12.
近くに転がっていた剣をつかむと上体を起こし、ふりおろされた一撃を受けとめた。
「――っ!」
力が入らない。いつもなら難なく押し返せる一撃だったが、鍔競合いになった。
「だいぶ力が落ちているようだな」
「そんなことないさ」
歯を食いしばりながら、騎士の力に耐える。正直いって不利だった。態勢もまずいし、体力的にも負けが見えている。おまけに騎士の剣は変色していた。毒だ。一撃でも食らえば動けなくなるだろう。
「……一つ聞かせて。君はロビュスタの事をどう思っていた?」
「仕えるべき主君の大切な御方だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「嘘をつくなよ。君のロビュスタを見る目は、それ以上だった」
一瞬だけ、騎士の力がゆるんだ。作戦成功。ハッタリはかましてみるものだ。
隙を逃さずロッツは剣を押し返したが、立ちあがろうとして失敗した。足に力が入らない。舌打ちする暇もなく、迫る騎士の剣を、床を転がるようにして避けた。
「君はそんなにあの一族が大切なのか」
「私の全てだ」
「僕がどうしても許せない?」
「ああ、どうしても許せない」
ゆっくりと剣がふりあげられる。
「君はロゼット王女まで殺してしまったから」
鈍い音。
ロッツは束の間、それがなんの音なのかわからなかった。
「――え……」
刃を受けとめようとしたはずなのに。
したはずなのに、剣をつかんだ自分の右手は全く動いていない。
「ロッツ、君はあまりに罪を重ねすぎた」
「――っ!!」
銀の光が、腹部を貫く。
「いつか君はその罪で身動きが取れなくなる」
「これ以上罪を犯さないうちに凶悪犯を始末しておこうっていうわけか」
上体を支える左腕が震える。
「違う。それが君の欲しがっている自由のためだ」
間近にある騎士の目は悲しげで、とても優しかった。
無意識のうちに、剣から指が離れる。
それに気づいた時には、仰向けになって白い天井を見あげていた。
「……あーあ」
ロッツはため息まじりに苦笑した。
「負けちゃった……」
万全の状態でも最後はこうなったのではないかという考えが、頭の片隅をよぎった。
しかし、そうだとしたら自分は騎士に何を期待していたのだろう。冷え切った心の奥底で、何を望んでいたのだろう。
ロッツは心の中で自分をあざけった。今更、他人に何を期待する。どんな望みも叶えられるはずがない。そもそも、自分には何かを望むような資格はない。
「何をするの……?」
腰にくくりつけてあった水筒を外す騎士に、ロッツは尋ねた。
「油だ。燃やす」
短く答え、騎士は油をロッツの周囲に撒きはじめた。
「駄目だよ、騎士さん……確実に殺すなら、僕にかけなきゃ」
痛みで飛びそうな意識をつなぎとめながら、ロッツは忠告した。
ここで死ぬのも悪くない。死ねば永遠に自由だ。
ぱしゃぱしゃと絨毯の上に撒かれる油の音を聞きながら、ロッツはぼんやりと白い天井を見あげた。少しあごをそらすと、ステンドグラスが目に入った。
光の塊として表された神が人々に救いの手を差しのべている絵。光に満ち溢れ、そこから光が滝のように流れ落ちている。
「ありがたい位置、なのかな………」
光の滝壺で漂うロッツは顔をゆるめた。それからいとおしそうに腹部に刺さった剣にふれたが、やがて光のまぶしさに耐えかねてまぶたを閉じた。ねっとりとした油の匂いが鼻に絡みつく。
「すまない……王女……」
一滴、あたたかい雫が落ちた。
錠の落ちる音が聞こえた気がして、エセルは立ちどまった。
ふり返れば、小さくなった王の間の扉が閉じられている。
「……気のせい、か?」
大体、錠が下ろされたからといってなんなのか。敵を入れないためにやったのかもしれないではないか。
「伯爵、終わったか?」
キートが剣をふりながら、エセルの方へやってきた。
「ああ、こっちは終わった。そっちはどうだ?」
「一人投降したら、立てつづけに降伏しはじめた。今降伏をよびかければ、結構応じると思うぜ?」
「死ねえっ!」
すぐ横の部屋から剣を兵士が飛びだしてきた。キートがエセルの前に飛びでたが、その必要はなかった。開いたときの何倍もの勢いで扉が閉じ、兵士を部屋に押し返したからだ。
「……万事こんな調子だし、もう降伏しかないだろ」
部屋から兵士の叫喚が聞こえた。
「俺も叫んでいいならめいいっぱい叫んで現実逃避したいぜ。ロッツは?」
「あそこだ」
エセルは王の間を指し示した。
「これに生命力を吸い取られて大分疲弊してるから、置いてきた」
「……生命力を吸う?」
先端に透明な石がついただけの杖を見て、キートは怪しんだ。
「吸うんだ。試してみるか?」
「いやいや! 謹んでご辞退申しあげるっ!」
キートは後ずさった。これ以上、おかしな事態を見せられるのはまっぴらだった。
「じゃ、そろそろ伯爵も指揮に戻ってくれよ」
「ああ、わかった」
閉じられた王の間に妙な引っかかりを覚えつつもエセルは歩きだしたが、数歩進んで、足を止めた。
「どうしたんだよ?」
「いや……」
否定する言葉とは反対に、エセルの体は来た道を戻りはじめた。
「伯爵? どこ行くんだよ」
「悪い。どうしてもあそこが気になる」
常人より鋭い第六感が何か訴えかけてくるのだ。
エセルは王の間の扉を押したが、開かなかった。錠が落ちている。
「くっそ――しまった、あいつの口癖が移った――やっぱり閉まっている」
扉に左手を当てて開け、エセルは息を呑んだ。
絨毯が死体を巻き込んで燃え、火の川を作っている。
「なんだよ、これ………」
覆いかぶさってくる黒い煙にキートは鼻を抑えたが、指の隙間から悪臭が入り込んで鼻を突いた。肉の焦げる臭いがする。
「ロゼット! ロゼット・ラヴァグルート! いるなら返事をしろ!」
燃え盛る炎の奥に向かってエセルが声を張り上げたが、物音一つ返ってこなかった。
「どうすんだよ、伯爵………」
熱い炎と厚い煙の壁が、行く手と視界を阻んでいる。
「――ヤナルを呼びにいってくれ。扉は閉めろ」
「わかった。むちゃすんなよ」
扉が閉まると、エセルは眼前の炎に左手を一閃させた。
「炎を払え!」
一瞬にして、目の前の炎が薙ぎ払われる。そそり立つ煙と火の合間に、人影が見えた。驚いたようにエセルをふりむく。手助けを申し出た兵士だった。
そして、その足元には――
「――貴様っ! 何をしている!!」
一気に怒りが臨界点に達した。
命じずとも指輪が主の願望に応えた。風が刃となって敵を切り裂く。
「ロゼット! しっかりしろ!」
エセルは駆け寄り、剣に串刺しにされているロゼットの頬を叩いたが、ぴくりとも反応しない。肌は雪のように白く、冷たくなっていた。
「くそっ……」
エセルは自分をなじった。なんという失態だ。戦場だというのに、反撃もできない状態で無責任に置き去りにするとは。
「今助けてやる」
ロゼットを抱き上げようとして、エセルは体を横にずらした。頬に鋭い痛みが走る。
「行かせは……しない……」
風の刃に切り裂かれた兵士が短剣を握りしめ、息も絶え絶えに声を絞りだした。
「そのまま……死なせてやってくれ……」
ぱっくりと裂けた傷口から血が溢れ、床に赤い水溜りを作る。
「……なぜだ? こいつがいったのか? 死にたいと」
兵士は倒れそうになる体を必死に支えながら、かすかに首をふった。
「だったら、貴様にそんなことをいう権利はないだろう」
エセルはロゼットを抱きあげた。ぞっとするほど軽くて冷たい。
「……君に……本当にその子を助けるだけの覚悟はあるか……?」
かすれた声。だが、重く鋭く、詰問するような声だった。
「ないなら……置いていけ。その子にそれ以上……絶望を見せるな……」
ややうつむいた兵士の面から放たれる鋭い眼光が、エセルを射た。エセルは立ちすくむ。
「なんの咎もないのに……この子は責められつづける………ずっと」
兵士の声には憐れみではなく、深い悔恨があった。
エセルはロゼットを抱いたまま、しばらく動けなかった。
熱が肌をあぶった。薙いだ炎はふたたび芽のように萌えいでて燃え盛り、煙と共に舞い上がった火の粉が黒い煤となって床に堆積した。
全てが灰となって土に返ろうとしている。
「――……なんの咎もないというのなら、こいつは絶対に助かるはずだ。絶対に、助けられるはずだ」
兵士は体を曲げたまま、顔をあげた。
エセルは怖気づくことなく兵士の目を見つめ返した。
「単純明瞭な答えだ。違うか?」
エセルは兵士に背を向けると、指輪に命じて炎の壁を切り開いた。
「あとは、それを証明して見せればいいんだろう?」
兵士を顧みると、兵士は物悲しい微笑を浮かべた。
「……ああ……そうだな。……ひどく、簡単なことだ」
兵士は後悔に満ちた表情でロゼットを見つめた。
「最後まで何もできなくて、本当にすまない……」
兵士は体を引きずるようにしてロゼットに近づき、白蝋のような頬に触れた。赤い線が引かれる。線は頬から耳に至り、途切れ、最後は床に点となって残った。
「神よ……どうかこの哀れな子にご慈悲を……」
床にひざをついた兵士は、ステンドグラスを仰ぎながら自分の喉に短剣を突きつけた。
「叶うのなら……誰よりも…何よりも…私はそれを願おう……」
赤い火の粉に混じって、真紅のしぶきが宙を舞った。