婚約破棄された伯爵令嬢は結婚しました。
婚約破棄を申し付けられた伯爵令嬢の結婚話。
「エリス……。どうか僕と婚約破棄してほしい」
弱々しい、小さな声で目の前にいるその人は言った。
婚約破棄を申し付けられ、特に悲しいと言う思いは無い。
ただ、そうなのか、と言う気持ちだけが存在する。
「畏まりました」
親同士の政略結婚で決まったこの婚約に愛は存在しなかった。
今も、今までも。ずっと。
私は無愛想だから、婚約破棄されるのは目に見えていたし、相手の婚約者に愛すら抱いていなかった私にはどうでも良い事。
私は伯爵家に産まれた令嬢である。
エリス・ノーガッドと言う名を名付けられた私はついに婚約破棄を申し付けられた。前々から予測はしていた。御相手は平民の出にして、男爵家の隠し子だと判明したエイレン・アルバート。
愛称エレンは誰にでも気さくで優しい。あの微笑みは老若男女問わず魅了する事だろう。そして、私の目の前にいる今は多分、元婚約者である侯爵家の令息であるセインは社交界の中でも有数な眉目秀麗の男子だ。この方が産まれてから十六年間婚約者だったことの方が驚きだ。愛は無い。ただ、傍に居たのが長いだけ。
この時の私は知らなかった。
婚約破棄後、私が、結婚をするだなんて。
「お父様、今、一体何と仰いましたの?」憮然としているであろうこの顔を真顔で見つめるのは私の父親である。
「お前の結婚が決まった」婚約破棄後の約一ヶ月後だ。こんなのはあり得ない。
「と、嫁ぎ先は……」しどろもどろになりながらも、私は問う。
「隣国の国王であらせられる、アルノルト・ベルク様だ」弱冠十八歳にして国王の座に着いた天才王太子。眉目秀麗にして頭脳明晰。もしくは容姿端麗とも噂される私よりも二歳年上にある。
そんな方が何故私に…とも思いつつも、
「何故私なのですか。もっと、他の素敵な女性がいらっしゃるでしょうに」コクりと頷いた父は、
「そうなのだが、アルノルト様が聞かないんだ。どうしてもお前じゃないと駄目だ、と」唖然とした。憮然なんて言葉じゃ言い表せない。眼を丸く見開いて、これでもかと言う程に言葉がでない。開いた口が塞がらない、とはまさにこう言うことだ。
「いつでしょう」
「三日後だ。三日後、式が行われる」
「三日後?早すぎ無いでしょうか?」流石にそんな早いとは。スピード婚と言う奴だろうか。
「アルノルト様の命令だ。正直言って、お前には嫁がせたくは無い。だが……」ついにお父様は私と視線を合わせない。
「分かっております。私は婚約破棄された身。ただでさえこの家は没落しかけなのです。重々承知しております」私は言葉を一旦切り、
「私は行きます。お父様に御負担をかけないよう、行って参ります。……十六年間、ここまで育てて頂き、ありがとうございました」隣国へ嫁ぐと言うのはそう言うものだ。私がもしも嫁ぐとなると、私は王妃と言う重い役目を背負うことになる。失敗は許されない。婚約破棄された身で、ただでさえ縁談話がこない。それと同時にこの家は没落しかけと言うギリギリの立場まで来ているのだ。決してこの千載一遇のチャンスを逃してはならないのだ。
重々承知しているからこそ、私は今度こそ役目を全うしなければならない。きっとこの結婚には、愛こそ無けれ、信頼すら無いであろう。私に出来る事は精一杯務めさせて貰うこと。
三日後の準備に備え、私はその日は早く寝ることにした。
「ついに今日がこの日ね……!」私は洋服やらアクセサリーやらと必要最低限の物を持ち、隣国へ向かう。そこへ私は初めてアルノルト様と見合う。緊張はするが、大丈夫のはず。
「貴女がエリス・ノーガッド嬢で?」後ろから声をかけられて、私は反射的に身を構える。
……って、アルノルト・ベルク様だ。
私は再度確認する。比較的長身で痩せ型。金髪碧眼の顔を目の前にして、噂通りの美形だ。本当に、何故この人が私の結婚相手になるのか……と再度確認する。
「……はい……」私はオズオズと返事をした。特に相手は気にした素振りは無いが、いざ目の前にして見ると緊張する。先程の軽い緊張が嘘の様に重くなる。
「やはり、美しい方ですね」美しい?私が?と思いつつも軽く挨拶―――つまり、解釈する。
「御冗談が上手いのですね。私が、ノーガッド伯爵家の令嬢、エリス・ノーガッドと申しますわ」ニッコリと軽く笑みを浮かべると、安堵したような微笑いが返ってくる。
何だか気まずい、と思う。初めて会う相手とお話をして、しかも結婚相手ときたら、緊張しない人の方が稀だ。
「……あの……アルノルト様、ですわよね?」
「はい」そう言うとふんわりした笑みを向けられる。本当に心の底から嬉しそうな……。
「御聞きしたい事があるのですが……」
「分かった。けど、迎えの馬車がいるからね。そこでしようか」
「あ、はい」伯爵家の私にこんな待遇を示してくれるとは、何とも言い難い。感謝しなければ。
私はエスコートされながら馬車に乗り込む。タジタジと座ってみると、フワフワなソファの様で、ついウトウトしてしまいそうになる。おっといけない、と思い体制を立て直す。立て直して顔を見合わせると、何故だかクスクスと笑うアルノルト様がいる。
「あのぅ……」少しだけムッとなりつつ、
「ああ、ごめん。……つい。それで、何かな?」
「どうして私なんかがアルノルト様の結婚相手なのでしょうか。もっと他に素敵な女性がいらっしゃるでしょうに」妙に真剣な顔をして見る。
「では聞くが、何故君がそんな質問をするのかな?」質問を質問で返され、私は少し口をつぐむ。
「……そうですね……。私は最初、この結婚についてこう思っておりましま。何故没落しかけのこの家にアルノルト様が縁談がくるとは夢にも思いませんでした。そもそもの話、単刀直入に言えば、利用、だったでしょう」
「利用だった?」眉間に皺がよるアルノルト様の様子を伺いながらも続ける。
「私はこの結婚に愛があるとは思えません。多分、相手方も何らかの目的があって、の結婚だと思っておりましたが、アルノルト様と直接お会いしてよく分からなくなりました。何故ですか?何故私を結婚相手に選んだのですか?」
「ではこちらも単刀直入に率直な答えをするとしよう」
その思いに私は答えるように頷く。
「僕は……君が好きだ」
え……?
唖然とした。開いた口が塞がらない?そう言う問題ではない。一瞬息が停まるかと思った。
「……本気で?」
「勿論だ。そうで無ければ僕は君に結婚を申し込んだりはしない」嘘でしょう?何故……。それこそ信じられない話だ。
「信じられない、と言う顔だな?まあ確かにそうかもしれないな。僕は君に恋してる。愛していると言っても良い。念の為言っておくが、親愛の様な物ではない。一人の女性として好きなんだ」真剣な顔で見つめられる。恥ずかしいよりも驚きの方が勝っている。
「何故私が……」そこから先は恥ずかしくて言えない。恥ずかしすぎる。私はほんの少し上目遣いをしてみる。
ほんのりと頬を染めた頬に手を乗せられる。
誰かに軽く後ろから押されてしまえば危うい状況になってしまうような距離だ。そして、優しい笑みを向けられる。
「あああああああああの……」恥ずかしすぎる。こんなに取り乱すのは十年ぶりだ。最後の日はある男の子が最後である。
確か―――金髪碧眼の優しい笑みをした――――――
そう―――目の前にいる様な――――この人――
アルノルト様の様な。
「――――もしかして、アラン様……?」あの時の男の子はアランと名乗っていた。名前は別人だし、幼少期の事だし。
――――奥を言えば、例えそうだとしてもありえない。
だって、恋――――だなんて――――――
急に馬車が停止する。
「あ」少し揺られ、私はアルノルト様に受け止められる。と言うよりも抱き止められるの方が正しい。
「外に出るとしよう。これで全てが分かる」全てが分かる、と言うと……?
不思議な顔を浮かべた私に微笑む。
「エスコートをしても良いかな」私は無言で頷いた。
エスコートされながら私は馬車を出る。
――――花弁が舞った式会場にいるのは―――
「一ヶ月ぶりだね、エリス」寂しげな表情を浮かべた人が私の目の前にいる。
婚約者だったセインだ。何故ここに……。
「何故ここにいる、って顔してるね――――不本意な形で買収されたと言って良いね」皮肉げにアルノルト様に眼を向ける。
「買収だなんて酷いなぁ。僕はただ手を回しただけだよ」え?え?一体どういう状況なの。
「そう言う所が腹黒だねぇ。ほんとにムカつく」
「二人は、どういう関係で?」
「「犬猿の仲の幼馴染み」」二人とも見事にハモっている。
「正直言ってこの案には乗りたくなかったよ。けど、君の真意が分かって良かったと思うよ。僕の願いはエリスの幸せだからね」
ニッコリと微笑っているが、寂しそうだ。
一体どういう事なのだ。
「率直に言うんだが、僕はエリスが好きだよ」
「え……婚約破棄……」何故かセインに告白される。
「それはアルノとの賭けだったんだ。本当に不本意な形で成立したんだが、渋々、な」聞けば、変な紙を渡されて無理矢理書かされたら婚約破棄を申し込めと脅されたらしい。契約書があるから、と。
「ほんと腹黒だよね」
「嫌だなぁ、脅されただなんて」ニコニコと二人の間に不穏な気配が流れる。
一体絶対どういう事なんだ?
「婚約破棄後、僕はエリスに結婚を申し込む。受け入れられたら賭けは僕が勝ち。でも、その前に婚約破棄を断ったら賭けはセインの勝ち」つまり……
「私を賭けにして遊んでたのですか!?酷いです!」じゃあ、先程の告白も……嘘。そして私の十年前の初恋を踏みにじった……!?
あの初恋はセインと一緒にいて男の子。アランと名乗ってよく遊んでだけど……。いつの間にか――――。けど、婚約者はセイン。裏切る訳には行かなかった。
「違う、違う。僕がエリスを好きなのは本当。で、」アルノルト様はセインに眼を向ける。
「僕もエリスが好きなんだ。本当は凄く嫌なんだけど、これを通して君の思いが分かって良かったと思う。君が、アルノが好きだと」
………私が、アルノルト様を?
私はアルノルト様に眼を向け、微笑みで返される。
「えっと……その……」私は俯き、
顔を上げると、セインに軽く額にキスされる。
「あっと……」またまたしどろもどろするとアルノルト様に引き剥がされる。
「これ以上は近付かないでくれます?」
「分かった、分かった。でも、式は最後まで居座らせて貰うよ」ニッコリと微笑み、
「僕としては即刻退場して欲しいですけどね」また邪なオーラが流れる。私はそれをオドオドしながら止める。
「じゃあ、これを知っている人って……」
「君のお義父さんも知ってるよ」
「君にお義父さんと呼ばれる筋合いは無い」また後ろから邪のオーラが……(変なオーラだなぁ)。
「お父様……」あれ?となるとこれは、仕組まれた婚約破棄で、仕組まれた結婚……。
「幸せになるんだよ」今までで一番優しい声で―――
「ああああああああ……うん…はい……ってぇぇ!!」
いつの間にか腰に手を添えられ、真っ赤にする。
「と言うわけで、返事は」
「……うう……はい」没落寸前のこの家を支えるには、これしか無いのである。初恋関係なく、これは。
…………ノーコメントで………。
最後まで見て頂いてありがとうございました。