でも、神はなんでそんなことを? エヴァンジェリンのことを怒っていたんなら、三王家に呪いをかける必要なんてないじゃないか」
「神が呪いをかけたのは、エヴァンジェリンのためじゃない。島のためだ。神は島そのもの。神が死ぬということは、島が崩壊することを意味する」
「じゃあ、ここのところ大雨とか地震とか、災害つづきなのはそのせい……」
「もうあまり時間がない」
ロッツは頬を引きつらせた。
「神は三王家の力の源を集めて巫女をよみがえらせ、巫女の腹に宿った子を自分の代わりにし、足りない分は人柱をたてて補えとのたまわったのさ」
「人柱は三王家か」
「ちょうどいいだろう。だが、本当は誰でもいい。だから、お前を助けると約束できた」
我知らず、ロッツは大きく息を吐いた。そういうからくりだったのか。どうりでエセルが自信満々なわけだ。
「なんだか気が抜けるな。結局はこんなものか、って感じで」
「信じたか?」
「約束の件についてはね。でも、君に関しては信じてない」
「そういうと思った」
「話はこれで終わり?」
「ああ、終わりだ」
「じゃ、お休み」
「そうしろ。子供はさっさと寝るんだな」
ロッツはむっとした。
「僕はこれでも今年で十五だ」
「十五? 寝言は寝てからいえ。どう見ても十五には見えないぞ」
「伯爵こそ、その腐って濁った目を取り替えてきたら?」
「その子供っぽい生意気さからいっても十五歳ではないな」
「君こそ、その大人げのなさはなんなんだよ」
二人はやっぱりいつものようににらみ合って、最後もやっぱり同時に顔を背けあって終わった。
「お前は俺が今まで出会った中でも、最高に厄介な相手だな」
「最高の褒め言葉だね。君の中で最高に嫌な相手になれて嬉しいよ」
『嫌』ではなく『厄介』なのだが、ロッツが両者のニュアンスの違いに気がつくことはなかった。
「でも、そこまで嫌なら僕に構うなよ。どうしてそんなに構ってくるんだ」
「お前が構われるのを嫌そうにするからだ」
「嫌がらせ? 上等だよ。受けて立ってやる」
槍を片手に仁王立ちしてそう宣言し、ロッツは扉に向かった。
「伯爵、もし神様がいたら、神様は僕を許すかな?」
「さあ……許すんじゃないか?」
「そっか……でも、人を裁くのは神じゃなくて、人だ」
扉に手をかけてふりむくロッツの声は、細い。
「神様が許しても、人は僕を許さないんだろうね」
「なぜそう思う?」
「僕がそうだからだよ」
エセルは質問の意味を図りかねた。
「僕は、本当に助かることができるのかな?」
エセルは答えに窮したが、ロッツは回答を求めて尋ねたわけではなかった。そのまま扉を押す。
「お休み、伯爵」
「ああ………お休み」
ロッツは小さく咳をして、廊下へでた。