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告白

 二週間が経った。

 冬の気配が確実に近づいてきている。また父のSNSの投稿では、谷口ゆりえの姿はもちろん、先日のスタジオで出会った田川さん、出口さんのほか、千葉くんも加わるようになった。

 特に父と千葉くんの 三人で笑顔で食卓を囲む様子は、仲間以上の「家族」にも似た雰囲気がある。


「アシスタントの子も一緒だと、まるで本当の家族みたいね」

 母はリビングでスマートフォンを見つめ、そう嘆いた。母の笑顔は日々を追うごとにどんどん失われる。気丈に振る舞っていた母だったが、病院に行くことをすすめた。

 診断された病名は「うつ病」。

 よく家に花を飾るひとだったが、白いゼラニウムの鉢植えを最後にそんなこともしなくなってしまった。

 一方、父も私も、迫り来る年末進行の波に飲まれ、日々の忙しさに埋もれていった。

 世界の情勢もまた、どこかで反映されるかのように不穏さを増し続けていた。

 衆議院の解散、大統領選挙、そして遠い国で続く争い、報道関係者が犠牲になるという痛ましい報せ。密かな緊迫感を抱えながら、我々は日々の生活をやり過ごしていた。

 そしてついにある日、私は以前にもらった千葉くんの名刺とスマートフォンを手に取った。

 迷う気持ちを押しのけ、思い切って彼に電話をかけることにした。

「もしもし。千葉浩一さんでいらっしゃいますか? いつもお世話になっております、河原の娘の美咲と申します」

 少し緊張を孕んだ声が電話越しに漏れてしまった。

「こちらこそ、その節はどうも。どうかしましたか?」

 穏やかな声が返ってきた。

「いえ、すみません。お忙しいところ恐縮ですが、少しお時間をいただけないでしょうか。相談したいことがありまして…」

「そうですか…。うーん、バタバタしていて何とも言えないんですが、昼食を一緒に取るくらいの時間ならありますよ」そう言うと、彼は父のスタジオの近くにある有名なスパイスカレー屋の名を挙げた。そこはスリランカ風の、香り豊かなカレーを出す店として知られていた。


 指定された待ち合わせ場所、「キャナリー」に向かうと、千葉くんが既にテーブルについていた。

「僕、カレー好きなんですよ。毎日でもいいくらいなんです」と言って、十段階あるうちの六辛を注文した。

「わかります。特にスパイシーなカレーって、デトックス効果があるって聞きますし。元気が出ない時に助けられてます」

 私も同意を示しながら、家の近所にある行きつけのカレー屋の話をした。

「あそこもたまに行くなぁ。僕はバターチキンカレーにナンをつけるのが好きで」と嬉々として語る。

「ナンもお好きなんですね。私はだいたい米派なんですけど」思わず笑い返したその瞬間、何かがほぐれるような感覚があった。ふと、松本先生と訪れたカレー屋を思い出した。年末の忙しさに伴って、先生とも疎遠になりつつある。

「僕、ビール、飲んでもいいですか?」と、千葉くんが尋ねる。

「実は本来届くはずの撮影用の荷物が遅れてて、今はただ待ってる状態なんです。剛さんもしょうがないからデザイナーさんと昼飲みに出ました」

 その瞬間、私は思わず聞いてしまった。

 「えっ!デザイナーさんって、もしかして谷口ゆりえさんですか?」彼が手にしていたライオンのラベルのビール缶が、一瞬ピタリと動きを止めた。

「ああ、そう。…彼女がカタログのデザイン担当なんだ」

「そうなんですね、で、千葉さん…」

 すると急に千葉くんはクスクスと笑い始めた。

「何もそんなにかしこまらなくても。よかったらチバと呼び捨てにしてください。高校の頃からそう呼ばれてるんで。…そうだな、敬語もやめにしたいところだね。同い年なんだし」

「じゃあ、チバ…」その響きに彼も少し嬉しそうに頷く。

「いいね。いいね。いやあ、昼からのビールは美味しい」

 そう言うとチバはゴクゴクと水を飲むかのようにビールを飲み干した。

「…お酒が入ると印象変わるね」

「いやぁ、実はこう見えて、酒、弱いんだよ。慣れてない人と話す時、こうして少しだけ酒の力を頼ってるんだ」と彼が照れくさそうに言う。

 成人して以来、トライしてみたもののビールは苦いだけで私には美味しさがわからない。

 そのことを彼に打ち明けると、「海外のフルーツビールなんか、甘くて飲みやすけどね」と優しくアドバイスしてくれた。

 話の流れから、チバはふと、遠い記憶を探るように目を細めた。

「高校生の頃、ニュージーランドにホームステイしてね…本当は留学してみたかったけど、家には金銭的に余裕がなくてさ」

「…わかる、うちの大学授業料高いものね」

 父母の苦労を見てきたから、そこは理解できた。

「うちは片親で、ついでに言うと弟もいるんだよな。祖父も働いてはいるけどそんなに金があるわけじゃない。弟は野球をやってて、今は私立の名門校に通ってるんだ」

 うまくいけばプロにも手が届くかもしれないのだという。だからあまり家族を煩わせたくなかったため、大学時代はテレビ局のアシスタントカメラマンとして働いていたらしい。

「多い時で月収二十五…くらいは、いったかな。夏休みまるまる仕事漬けで。

その代わり相当ハードだったけど」

「写真はいつから始めたの?」

「高校の頃からかな。漠然と、カメラマンになるって夢だけはずっと持ってて。スチールじゃなくて動画の

方に行くって手もなくもなかったんだけど、ただ、ちょっとした難があって…」 

しばらく沈黙が訪れる。

「…実は俺、色弱なんだ」と彼は少し遠慮気味に続けた。

「色弱…色覚障害のことかな? 青とか緑とか、色が判別しづらいってことだよね?」

 カメラマンで色覚障害…。私は驚きを隠せなかった。カラーユニバーサルデザインの授業で大切さを学んだことを思い出した。視覚の違いを補うために、色相といった色の差ではなく明度差でデザインしなくてはならない。これは松本先生や田尻先生にも教えられたことだ。

 色の良し悪しを決めたり画像加工をしなければならないカメラマンにとって、これは致命的な障害だと言える。私はそれ以上どう言葉をかけていいかわからず、黙りこくってしまった。

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