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後編

 5つ。今日だけでアイクが発見し、妨害した生徒達の争いの数である。

 既にシューリン教室とマリアン教室の争いに収まらない数だ。二つの教室の争いを発端として、生徒達が学んだ魔法を使って、感情を暴発させ始めているのだろう。

(考えてみれば、魔法の勉強なんて、爆弾と導火線を生徒一人一人に渡してるみたいなもんなんだろうな)

 生徒の誰もが、何かしらの破壊をもたらせる力を持っている。才能の無いアイクですら、ある程度の規模の魔法を使えるのだ。

 そんな危険な生徒達に対して、この学園のなんと不安定な事か。

(だから……俺みたいなのが動かなきゃあ……っと、またか)

 学園内を走り回っていれば、今は幾らでも生徒同士の争いが見られた。またその一つが目の前にある。

『あー、集まって睨み合ってるってのは……不健全じゃあ無いか?』

 中庭に、生徒が5人。2人と3人に分かれて睨み合っているらしい。まだ、喧嘩は始まっていない様……と思いきや。

「なんだ? お前も怪我したいってのか?」

 3人の方の一人。体格の良さそうな男が、目付きを鋭く睨んで来る。その男のお前も、という言葉が気になり、中庭を見渡せば、生徒が一人、倒れているのが見えた。

(なるほど、最初は3人同士の喧嘩で……一人減ったわけだな?)

 倒れている生徒の場所を見て、そう考える。であれば、言葉だけの仲裁も難しいだろう。

「ざっけんな! 今度はてめぇがやられる番だ!」

 考える暇だって無いらしい。一人倒されている二人組の方の片割れが、さっき話し掛けて来た男に対して、魔法を放ったのだ。

 放つ魔法は衝撃波を発生させる魔法。使った生徒は背丈が小さく、言葉は荒いが、着ている制服から女子生徒であろう。しかし、魔法の威力は反して規模が大きい。

 3人の生徒のうち、二人がその衝撃波に巻き込まれて、壁に叩き付けられようとしていた。

 良くて大怪我。打ちどころが悪ければ死ぬ可能性すらある威力だったろう。アイクが邪魔をしなければだ。

『ったく。不審人物が一人現れたんだぞ? 争いはまず止めて、話を聞けって』

 二人の生徒は、魔法には巻き込まれなかった。アイクは吹き飛ぼうとしていた二人を、魔法が発生する寸前に両の手でそれぞれ掴んで、別の方向に投げたのである。

 結果、吹き飛び掛けた二人の生徒はアイクに放り投げられ、死にはしない程度の衝撃で地面に転がるだけで済む。余計な喧嘩をしない様に、痛みは感じて貰っているだろうが。

 一方で、場所を入れ替えた形になるアイクに対して、魔法の衝撃が襲って来た。

 襲ってきて、何とかその場で耐えたのだ。

(耐えるっても……ギリギリだな。服自体に魔法を軽減させる機能はあるらしいが……全部を無効化できるわけ無いか)

 以前、ウルフマスクがマントで炎の魔法を割っていたが、同じ機能が今着ている服にはある。ただし機能が服全体に及ぶため、性能はその分低下していた。

(俺の魔力のせいでもあるな。この服にしたって、魔法でその性能を発揮できるわけで)

 魔法はその人間の技能や才能に寄ってその威力や精度を増すわけであるが、それらの出来不出来をひっくるめて魔力と呼ぶ。

 魔力が大きければ魔法の威力は増すし、魔力が小さければ魔法の威力は減じられると言った具合だ。ちなみに、才無し才無し言われるだけあって、魔力だってほとんど無いのがアイクだった。

「おい、そこの変態! お前もそいつらの仲間か!」

 そんなアイクに対して、小柄で口の悪い女子生徒が、また魔法を使おうとしてくる。

 実を言えば、一発目の魔法で足が痺れていた。同じ魔法を喰らえば、今度は吹き飛ばされてしまうだろう。

 だからアイクは、また動き始める。服の性能を活かした十分な速度の移動。

 それだけで、大半の魔法使いは倒し切れる性能がこの服にはあった。ただし、一対一であればの話だが。

「くそっ。おい、ケイル、合わせろ!」

(生徒同士喧嘩してる最中だってのに、コンビネーションなんて考えんなよ!)

 小柄の女子学生の隣に立つ男子生徒が、アイクが移動しようとした先に対して、雷電を放つ。

 アイクを直接狙った魔法では無いが、だからこそ、狙いは正確に、アイクを都合良く足止めする事が出来る。

『ぐっ……がっ!』

 アイクが足を止めた瞬間、再び衝撃波の魔法が襲い掛かって来る。今度は耐え切れず、吹き飛んでしまう。

 近くに壁があったため、ぶつかり、そうしてめり込む程の衝撃。襲ってくるのは痛みと吐き気。そうして目が眩む。

(きっついな……おい)

 だが、立ち上がる。意識だって手放しそうだったが、そういう状況には慣れていた。身体を襲う痛みの方に集中すれば良いのだ。そうすれば辛いが、意識が飛ばされる事は無い。

「何まだ立ち上がってんのよっ。こ、怖いのよっ! あんた!」

 最悪な事に、息を合わせて魔法を放って来た二人の生徒とは別の女子生徒(つまり、睨み合っていたはずの三人組の最後の一人である)までもが、アイクに対して魔法を放って来る。

 迫りくる魔法は、中庭にある石礫を飛ばして来るもの。規模がそれほどのもので無い様子なので、心底アイクはほっとした。

 まだ、避けられなくも無いし、耐えられそうでもあったからだ。

 そうして、避けるために一手使うのではなく、耐えて、まずその女子生徒を倒すために一手を使う事を決める。

『どうだ? 化け物らしかったか?』

「ひっ……きゃあっ! うう……」

 女子生徒が放つ魔法により、石礫を正面から受けながらも、アイクは女子生徒に接近。腕を掴み、女子生徒を地面に引き倒した。

 ダメージこそあれ、まだ意識はある様子だが、こちらへの恐怖で、戦意は喪失させる事は出来たはず。

 そうしてすぐ様に、また二人組の方に身体を向けた。

 二人組が、またこちらへと魔法を放とうとしていたから。

『……おいおい。まだやるつもりなのか? 何人束になろうが、勝てないとそろそろ分かって欲しいんだが……』

 ハッタリである。実を言えば、もう肉体的には限界が近い。

 ここに至るまでも、全力で行動し続けた疲労と、ここに来て魔法を連続で喰らったダメージで、正直、まともに戦えばそこで終わってしまいそうだった。

(だからほら……さっさと戦意を無くしてくんねえかなぁ。最初に睨み合っていた奴らは……俺が何とかしちまっただろ)

 ただ、願いなんてものはそう簡単に叶わない事も、アイクは良く知っていた。こちらを警戒し、再び魔法を使おうと構える残りの二人。

 アイクは疲労と痛みを抑え付けて、また戦うしかないかと足に力を入れるも……。

『苦戦しているみたいではないか、ブラックウルフ』

 声が聞こえた。ある意味、アイクをこの様な状況にさせた元凶の声。

「おい!? なんだよ、次は誰だよ!?」

『はーっはっは! 私だ!』

「ひっ!?」

「あがぁっ!」

 きっとまた、校舎の壁を足場にしたのだろう。中庭の中心に踊り出たその人影は、ウルフマスクに他ならなかった。

 ウルフマスクの動きは無駄だらけに見えて隙が無い。高笑いの元に現れ、生徒達の虚を生ませると、その隙を突いて、生徒二人を瞬く間に殴り倒してしまった。

『……何が苦戦してるみたいだな、だよ。助けに来られるならとっとと助けに来いっての。絶対、こっちを余所から監視してたよな?』

『遂に生まれた愛弟子の活躍を、手を握りしめて応援していたと考えて貰いたいね、うん!』

『ブラックウルフなんて名乗りまで聞いてやがって……』

 最初からだ。アイクはこの服を着込んで学園内を走り始めた時からずっと、ウルフマスクはこちらを見ていたのだろうと思われる。

『幾らか弁解させて欲しいのだが、君が活動を始めたのを確認した段階で、学園内の騒動を収めるべく、私も正義を実行させて貰っていたのだよ? そうして、漸く君に合流出来たのがさっきの事だ』

『……漸くってことは』

 ウルフマスクからの報告は、悔しいが吉兆を思わせてくれた。ある種の線を越えられた感覚。

『ああ。今回の生徒達の大暴れだが、そろそろ収束の方向に進んでいる。問答無用で喧嘩を止める者が、二人ほど現れたおかげかもしれんな?』

 その言葉を聞き、アイクは身体の力が抜けるのを感じた。

 その場で尻餅を突き、さらに倒れそうになったため、なんとか手でそれを押し留め、空を見上げる。

『あー……終わったか。終わったって事で良いんだよな?』

『ふむ? まあ、これ以上、我々が手を加える必要もあるまい。後は学園自体が何とかするべき状況だ。そろそろ警備員辺りが動き出すだろうし』

『あまりにも遅すぎないか? それ』

 もし、アイク達が動いていなければ、相当数の怪我人が量産されているだろう頃合いである。

 ウルフマスクの冗談では無いかと思うものの、実際に、アイク達以外に、状況を収めようとしている人間を、今に至るまで見ていない。悲しいが事実なのだろう。

『諸手続きと言うものがある。武力を持つ人間達と言うのはね、動く前から鎖で繋がれているものだよ。この規模の問題に対してならば特に』

『デカい問題からからこそ、手早く動かなきゃならないんじゃあ無いのか?』

『それも真実だ。だが、それが出来る仕組みもまだ無い。各国がしっかり、学園内の規範みたいなものを作る必要があるわけだ』

 複数の国が話し合って取り決めをしない限りにおいて、学園はまだまだ無法のまま。ウルフマスクは暗にそう伝えて来ていた。

『……この服。まだ借りる事がありそうだ』

『そう答える君だからこそ、その服を貸した。ああ、それとあれだ。身体の動かし方だって教えてやろうでは無いか。時間がある時、君に鍵を渡した中庭まで来い。気が向いたら、私が現れるだろう』

『ああ、気が向いたら出向いてやるさ』

 お前みたいなのとは長く付き合いたくない。そんな言葉を投げ掛けられる程、アイクはもう、ウルフマスクを素直に見る事が出来なくなっていた。

 彼もまた、何か事情を抱えている男だ。そう思う。そうで無ければ、アイクと同様に、動きの遅い学園の運営に代わって、学園の治安を守ろうなどと思わないはずなのだ。

『ふっ。となると、やはり君は私の弟子になるわけだ。これからはタメ口では無く、敬語を話したまえよ。でないと私、怒っちゃうぞ』

『可愛く言うなよ、可愛く。分かった分かった。いや、分かりました』

 そこに関しても、素直に受け入れる事にする。まあ、きっと向こうが年上だろうし、それに……こんな服を着たところで、未だにアイクは、喧嘩を売って何かを解決しようとする、愚かな青年でしか無いのだから。

 きっとこれから、成長だって必要になってくる。アイクはそう思う様になっていた。

 あと、ところでの話だが……。

「だ、だから……何? あんた達……何仲良さそうに」

『あー、一人だけ、気絶させてない生徒が居たな。そう言えば』

 女子生徒が一人、怯えた様子でこちらを見つめていた。さて、戦いが終わったと言うのなら、まずはこの生徒を二人して宥める必要がある。

 今の格好で、それは酷く困難な事の様に思えた。




「それで、目撃者多数の結果、名が知れる様になったブラックウルフ殿の今の気分はどうだい? あまりそういう経験が無いから、気になって仕方ないのでね」

「わざわざ、人気の無い階段の踊り場に呼び出して何かと思ったが、なるほど、そういう話題か」

 同じ教室に何時も話しているというのに、わざわざこんな場所に呼び出した男、デギンスを横目で見る。

 隠していたはずの正体が早々にバレている事への言及はしない。

 だいたい、何とかすると出て行って、その後すぐ、ブラックウルフとやらが学園中の諍いを解決しに回っていたのだから、アイクとブラックウルフを結び付けるのが自然だ。

 あの日から、もう三日も経っている。考えだってまとめるのは十分な時間だろう。

「いったいどういう心境にあるか。気になるのだよ、僕はな。まさか、ヒーロー気分を味わいたいなどと言う人間でも無いだろう? そもそも、あの服装は何だとか、そういう疑問もあるが」

「俺にしたって、説明が難しいんだよ。だいたいの原因は……ウルフマスクにあるって言えば、状況がややこしいって分かるだろ?」

「ややこしいのはブラックウルフ殿の精神状態の方では無いかい?」

 一々に人の弱いところを突いて来る奴だ。本当、なんでこいつと友達してるのだろう。

「否定はしねえよ。何やってるのかと今でも思ってるんだ。悩んでんだよ俺は。あれやこれや言われたって、俺が一番困る。というか、イーシャにもバレてるのか? 俺のやったこと」

「バレていないはずも無いだろう? 今やブラックウルフ殿は、先日の事件と同じくらいに学園の関心事さ。学園を左右した存在と言う意味でね?」

 ブラックウルフ云々より、そちらの方が大きな問題かもしれない。生徒同士の大規模な抗争。それが起こったのだ。

 偶然、何がしかの怪人物が動いたせいで、大事には至らなかった。いや、大事ではあったが、取り返しはまだ付く段階。それが今だ。

 生徒同士は今でも不安に思い、そうして、隣の友人が、もしかしたら魔法を使って襲い掛かって来るのではないかと警戒している。

 今、アイクの隣にいる友人についてはどうだろうか。誰かに襲い掛かるなんて馬鹿な事をする人間では無いだろうが……。

「お前の妹は、もっと不安を抱いているだろうよ。兄がもっと危ない事をし始めた……とね。ああ、これは君にとっての朗報だろうが、彼女の教室の移動は取り止めになったそうだよ。シューリン教室もまた混乱しているからね」

「なんかお前の方がうちの妹について詳しくないか? 今朝も別にそういう事を話してくれなかったんだけど、あいつ」

 尋ねるものの、デギンスは鼻で笑って返して来る。

「ブラックウルフの妹殿には、兄に直接言えぬ事を、適度に濁して伝えてくれる人間という評価を受けていてね」

「友人と妹が仲良くあってくれて、嬉しい限りだ!」

 話の内容が、何時もの世間話になってきたため、アイクは足を動かす事にした。

 何時までも踊り場にいるというのも、怪しい人間二人と思われかねない。実際問題、怪しいものをアイクは抱えているのだし。

「個人的には、お前は良い事をしたと考えているよ。何と言っても学園をギリギリ保てたのはお前のおかげ。誇りたければ誇るがいい」

「あんな格好をした事を誇れって? 馬鹿馬鹿しい。そもそも、ギリギリ保っているなんて言っても、まだまだこの学園は火の粉だらけって事じゃねえか」

「それは仕方ない。一朝一夕には行かないだろうさ。だが、変わる事だってある。ほら、見たまえ」

 廊下を歩き、教室へと帰る途中で、デギンスは窓の外を示して来る。

 校庭があるその方向には、何人かの生徒が集まり、規則正しく並び立っていた。

「なんだありゃあ」

「風紀委員だそうだ」

「風紀……学園の? 今さらか?」

「ああ、そうだ。しかも学園側が有志を募ったわけじゃあ無いぞ。カルロス・ベインという男子生徒がいてね。もう学園側の動きを待っていてはならないと、人員を集めたらしい」

 確かに校庭に集まっている生徒達を見れば、そのすべてが一人の男の方を向いていた。その男は、集まった生徒達に何やらを話しているらしいが、ここからは聞こえなかった。

「わざわざウルフだブラックだが動く必要もなくなる。適度に管理してくれる輩が現れたと言うわけだ。初めての仕事をして早々、君にとっては残念かもしれないがね」

「何を残念に思うって? 望むところだろうよ、それは」

 そのはずだ。もう可笑しな格好をしなくて済むとなれば、喜ぶべきところのはずだ。

 だが、それでも何故か、アイクはどこかで不安を感じ続けていた。




『カルロス・ベインという生徒は知っている。絵に描いた様な正義漢だ。実家が騎士の出とも聞いているな』

 ウルフマスクの、服の機能により変声した声が聞こえる。

 その声はまっすぐアイクへと届き。その音の速度と同じくらいに思えた拳も、アイクに届こうとしていた。

「っ! ……っと、ああ、典型的な誇りとか矜持とか言う感じの奴なわけ……だっ」

 ウルフマスクの鋭い拳。それをアイクは辛うじて躱しながら、それでも後ろへ後ろへと下がって行く。

 仮装染みた姿のウルフマスクに対して、アイクは生身だ。ブラックウルフの服は着ていない。

 そんな状態でアイクは、呼び出したいなら呼び出せと言われた中庭で、ウルフマスクと殴り合いを演じているのだ。ついでながら世間話もである。

『悪い人間では無い。なら良い人間かと言われればそうでも無いだろう……なっ』

「ぐっ……っと、本当に蹴られたと思った」

 中庭から校舎の壁際まで追い詰められた上で、腹を足の裏で抑えられたアイク。もっとも、寸止めだから痛みなんてものは無い。

『この格好で本気で動く相手に、まともに戦う事はできまいて。ただ、それでもなんとか出来る様になれば、服を着てでもそれなりに戦える様になる。と言うわけだ』

 言いながら、ウルフマスクはアイクの腹から足を離す。今はこの様に、彼から戦い方の訓練を受けていたのだ。

「んー……そういうものなのか……あ、いや、でしたか」

『まだ敬語が慣れんかね? そろそろ私、初めて出来た弟子に尊敬の眼差しで見つめられたい頃合いなのだが』

「言葉はともかく、目の方は何時だって蔑みが混じってますから、安心してください」

『そうかな? まったく安心できない発言に聞こえる……ところで、そんな君の様子を伺うに、風紀委員が発足した事について、君は何か思うところがあるらしい?』

 ウルフマスクの言う事はアイクにとっての本当だ。ただ、内心が探られた事にギクりとはしない。不安を隠そうなんてしていないのだから当たり前だ。

「学園内の治安をしっかり守る連中が現れるのなら、俺がこんな風に訓練する必要も無い。けど、している。そりゃあ複雑な心境も知れるって訳ですか」

『複雑ではないな。どちらかと言えば単純なものだ。何かが出来てこれで終わりと思える程、君はこの学園を信用していない。それだけだろう』

「……」

 自分の心情を、自分以上に言い当てられるというのも、据わりの悪い感覚がある。

 確かにそうだ。一度事件が発生し、それが何とか解決し、今後は改善して行こう。それだけの話を、そのまま受け入れる事が出来ないのだ。ちょっとしたトラウマかもしれない。

『君のそれは杞憂とも言い難い。実際その通りだよ。学園の問題はあちこちにあって、速やかな解決方法なんぞあれば、私が真っ先に……あ、いや、正義の執行している』

「うん? あなたは何時もそんな感じでしょう」

『そうだ。何時もこうで、何時だって根本的に解決していない。そうだな、不安に思って、気分が悪いというのなら、風紀委員とやらを調べてみてはどうかな? しっかりとした連中だったら、多少は安心できるのではないかな?』

「それが狙いですか?」

 どうにも、何かしら行動を促されている様に聞こえる。そうする事で、状況が進展すると言われている様な。

『狙いとは……これは助言だよ助言。何事も、疑って掛かるのが君の性格だ。そう思った』

 かもしれない。自分は何事だって、疑いの目で見る嫌な奴なのかも。

「まあ、疑って掛からなきゃいけない場所でもありますよね、ここは」

 嫌な奴であろうと、それだけは変えられそうに無いのだから仕方ない。こんな性格を抱えたまま、アイクは行動を続けて行くしかないのだ。

『そう言えば前から気になっていたのだがね、そもそも君は、何故学園へと来た? 君の妹の保護者役として入学を許可されたそうだが、それだけを理由として来ると言うのは、些か行動力が逞し過ぎる』

「はい、妹の添え物として。って、あれ、言ってましたっけ?」

『む。いや、知っている以上は、確かに聞いたぞ、私は』

 どう反応したものだろうかとウルフマスクの方を見て、少し考える。ただ、口を開く頃には、そんな考えは投げ捨てていた。

「多分、理由なんて後から来てるんだと思います」

『つまり、行動の先に理由なんて無いと?』

「何か考えがあった事は事実ですけどね、今はそれが正解じゃあないと言うか……最初はまあ、ほら、大切な妹だし? 守ってやらなきゃならないと考えてたんですが」

『それほどの気概が、今は無いとでも?』

 首を横に振って否定する。家族の事は大切だ。未だって守ってやりたいと思う。ただ、今、こうやってウルフマスクに戦い方を習っている事への理由は、別の方が強い。

「今はこの学園の状態が我慢ならない。ここは妹の付き添いでしかない俺にしても……学び舎ですから。少しくらい、良い場所だって思いたいから。こうしている……のかな」

『なるほど。そんな思いにしても、後付けでしか無いと君は思うわけだ。結局、行動の後にこそ意味があると』

 そこまでを言うつもりは無い。そんな身も蓋も無い人間になったつもりはアイクとて無いのだから。

 ただ、それでも、明確な物は無いと言う感覚がアイクにはある。

「理由なんて、ずっとあやふやなんだ。それでも人間は生きて行ける。前に、ここは学園で……問題があったって先延ばしにすれば良いって言いましたけど、その通りで、今はいがみ合っていたとしても、何の事も無く、仲が良くなる未来があるかもしれない。だから……」

『君は今を壊そうとしている連中に対してが我慢ならないと。なんともひねくれて、独特な物の見方だな。だが、気に入った。やはり、風紀委員とやらを探ってみるのをお勧めするよ』

「はぁ」

 なんでそういう結論になるかが分からない。やはり、行動を誘われている様な気もするが、アイクはとりあえず頷く事にした。

 何もしないままだと落ち着かない。理由とすら言えないその衝動は、それでもアイクを動かし得るものなのだから。




 カルロス・ベイン。アイクよりも歳が上で、アイクよりも顔が良く、アイクよりも体格だって良い男。

 教室での評判も良く、所属教室は彼の名前を付けてカルロス教室と呼ばれている。悪いものでは無く、良い意味での名付けられ方だ。アイクの教室とは違う。

(何から何まで違う……じゃあ話してみればどうなるんだ?)

 アイクは、また校庭に集まっている風紀委員達。そうしてその代表者であるカルロス・ベインを遠巻きに見つめていた。

 怪しく思われる事は無いだろう。アイク以外にも、興味があると言った様子で、他の生徒が数名、その集団を見つめているのだから。

(集まって何やってるんだろうなって思ったが、戦闘訓練……で良いのか?)

 風紀委員の全員が、長い棒の様なものを持ち、規則正しく振っている。

 刃物みたいな凶器を学内で持つ訳にも行かないので、最低限の武力として、風紀委員はその棒を扱うつもりなのだろう。

 そう思うが、やはり気になったので、アイクは彼らに近づく。

「あー、いや、その……ちょっと良いか? 詰まらない事を聞くみたいで悪いんだが……」

 遠巻きに見ている人間はいるが、こうやってわざわざ話し掛けて来る人間は少ないのだろう。

 なんと、わざわざカルロスの方が近づいて来て、アイクの質問に答えてくれた。

「ほうほう! どうやら興味を持ってくれた様だね、俺達風紀委員の活動に! ふふふ。この集団を立ち上げてから幾星霜。漸く、無関係の者からも名が知られる様になったらしい!」

「いや、そんなに時間経ってないんじゃあ。確か数日前にあった事件が設立のきっかけって話を聞いているんだが……」

「私の心の中では、ずっと風紀委員の活動は続いていたさ! そう、この学園に入る前からきっと!」

「ああ……そうか……そうなのか?」

 もしやこのカルロスは、話し掛けてはいけないタイプの人間だったのだろうかと、アイクは視線を逸らし、他の風紀委員を見てみる。

 全員、無言で棒を振り続けていた。

「みんな頑張ってる……みたいだな?」

「そう。その通り! みな、学園の平和を守りたいという強い思いを抱き、この風紀委員を結成する事に賛同してくれている! 目下のところ、風紀委員以外の、もっと格好良い名前を考える事に注力しているがね!」

「もっと別の事に力を注ぐべきじゃあ……何だこれ、最初に話し掛けた時から、どんどん疑問が増えて行ってる」

 もしかしたら、振り向いて帰るべきかもしれない。きっとそれが正しいはずだ。

 心の中の誰がしかが、そう囁いてくるものの、ウルフマスクに調べてみろと言われた手前、引き返す事も出来ずにいた。

「どんな質問でも結構だよ! 私達風紀委員は、皆、広き心と熱き魂を抱えているからね! どんな質問も、暑苦しく答えて見せるさ! なあ、みんな!」

「押忍!」

 カルロスを除く風紀委員の全員が、声を合わせて返事をしてくる。確かに、暑苦しく答えてくれているらしかった。

「けど、暑苦しくは余計じゃあ……あー、まあ良いか。最初にしたかった質問は、そんな棒を振ってて、効果なんてあるのかって事だったんだが」

「不可思議な事を尋ねるね! 風紀委員が棒を振るうのは、ごく自然な事だろう?」

「そういう事も無いんじゃねえかな……と言うか、魔法学園なんだから、大半の人間が魔法を使えるわけだろ? だったら魔法の訓練をした方が、まだ戦う力として身に付くんじゃあ」

 この魔法学園は、それだけで普通の場所ではあるまい。地方の街の自警団などは、それこそ棒を振るって訓練していれば、それなりの力になるかもしれないが、離れた場所から火を射出される様な場所においては、棒なんて役には立たないのではないか。

「着眼点は素晴らしい! だが、風紀委員というものがどういう存在か、まだしっかりと認識がされていない質問と取ったね、私は!」

「それは……どういう? 風紀委員について良く知らないってのはその通りだけどな」

「そう。知らないから質問に来た。その行動を私は評価しようとも! つまりだね、この棒と、それを使った訓練そのものを、武威と呼ぶのだよ! 誰かに直接的に暴力を振るうなんてのはそこらのチンピラにも出来る。我々は我々にしか出来ない事をするから、風紀委員と呼ばれるのさ!」

 暑苦しさは無くならないものの、理はありそうだなとアイクは感じた。

 実際に力がどれほどの物か。と言う点に、彼らはそこまで重きを置いていないのだろう。彼らは、その存在そのものを圧力として、学園内に余計な揉め事を起こさない様にと努めていると見た。

(そりゃあ正しい。正しいけどな……ちょっと足りないんじゃあないか?)

 集団で棒を振るっている連中が、学園内で悪さをするなと主張している。

 その光景を見て、悪い事は止めて置こうと考える人間はいるかもしれない。が、多数はただの変な奴らと相手にしないのでは。

「訝しんでいる様だね! それは分かる。愛と正義と平和を語っていたとしても、それに行動が伴わなければ意味が無い。うんうん! 正論だ!」

「別にそこまで言うつもりは無いが……もしかして、近々何かするつもりだったりするのか?」

 この風紀委員に足りないもの。それは、実際の行動だと、アイクも考えていた。

 似た様に、正義だ平和だを言うウルフマスクが、その存在を恐れられているのは、直接的に、その力を発揮しているからである。

 風紀委員がそれの代わりに成り得る代物なのだとしたら、彼らもまた、何かを行動しなければならないと言う事。

(それも……集団で力を発揮する様な、何かだ)

 確かに、これは調べてみて良かったかもしれない。

 風紀委員は学園に平穏をもたらす。そういう期待が微かにあったが、少なくとも、近い内には、むしろ波乱を呼び込む事に繋がるのだと予想出来たから。

「さて、我々の直近の行動を、我々以外に知られると言うのも、武威を示す事を減じてしまうからね! 口を噤ませて貰おう! ただ、アイク教室の代表者たる君に、興味を持って貰ったのは、とても頼もしく感じているよ!」

「……俺、名乗ってたっけ?」

「君は、我々の様な人間からしてみれば、そこそこに有名な人間だよ?」

 さて、それはどういう意味での言葉なのだろうか。

 良い意味には聞こえなかったのだが……。




 もうすぐ何かが起こりそうな気がする。

 自ら思うに、マリアン・ファイアハートはそんな事ばかりを考えている、夢見がちな少女であるはずだ。

 間違いなく、自分の中での評価はそうであるし、その通りに日々を行動していた。

 だから、良く分からないのだ。何時の頃から、怖いものを見る様な目で見られ始めたのかについては。

「切っ掛けはね、単純なものだったと思うわ。お父様が、何かそわそわしているの。その姿を見て、ああ、明日はわたくしの誕生日だって気付く。そういう、楽しい思い出があったから、ずっと何かの予感がしている様に思ってる。って、ちょっと聞いていらっしゃる? ミラさん」

「ええ、聞いてますってば、お姉さま」

 自分をお姉さまと呼ぶのは、同じ教室で、年齢においては二つ下のミラ・ファンタナという少女だ。

 マリアンの教室に所属する生徒達は、マリアンと同じく高貴な血筋の人間ばかりである。つまり目の前の少女もまた、学園に来る前は、相応の家の一族であったはずだ。はずなのだが……。

「聞いて、流しているんですよ、お姉さま。暇になれば何時だってその話を始めるんですもの。耳にたこが出来てしまうというか、実際、最近はそういう話を聞く度に、耳の奥の方が痛くなってきているというか、心までストレス性の何かが出来そうな」

 この通り、何とも小憎らしい性格に仕上がっていた。

 ボブカットの金色掛った髪を揺らし、幼さと可愛げのある顔を、面倒くさそうな物を見るかの様に歪めている。

「あーあー。出会って最初の頃は、お姉さまお姉さまって可愛らしく、何時も後ろを付いて来てくれる犬みたいな娘だったのに。どうしてこうなったのかしら」

「だいたいは、何事も面倒な状態にしてしまうお姉さまと良く付き合っていたからでしょうか」

 原因はやはりさっぱり分からないが、どこか擦れてしまっている学園の後輩を見て、溜め息を吐く。そのままだと、はしたないと目の前の後輩に叱られそうだから、マリアンは窓の外を見やった。

「面倒と言えば、この状況も面倒ねぇ」

「そう言われても、謹慎は解けたと聞きますが、どうしてまだ、お姉さまは部屋でダラダラしていらっしゃるのですか? そういう趣味なのですか?」

「退屈だからあなたを呼び出したんじゃあないの。趣味だったら、一人でもそもそしているわ」

「ではずっともそもそしていてください」

 本当に憎らしい後輩であるのだが、これで自分に物怖じせずに付き合ってくれる数少ない生徒であるため、付き合いを止めようとは欠片も思わないのである。

「だーめ。退屈って言ってるでしょう? けどわたくし、今の状況で顔を出して、教室に嫌な空気を持ち込むのも嫌なのよ。責任、一応は感じているのよ? わたくしってば」

「お姉さまがいなくても、あの教室の人たちは暴走してましたよ……」

 けれど、マリアンが切っ掛けとなって、学園中で生徒達が争ったり逃げ惑ったりする状況になってしまった。それは事実であるはずだ。

「人にお前の責任だー、などと言われれば、それはもう全力で反発してしまうけれど、自分で自分は騙せないと言うわけ。だから、暫くはわたくしだけでも、大人しくしていた方が良い。そう思うのよ」

「それでもお姉さまは、何かが起こる予感がするのですよね?」

「……気のせいよ、きっと。ほら、何かあったところで、ブラックウルフさんだったかしら。そういうのが動いてくれそう」

 ブラックウルフ。そう言えば気にもなっていたと思い出す。さっきまで忘れているくらいには、気にしていなかったのであるが、そうだとしても、気にはなるのだ。

「不思議な存在が居たものよね? この学園にも。悪い事が起こったら、それを何とかしようとする人間がいる」

「前から出没しているウルフマスクっていう変な人と同類じゃないですか? 名前からして、仲間か何かでしょう」

「そうね。そういう愉快なのが増えるというのは、楽しいかもしれない」

「げっ……本気ですか? お姉さま」

 そう引くみたいな顔を見せないで欲しい。可愛い顔がますます台無しでは無いか。それにブラックウルフについて面白いと思ったのも本気なので、そこはそこで受け入れて欲しい。

 愉快なのだ。やっている行動が、どうにも自由気ままで居て、何かルールがある様で、これから何をするのだろうと期待できてしまう、そういう面白さが彼らにはある……と、マリアンは少しばかり期待していた。

「わたくしだって、この学園にはいろいろとうんざりしているの。それを変えてくれるのなら、何だって……いえ、何だっては言い過ぎかしら。状況に寄る。ミラさんを呼んだのはそれが理由でもあるのよ。外は……どうなっている?」

「どうもこうも、あまり良いものとは言えません。先日の事件も、発端は私達と……あのいけすかない連中教室という事にされて」

「シューリン教室をそう表現するのは中々に斬新ね、ミラさん。私もクソ真面目チビ女教室と呼ぼうかしら」

「呼びやすさも重要ですよ。私のそれもどうかと思いますが……何にせよ、結構みなさんから、白い目で見られています。敵対する教室の生徒以外からそうなのですから、心に来ますね、ええ」

 最初から敵と考える、チビ女教室の人間達からは、どう思われようと、何を囁かれようと、笑って消し炭にする程度のものでしか無いが、無関係の教室から、恐怖されたり、厄介扱いされたりするのは、確かに嫌なものだ。

 教室の代表者であるところのマリアンが、皆を元気付けてやれれば良いのだが、あまり時間を置いていない今は、むしろ逆効果になるだろう。

 だからこそ、部屋で自主謹慎などをしているのだし。

「チビ女教室も似た様なところでしょうね。何かにつけて、お互いにケチが付き始めた。あの喧嘩を突然に売って来た下郎のせいかしらねぇ」

 ふと思い出すのは、目付きの悪い男の姿。名前も実は知っていた。外見とその名前に繋がりが無かっただけで、教室がアイク教室などと呼ばれているのだから、忘れるはずもない。

「あんなのは、ただのチンピラですよ。そもそも、何で学園にいるのかすら分からない、学園内に幾らでもいる変人です。それも悪い方の」

 良い方の変人なんていないとは思うのだが、それは言わないでおく。あなたの事ですよ、お姉さま。みたいな言葉が帰って来そうだったから。

 ただ、普通のチンピラが教室の名前になるだろうかとも思う。どの様な過程があっても、その教室の代表として見られなければ、教室に名前が付けられる事は無いだろうし。

「彼もまた、謹慎していたりして。それとも、元気に登校している? どちらにせよ、わたくし達よりマシかも」

 見るからに個人的な行動が好きそうな人間だった。それはつまり、組織や集団でのゴタゴタから、ある程度自由な立場で居られるということ。

 今回の騒動だって、どこ吹く風と言った様子で、飄々としているかもしれない。そういう部分であれば、マリアンは正直羨ましい。

「そんな事は仰らないでください。私達、お姉さまの事を本当に信頼しているんですもの」

「そうね。だったら……いちいち誰かを羨んでもいられないか」

 周囲に怖がられている自覚はある。けど、それ以上に尊崇されている自負もマリアンにはあった。

 マリアンは血筋と言うものを重視する。それはただ高貴な物から生まれ出た物だから……と言う意味だけでは無い。

 高貴たれと育ったからには、相応の精神が宿っているはずだからだ。それは、自らに向けられた目に対して、期待通りの姿を見せようとする精神の事である。

 暴君たれと見られるのなら、荒々しくあろう。強くあれと思われるのなら、強くあろう。どうか頼りにさせてくれと泣かれるのなら、頼りになるだけ意地を張ろう。

 マリアンはそうしてこそ、貴族や王族なのだろうと考えていた。

 だからこれからも―――

「……誰か来たかしら?」

 自らの意思を固めている間に、それなりの時間が過ぎていたらしい。部屋の外で、何かが動く気配を感じ始めた。

「まだ……授業の時間のはずですよ? お姉さまみたいにサボったり、私みたいに呼び出されていなければ、学生寮に居るのはおかしい―――

 ミラの言葉が途中で止まったのは、彼女が舌を噛んだからでは無い。

 もっとも、噛んだっておかしくは無い状況にはなっていた。部屋の扉が蹴破られたのだから。

「失礼! 鍵が掛かっていそうだったのでね!」

「……あらそう。けど、鍵が掛かっている事への意味は分かっているのかしら?」

 声が無駄に大きい体格も良い男。誰かは知らないし、状況としては強盗か何がしかだろうと当たりを付けるべき相手。

 だが、清々しさすら覚えるその笑顔が、別の目的があってここに来たのであろう事を知らせてくる。

 もっとも、そんな男に動揺を見せるほど、マリアンの意地は緩く無い。

「おや? 歓迎はされていない様子だね!」

「ええ、関係者以外は入って来るなって意思表示だもの。扉……弁償とかしてくれるのかしらね?」

 まあ、強盗風情がその様な律儀をしてくれるとは思わない。考えるべきは、ここからどう追い出せば良いかであるが……。

「お姉さま……この人、例の風紀委員を名乗り始めた……」

「ああ、確か、カルロス・ベイン」

 怯えるミラを余所に、マリアンは現れた男、カルロスを見つめる。見方に寄っては、睨み付けてもいるだろう。

 名前を知ったところで、目の前の男が不躾以上の犯罪者である事は変わらないのだから。

「名前や姿については、あまり知られていない事は自覚しているよ! 何せ、最近までは何もしてこなかった。だが、これからは正義を行おうと心に決めたのさ!」

 一歩一歩近づいて来る体格の大きな男が何を言おうと、警戒を緩める理由は一切ない。マリアンは怯えているミラを後ろに隠し、カルロスに向かって手のひらを向けた。

「そう。じゃあ、悪漢を退治するのを手伝ってあげる」

 警告も戸惑いも一切無用。目の前の男が近づいて来ている以上、自分はやるべき事はそれを燃やす事だ。

 マリアンの手から発生した魔法による炎は、普通の炎のより赤く染まり、球状となってカルロスの方へとまっすぐ飛んで行く。

 規模はそれ程では無い。だいたい拳程度の大きさである。だが、その速度は相当だ。また、単なる炎では無く、質量すらも持っていた。

 炎の球体はカルロスの胴体。その中心へとぶち当たり、カルロスをその場から吹き飛ばす。

 炎の軌道と同様に、まっすぐ後ろへ吹き飛ばされたカルロスは、自分が蹴破ったドアの向こうへ。

「部屋、あなたがさっそく散らかして来たけれど……私まで付き合う必要は無いわよね?」

 マリアンは気怠そうに立ち上がると、ミラにはそのまま部屋に居る様に手の動きで示しながら、自身の部屋から出て行く。

 吹き飛んだカルロスが、真に倒れたかどうか確認するためだ。

 そうして部屋の外へと出るや、予想外の事が起こっていた。

「……思ったより元気そうじゃない。火力は強い方がお好み?」

「いやはや、レディの歓迎は何時だって受け止めるのが男の魅力ではありますがね? いきなりは想定外だった」

 こちらも想定外がある。それも二つだ。

 一つはカルロスが、扉の先の廊下に転がっていたとは言え、元気そうにこちらを見つめてきていると言う事。

 さらにもう一つは、そこに居たのがカルロスだけでは無かったと言う事だ。

「あらやだ。女性としては喜ぶところかしら? 男性に、こんな数で迫られるだなんて」

 扉の先。その廊下には、左右に隠れる様に、複数人の生徒達が、木の棒を持ってこちらを睨んで来ていたのだ。

「風紀委員には女子もいるよ? ただ、皆が君の事を気にしているのは事実だがね!」

 ゆっくりと、追撃をする余裕なんて無いだろうと言いたげな動作で、カルロスは立ち上がって来る。

 そんなカルロスに対して、マリアンはこれまで浮かべていなかった笑みを浮かべた。

 敵意を剥き出しにした、戦いを始める際の笑みだ。




 炎が舞う。マリアンの炎は過激で情熱的な炎だ。何もかもを燃やし尽くそうとし、積極的に燃え広がる。

 ただ、それにもマリアン自身の魔力の限界がある。マリアンにとっての魔法技能とは、そんな自らが扱う炎を、どれだけ抑えられるかと言う点に集中している。

 それは自らの感情との戦いでもあった。マリアンの精神もまた、炎と同様に情熱を持って居るからだ。

 目の前に敵が現れ、自らと自らにとって親しい相手を虚仮にされるとしたら、何としても、その敵を消し炭にしたいと考える。

(けれど、この相手にはそれでは駄目。それを分かりなさい、マリアン・ファイアハート)

 マリアンとカルロス率いる風紀委員の戦いは、お互いの魔法が交差していく中で、場所を廊下から学生寮外の広場へと移っていた。

 そうやって移動するくらいの時間を戦っているのだ。さすがにマリアンは疲労もしてくるし、カルロスの方は、ただ火力を周囲に向けるだけで勝てる相手では無かった。

「さすがにマリアン教室の女王。いや、この学園の女王とでもお呼びした方が良いかな? 何にせよ、噂に違わぬ力量だ。何時、学生寮そのものが単なる焦げ跡になるかとヒヤヒヤものさ」

「良く言う。ここに誘導したのもあなた。わたくしの炎を、何時も容易く回避し続けているのもあなた。そうして……他の風紀委員には手を出させず、単独で戦っているのもあなた……では無くって?」

 敵意を隠さぬ笑いは変えぬまま、マリアンは内心で冷や汗を掻いていた。

 どれほどハッタリを繰り返したところで、主導権が相手にあるからだ。

 というよりも、このカルロスと言う男、この様な荒場における魔法を扱うであれば、マリアンよりもっと才があるのでは無かろうか。

(いえ……これは才と言うより)

 マリアンは自身を守る様に、周囲に炎の壁を発生させる。熱量で息が苦しくなるが、今はそうしなければならない理由がある。

 何故ならば、カルロスがこちらへと迫って来ているからだ。さらに言えば、マリアンが炎を展開するより早く、壁の内側へと入り込んで来た。

「結局……」

 カルロスの掌底がマリアンの腹部に触れる。次の瞬間には痛みでは無く衝撃。後方に弾かれ、転がってから、身体の動きがさらに鈍くなるのを感じた。

「戦いとは才の過多と言うより、手札の切り方、タイミング。その点、あなたはまだ学生だと思うわけですよ、マリアン君!」

 転がるマリアンを余所に、カルロスは自らの言葉を優先している。

 それだけの差が、マリアンとカルロスにはあるのだ。マリアンがどれほど必死にだとしても、カルロスはまったく切羽が詰まっていない。

「あん……たも……同じ学生でしょう……にっ」

 歯を食いしばる。口角を上げるのも忘れない。立ち上がるのは少し辛かったが、震える足はスカートで隠せていると思いたい。

「そうだね、今は学生、昔は騎士の一家で戦闘の訓練と……如何に組織を纏めるかの習い事をしていたよ。ちょっとは補佐や実践もしていたかな? まあ、昔の話さ! 問題は今、どうするか。そうじゃあないか? この学園においてはその通りさ!」

 声が大きい。無駄に耳へと響く。それだけで苛立つと言うのに、その苛立ちをぶつけようとしても、自分への反撃になって帰って来るだけだから、それも出来ない。

「組織を……纏める……ええ、そう。そちらのしたい事は分かった。わたくしを、学園にとっての敵とし、さらにそれを倒す事で、風紀委員とやらの権威を……いえ、あなた自身のそれを高めると……そういう事かしら」

「私個人で何事かを成せるのであれば、そうするべきでしょう? 他人への指示ばかりで、自ら動かない男には、誰も付いて来ない。これより、学園の治安を守る存在となるのであれば尚更だ!」

 カルロスの宣言を聞き、どうにも手慣れているとマリアンは感じた。集団の動かし方を分かっている。

 もっと言えば、煽り方を熟知している。そういう印象を受けたのだ。

(実家で……学んだと言っていたけれど、そう、つまり、そういう家の出で、学園に来たのも、似た理由かしら?)

 学園はどの様な国家の干渉も受けない。という名目の元で作られてはいる。ただそれは、各国のバランスを保ち、二度と魔法による大戦を起こさない様にするためのものだ。

 バランスを保つ事には同意するが、学園の実権は幾らか握っておきたいと考える輩もいるだろう。

 カルロスがそういう家の出たとすれば、風紀委員とやらは、彼が用意した、学園の方針を握るための武器なのでは。

(すべて推測。ここでそう言ってみせて、他の風紀委員達の耳に届くかどうか、それが大事)

 カルロス以外の人間は、どれだけ彼の狙いを知っているのか。先日、問題を起こし、学園を混乱させる事になったマリアンの言葉を、どれだけ真摯に受け止めるか。

 すべては怪しいとマリアンは思った。マリアンの言葉には、今のこの状況において、説得力が無いのだ。それをカルロスも理解しているから、マリアンを襲う事を決意したのかもしれない。

「わたくしを倒して、どれだけの治安を守れるか。分かったものでは無いけれど?」

「かもしれませんね! だが、契機にはなる。あなたをここで打ち倒すだけで終わるつもりは無いのですよ。まずはあなただ。次に昨日の学園混乱時に、無暗に争った連中も、何がしかの罰を与えなければ、その後はもっと、深いところまで」

 ああ、やはりこの男は一筋縄には行かない。完全に、この後の事までを考えて行動に出ている。

 諦めようか。罰だと言うのも理解は出来てしまう。マリアンは間違いなく、周囲に被害を与えた。その罰を受け入れる事だって、別に構わないと考える事は出来る。ただ……。

「お姉さま!」

 ミラの声が聞こえて来た。自分を心配する声だ。部屋でじっとしていろと言って置いたのに、わざわざ追って来ていた。

 怯えながらも、それでもこちらを見つめて来る彼女を見れば、殊勝な気分にはなっていられない。

 むしろ笑おう。何時だって自分は笑うべきだ。どうにも口の中を噛んだらしく、口元から血が一筋流れるものの、ここは笑って、カルロスを睨み付けるべきだ。

「はっ、上等じゃない。何もかもがあなたの狙い通りになる事なんて―――

『まったくだ。そんな事、この世界に一つも無い。嫌になってくる』

「え?」

 自分から見えるミラの表情が困惑のそれに変わっている。視線を移し、カルロスを見ても、何か驚いた、虚を突かれたと言った顔になっていた。

 最後に、声が聞こえた方を見る。自分の、すぐ隣だ。

 何かで無理矢理声を変えた様な、異質なその声の先には、黒い狼の覆面を被った、全身が黒い服に身を包む誰かが立っていた。

『何て言おうか困るんだが、そうだな、まず謝ろう。遅れたみたいで、怪我までさせちまった』

 頭を掻く様な仕草をするその男。マリアンの予想が間違っていなければ、こう呼ばれているはずだ。

 ブラックウルフと。




 風紀委員について調べていたのだから、その動きについは、ある程度、アイクは把握できていた。

 近々、何らかの行動に出る。それもかなりの実力行使を。その予想が付いた時点で、アイクは自らがまた妙な格好をしなければならないと確信していた。

 だから……着替えるのに遅れた事は、やはり謝らなければならないとアイクは思う。妙な外観をしているだけあって、着込むのにも妙に面倒くさいのだ。

「わたくし、口から血が出ているのですけれど、女子がそうなってから現れるタイプの男性かしら? あなた?」

『さて、ハンカチの一つでも渡せれば良いんだが、ポケットに入れ忘れた。ああ、そういうタイプの男性かもな。女性かもしれないけど』

 言い返しつつ、アイクはカルロスの方を向いて構える。まだまだ付け焼刃の構え。それでもウルフマスクから、戦う前からそうしろと言われた構え。

 やる事はただ、左拳を相手に向け、上半身を顔の向きに対して横を向かせるだけなのであるが。

「おかしな状況になった。おかしな状況になったな、これは!」

 笑うカルロスの姿が目に映る。今のアイクの構えは、そんなカルロスとの距離を測るのに適当であった。

瞬時に距離を詰められる状況にあって、重要なのは、どれだけの力を、どれだけ効率的に使えるかであるとウルフマスクからは教えられている。

『おかしな状況ねえ。女子に手を上げる奴の前には、俺みたいなのが現れるとは想像していなかったか?』

 実を言えばカルロスについて、別にそこまで嫌いでは無い相手だ。少なくとも、学園がもっとマシになれば良いと考えているのはお互い同様なのだから。

 ただ、どれだけ高慢で、どれだけ偉そうであったとしても、女性が痛めつけられ、口元から血を出し、それでも気丈に振る舞っている姿を見せられれば、そちらを助けたくもなる。

「理由がある。君みたいな人間なら、理解してくれるんじゃあないかと期待していたのだが!」

『ああ、そうかい』

 ならば期待外れだ。アイクは、ブラックウルフは、もっと直情的なのだ。平和のためとか言って、暴力を振るっている輩には、暴力で返すタイプである。

 服により強化された肉体が、アイクを加速させた。向ける拳は前に出しておいた左拳。ただ体を動かし、前に出した拳をカルロスに突き入れるだけの動作。

「やはりマギテックか、それは!」

 そんな単純な動作は、カルロスに防がれる。彼はアイクの拳と自らの身体の間に、腕を差し込んでいた。

 それでも、普通は防げるものではあるまい。アイクの強化された肉体に対して、ただの肉体では絶対に勝てないはずなのだ。

 だが、それでもアイクの拳は止まっていた。

『……そっちも服に仕込みでもしているのか?』

「服では無いが、仕込みならあるやも……なぁ!」

 アイクの拳を受け止めた腕ごと、カルロスは振り抜く。それもただ、それだけの動作であったが、アイクの身体まで吹き飛びそうな勢いがそこにあった。

 実際に身体が浮き、地面に叩き付けられそうになるも、両の足と手で受身を取り、またしてもカルロスへ接近。

(力はむしろ、あっちが上か?)

 正面からやりあって、負けるのはアイクの方かもしれない。けれども接近した以上は拳を放つか、蹴りを放つしかないだろう。

 アイクは今度、姿勢を低くし、足を使う事にした。典型的な足払いだ。だが、強化された肉体は、ただの足払いであろうとも相当な威力を与えられる。そのはずだった。

「喧嘩には……慣れている!」

 その言葉は、カルロスがアイクへ向けたものか、カルロスの自負か。

 どちらにせよ、カルロスはアイクの足払いを避けた。それが当たる前に、彼自身が両の足を地面から離したのである。

 跳躍した。と表現した方が正しいかもしれない。ほんの少しだけカルロスは跳び、次の瞬間には落下する。アイクの足払いを避け、次にアイクの身体を狙っての落下。

『ぐっ……!』

 変声した声でアイクは呻く。そのままカルロスの身体に押し潰されそうになったところを、無理矢理体を捻って回避したからだ。

 おかげで覆い被される事も、潰される事も無かったが、身体の筋に痛みが走った。どれほど強化したところで、元の肉体自体はただの人間なのだから、無理をすれば反動がやってくる。

 仕方ない。まだ、我慢できない痛みでも無いのだし。

「気を付けて、そいつ……かなりやる!」

『女王様の忠告、痛み入るってとこか』

 そもそも、最初からマリアンを追い詰めていた男だ。そこにアイクが来たところで、有利に立てるはずも無い。

 一旦は距離を取ったところ、カルロスの方は追って来ないので、胸を撫でおろす。

「まさかこの程度と言う事もあるまい? いや、本当にこの程度であるのならば……早々に終わらせなければならないわけだが」

『ま、早く終わらせるのには惜しいわな』

 本当は、この程度だ。奥の手なんて無いし、幾つか打ち合ったところで、カルロスの方が上手である事が理解できてしまった。

(ただ、諦めるには早いよな?)

 何も手が出ないと言う状況でも無かった。相手が上手であるが、それでも追い縋れる。そんな状況。カルロスの側にも、まだ余裕がありそうなのを考えなければであるが。

「何度も言うが、君らの事は評価しているさ、私はね! そのマギテックを使った服は、ただの賑やかしと言うわけでもあるまい?」

『……』

 恐らく、彼はアイクを通して、ウルフマスクを見ているのだと予想する。というより、彼の覆面の向こう側を、何か深読みしているのだろう。さらに言えば評価もしている。

(そのついでに俺が居ると。同じ思想を持った仲間だとでも思われたかね?)

 なら、今のこの状況であれば好都合だ。このまま詰められれば、戦いに負けてしまう可能性が高い以上、稼げる時間は多い方が良い。

「君らにも目的がある。それも……私に違い目的が。違うかい? そうであれば……仲間になれる。そう思うのだよ!」

『仲間になるってのなら、この状況で満面の笑みになれる奴より……挑発的に笑える奴が良いかな。違うかい? そこの女王様』

「あら、どこぞの王子様みたいに助けに入ったと思ったら、もう助けが欲しいのかしら?」

 強気に笑う女、マリアン・ファイアハート。やはり彼女も笑っている。

 カルロスのそれよりも鋭い笑み。背筋が寒くなりそうだが、その感情を向けられているのは、アイクにではあるまい。

『あいつに恨みがあるんだろう? 大怪我させるってなら止めるが、意趣返し程度なら手伝ってやる。こっちも、あいつの行動を止めるまでは同じ目的だ』

「乗った」

 マリアンは痛みを堪えている様子だが、それでも立ち上がって来た。

 なるほど、彼女はひたすらに強い女だ。彼女が激情をカルロスに向ける中、時々視線を、彼女の後輩らしき生徒に向けるのを見れば、猶更そう思う。

「即興のチームワークなどがアテになると思われるのは……心外だ!」

 あちらから突貫してくるカルロス。凄まじい勢いのそれは、確かにチームワークなんてすぐさまに打ち砕いて来そうだった。

 だから何をどうするかなんて、マリアンには言わない。アイクはアイクがやるべき事をするだけだった。

 と言っても、突進してくるカルロスに対して、アイクが直接的にぶつかるだけなのだが。

『がぁっ! っつ……やっぱり、力はそっちが上かよ』

 ぶつかり、身体が弾け飛びそうになる程の衝撃。それに耐え、カルロスへと手を伸ばそうとするものの、その腕を掴まれる。

 カルロスの方はと言えば、まだまだ余裕がありそうだった。一方的に、アイクの方がダメージを受けている。

「その服は過去に流行った技術のそれだね? 何故流行りが廃れたのかを……これから見せつけようじゃあないか!」

 アイクはカルロスに腕ごと持ち上げられながら、カルロスの強さについての理由を知る。

 やはり魔法だ。カルロスは魔法に寄り、その身体能力を強化している。それはつまり、アイクが着込んだ服と同種の魔法だと言う事。

 そうしてマギテックについても、アイクとて幾らか知っていた。人間が素で使う魔法よりも、その力は弱い。だから廃れたのだ。人間が正しく学んだ魔法に、マギテックは劣るからだ。

「力が無く! 技能で劣り! 碌な経験が無いと言うのなら、それが君の―――

『そんな事は分かっている!』

 だから手を組んだのだ。とびっきりの才能と。

「死にはしないから、安心しなさい!」

 瞬間、アイクとカルロスは吹き飛ばされる。巨大な炎の塊が、二人を押し飛ばしたのだ。炎の形をした質量と言った方が正しいか。

 燃え移りはしないので、確かに死にはしないだろう。

 ただ、怪我はすると思う。広場から吹き飛ばされ、近くにあった林の木にぶつかったりしたので、まず背中が痛いし、その次に背中以外の全身が痛い。

『手加減って奴を知らないのか……てめぇは!』

 痛みには慣れているが、痛みを与えて来る輩への怒りには慣れない。叫ぶアイクに対して、マリアンの方は飄々としたものだ。

「あーら、お生憎様ね? さっきからずっと、こうやって魔法をぶつけてやる事が出来なくて、わたくし、フラストレーションが溜まりっぱなしでしたの」

 大したフラストレーションである。実際、まともに喰らってそれが分かる。

 アイクの服は身体を強化する以外にも、受ける魔法を幾らか軽減する機能が備わっているが、それを通した上で、アイクは傷ついていた。立ち上がるにも必死だ。

(そうして、カルロスにはそれが無い。身体能力の強化は向こうが上だったとして、魔法は魔法でまともに受ける……そのはずだ)

 それが分かって、マリアンはアイクごとカルロスを魔法で吹き飛ばした……と思いたい。いや、マリアンはアイクが着ている服の機能を彼女は知らないから、一緒に死ねとか思って魔法を使った可能性の方が高いはずだが、気にはしない。気にはしないで置こう。

「はっ! やんちゃなお姫様も居たものだ!」

『っ……!』

 すぐに痛みが吹き飛ぶ。そんな事すら考えられない事態になってしまった。

 カルロスが吹き飛ばされた林の奥から、再び姿を現したからだ。

 彼は悠然と歩いている。先ほど、マリアンから受けた魔法に寄るダメージなんて、物ともしないと言った風で。

(いや……落ち着け。魔法をまともに受けて、何も感じない奴だっていないはずだ)

 カルロスがまた近づいて来るも、プレッシャーを感じる必要は無い。アイクとて満身創痍であるが、それでも動けるし、マリアンの手助けだってある状況だ。

 やり方はやはり、まだまだあるのだ。

「二人で手を組み、強大な敵に立ち向かう。そういう姿は感涙してしまいそうになるがね! 君らの敵は私一人ではあるまい? カナトール君!」

 カルロスは歩き続けている。アイクの隣すら通り過ぎ、広場へと戻って行く。だが、アイクは咄嗟に動く事が出来ずに居た。マリアンの方にしてもそうだろう。

 カルロスの他にも、風紀委員は集まっていたのだ。その風紀委員の一名が、マリアンと親しいらしき女生徒に、手に持った棒を向けて居る。

「お、お姉さま……」

「ミラ! くっ、どこまこっちをコケにしたら!」

「うむ。確かに私の方が悪者みたいになってしまうな。カナトール君。やっぱり下がってくれ」

「なっ!?」

 状況が変わり続けている。女生徒が人質に取られたと思ったら、すぐに開放されたりなどだ。

 相手の意図が、アイクにも分からなかった。分かる事はと言えば、一度は掴んだ流れを、またカルロスの方が握り始めたと言う事。

「そう怒らないでもらいたいものだね? こういう事が出来てしまうぞと言う例を示しただけであり……君らは所詮、それだけの存在だ。だから今後は無茶はやめたまえと言う忠告でもあるかな?」

『あくまで正義は、そっちだと言いたげだな?』

「生徒を人質にする正義も無いからね! それはやはり止めて置いた! だが、警告にはなっただろうか? 私はね、ここで若さを暴走させている君らみたいなのの……敵だ」

 笑うカルロス。それは何時も通りの、爽やかさすら覚える笑顔。しかし今は、様々な感情や考えを隠し切る、顔に張り付いた表情に見えた。

「だがまあ、今日は私の方が引こうじゃあ無いか! ここで君らと再びやり合えば、私の方がますますに悪者に見えてしまう。では諸君。今日はここまでにして置こう!」

『はぁ?』

 言い放つや、風紀委員の集団ごと立ち去って行くカルロスを見て、アイクは困惑するしか無かった。

 相手の事が分からない。相手が何をしようとしているのかすら分からない。

 分かっているのは、どうにもアイクは、マリアンと共に、目の前の男に敗北感を抱いていると言う事。

「……そちらは追っても良くってよ?」

 風紀委員達が背中を見せて去り行く中、ミラと呼ばれた女生徒の無事を確認しているマリアンから、そんな言葉を向けられる。

 だが、アイクは首を横に振るしか無かった。

『今は……追ったところで、何かが出来る気がしない』

 どうしようも無い未熟さを実感させられる。

 力を与えてくれる服を着込んだところで、アイクのその状況は、一切変わってはいなかったのだ。




 敗北感を覚えたとしても、そこで何事かが終わるわけでも無い。日々は続くし、あまりにも平穏が続く様であれば、感情が違和感と不気味さに取って代わる事もある。

「最近は、ブラックウルフとしての活動も抑え気味じゃないか。今の学園の雰囲気に満足していたりするのか? 才無し」

「あんまりその名前を出さないでくれ、頭が痛くなるんだ」

 昼休みの時間。適当な中庭のベンチに座りながら、アイクは友人の声を聞きつつ、額を抑え続ける事で時間を潰していた。

 思うに、友人がこのデギンス一人だけと言うのは不健全かもしれない。学業には本気をさっぱり出していないアイクであるが、交友関係を広げる事については意欲を出すべきか。

「兄さんが怪我をしなくなったのは、嬉しい事だけど……」

「妹に心配をさせてるってのは、さらに頭が痛くなってくるんだよ」

 今日は珍しく、イーシャも共に休み時間を潰していた。イーシャの教室移動に関しても、とりあえず取り止めになっているため、良い状況と言えばその通りなのかもしれない。

 必ず、これから何かが起こる予感がしていなければだが。

「デギンス……は、何時も一緒だから、碌な事知ってそうにねえな。イーシャ、お前は何か、風紀委員が変な事をしているところとか見なかったか?」

「う、ううん。放課後に、軽くそれっぽい生徒さんが見回りしてるくらいかな? 学生寮の方でも、見回りしてるみたいだったけど……」

「おいおい才無し。僕が常にお前に付き添ってるみたいな印象を、自分の妹に与えるのはやめたまえよ。気色悪い」

「気色悪いとは思うが、事実だからな。今、積極的にお前以外の友達を増やしたくなって来てるところだよ」

「そ、そこはそうした方が良いかもね」

 妹にすら、お前、ちょっと友達が少ないぞ。などと思われているらしい。学園の治安より、もしかしたら由々しき事態では無かろうか。

「……あいつらには友達いるのかね?」

「目当ての風紀委員共の事か? あいつらがそもそも友達同士だ。つまり、あいつらの方がお前より友達が多い事になるね?」

「言うんじゃねえよ。そっちだって友達少ないだろうが」

 だから憎まれ口を叩き合いながら、今もまた世間話なんて続けている。今はどちらかと言えば、アイクの悩みを聞いて貰っている形になっているが。

「友達……兄さんに聞いた限りは、一番上の人と、それに従う人達って感じなんだよね? その、風紀委員って」

「ああ、ありゃあカルロスに忠実な奴らばかりだ。友達とは言えないな」

 マリアンを襲っていた時の事を思い出す。

 手を出すのはカルロスだけ。他の風紀委員達は、生真面目にただ戦いを見ているだけだった。かと言えば、彼の命令で人質を取ったりもしていたか。

「そりゃあ妙だぞ、才無し。風紀委員の連中は、正義漢ぶった連中が、自発的に集まった輩と言う噂だろう。代表者がカルロス何某だったとして、あまりにも規律が取れ過ぎている」

「……確かにな」

 目下のところ、荒れ始めた学園に対する抑止力として動いている風紀委員達。だが、それだけの存在だろうかと言う疑念が生まれる。

 だが、その疑念を抱いたところでどう動くべきか。アイクは考えなければならない。

「なぁ、デギンス。風紀委員に参加している、カルロス以外の生徒の名前について、幾らか知らないか?」

「なんだ才無し。もしかして、また仕出かす動機が出来たか」

「ちょ、ちょっと。デギンスさんも兄さんをそそのかさないでよ。兄さんも、今は何も無いんだから、わざわざ危ない事を自分から始めなくても」

 イーシャの言う通りではある。そもそも、危険な事にしたところで、本来はイーシャのためにしていた事であり、今はそんな悩みも無いのだから、動く理由は真に無いはずだ。

 だが、どうしてか。アイクは自らの行動を止めようと思わなくなっていた。

「悪い、イーシャ。なんでだろうな……なんでか知らないけど、俺、大変な事が起きる前に、何かが出来る立場ではあるみたいなんだ」

 ずっと、この学園の状況に苛立っていた。

 世界中から才能のある生徒を集め、力を与え、その力を無暗に暴走させている様なこの学園。

 そんな学園に対して、何もかもを変える事なんてできやしないが、働きかける事が出来る程度の力は与えられてしまった。

(ウルフマスクあたりに誘われてんのかね? この状況は)

 ただ、ここで動かなければ、これまでの苛立ちがすべて嘘になってしまう。アイクはそう思うのだ。

 だから、またブラックウルフを始めてみる事にした。




 学園内において、基本的に夜は外出禁止だ。何かしらの用。それも学園側から許可が出たもので無い限り、生徒は学生寮で大人しくしているのが、この学園の数少ないルールなのだ。

(と言っても、抜け道は幾らでもあるし、そもそも見回りもあんまり無いんだよな……)

 アイクは夜の暗闇に隠れながら、学生寮の外を歩いていた。

 服装はブラックウルフのそれ。昼間はただ可笑しな格好でしかない服装であるが、黒塗りであるため、夜においては目立たずに済むのだ。

 見回りが少ないとは言え、まったく無いわけでも無いから、学生寮を出て目的の場所に向かうとなれば、隠れて進む必要があった。

(風紀委員の連中については……さすがに夜まで校舎を見て回ってるわけでも無い……か)

 今はまだ、風紀委員と名乗っているだけなのだから、当たり前と言えば当たり前だ。そんな状況で、自らルール違反をする連中でもあるまい。

(だから、こうやって夜に動くってのなら今がチャンスだ)

 強化された身体能力もまた、夜の校舎を進むには好都合である。天井や壁と言った、人が足場に出来ない場所を足場とし、それでも見つかりそうになれば、瞬時に別の場所へと隠れられる。

(後はここに、人がいなければ完璧か?)

 アイクは校舎を進む中で、誰かに見つからずに、目的の場所へと辿り着けた。

 学園長室。先日、喧嘩をした後に呼び出された場所である。わざわざ夜に来なくても、やって来られる場所ではあったが、狙いは部屋の中にあるであろう備品である。誰かに見られては厄介な類の目的が別にあるのだ。

(お邪魔しますよっと)

 大きめの扉をゆっくりと開く。開く際は少し音が鳴ったものの、周囲に誰かがいるわけでも無いので大丈夫だろう。

 好都合な事に、夜には学園長もいないらしい。夜遅くまで仕事をしているタイプでも無さそうではあった。

(ま、だからこそ、夜を狙って来たわけだけどな)

 扉で音を立てたが、出来れば足音は立てたくない。誰も居ない事を確認しながらも、ゆっくり、部屋の中を探って行く。

 そうして、目当ての物は案外簡単に見つかった。

 ある棚に収められた、在学生の名簿と経歴書の束だ。本の形にはなっているが、雑に束にされ、さらには分厚い。それが何冊か存在しており、在学生達全員の名前と経歴がここに書かれているのだと知れる。

(問題はこれを調べるための時間なんだが……明け方までには間に合うか?)

 今夜の徹夜は覚悟をしつつ、さっそくアイクは経歴書をめくり始める。

 それぞれの生徒の、プライベートが関わった内容であるため、出来るだけ、目当ての人間以外の経歴は見逃して行く。

(やっぱり結構な量だよな。一人探すだけでも大変で……お、さっそく発見)

 目当ての人間は何人もいる。その何人かの内の一人をさっそく見つけられた。

 幸先は良い方だと思いたい。そうしてさっそく、目当ての生徒の経歴についてを目に収め始めた。

(名前はカナトール・ラウリス……ああ、間違いなく、風紀委員の一人だった奴だ)

 こうやって調べているのは、風紀委員を名乗り始めた生徒達の経歴だった。

 彼らが学園に来る前、いったいどこの国から来ているか。ついでにどんな立場だったのかを調べて行く。

 そしてさっそく、一人目の出身国を知れたわけだが……。

(カルロスは確か大陸東方の……出身国としては近いか……? 立場も貴族の庶子だから……接点が無いって事も……)

 一人だけなら偶然かもしれない。アイクは経歴書の中から、風紀委員の名前を探し出し、彼らについてを知って行く。

 そんな中で、彼らが大陸でも東方からやってきており、カルロスが騎士の家出身である事を考慮した上で、学園にやってくる前から、知り合いである可能性が全員に存在していた。

『ちょっとは想像してたが……そうだったとして、これが何を意味しているかだ』

「だ、誰だ!?」

『っ……!』

 興味が増えて油断したのか、遂、声を出してしまった。

 変声しているため、声で個人を特定は出来ないだろうが、それでも夜に、今の姿を見られた事には変わりない。

 しかも相手は、何の用か学園長室に戻って来たらしい学園長のラルフ・オズワイルドだ。

「お、おい! いったい君は……そこで何をして―――

『悪い、ちょっと黙っててくれ』

 アイクは咄嗟に学園長へ近づくと、口元を抑え、顔を近づける。

 まだ十分に調べが進んでいないが、こうなれば、一旦はこの場を去るしか無いだろうと思う。

「……! ……!!」

 騒ごうとする学園長は抑える事が出来ている。とりあえず口を塞ぐ手を離し、学園長室から全力で逃走するくらいならこれから可能だろう。

 今日はここまで。そうする事も出来るだろうが……。

『なあ、あんた。カルロス・ベインって生徒が入学してきた時、何か気になる事は無かったか?』

「な、何故その様な事を私が答えなければ……あ、すまない。ごめんなさい。その固そうな拳を私の顔に近づけないで」

 脅しが通用し易い相手で助かる。資料など探さず、そもそも最初から、こうしていればよかったか。

「カルロス……カルロス・ベインだろう? ああ、彼なら知ってる。風紀委員を作るなんて、立派な男じゃないか。うん。彼みたいな生徒はもっと増えるべきだろうね。そうすれば私が楽できるし、学園の治安も万々歳。各国からの要求を見て見ぬフリをしながら、日頃の仕事サボりも捗ると言うものさ」

『あんまり、そういう話は聞きたくないんだけどな。ああ、けど、カルロス・ベインについては別だ。あいつが立派だって?』

「ああ、立派さ。君みたいなのとは違うね! 何と言っても、実家が凄まじい。ただの騎士の家系では無いのだから、ああいう生徒が居ると、学園に箔が付くというものさ」

『ふうん……ただじゃなけりゃあ、どういう箔が付いているって?』

 思いの外、得られる物は多くなりそうだった。目の前の学園長。役立たずに見えて、実はそうでも無いらしい。

「そも、騎士とは何かだ。騎士とは地位の低い貴族と言えるが、身軽な貴族と表現できる。領地経営をしない代わりに、何か……そう、それでも国家に必要な仕事をしたりもする身分さ。カルロス・ベインの家はそれもとびっきりで……」

 饒舌になっている学園長であるが、不意に止まる。そこからが本題で、そこからが話し難い内容なのだろう。

『別に話して不都合なんて無いだろう? あんたは俺に脅されているし、俺はこんな奴だ。俺みたいなのが何を話したところで、誰も信じない。あんたがここで話す内容は、誰にも信じられずに終わる』

「そうか。確かにその通りだな! うんうん。実を言うとね、彼の家、出身国においては色々と、裏で暗躍する役目を負っているらしい。いわゆる諜報機関。スパイの家系と言ったところなんだろう。ある意味、由緒正しき一族さ。王家に関わる者だって陥れた事があるという噂も……本当に、こういう話をして、私、大丈夫かな?」

『さあ。どうだろうな? しかしそうか……そういう奴なら……あり得るか』

「な、なんの事だろうか? 君もまた……暗躍とかするタイプの……」

『俺の方は、どっちかと言えば喧嘩だ。また、学園の治安云々を悪くするから、覚悟しとけ』

「ちょ、ちょっと! それはどういう!?」

 学園長に返事はしない。ここで必要な物は得られたと考えるからだ。そうしてこれからやるべき事は、学園長を放り出し、全力で逃げる事。

『ちょっとばかり、悪さをしてみようと思う。ブラックウルフって名前はらしいだろう? なぁ?』

 宣言だけはして置こうと思う。既にアイクは、傍観することを止めたのだ。




 日頃から慎重に。動く時は勢い良く。勢いを得るなら人のを奪え。

 カルロス・ベインの実家における、家訓の様なものだ。

 父や祖父、曽祖父からも教えられ、自らも心掛けているそれを、カルロスは頭の中で反復する。

 大凡、この学園においても、その通りに動けているとは思っているのだ。

 ここぞと言う時まで、ずっと潜んでいた。誰かを屈服させる実力はあったものの、それだけで自らの目的が達成できるとは己惚れてはいない。

 ただひたすら、時を待つのだ。誰かが我慢できない程の時間を自分は待つ。そうする事で、誰かよりも優位に立てる。

 実際、学園は勝手に、カルロスにとって都合の良い状況を作ってくれた。

 曖昧な学内ルール。調子に乗った学生達。力を誇示する一部の者。そうして、その状況に対して、また別のアプローチを仕掛け始める異端者。

「誰も彼もが、動く時を間違えている! 事が起こる前に動いてどうするのかと私は問いたいよ! 分かるかね? 人が真に動くべきは、事が終わった後だ。誰もが弛緩し、何事にも疲れたその瞬間に、元気いっぱいに叫ぶべきなのさ! そうは思わないかな? シューリン・カリウス君!」

 シューリン教室の中心に立ち、教室内で倒れるその教室の生徒達に囲まれながら、目の前で膝を屈しているシューリン・カリウスに対して、カルロスは叫んでいた。

 この光景を、マリアン・ファイアハートに対しても作るつもりだったが、数日前にブラックウルフとやらに妨害されてしまった。

 それでも、強行すれば出来たかもしれないが、やはり事は慎重にだ。動き出す前には、ただひたすらに、勢いを殺さない状況を探し続ける事が重要なのだ。

 そうして、目当ての輩の勢いを奪う。例えばそう、学内において女王などと呼ばれている相手を完全に屈服させ、その地位に成り代わる事など、もっともすべき事だろう。

「き、貴様の様な奴に」

「おやおや。シューリン君は実力主義者なのだろう? で、あれば、私に敗北した時点で、尻尾を振るが君の主義という事になる。だから何故、そんな風に睨んでくるかが分からないね!」

 笑顔を浮かべる。別に蔑みの気持ちがあるわけでも無く、相手を挑発している訳でも無い。この笑みは訓練した表情だった。

 笑顔は得なのだ。浮かべるだけで、相手の油断を誘い、時には評価までされてしまう。だから、他人から見て気持ちの良い表情を浮かべる。今、この場において、それが不適当だったとしても……。

「誰が、お前の様な輩に……!」

「私の何を君が知っているのかな? ああ、失敬。私の方は、君の方を知っているよ? シューリン・カリウス。この学園の女王として、誰よりも力を持って居ると自負している……だけの少女だ。それが間違った認識であるとも知らないで」

 実力を隠している生徒だって幾らでもいる。そもそも、学業で結果を出せないタイプで才覚溢れる人間だって、どこぞには居るはずだ。

 そんな中、自分がトップだと信じているのは、迷信を信じる子どもの様な物だろう。どこなに英雄がいると信じ、自分もまたそんな英雄だと信じる愚かなタイプの人間。

 カリウスの実家は、そういう人間を、国家にとって邪魔だと排除してきた家でもある。今回もまた、そんな実家の使命を果たすために、カリウスは慎重に行動している。

 ただ、どうにも、そんな自分の邪魔をする輩も現れ始めてはいるらしい。

『あんたのやりたがっている事なんだが、だいたい理解できて来たよ、カリウス・ベイン』

「おや、随分と遅い到着じゃあないか、ブラックウルフ。今度はもう片方の女王を助けに来たのかい?」

 教室の窓から入って来るその男。ブラックウルフの姿を見て、やはりカリウスは訓練された笑顔を浮かべる。

 彼についても、カリウスは既に評価を出していた。自分の敵だ。




(認識が変わったって言っても、力関係まで変わったりしないんだよなっ!)

 迫るカリウスの拳を、ぎりぎり回避しつつ、アイクはカリウスの存在について考え続ける。

 アイクは彼の、カリウスの狙いを大凡だが予想していた。

 彼はこの学園を支配するつもりだ。そのために動いている。それもかなり狡猾に。

『風紀委員なんて上等な名乗りを使ってんじゃねえよ。この惨状は何だ? どちらかと言えば、侵略に来た軍隊じゃねえか』

「その二つは、そう変わらんのじゃないかね?」

 拳を避けたところで、次は足が来る。カルロスの蹴りを腕で受け止めるアイクだが、結果、腕が痺れて暫く使えなくなった。

「異なる価値観を! 暴力でもって! 押し付ける! この学園においては! 風紀委員は! そうあるべきだ! 違うか!?」

 後方に逃げようとするアイクであるが、カルロスの拳が、蹴りが、頭突きが、時には全身からの突進が、アイクをシューリン教室の端へと追い詰めていく。

 以前はまだ手加減していたと思わせる苛烈な攻め。アイクは耐えているつもりながら、それでも危機へと陥って行った。

 だから直接的な攻撃以外でも、戦う方法を模索しなければならない。

『いい加減、そういう建前は外しちまえよ。はっ、確かにやってる事は変わらねえ。あんたは学園を支配しようとしている。力でもってだ。だが、あんた自身の狙いじゃあない。そうだろ?』

「ほう? では……誰が何の意図を持って?」

 教室の端に追い詰められ、逃げ場も無く、次にはカルロスの拳が顔面に迫るタイミングで、カルロスの動きが止まった。

 話をするチャンスがやってきたのだろう。

『あんたの実家。もしかしたら国か? 何にせよ、あんたの背景が、あんたを動かしている。こんな学園の何が良いかは知らないが、あんたの後ろに居るやつらは、この学園に影響力を欲しているんだ。で、あんたがその直接的な実行力として選ばれた』

 カルロス・ベイン。これほどの力を持った男が、これまで、それほど目立たずに居た理由がそれだろう。

 この男は、誰かに命令され、ずっと待っていたのだ。自らが学園を左右できる立場になれるチャンスを。

 学園で大きな事件が起こり、もう二度と起こさない様にと、何らかの力による統制を学園側が欲したタイミングで、自らの力を提示する。

 そうする事で、学園は彼の存在を無視できなくなる。学園のためにやっているのだと言う建前があるのだから、彼の力を奪う事も出来ない。

 彼は十分な影響を学園に与えながら、学園の方針だって左右できる様になるかもしれない。

『風紀委員に関して、結構な人数を集めたじゃないか。けど、それは有志が集ったわけじゃあ無いんだろう? 全員、最初からあんたの子飼いだ。いや、同僚って言った方が近―――

 腹部に衝撃が走った。勿論、カルロスに殴られたのだ。それ以上喋るなとの事らしい。

「で、そうであれば、何がどうなのだい? もしかして、私が君の言葉だけで倒れると?」

 倒れそうなのはアイクの方だった。痛みよりも先に、何かを吐きそうになっているのだが、吐くのは言葉だけにしておく。

『別に。風紀委員の連中が、あんたの命令通りに動くってのなら、仲間割れなんてのも狙えねえし、むしろ……俺の方が仲間を増やさなきゃならないんだよ。だから喋ってるんだ』

「ふむ? なるほどなるほど。女王二人は黒い狼の味方になったと言ったところかな?」

 カルロスの背中側から、白い霧が見えた。もしかしたら、彼の背中は凍り付いているのかも。それくらいの威力はあるはずだ。

 もっとも、自称学園一の実力者からの魔法を喰らってその程度なら、まだ幸運かもしれないが。

「その様な奴と一緒くたにするな。ただ私は、お前みたいに、魔法の力をそのまま暴力として使う人間に我慢がならないだけだ」

「君は違うとでも言うのかな? シューリン君。君とて、ただ力に溺れてごおっぅ!?」

 話の途中であるが、アイクはカルロスの顎を蹴り上げる事で中断させて貰った。さっきのお返しだ。

 顎を大きく上げるカルロス。その隙にアイクは教室の隅を抜け出し、魔法を放った後のシューリンの横までやってきた。

『その様な奴で恐縮だが、さっさと逃げるぞ』

「何を言っている! コケにされたまま立ち去れるかっ! それに他の生徒達は―――

『倒れてる奴にトドメ刺す相手でもねえし、力を合わせたって勝てる相手でも無いんだよ、こいつらは!』

「誰がお前の様な変態と力なんて―――

『じゃあ尚更逃げるぞ。口は閉じてろよ!』

「なっ!?」

 シューリンを掴み上げると、アイクはすぐに逃げの体勢に入った。実力がまったく変わっていない以上、勝てないのだから仕方ない。

 そもそもアイクがここにやってきたのは、この騒ぐシューリンを助けるためだった。

「何か……企みかな?」

『さあな。けど、そういう事をするのはあんただけじゃあ無いだろ?』

 逃げるこちらを、追うつもりも無いらしいカルロス。去り際の言葉を交わしながら、アイクは教室を脱した。

 最初からシューリンを助けて逃げるつもりだったのだから、向かう先だって決まっているのだ。

「何なのだ!? 行きなり教室をむさ苦しい男に襲われたと思えば、次はお前か!? ブラックウルフと言うらしいが、お前らみたいなのは、この学園をどうするつもりなんだ!?」

 耳がひたすら騒がしい。いっそシューリンを放り捨ててしまおうかと思うものの、何とかアイクは耐えていた。放り出したら、それこそ今までの苦労がパーになる。

『俺は別に、学園をどうしようとは思わないんだがね。ただ、こんな学園だってのに、欲しがってる奴はいるらしい。けど、はいそうですかって与えるのは癪だろ。あんたもさ!』

「訳の分からぬ事をっ……って、もっと丁寧に運べなっ……し、舌を噛んだぞ!?」

『だったらちょっと黙って……ろ!』

 わざと雑に、そうして滅茶苦茶に走らせて貰っている。多少の意趣返しくらいしたって構わないだろう。

 そもそも、何かにつけての始まりが、この女の教室に妹が誘われた事からなのだ。

 既にその事とは無関係な事態にまでなっているが。

「どこだ!? 私をどこに攫うつもりだ!? 私は何をされようと屈しないぞ! 貴様の様な怪しげな男に!」

『別に屈して欲しいわけじゃあ無いが……とりあえず大人しくしてろって言いたいね! ほらよっ!』

「ぬぉっ!? 貴様、雑に人を床に転がして……こ、ここは?」

 逃げ出し、辿り着いた校舎の一室。教室として用意されたものだが、まだ誰も使って居ない部屋へとやってくる。

 こんな部屋に、アイクとシューリン二人だけと言うのなら、怪しげな雰囲気にもなったりするだろうが、実は別に人が居た。

「あーら、随分と無様な格好だこと。いえ、ごめんなさい。お似合いって言った方が良かったかしらね?」

「マリアン・ファイアハート! 何故お前がこの様な場所に! そうか! 分かったぞ! 何もかもがお前の企みだな!?」

 さっそく何もかも投げ捨てて、この場を立ち去りたくなってきたが、とりあえずは頭を抱えるだけで止めておく。

 目の前の二人の女王が始める喧嘩を止めなければならないだろうし。

「わたくしの企みだと言うのでしたら、あら、あなたったら、まんまと嵌った事になるわね? とんだ間抜け」

「はーっはっ! なら、ここでその狙いとやらを、お前ごと刺し貫いてやろうじゃあないか!」

『どうしたもんか。やっぱり帰るか?』

 本気でそう思い、二人から目を逸らしたところ、別の人間が映った。人間と表現するべきだろう。彼はただ、アイクと同じ様に、妙な格好をしているだけの人間なのだから。

『せっかく集まったのだ。とりあえず、こちらの意図くらいは説明しておこうじゃあないか。それで駄目なら、そこで諦めれば良い』

「げっ……ウルフマスクまでいるのか!?」

『げ、とは何だ。私は正義のヒーローだぞ。それはもう、こういう場所にだっているものさ』

 どういう場所だろうか。恐らく、シューリンにとっては、ここは攫われて来た場所であり、そこに覆面男が居る事になるのだが。

「本気で……何を企んでいる?」

『あー、だから、それをこれから説明する。端的に言うとだな、あのカルロスって男を何とかするために、あんたの手を借りたい』




 不倶戴天の敵とやらは人生で何度か現れる。

 そんな事を、シューリン・カリウスは祖母から教えられた事がある。この学園に来てから、シューリンはそれが事実だと知った。

 マリアン・ファイアハート。その女を学園で初めて見た時から、シューリンに戦う運命というものを感じさせた。

 何よりいけ好かない。仕草も、喋り方も、そのシューリンより何倍も女らしい外見からして気に食わなかったのだ。

 持って生まれた才能を無駄に使い、日々、優雅か何か知らない事にのみ注力している。そういう姿も我慢ならない。

 何から何まで、彼女はシューリンにこういう感情を抱かせてくるのだ。こいつは敵だと。

「つまり、手を組むなんて出来ない。そういう事だ」

「長ったらしい話で大変だったみたいだけれど、要約すると、わたくしが嫌いって一言ですむわよね? 分かったわ。その喧嘩、買った」

『買うなよ。面倒くさい。で、この話が飲めないってのなら、幾らか説得させて貰った上で、諦めるんだが』

 気に入らないと言えば、目の前のこのブラックウルフに関してもそうか。

 理解できないと言う方が正確だろう。最近、学園内で無駄にはしゃいでいる輩と聞く。いったい、何の趣味が高じて、今の格好をしているのか。シューリンにはさっぱりだ。

「説得と言ったな? そんな恰好の人間から説得されて、どの様な内容だとして、はいそうですかと頷けると思うか?」

『まったくもって正しい意見だ。ただ、正しい意見だけ言って何とか出来る相手でも無いだろ。あのカルロスって奴は。問答無用で襲い掛かって来たんだろう? あんたの教室にさ』

「ぐっ……」

 反論したいところであるが、無様に敗北したのは事実だ。それは認める。

 カルロスという、あの笑みを浮かべながら無法を正義という言葉に包んで力を振るう男。そんな相手に、シューリンは手も足も出なかった。

 全力での魔法すらものともしない。いや、少し違う。全力で攻撃したところで躱されるのだ。

 図体の大きな体をしながら、俊敏で柔軟で、どれほどこちらが力で勝ろうと、その力を受け流されるだけ。

『彼は戦闘訓練を受けている。実家が騎士だからね。それもとびっきりさ。戦争してなくたって、何らかの政治か戦闘行為をしている家の出と言って良い。つまり……正面からやりあって、君らが勝てる相手では無いと言う事』

 可笑しな格好をしているもう一人。ウルフマスクが、訳知り顔(覆面なので表情は分からないが、きっとそういう顔を浮かべているはずだ)で語っている。

 何をどれだけ知っているかは分からないが、その様な格好で言われても、何だその姿はとしか感想が出てこない。

「学園の正義だったか? そんな風に名乗っていたところで、無法者一人何とか出来ないのか、お前は」

『言うなあ。心が痛くて倒れそうだよ、私。しかもこの後、君らがカルロスと戦う事になったとして、手を貸せない立場なのだから、さらに気が重くなる』

「それ……この女が来る前にも言っていたけれど、どういう事かしら?」

 先にこの部屋で待っていただけあって、マリアンの方が状況を分かっている風だ。その事が気に食わないので、シューリンはとりあえず、まだここで話を聞く気になってしまった。

『私はこの学園内の力関係において、一角を占めている事は分かっているかな?』

『変人の一人ってのを理解してくれ。ちなみに同じ変人として、君ら二人もいる』

「どういう事だ!?」

『そうだ! どういう説明だ!』

 怒声がウルフマスクと被ってしまった。大変に不服な状況である。マリアンの方を見れば、その事を面白そうに笑っている。

「目立つ存在である事は確かよね? 確かに、一角と言えば一角かしら。それもとびっきりの」

 ウルフマスクと言う男を、学内で名前を知らない方が少数だろう。

 さらに、最近になってブラックウルフと言う類似品が増えたのは驚きであった。ここに二人居ると言う事は、仲間でもあるのだろう。

 もしかして、こういう輩が勢力として増え始めたのか。

「む……ウルフマスクというのは、学内における一勢力と考えるべきなのか?」

『おっと、気付いて来たかな? そう。それが狙いだった。本来は私一人で力を示し、君ら二人。先日までは学内の代表的二勢力として見られていたマリアン教室とシューリン教室に対抗しようとしていたのだよ』

「それはまた……何故かしら?」

『分からないかな? 君ら二人とその教室勢力と言うだけでは、バランスが悪いからだ』

 いまいち理解出来なかったが、補足する様に、ウルフマスクが喋り始めた。

『あんたら二人だけだと、何かにつけて喧嘩して、事態も悪化してただろ。前の事件なんかはもっともだ。その自覚はしてくれよ』

「それは……そうだが……」

 ブラックウルフからの言葉が耳に痛い。学内で、生徒達が大勢争う事になったあの事件に関して、シューリンは何一つ言い訳が出来ないのだ。

 あれを引き起こしたのは、他ならぬシューリンの行動。その責任の取り方すら、今は分かっていない。

『若い生徒が無茶をするのは仕方ない。頭から抑え付けたところで、どこぞで暴走するのが常だからね。だからこそ、私はバランスを取る側として動いた。勢力が二つより、三つの方が安定するのさ』

 ウルフマスクの話を聞くに、どうにも彼は、一見したところでは分からぬ思慮の様な物があると思えた。

 シューリンはマリアンといがみ合っている。それはシューリンにとってどうしようも無い事であるが、もし、そこに、余計な茶々を入れる他の勢力が居ればどうだ。

 もう少し、行動を慎重にしようと思ったのでは……。

『ま、立派な事言ってるが、一人じゃ成功できなかったでしょう、あなた』

『そういうな。私一人頑張っても、生徒二人も止められない。だからさらに一人、手を借りて、確かな勢力を作ったのだよ』

「それが最近になって現れた、ブラックウルフということか」

 ブラックウルフとウルフマスク。その二人が頷いた。

 ここも彼らの言う通りなのだ。シューリンの教室とマリアンの教室。その二つの派閥に対して、バランスを取ろうとするなら、一人では駄目だ。一人で動いたところで、奇特な個人がいるとしか思われない。

 だが、二人ではどうか。彼らの様に、シューリンやマリアンの側に属さない、それでいて実力を持った何者かが、他にも結構居るのではと思わせられる。

 少なくともシューリンは、ブラックウルフとやらが現れた話を聞いて、変人集団が学内で派閥を作り始めていると謎の危機感を覚えていた。

「む、だが待て。もしそうだとするなら、今の状況は何だ。お前達は私とこの女の教室のバランスを取るために動いていたのなら、それが出来ていないし、代わりに……」

「案外、鈍いのね、あなた。いえ、案外じゃあ無いかしら? 鈍いのは前から。この狼の覆面を被った二人ったら、成果をまるまる盗まれたって事なのよ、あの風紀委員共に」

 癪であるがマリアンの言う通りなのあろう。

 ウルフマスク達は、ずっと準備をしていたのだ。自分達が二つの教室に並ぶための勢力になる事を。

 だが、そこで風紀委員が動き出す事で、その役割を奪われた。ここ最近の、風紀委員の行動力はそれが源泉なのだと考えられる。

 生徒達には既に、別の勢力を受け入れる状況が作り出されていたのだから。

『待て。俺はこのウルフマスクの狙いを知ったのはちょっと前からだ。当初の目的が無残に砕け散ったのは、この人だけって事になる』

『私追い詰めて、何か楽しいのかい!?』

 何にせよ、一緒くたに出来る二人ではあると思う。可笑しな格好をしている可笑しな二人である事には変わらないのだから。

「風紀委員に成果を掻っ攫われるどころか、その風紀委員は三竦みを望むんじゃなくて、学内一強を狙っている。そんなところね、今の学園は」

 碌な状態ではないと思う。こんな学園を牛耳ったところで、何があると言うのか。

(いや……それこそ、私が言えた事では無い……か)

 学内で何よりも優秀。そんな事を求めていたシューリン自身もまた、今の風紀委員達と、それを率いるカルロスと同様なのでは無いか。

 頭に冷静さが戻って来るに従い、シューリンは自らも省みられる様になって来ていた。そうして、いけ好かない女に関しても。

「お前も……この状況に責任を感じているから、私がここに居る事へ、苛立ちを感じていないのか?」

「あら? あなたの事、嫌いである事には変わり無いのよ? ただ……それをぶつけられる程、無責任になれないだけ。私だけの問題じゃあ無く、他の誰かを巻き込んでしまっているもの」

 何があったかは知らないが、何時もより挑発がぬるいところを見るに、シューリンよりも先に、マリアンには心境の変化があったらしい。

「……私達が手を組めば、あの風紀委員達を何とか出来る……それは事実か?」

 ウルフマスクを見るが、彼は頷かない。ただ話を始めるだけだ。

『シューリン教室とマリアン教室。この二つの派閥に対して、風紀委員は挑み、ある程度の優位を築いている。今、生徒間ではそういう認識にあると言える』

 否定はしない。ブラックウルフの介入で、完全な敗北には至らなかったが、膝を屈していたのは事実だ。

『だが、まだ境界線上にあるとも言える。例えばそう、風紀委員が台頭する前の勢力が一時的に手を組み、介入を直接排除できたとすれば……』

「以前の状況に……戻る?」

 シューリン教室とマリアン教室がいがみ合っていた状況に戻せるとしたら……いや、そうじゃあない。

『再編つった方が良いな。俺とも手を組むのなら、このウルフマスクが以前から狙っていた状況に作り直せるわけだ』

 シューリンの教室。マリアンの教室。そしておかしな格好をした連中。そいう三竦みを、風紀委員を排除する事で、作り出そうと言うのだろう。

「そうか。だから……ウルフマスク当人は動けないと」

『うむ。ウルフマスク勢力として認識されるには、私以外のウルフマスクが動かなければならないと言うわけさ。私が介入した時点で、私と言う存在が際立ってしまう。それは避けなければ意味が無い』

 だから、動くのはシューリンとマリアン。そうして、ブラックウルフだ。

 シューリンはそこまで説明されて、ブラックウルフを見た。黒一色の覆面。表情は分からないが、どうにも底意地の悪さみたいなのを感じるその男の姿を。

『説明できるのはここまでってところか。俺も、何が出来るかなんて知れたもんじゃあねえが、答えだけは聞かせてくれ。一時的で構わない。カルロス・ベインを打倒するまで、手を組まないか?』

 尋ねられたところで困る。

 既に向こうも分かっているだろうに。シューリンの心情は決まっていた。




 学園中を騒がす事になる事件。その二度目が発生したのは、学生達が授業を受けている昼の事だった。

 風紀委員の多くが所属しているカルロス教室に、一人の人間が殴り込みを掛けたのである。

「先日のお礼参りに来た! 覚悟をしろ!」

 そんな女の大きな声が教室内に響く。その声を知らない者も少ないだろう。

 昨日まで、学園の女王などと呼ばれていた側の片方。教室の扉を開いて叫ぶ、シューリン・カリウスの声だった。

 その声にすぐさま反応するは、教室内で風紀委員に所属する生徒達。もっと詳しく言うのであれば、カルロスと学園に入る前から手を組んでいた者達。

 だが、一歩目から有利にあったのはシューリンの方だ。

 時間は授業中。生徒達が何をしようと、まずは席から立ち上がる必要があるし、乗り込んで来たシューリンの方は、既に魔法を放つ準備を完了していた。

「思ったよりやんちゃじゃないか、シューリン・カリ―――

 カルロスが真っ先に立ち上がり、何時も通りの笑みを浮かべたが、彼の言葉など意に介さず、シューリンはとびっきりの魔法を放った。

 使う魔法は得意の氷。ただ人間を狙ったものでは無い。

 むしろ狙うのは、人と人の隙間。丁度窓側と廊下側で、教室を二分出来る生徒達の間に、氷の壁を作ったのだ。

「これでお前達の半数を封じた!」

 宣言する。自らのやった事と、これからやる事を。

 それは文字通りの宣戦布告。カルロスは廊下側の席であったため、彼と戦う事への宣言をするのと同時に、彼と共に戦う風紀委員達の分断を図ったのである。

 だが、全員では無い。生徒達の内、風紀委員であるものは、カルロスと共にシューリンを狙う。

 しかし、その内の何人が予想していただろうか。振り向き逃げるシューリンを追って廊下側へと出た瞬間。炎の塊が迫って来るなどと。




 魔法で吹き飛んで行く数名の生徒達を見ながら、マリアンは笑う。ざまあみろと言う感情が籠った、本人的には清々しさが混じる笑い。

 自らの魔法で吹き飛ぶ者達を見るというのは、往々にしてこういう感情が生まれるものだ。これでさらに、戦える風紀委員を減らした。

「出来れば、あなたも巻き込みたかったのだけれど?」

「おやおや? まさか君ら二人が手を組む事になったとはね? マリアン・ファイアハート。シューリン・カリウス。有り得ぬ事だと考えていたが、私は君らを追い詰め過ぎたかな?」

 カリウスはまだ、廊下に立っていた。マリアンの奇襲を予想していたか、奇襲よりも早く行動出来たか。

 ただ、彼だけが超人的と言うわけでも無さそうだ。あともう一人、無事のままの風紀委員が立っていた。

 確かこの前、可愛い後輩を人質にしてくれたカナトールとか言う生徒だ。忘れるはずも無い。

「追い詰めたのじゃあ無くて、奮い立たせたと言って欲しいわねぇ!」

 再び炎を放つ。今度は炎を細い槍の形にしたもの。出した数は3本で、それらがそれぞれの軌道を描きつつ、二本はカリウスに。一本はカナトールへと飛んで行く。

「ほうほう。上手くやったつもりだが……狙いは私へ三本にするか、カナトール君に二本にするべきだったかな?」

 三本の炎の槍の内、二本はそれぞれ、カリウスとカナトールがいとも容易く回避してのけた。

 そうして最後の一本についても、カルロスを狙ったそれが、カルロス当人の手に寄って掴まれてしまったのだ。

 炎の槍を掴むその姿は、それだけでも驚きだったが、手に火傷をしている風には見えないため、魔法による身体の強化とやらをしているのだろう。

「そうして! やはり奇襲をするのなら、もっとタイミングを良くするべきだ。違うかな? シューリン君」

「なっ……!」

 それはシューリンが驚嘆する声。

 マリアンの炎の槍とて、目暗まし。狙いはその槍と共にカリウスを狙うシューリンの魔法だった。そのはずだったのだ。

「化け物か!?」

 既にカルロスに接近していたシューリンは、魔法の氷で形作った棍棒の様な物でカルロスを叩こうとしていた様子だったが、それもカルロスが受け止めていた。

 両の手でそれぞれ、炎の槍と氷の棍棒を防ぎ切ったと言う事。シューリンが驚くのも分かる。

 マリアンだって内心では驚いていた。ただ、表面上は笑っている。別に強がりと言うわけでも無い。何せ、今度は驚かせる側だから。

「チームワークが取れていないと言うのは、実際その通りよ? けれど……それでも足りるって考えたから動いたの。お分かりかしら?」

 二人では足りない。確かにそうだろうが、足りぬチームワークであったても三人ならばどうか。

「ふん? 確かに、君ら三人を相手にするとあれば、カナトール君では些か荷が重かったかな?」

 カルロスの視線は、マリアンとシューリンから、隣に立っていたはずのカナトールへと移っている。

 いや、正確には、カナトールの脇腹に拳を叩き付けているブラックウルフの姿を見たのだろう。

『あとはお前一人だ。カルロス・ベイン』




 カルロスの右腕……と見るべきかもしれないその生徒。カナトールと言うらしいが、そんな生徒が倒れる姿をアイクは見つめる。

 ここまでは理想的状況だ。やはり敵となるのはカルロス個人なのだろうと確認できたのも上々。

 問題はカルロス個人がどれほど出来るかだが……。

「手強くはあるな。君達三人となる……とぉ!」

 だから一人減らそうとしてきた。

 今、もっとも近くにいるアイクに対して、予備動作を無視したかの様な動きでさらに接近。最小限の動作で腰を振り、腕を叩き付けて来る。

(こいつに対してっ……何をしてきてもおかしくないと警戒してなければ……危なかったか!)

 アイクは一発目の拳を両腕で受け止め、二発目の足蹴りを後退する事で避ける。だが、それぞれ辛うじてであった。

 結局、一方的に攻撃を受けて、押し込まれている事には変わりない。三発目に何が来るかは分からないが、受け流せる程、アイクの身動きは上等では無いのだ。

「君一人なら……これで潰せるがぁ!」

 カルロスは跳ねた。両の足は床にヒビを入れる程の力で、その力がアイクへと向けられれば、ひとたまりも無いだろう。

 だが、カルロスは動作を逃げへと変えた。その次の瞬間、先ほどまでカルロスが立っていた場所に、氷柱が突き刺さる。

 シューリンの援護だろう。マリアンの様に、アイクまで巻き込んでの魔法と言うわけでは無かった事にホッとする。

 しかし、安心するにはまだ早かったらしい。

「上だ!」

 シューリンの声に反応して、視界を上げる。カルロスは確かにシューリンの魔法から逃げた。

 だがそれは、その場をただ上へと避けただけであり、引き続き、降りて来る事でアイクを踏み潰そうとしてきた。

 廊下の天井に手を突き、勢いを付けて、こちらに足の裏を見せつけるカルロス。

『そうそう、やられっぱなしって訳でも!』

 アイクは向かってくる足を避けるのでは無く掴み取る。そのまま勢いを自分から床へとズラし、カルロスを床へ叩き付けたるためだ

 しかし、足を掴まれ、床へとぶつけられるはずのカルロスの身体が、途中で止まる。

 彼は身体全体がぶつかるより早く、今度は手を床に突き出し、アイクの力に反発して来たのである。

「温いなぁ!」

 張り付いた様な笑い顔のカルロスを見て、恐怖を抱くなと言うのは無理がある。しかも、案の定、力比べとなればカルロスに分があるのだ。

 カルロスの足を掴む手が身体ごと弾かれた。無茶な体勢になっているのはカルロスの方だと言うのに、それでも向こうの魔法が上を行く。

『ぐっ……とぉっ……! はっ、言う割には、勢いはそこまでじゃあない……だろう?』

 弾かれながらも、アイクは体勢を立て直した。ダメージも無い。普通ならカルロスが追撃を仕掛けて来るタイミングで、それが無かったからだ。

「ふぅん? ほう? 最初から随分と連携が取れていると思っていたが、なるほど、多少は息を合わせて来ているらしい」

 向こうも体勢を立て直しているカルロスであるが、赤くなった自身の手の平を見つめていた。

 熱を持った床を素手で突いたらそうもなるだろう。カルロスの身体が床に叩き付けられるタイミングで、床を魔法で熱したのだ。

 アイクでは無くマリアンが。

 おかげで、カルロスの動作が幾らか遅れ、アイクが逃げる隙を作る事が出来ていた。勿論、狙って事である。

「さすがに、わたくし達三人なら、あなた一人の手に余るのでは無くって?」

 カルロスを見ているため、喋るマリアンの表情は分からないが、彼女も笑っているのかもしれない。

 まったく。暴力的な状況だと言うのに、相手もこちら側も、笑顔に溢れていて困る。

「学生レベルとしては……やるかもしれないな?」

 その発言と共に、カルロスの張り付いた笑顔が止まる。

 そうして動き出した。迫るはアイクへ……では無い。アイク達三人の予想を外れ、もっとも離れたマリアンへと突き進んだのだ。

「迂闊ねぇ!」

 確かにアイクにもそう見えた。距離があると言う事は、接近する間、無防備な姿を相手に晒すと言う事。

 幾らカルロスの突進が早かろうと、マリアンが炎の魔法を放つ時間は十分にあった。

 マリアンが発した炎の塊はカルロスにぶつかり、その次の瞬間にはカルロスを包む。

 そうしてカルロスは、炎を纏いながらもさらに止まらず進んだ。悲鳴一つすら上げずに。

「なんですって―――

 マリアンが放つ驚愕の声は途中で止まった。炎を纏ったまま、カルロスはマリアンに接近。彼女の身体を蹴り飛ばしたからだ。

「あぐっ!?」

 悲鳴を先に上げたのはマリアンの方。カルロスの方はと言えば、マリアンを蹴った後、無言で自身の身体を震わせ、身体に纏わりついた魔法の炎を払い飛ばしていた。

「温いと言った」

 倒れたマリアンに背を向け、カルロスがこちらを振り向く。やはり、張り付いた笑みが消えている。

 感情が見られぬ真顔を浮かべるカルロスであるが、アイクにはこちらの表情が自然に見えた。

『本性を現したってところか? おい』

「本性? 私の性など、ここでは関係無いだろうに」

 マリアンの次に狙うのはシューリンかアイクか。どちらであるかすら伺えない無表情のまま、彼は動く。

 カルロスが次に狙うのはシューリン。その事に気が付いたのは、カルロスの拳がシューリンの腹部に叩き付けられたその瞬間だった。

「ぬぐぅ!?」

 シューリンの呻き声が聞こえる頃には、カルロスは次の動きを始めている。流れる様に動き、アイクへと迫って来たのだ。

 アイクが行動出来たのは、そこに来てやっとである。それも防御動作だけ。

『何で……これだけの力をっ』

「力? 私の魔法なぞ、さっきの二人に比べれば……大したものでは無い」

 頭部を殴打しようと迫るカルロスの拳は防げたが、次の瞬間には足を踏み込まれる。

 バランスを崩し、膝を折ったところで、カルロスは先ほどの仕返しとばかりにアイクを床へと叩き付けた。

『だっ……ぐっ……がっ!』

 床に転がるアイクの頭部を、カルロスの足が抑え付けて来る。痛みと言うより圧迫への恐怖がそこにあった。

「これはね、戦い方の差だよ。戦うという事への技術。いや、覚悟さ。先ほどのマリアン君の魔法にしてもそうだ。私を……万が一にでも殺さない様にと魔法を抑えた結果、あのザマだ」

『がぁっ!』

 頭部への圧迫をさらに強めて来るカルロス。そこには躊躇が無い様に思えた。本当に、人の命を奪う事への覚悟がある様な……。

「争いとはそういうものだ。才覚も、技能すらも、事を起こすと言う覚悟の前には小さいものだ。だから君らは負ける。ただの学生が、これまで頑張ったと褒めてやり―――

『学生相手になぁ……』

 恐怖はある。恐怖を無くす訓練なんて受けた事が無い。ただ、ここは学園だ。学生がイキがって何が悪い。学生が……勝てなくて何が悪いのか。

 アイクはそんな意地だけで、カルロスの足を掴んでいた。

『偉そうに語る内容か! それがぁ!』

 掴んだ足を持ち上げ、どこかへと投げようとする。ただ、そう出来る程にカルロスは容易い相手では無いだろう。

 すぐにバランスを立て直し、こちらが掴んだ足を、むしろ押し込もうとしてきた。

「私が手加減をしているのは、君らの命が惜しいわけじゃあ無い。これから、人殺しとして、学園内でギクシャクするのは困るだろう? ただそれだけだと理解して欲しいんだが……ね?」

「あらそう? それってつまり、わたくし達と大して立場が変わらないって事じゃあないかしら?」

「むっ!?」

 カルロスがアイクから離れる。何せ、アイクすらも巻き込む程の炎の塊が飛んで来たからだ。

 こんな光景、そう言えば前にもあった気がする。だからアイクは前と同じ様に吹き飛ばされて、廊下を転がった。

『お前な……無事だったらそうと……って言うか、またやりやがったな!』

 焦げ臭くなった身体を振り払いつつ、アイクはもう一度立ち上がった。見るのはカルロスの方だが、声を向けるのは魔法を放って来たマリアンの方。

「あらあらごめんあそばせ? さっき、手加減する甘ちゃんだと思われたのが、わたくし、とても頭に来たみたい。けど、やっぱりお互い様よね? そっちだって、何のかんの手を抜いたから、こうやって復帰できている」

 戦い方は兎も角、マリアンの挑発は一流だ。カルロスの何が脅威であったとしても、勝てる部分は確かにあった。

 カルロスの方も、何かを感じたのだろう。その顔を、漸く歪めてくれた。

「お前達が……状況を逆転出来たわけでもあるまいに!」

「ああ、それはこれからだからな!」

「何を!?」

 シューリンの魔法が、不機嫌そうなカルロスを捉えた。戦いに復帰したのはマリアンだけは無い。悠長にアイクを追い詰めようとしていたカルロスのミス。

 たかが学生と見下すだけなら兎も角、手すら抜いていたカルロスのミス。

 それはカルロスの足と床を凍り付かせる結果へと繋がる。

「この程度で、足を封じたつも―――

 怒りを発する予定だったろうカルロスが突如黙る。

 彼にただ見せつけたのだ。アイクの奥の手を。

『よう。そういえば、俺の魔法をまだ見せて無かったな?』

 才能の無いアイクだったとしても、服の力を借りればある程度の魔法が使えた。

 結果、アイクの手は黒い輝きを放ち始める。

 今、着こんだ服の機能。アイクにとっての奥の手。この奥の手をカルロスへと叩きこむ事が、当初からの計画の最終段階。

 この瞬間を作り出すために、他の二人と手を組んだ。結果はと言えば、かなり痛めつけられたものの、何とか手が届く。

『これで最後だ、カルロス・ベイン』

 黒い光はただの輝きでは無く、具体的な形となっていく。

 光はアイクの手から長く伸びて行き、黒い光はそのままに、まるで槍の様な形となった。

「待て……お前は、本気で!?」

 こちらの殺意でも感じたのか、ここに来て、カルロスは狼狽えている。

 だが話はしない。聞きもしない。そもそも、話すほどの時間さえ無いだろう。カルロスを捉えたシューリンの魔法は、今にも破られようとしていたからだ。

 だからアイクも、戸惑わずに魔法を放つのだ。

 今、手に発生した黒い光の槍を投げつけるだけの行為。アイクはそれを澱み無く行い、カルロスへと槍は向かう。

 そうして躱される事も、外す事も無く、槍はカルロスへと突き刺さる。

 その瞬間、アイク達の戦いは終わったのだ。




 争いがあれば平和もある。そもそも学園という物の内部は、平和が続くべきであろう。

 アイクはそう考えているし、漸く、平穏と言える物がこの学園に来たのだと思う。

「あの風紀委員がどうなったか知っているか? アイク。何故か綺麗さっぱり、消えたらしい。いや、生徒達は消えていないが、どうしてか参加者が突然ゼロになったそうだ」

 平穏と日常。それはこの、デギンス・フォードリーから、愚痴に似た話を教室で聞く事でもあった。

「元々、カルロス・ベインが中心になって始まったものだろ。その中心人物があのザマじゃあ、そうもなる」

「そのザマと言うのは、何を指しているんだい? カルロス・ベインが、自身が襲った連中から逆襲を受けた事か。それとも、一時的に魔法が使えなくなった事か。もしくは、簀巻きにされて放置された事への恥か?」

「そのどれもだ。ま、死んじゃあいないし? 最終的には恥を掻いただけで終わった話なんだから、深刻に考える様なもんじゃあない」

 昼休み。教室から窓の外を見る。そこにもやはり、変わらない平穏があった。

 空は今日も晴れており、何人かの生徒が、ボールを使って遊んだりもしている。そんな、当たり前の景色。

 そう、深刻な状況ではもう無い。今回の当事者と言えるカルロス・ベインは別に死んでもいなければ、大怪我を負ってもいないのだ。

「その場で見ていたわけではないがね……ブラックウルフとやらが、トドメを刺したなんて話があったが、それは何だったのか。嘘か?」

「俺は別にブラックウルフでも何でも無いが、最後の魔法をぶっ放したのは事実だな。別に、生き死にに関わる魔法ってわけでも無かっただけで」

 カルロス・ベインとの戦いの最後。アイクが彼に放った魔法は、一定時間魔法の行使を封じるだけのものだった。

 それこそがブラックウルフの服に仕込まれた奥の手の魔法であり、学園内の治安を守るために用意された服装としては、丁度良い魔法とも言えるだろう。

「そう長く効果が持続するもんじゃあ無いが、それでも一日くらいは使えなくなるそうでな。魔法を使えなくなった以上、後はどうとでも出来る。簀巻きにして校庭に放り出したりとかな?」

 あれほどに力を発揮したカルロスであったが、肉体強化の魔法が使えなくなったのならば、アイク達が圧倒的に優位に立てたし、こいつは悪い事をした奴だと吹聴する事も出来た。

 それを他の生徒達がどう受け取るかは別の話だが、少なくとも、風紀委員はそれほど力が無い連中だと勘違いさせる事は出来ただろう。

 数日経ち、カルロス・ベインだって万全な状態になっているはずの現状で、動きが見えないのは、その証明であると考える。

「で、風紀委員がそんなのになった後釜に滑り込んだのが、ウルフマスクとブラックウルフ殿ってわけだ。気分はどうかな? 良くは無さそうだが」

 元々が、ウルフマスクの活動を、風紀委員が代わる形でその立ち位置を奪っていたのだから、仕返しをしてやれば元に戻る。

 いや、風紀委員に向けられ始めた畏怖の視線に関しても、ウルフマスク達へと向けられる事になる。さらに状況は進むのだ。

「変な立場になっちまったと思ってるかもな。俺だって、それなりに噂は聞いてる。一時的に組んだ、シューリン教室とマリアン教室。そうして覆面を被った奴らが、共通の敵を排除した後、またいがみ合い始めた……だったか?」

「そうそうそれそれ。またいがみ合いを、などと言われているが、前まで、覆面を被った変人については語られていなかったろう? つまり、何故か学園の女王二人に対して、新たに対抗馬が生まれた形になるのさ」

 それこそ、望むべき状況なのだろうと思う。三者が対立すると言うのなら、以前までの二派の対立よりかは、暴走だって少なくなるはず。そう思いたい。

 何せ、わざとそう仕向けたのだから。

(噂がしっかり流れてる事を考えるに、女王様二人も、とりあえずは最後まで手を組んでくれてるらしいな)

 手を組み、風紀委員を排除すると決めた時からの約定だ。

 最終的に、それぞれの派閥が学園で対立する様に、流れを作る。そこまでが手を組むと言う事。

「やはり、ブラックウルフ殿は良い顔をしていると思うのだがね? 違うかな?」

「そいつにとっては、面倒が続く事には変わり無いだろ? 学園が多少マシになったところで、不機嫌な顔は続くさ」

「だが、それでも、悪くは無いと思っている」

 まったく、どこかの誰かの心を、いちいち察しようとする奴である。返す言葉に窮したので、アイクはまた、教室から窓の外を見た。

 そろそろ昼休憩の時間も終わる。外を歩く生徒達は、きっと自分達の教室へと帰っている途中だろう。

 その表情は、別に喜ばしいと言った物では無く、憂鬱な時間が始まる。ちょっと面倒。そうして、当たり前の日々が続く。そんな感情が籠った物の様に見えた。

 不安とか、恐怖とか、そういう学園に不釣合いな物は存在していない。少なくとも、アイクにはそう見える。

「……悪くは無いんだろうな。前まで、ちょっとした事で苛つくなんて事は、暫く無さそうだ」

「それもこれも、今後のブラックウルフ殿の頑張り次第かもしれんがね」

 なら、頑張れるだけ頑張ろうと思う。

 日々、この学園の事を考えるのは、以前だって変わらない。

 なら、少しだけでも、自分がスッキリとする選択肢を選びたいのだ。




「それで、言いたい事はそれだけ?」

 授業が終わり、アイクは校舎の中を歩く。そこで隣に妹のイーシャがいるのは、良くある事ではあった。

 ただ、何時もとは違う事が二つ程ある。まず一つ目は、妹からお叱りの言葉を受けている事。

「いやあ……悪いけど兄さんな、これからも危ない事をする……んだと思う。そこに関しては申し訳ない」

「頭を下げられたって、許さないから。前までは、兄さんの方が、私にそういう事をするなって言う方だったじゃない」

 耳が痛い。何時も妹を心配していたアイクだったが、今は妹に心配される側になってしまった。

 怪しげな覆面を被り、学内で私闘を繰り返す様な立場になると言うのだから、イーシャの言葉はどこまでも正しい。

「んー……けどなぁ。ほら、何て言うか……」

 言い訳を探そうとするアイクだったが、まだ授業は終わったばかり。

 そこかしこに、学生寮に帰る生徒とすれ違ったり、教室には今日の授業の復習をしている生徒が見えたりもする。

 正体を隠している以上、ブラックウルフについて、具体的に話すと言う事も出来やしないのだ。

「止めたって止まら無さそうだから聞くだけ聞くけど……もう、私が心配だからって理由で動いてるわけじゃあ無いんだよね?」

「最初はそうだったはずなんだけどなー。今は違う。そこは本当だな。じゃあ何に向かってか聞かれると、まだ具体的に分からなくて困るんだが……」

「……そっか。なら、良いのかな。良くは無いけど」

 何か、妹にしか分からない納得のされ方をされてしまう。

 どうにも呆れられた風であるから、兄として弁解させて貰いたい。

「こう、俺もだな、それなりに、出来る事とかがあるんじゃないかと考えた上でだな……いや、ちょっと違うか……そういう空気? 何か、やる気みたいなものがだな」

「要するに、兄さんも、漸くこの学園の生徒になれたって、そういう事なんだね」

「……なんだよ、その表現」

 意味が理解出来なかったので、今度はアイクの方が顔をしかめた。だが、そんな兄の顔を見て、妹は笑う。

「だって、前までの兄さん。何だか、自分は他とはちがーうみたいな顔して、傍観者みたいにしてたんだもの。そりゃあ、私の付き添いで入学したかもしれないけど、入学したんだから、今みたいに、生徒として色々するのが大切かもって」

「お前なぁ……そういう返し辛い事を言ってくるんじゃあないよ」

 上手い事を言われた気がして、アイクは頭を掻くしか無くなった。

 しかし、ああ、確かにそうだ。前までがどんなだったかも忘れて、アイクはこの学園で生活をする当事者として、今は色々と考える様になっていた。

 どれだけ魔法の才能が無く、入学した理由も、妹の保護者としてであったとしても、アイクは今、間違いなくこの学園の生徒としてここにいた。

「やる気出て来てるなら、サークル活動とかもおススメだよ? 最近は、授業後に教室を越えて集まって、いろいろやってる人たちも増えてるみたい」

「そういう活動に関しては、むしろこれから忙しくなりそうでなぁ」

「ブラックウルフ……」

「別にそいつは俺の事じゃあないけどな。ないけど、まあ、忙しくはなる……おっと」

 そろそろ目的地近く。何時もとは違う事の二つ目として、学生寮ではなく、とある場所を目指していたのであるが、その場所への扉が目の前で開かれる。

 アイクが開いたわけでは無い。扉の向こうの部屋から、二人ほど女子生徒が飛び出して来たのだ。

「ふん……相変わらずの日和見主義者め」

「そんなに怒る事かしら? 好き勝手できて良いとは思わない? 苛立つ気持ちは分かるけど……あら?」

 部屋から出て来た女子生徒二人。シューリン・カリウスとマリアン・ファイアハートであるが、二人してやや不機嫌そうな様子だった。

 もっとも、この二人が揃って機嫌を良くしている光景というのも無いだろう。

(少し、いや、かなりタイミングが悪かったか?)

 こういう表情をしている二人は危険信号だと、アイクはこれまでの事で学ぶ事が出来ていた。

「えー……あー……よう、二人とも、元気そうだな」

「そうかしら? 嫌な事ばっかり最近はあった気がするけど。あー、やだやだまた嫌な話しそう。さっさと帰りましょ」

「ふんっ……」

 アイクにとっては意外な事に、二人はそれぞれ、廊下の別側(こっちは予想通りであるが)を歩いて、あっさりと去って行った。

 残されるのはアイクとイーシャの二人だけ。

「そういえば、二人には正体を知られてなかったか」

 ブラックウルフは覆面を被った謎の存在だ。そういう事になっている。その正体を知る者は、ウルフマスクを除けば、イーシャとデギンスの二人のみである。

「あはは。あの人達にしてみれば、兄さんは不良さんのままなんだね」

「正体知られてたって、不良には変わりないかもだぞ? 付け加えるなら変人か。ま、あの二人と同じ部屋にいる必要無くて良かった。お前も、付き添いはここまでで良いぞ?」

 目の前の部屋、学園長室を見つめる。

 どうにもまた、この部屋の主に呼び出されたアイク。

 碌な事ではあるまい。妹も心配して付いて来ているのだが、部屋の中まで同行して貰うわけにも行かないだろう。

「まさか……退学とかにはならないよね? 兄さん」

「多分、それは無いと思うんだがなぁ……とりあえず、話を聞いてからだ。先に帰ってて良いぞ。学園長って、話長そうだろ?」

「う、うん。それはそうだけど……」

「ほら、帰った帰った。心配するなって。ちゃんと後で報告はするよ」

 妹をずっと廊下に立たせるわけにも行かない。アイクはとりあえず、妹に背中を向けさせる。

 とぼとぼと歩き出すイーシャを確認してから、アイクは部屋の扉をノックした。

「失礼します」

 この部屋の向こうには、先ほど、学園の女王二人を苛立たせた男が待っているはずだ。

 その男がどんな話をするのか。アイクは期待こそしていないが、話自体は聞いてみるつもりだった。




「で、あるからしてね? 学園の今までの事態をおもんばかるにだね? こう、やはり……何か問題を起こした者は、厳罰に処すのがベストだとね? 私は考えるわけだが、それはそれとして、やはり、人とか周囲の状況とか、社会とかを考えると、それも中々に難しく……」

 学園長、ラルフ・オズワイルドの長話が続いている。

 恐らくは……アイクを叱るはずの内容だろうと思われるが、いちいちに話し方が遠回しなので、内容の理解が困難であった。

 しかも叱る側のラルフが、自信無さげで冷や汗を掻き、それを手に持った布で拭いつつ、あちらこちらと部屋を歩き回るので、視界だって定まらない。

 どうしたものかとアイクは思うので、部屋の壁をラルフだと思って言葉を返す事にした。

「で、俺は今後、どういう処分があるんでしょうか? 以前、シューリン教室やマリアン教室に喧嘩を売った罰は、謹慎だけじゃ済まないと?」

「そ、そういう事では無くてね? いや、呼び出した以上、そういう事ではあるのだろうが、私の一存では決めかねると言うか。それはそれとして、君の意見は聞いておかなければならないと言うか」

 溜め息を吐きたくなる。この学園長の様子にこそ、アイクより前に呼び出された二人は苛立っていたのだろう。

 そうして、そのまま部屋を去る事になったのだと思われる。そこまでを考えるに至り、アイクはふと疑問に思った事を口にした。

「あの二人には、学園長がウルフマスクだって事バラして無いんですかね?」

「うん……うん? え? いや、君、それをどこで」

「手に持った布。あんたの覆面でしょうに。それで汗を拭かないでくださいよ」

「その割には、驚いて無いじゃないか!」

 また溜め息を吐きたくなった。

 ラルフ学園長はウルフマスクである。アイクはその事に気が付いたし、恐らく、それを明かすために、彼はアイクを呼び出したのだ。

 ハンカチ代わりにウルフマスクの覆面を使っていたのは、むしろ早く気が付いてくれとの所作だろう。わざとらしい。

(となると、流してた冷や汗は、なんで気が付いてくれないんだって言う焦りか?)

 何にせよ、やはり溜め息を吐きたくなる状況だ。今さら正体を明かして、何をしようと言うのやら。

「本当は、もうちょっと前に気が付いてました。色々とヒントはありましたし」

「ふむ? それはどういう類のかな?」

 これまで、自信無さげだったラルフ学園長の表情が、どこか鋭さを感じるものへと変わる。この学園、外面を色々と装える人間が多過ぎでは無かろうか。

「とりあえず、ウルフマスクが学園に深く関係してなきゃ知らない事を色々知ってるって事から、かなり人間は絞られますよね? 俺が学園に入学した理由とか、例のカルロスの経歴についてとか」

「んー……それは確かにそうか。だが、あれは会話上、仕方ないと言うか」

「あとはまあ……そもそものウルフマスクの行動指針とかも」

「正義を実行する事の何が悪い」

「けど、学園長としては正義のために動いたわけでも無いでしょう?」

 覆面を被っていないのだから、いちいち言う事を取り繕う必要もあるまい。

 だいたいアイクに正体をバラしたのだって、物事を何もかも、綺麗に終わらせるつもりは無いと言う事だろうに。

「……では聞くが、私がどうして、あんな馬鹿らしい格好で行動していたと思っているのだね? 単なる正義漢以外で無いと理屈が無いと思うのだが」

「単なる正義漢だったら、もっと理屈が無いでしょうに。あなただって、俺と同じ動機でしょう? 問題を、少なくとも問題のある生徒達が卒業するまでは、先送りしたいって、そう考えて行動してる」

 学園長らしい動機だと思う。ただ、感情面の納得から動機が来ているアイクより、もっと即物的だとも言える。

「学園長としては、そりゃあそうだ。問題なんて大事にならずに、通り過ぎてくれれば一番良い。けど、放って置いたらそうはならないし、だからと言って、学園長として直接動くのも角が立つ……だから」

「ウルフマスクなどと言う覆面を被って、道化を演じている。ああ、まったくもってその通りだ。どうだい? 幻滅したかね?」

「いえ、ただの変態じゃなくて良かったなと正直ホッとしましたね」

「そうか……」

 何故か肩を落としているラルフ学園長。まさか、ウルフマスクなんて変態が、実は評価されているのではと本気で思っていたのだろうか。

「で、幻滅はされ続けているという解釈で話を続けるが、まあ、君には迷惑を掛けたと―――

「ちょっと待ってください。だから幻滅なんてしてませんってば。どちらかと言うと……誰だって、出来る事をしているんだって、この学園を見直したばかりなんですから」

 結局、結論としてはそういう事なのだ。

 以前はずっと、苛立っているのは自分を含めて少数だと、アイクは傲慢になっていた。

 だが、蓋を開けてみればどうだ。あの二人の女王も、妹も、友人も、この学園長だって、学園についてはそれぞれの立場で、真剣に考えていたのだ。

 あのカルロス・ベインにしてもそうだ。彼とて、自らと学園の関係性については、本気で考えていた側だったと言える。行動にだって出ていた。

「誰だって、学園の事は考えてる。こんな……問題ばかりの学園だけど、学園に属している以上、何がしかの思いは抱いてる……だったら……苛立つ必要なんて無いのかもしれない。そう思う様になったんですよ」

「ふーむ。誰も彼もが本気なら、それほどこの学園の将来について、悲観はしないと、そう考える様になったわけか」

「ちょっと違います」

「おや」

 周囲を見る目は変わった。それは事実だ。周囲にそれほど苛立たなくなった。それだって上々の結果だろう。だが、もう少し踏み込む。

「俺だって、斜に構えていられないって、そう思う様にもなった。あなたみたいに」

「……どうやら、こっちが何を尋ねたくて呼び出したのか。既に理解していたと見える」

 アイクは頷いた。無駄に時間が経ってしまったが、何を聞かれるのかと、何を答えるのかについては、この部屋へやってくる前に決まっていたのだ。

 だから、アイクはいい加減、答える事にした。

「暫く、ブラックウルフを続けて見る事にします。勿論、ウルフマスクも含め、正体はバラさず」

「そうか。そうであれば、私も助かるね。正義だとかそういうものでは無く、実利的な話ではあるが」

 それだって構わない。結局、この学園では、行動する事から始めなければならないのだから。

 これまでの事で、それを嫌と言う程学んだ。こういうのも、学び舎と呼ぶのだろうか。アイクはそんな皮肉に笑いたい。

「で、答える事は答えたんで、これは本当に、興味からの質問なんですが」

「なんだい? 答えられるものであれば、答えるが……」

「ウルフマスクについてですけど、本当のところ、完全に実利だけで行動してます?」

「あー……デザインについては、趣味が大いに入ってはいるね」

 天井を見上げるラルフ学園長。さて、その表情はどんなものか。アイクはそれを覗く程、無粋にはなれなかった。

 何せこれから、自分もブラックウルフとして活動を続ける側になるのだから。

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