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14.

 次に目が覚めたとき、まず感じたものは空腹だった。絶望感でも虚無感でもなく、空腹。正直な自分の体に脱力しつつ、ロッツはヤナルの運んできたミルク粥を食べた。


「せめて今日一日は起きあがらないようにね」

「もう平気なんだけど」

「駄目だ! 今日一日ぐらいは大人しくするんだ!」

 ヤナルは頑として譲らなかった。


「わかったよ。ところでこれ、少ない」

 空になった器を差しだすと、ヤナルはパンプティングを追加した。


「……こんなお腹にたまらないものじゃ満足できない! 肉! 肉が食べたい!」

「駄目! 一応病人なんだから、消化にいいものを食べなさい!!」

「一応なんだからいいじゃないか!」

「よくない! おかわりを用意するから我慢するんだ!」

 不平満々のロッツにヤナルは鍋いっぱいのミルク粥を用意したが、ロッツはそれを綺麗に平らげた。


「とても病人とは思えない所業だな」

 見舞いに来たキートとエドロットは、空っぽになった鍋にあきれかえった。

「もう病人じゃないっていってるのに、ヤナルは全然きいてくれないんだよ」

 ロッツは二人が持ってきてくれたスミレの花の砂糖漬けをつまんだ。

「そりゃなあ、大ケガした上に猛毒もくらってんだから、一日二日で治ったっていわれても信じられねえよ」

 そういうキート自身も、信じられないらしい。


「じゃ、俺らはもう行くわ。あんまりゆっくりできなくて悪いな」

 エドロットはすまなさそうな顔をしたが、ロッツは首をふった。

「気にしないで。ホントは見舞いにこれる余裕もないくらい忙しいんでしょ、今」

 ロッツは城の客室にいるのだが、ひっきりなしに慌しい足音がしている。それだけで今どれだけ忙しいかがわかるというものだ。


 二人が去り、ヤナルも他の患者の治療にでていくと、ロッツはこっそりベッドをぬけだした。槍を探しに行こうと思ったのだ。さっさと見つけないと、略奪される恐れがある。エセルは略奪を禁じているが、それにも限界がある。

 ぶかぶかのシャツ一枚という姿はさすがに人目を引いたが、誰も構っている暇がないので、呼びとめられることはなかった。


「うー……ふらふらする」

 傷は治っても、大量に失血したせいで貧血気味だった。頭がくらくらする。いつもならこんなことはないのだが、ケガの前に生命力が吸い取られていたせいで、思ったより回復が遅い。


 南館二階の利用していた部屋へ行くと、荒らされた跡があった。あわてて部屋をあさると荷物はそのまま見つかったが、槍はなかった。ロッツはあきらめきれず、泣きたくなるような気持ちで部屋を探し回ったが、見つからなかった。


「何を動き回っているんだ? 重病人」

 ふりむくと、エセルがいた。

「なんだ、伯爵か。君には関係ないよ」

 ロッツは昨日のことを思いだし、突っぱねるようにいった。


「そうか。長い棒の先に刃のついた物騒なものは必要ないか」

「待った伯爵!」

 ロッツは去っていこうとするエセルの服の裾をつかんで引きとめた。


「なんだ? 俺には関係がないんだろう?」

「前言撤回! すごく関係がある!」

「そういわれてもな、俺にはアレがどうなろうと関係がないことだし」

 エセルは意地の悪い表情を作った。憎々しい。完全に足元を見られている。


 だが、ここは耐えねば。大事な大事な槍のために、ここは一つお願いしなければ。

「……………………………………………………………………………………教えて下さい」

「悪いが何も聞こえなかった」

 わざとらしくエセルが聞き返してきた。ロッツはぐっと堪える。


「槍がどこにあるか教えて」

「それが人に物を頼む態度か」

 悪態の一つでもついてやりたい。だが、とりあえず今は控えるべきだろう。今は。


「どうか槍がどこにあるかお教え下さいませ、エセル・マスカード伯爵様」

 自制心を総動員して頼むと、エセルは満足げにうなずいた。

「ふん、まあいいだろう。槍ならヤナルが持っている」

「なんだ、そうだったんだ。ありがとう」


 ロッツは部屋を飛びだし、ヤナルを探しに行った。貧血がどうだとかいっていられない。人をひき殺さんばかりの勢いで城内を突っ走り、大広間でケガ人の治療をしているヤナルを見つけると急停止した。

「ヤナル! 槍どこっ!」

「槍?」

 ヤナルは包帯を巻く手をとめた。


「そう、僕の槍! ヤナルが持ってるんでしょ?」

 すると、ヤナルは首をふった。

「持ってないよ。なんで?」

「え、だって、伯爵にきいたら君が持ってるって……」

 そこではっと気づいた。伯爵は、槍はヤナルが持っているといったが、ロッツの槍をヤナルが持っているとはいわなかった。


「――あんのクソ伯爵っ!!」


 ふたたび駆けだそうとすると、ヤナルに肩をつかまれた。

「ヤナル! 悪いけど僕は急い……でいる……んです、けど……」

 静かな怒りをたたえたヤナルの形相に、ロッツの声は尻すぼみになった。


「ロッツ、どうして君がこんなところにいるのかな?」

「いや、それは、その……」

「ベッドで大人しくしているようにっていわなかったっけ?」

「だ、だって槍がどこにいったか心配で……」

「うん。心配なのはわかるよ。あんなに全速力で走って来るんだもんね。本調子じゃないのに」


 穏やかな表情のヤナルの後ろに、怒りの炎がちらついている。


「大人しく、寝てようね?」

「……はい」

 珍しく気おされて、ロッツは大人しくそれに従った。


 夕方、エセルがロッツのいる部屋に顔をだすと、ロッツはすぐさまベッド脇のナイトテーブルを持ちあげて仁王立ちした。

「伯爵! 僕の槍はどこ! 正直にいわないと――」

「正直にいわないとなんだ? それを投げつけるか? 窓から突き落とすか? ナイフで切りかかるか? 俺は構わないぞ。別に」

 エセルは余裕の笑みに、ロッツは歯を噛みしめて怒りを堪えた。憤死しそうだ。


 敵がその気ならば仕方がない。別の手を使おう。ロッツはナイトテーブルを床に下ろすと、エセルの顔を両手でがっちりつかんだ。

「伯爵、素直にいわないとキスする」

「……なんとも下劣な脅しだな」

「下劣だろうがなんだろうが、有効な手段だ。さあ、素直に吐きなよ」

「ふん、できるものならやってみろ」


 ロッツはにんまりと笑って目を細めた。

「ふーん。見物人がいるけどいいんだね?」

 戸口ではキートとエドロットが興味深々といった体でこちらを見つめているのだ。


「キャッ! 見つかちゃった!」

 キートが恥らう。

「伯爵、テイソウの危機だけど頑張ってね!」

 エドロットは完全に部外者に回った。


「ちょっと待て―――――っ!」

 遅かった。ロッツはエセルの顔を強引に引き寄せ、頬に口づけた。


「貴様っ!」

「次は当てる」

 低くドスの聞いた声で脅す。ロッツの切り札は、それはもうかわいらしいモノだが、エセルにとってはクレイモア級に恐ろしい。


「聞きまして、奥様ッ! 次は当てるですって」

「ええ聞きましたわッ! んもうっ、こんなふうにしなきゃキスもできないなんてっ! 二人とも意地っ張りなんだからッ!」

 二人は外野の台詞を黙殺した。


「さーて伯爵、いう? いわない?」

「この悪魔め」

「なるほど、して欲しいんだね」

「誰がそんなことをいった」

 エセルが近づいてくるロッツを必死に押し返す。


「貴様に恥じらいという単語はないのか」

「君に素直という単語はないのかな」

「頼むという言葉を知っているか?」

「親切っていう言葉を知ってる?」


 至近距離で奮闘していると、何か硬いものが床に落ちる音がした。


「……ヤナル」

 争いをやめて、二人は入り口で固まっているヤナルを見つめた。


「……えっと……お、お邪魔でしたか」

 鼻の先と先が触れ合うくらいの距離で何かしようとしている男女に、ヤナルは激しく動揺した。

「ヤナル、これは別にそういうアレじゃ……」

 本気にしそうなヤナルにロッツが弁解しにかかったが、ヤナルは聞いていない。


「あ! ロッツ、槍! 君の探してた槍ってこれだろう? 伯爵の部屋にあったから持って来たよ! 伯爵もそんなにロッツのこといじめなくてもいいんじゃないですか? でも喧嘩するほど仲がいいっていうし、本当は二人とも仲がいいんだね! じゃ、僕はこれで! ほら、行くぞ! キートもエドも邪魔しちゃ駄目じゃないか!」


 キートとエドロットを引きずって、ヤナルは慌しく去っていった。

 後には、呆然して動けないロッツとエセルが残された。


「……どうしてくれる」

「……ヤナルが落ち着いたら誤解を解くしかないんじゃないかな」

 どちらともなしに、離れた。


「槍、やっぱり君が持ってたのか。最初から素直に教えてくれればいいのに」

「お前こそ最初から素直に聞いたか?」

「……………」

 思い返せば、最初に突っぱねたのは自分だった気がしないでもない。


 床に落ちた槍を拾いあげようと身をかがめると、軽くよろけて床にひざをついた。貧血がまだ治らない。

「大丈夫か?」

「心配されるほどのことじゃない」


 差しだされた手に気づかないフリをして、ロッツは槍を支えに立ち上がろうとした。不機嫌そうに片眉をあげたエセルだったが、ぎょっとしてロッツから遠のいた。

「? どうしたんだよ」

 小首を傾げかけて、気づいた。シャツ一枚でズボンをはいていないので、片ひざを立てると太ももがむきだしになるのだ。


「ははーん、色気で迫った方がよかったかな?」

「阿呆。お前のどこに色気があるんだ」

 エセルはロッツの脇をすり抜け、部屋に戻ろうとした。しかし、ロッツに後ろから抱きつかれたためにそれは阻止された。


「――……なんのまねだ」

「やだなあ、ちょっとよろけただけだって」

 ぴったりと体を密着させる。季節は夏。当然薄着だ。相手の体温がじかに伝わってくる。


「暑苦しいから離れろ」

 平然とした態度でエセルが応じたので、ロッツはつまらなかった。せめてもの仕返しに両腕でエセルの腰をぎりぎりと締めあげる。

「やめろ、この人間万力! 腰の骨を折る気か!」

 怪力に根を上げたエセルに満足して、ロッツは解放してやった。


「伯爵、腰細いね。折れそう」

 立派なセクハラ発言だった。

 エセルは額に青筋を浮かべると、荒々しい足取りで歩きだした。


「あ、そうだ伯爵」

 エセルはふりむきもしなければ返事もしなかったが、ロッツはつづけた。

「槍から伝言。見つけてくれてありがとうってさ」

 ぶっきらぼうにいって、エセルに背をむける。立ちどまってこちらを見る視線から逃れるように、ロッツはさっさと部屋に戻ってベッドにもぐりこんだ。


「今日は負けてばっかりだよ、ロッツ」

 ロッツは愛用の槍に語りかけた。師愛用の品でもあったこの槍には名前がある。ロッツ、という名が。現在の名はそこから取ったものだ。もはや、この槍はかけがえのない半身だ。

「帰ってきてくれて、ありがとう」


 そのとき、カタカタと部屋の花瓶や棚が音を立てた。地面が揺れる。地震だ。物がふってくる心配はないが、ロッツは一応頭からふとんをかぶって揺れがおさまるのを待った。


「……おさまった、かな」

 そろそろとふとんから顔をだし、部屋を見回す。落ちたり割れたりした物はなかった。


「ここのところ災害が多いな……」

 神様の機嫌が悪いのだろうか。エヴァンジェリンがいなくなっても供物はかかさず捧げているのだが、仲介者がいなければ駄目なのかもしれない。

 このままいくと生贄でも捧げることになるかもしれない、と考えながら、ロッツは槍を抱いて眠った。




「伯爵、どうしたんですか? 頭を押さえて」

「……ちょっとさっきの地震でバランスを崩しただけだ」

 ヤナルの問いに曖昧あいまいに答えてエセルは歩きだしたが、数歩も行かないうちに呼びとめられた。


「どこへ行かれるんですか?」

「自分の部屋だが?」

「反対方向ですよ?」

「……………」


 エセルは沈黙し、それからおもむろに壁に向かい合うと、壁に頭突きをかました。

「よし」

 何がいいのか、そのまま歩み去る伯爵。

 あまりの奇怪さに、どうしたのかとも尋ねられないまま、ヤナルは主人を見送った。


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