事件と変化
久しぶりの更新です。
閲覧、ブックマークありがとうございます。
副隊長の訪問の翌日から、エセルバートに言われた通りに私は隊舎の中心階にある図書館に朝から通っていた。
何度来ても本当にここが隊舎の中なのかと疑問に思うほどに、この図書館は大きく、そして本の量が多い。きっとどれだけ時間を費やしたとて、生きているうちにはすべて読み切れないだろう。
大きな入口に足を踏み入れ共有スペースを見渡し、金髪頭を探していると今日は一段と奥にある、死角にさえなりそうな席に彼はいた。
静かに歩み寄っていくと、エセルバートはいつものように突っ伏して眠っている。彼の真正面の席には今日私に課せられた「課題」が積まれていた。
最初に図書館に来た時に、私を嫌う彼がどのような無理難題を押し付けてくるのかとそれなりの覚悟をしていた。しかし、彼の教育法は拍子抜けしてしまうほど、私にとっては優しいものだったのだ。
『この図書館の中から魔法書を選別した。毎日適量の魔法書を積んでおく。お前は僕が選んだもの全てに目を通せ、嫌でも頭に入れるんだ。...僕はずっと図書館の中にいる。アルには探知魔法をかけられて見張られているし、お前がきちんと基本をマスターするまで僕も一切訓練に参加させてもらえないからね。万が一自分で考えても本気で理解できないことがあれば呼べ。』
一切こちらを見ず、声色に嫌悪を隠さず彼はそう言ったが、気が進まないなりにも私に魔法学を教えるということを放り投げるようなことはしなかった。
選別された魔法書も、どれだけ難しいものを積まれるのだろうと身構えていたが、拍子抜けするほどわかりやすいものが多く、学校に行っていなかった教養のない私でも、レンや父に教わった知識だけで理解できるものがほとんどであった。
理解のできない場所を罵倒覚悟で聞いてみれば、全身で嫌悪を発し、良い顔をしないものの、説明をしてくれる。
副隊長の言葉がよほど堪えたのか、それとも、これがエセルバートの性格の本質なのか。
...まあどちらにせよ、私には関係のないこと。
ただひたすら課題をこなして行く他ない。
今日も積まれた魔法書の1冊を手に取り、エセルバートとは一番離れた席に腰をかけてそっと開いた。
日に日に魔法についての知識が頭の中に植え付けられていき、もっと知りたいという欲がわいてくる。知れば知るほど、何故今まで知らなかったのかと、後悔さえしてしまうほど、魔法を勉強することが楽しいと感じるようになった。
この国に来て環境も感情も慌ただしく変化して、何も信じることができなくなった私が唯一信じられるかもしれないと思ったもの。それが知識だと、理解できる魔法書を読み始めてから気づいた。
知識はずっと自分の中に残り、そして世界を、教えてくれる。
絶望に溢れていた自分の中に僅かに残っていた光。
それを知るきっかけが、自分を死ぬほど嫌っている人が選別してくる魔法書だと思うと少し複雑にも思えてきてしまうが、知識として吸収してしまえば、その過程など今のところはどうだっていい。
きっとエセルバートも私に似たような感情を抱いているに違いない。私と過ごしているこの時間を、過程を、何も無かったように、気にしないようにしているのだろう。
ふたりの行き着く未来は、絶対に交わったりはしないとわかっているから。
そう思うようになってからは居心地の悪さが消え、むしろこの時間を楽しみに思う自分がいる。
そんなことを考えながら今日もいつものように魔法書のページを捲っていると、視界の端で金髪頭がビクリと跳ねたのが見えた。
何気なく横目でエセルバートの姿を確認すると、上体を起こした彼は眉を潜めて怪訝な顔をしながらあたりをちらちらと見回し始めている。
そのうち彼の目が私を捉えると、更に表情を歪ませながら席を立ちこちらにズンズンと向かってきた。
一体何をしてしまったのか、全く検討もつかない私は固まったまま、彼こちらに向かってくるエセルバートを待つ。
...何もまずいことはしていないはず。
「おい」
「...何か。」
「何か感じないか。」
私のそばまで来るなり、彼は私から魔法書を取り上げて机に置くと厳しい表情のまま問いかけてくる。
咄嗟に何も答えることが出来ずに、私は固まったまま。
どうやら私に対してこの表情を見せている訳では無いらしい。
言葉に怒りは感じられないが、疑いのような感情を含ませているのが感じ取れた。
「...何か、周囲から流れてくる魔力に変化を感じなかったか」
「...魔力に、変化、ですか?」
「しつこいくらいに感じていたアルの探知魔法の気配がプツリと切れた。それだけじゃなく、何か大きな魔力と魔力の衝突も感じた。」
魔法書に夢中になっていたために、エセルバートのいう魔力の変化というものを感じ取れていなかった私は軽く首を振った。
きっと魔法書に夢中じゃなくとも、周囲の、しかも広範囲の魔力のわずかな動きを感じ取れるほど私は敏感ではないはずだ。
そんな自分の無力さに自身でがっかりしつつ、それと同時に寝ていても感知できてしまうエセルバートに、素直に感心してしまう。
すぐに周囲の魔力の流れに触れようとしてみるが、まず変化前の魔力の流れがどんなものだったのかすら覚えていない。
わずかな変化すら、読み取ることが出来ない。
そんな私を見て彼は一瞬呆れたような顔を見せたが、すぐに硬い表情に戻り小さく息をついた。
「...少し出る。ここにいろ」
「でも」
「いい。」
私が何かをいう前に、エセルバートは私を手で制するとスタスタと図書館から出ていった。自分で何を言おうとしていたのかもわからないが、それを遮られたことで役立たずだと言われた気がして、もやりと心が曇る。
けれど、どうして良いのかわからず、茫然とただ背中を見送るしかできず、その背中が見えなくなってからも私の体は停止したままだった。
彼が言っていた魔力の変化から察するに、何かが起きたことは間違いない。いや、実際には進行形で起きているのかもしれない。
けれどそれが何なのかは全く想像がつかない。副隊長に何かがあったのか、大きな魔力と魔力の衝突とは一体何なのか。
そわそわした気分がおさまらない。
心の奥底で、お前も行け、と自分が言っている気がする。
...でもどこにいけば?何をすれば?まともに魔法だって使えやしないのに。
けれどただならぬ雰囲気で変化を告げられて、魔法書を黙って読み続けていられるほど、私は無関心ではない。
考えるよりも先に私の体は、走り出していた。動きながら、考えるしかない。
今の時間帯、隊は訓練をしているはずだ。
訓練所にいけば、誰かいるはずであるし、エセルバートもそこへ向かった可能性が高い。
恐らく行ったところで彼には無視されるだろうが、もしも何か緊急事態が起きていたなら、人がいるに越したことはない。
急いで階段を駆け下りて訓練所へ走って向かうと、倒れている隊員達の姿があった。近寄って軽く触れてみると、生気は感じるものの意識を失っているようで動く様子がない。
まだ命があることにホッとしながらもあたりを見回すと、スカルさん、クリスさんの姿もあった。
倒れている2人に近寄り、身を軽く揺らしてみるも彼らが目覚める気配はなく、言いようのない焦りを感じる。
...一体どうすれば。
「...ジネボラ?」
「...!」
背後から聞こえた声に、全身の力が抜けそうになる。
振り返ると、そこにはドーム背中を預けて苦しそうに息をするシルヴィアさんの姿があった。訓練から外されて以来のはじめての再会だった。
急いで近寄れば、彼女の肩は怪我を負ったのか出血しており、その状態が長く続いていたのであろう、顔面は蒼白である。
「一体、何が...」
「詳しい説明は、あとで、するから...お願い、急いでエセルを連れ戻して...」
「でも...」
「私たちのことは大丈夫、剣舞騎士団に応援を呼ぶところだから...とにかくエセルを連れて二人で戻ってきて。自分たちでどうにかしようとか絶対に、思わないで、エセルを見つけたら先には行かず、引きずってでも帰ってきて、絶対に...。そう遠くへはまだ行っていないはずだから。でも、もしも、引きずって帰れる状況じゃなければ、貴女だけでもすぐに引き返してきて。」
「...わかりました」
「本当なら、私が、行かなければ行けないのだけど、これじゃあエセルを連れ帰るどころか...本当にごめんなさい。...とにかくお願い...森の北の方へ行ったわ、土が柔らかくて足跡が残りやすいから、エセルの足跡も、残ってるかもしれない。応援が来たらすぐに森の方へ向かわせるから...」
シルヴィアさんの弱った声にしっかり頷き、私はエセルバートが向かったであろう森の方角へ駆けていく。
一体何があったのか。けれど、シルヴィアさんの怪我や、エセルバートが森へ向かった理由を考えてみれば、何者かに、もしくは何か大きな組織に襲われたことだけは間違いなさそうだ。その理由や、目的が全く私には検討がつかないが、相手は隊を戦闘不能にしてしまうくらいの力を持っている、只者ではない力の持ち主であることは想像ができる。
きっとエセルバートは犯人を追って、なりふり構わず追跡に向かったに違いない。
彼の実際の実力がどれほどのものかはわからないが、上司であるシルヴィアさんたちが痛手を負ってしまうような相手をどうして一人で追うことができるのだろう。
森に残されたエセルバートらしき足跡を追い、万が一のことを考えながら慎重に静かに足を進めていく。
もしもエセルバートを見つける前に、その犯人とやらと遭遇してしまったら、エセルバートを連れ帰る状況では無かったら、無事に彼を見つけたとしても囲まれてしまったら...嫌な想像は止まることなく頭の中で繰り返される。
魔法が使えない私ではどう考えてもすぐにやられてしまう。エセルバートもエセルバートで、私より力はあるのかもしれないが、まだ見習いの身である。正騎士であるシルヴィアさんたちを立ち上がれない状態にまでした相手と互角に戦えるとは思えない。
...いや、犠牲を払えば、彼だけなら逃げられるかもしれない。
それに、きっと彼は私が来ても私をいないものと扱うだろう。
...二人で戻ってきてと、シルヴィアさんは言ったがもしもそれが難しい状況ならば、選択肢は一つだ。
私が、彼を返すために犠牲になる理由はないが、もしもそうならざるを得ない状況なら、そうなるしか、方法はない。
...もとより、私はこの場にいる資格などない立場だ。
「...はっ..なせ!!!お前ら一体何をしたんだ!!!」
突然前方で聞こえた聞き覚えのある声に私の頭にあった複雑な考えたちは一気に吹き飛んだ。
慌てて近くの茂みに隠れそっと声のした方を覗くと、エセルバートが赤装束の何者かに押さえつけられていた。
そんな二人の周りを、何人もの赤装束が取り囲んでいる。
想定していた中でも最悪の事態に、心臓がどくどくと嫌な音を立てた。
「ピーピーうるせえな。活きがいいのは結構だが。」
「何をしたんだ、お前ら、!」
「おい、こいつ連れ帰るぞ。この紅目からするに王族だ。いい材料になる。...ならなければ高値で売り飛ばすのもありかもしれねえな。」
「ハハ、それもアリだな...ってのは冗談だろ?...とにかく行くぞ。追っ手が来て存在がバレるのは避けたい」
必死に抵抗するエセルバートを相手にすることなく、赤装束たちは不敵な笑い声を響かせている。
一体どうするべきなのかわからず、シルヴィアさんの貴女だけでも引き返してきてという言葉が頭の中にぐるぐると回る。
戻ってこの状況を伝えたとて、彼らはすぐに姿を消すだろうし、エセルバートも連れ去られて、全く居場所が分からなくなってしまう。
...やはりここは、私が犠牲になるしかないのかもしれない。
ぎゅっと自身の手を握りしめ、覚悟を決める。
...学ぶことが楽しかった。やっと活力を見つけられたと思った。けれど、そのためだけに今助けるチャンスを逃すのは違うのだ。
彼は私とは、違う。シルヴィアさんの必死な目を思い出し、なおさら思う。私とは、違うんだ。
「おい!そこにいやがるのは誰だ!!」
赤装束の一人の声が私のいる方へ投げられた。
びくりと肩が震えたが、見つかるのも時間の問題だったため、私はそっと茂みから彼らに姿を見せた。
...よく良く考えれば、向こうが魔法を使える存在だとするなら私が近くに来た時点で別の魔力を感じてしまう可能性があった。その可能性は的中したらしい。
「...っな、お前なんでここに」
赤装束の声につられて顔を上げたエセルバートは私の顔を見て、驚きの表情を見せた。
彼の反応に赤装束は小さく舌打ちをし、私を鋭い目つきで睨んだ。
「ガキのお友か。見る限り王族でも何でもなさそうだな。...ただ、返しちまうのは面倒だから...おい、お前ら。このまま殺るぞ。」
「残念だなあ嬢ちゃん。一人でなんとか出来ると思ってきたのが間違いだったんだろうよ。」
「おい、お前は行け!!僕ひとりでここは、うぐっ」
「なんとかなるって?カッコつけてんじゃあねーよ、坊ちゃん」
赤装束達が私に近づいていく中、エセルバートが焦ったように声を上げたが、彼を押さえつけていた赤装束が彼の口を塞ぎにたりと笑った。
目元と口元だけしか見えないのに、その不敵な笑みに、私の心はどろりと黒いもので埋め尽くされた。
...あの時の状況に似ている。
私がこの国に連れてこられた日の、あの魔物達に囲まれていた時に。
じんわりと心臓から全身に熱が伝わっていくのを感じた。
...あの時と同じ、相手から感じる殺意は私の戦闘狂としての血を騒がせるらしい。
いつの間にか手に現れた銃に驚きながらも、胸がいっぱいになる久しぶりの感覚に私は酔いしれた。
突然様子が変わり、銃を握っている私に気づき赤装束達は一気に距離を詰めようとするが私は気にせず引き金をまっすぐ引いた。瞬間真正面に来ていた赤装束の肩から鮮血が飛び散る。
両手に持った銃の引き金をひく指はとまることなく、近くにいた赤装束たちに確実に一発入っていく。
呻き苦しむ声や、それでも消えない殺意と戦意に私の全身はさらに踊る。私は変われない。おかしいのだ。
視界の端に見えたエセルバートはいつの間にか解放されており、目を見開いたまま、赤装束に銃を向ける私を凝視していた。
「おい、何して...」
震えた彼の声には怯えたような色が混ざっていた。
私に流れている血が汚れている血だと罵ったのは、貴方なのに、何を今更驚いているのだろう。
困惑気味の彼に、フッとほほ笑みかけると、突如後ろにグイ、と体を捕まえられた。
いつの間にか、後ろに赤装束が来ていたのか。私を捕まえた赤装束は私の首筋に刃を当てて、荒い息を吐いた。
「...逃げればこのガキを殺す。オメーを助けにきたくれえだ、大事なヤツなんだろ?」
私を殺すことが脅しになると思っているのか、私を捕まえたままの赤装束はエセルバートにニタリと笑みを向けた。
あまりにも見当違いで、思わずくすりとすると刃が首筋に食いこんだ。
「何を笑ってやがる」
「あまりにも違うから...フフ。...殿下、逃げてください」
私がそう言うと、エセルバートは硬い表情をして私を見た。
どうするべきなのか、本気で悩んでいるのだろうか。...そんなはずはない、彼は私が死んでもいいと思うほどに私を嫌っているはずだ。
「貴方が言ったとおり。私は血には抗えないし、貴方の言ったような人間です。ここに居場所はないし、できたと思ってもただの幻想。...私は貴方とは違う。これが、私に流れる血です。」
ふ、と口元が震え、目が潤んだ。
私を見るエセルバートの目は一瞬歪み、そして見開かれた。
涙が零れそうになる前にエセルバートから視線をそらし、手に持っていた銃を自身の頭の横へ持っていく。
「おい、何を言ってやがる、勝手に動くんじゃねえ!!」
頭の横に持っていった銃を握る私の手を、赤装束は首筋に当てていた刃で切りつけた。
切りつけられた場所からじんわりと熱が広がり、どくどくと心臓の音が早くなる。
いよいよか、と狂気と諦めが心を支配しかけた時赤装束からの拘束が解けた。頭上で赤装束のぐぐもったような声がして、激しく咳き込むのが聞こえる。
何事かと、突然のことに動けないでいるとぐいっと前方から腕を引かれ、引かれるがままに駆けている自分がいた。
まだ何も整理がつかない状況で、自分に今何が起こっているのか、理解ができない。
引かれるがままに走っていると、前方から見たことのある制服に身を包んだ数人がこちらの方へ駆け寄ってくる。
「大丈夫か!犯人は...」
「奥の方に......」
「怪我が......いますぐに......」
「いい、僕が連れていく」
自分を引く人物と、前方からやってきた数人のやり取りを軽く耳で受け流しながら、やっと目の前で私を引いているのがエセルバートだと認識できた。
なぜ、彼が私を引いているんだろう。なぜ、私は彼と一緒にいるのだろう。
彼はやり取りを済ませると、また私を引いて走り出し森を出てすぐの川辺で足を止めた。
突然止まったせいか、足の力が抜け、そのまま尻餅をついてしまう。
それと同時に掴まれていた手は解放され、私ははっきりしない意識のまま立ったままのエセルバートを見上げた。
「しっかりしろ!」
しゃがんだエセルバートが私の肩を力強く掴み、怒鳴る。
さ迷っていた私の視線がエセルバートの力強い紅い目と交わり、途端に切りつけられた腕の痛みや、全身から湧き出てくる熱を頭が思い出して、目頭がじんわりと熱くなる。
視界が涙でぼやけ、彼の手のひらから伝わってくる優しい魔力が私の体へと伝わってきた。
彼から感じられる優しい魔力が信じられないけれど、それと同時にそれの優しさに安心してしまっている自分がいる。
「うぅ...ふ...」
「お、おい」
枷が外れたかのようにとめどなく涙が頬を伝っていく。
嫌いな相手を前に弱みを見せてしまうなんて、本当は嫌なのに。
それでも彼の瞳と魔力に頭が醒めたのは紛れもない事実で、悔しくて、情けない。
エセルバートはそんな私を見て狼狽え、きょろきょろと視線をさ迷わせる。しかしやがてその視線が私の腕に留まると、すぐに自身のワイシャツを破り始め、それを私の腕に巻き始めた。
一体何をしているのか。しゃくりあげながら彼をまじまじと見ると、彼はバツが悪そうな顔をして立ち上がった。
「...応急処置だ。...立て、戻るぞ」
エセルバートは素っ気なくそう言うと、私を置いて訓練場の方へ歩いていく。改めて自分の腕を見ると、先程切りつけられた部分が止血されていた。
一体、どういった心境の変化なのだろうか。
...いや、副隊長に何かを言われるのを見越して、私を見捨てなかっただけだ。あそこで助けたのも、おそらく今後脅しの材料に使われる可能性があることを見越しただけ。
そう自分に言い聞かせると、困惑していた心が落ち着いてくる。私はまだ濡れている目元を擦りながら、彼の後ろを追いかけた。
遠目から見た訓練場には倒れた隊員達の介抱をする医師や侍女たちがいた。
それを見たエセルバートが弾かれたように走っていく。
「エセル!ジネボラ!!」
訓練場につくなり、私たちを見つけたシルヴィアさんが大声をあげた。その声にエセルバートはいち早く反応し、シルヴィアさんを見つけ出すと、駆け寄っていく。
そんな彼に驚きながらもあとをついていくと、そこには幾分か顔色が良くなったシルヴィアさんがいた。
出血していた部分には手当がされており、息を切らす様子もない。
「二人共無事に戻ってきてよかった」
「大丈夫なのか」
「ええ、残ってた魔力で念じて剣舞騎士団の方に緊急事態だと連絡を入れたの。医療チームと合わせて応援を呼んだわ。...団長や隊長たちが遠征に出かけてる今を狙い目だと思ったんでしょうね。どこの賊かは知らないけれど高い魔力を感じたわ。聞いたこともない、見たこともない呪文で、すっかり私たちも圧倒されてしまった...情けないことこの上ないわ...もっと鍛えないとね」
力なく微笑んだシルヴィアさんに、エセルバートは少しだけ納得のいかない表情をした。
彼の拳は強く握られており、ふるふると震えている。
「僕がその場にいれば...」
「そうやって思ったままに突っ走るんじゃないの。これだからまだ子供って言われるのよ。」
「でも」
「でも、じゃないの。いつも言ってるでしょ?まだ守られていればいいのよ。今回は危険な目に合わせてしまったけど、もうこんなことは二度とない。...あなたは、時期が来たら守り返してくれればいいわ。」
自分を責めるような口調のエセルバートに、シルヴィアさんは呆れたように彼を見上げた。
彼女の漆黒の瞳が彼の紅目を捉えた瞬間、エセルバートの耳が真っ赤に染まる。
強気な彼が彼女の前で強く出れないのは、彼女が単に上司だからという理由だけじゃないのかもしれない。
経験が無い私でも、少しだけ分かってしまう。彼は彼女のことを大事に思っているのだろう。
「...ちょっと、ジネボラ!?あなたなんで怪我してるの?!」
エセルバートから視線を私に向けたシルヴィアさんが突然目を細めた。
突然の大声に驚いてビクリと肩を震わせると、彼女はエセルバートに鋭い目線を投げる。
「エセル、あなたなにか無茶をやらかしたんじゃないでしょうね。じゃなきゃあなたが無傷で彼女だけが怪我をしているはずがないんだけれど。まさかジネボラのことを盾に」
「何でそうなる!僕はただ盗まれたものを取り返してただけだ、それに皆に何をしたのか、もしもあいつらにしか解けないような呪いでも掛けられていたら時間との勝負だろ。運悪く捕まったけど、一人でも逃げられたのに勝手にこいつが...」
エセルバートがその先を言いかけて、バツが悪そうに口をつぐんだ。
シルヴィアさんは彼がその先を言うのを待つかのように、彼に鋭い視線を寄越したままだ。
そんな二人を見て、私は意を決して口を開いた。
「私が自分でコントロール出来ないのを分かっていながら魔力を暴走させて、正気じゃないまま犯人と接触してしまったんです。それを、殿下が助けて、連れ出してくれました。正気にさせてくれたのも殿下です。でなければ何をしていたのかわかりません...この怪我は、自分の責任なので...冷静に判断出来ず、無理せず戻ってくることを躊躇してしまいました。...ごめんなさい。」
彼が犯人を追いかけていったことから始まったことではあるが、それは人を思ってのことであって、自己満足のためではない。
比べて私はどうだ。
ここにいる資格はないなんて表では言っておきながら本当は不安定な自分を解放させたかっただけだ。自分だけのことしか考えていない、自己中心的な考えで自分を傷つけただけで、自業自得で、彼が責められることなど一つもない。
「...わかった。当時の状況はあなたたちにしかわからない事だし、あなたがそう言うなら、私はそういう事実だったとして受け取るわ。反省しなさい。人と行動する、その時点であなただけで完結することではなくなるの。気持ちもね。これはジネボラだけじゃなくエセルにも言えることよ。緊急事態だったとはいえ、己の身を顧みないだけでなく、相手のことも考えない、そんなんじゃ正騎士にはなれないわよ」
「その通り。...今回助かったことは運が良かったと思うんだね。」
「ティーヴァ副隊長!」
「アル!」
シルヴィアさんが話している途中で突然降り掛かった声にシルヴィアさんとエセルバートが驚いたように声を上げる。
思わず顔を上げると、そこには険しい顔をした副隊長が立っていた。
周囲も彼の存在に気づき、慌ただしかった空気が一瞬にして静かになった。
「...遠征先で全くここの魔力を感じ取れなくなって、嫌な予感がしてすぐに俺だけ戻ってきた。ひとまず、状況は聞いた。怪我をしてる人間は治療を受けたら安静に自室で待機していてくれ。各所破壊された魔石が復旧出来次第収集をかける。それまでは訓練もなしだ。...ハンス、シルヴィアを医務室まで運んでくれ。」
副隊長の指示に、再び空気は慌ただしくなる。
彼に指示された医師はシルヴィアさんの肩を組むと、彼女に声をかけながら医務室の方へ2人で歩いていった。心配そうなシルヴィアさんの視線を受けながらも、私とエセルバートは動けないまま。
副隊長は周囲を見渡したあと、私とエセルバートに視線を移した。
「エセルバート、取り返したものを渡してくれ」
「...これだよ」
表情が硬いままの副隊長に圧倒されているのか、エセルバートは渋々片手に持っていたボロボロの本を差し出した。
副隊長の目が一瞬見開かれた気がしたが、彼はすぐにその本を受け取ると再び表情を硬くする。
「取り返したことに関しては、よくやった。」
「...!」
副隊長の言葉に、エセルバートはわかりやすく表情がパッと明るくなる。
しかし副隊長の言葉と表情が比例していないために、私は素直に喜べず、次に何を言われるのか身構えていた。
「だが、二人共身勝手な行動をしたことに関しては相応の罰を受けてもらう。犯人と接触したことにより、周囲を危険に晒した自覚はあるか。被害を大きくする可能性もあった。最悪の場合、一般市民にも被害が及ぶ。...俺達は国を守るためにここにいる。自分勝手な自己犠牲なんてものはどんな敵よりも一番厄介だ。」
「でも」
「自分の立場を理解しろ。反論するより先に、自分たちがしたことを考えて、反省するんだ。」
副隊長の凍てつくように睨まれ、強気に口を開いたエセルバートはびくっと体を震わせて口を閉じた。
今まで聞いたことがないほどの低い声と、硬い表情、そして雰囲気。
すべてに圧倒され、少しも動けない。
しかし、すぐに副隊長のため息が聞こえ空気が軽くなったのを感じた。
「...ひとまず二人共医師にみてもらえ。特にジネボラは怪我をすぐに治療してもらうように。一晩ゆっくり休め。話の続きはそれからにする。」
彼はそう言いながら私たちの視線に合わせて腰を下ろすと、私たちの頭をくしゃりと撫でてスタスタと背を向けて去っていってしまった。
拍子抜けしつつも、応急処置された自分の傷を撫でてチラリとエセルバートの方を見ると彼もたまたまこちらを見ていたようで、バチっと視線が合う。
鋭い紅目に射抜かれ思わず目を逸らしたくなったが、一方のエセルバートは全く動じる様子はなく、無言でこちらを見ている。
「医務室まで連れていく」
「...いや、一人でも」
「どちらにせよ二人共見てもらうように言われてるだろ。どうせ同じ場所に行くのに別々に行く意味がわからない。それに...」
「...?」
「怪我をしてるのはお前だ。貧血で倒れでもしたら、放っておいた僕が怒られる。さっさと行くぞ」
そう言うと、エセルバートは読み取れない表情をしたまま先に歩いていく。
私は深く考えるのをやめ、その背中を追いかけて医務室へ向かった。