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見つめる心(2)

「……真紘(まひろ)とも、こんなふうに和解できたらいいのに」

「え?」


 小さなぼやきが、バスルームで作業する八木(やぎ)の耳に届いたらしい。


「あ……いえ。その、真紘とまだ仲直りというか、今までどおりとはいってなくて」


 洗面台の鏡越しに八木を見る。

 八木はほんの少しだけ作業の手を止めて考えるそぶりをみせ、また手を動かした。


「もうあんまり入野(いりの)くんたちの仲をどうこうしたくないけど、いっこだけいい?」

「え? はい」

「これまでどおりっていうのは、もう無理なんじゃないかな」


 なんてことないように、軽い口調で八木は言った。


「少なくとも柳木(やなぎ)くんは君に告白をして踏み出した。これまでの日常に、ある一点の色を足せば、もう同じ景色には戻らない。流れに身を任せるでも、区切りをつけるでもいい。でも、どちらにしても決めないと後でしんどくなるよ」


 それはどこか遠くをみつめるような響きだった。


 区切りとは、どの程度区切ることを言っているのだろう。ただ告白を断ることなのか、関係そのものなのか。区切らなくても、区切っても、戻れないのは同じ……。


「実は俺も、旅行よりも前——あの日の夜に気持ちは伝えたんです。でもそれはいろいろあって本当に自分の気持ちを終わらせようって決めて。それこそもう区切りをつけようって」


 八木のおかげで抱いた勇気は、想像よりもずっと苦しいかたちで出力してしまった。


「そうしたら、旅行の日に柳木くんに告白された?」

 陽向はこくりと頷き、遅れて「はい」と返事した。


「全然区切れてないわけか」

 真紘から告白されたとわざわざ伝えた意味を、八木は正確に察したようだった。


「……あいまいにしたまま今日まできてしまって」

「その理由を聞いてもいい? 入野くんが本気で区切りたいなら、柳木くんの告白を断ればいいだけだよ。どうしてそれができないのかな?」

「それは……」


 答えあぐねる。


「じゃあ断れないのはいったん置いといて、柳木くんの気持ちを受け入れられないのは、なんで? やっぱり柳木くんが黙って他の人と遊んでたってのが心のフックになってる?」

「たしかに、そのことはショックでしたけど……でも、今となってはそれも仕方なかったって思うので。べつに真紘は俺を傷つけたかったわけじゃない。それはもうわかってます」


 なのに陽向は、真紘からの気持ちをあの場で受け入れることができなかった。想いを返してもらえたら幸せに違いないと思っていたことが、目の前に差し出された瞬間だったのに。


「とすればやっぱり、柳木くんと話すしかないねえ。流れに身を任せるでもいいとは言ったけど、入野くんもそうすべきって本当は思ってるんじゃないかな」


 八木はどこまでもわかっているみたいだ。いや、たぶんこの人は、もう逃げないことを決めている人なのかもしれない。


 続けて八木は言う。

「その上で、べつに和解しても和解しなくてもいいし、もっと言うなら和解できなくてもいい」

「できなくても……」

「和解が無理なら、区切りもつけやすくなるかもしれないしね。でもね、もし和解したいが一番の気持ちとして強いなら、そこに答えがあるような気がするよ。たぶん、入野くんはもうわかってる」


 そう言っていたずらっぽく微笑むと、八木はリネンを抱えて部屋を出ていった。


 陽向は洗面台の鏡にうつる自分の姿をみた。鏡の中の自分が陽向の心だったとしたら、きっと答えを知っている。





 バイトが終わってタイムカードを切ったあと、陽向は下駄箱にいた真紘に声をかけた。


「真紘。一緒に帰ろ」

「あ、あぁ」


 二人は夜の繁華街を抜けて、駅に向かう。発車間際の電車に滑り込み、ドア付近で人の圧に息を詰める。電車がカーブで揺れる度、顔が少し近づいた。けれどお互いが前で背負っているリュックが、二人を隔てている。


 自宅が近くなるにつれ、車内は人がまばらになった。二人でシートに横並びに座る。空いているから、わざわざぴったりと身を寄せる必要はない。

 くろい車窓をぼんやり眺めながら、それでも陽向は自分の横に座る幼なじみに意識が引き寄せられていることを感じていた。


 下駄箱で声をかけたとき、真紘はかなり驚いていた。陽向から声がかかるなんて想像もしていなかったみたいに。そうさせているのは陽向だ。


「……た、陽向? 着いたぞ」


 思考に割り入ってきた声で、とっさに電車の中から反対ホームの駅名標を見る。自宅最寄りの駅に着いていた。発車ベルが鳴り、二人で急いで降りた。


 湿り気を帯びる、零時を回った夜道をとぼとぼと自宅まで歩く。

 陽向はまだ、なにも話せていない。


 視界の端に真紘がいる。不思議と居心地の悪さや気まずさは感じなかった。一緒に帰ろうと誘っておきながら一言もしゃべらない陽向を横にして、真紘はどう感じているだろう?


 なんとはなしに夜空に目をやった。星という概念を忘れそうになるくらい空は黒い。子どもの頃はもっと星が綺麗に見えていた気がするのに。


 この道を真紘と歩くのは久しぶりだな。


 陽向は足元に視線を下げた。

 歩道にある側溝の溝蓋の端が、劣化で少し欠けていた。そういえば、昔ここに足を引っかけて転んだことがあったと思い出す。


 べしゃん、と前に倒れて、陽向より少し前を歩いていた真紘が振り返って起こしてくれるまで、陽向は動けなかった。

 起き上がり膝を擦りむいていることに気づいて初めて、痛みにうめいた。


 ぐずり始めた陽向を、真紘は背中におぶって家まで歩いてくれた。当然今より体ができていない頃のことだから、随分とよろよろしながら。


 膝を擦りむいた痛みでぐずっていた陽向は、真紘がどれだけ頑張って自宅まで歩いてくれたのかわからなかった。母が真紘に「疲れたでしょう? ありがとうねぇ」と声をかけているのを聞いて、俺のために頑張ってくれたんだと気づいた。真紘はなんて優しいんだろうと思って、嬉しさからその背中に抱き着いた。


 過去に気をとられているうちに、家の前まで辿り着いていた。

 陽向は真紘を振り返った。少しだけ、緊張した。


「……ちょっと寄ってく?」


 カラカラと引き戸があいた。


「あらあら。やっと帰ってきたのねぇ。二人ともおかえり」

 陽向たちの帰宅に気づいたのか、声を弾ませた母が出迎えた。


 その理由がわからないほど、もう子供でもない。


「真紘、うち寄ってくから」


 驚きで固まっている真紘をちらりと見て拗ねるように言うと、母は「あらまぁ」といっそう嬉しそうにした。



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