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未来屋 環純文学・お仕事系作品集

マル秘1on1ミーティング -或る50代男性の場合-

作者: 未来屋 環
掲載日:2026/05/08

 ――小さな秘密が、きっと人を強くする。



 『マル秘1on1ミーティング -或る50代男性の場合-』/未来屋(みくりや) (たまき)



 目の前にはこの世の終わりのような顔をした男性が座っている。

 何と声をかけるべきか迷ったまま、俺は口を開けずにいた。

 結果、静寂が俺たちの間をつないでいる。


「……最初はほんの出来心(できごころ)だったんです」


 先にそれを破ったのは彼だった。

 いつも会議で放たれる自信に満ちた声とはまったく違う、なんとも頼りない音の集合体。

 俺は耳をすまして続く言葉を待つ。


「会社に入って30年以上経ち定年まで10年を切ったと思いきや、先日70歳までの雇用延長制度が発表されたじゃないですか。ローンも残っていますし働けるのはありがたいことなんですが、この生活があと20年近く続くと思うと……なんだか、少し疲れてしまいまして」


 そう言って、目の前の彼――左内(さない)係長が肩を落とした。


 気持ちはわかる。

 彼より2つ下、同年代のこの俺もまさにそう思っていた。


 駅から徒歩10分の場所に小さいながらも一戸建てを構え、ローンも60歳までには返し終える。

 定年退職したら近所の駐輪場でアルバイトでもしながらのんびり暮らそう――漠然とそんなことを考えていたのだ。

 前回の白髪染めから時間が経ってしまったんだろう、茶色く色落ちした髪にも親近感を覚えてしまう。

 

「それで、この前飲んだ帰りに――たまたま電車で前に立った女の子の指が目に入りまして……その」


 左内さんの言葉が不安に揺れた。

 俺は続きを促すべきか逡巡(しゅんじゅん)する。

 しかし、自分のペースで話してもらった方がいいだろうと、沈黙を貫いた。


「ネイル……っていうんですか。爪がきらきら輝いていて、それがなんだか……やけに綺麗に見えたんです」


 左内さんの声に、少しだけ熱が灯る。

 俺の作戦は功を奏したようだ。


「なるほど、それでですか」


 しかし、続く俺の一言で彼の表情に怯えの色が浮かぶ。

 ――しまった、まだ早かったか。

 左内さんと1on1(ワンオンワン)をするのは初めてなので、距離を測りかねてしまった。


 2年程前から部下との対話が必要だと全社的に導入された1on1ミーティング制度だが、どうにも生来のせっかちな性分が邪魔をする。

 一般的な面談とは違い、1on1は部下主体で話をさせるのが重要らしい。

 場の雰囲気を和ませようと、俺はにっこり微笑んでみせた。


「左内さん、そんなにご心配されなくても。別に就業規則に違反したわけでもなんでもないんですから」

「……そうでしょうか」

「そうですよ。現にうちの部にもしている社員たちがいるでしょう」


 左内さんの目が泳ぐ。

 ここを(のが)すな――直感のままに俺は続けた。


「左内さん、()(つか)えなければもう一度見せて頂けませんか? 先程はあまりよく見えなかったもので」


 一度びくりと肩を揺らしたあと、観念したかのように左内さんがおずおずと左手を机の上に置く。

 節くれだった指には歳相応(としそうおう)にしわが刻み込まれ、しかしてその親指の先端だけは不思議な輝きを放っていた。

 1.5センチ四方のそのスペースは濃い青色に染まり、金色(こんじき)の光がきらきらと散りばめられている。


 まるで宇宙だな――それが俺の第一印象だった。



 ***



 事の発端(ほったん)は、トイレで左内さんと出くわしたことだ。

 軽く挨拶を交わして用を足したあと、洗面台で事件は起こった。


 隣で手を洗う左内さんの親指から、絆創膏(ばんそうこう)()がれ落ちたのだ。


 それだけみれば大した事態ではない。

 しかし、絆創膏の下から顔を出したのは、50代男性の親指にはいささか不似合いな爪だった。


 瞬間、左内さんの顔が一気に青褪(あおざ)め、俺は咄嗟(とっさ)に視線を()らす。

 左内さんはハンカチで左手を覆い、足早に去って行った。

 その気配を感じ取りながら、俺は今見たものが何かを考える。


 ――ネイルアート、だよな?


 その存在自体はもちろん知っている。

 我が社は特段禁止もしていないので、うちの部にいる女性たちも楽しんでいるようだ。

 以前部会でその話題になったこともあるが、毎月サロン通いに7,000~8,000円はかかるとのことで、結構高いんだなと驚いたことを覚えている。


 ただ、まさか左内さんもやっているとは思わなかった。


 左内さんは高卒叩き上げの社員で、どちらかというと体育会系の雰囲気を(まと)う男性だ。

 身だしなみがだらしないことはないが特段おしゃれに気を(つか)う風でもない、いわゆる普通のおじさん社員だった。

 そんな彼がネイルアートとは――そんな新鮮な驚きを胸にトイレを出たところで声をかけられる。


「――右京(うきょう)部長」


 いきなり現れた人影に「わっ」と声を上げてしまう。

 そこに立っていたのは、つい10秒程前に廊下へ飛び出していった左内さんだった。


「恐れ入りますが、緊急で1on1ミーティングをお願いしてもよろしいでしょうか」


 切羽(せっぱ)詰まった表情でそう頼み込まれれば断れるはずがない。

 そして現在に至るというわけだ。



「綺麗ですね。これはプロの方にお願いされたんですか?」


 俺の問いに対して、左内さんが恥ずかしそうに目を伏せた。


「いえ、自分でやりました」

「えっ」


 思わずもう一度指先のキャンバスを見つめる。

 遠目ではあるが、それこそ女性社員たちの(きら)びやかな爪と遜色(そんしょく)ない出来栄(できば)えに思う。

 俺は思わず「器用ですね」と声を()らす。


「僕はあいにく不器用でして……子どもの頃ミニ四駆を好きな色に塗ろうとしたんですが、惨憺(さんたん)たる結果に終わりました」

「ミニ四駆ですか、懐かしいなぁ。実は私、図工は得意だったんです。よく友だちの分も頼まれて塗っていましたよ」

「そうですか、僕も左内さんと友だちだったらよかったなぁ」


 俺の台詞(せりふ)を聞いて、左内さんの表情が緩んだ。

 ようやく心を開いてくれたようだ。


「でも本当に綺麗ですよ。こういう道具はどこで買えるんですか?」

「100均です。塗料はもちろん爪の形を整えたりする道具もすべて100均で揃うんですよ」

「へぇ、100円ショップで。便利ですね」

「まぁ、最初に買う時には緊張しましたけどね。ネイル関連のものだけ買ったらあからさまですから、謎の工具とか使うかもわからない封筒とかも一緒に買って。それこそエロ本を買うみたいな心境ですよ」


 そう言って左内さんが豪快に笑った。

 よかった、普段通りの左内さんだ。

 ――と思ったのも(つか)()、笑い終わったあとで力なく肩を落とす。


「……だからね、最初は酒の勢いもありましたし、一過性のつもりでした。それが、いざやってみたらその――癖になってしまいまして」


 左内さんが自分の左手親指をじっと見つめた。


「普段は絆創膏で隠しているから、別に目に入るわけでもないんです。それでもね、ふと嫌なことがあったり、落ち込むようなことがあった時――この左手親指のことを考えるとなんだか気が楽になるんです。『大丈夫、誰も知らないけど俺にはこの綺麗な爪があるんだ』って」


 そう語る左内さんの顔付きは真剣だ。

 ――なるほど、わかる気がする。


「それは素晴らしいですね。メンタルの安定を保つには、自分の軸になるようなものが必要だと思います。それは仕事でなくたって趣味でも特技でもなんでもいい」

「……右京部長にも、そういうものが?」

「たいしたものではありませんよ。でも、きっと誰にだってあるんじゃないでしょうか。その――自分を守ってくれる小さな秘密というやつが」


 俺の言葉に、左内さんが満面の笑みで(うなず)く。

 そして、彼の左手親指について二人だけの秘密にすることを約束し、マル秘1on1ミーティングは終了した。



 ***



 結局あのあと会議が立て込んで、今日もバタバタと終わってしまった。

 疲れの色が充満する電車に揺られながら、俺は家路をたどる。


 働かない頭でスマホの画面をスワイプすると、無料の広告が流れてきた。

 背中まで伸ばしたピンク色の髪を(おど)らせ、アイドルが歌いながら可愛らしくポーズを決めてみせる。

 そんな映像をながめていると、左内さんの言葉がよみがえった。



『……最初はほんの出来心(できごころ)だったんです』



「――ただいま」


 がらんとした室内から何の反応も返ってこないことを確認する。

 妻は学生時代の友人たちとの食事会で、実家に泊まると言っていた。

 大学生の息子は先月から一人暮らしを始め、次に帰ってくるのは長期休みの頃だろう。


 買ってきた弁当を手早く食べ、シャワーを浴び、日常を脱ぎ捨てたところで――いよいよお待ちかねの瞬間がやってきた。


 自室に入ってディスプレイの電源を入れると、画面上に金髪の美少女が現れる。

 大きな瞳、桜色に染まる頬、あどけない口唇――先程電車の中で観たアイドルと比べても遜色ない。


 ヘッドセットを装着し、鼻歌を口ずさみながらマイクテストを行う。

 音声に乱れがないことを確認してからボイスチェンジャーの電源を入れると、俺の声が可憐な色へと変化を遂げた。


「――よし」


 すべての準備を整えたところで画面上のボタンを押し、俺は大きく息を吸い込む。



「――みんな、こんばんは! キョーコのチャンネルに遊びに来てくれてありがとう。今日も生配信でみんなからのリクエスト曲どんどん歌っていくから、最後まで楽しんでいってね!」



 瞬間、画面上に何行もの文字列が走った。



 ――こんばんは!


 ――キョーコちゃん初めまして、Vtuberのおすすめ動画からきました!


 ――今日も楽しみにしてます!



『それが、いざやってみたらその――癖になってしまいまして』


 左内さんの言葉が脳裡(のうり)によみがえる。


 1曲目のイントロが終わった瞬間、俺は美しい歌声を響かせた。



(了)

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

本作は『爪』というテーマで書いた作品です。

真面目なおじさんがいきなりネイルに目覚めるという設定は決まっていたのですが、なかなかその先の展開が決まらず……しばらく寝かせている内に「もう一人おじさん出せばいいのでは!」とひらめきこうなりました。

今はメンズネイル人口もすこしずつ増えているようです。

私は爪が弱くあまりネイルができないので、いいなぁ素敵だなぁと思います。

以上、あとがきまでお読みくださりありがとうございました。


【追記】

かぐつち・マナぱさんに、素敵なイラストを頂きました!

挿絵(By みてみん)

右京部長も左内係長もなんとイケオジ……!

おじさん好きとしてはとっても光栄です(´ω`*)

イラストも細かいところまで凝っていて素敵!

かぐつちさん、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
今回も未来屋様の美しい文章と、緻密な構成に惹き込まれました。 二人の小さくて大きな秘密を知った後で思ったことは…… 『素敵だな』でした(*^^*) 隠さなくてもいいのに~とも思いますが、秘密にする…
私もちょうど今ネイルアートをテーマにした小説を書いているところでしたので、大変参考になりました! 今の時代を生きるオジサンたちにも、是非この作品を読んでいただきたいですね( ˘ω˘ )
やっと他人の作品読みにくる余裕ができました。 いつもの未来屋さんの作品とは少し毛色が違って、面白かったです。 最初は(な‥‥な‥‥何やったんだ? 盗撮?)とか思ってしまったんですが、ネイルアートとはま…
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