浜松城への凱旋!
武田信玄が死んだ影響で、敵の軍勢は蜘蛛の子を散らすように逃げた。
諏訪家と援軍の織田家が追い打ちをかけたようだけれど、僕は参加せずに一度浜松城に戻った。かえでたちが気にかかったし、何より疲労困憊だったからだ。
入城すると兵士たちの歓声が上がった。
初めは何が何だか分からなかったが、僕に向けられているのだと視線で気づいた。
みんな明るい顔で歓迎してくれているようだった。
「それほどの大手柄だったのです。誇ってください」
一緒に帰っていた服部さんもまた嬉しそうに笑っていた。
敵とはいえ人を殺したのだから罪悪感が湧くはずだ。しかし高揚感と達成感で僕は満たされていた。もう戦国乱世に染まってきたのだろう。それが良いことなのかは判断つかない。
「博! お前、本当に武田信玄を倒したのか!」
落ち着く暇もなく征士郎さんが駆け寄ってくる。
傷を負っているけど無事のようだ。
というより見たことないくらい興奮している。
「はい。実感がまだ湧きませんが……」
「そうだろうな! だけど、お前は本当によくやってくれた! 感謝する!」
僕の手を両手で包み込むように握ってくれた。
珍しいことに征士郎さんの目には涙が浮かんでいた。
征士郎さんにとっても仇だったもんな……
「この根性なしが! 一人だけ格好つけやがって!」
「まあまあ前田殿。ここは褒めるべきだろう」
利家さんと忠勝も寄ってくる。
僕は「利家さん、すみませんでした」と頭を下げた。
「あの場ではああするしかなかったのです」
「分かっている! だが二度とするなよ! したら訓練に付き合ってやらん!」
利家さん、だいぶ怒っているかなと思ったけど、次の瞬間「生きていて良かった……」と涙を流した。驚いて目をぱちくりしてしまった。
「博。前田殿はずっとお前を心配していたのだ。自分がふがいないせいで根性なしなことをさせてしまったとな」
「ち、違う! これはだな、汗が目に入っただけだ!」
忠勝の説明を否定しつつ涙を拭うがどんどん溢れてきている。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
同じ立場だったら悔やんでも悔やみ切れないだろう。
「すみませんでした……征士郎さん、かえではどこにいますか?」
「あいつなら織田家の援軍の大将である佐久間殿と話をしている。会いたいのか?」
「一応、報告はしておこうかなと。まあどうせ怒られるとは思いますが」
下手したら口もきいてくれないだろうな。
そう思っていると征士郎さんは「怒られる、か」と微妙な顔をした。
なんだろう?
「俺は全く違う反応を想像するけどな」
「それはどういう――」
征士郎さんに訊ねる前に「――筑波博!」と僕の名前を呼ぶ声がした。
その方向を見るとかえでが息を切らしながらこっちに走ってくる。
かなり怒っている……と僕は思った。
「か、かえで……その、僕は――」
つかつかと僕の前に迫って、かえでは大きく手を振りかぶった。
殴られる――と思ったけど、その手は止まった。
かえでは俯いて、唇を噛み締めた。
「どうした? 僕を殴らないの?」
「殴ろうと思ったわ。勝手な行動をしたんだから。だけど……」
かえでは顔を上げた。
征士郎さんや利家さんと同じように泣いていた。
初めて見る――夢の中で見たか――僕は動揺した。
「あなた、臆病者だったんでしょ……なんで命がけで戦ったのよ……」
「……逃げてほしかったのかな?」
「そうね……みっともなく逃げてほしかった……」
かえでのお父さんが逃げなかったように、僕もまた戦うことを選んだ。
そのことを非難しているのだろう。
僕は「逃げられるのなら逃げていたよ」と言い訳をした。
「武田信玄と戦ったのは成り行きだった……戦わないと逃げられなかった……」
「分かっているわよ! だけど……」
大粒の涙を流すかえでに「もういいんだ」と征士郎さんが肩に手を置いた。
「気を張って強気でいなくてもいい。あの武田信玄は死んだのだから」
「征士郎……」
「正直に言ってみろ。大丈夫、博はいい奴だ」
よく分からないけど僕は征士郎さんに試されている気がした。
かえでは涙を拭いて僕の目を見た。
かえでの隈はより一層深く刻まれていた。
「私は武田信玄を倒すために生きてきた……父上の仇を討つために、今まで必死に生きてきた。はっきり言って復讐だった。そんな身勝手な思いを人に押し付けるなんてしちゃいけないと思っていたの」
「だから僕にきつく当たっていたの?」
「あなたは織田家の人間じゃなかった。巻き込まれただけの子に一緒に復讐してくださいなんて言えるわけなかったの」
同じ立場だったらどうだろうか……僕は弱い人間だから頼ってしまうだろう。
だけどかえでは強い人だった。心から信頼しているのは同じ志を持った征士郎さんだけだった。だから僕なんかに頼るなんてできなかった。
「あなたが三方ヶ原に残ったとき、父上の最期を思い出したの……あなたには話したことなかったけど、同じような状況だった……」
「……ごめん。あまりいい気持ちじゃないよね」
「ねえ筑波博。どうしてあなたは戦ってくれたの? 前に言っていた太一となたねのためなの?」
あの子たちの名前を覚えていたんだ。
僕は「それもあるかもしれない」と答えた。
「いろんな理由があるんだ。それでも一番は――もう誰も死なせたくなかったんだ」
「死なせたくない……」
「綺麗事かもしれないけど、武田信玄を倒さないかぎり、続いてしまうかもしれないと思ったんだ」
ただ単純に僕は守りたかったんだ。
征士郎さんや利家さん、忠勝や諏訪家の人たち、そして領地に暮らす人々。
そこにはかえでも含まれていた。
「上手く言えないけど、そのためなら勇気が出るし負けられないと思う」
「あなたは本当に、父上と似ているのね……」
すると征士郎さんが「もういいだろう、かえで」と優しい声で促した。
「意地を張っても仕方あるまい」
「そうね……筑波博、今までひどいことを言ってごめんなさい。許されるとは思わないけど、謝らせてほしい」
頭を下げるかえでに僕は驚いてしまう。
そして思う――今まで僕はかえでに邪見に扱われていた。だけどそれは全て僕を追い出そうとした言動だった。追い出して戦いに巻き込まれないようにするためだった。そりゃあやり方は良いとは思わないけど、素直じゃないかえでにしてみれば正当なやり方なのだろう。
「そうだね。太一やなたねのことがあるし、全てを許せるかどうかは分からない」
「当たり前ね」
「だけど謝ってくれてありがとう」
かえでは驚いたように目を開けた。
「何を言っているの?」
「謝るの凄く勇気が要ると思うんだ。だから僕は嬉しかった。かえでが心から謝りたいって思ってくれたのが、とても嬉しかったんだよ」
かえでの目からどっと涙があふれた。
「ごめんなさい、筑波博……」
「いいんだ。僕だって反発したし」
「それとありがとう」
かえでは涙を拭って、今まで見たことのない笑顔で言った。
「武田信玄を倒してくれて、ありがとう。本当に、ありがとう」
僕はにっこりと微笑んだ。
かえでは征士郎さんの肩を借りて泣いた。
見守ってくれた征士郎さんも静かに涙を流した。
利家さんは豪快に泣いた。
忠勝もまた嬉し涙を流した。
周りの兵士たちも歓声を上げている。
「筑波博。この度の戦いの一番手柄はあなたよ」
落ち着いた場になって、かえでは改めて僕に言う。
「だから褒美を渡したいと思うの」
「褒美? 何をもらえるの?」
かえでは年相応の素敵な笑みで僕に言った。
「岡崎城をあなたの城にするわ」
「……なんだって?」
「あなたを城主にするって言ったのよ」
「…………」
とんでもない褒美に何も言えなくなる僕。
かえでは嬉しそうに言う。
「これからよろしくお願いするわ。頼りにしているんだから!」




