静かな攻防
「俺ってさ、今まで彼女いたことないじゃん」
「うん」
「つまり……童貞じゃん」
「うん」
「それがさ、八木さんにばれたんだよね」
「……は?」
隠し事をされているおもしろくなさを抑え、陽向があえて明るいトーンで話すと、真紘は虚を突かれたように目を丸くした。
「やっぱそういう反応になるよね? 俺も、は? って思った」
「それで?」
「えっと、それで……」
陽向は戸惑った。真紘の隠し事を探ろうと決めたはいいものの、具体的にどう会話を運べばいいのだろう。
言葉を詰まらせた陽向を、真紘が怪訝そうにみつめる。
はやく言葉を続けないと、怪しまれてしまう。悩んだ末に、なぜか陽向は相談することを選んでしまっていた。
「な、なんでばれたと思う?」
「そりゃあ、おもちゃ前にして恥ずかしそうにしてたらばれるわな」
「……それ、八木さんに聞いたの?」
「まあな。陽向がかわいく反応してたって」
「あの人は……!」
おかしい。逆に陽向の方が丸裸にされている。時間を巻き戻せるのなら、バイト中の自分に徹頭徹尾ポーカーフェイスを課す。
「で、でもさ、ひどいんだよ。八木さん、俺のことは童貞って疑わないのに、真紘もそうなんだって言ったら、それは疑うんだよ」
「おい」
「あ……ごめん」
そういえば真紘が童貞だと勝手に言いふらしてしまったんだった。
「まぁそれはいいわ」
「いいの!?」
てっきり怒られると思っていた。謎の余裕に拍子抜けする。童貞にとって童貞バレは深刻な問題であるはずなのに。
細かいことを気にしてしまうのが陽向の性分で、あまり深く考えないのが真紘だ。単なる個人差なのだろうか。
「なんでそんな余裕なの……」
じりじりしながら真紘を睨みつける。
「余裕ってか、まぁむやみやたらにするもんでもないだろ」
「そりゃ、そうだけどさ……」
いまいち釈然としない。
「ほらまた」
「んっ!」
無意識に突き出た陽向の唇を、真紘がつまむ。
「ほんと陽向は不満が口にあらわれるよな」
「んー!」
「唸って抗議してもかわいいだけなのでだめでーす」
「っ、んー!」
そういうことを簡単に言わないでほしい!
どくどくと脈を打つ心臓が確実にときめきを伝えてくる。だめなんだから静まれ! そう一生懸命自分に言い聞かせる。
「はは、なんか手負いの動物手懐けてる感」
屈託無く笑い細められた目もとに甘さが滲む。離してほしいのに、離してほしくない矛盾。
「まぁさ、ほんと気をつけろよ」
「ん?」
「八木さん」
真紘の手が離れた。
「どういう意味? べつにたぶん……いい人じゃん、八木さん」
「とにかくなんでもだ」
「ああ、もしかして、真紘も聞いた? 八木さんがその……」
「え? ああ、男が好きだってことか?」
「うん」
「話の流れで聞いた」
「そっか。あ、それで気をつけろってことなの? え、でもだったら偏見じゃん」
咄嗟に、自分の気持ちも否定されてしまうと思い口調が強くなった。
「悪いとは言ってないって。べつに偏見もない。とにかく、気をつけろってこと」
「それだけじゃ納得できない」
「ほんとなんでもないって、もう寝ようぜ」
真紘は勝手に話を切り上げて陽向のベッドに入り込む。その態度に少し苛立った。
「なんでもないなら言うな」
壁をむく真紘の背中に向かって、手近にあったテッシュボックスを投げた。
「真紘へんだよ。いつもそんな誤魔化そうとしたりしない」
真紘はうんともすんとも言わない。背中に打撃を受けてもなにも言わない。寝たふりとか、そんなこともいつもならしない。
なんでなんでと答えない背中に問いかけていると、じわりと涙が浮かんできた。十九も近くなって、相手から返事がないくらいで泣きたくない。
床に座り込んだままでいると、真紘が「寝よ」と小さくくぐもった声で言った。
なんでなんでと思いながら、目元を雑にぬぐって陽向もベッドに入る。
陽向と真紘が一つのベッドで一緒に寝るのは子供の頃からの習慣だ。お互いに成長して身体が大きくなって、シングルサイズのベッドが狭くて仕方がなくなっても変わらずに。喧嘩していたって変わらずに。
でも、さすがにもう潮時だろうか。
「……もうちょっと寄ってよ」
壁際へ寄るようにと膝で真紘を押す。
「無理」
「これ俺のベッド。真紘の方が広く使いすぎなのはおかしい」
「俺のが身長高い」
「五センチだけじゃん」
「五センチの差は大きいんです。がたいも俺のがいい。陽向はちょっと華奢すぎる」
「ネイリストとしては受けがいいかもね。見た目の威圧感ないから」
相手の出方を伺うようにさほど必要のない会話をつらつらと続けながら、謝るタイミングを見計らっている。たぶん、お互いに。
「……ごめん」
真紘が先だった。いつものことだ。
お互いに謝ろうとしていることもわかるし、どちらが先に折れるのかもわかる。もうずっと、お互いの思っていることが手に取るようにわかるほど一緒に育ってきた。
だからこそ、真紘が隠している『なにか』が分からなくて不安になる。その他大勢からすれば、人ぞれぞれ隠したいことがあるのは当然のことだし、考えがわからないなんてことも当然だ、なんて言うんだろう。
陽向だってそれはわかっている。けれど、誰になんと言われようと、陽向たちはずっとなんでも言い合って生きてきたのだ。
専門を出たらお互いの進路は別れる。こういうすれ違いも増える。お互いがなにを考えているのかわからないということも増える。
今のままではいられない。少しずつ手放して、そうして大人になる。
わかってる。
大丈夫。
どの過程にも真紘はいる。
「俺もごめん」
気持ちが落ち着いてきたら、急激に眠気が襲ってきた。バイトで疲れていたからか、これ以上考えたくないがゆえの防衛本能か。
眠りにつく前に、真紘に訊いてみたいことがあった。眠くて覚えてない、とギリギリの言い訳が立つこのタイミングで。
「真紘はさ、どんな子が好き?」
「……初めてだな、陽向がそんなこと訊くの」
「そうかな」
真紘の声も眠たそうだ。
好きな人の好きなタイプ。
あえて自分から積極的に訊きたい内容ではなかった。そこに自分も入る余地があるのなら別だけれど。
それでもやっぱり、いつも気になっていた。だから、睡魔に乗じて訊いてみる。これが大人なら、酒に乗じて、となるのだろうか。アルコールを舐めたことすらない陽向には未知の領域だ。これから少しずつその境域に足を踏み入れていくのだと思うとこわい。
「ねえ」
微睡みながら催促した。
もそもそと身じろぐ音がしたあと、微睡みの中でもすっと意識に落ちてくる声音で真紘は言った。
「……かわいくて仕方ないって思って、好きだなって思った子」
聞かなきゃよかった。微睡んでいても、はっきりそう思った。
「……そっか」
たった一言返すのが遅れたのは、もうほとんど眠りの淵に立たされているからだと勘違いしてほしい。
「明日……なにすんの」
「んー……ワインディングの練習」
ああ、あの細長いプラスティックの棒に髪をくるくる巻きつけるやつね、という言葉は果たしてちゃんと音になっただろうか。
睡魔に最後の手綱を渡すほんの一瞬、真紘がなにかを言った気がするけれど、真紘の声をもってしても、わからなかった。