第三話 相手はまさかの
患者さんがよく足を止める場所として、植物が茂る庭がある。その場所を見てみようと歩いていると、微かに話し声が聞こえてきた。
「——……ゃないか?」
「——だ」
「わがまま言うな。いいから、お前は早く治療を受けろ」
「嫌だ。僕に治療なんか必要ない」
会話の内容的に、治療予定の患者さんだろう。わたしは柱の影から庭の様子を窺い、話し主の姿を確認しようとした。
騎士服を着た青年が一人立っていて、彼が見ている先に誰かの影が見える。白いローブを着ていて、フードを深く被っている人物だ。この人が、患者さんだろうか。
「お前の治療を担当してくれる人は、とても綺麗だという噂だぜ。治療を受けた兵士らが、彼女は天使だと言っていたよ」
「どうでもいい……」
「治療は受けろって。殿下からも命じられているだろ?」
「煩い」
「あのさぁ」
どうやら、治療を受けたくない患者さんを騎士様が説得してくれているようだ。わたしも聞いているだけでなく、話をする必要がある。そう思って、一歩前に出ようとした。
しかし、足を踏み出した瞬間。
ぞくっと全身に鳥肌のようなものを感じた。それと同時に、白いローブを着た人と、フードの下で目が合った気がした。
護衛のための結界魔法を紡ごうとしたが間に合わず、背中に強い衝撃があった。柱に抑えつけられているのだろう。腕が上がるかたちで両手首が壁に押し付けられている。
目の前には、フードを深く被った人物が立っていた。鋭い殺気のようなものを感じる。
「……誰だ」
警戒心が滲む低い声だ。声からして男性。彼は器用に片手でわたしの両手を抑えており、もう片方の手がわたしの首に添えられている。いつでもお前を殺せる、ということの表れだろう。
しかし、ここで弱い姿を見せてはいけない。わたしは落ち着いて微笑みを浮かべ、フードの下にあるであろう瞳を見据えるようにじっと見つめた。
「わたしは決して、あなたを傷つけるつもりはありません」
安心させるように、語りかける。首に添えられた手に力が込められた気がするが、ここで恐怖のような感情を見せては彼を刺激してしまうかもしれない。
とにかくじっと彼を見つめていると、慌てた声が彼の後方から聞こえた。
「やめろ、シルヴァード!」
(……シルヴァード?)
とても聞き覚えのある名前だ。まさか、目の前の人物は……。
ある一つの想像をして驚いていると、手が解放された。騎士様が、白いローブの男性をわたしから引きはがしてくれたようだ。
「申し訳ありません。お怪我はありませんか?」
「わたしは大丈夫です」
手首に触れながら騎士様の言葉に頷いて、わたしは騎士様に首根っこを掴まれている白いローブの男性に目を向けた。とりあえず、わたしが何者なのかを告げておいた方が、少しでも警戒心は解けるだろうか。
「わたしはセリフィア・エランディールと申します。治療師をしております」
「ああ、貴女が治療師の方でしたか。……おい、聞いたかシルヴァード。この綺麗な人が、お前の治療を担当してくれるんだってよ」
騎士様は掴んでいる白いローブの男性の体を、雑に揺らしている。わたしは騎士様の顔を見て、問う。
「そちらの方は、まさか……」
「はい、そのまさかです。こいつは、英雄と謳われているシルヴァードです」
騎士様が視線だけを白いローブの男性に向けた。英雄シルヴァード様が、治療の相手。彼であれば確かに、予想していた身分が高くて戦争関連の人だという条件にあてはまるが、まさか彼が……。
「家名がエランディールということは、貴女はリーリア嬢の姉君ですか?」
「ええ、そうです」
事実なので頷く。そのままわたしは、シルヴァード様に再び目を向けた。色々思うことはあるが、まずはゆっくりと話を聞くためにも、場所を移動したい。
「よろしければ、治療室に移動しましょう。ここには、別の方が来る可能性もありますし」
「お気遣い感謝します。……おいシルヴァード。お前の足でしっかり立て」
わたしに穏やかな笑みを見せた騎士様は、シルヴァード様に話すときは随分と雑だ。気軽に話せる関係ということだろうか。シルヴァード様から直接詳しい話を聞けなかったら、騎士様に聞いてみるとよさそうだ。
「シルヴァード……? お前、寝た?」
騎士様にぶらぶらと体を揺らされていたシルヴァード様は、寝ていると言われても違和感がないくらいに体から力を抜いているように見える。これも何かの後遺だろうか、と考えていると、わたしの視界に赤が広がった。
正確にいうならば、視界が紅い瞳でいっぱいになった。顔を、覗き込まれているのだ。
「僕の女神だ……」
フードを脱いだ彼は、絹糸のように滑らかな黒髪と、血の色を思わせるほど鮮やかな紅い瞳を持つ、英雄シルヴァード様で間違いがなかった。