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屋根裏の令嬢は鳩を飛ばす ~ お継母様には振り回されましたが、おかげさまで幸せを掴む事ができました

作者: 原えん

「お継母様? あの、それは、どういう事でしょうか?」

 さっき聞いた言葉が納得できなくて、シアラは震える声で聞き返してしまった。


 そのあまりの理不尽さに、洗濯を頼まれたばかりのシーツを抱えたまま立ち尽くしていた。いつもだったら『分かりました』と答えてシーツを洗濯場に持って行く所だけれど、この時ばかりはその場に残って疑問を投げかけていた。


「どういう事ですかって? 今日顔合わせに行くのは、あなたではなくリリアーナだって事よ。いつあなたを連れて行くなんて言ったかしら」

 質問相手のドルエラは、涼しい顔をしてドレッサーの前に座る。

 黒髪を結い上げ、胸元の大きく開いたドレスを着た彼女は、一見すると年若く見えるが、シアラの継母に当たる人物だ。父と結婚してから十年近く経っている。

 彼女は、義理の娘の絶望的な表情を一瞥しても、さして気にも留めなかった。次の瞬間には鼻歌を歌いながら白粉を取り出し、パフでぽんぽんと顔に載せていく。


「どうしてそうなったんですか? 縁談は、私からハートフィールド夫人に頼んでご紹介いただいたんです。長女の私が迎えられるお婿さんはいらっしゃらないかって。どうして、妹のリリアーナが行く事になったんです?」

 シアラは、手に持ったシーツをドルエラのベッドの上に置いた。洗濯なんてしている場合じゃない、と思って。


 シアラの家、ファニング家はしがない田舎貴族だった。父が亡くなり、今は後妻のドルエラ、前妻の間に生まれた二人の娘シアラとリリアーナ、女三人の家庭だった。

 小さな領地からの収益は微々たる物で、財産を切り崩しながら暮らすファニング家にとって、相応の家柄の婿を迎える事が必要になったのだ。


 今はドルエラが女主人として振舞っているが、いずれは長女であるシアラがその地位に就く。その時にファニング家の主人となってくれる人との縁談を、今回取り付けたはず、だった。

 仲人であるハートフィールド夫人とのやり取りは、ここ最近ドルエラに任せきりになっていた。その間に、彼女の思う通りに話が書き換えられてしまった様だ。


「シアラ、あなたは長女ってだけでこの家を継ぐ気なのかしら? 女主人として、家を継ぐのはリリアーナの方が相応しいと判断したまでよ。だからハートフィールド夫人にも、そう伝えておいたわ」

 ドルエラは冷たく言い放つ。彼女はドレッサーの鏡を見たまま、シアラに向き直る事も無かった。


「それに……」

 彼女は鏡に映りこんだシアラの姿を見て、ふんと鼻で笑う。

「酷い格好ね。まるで、いばらの中に落ちたみたい」


 ドルエラに言われて、シアラは自分の姿を確認する。

 動きやすい質素な服。金色の髪は手入れが行き届かず、誤魔化す様に三角巾を被せている。手にはあかぎれや、作業中に出来た擦り傷がたくさんついていた。それが、いばらのトゲに切られた様にドルエラの目には映ったのだろう。


「こんなみすぼらしい姿の令嬢がいて? みっともなくて、お相手の方に合わせるのは恥ずかしいしわ」

「でも、それは……」

 家の仕事を懸命にしていたから、とシアラは言いたかった。が、口をつぐんだ。そんな事、ドルエラ相手に言い訳にならないのは分かり切っている。


(リリアーナの方が相応しい。お継母様がそう考えるなら、何があってもリリアーナに継がせるんでしょう)

 何を言っても、ドルエラは自分が思った通りにしか動かない。それは、シアラが彼女と長年一緒に暮らして学んだことだった。



「支度出来ましたわ、お継母様!」

 廊下の方から、鈴の鳴る様な可愛らしい声が届いた。

「あら、もう出来たの? 待ってて、リリアーナ。もうすぐお化粧を済ませるから」

 シアラを相手にした時とは打って変わって、ドルエラは高い声で返事をした。口紅を引くそのスピードも、若干早くなっている。

 でも、ドアからリリアーナが顔を覗かせると、化粧をするその手は止まった。


「あらやだ、リリアーナ! その余所行きの服もよく似合ってるわ。新しく仕立てて良かったわぁ。国一番の素敵なお嬢さんじゃないかしら」

「もう、そんなに褒めないで下さいな」

 リリアーナは深緑色の光沢のある生地のドレスを身に付けていた。その髪は姉と同じ金色。けれどシアラと違ってよく手入れされ、輝くような色ツヤを保っていた。


 硬直したままのシアラを後目に、二人は楽しそうにはしゃぎ合う。そこだけ切り取れば、仲の良い親子のほほえましい光景に映るだろう。

 ふり返れば、彼女が新しい母親になったばかりの頃。亡くなった母の事を引きずって継母と距離を取っていたシアラに比べ、リリアーナはすぐに懐いていた。ドルエラから見たら、そんなリリアーナの方がずっと可愛いだろう。仲良くなるのも自然な事だった。


「でもお継母様。私がお婿さんを迎えたら、お姉様はここに居ずらくなっちゃうんじゃないかしら?」

 リリアーナがシアラがいることに気づいて、そう問いかけた。


「そうねぇ。リリアーナが結婚したら祝い金が沢山入って、新しく使用人を雇えるものね。そうしたらシアラもこの家でやる事が無くなるし、これを機に出て行くんじゃないかしら」

 本人を目の前にし、ドルエラはそんな事を言う。シアラの行く末など全く関心が無いかの様な物言いに、心臓がきゅっと締め付けられた。長い間親だと思って接していた相手に、そんな風に言われるのは辛かった。


「そうなの? お姉様」

 リリアーナは愛らしく小首を傾げて、俯きがちなシアラの顔を覗き込んだ。その表情が姉を心配する妹の物に見えて、シアラは慌てて笑顔を作る。相手を心配させない、最低限の笑顔を。

「そ、そうね……。まだ何も考えていないけど」

 そう、弱弱しい声で答えると、リリアーナはにっこりと笑った。

「大丈夫! お姉様は家の事を何だってこなすもの。きっと何処でだってやっていけるわ」

 その笑顔は、シアラを元気づけるための物の様に見えた。表面上は。


 でも、その顔の裏には相手を早く切り捨てたいという願いが隠されている様に、シアラには感じられた。

 良く分かった。リリアーナにも、シアラをこの家に留めて置くつもりが無い事を。二人にとって、シアラの存在は邪魔でしか無い事を。


「一週間は留守にするから後はよろしくね。それに、私達が帰って来るまでの間、屋敷の手入れを怠るんじゃないよ。婿を迎え入れるには、まだまだ掃除が行き届いて無いからね」

 そう言って、ドルエラは玄関のドアを開けた。ドアの外には手配したらしい馬車が到着していて、彼女はリリアーナに、先にその馬車に乗る様言いつけた。

 その様子を呆然と眺めていたシアラに対し、ドルエラは「それとね」と言ってふり返り言いつけを追加した。

「鳩の始末もしておきなさい」

 年に一度聞くかいなかの冷めた口ぶりだった。


 バタン!


 屋敷の玄関に、ドアの閉まる音が響く。

 その音を、シアラは青ざめた顔で聞いていた。



***



 ドルエラがファニング家の妻として迎えられたのは、前妻が病気で亡くなってから一年程経ってからの事だった。シアラは七歳、リリアーナが六歳の頃だ。

 父が妻を亡くしてすぐに再婚を考えたのは娘たちのためだ、とシアラは聞いていた。仕事で家を空けることが多かった父は、自分がいない間にも親として接してくれる存在が必要と考えていたのだと。


 しかし、その父も事故で亡くなった。ドルエラがシアラ達姉妹の継母になってから、三年後の事だ。仕事のために移動していた最中の事故だった。


 それから、ファニング家の家計は傾く事になる。

 ドルエラは日に日に減っていく財産を守りたかったのか、使用人達の首を少しずつ切っていき、ついには全て解雇してしまった。


 シアラが家事を一手に引き受ける様になったのは、この時からだった。理由は、使用人の仕事を手伝っていたから。

 使用人が減り、一人の負担が増えたのを見かねて手伝う様になったのだけれど、そんな事をするのはこの家でシアラ一人だった。


『もう家事も一通り覚えているでしょ? あなたに任せるのが一番だと思って』

 ドルエラはそう言って、シアラに家事を押し付けた。シアラが手伝ってほしいと頼んでも、何かと理由を付けては断って来る。


『私も色々と忙しいのよ?』

『汚れるような仕事はあなた一人がやったらいいわ。汚い服が増えるだけだもの』

 何度も頼んでは断られ、もう手伝ってもらう事は諦めてしまった。


 シアラも気負っていたところがあった。

『お父様が亡くなって、この家は大変なんだ。だから家のために頑張らなきゃ』

 そうやって自分を鼓舞しながら、一人で家事をこなしていた。


 でも、そんなシアラの頑張りを、この家の人間は認めなかった。




 ドルエラとリリアーナが家を出た後、シアラは魂の抜けた心地のまま自室に戻った。

 彼女に割り当てられた部屋は屋根裏部屋。元々は使用人のために作られた部屋だった。


 かつては妹と同室の子供部屋が与えられていたけれど、継母から突然『いびきがうるさい』とケチを付けられ、ここに移動することになった。

『リリアーナも迷惑だって言っていたわよ。だから今夜から屋根裏部屋で寝てちょうだい。あれだけ離れていれば聞こえないでしょ?』

 リリアーナから直接聞いた訳ではないが、ドルエラの口を借りてそう言われるのは堪えた。大した文句を言う事も出来ないまま、屋根裏部屋で寝泊まりする様になる。

 もう三年も前の事だ。


 シアラは、ベッドの上に腰かけた。

 まだ昼間。窓の外の空は明るく、時折そよ風が入ってきてはカーテンを揺らしている。

 それをじっと見つめて観察していた。何かを注視していないと、嫌な事ばかり考えてしまいそうだったから。


 そうして眺めていると、突然、一羽の鳩が窓をくぐって中に入って来た。鳩は灰色の羽をばたつかせてから、窓の前の机の上に着地する。

 その足には、青い足環と金属製の筒が取り付けられていた。

「あ……!」

 シアラは思わず短い感嘆の声を漏らして立ち上がった。


 その鳩が何処から来たのか、シアラはよく知っている。


 机の前まで来て手を差し出すと、鳩はためらう事無くその手の上に乗った。

「長旅お疲れ様。届けてくれてありがとうね」

 そう言って鳩に笑いかけてから、足に付いた金属製の筒を取り外す。そして、腕に鳩を乗せたまま部屋の奥へと向かった。


 シアラは部屋を仕切る様に掛かっていたカーテンを開ける。するとそこには、たくさんの鳩がいた。

 壁や屋根の裏に棚を取り付けられ、その上の藁の寝床で鳩たちは思い思いに過ごしている。表にあった鳩小屋をドルエラに壊されてしまい、行き場のなくなった鳩たちのためにシアラが作った屋根裏の鳩舎だった。

 シアラは箱の中に餌を入れ、手紙を届けてくれた鳩に食べさせた。


 しばらく鳩の様子を眺めてから、シアラは手の中にある筒に目を落とした。先ほど取り外した伝書鳩の通信筒。これが何処から、誰から届けられたものか、シアラは知っている。

「すごいタイミングで届けてくれたのね。ありがとう、コーディー」

 シアラは通信筒を握りしめ、伝書鳩を飛ばした人へ思いをはせた。



***



 コーディーは、かつてファニング家へ執事見習いとしてやって来た少年だった。ゆるく癖のついた栗色の髪、同じ色の瞳が彼の好奇心に応じてキラキラ輝いていたのを覚えている。それももう十年前の事。今はもう立派な青年に成長している。

 と言っても、昨今の彼の姿がどんなものなのか、シアラは知らない。やって来てたった四年で解雇され、それ以降会っていないから。


 職を失ったコーディーは、辺境の地プロプシルヴァンへと旅立った。いつも兵士を募集していて、そこなら食うに困らないだろうから、と言う事だった。

 屋敷を出る前、彼は明るく語っていたけれど、シアラは子供ながらに心配だった。いつ戦地になるかも分からない場所で、兵士として暮らす。そんな人達がいるのは知っていても、身近な人がそうなるとは思っていなかった。想像しても不安しか湧かない、そんな暮らしに身を置く事になるコーディーが気の毒で仕方がなかった。


 だから、シアラは彼にこんな提案をした。

「辺境で伝書鳩を育ててみない? お父様の調教術で育てたら、この鳩はプロプシルヴァンとファニング家を行き来できる特別な伝書鳩に育つわ。そうしたら、鳩を使って二人で文通しましょう?」


 コーディーは使用人の中でも一番若く、子供のシアラにとっても身近に感じられる存在だった。それでよく、遊び相手にもなってもらっていた。

 そんな二人がよく会っていたのが、かつて庭にあった鳩小屋の前だった。


 コーディーは鳩の世話を任されていて、よく鳩小屋の掃除をしていた。貴族でありながら鳩の調教師でもあった父もまた、よく鳩の様子を見にきていた。

 それはドルエラがやって来たばかりの頃。彼女を苦手に思って避けていたシアラは、いつも屋敷の中で父の姿を追いかけてばかりいた。そうして鳩小屋にたどり着き、楽しそうに語り合う父とコーディーの中に混じって行ったのだった。

 だから、コーディーと仲良くなるきっかけは鳩だったと言って良い。


 父もまた、シアラとコーディーに鳩の調教について教えた。

 通常では一つの場所に帰る事しかできないところ、二つ以上の拠点を行き来できる伝書鳩に育てる、と言うのが父の調教術だった。父が開発し、他人に教えることの無かったその調教術を、二人には「特別だ」と言って教えてくれた。

 

 シアラは、その調教術を試してみようと訴えたのだった。

「上手くいくでしょうか?」

「やってみましょうよ」

 そうして、コーディーはつがいの伝書鳩を手に辺境へと旅立った。伝書鳩で手紙をやり取りする事を約束して。




 初めてプロプシルヴァンから手紙が届けられたのは、それから二年後の事。

 手紙には、

『鳩たちを新しい場所に定着させるのに苦労しました。それでも、鳩たちは無事卵を産みました。ようやく雛が大人まで育ったので、伝書鳩を送る事が出来ます』

 そう書かれていた。


 シアラはすぐに返事を書いた。

『鳩は無事、当家に到着したわ。鳩の事だけでなく、プロプシルヴァンでのコーディーの暮らしの事も聞かせてくれますか?』

 辺境で暮らすコーディーが寂しくない様に、そして彼の無事を願うため。もともとそう言う目的で始めようと思った文通だったから、シアラはコーディーの事をたくさん問う事にした。


『今は毎日訓練の日々です。初めはきつかったのですが、昨今はもう大分慣れて来ています。最近、辺境伯の城の門番を任されました。辺境伯やご家族にお会いできるのではと期待したのですが、そんな事は起こりませんでした。

 シアラお嬢様の、お屋敷での様子はどうですか?』


『私の方は、酷い話ですよ。コーディーが去った後、ファニング家の使用人は全員解雇されました。それ以降、家事の殆どを私がやっています。お継母様もリリアーナも、そういう事をやりたがらない性格なのは分かっているけど、少しぐらい手伝って欲しいわ』


『家事を任せきりの奥様やリリアーナ様の様子が目に浮かびます。シアラ様も大変ですね。無理だけはなさらないで下さい。

 僕の方は変わりありません。寮の料理人が変わって、食事の味が美味しくなった事ぐらいでしょうか。今も城門の番を任されますが、辺境伯には会えません』


『なんだかコーディーが辺境伯に恋焦がれてるみたいで、可笑しいわ。辺境伯にお会い出来たら、どんな方か教えて下さいね。

 こちらも相変わらず。お継母様はお金が無いと仰る割に新しいドレスを仕立てて来るので、その事に文句を言ってしまいました。そこまで貧乏じゃないと言われて喧嘩になって、今も口を利いていません。

 こんなしょうもない愚痴でごめんなさい。使用人達の首を切って置いて贅沢をするのが、どうしても許せなかったんです。仲直りできるように努めます』


『心中お察しします。お辛いですよね。シアラ様の僕たちへの思いが染み入ります。でも、その事で気に病むような事はなさらないで下さい。僕を含め使用人達に、ファニング家に恨み言を言う様な人はいません。奥様と仲直りが出来る様、祈っております』



『間が開いてしまってごめんなさい。トラブルがあって鳩を送れない状態でした。

 お継母様に庭の鳩小屋が壊されてしまい、逃げた鳩を保護するのに手間取っていました。

 幸い、事が起きたのはコーディーの鳩が到着した後でした。鳩小屋が無ければ、鳩が迷子になっていたかも知れません。今、鳩は屋敷の屋根裏で過ごしています』


『思い出の鳩小屋が無くなったことに、言葉もありません。手紙で書く事では無いかもしれませんが、鳩小屋を壊した奥様に怒りが湧いてきます。

 旦那様の仕事を何だと思っていたんでしょうか!』


『ここ最近の手紙を読み返していました。私の話ばかりで申し訳ないです。お継母様との仲は相変わらずですが、お互いに付き合い方が分かって来たのか、今は喧嘩もトラブルもありません。

 それよりもコーディーの事を聞かせて下さい。辺境伯には会えましたか?』


『シアラ様ばかり辛い目にあって、僕も心苦しいのです。愚痴でも何でも、好きに書いて下さい。手紙で慰めるくらいなら出来ますから。

 ご質問の事ですが、最近辺境伯にお会い出来ました。それが門番をしていた時では無く、僕が伝書鳩を飼っている事を聞きつけて視察に来て下さったのです。辺境伯の私軍の軍用鳩として取り立てて頂くことになりました。僕は、その世話係として近々正式任命されます』


『辺境伯からの任命、おめでとうございます。素晴らしいわ。一兵卒からひとつ昇進した、と考えて良いのかしら。軍の仕組みや辺境でのルールが分からないので、出過ぎた事は言えませんが。

 こちらは相変わらずです。屋根裏部屋の鳩は、そこでのびのびと過ごしています』


 本当は、ドルエラが罠を仕掛けて鳩を駆除しようとするのを書こうと思ったが、辺境で上手くやっているコーディーを知ってから、悪い事を書きづらくなってしまった。この頃から、相手を心配させまいとする嘘が手紙の中に混じる様なる。

 ドルエラとリリアーナがシアラを置いて遊びに出かけてしまう事、屋根裏部屋に住むように言われた事、買ってきたケーキをシアラに分けなかった事、妹には新しい服を買い与えるのにシアラには何も無い事。書きたい愚痴は沢山あったけれど、コーディーに心配を掛けたくなくて、手紙には『相変わらず』とか『鳩の卵が羽化しました』とか、そんな当たり障りの無い事ばかり書いていた。




 でも、こんな事は平気で書いた。

 親戚に良い縁談が無いか打診した、と言う話だ。


『昨日、お父様のお葬式に出席された親戚の方に、お手紙を出しました。若い頃のお父様と仲が良かったそうなので、その時の話をお聞きしながら、失礼ながら良い縁談が無いかも問うてみました。私もお母様がお嫁に来た年齢になって、結婚について考えていて、それでふとお婿さんを迎えたらファニング家を建て直せるかも知れないと思ったのです。

 上手く行けば、また使用人達を雇える様になります。コーディーも、もし辺境での暮らしに行き詰まる様な事があれば、また我が家で働くことも考えてみて下さい。もちろん、もしもの話ですが』


 シアラの心にはまだ、いつ辺境で戦争や事件が起こるか、そうなった時にコーディーはどうなってしまうか、そんな不安が残っていた。だから、コーディーにはプロプシルヴァンを離れてもらって、また昔の様にファニング家で働いて欲しい。そんな妄想と願いが溢れ出てしまった。

 婿を迎えれば家を建て直せる、そんなアイディアを思いついた時の興奮で、少し冷静さを欠いていたかもしれない。親戚への手紙も、コーディーへの不遜な提案も、浅い考えで書いていた。


 彼の気持ちも、どうしてシアラの提案に乗って文通をしていたかも、そんな事を何も考えずに。



***



 打診のための手紙を送った相手ハートフィールド子爵は、シアラが手紙を送った時にはすでに亡くなっていた。しかし、その夫人が返事を送ってくれて、以降は彼女とやり取りをする事になった。


 ハートフィールド子爵夫人は位の高い貴族の出身で、上位貴族への顔の広い人物。相談すると、聞くだけで目がくらんでしまいそうになる様な良家の子息たちをたくさん紹介してくれた。

 そんな縁談はもったいない、と殆どは遠慮する事になったが、その中で伯爵家の五男との縁談を進める事になった。彼は商人として事業をこなす働き者。家計が傾いたファニング家を建て直すために力になってもらえるかもしれない。シアラはそう期待した。



 ハートフィールド夫人との手紙のやり取りは、シアラが一人でこっそりやっていた事だった。しかし手紙はメッセンジャーを通じ、玄関先で手渡しで届けられる。そうやって届けられた所をドルエラに見つかったのだった。


「手紙? 誰から届いたの?」

 玄関で手紙を受け取った時、奥の廊下から顔を出したドルエラに問いかけられた。

 誤魔化すわけにもいかず、シアラはハートフィールド夫人の事、彼女に男性を紹介してもらっている事を打ち明けた。初めはそれを渋い顔で聞いていたドルエラだったが、伯爵家の子息との縁談を進めてもらっている所だと説明すると、明るい表情に変わった。


「伯爵家のご子息と? 素晴らしいじゃない!」

 そうやって褒めてくれると、シアラも打ち明けて良かったと思えた。

「ハートフィールド夫人のお人柄のおかげです。顔の広くて親切なお方で…… 手紙を通じてやり取りするだけでもその優しさが伝わってくるんです」


「手紙を通じて? 直接会ったことはあるの?」

「ハートフィールド夫人の事ですか? ええ。お父様の葬式でも旦那様お一人でしたし……」

「あら、そう……」

 そう言ってドルエラは明後日の方向を見た。

(やっぱり、私の話には興味無いのかしら)

 ドルエラの様子を見てそんな風に思ったのも束の間、彼女はシアラが手にしていた手紙をさっと取った。突然の事で、声も出なかった。


「後の事は私に任せなさい」

「え?」

「こう言う事は本来、あなたではなく家の主人が進めるものでしょう?」

「そ、そうですけど……」

 シアラが言い淀んだのは、ドルエラの言い分に納得できなかったわけではなく、彼女が積極的に進めたいと考える物なのか、と言うところ。今までの経験から、ドルエラがシアラのために動くとは考えづらかったのだ。


 訝しい視線を向けるシアラに対し、ドルエラは笑顔を向けた。

「今までのあなたの頑張りは評価するわ。後の事は任せて、新しいお婿さんを迎えるための支度に専念しなさい」

 シアラは、それまでされてきた事を忘れ、ドルエラのその言葉に絆されてしまった。

 私を評価してくれた。私のために動いてくれた。そう思ったら、胸が熱くなった。

「はい!」

 喜んで答え、結婚の話はドルエラに任せる事にした。




 これが間違いだった。


 支度に専念しなさいと言われたので、先ずは縁談相手に失礼の無いドレスをしつらえたり、化粧品を買い揃えようと考えた。それをドルエラに訴え、街に買い物に出る許しを貰おうとしたのだけれど、なぜか屋敷の掃除を頼まれた。

「新しく婿を迎え入れるために、汚い家ではダメでしょう?」

 と、ドルエラは語る。それもそうかと思い、家事を他人に任せる事をすっかり諦めていたシアラは、すぐに掃除に取り掛かった。


 しかし、どこか様子がおかしかった。シアラのためのドレスや化粧品を揃える事も無く、ドルエラから縁談がどうなったか聞かされる事も無く、時間だけが過ぎて行った。



 そして突然、ハートフィールド夫人の所で縁談の相手と顔合わせする事になった、と聞かされた。それも当日の朝に。

「どうして、そんな突然? 何も準備できていないのに……」

 その急な事態が理解できなかった。お相手と顔合わせするための支度など一切出来ていない事は、ドルエラも分かっているだろうに。


「何を勘違いしているのかしら。結婚するのは、貴女でなくリリアーナよ」

 ドルエラは鼻歌を歌いながら、楽しそうに話す。それを聞いて、シアラは血の気が引いた。初めからそのつもりで『任せなさい』と言ったのか、と思って。


「だから留守をよろしくね。ああ、これ洗濯しておいてね」

 呆然とするシアラに、ドルエラはさっき脱いだばかりの衣服を渡す。悲しいかな、咄嗟にそれを受け取ってしまった。

 ドルエラがあざといのか、そんな彼女を信用してしまった自分が馬鹿なのか……

 分かっているのは、今酷い仕打ちを受けていると言う現実だった。



***



 シアラは通信筒を持ったまま、屋根裏部屋の窓の所まで歩いた。そして、窓の前の机の椅子に腰かける。

 通信筒の蓋を開けて中を取り出そうとしたが、途中でそれをためらった。前にシアラが送った手紙の内容を思い出したからだ。

 縁談を進めている、プロプシルヴァンでの暮らしに行き詰まったら我が家で働かないか、そういう内容だった。


 返事が届くまでにかなり期間が空いていた。忙しかったとか、他に色々理由はあるかもしれないが、返事を書くのに戸惑ったのかも知れない。そう思うと、彼からの手紙を読むのが怖くなった。

 前に書いた不遜な申し出にどんな反応をしているのだろうか、今日状況がひっくり返ってしまった事をどう説明しようか、そんな事を考えて。


 シアラは、意を決して筒から紙を取り出す。くるくると筒状に丸まっていたそれを、震える手で開いた。



『縁談は良い方向に進んでおりますでしょうか? 気が早いかも知れませんが、返事を書くまで時間が開いてしまったので、先だってお祝い申し上げます。おめでとうございます』


 そこまで読んで、シアラはフフッと自嘲した。

(そのお祝い、的はずれになっちゃったわ。失敗しちゃったもの)

 家のためにも、彼女達のためにも取り付けたはずの縁談だったけれど、それを掠めとられたと思うと、それまでやってきた事に虚無感を覚える。


『シアラ、あなたは長女ってだけでこの家を継ぐ気なのかしら?』

 ふいに、ドルエラの言葉が思い浮かんだ。

 本当に何を今まで気負っていたのだろう。リリアーナが新しい女主人になっても良い。彼女だってファニング家の娘なのだから。


 リリアーナもドルエラも、この家からシアラを追い出したい事は明白だ。だったら家から出れば良いんだ、自由になれば良いんだ。

 奇しくもリリアーナは、シアラならどこでもやっていけると評した。彼女の言葉を鵜呑みにする訳じゃ無いけど、わずかながらでも外でやっていく自信を付けてくれた。


 シアラは手紙を読み進める。


『こちらでも嬉しい事が起こりました。全体で見れば良い事では無いのですが、私事としては嬉しい話です。斥候に持たせた伝書鳩や城内の鳩が活躍し、隣国の不穏な動きを妨げる事が出来たそうです。僕たちの鳩が辺境伯から高く評価され、受勲される運びになりました。すごいですよ。騎士になれるんです』


(すごい、騎士になるだなんて)

 鳩がいたからとは言え、身一つでそこまでの評価が得られるのは素晴らしい。コーディーが懸命に仕事をこなしてきたからこそだと思うと、なんだか自分の事のように嬉しくなった。

 手紙にはまだ続きがあった。


『シアラお嬢様が結婚されたら、こうやって文通する事も出来なくなりますね』


 その一文を読み、シアラはドキリとした。

 至極まっとうなことが書いてある。結婚して人妻になる女性に、成人男性が私的な手紙を送る方が非常識なのだから。

 でもなんとなく、この文通はずっと続いていく様な感覚でいた。頭ではそんな訳ないと分かっていても。それに比べ、コーディーは節度を持って文通の終わりを告げている。



『これも最後の手紙になると思うと、寂しくなります。すでにご迷惑でしたら、返事は送らなくても構いません。今までありがとうございました。最後に良い知らせを送る事が出来て嬉しい限りです』


「嫌よ」



 いつかはこの文通は終わる。そんな事は分かり切っている。それこそ、どちらかが結婚したり恋人が出来たりしたら辞めるべきと言う事を。

 今回シアラの縁談は立ち消えになったけれど、今後どうなるかは分からない。コーディーの方が先に結婚するかもしれない。


 そんなの嫌。

 まだ文通を続けたい。


 シアラは机の中から、今まで届いたコーディーからの手紙を取り出した。どの手紙にも、シアラを気遣う様な事が書かれている。

 コーディーはかつてファニング家の使用人だった。そのせいか、そういう態度はコーディーとしては当たり前のもの、とどこかで思い込んでいた節があったかも知れない。


(でも、そんな事無いよね)

 コーディーが辺境に旅立った時点で、主人の娘と使用人の関係は終わっている。本当は、伝書鳩を育てて文通する事も、シアラを気遣う義理も無いのに、彼の態度は変わらなかった。

 


 昔、彼がシアラを見つけて、笑顔で呼んだ時の事を思い起こした。

『シアラお嬢様!』 

 まだ幼さが顔に残っていた頃のコーディーは、バケツを手に下げて、庭にいたシアラに声を掛けた。バケツには鳩の餌が入っていた。

『今から鳩の餌をあげるんです。見ますか?』

 父が仕事で家にいない間、一人寂しく過ごす事が多かったシアラを見かねたのか、コーディーはそうやってシアラを鳩小屋へと誘ってくれた。



 昔の事を思い出し、バクバクと心臓が高鳴るのを感じた。えも言われぬ感情が、胸の中で暴れ回っているみたいだった。

 コーディーがどうして文通を続けてくれていたか、考えたことも無かった。自分も、どうして鳩を使って文通をしようなんて提案したのか。彼の不遇を哀れに思って、と言うのが表向きの理由だったけれど。


 コーディーと、ずっと繋がっていたい。




 シアラは机の引き出しから小箱を一つ取り出し、机の上で蓋を開けた。中にはペンとインク壺、数枚の紙が入っている。インク壺は陶器製で、鳩の絵を入れた特注品だ。元々父が愛用していた物をシアラが受け継いだ。

 そのインク壺にペンを浸し、シアラは手紙を書き始める。



『コーディー様。お祝いのお言葉ありがとうございます。ですが、この縁談で結婚するのは私ではなく妹のリリアーナになりました。ファニング家の次の女主人となるのも、リリアーナです。お継母様の決めたことですので、私は口が出せません。

 でも、不満はありません。それまで私が気負っていた重圧が無くなり、自由になった気分です。家の事をする必要もなくなり、家を出て暮らす事も出来ますし、将来について考えるのが楽しくなります。

 家を出る時には、鳩も連れて行きます。お継母様に鳩を始末する様言いつけられているので、家には置いていけないんです。行く当てはまだありません。だから、コーディーのいるプロプシルヴァンに行くのも良いかもしれませんね。

 それでは、家を出る前にまた連絡いたします』



 シアラは書き終えた手紙をくるくると巻き、通信筒の中に入れた。それを青い足環の鳩に括りつけ、窓のそばまで連れて来る。

「お願いね」

 そう言って鳩を空に放った。鳩は灰色の翼を羽ばたかせ、良く澄んだ青い空で小さくなって行く。それが見えなくなるまで、シアラは窓から身を乗り出して見送った。



***



 がたがたと揺れる馬車の中、暗い顔でうつむいていたリリアーナがしゃくり声をあげた。その様子を見て、黙っていたドルエラは「はぁ」とため息をつく。

「もう泣き止みなさい。家に着くわよ」

 その言い草は少し投げやりだった。返事もせずにさめざめと泣き続けるリリアーナに対し、ドルエラは大きなため息を吐き捨て、窓の外に視線をそらした。


 ファニング邸を出てから一週間。縁談相手との顔合わせを済ませたドルエラとリリアーナは、今帰路についていた。



 馬車はファニング邸の門をくぐり、玄関の前に停まった。そこで二人が降りると、玄関のそばに見慣れない物があるのを見つけた。

 それはただの荷車なのだが、その上には三角屋根の小屋の様な物が乗っている。側面には格子の付いた大きな窓があり、家畜の小屋の様に見える。

「何をしているかしら、あの子」

 自分達が留守の間に、シアラがやった事に違いない。ドルエラは、その場にいない彼女に対して悪態をついた。


「シアラ! シアラ! 帰ったわよ!」

 家に入り、大声で呼びかける。直ぐに出て来るだろうと思っていたが、返事すら聞こえてこない。

「ちょっと、こっちも疲れてるのよ。荷物を片付けて欲しいわ」

 そう言いながらドルエラは、シアラはどこかで塞ぎ込んでいるんだろうと考えた。自分が進めていた縁談を取られたのは、流石に堪えたんだろう。

(これで思い知ったかしら。私に恥かかせる様な事をするから、そういう目に遭うのよ)


「お姉様、どうしたのかしら」

「放っておきましょう。本当、あの子の身勝手さには振り回されるわね」

 そう言ってドルエラは自室に向かおうとする。

 その瞬間、直ぐ近くにあった物置部屋のドアが勢いよく開いた。

「うわ!」

 思いがけない事態に、ドルエラは柄にもなく野太い悲鳴を上げた。


 物置部屋から出て来たのはシアラだった。その腕には何故か、空の鳥かごが抱えられている。

「お継母様、リリアーナ、お帰りなさい。予定通りでしたね」

 ドルエラの予想に反し、シアラは朗らかな笑顔で二人の帰りを出迎えた。その顔に、ドルエラは無性に苛立ちを募らせる。


 一週間前、縁談の内容が変更されたと知って、顔が青ざめたシアラを見た時は爽快だった。自分勝手に進めて主人の顔に泥を塗ったシアラに対し、立場を分からせるためにも必要な事。一週間で思い知った事と思っていた。

 けれど彼女は、相手を畏怖する事もせず、馬鹿みたいな笑顔で出迎える。反省などして無さそうだ。

(何なの? この娘……)

 昔からシアラはこういう娘だ。何を考えているのか、こちらが思った通りには動かない。頭が空っぽなのか、と思うくらいに。


「お姉様!」

 シアラの笑顔にむしゃくしゃしていたら、後ろの方からリリアーナが駆けて来た。彼女はドルエラの顔を見もせず通り過ぎ、シアラに抱きつく。

「どうしたの、リリアーナ。そんな顔して…… お相手の方と会って来たんでしょう?」


「それがね、とんでもないオジサンだったの。私、嫌よ! あんな人と結婚するの!」

「え…… オジサン?」

 リリアーナは涙を浮かべ、シアラに縋りついた。

「お願い、お姉様が結婚して! 家を継ぐのはお姉様で良いから!」


 リリアーナを縁談相手に会わせた時、20近く年上だったことに彼女は驚き不満をこぼしていた。色々言いくるめて納得させる事ができたけれど、帰路の馬車でまた不満を言い始め、ついには姉に縋りつくとは。

 全く、この娘も肝心な時に思い通りにならない。


「リリアーナ、滅多な事言うんじゃないの! お相手は公爵家のご令息よ! ファニング家にとって勿体無いくらいの良縁なんだから」

「え…… 公爵家?」

 公爵家、と聞いて不思議に思ったのか、それまでリリアーナの顔を覗き込んでいたシアラが、ドルエラに向き直った。『どういう事ですか?』と聞いてきそうだったから、ドルエラはシアラを黙らせることにした。

「ええ、そうよ。言ってなかったかしら?」


 シアラが話を進めていた時は伯爵家の子息がお相手だった。だが、彼が財産の相続も期待できそうにない五男だと知って、ハートフィールド夫人に別の相手を紹介してもらった。それが公爵家の子息。公爵家の出身なら国王からの縁も深く、金銭面でも色々と融通を利かせて貰える、ドルエラはそう考えて相手に決めたのだった。


「リリアーナ。お相手の方だって、あなたを気に入ってくれたじゃないの。その胸のブローチだって頂いたんでしょう? 今更お断りなんて出来ないわよ?」

 ドルエラは、リリアーナの腕を取ってシアラからそっと引き離す。

「でも、お継母様……」

 まだ不満が拭えないのか、リリアーナは口答えしようとする。が、ドルエラの威圧する視線に耐えかね、うつむいた。

「もうお断り出来ない、ですよね。……ごめんなさい」


 その様子を見て、ドルエラは内心ほっとしていた。

(危ない危ない。シアラなんかをこの家の次期当主にしたら、私の立場が無くなるわ)

 ドルエラにとってシエラはずっと、得体の知れない娘だった。自分と気が合い従順なリリアーナに比べ、何かと勝手な事をして、こちらが頼んた事に対しては『どうして?』と口にしないと動かない、面倒な子。婿を迎えてしまえば、調子に乗ってとんでもないことをしでかしそうだから、それだけは避けなければならない。


「良いのよ、分かれば。あなたの結婚生活は、きっと幸せなものになるわ。だから安心しなさい」

「ええ、お継母様」

 涙をぬぐうリリアーナ。彼女の頭を、ドルエラは優しく撫でる。


 その様子を、シアラは冷めた目で見つめていた。



「それはそうとシアラ。あなた、鳩はどうしたの?」

「え?」

「行きがけに頼んでおいたわよね。始末しておきなさいって」

 ドルエラは、シアラの腕に乗った鳥かごに目を落とす。

 鳩を可愛がっていたシアラの事だ、始末なんて出来ようもない。きっと暗い顔をして適当に言葉を濁すだろうと、そう思っていた。でも、シアラは満面の笑みをドルエラに向ける。

「ええ。今、屋根裏部屋から移動しようとしている最中です」

「は?」


 その時、どこからか声が聞こえて来た。

「鳥かご、ありましたか?」

 ファニング家に居ないはずの男の声だった。

「あったけど、ちょっとしか無いわ」

 その声にシアラが反応し、平然と返事をしたものだから、ドルエラとリリアーナは目を剥いた。

(どういう事? 私たちが居ない間に男を連れ込んだって言うの?)

 本当に、この娘は何をしでかすか分からない。


 声の主が階段を下りて来ると、シアラはそこへ駆けて行った。

 その栗色の髪の男は、ブラウスの袖を捲ったラフな格好をしていた。作業するためか上着は羽織っていない。しかし、ブラウスの生地だけ見ても上等な物の様に感じられた。

 そして、シアラを見下ろす男の表情は、何とも和やかだ。

「ねえ、やっぱり鳥かごに入れて運ばないといけないかしら?」

「そうですね。手間ですが、頑張りましょう」

 そう言う男の手にも、鳥かごが下げられていた。中には2~3羽の鳩が入っている。


 すると、男がドルエラ達の存在に気が付いた。

「あ、奥様! お久しぶりです」

 何とも良く知った風に、彼は笑顔で挨拶を投げかけた。その声をどこかで聞いた覚えがある。が、どうにも思い出せない。

(どこで会ったかしら、こんな男……)

 と思っていたら、シエラが憎たらしいくらいの笑顔で彼を紹介した。

「お継母様、リリアーナ。覚えてますか? 昔うちで働いていた、執事見習いのコーディーですよ」


 シエラの紹介を受け、コーディーは胸に手を当ててお辞儀をした。

「今は、プロプシルヴァンの辺境伯にお仕えしております」

 その姿を見て薄っすらと思い出したものの、元使用人に興味はない。

「どういう事? シアラ。なぜ元使用人が家に上がりこんでいる訳?」

 馬鹿みたいに笑ったままのシアラに、眉をひそめて詰め寄った。けれどシアラは自分のした事を悪事と認識していない様で、全くうろたえない。


「それがね、彼。私を迎えに来てくれたんです」

「迎えに?」

 そうドルエラが聞くと、コーディーが「はい」と返事してから、もう一度胸に手を当ててお辞儀をした。今度は深々と頭を下げる。

「本日は、お嬢様に結婚を申し込む為に参りました」


「け、結婚?!」

 驚きのあまり、裏返った声が出てしまった。



***



 五日ほど前。


 シアラはドルエラに頼まれた【鳩の始末】をどうするかで悩んでいた。彼女が帰っても鳩がそのままなら、何か言われるどころか、突然鳩小屋を壊された時の様に強行手段に出られるかもしれない。

 とにかく安全なところに鳩を隠すために、移動式の鳩小屋を作って近所の林に連れて行く事を画策した。薪置き場に置いてあった荷車の上に、屋根裏部屋に残された使用人のベッドを解体した板を使って小屋を作る事にした。


 コーディーに向けて鳩を飛ばしたものの、返事は期待していなかった。少なくとも、ドルエラ達が帰る前には来ないだろう。それまでの文通だって、2ヶ月ほど間が空くのが常だったから。

 それに返って来ても、いつも通り励ましの言葉が綴られているだけ。それはそれで嬉しいけど、現状を変えるほどの物では無いと思っていた。


 だから、鳩が窓の前にいたのを見た時は驚いた。あの自己表明みたいな手紙に対して、すぐに返事を書くことがあったのかと思って。でも、コーディーのいるプロプシルヴァンに行くと書いていたことを思い出し、その返事をすぐにしたかったのかと思い直した。


 シアラはすぐに手紙を読む。どんな内容でも良い、コーディーの言葉を切望していた。



「コーディー……」

 読んだ瞬間、ドキドキと心臓が高鳴った。それが飛び出してきそうで、片手でギュッと胸を押さえつける。


『親愛なるシアラ様。プロプシルヴァンに来られるのでしたら、今すぐ来てもらいたいくらいです。鳩達も、いくらでも受け入れる事が出来ます。騎士になる事で、新しい家も賜ります。そこで、二人で暮らしませんか?』

 慌てて書いたのだろうか、その字はいつもの物よりだいぶブレていた。


 涙がこぼれた時、シアラはこの言葉をずっと望んでいたことに気が付いた。

『二人で暮らしませんか?』

 答えは一つしかなかった。


『喜んで』



 

 そうして、ドルエラ達が帰ってくるその日、コーディーがファニング邸に訪れた。シアラが頼んだわけではなく、彼の意思で。

「本当に、本当に、僕の家に来てくれるんですか?」

 そう聞いたコーディーは、だいぶ気持ちが急いていた様だ。焦る気持ちも分かる。シアラも、あのプロポーズの手紙を読んでからずっと、ふわふわした気持ちだった。


「喜んで」

 笑顔を向けても、コーディーのどこか不安げな表情は抜けなかった。

「迷惑でない?」

「どうして? 私の方からお邪魔するってお話なのに。こちらこそ、ご迷惑じゃないかしら?」


 シアラがコーディーの手に触れる。すると逆に、彼の手がシアラの手を包み込んだ。

「シアラお嬢様……、いえ、シアラ。もう一度、聞いても良いですか?」

 真剣な面持ちで見据えて来たコーディーに一瞬驚くものの、シアラはすぐに平静を取り戻す。彼の気持ちはもう分かっているから。

「はい」

「僕と結婚してくれませんか?」

「はい、喜んで」


 シアラは、そっとコーディーの背中に手を回した。すると感極まったのか、コーディーの方がぎゅっと相手を抱きしめた。



 そして二人は、辺境のプロプシルヴァンへ鳩を運ぶため、彼らを荷車に移動させようとしていた。この日までの間にシアラが作った、鳩小屋付きの荷車だ。

 ただ、この移動に少し手間取ってしまった。荷車に入れようとするも、鳩は異常を感じたのかすぐに屋根裏部屋に飛び戻ってしまう。

 それで小さな鳥かごに入れてコツコツ運ぼうとしていたところに、ドルエラとリリアーナが帰って来たのだった。



***



 ドルエラに二人の結婚を報告すると、彼女は目を丸くしていた。


「どういうつもりなの、シアラ!」

「ええ、ですから、お継母様。私、コーディーと結婚したいんです」

「お前がしたい事を聞いているんじゃない! 私に隠れてそんな話を進められても困ると、前に言ったでしょう!」

 ドルエラはなぜか怒って顔を真っ赤にしていた。

(あんなに私を邪険にしていたのに。おかしな人)

 シアラにとって、彼女の怒りは心底不思議だった。


「でもそれは、私がファニング家の跡継ぎだったからですよね? リリアーナが家を継ぐなら、私は好きにしても良いと思いまして」

「ぐ……」

 ドルエラは何か言い返そうとしていたが、言葉が詰まったのか黙り込んでしまった。しばらくシアラを睨みつけるものの、何か腑に落ちる物があったのか、フンっと鼻で笑った。


「まあ、好きにしたらいいわ」

「お継母様! 認めてくれるんですか?」

 嬉しくて、シアラは歓喜の声を上げる。

「ただし!」

 ドルエラは、シアラの言葉を大声で遮った。何か厳しい条件でも付けられるのかと、シアラは一瞬身構えたが……


「後悔して実家に縋りつくなんてみっともない事だけはしないでちょうだいね。元使用人の根無し草に嫁ぐ事に決めた、あなたの責任ですからね」

 思ったよりずっと優しい条件に、シアラは胸をなでおろした。

 今の言葉、ドルエラは嫌味のつもりで言ったのかも知れないが、シアラにとっては『自立した女性として自由に生きなさい』と、そんな風に言われている様にしか思えなかった。


 だからこそ、シアラは満面の笑みで礼を言う。

「ありがとうございます!」

 隣のコーディーも笑顔で会釈をした。


「私、しっかりやって、絶対幸せになります。それに、心配しなくても大丈夫です」

「は……?」

コーディーは今度、騎士の称号を賜る事になるんですって。小さいながら領地もいただけるんだとか。だからもう、根無し草なんかじゃありませんよ」

「あぁ、そう、そうなの……」

「あと、コーディーはプロプシルヴァンに鳩小屋を持っているんです。だから、お継母様の嫌いな鳩もそこにお引越しさせられるんですよ」

「ああ、もう、分かったわよ! 心配ないって言いたいんでしょ? 好きにしなさい!」


 付き合いきれない、とばかりに、ドルエラは旅の荷物を玄関に残したまま、自室に戻って行ってしまった。



「えっと、結婚を許してもらえたって事で、良いんでしょうか?」

「そうね。ごめんなさい、あんな感じで。まずは鳩を移動させましょう」

 コーディーは鳩を入れた檻を手に持っていたことを思い出し、すぐに表の荷車に乗せに行った。




 玄関にはシアラと、リリアーナが残された。


 リリアーナはおろおろした様子でドルエラの向かった先を見ていた。彼女はドルエラの傍に行こうとするも、それをためらっている様だった。

 悩みながら辺りをキョロキョロした末に、シアラと目が合った。

「あの…… お姉様が結婚するなら、やっぱり、私はあのオジサンと結婚しなきゃいけないのかしら……」

 リリアーナはうつむいて独り言の様に言いながら、シアラの方をちらちらと見て来る。


 その様子に、シアラはため息をついた。

 自分はずっと、家の跡継ぎだからと気を張ってやって来たというのに。ドルエラによって【真の跡継ぎ】に選ばれた妹がこれでは、何とも頼りない。


「そうね……」

 シアラは、リリアーナの助けをどう受けたものか、考えあぐねていた。

 例えオジサンで嫌だったとしても、継母が決めた相手と結婚するのが筋だとは思う。拒絶するのはリリアーナのわがままであって、シアラが口を挟む事ではない。



 こうやって悩むのは、リリアーナがシアラに助けを求めるのが珍しい事だからだ。それまでリリアーナが頼みごとをするのは、たいていドルエラだった。シアラに対しては、ドルエラと一緒になって命令するばかりで、困ったことを相談し合うといった姉妹らしい交流はほどんど無い。

 だから、継母を頼らずに縋って来たリリアーナに、シアラは心底驚いた。


『お継母様に口出しするから、そういう目に合うのよ。いっぱい媚び売ったら、良い思いできるのに』

 かつてリリアーナは、働き詰めのシアラに対しそんな言葉を投げかけた。多分、シアラを馬鹿にして言ったのだろうと思う。

 でもリリアーナには、ドルエラに対して従順であるべき、と言う考えがあったのだろう。それをシアラに対して助言したとも言える。


 そう、リリアーナはドルエラに対してずっと従順だった。リリアーナからしたら、継母に可愛がってもらうためにやっていたのだろう。でも、ドルエラはリリアーナを可愛がってなんかいない。

 それが良くわかったのが今回の件だ。見栄なのか何なのか、ドルエラは勝手に縁談の内容を変え、シアラだけでなくリリアーナに対してもそれを強要した。リリアーナが嫌がってもお構いなしだ。娘を踏み台にして自分だけが良い思いをしたい、そんな事しか考えていないんだろう。



 だから、シアラはリリアーナに自立を促すことにした。ドルエラの依存から脱する様に。

 シアラはリリアーナの肩に手を置いた。


「いい、リリアーナ。あなたは跡継ぎとして、家を建て直す責務があるの。それはお継母様が決めたことではあるけど、こうなった以上、ファニング家を任せられるのはあなたしか居ないわ。そのために結婚する必要があるなら、そうするしかない」


 その言葉を聞き、リリアーナは目に涙をためた。

「でも、やっぱり嫌よ。あの人、私の事ずーっと舐めまわす様な目で見てきて、気持ち悪くて…… あの人の前にいると足が震えてしまうの」

 もう、本当に嫌なんだなって言うのが分かる。その時の事を思い出したのか、リリアーナは嗚咽を上げながら泣き始めた。


「それは私に言われても困るわ。決めたのはお継母様、紹介したのはハートフィールド夫人。嫌だと訴える相手は私じゃないでしょう?」

 シアラは念押しした。あとは自分で考えてほしい、そう思って。



「シアラ、君にもやってもらわないと、日が暮れてしまいますよ」

 表から戻って来たコーディーに声を掛けられた。

「はーい」

 シアラはウキウキとした気分で返事をして、彼のもとへ駆け寄った。


 そうしてシアラは、ファニング家を旅立った。



***



 その後のファニング家はと言うと、リリアーナとドルエラの間に波乱が起きた。

 リリアーナが、ドルエラの決めた公爵家次男との結婚を断ったそうだ。彼女が一人でハートフィールド夫人の元に出向いてお断りをしてきた、と聞いたドルエラは怒り狂い、リリアーナのドレスを破ってしまったとか。


 あれ以降、シアラ以上にひどい扱いを受ける事になったリリアーナだったが、姉の言葉を胸に頑張る事に決めたのだそうだ。


『お姉様のしていた事を思い出しながら、不器用なりにやっています』

 リリアーナは、シアラにあてた手紙の中にそう書いた。家事も、リリアーナ自身が率先してやる様になったのだ。


 ドルエラは相変わらず人任せにしていたが、リリアーナが家事をやる事に耐えられないらしく、メイドを雇おうとしたらしい。

『お継母様ったら、私があまりに不器用だから見るに堪えないって言って来るんです。失礼しちゃいますよね』


 リリアーナは、ドルエラがメイドを雇うのを止めた。家に使用人を雇う余裕は無いと言って。

『だからね私、お継母様にこう言ってやったの「自分で出来もしないのに、良くそんなに口を挟めますわね。貧乏のせいにするなら、何もしなければ良いんじゃないかしら? お金を使わなくて済むわ」って』


 何かと文句を言って来るドルエラに対し、リリアーナは果敢にも反発し、時には無視をする様になった。そうしていると、ドルエラも文句を言う事が減ってきたらしい。



 そんなリリアーナに、縁談が舞い込んだ。ハートフィールド夫人から、一度は立ち消えになった伯爵家の五男との話を、再び進めてみないかと言われたそうだ。

 こうして結婚するに至ったリリアーナの幸せを、姉として大いに喜んだ。婚儀に参加できなかった分たくさん贈り物をして、祝福の手紙を送った。


 リリアーナの夫となった人は、商人としても事業をこなしている。経済観念の厳しい彼は、ドルエラの無駄遣いを指摘し、彼女の宝石やドレスを取り上げてしまったそうだ。

 という話を、何故かドルエラからの手紙で知らされた。手紙には『婿がひどい』という恨み言がびっしり綴られていたが、さんざん自分がいじめた相手に愚痴を言える神経が分からず、シアラは頭を抱えた。



「そんな手紙、破り捨てて暖炉にくべても良いんじゃないか?」

 コーディーに手紙の事を言ってみたら、笑顔でそう答えてくれた。

 季節は冬。コーディーが辺境伯から賜った家の暖炉の前で、寝る前にくつろいでいる時の事だった。


「そうやって、人からの手紙を無下にするのは悪い気がして……」

「気にする事無いよ。君は今、お継母様に同情できるの?」

 手にした手紙に書かれたドルエラの字を見ながら、シアラは首を振った。

「お継母様はお継母様で好きに振舞っているんだもの。結果どうなっても、それは自分がやった事が返って来ただけだと思うわ」


 シアラはおもむろに立ち上がると、暖炉の傍まで向かった。そこで手紙を破り、薪で燃える炎の中にそれを放り込む。火はすぐに紙を焦がし、徐々に消し去っていった。

「ありがとう、お継母様。おかげで幸せを掴むことが出来たわ」

 そんな礼を言われても、ドルエラはきっと嬉しく無いだろう。そう思いながらも、シアラは消え行く手紙を眺めながらそう呟いた。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました!


 この作品は「シンデレラを参考にしてみよう」と思って書き始めました。元ネタの継母や姉達は、なぜシンデレラを小間使いにしていたのか、なぜ虐めていたのか。そう言う事を考えながらキャラメイクするのは楽しかったです。

 ドルエラはきっと、シアラの性格そのものを受け付けないんだろうな、とか。リリアーナは他人に取り入るのが上手いタイプなんだろうな、とか……


 シンデレラを参考にはしましたが、筋書きは別物になりました。なのでシンデレラストーリー、と言う感じでは無いです。ハッピーエンドで締めくくる事ができて、作者としては満足です。


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