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濾過

 八木(やぎ)の元恋人は、すでに亡くなっている。


「やけに最近夢見が悪いなーって思ってた時期があって。ストレスかなって思ってたんだけど、彼が死んでから、ああなんかの予兆みたいなもんだったのかなって思った」


 八木の元恋人は、不慮の事故で亡くなった。


「彼にはね、実は奥さんがいたんだよ」


 知り合った頃はもちろんそんなこととは知らなかった。


「でもね、事実を知った頃にはもう戻れないくらい好きになってた。この先は通行止め。行き場がない。お先真っ暗。わかってても、止められなかった」


 何度も、もっと早く出会いたかったと思った。けれど、このタイミングでしか出会えなかったというケースもある。

 人と人との縁は、一つ掛け違えただけで一生出会わないルートへ入ることもある。そういうものだ。


「奥さんとの関係がうまくいってなかったあの人を、たまたま行った夜の繁華街でたまたま見かけた俺が声をかけた。すごいタイプだったんだよね。あの人的にはなんでもいいから気を紛らわせたかったんだと思う」


 同性にベッドに誘われる。戸惑う状況すらも現実を忘れるためにはちょうどよく作用した。


 ベッドに雪崩れ込んだその日から、二人は度々合うようになった。

 季節の移ろいとともにゆっくりと、しかし確実に関係が変わりだす。


「べつに相手は俺じゃなくてもよかったかもしれない。でも声をかけたのは俺だし、俺を受け入れたのはあの人だ」


 別々のレール上で生きていた二人が、八木が声をかけ、相手が受け入れたから二人の人生は繋がった。


 元恋人が朝、出かけに奥さんと言い争ったから。夜、八木が繁華街に出かけたから。あるいはもっと小さな、いつもと違う些細な動作が二人を出会わせ結びつけた。

 陽向(ひなた)真紘(まひろ)も、生まれる前に両親がたまたまを経て出会ったからこそ、この世に生を受け、たまたまを経て今の関係へと繋がっている。


「昨日まで側にいた相手を、明日には失っているかもしれないなんて、今日を生きてるときには気づかなかった」


 いなくなって初めて、今日を意識する。

 立ち止まるきっかけがないと、今日が特別だったことに気づかない。あっという間にその人にとっての普通の風景として流れていく。


「あの人が死んで、家族でもない俺がなんで死んだってわかったと思う?」


 わからず、陽向は静かに首を横に振った。


「俺ね、事故現場にいたんだ。あの人は、奥さんと一緒にあの世に行った」


 八木からは苦しみも悲しみも感じられない。ただ静かに語る。それが返って陽向の胸を締めつけた。


「どうしたら二人は助かったんだろうって考えた。そしたら、あの人は俺と出会わなかったら死ななかったかもなって思った」

「……八木さんの、せいじゃないです」


 陽向は言葉に迷った。どう言っても、その場しのぎの言葉になってしまうから。


 そもそも、元恋人と奥さんが、事故が起きた道を選択しなければ回避出来たこと。もっと遡って車に乗らなければよかった。

 夫婦の一連の行動に八木は関係ない。けれど遡って遡って、あのときこうしていれば、こうしていなければと行き着いたのが、八木と元恋人の始まりの日なのだろう。


 たまたまある人物の人生に関与した時点で、否応無しにその人物の人生に組み込まれている。なにか大きな変化には繋がらなかったとしても。


「幼なじみいいなー。過去って不可侵の領域なわけ。小さい頃から積み上げてきた入野(いりの)くんと柳木(やなぎ)くんの間には誰にも動かせない過去がある。俺とあの人の過去もそうだけど、その過去はもう増えていかない。でも二人は違うでしょ?」


 優しく、八木は問いかけてくれた。頑なな陽向に語りかけるように。

 陽向は鼻の奥が痛み、きゅっと眉を寄せた。


「入野くんが後悔しないならいい。でも、後悔しないかどうかは、そのときに初めてわかるってことだけは覚えておいてほしいかな」


 フランクで直球な一面とは違い、一歩引いたところで、こういうこともあるよと強制ではなく教えてくれる。


「本当ただの老婆心だよ。だから最終的にどうするかは入野くんが決めたらいい。まぁ俺的には、伝えてみてダメだったとしても、そこで二人がダメになるとは思わないっていうか、死んじゃってもう会えないよりダメなことってなんだろうな、みたいなね」


 死んじゃってもう会えないよりダメなこと――。

 反芻して、そんなのない、と思った。


 仮に気持ちを伝えて真紘との関係が壊れたとしても、死んでもう二度と真紘と会えないよりダメな結果なんてないと思った。

 顔も見たくないほど嫌悪されたとしても、真紘が離れていったとしても、陽向にとって真紘が特別で大事な幼なじみであることに変わりはない。

 きっと申し訳なさとともに、どこかで生きていてくれたらそれでいいと思うはずだ。

 もし真紘に打ち明けてダメでも、生きてさえいれば先に道はある。そこで行き止まりではない。


 けれど不安になりがちで慎重な陽向は、踏み出すのにまだ躊躇した。


「たらればなんて未来の自分にしかわかんないよ。今の俺たちがわかるわけない。だから、そんなこと悩んでためらうより、今どうしたいか。それでいいんじゃないかな」

「八木さんは後悔したのに、なんでそうやって前向きに考えられるんですか」

「戻れないから」


 真剣味を帯びた言葉が、すっと陽向の胸へ突き刺さる。


「言ったでしょ、たらればは今の俺たちにはわからないって。事故のあとの後悔は直前までの俺にはわからなかった。避けようがなかった。俺も、あの人も、奥さんも」


 いくら後悔しても、過去には戻れない。過去は不可侵の領域だから。


「後悔なんて死ぬまでするよ。ひとつひとつに構えてたら頭パンクする。俺はパンクしたね」


 パーンとね、と勢いよく腕を広げた。


「恋なんて当たって砕けろの勢いだよ。振られても大丈夫、次がある。なんならこの八木さんが慰めてあげるから安心しなさーい」


 八木はオーバーなくらい豪快に笑った。


「次が、ある……」

「そう」

「……そっか。じゃあ、振られたらよろしくお願いします。

「任せなさい」


 八木は胸をポンと叩いた。


 もう、盛大に砕け散ってやる。振られたくらいで死にはしない。あとで後悔するならやってから後悔。よく言うじゃないか。それに真紘にもよく言われる。自己完結するなって。


「ありがとうございます」

「だからー、ただの老婆心ですって。よし、急いで部屋仕上げよ。さすがに怒られる。最近入野くんと組むと遅いよねって言われるんだよね」


「だから早くしないとって言ってるのに!」



 だから、少しだけ、勇気を出す。




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