告白(2)
なにが起こったのかわからない。衝撃から目を開けると同時に、真紘がベッドに投げ出された陽向の上にのしかかってきた。
抵抗して身体を起こそうとするも、両腕をベッドに縫いつけられる。
「っ……な、にすんのっ!」
真紘の下でじたばたともがく。けれどビクともしない。
縫い付ける腕の力が増す。
「言えなかったんだよ! どうしても!」
突然、真紘は吠えるような大声を出した。
「だって言えるか? てきとうな女抱きながら……頭にはお前の顔がちらつくんだぞ!」
「…………は?」
かぶりを振りながら叫ばれた内容に、思考がひととき止まった。
苦しそうに顔を歪め息を荒げる真紘を、陽向は愕然と見た。逃げられないくらいの迫力にのまれて声がでない。
なんでもいいから、なにか言わないと。
――喰われる。
焦燥感が突き上げてくる。必死に頭を回転させた。
「は、……ああ……なるほどね。俺に嘘つくのが心苦しくて、そんなときでも思い出すわけだ」
「そうじゃねえよ!」
語尾がかき消されるほどに怒鳴られる。ベッドに縫いとめられている両腕がぎりぎりと圧迫されて骨が軋みそうだった。
「……そうじゃないっ……違う、違うんだよ……。お前なら……どんな顔すんだろうって。お前が目の前の女に被って見えて……残像消したくてまた違う女抱くけど、そしたらまたお前が重なるんだよ」
「……どういう、こと」
「っ、知らねえよ! そんなの俺が訊きたい!」
真紘は顔をぐしゃぐしゃにさせ、今にも泣き出しそうだった。
血が暴走しているみたいだ。自分の鼓動がうるさい。
覆いかぶさられ密着する下腹部に感じる違和感。
「……っ、真紘」
まるで絶望を前にしたような顔で、なにかに抗うように、違う、違うと首を横に振る。それでも真紘は下半身を擦り付けてきた。一回、二回、三回と。
「ちょ、ま、真紘っ……」
「陽向……」
ぼろぼろに傷ついて、ぐしゃぐしゃに顔を歪め、涙は見えないのに泣きじゃくったみたいな顔で、助けを乞うみたいに陽向を見てくる。
一度も見たことがない真紘の顔。
「陽向、俺おかしいよ、ずっとずっと、お前の……お前が俺の下でよがるとこばっか想像してんだよ……陽向……」
違う、違うと喘ぐ一方で、どんどん存在を増す熱。
真紘が、陽向に劣情を抱いている。
熱を帯びた息が顔にかかった。耳元で飢えに苦しむような荒い息が続き、よりいっそう真紘が近くなったとき、陽向の首筋を舌が這った。
「っ!」
「陽向……」
嫌だ、これはこわい。
耳から首筋を真紘の鼻先がくすぐり、熱い舌が何度も首筋を上下に往復し、時折唇で吸い付かれる。
「やめっ……」
真紘はさらに行動をエスカレートさせた。混乱の只中にいて身動きが取れない陽向のボトムの中に手を侵入させ、下着の上から無遠慮に陽向を弄る。乱暴な手は次第に後ろにまわり、思い切り尻を鷲掴まれた。
心身に明確な不快感が広がる。組み敷かれるだけだった体に、怒りがともり、陽向は真紘を突き飛ばした。
「なんで!」
なんで、こんなことするの。
ただひたすらに真紘がこわかった。十八年の中で今日の真紘が一番こわかった。そして、悲しかった。
涙がせり上がってくる。
「真紘は……」
俺のことが好き?
口にできない問いだった。
だって、こんなのは好きな人とするものじゃない。
それくらいはわかる。好きな相手に見せる労わりが欠片も存在しなかった。優しい真紘のことだから、本当に好きな人には優しく丁寧に扱うはずだ。
でも、俺の思い違いだった?
幼なじみの関係を壊したくないと葛藤していた陽向とは違って、真紘は力ずくで壊せる。
幼なじみに犯されかけた。性欲のはけ口にされかけた。欲を発散させたいだけなら自分でもいいじゃないかと、たしかにそう思っていた。けれど、こんなのは違う。
「……最低だよ」
ベッドの上で尻餅をついている真紘は唖然と陽向を見ていた。
「陽向……」
つーと真紘の頬に涙がつたった。物心ついてから真紘の涙を見たのはこれが初めてだった。男なんかで発散しようとしたことを後悔しているんだ、と思った。それだけだと、思いたかった。
心の奥深く、触れないところが痛くてたまらない。
なにも言葉にならず、ただお互いを見つめる。なんでと問いただしたい陽向と、後悔のようなものを滲ませた真紘。
「……お前を汚したくなかった」
真紘から懺悔と後悔にまみれた呻き声が洩れた。それに押し潰されたのは、陽向の心だった。
「……真紘ってさ、男もいけるの? 誰にでも手出してさ」
「違う! 俺はお前が……! お前だけは……嫌だったんだよ……傷つける、嫌われる、だから俺はっ」
喉が焼き切れそうに痛い。声を出して泣きたいのに、我慢しているからだ。
「……ねえ、昔真紘が俺に金平糖くれたときのこと覚えてる?」
震える声で、これだけはと必死に音にする。
「五歳くらいのとき、なかなか泣き止まない俺に真紘は家から手づかみで金平糖を持ってきて俺にくれたんだ。これ、こんぺいとうって言うんだよって。俺さ、あれがすごい嬉しかった」
表情から、真紘は覚えていないことが察せられた。子供の頃のことだから、覚えていなくても不思議はない。陽向が特別な宝物として持っていただけだ。
陽向の知らない真紘がいたように、思い出も、その中のなにが特別かも、それぞれ違い、全部を共有はできない。
「あのときもらった金平糖、甘くてやさしい味がしてさ。ずっと大切な思い出なんだ。あのやさしい味も、俺を慰めようとしてくれた真紘のことも」
まんまるに目を見開く真紘を見たら、なぜか小さく笑っていた。
「……俺ね、あのときからずっと真紘のことが好きだったよ」
こんなかたちで言いたかったわけではなかった。けれどもう、全部言って終わりにしようと思った。
真紘にとっては成長とともに薄れていった記憶の一つでも、陽向には色鮮やかなまま残っている。
もう、これだけあればいい。
涙が瞳に膜を張ると、時々ピントがバチっと合ってどこまでも見通せそうなくらい視界がクリアになることがある。だからしっかりと、真紘の表情が見えてしまった。
今日、初恋が終わる。
「安心してよ。もう今日で終わりにするから。真紘はただの幼なじみ。真紘的にはなにも変わらないよ」
二年間がどうとか、全然関係なかった。なんで今日このルートに進んでしまったんだろう。人生って、本当になにが起こるかわからないんだ。
過去の自分の行動が一つでも違ったら、八木と真紘の会話も聞かず、今も真紘に恋する自分でいられたのだろうか。
過去は不可侵の領域。たらればは意味がない。わかってる。
「もともとね、専門の二年間で真紘のことはきっぱり諦めようって思ってたから。なんか驚かせてたらごめんね」
痛い。
もう、全部痛い。
弱々しく呼ばれる自分の名前を、陽向は静かな廊下で聞いた。
自宅に戻ると母は陽向の顔を見て「あらら、仲直りは明日に持ち越しかなぁ?」と言ってふんわりと笑った。
泣き腫らした息子を見てもなにも詮索せず、風呂を温めなおしてくれた。
湯船に浸かり、痛みをやり過ごすように陽向は膝を抱えた。




