第二十五話 エランディール伯爵
エランディール伯爵家は、通常の貴族一家とは異なると言われている。治療魔法の腕が良く、代々治療師を輩出している。現在の当主は頭脳明晰で数々の功績を上げているが、身分に関しての向上心がない。そんな父親の背中を見ているから、セレフィアは貴族らしくない令嬢になったのだろう。
伯爵は普段、王城の執務室で報告書の制定や承認を行っているらしい。忙しい彼に会うのであれば、あらかじめ話をつけておくのが良いのだろうが、手続きが面倒……だったのではなくグラティウス公爵家との約束だと知れば彼は理由をつけて断るのではないかと思ったのである。
シルヴァードは執務室の前に立って、大きく息を吐いた。そして、口元に笑みを浮かべる。
(第一印象はより良く。まずは伯爵殿の性格を把握して、様子を見ながらセレフィアのことを話そう。警戒心を抱かれないようにしないと)
彼は脳内でどう話を切り出すかを考えながら、扉を三度叩いて開けた。部屋の中では数名の文官らが書類を睨みつけたり文字を書いたりしている。彼らの視線は一瞬だけシルヴァードに向けられ、すぐに仕事に意識が戻——ることはなく、凝視するように彼を二度見した。
シルヴァードはそういった人々を気にすることなく、上座で執務を行っている壮年の男性の前に立った。
「失礼します、エランディール伯爵殿」
にこりと完璧な笑みを浮かべて話しかけると、伯爵はゆっくりと顔を上げた。澄んだ青い瞳が、まっすぐとシルヴァードに向けられる。
(セレフィアと同じ瞳の色だ……)
彼女の美しい瞳は伯爵譲りなのだと実感しながら、微笑み続ける。
「……これは、英雄殿。何の御用でしょうか」
「伯爵殿と、お話ししたいことがあるのです」
「私と?」
伯爵は一瞬だけ眉を動かしたが、ほとんど表情を変えることなくじっとシルヴァードの目を見つめ続けている。心が見透かされそうな気がして、表情が強張らないことを意識した。
「……何かは分かりませんが、いいでしょう。隣の部屋が会議室です。今は誰も使っていないので、そこで話をしましょう」
「ありがとうございます」
伯爵は近くの文官に何やら話をしてから、立ち上がった。シルヴァードも周りの人々に頭を下げてから、伯爵の後に続いた。
「それで、話とは何でしょう? 私の娘が何か不都合でもしましたか?」
「セレフィア嬢は、僕にとてもよくしてくれています。素晴らしい治癒師なのですね」
会議室に入って席に座るやいなや、伯爵は本題を問いかけてきた。無表情なのは執務中と変わらない。無表情すぎて、感情が一切読み取れない。
「英雄殿が私に話があるとは……。予想するに、娘関連なのは間違いないのでしょう。何ですか、惚れでもしましたか?」
伯爵がずばっと切り込んできた。直球に聞かれすぎて、一瞬何を言われたのか分からなかったほどだ。しばらく無言の時間が流れ、シルヴァードは平静を装いながら口を開く。
「……どうしてそう思われたのですか?」
「簡単な話です。患者が治療師に恋愛感情を抱く例は多い。加えて娘はあんな性格ですから、今までも一方的に惚れて求婚する者がいたのですよ」
(……求婚? セレフィアは、求婚されているのか?)
ドロッと黒く淀んだ感情がシルヴァードの胸に広がるが、必死に抑え込む。伯爵は観察するように彼の反応を見ており、下手な反応をしたら伯爵が話を終わらせてしまうのではないかと思った。
「僕は有象無象の者とは違います」
「英雄殿、ですからね。それは当然ですよ」
(調子が狂わされる……)
伯爵は、シルヴァードが精神治療を受けていると知っている数少ない人物である。そのうえで、わざと彼の気に障りそうな言葉を選んでいるのだろう。試されているのだ。