第三話 開校決定ですわ!
東の空が金色に輝きはじめる。間を置かずに太陽が稜線から顔を出した。
見送りに来たのはシルフィ一人だけ。私は彼女から手荷物を受け取り、最後の挨拶を交わす。
「お嬢様……」
「そんな顔しないでシルフィ。こんなことになってしまったけれど、今はとてもせいせいしているわ」
「どうかお体にお気をつけて」
「ありがとう。貴方もね。では、ご機嫌よう」
私は泣いたりなどしない。例え、冤罪なのに疑われ、名誉を傷つけられ、家を追い出されることになっても。
……今回もエスコートなしで馬車に乗り込む。
御者は私が腰を下ろしたのを確認すると、静かに馬を進ませた。私は次第に遠くなるカデメイアの邸宅を一瞥し、息を胸いっぱいに吸い込んだ。
「自由ぅぅぅですわぁぁぁ~!!」
「うわぁ!?どうしましたお嬢様!?」
「あら。ごめんあそばせ」
私はキャディーの天井を貫かんばかりの勢いで腕を突き上げ絶叫した。驚いた馬がヒヒンと啼き、車体が大きく揺らされる。内なる犬〇ヒロシが出てきてしまいましたわ。
おほほほ。勘当上等、婚約破棄もなお結構。殺人の容疑を着せられたときは正直生きた心地がしなかったけれど、これ以上婚約のゴタゴタに付き合わされずに済むなら良いことですわ。
当然あらぬ咎で責められたことは腹立たしいし、ルロイ様との結婚が叶わなかったのも無念だし、おまけにアスミナのことも気にかかるけれど。大金!自分だけの領地!元・庶民からすれば万々歳だ。
「鄙びた領地でスローライフも悪くありませんわね」
やりたいこと、探さなきゃ……。あーあ。こっちの世界にも漫画とかゲーム、せめてネットがあればなぁ。
「お嬢様、あと小一時間で目的地に到着しますよ」
御者の呼びかけで目が覚めた。どうやら寝てしまっていたらしく、お昼をとっくに過ぎていた。思えば、昨日はハプニングだらけの目まぐるしい一日だったから気疲れもかなりしていたのだろう。
窓から外の景色を見ると、のどかといえば聞こえはいいが、畑と林ばかりのこれぞ田舎という風景が広がっていた。まばらにある小さな家の中に、ポツンと、赤い小さな館が現れる。まるで平らな大地に無造作に置かれたかのようだった。
「あちらが私のお屋敷ね」
「ああ、いえ、お嬢様のお屋敷はもう少し先です。あそこはね、村の学校だったところですよ」
「ふーん、学校。過去形ということは、もう学び舎としては使われていないということですの?」
「いやあ、なんでも丁度今年に廃校が決定してしまったようですよ。最後の卒業生がいなくなったら、てんで入学者が来なかったみたいで。まぁ、こんな辺鄙なところじゃ仕方ないですよ」
「……確かに田舎ですけど、それにしては立派な校舎ですわね」
「ええ、ええ。昔は高名な魔法使いの先生がいらっしゃったようで、一時は学生の街として栄えたこともあったとか。今でも繁栄の象徴として、村の自慢になっているようですよ。なんなら、ちょっくら近くまで寄り道していきましょうか」
「お願いしますわ」
馬車は進路を変え、館のすぐ近くまでやってきた。寄って見てみると、赤煉瓦で出来た立派な館ではないか。
ふと、見覚えのある壮年の女性が校舎から出てきた。
「……マミヤ先生?マミヤ先生ですわ!ごめんあそばせ!馬をお止めください!」
御者が手綱を思い切り引くと、馬は前脚を高く挙げて大きく啼いた。私はキャリッジから飛び出し白髪の女性に声を掛ける。
「御機嫌よう、お久しぶりですわ、マミヤ先生」
「まあ!御機嫌よう。驚きました、何年ぶりでしょうか、ご立派になられましたね。フリーシアお嬢様」
マミヤ夫人。フリーシアとしての記憶だが、幼い頃、家庭教師として何年か面倒を見ていただいたことのある、私の先生。お年は召されているものの、背筋は伸びており、スレンダーで所作の一つ一つが美しい。
「マミヤ先生は昔とちっとも変わっておりませんわね。相変わらずお美しいですわ」
「ふふ、社交辞令も使えるようになられましたねフリーシアさん」
「社交辞令ではありませんわ!」
ほほほと片手で口元を隠しながら笑う私たち。なんだか昔に戻ったみたいですわ。
「先生は今こちらで教鞭を?」
「……執っていたのだけどもね。残念だけど廃校が決まってしまいました」
「生徒が集まらなかったと伺いましたわ」
「ええ。一人だけ、今年入学する予定だった子がいたのだけれどもね」
「それは気の毒ですわね……」
「立ち話もなんですし、用事が済んだら待っていますからここへいらっしゃい。積もる話もありますしね」
「いいえ、お待たせしません。今からでも構いませんわ!」
私は御者へ先に屋敷へ行き、適当に荷物を置いておくよう頼んだあと、マミヤ先生の元へ駆け寄った。
マミヤ先生に「せっかちなところは変わっていませんね」とからかわれながら、私は学校の中へと招かれる。
校舎の中はヒンヤリとしていて、人がほとんどおらずもの寂しい雰囲気を醸している。
「カデメイア王立学校の校舎と比べると、ささやかなものでしょう?けれどもですね、この小さな校舎に生徒がぎっちり入っていた時代もあったのですよ」
「今とは大違いですわね。建物自体は古いですが、痛みの少ないところを見るに、大切に使われていたことが分かりますわ」
「ありがとうございます。……教室の方まで案内いたしましょうか」
「ええ、ぜひ」
マミヤ先生に誘われるまま、階段を上っていく。踊り場の壁には大きな絵画が飾られていて、荘厳さは失われていないと主張するかのようだった。
「さ。ここが教室として使われていた部屋ですよ……あら?」
マミヤ先生が引き戸を開けると、窓際の席に男の子がポツンと一人で座っており、頬杖をついて外の景色を眺めていた。
「……今日も来ていたのですねアルトくん」
アルトと呼ばれたその若者は、振り返ろうともせず、ただ黙っている。掻き揚げて左に寄せている黒髪は陽に透けて、少し青みがかっている。
瑠璃色の瞳と相まってやや切れ長の目元は涼し気で、物憂げな表情はとても大人びている。きっと平民の子であろう、しかし私は、気品と色香を漂わせるその姿に貴族の影を見た。
「アルトくん、紹介します。こちら私の元教え子で、カデメイア公爵家のご長女であらせられるフリーシア・グリットレーベン・カデメイア様です」
目線だけをこちらに向けたアルトは以前頬杖をついたまま、気怠そうにしている。
「……どうも」
「こら!アルト!!なんて口の利き方ですか!しっかり礼を込めて挨拶なさい!」
「ふん、カデメイアって有名な魔法学校を仕切ってる貴族……そこん所の出来の良いっていうオジョーサマだろ?有名人だし知ってるよ」
むかっ。こんなに態度の悪い人間は久しぶりに見ましたわ。ここは一発元気にぶつかって、挨拶の手本を見せてやろうじゃありませんの!
「マミヤ先生。ここは私から。……ゴホン、お初にお目にかかります。フリーシア・グリットレーベン・カデメイアですわ!本日よりウィール地方の領主となりました。どうぞよろしく」
私は不適な笑みを浮かべ、淑女の礼をとる。
「え!?初耳です、カデメイア公爵様より正式に分譲を?」
マミヤ先生が軽く驚いたような身振りをした。
「まぁ、そんなところですわね。……で、貴方の口からお名前を聞いておりませんわ。アルトさん」
「もう知ってんじゃねぇかよ」
わざとらしいため息のあと、小言を漏らすアルトに私はカチンときましたわ。物申そうとした私をなだめるようにマミヤ先生が遮った。
「アルト!……ごめんなさいね、フリーシアさん。この子は近所の子でしてね、来年度の入学を心待ちにしていたのですが、何分廃校になってしまいましたから……」
「ははあん、それで不貞腐れているというわけですわね。意外と可愛いところがある子じゃありませんの!」
「勝手なこと言うんじゃねえよ!」
机を叩いて立ち上がったアルトが声を荒げた。
「俺はここからの眺めが好きなんだよ。……廃校が決まってから、村民なら出入り自由だろ」
「またまた、本当は魔法学校に入りたかったのでしょ?」
「だからちげーって!」
反抗期ですものね、大目に見てあげてもよくってよ。先の無礼は許しましょう。
魔法学校……現実で言うところの高等学校がモチーフでしたわね。うんうん、高校生に憧れてしまう気持ちはよく分かりますわ。アオハル、アオハル。いいですわ〜!
「友達と遊んでハメを外したり、時に殴り合いの喧嘩なんかしたりして。ぶつかり合いつつも、男たちは熱い友情を育んでいくのですわ〜!」
私の熱の込もった演説に、突如アルトから半畳を入れられる。
「いやなんで男だけなんだよ……女もいるだろ、普通」
「いや〜、私自身は青春っていう青春過ごしてないし、男子たちの絡みを遠巻きに見てただけで友達も少なかったからな〜」
「あ……アンタ、意外と暗い人生送ってたんだな。というか男子たちの絡みってなに?」
「お、おほほ!じょ、ジョーク!貴族ジョークですわ!華やかな私がそんなわけないでしょう!皮肉ですわ皮肉!」
「何に対しての皮肉だよ……」
私は引き攣らせた顔で一歩後ろに下がったアルトに対し、大慌てで腕を振った。
危ない危ない。素の私が出るところでしたわ。こんな世界で万が一、BL趣味がバレてしまったら奇異の目を向けられることは火を見るより明らか。
嗚呼、腐女子にこの世界はキツいですわね。これからどうやってBLでしか得られない成分を摂取していけば良いのでしょう……
――――この時、私に電流走る。
「兎に角、学校とかどうでもいいから。俺帰るわ。センセ、それじゃ。じゃーな領主サマ。……といっても、こんな小さい領土じゃそれこそ村長と変わらないけどな。平民は野良仕事でもしてますよっと」
「……ほほ」
「え?」
「おーっほっほっほっほっほ!!私、たった今!やりたい事が決まりましたわ~!」
「うわぁ!?いきなり大声出すんじゃねぇよ!センセ、領主サマってやばい奴なんじゃないだろうな!?」
「フ、フリーシアさんは大変優秀なお方だったのですよ。少しばかり変わった方であったのは確かですが……」
本当に閃いた時って頭の中が一瞬明るくなのですね!私初めて知りましたわ。
不気味がる二人を他所に、私のアイディアを心中で自画自賛する。
「貴方!アルトとおっしゃいましたね」
「だからそうだって言ってんだろ……」
「今日から私を“先生”と呼びなさい!」
「はぁ!?ワケ分かんねぇって」
「鈍ちんですわね〜。この私が、魔法学校を新しく開校すると言っているのですわ」
「はぁ?」
怪訝そうなアルトを放っておいて私は更に続ける。
「しかもただの学校ではございません!カデメイア王立学校を凌ぐエリート養成学校!世界で初の――――男子校を開校いたしますわぁぁぁ!!」
「はぁぁぁ!?!?」
ぐふふふふふ。私は元から天才であったのかもしれない。
私は、それはそれは暗い青春時代を送ってきた。嗚呼懐かしき、ブッ〇オフとTSU〇AYAに足繫く通う日々よ……。
アニメや漫画を語れるような友達に恵まれず、親が厳しかったせいで深夜アニメすらまともに視聴できないという圧倒的コンテンツ供給不足に陥った私は、とうとうナマモノで妄想するという荒業を会得するに至ったのだ。
頼み込んでスマホやネットを使わせてもらえるようになったのは高校2年生のときだった。もう少し遅かったらゴキ腐リどころかゴ腐リンといって差し支えないレベルの怪物が誕生してしまっていたかもしれない。
「フ、フリーシアさん。ご提案は大変嬉しいのですが、入学希望者のアテでもあるのですか?」
私はハラリ、と自慢の金髪を右手で払い、腰に手を当てて胸を張る。
「ありませんわ」
「ねぇのかよ!自信満々に言いやがって!それにお前俺とそんなに歳変わらねえだろうが!先生って呼べるか!」
「あら失礼。私はもう立派なレディーですわ」
「ぐぬぬ……学校の先生って資格とか必要なんじゃねぇのかよ!?」
「高位魔術師として国家から認められております。資格の問題はクリアですわ」
「ゲッ、マジかよ……いやいや、そうだとしても!生徒のアテがねーんだろ!俺だけじゃ学校になんねーぞ!」
私は両の掌をアルトに向けてまあまあと彼を宥める。
「生徒はこれから集めます。私の人脈を見くびられては困りますわ!」
「教員も私以外はすでに出て行ってしまい、開校するには教師の数も足りないのですが……」
「それもこれから集めますわ」
私は困り顔のマミヤ先生にあっけらかんと言ってみせた。
「大丈夫かこの人……」
アルトには呆れられてしまったようだ。広く知られた才媛であったにも関わらず信用のないことですわ。
「フリーシアさん。そもそも男子だけを入学させる、その意図は?」
「あー……それは……そう新規性ですわ、新規性!目新しいことをすれば噂になる。人の耳に入れること、まずそれが第一歩ですわ。この学校、知名度は皆無ですのよ?」
我ながら尤もらしいこじつけが出来たものだ。フフン、と得意げに鼻を鳴らしてみせる。
マミヤ先生は半ば諦めたように肩を竦めた。
「分かりました。フリーシアさんがそこまでおっしゃるなら、私も腹を括りましょう。……元々アルトくんを入学させてあげられないことについては忸怩たる思いでした。全身全霊で協力します」
「センセ……べ、別に学校に行かなくても大丈夫だっつってんだろ。……でも、その、あんがとよ」
マミヤ先生の柔らかな微笑みが、アルトの冷え切った心を温めていくかのようだった。
ふふ、素直じゃありませんこと。
「……何ニヤニヤしてんだよ」
「おーっほっほっほ!何でもありませんわ~。さて!私はお屋敷に戻って早速生徒を募集いたしますわ。学校を創設するのに何人ほど生徒がいればよくって?」
「四人です」
「あら、随分少なくて良いのですね。余裕ですわ~!」
「魔法学校は、魔法使いの徒弟制度がその始まりですからね。旧来の慣習では、弟子は四人まで……。もはや学校というより私塾のような気もしますが。兎に角、私は教師の方を集めましょう。一人だけなら人材に心当たりがあります。しかし何人先生を集められることやら」
「お給金は水準の5割増しにして結構!その代わり優秀な人材を揃えてくださいますこと?おーっほっほっほ!」
私はドレスを翻し、教室を去る。
私は元・庶民だけれど、今は誇り高きフリーシア・グリットレーベン・カデメイア。スローライフは性分ではないということですわね。我儘で傍若無人な悪役令嬢ですもの!自分の欲望のまま突き進んでやろうじゃありませんの!おまけにカデメイア家を凌ぐ学校にして本家に吠え面かかせてやりますわ!
さあ、これから忙しくなりましてよ!
「無茶苦茶だな、あのお嬢様」
「ええ。昔から大胆なお人柄でした。周囲の人間をいつも振り回してばかりで……。でも、やるといったら必ずやるし、失敗したところは見たことがありません。新しく学校をつくるなんて、無謀でしかありません。しかし、フリーシアさんなら、あるいは……」