見つめる心(1)
——好きだ。俺は、陽向が好きだよ。
あの夜に終わらせた恋の片割れが、そこにある。
なにか、言葉を紡がなくては。喉の粘膜が張り付いたり剝がれたりを繰り返す。ようやく声にできたと思えば、それは呆れるくらい素直な確認だった。
「……真紘が、俺のこと……好き?」
「ああ。いつからとか、そんなんわかんねぇ。でも初めて女を抱いたときにはもう好きだったんだと思う。ずっとこれが陽向ならって。何回も何回も陽向を重ねてた」
あの夜の真紘も、苦しそうに言っていた。ぼろぼろに傷ついて、ぐしゃぐしゃに顔を歪めて、涙は見えないのに泣きじゃくったみたいな顔で、助けを乞うみたいに思いを吐き出していた。
「陽向を傷つけといて言うことじゃねぇのはわかってる。本当にごめん。でも、陽向のことが誰よりも大事で好きだって気持ちは、嘘じゃねぇよ」
あの夜を葛藤しながら、真紘は真摯な想いをまっすぐに陽向にぶつける。
「もう俺のこと……ちょっとも好きじゃねぇか?」
——っ。
きっと、陽向の本心は叫ぶ言葉をわかっていた。
けれど実際は、信じがたい気持ちを前に恐れをなしたように頭を左右に振っただけだった。一歩後ずさった陽向を見て、真紘は表情に影を落とした。
胸がえぐれるように痛い。最近はこんな感覚を覚えることの連続だ。陽向は、そう思った。
◇
夏休みも終わりがみえてきた。
毎年恒例の入野家と柳木家揃っての家族旅行から、一週間と少しが経った。
つまり、真紘に告白されてから同じくらいの時間が流れたことになる。
旅行の際、お互いの家族による強引な計らいで、陽向と真紘は久しぶりに話した。“仲直り”をお膳立てされ、これまでどおりの二人に戻るよう期待されたけれど、残念ながら元通りとはなかなかいかない。
陽向はまだ、真紘を避けている。
とはいえ、以前とはちがって顔を合わせれば、ぎこちなくだが挨拶を交わす程度のことはするようになった。
真紘の告白から逃げ、抜け道を見つけては迂回し、問題を先送りにしているような有様なのが、今の陽向だった。
「入野くん、おはよう。ちょっと久しぶりだね」
これ帰省のお土産、と八木から地元の銘菓らしきものを手渡される。
「柳木くんにはさっき渡したから、これは入野くんの分。よかったら食べて」
「あ……。ありがとうございます」
八木と顔を合わすのは二週間ぶりくらいだった。
陽向と真紘が家族旅行で休みを取ったあと、八木は入れ替わるように一週間ほど休みをとっていた。
実のところ、八木ともあの日から少しギクシャクしている。
八木はあれからずっと申し訳なさそうにしているし、陽向は陽向であの日のことを持ち出されるのが嫌で避けてしまっている。
真摯に語る一面もあれば、羽のように軽い一面もある人だ。真紘も真紘で思うところがあるのか、あの日以降八木と一緒にいるところはあまり見ない。
「あのさ、柳木くんとは……」
陽向は反射で八木の顔を見た。
「や、その……。ごめん」
しまった。あからさまに嫌悪感が表情に出てしまったかもしれない。
「ほら、前に入野くんたち旅行いくって言ってたでしょう? だからというか、なんというか……タイミングがタイミングだし、大丈夫だったかなというか。普段の生活で顔を合わさないはできても、旅行先となると難しかったんじゃないかな……みたいな」
八木には近々家族旅行がある、と話していたんだったと思い出す。あからさまに仲がこじれた二人を目にしたら、気になるのもしかたない。陽向自身がいくら話題を避けたくても、相手の気持ちが強ければいつかは話題と向き合うときが来てしまう。
それでも陽向はどう答えようか迷って、結局苦笑するにとどめた。
「そっか」
八木に少しの落胆がにじむ。もしかしたら責任を感じているのかもしれない。
陽向は申し訳なく思った。あの日喫煙所から聞こえてきた八木と真紘の会話は、結局のところ陽向と真紘の話だ。たとえ八木が真紘に発破をかけたからだと認識していたとしても、それはそれ、これはこれ、だ。
余計な肩の荷は下ろしてもらいたいけれど、あの日のことにあまり触れたくない陽向は、どう会話の糸口をみつけたらいいのか悩んだ。
旅行中、ホテルであったこと話してみようかな……。
ふと、そんなことが頭に浮かんだ。
でもそれは、八木の罪悪感につけ込むことになるだろうか。
しばらく考え、陽向は意を決して八木を見た。
「八木さん、あとで部屋に上がったら、話したいことがあります」
他に聞かれたくない話は、客室清掃に入ってからする方が賢明だ。
八木は、なにを言われるのかと構えたような固い表情でうなづいた。
「それで入野くん。話っていうのは——」
〈清掃待ち〉の部屋に入るやいなや、作業のため手を動かすよりも先に、八木は切り出した。表情が張り詰めている。
陽向は言葉に詰まった。躊躇いや気恥ずかしさ、後ろめたさみたいなものが胃のあたりにきゅっと収縮している。緊張に似た不快に急きたてられて、考えがまとまらないうちに陽向は口を開いた。
真紘のことなんですけど。
そう前置きすると、八木の表情から少しこわばりが抜けた。
「えっとその……旅行で真紘に告白……をされました」
「…………えっ」
たっぷり三拍は数えてから、八木の驚きが廊下まで響いた。
「ちょっ、声が大きいです!」
従業員が集まる待機所よりはマシという理由で客室にしたけれど、ドアを半開きにして清掃している以上、この声量で会話が続いてしまうのはさすがに困る。
「えっ! あ、ごめん。だってそんな……いやそっか。柳木くんが……」
八木は慌てて声を抑える。けれど声音や表情は高揚を隠しきれていない。
「八木さんは知ってましたか。その、真紘が俺を好き……だって」
「いやいや知らない。彼女つくんないで遊び歩いてたのは知ってたんだけど」
八木は眉を下げる。
「入野くんはそのこと知らなそうだし、柳木くんは隠したがってた。それを俺は面白がってあんなことに……。あの、このタイミングじゃないのはわかってるんだけど、本当にごめん。謝ったら負担になるっていうのもわかってる。でも、謝らせて」
「いえ、そのこと自体は八木さんは悪くないので。それは真紘だってそうだと思います。あの日は、たんなるきっかけにすぎなかったというか。完全に俺と真紘の話というか。いつかはああいう日が来ていたんだって、今は思うので」
嫌な記憶だし、避けて通れるなら通りたかったけれど、通ったから見えた真紘の気持ちや葛藤があったのはたしかだ。
「入野くんがそういうなら……。だけど、」
「八木さんが気にしてしまう人なのはもう知ってますよ。ほんとに、気に病まないでほしくて」
陽向は意識して微笑みかけた。八木は居心地悪そうに視線を下げて、複雑そうにする。すんなりと納得できないのかもしれない。
「むしろ謝らなきゃいけないのは俺の方です。あの日から今日まで、避けるような態度をとっててすみませんでした。どうしても、あの日のその後のことを聞かれるんじゃないかと思って構えてしまって」
八木ならきっと声をかけてくるんじゃないかと思った。驚くような一面があっても、親身に陽向の話を聞いてくれた八木も知っているから。
「それこそ気にしないで。柳木くんも同じような感じだったし、俺が種をまいちゃったようなもんだから。二人の問題って、君たちが考えるのもわかるしね」
「じゃあお互い、もうこれで謝りっこなしってことにしませんか?」
陽向が提案すると、諦めたように八木はうなづいた。
「わかった。ありがとう」
これ以上の謝り合いは意味がない。陽向も八木も肩の荷がおりたように苦笑し、それが合図のように清掃をはじめた。
「……真紘とも、こんなふうに和解できたらいいのに」




