うどんと家族
不意にどこから鐘の音が聞こえたような気がして時計に目をやった。
思ったよりもずいぶん話し込んでしまったようだ。
「え、もうこんな時間?」
カバンに手を伸ばす。カフェの窓越しに、秋風が少しずつ夕闇を引き寄せる。急ごう。母が家で待っているだろう。今日は母と外食の予定があった。外食といっても、特別なディナーとかではない、行きつけのうどん屋に行くだけなのだけど。
私たち家族の外食といえば昔からうどんで、それは平和の象徴でもあった。
「家族みんなで食べるうどんって、特別なんだよね。昔から、うちのおじいちゃん、おばあちゃん、みんなでテーブルを囲んで…」その言葉通り、うどんは私たちにとって、ただの食べ物ではなく、家族の時間を象徴するものだった。
特に母の実家がある福岡には、うどん屋が数多く軒を連ねていた。母方の祖父母を訪ねる度、家族でどのうどん屋に行くかという議論が巻き起こることも多々あった。
祖父が「今日はいつもの店にしよう」と言えば、祖母が「いや、あそこのうどんのほうがのど越しがいい」と譲らない。
母は「柔らかいコシのないうどんが一番なのよ」と言い、父は「麺はどうでもいいが、甘いダシじゃなきゃ嫌だな」と返す。私も加わり、「最強はうどん県。讃岐風のコシの強いうどんが一番美味しいに決まってる」と主張した。
そんなふうに、うどんをめぐる家族のやり取りは、ともすれば論争とも言えたかもしれないが、笑い声とともに和やかで楽しいものだった。そうやって幼い頃から私はよく父と母と三人で九州を訪れた。父母はその頃、まだ大きな問題を抱えているようには見えなかった。少なくとも、私の目には、仲の良いおしどり夫婦のように映っていた。
「あの時は、ねえ…」母がうどんを啜りながら懐かしそうに微笑む。だが、時が経つにつれ、その風景は徐々に変わり始めた。決定的な変化は、コロナウイルスが流行し始めてからだった。