第十三話 「英雄」そのⅠ
ラティウスにこってりと絞られたシルヴァードは、自室に入って雑にソファに腰かけた。
(あいつ、煩い……)
口から生まれたのではないかと思うくらい、ラティウスの口からは言葉が溢れるほど出てきた。最初はちゃんと話を聞こうとしていたシルヴァードも、徐々に聞くのが面倒になって、半分以上、いや九割以上は聞き流していた。
(セレフィアは年頃の令嬢だから、変なことはするなって言ってたか)
微かに覚えている内容として、ラティウスはそんなことを言っていた気がする。エランディール家の長女であるセレフィアには婚約を望む男らが沢山群がっているから、シルヴァードが変な噂を立ててそれを邪魔してはいけない、という感じだったか。
その話を聞いて、シルヴァードはぷちっと何かが切れてしまいそうな気がした。
(セレフィアは、僕のものだ)
彼は飾ってある花の絵を見て、口元に笑みを浮かべた。
シルヴァード・ヴォルテクスは、英雄と謳われている。戦争において、ヴァリアント王国王国を勝利に導いた張本人であるからだ。
しかし、彼は英雄になる前、その強大な力のせいで、「化け物」と言われていた。お前は化け物だ。近寄るな、恐ろしい。心ない言葉を何度も言われ、冷たい目で見られている。そんな幼少期を送ったせいで、彼は全てを包み隠すようになっていった。
今まで彼のことを散々「化け物」だと言っていた奴らが、彼が戦争で大勢の敵兵を殺して回った途端、「英雄」と言うようになった。その変わり身の早さには、心底辟易とする。
彼は何度も大けがを負っている。そのせいか、過去の記憶がかなり曖昧なのだ。断片的な記憶はあるのだが、具体的なことは全く思い出せない。
それでも特に問題はないと思っていたのだが、一つだけ大きな問題があった。
彼の記憶の中に、「女神」がいたのだ。
可愛らしい少女。彼に優しく微笑みかけて、優しく接してくれた少女。金髪で青い瞳の、愛らしい少女。
どんな話をしていたのか。どんな風に出会ったのか。彼女の名前、どこの家の子供なのか。そういうことは、分からない。
「結婚しよう」
と約束した気はするのだが、流石にシルヴァードの勘違いだろうか。彼女を手に入れたいと思いすぎて、記憶を改ざんしている可能性がある。
この少女と出会ったのは、どうやら十年以上前。もしかしたら少女の存在すら、何かの本を読んで創り出した幻想の存在だったのかもしれないと考えてしまうほど、少女との記憶が曖昧になっている。
いつしか彼はこの少女を「女神」と捉えるようになり、彼女の存在を心の拠り所にしていた。
戦場では、女神に似た娘がいた。金髪で、桃色の瞳の聖女。
それでも、彼女を見てもなんとも思わなかった。心は惹かれなかった。彼女は女神ではないと、本能的に分かった。
三年間、気を抜いたら死ぬ環境で過ごしてきたシルヴァードの精神はかなり削られた。殺される前に殺せ。あいつは敵だから殺せ。殺せ、殺せ——。
敵味方の区別がつかなくなり、血を見るために敵を殺そうとした時。彼の心の中の女神が、それを止めた。もしここで我を失えば、二度と彼女に会えなくなるかもしれない。そう思った途端、彼は自我を取り戻した。
戦争が終わって、王国で自分のことが『紅の聖騎士』と呼ばれているという話を聞いて、思わず笑ってしまった。ふざけた名前だ。これよりは、敵兵が言っていた『黒炎の戦鬼』という名のほうが的を射ている。
凱旋の時には、ずっと早く終わらないかということだけを考えていた。「絶対に途中で抜け出すな」と、彼の上司である第一王子から命じられていたので、抜け出すことはできなかった。上辺だけの笑みを浮かべているだけで民衆は満足するので、ずっと笑みを浮かべていた。
戦争から戻っても、彼の日々は特に変わらなかった。周囲には「敵」がたくさんいた。
英雄の名前だけを求める者達がハエのようにすり寄ってくる。あまりに鬱陶しすぎて切り殺しそうになったが、ラティウスになんとか止められた。
「お前、心理治療受けた方がいいよ」
ラティウスがそんなことを言ってきたが、シルヴァードは拒否した。
自分は正常だ。心理治療を受ける必要なんかない。
そう言ったのに、ラティウスは第一王子に手を回して逃げ道を塞ぎ、無理やり治療を受けさせようとした。彼は抵抗し、最後の最後まで治療室に行くことを拒んだ。
しかし、今思えば馬鹿な抵抗だった。それどころか、ラティウスに感謝しなければならないほどだった。
ついに彼は、女神に会うことができたのだから。