空っぽ
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訓練の初日以来、私は引きこもる毎日を送っていた。
見習いたちの私への態度だとか、エセルバートから毎日のように向けられる剥き出しの敵対心だとか、そんなものは関係ない。
私が、何も出来ないからだ。
エセルバートとの対峙のあと、他の見習いも集まっていて、何事もなく訓練は始まった。
しかし、訓練前に全員の魔力の調子を隊の全員が把握するために行う、全員が大きく円になり何かしらの魔法を唱える、いわゆる「魔力出し」と言われるものを始めた時に事件は起こった。
周りの見習いや隊の上司たちが呪文を唱えていく中、私だけ、何を唱えれば良いのかわからなかったのだ。
まず、銃を召喚していたことさえ無意識でやっていたことだった上に、呪文を唱える必要があるだなんて初耳である。魔法に関する知識はこれっぽちもないのに、急にやってみろなんて言われても難しい。
それに未だに自分が銃を魔法で召喚していたなんて現実味がなさすぎて、信じられなかった。幼かった時はいつの間にか銃を握っていたし、この前なんて地下に置いてあったものを使っただけだ。
シルヴィアさんに説明された時はそのまま流してしまったが、やはりちゃんと考えてみると自分がそんな力を使えるようには到底思えない。
それゆえ周りが次々と、炎を出したり、何も無かった上空から氷柱を降らせたりと魔法を繰り出していく中、私だけ固まったまま何もすることが出来ずにいた。
何もしない私に、エセルバートや他の見習いたちは眉を寄せてこちらに鋭い視線をよこし、コソコソと話し出す。当たり前だとは思っていたが、周りの見習い達も私が何者であるのかを理解しているようで。友好的な態度を向けてくる人物は誰ひとりいなかった。というか、エセルバートが友好的な視線を私に向けない時点で、もう決まっていたことなのだろう。
別に、気にしない。
とりあえず何とか繋ごうという焦る気持ちはあったがそれを顔に出さずに、背筋を伸ばした。
わからないけれど出来るだけやってみようと、シルヴィアさんたちに聞くことはせず、片手を突き出し自分の魔力に念じてみる。
しかし、いくら待てども魔力が出ていく気配は感じられない。
結果何も出来ないことは何となく分かっていたが、とりあえず体制をキープしたまま私はひたすら念じ続けた。
「シルヴィア、なんか変だぞ。竜巻が」
すると突然スカルさんが何かの異変に気づいたのか声を上げ、素早く魔法を繰り出していた手を引っ込める。その声に周りも魔法を止め、中心に渦巻く小さな竜巻に視線を移した。
同じように自分も魔法を止めようと、突き出した手を引っ込めようとするがなぜか凍ったように腕が動かず、じんじんと体の奥からの熱が指先に流れて行く。
次第に視線が私に集まった。
円の中で魔法を止めていないのは私だけだ。
拡大していく竜巻は、円をつくった隊員たちの目の前まで迫っていた。それも、私だけを避けて。
「ジネボラ!」
シルヴィアさんあげた大声に、私は何とか止めようと念じるが体の奥から指先へ送られる熱が絶たれる気配はない。
どうしようと、焦燥感に駆られるが何せどう対処したらよいのかわからない。
シルヴィアさんがこちらを見ているが、私は大きく首を振った。
「どうにもできませ...」
「きゃあ!!」
そう叫ぼうとした声は、誰かの悲鳴に遮られる。
目の前の竜巻は大きさを増し、遂に隊員達を巻き込んでいた。
更に、竜巻の上だけに雨雲が浮かび上がり大粒の雨を降らせ、稲妻を走らせる。
あまりの事態に、混乱し、心が乱れた。
「おい!誰か止められないのか!」
「あの子を止めないと無理!」
「ちょっと!早く止めなさいよ!!きゃ!!」
「やめてよ!!なんてことするんだ!」
巻き込まれている隊員達の非難の声がやけにクリアに耳に入る。
どうにかしようと冷静さを保とうとするが、竜巻の中から聞こえてくる声を聞く度に刺激され混乱し、どうすることも出来ない。
「ジネボラ、落ち着いて!」
シルヴィアさんの声が聞こえてくるが、その声を私は右から左へ、受け流すことしか出来ない。
頭と心の余裕を失い、私はひたすら震えることしか出来なかった。
「落ち着いて。」
涙が溢れそうになったその時、背後で声がしたと同時に私の肩に誰かの手が乗せられた。
じんわりと温かい手から伝わってきたのは、穏やかな魔力の流れ。
それが自分の中へ入っていく感覚。
心地の良いそれに安心して、私は全身の力が抜けて地面へとへたりこんだ。
それと同時に、目の前で起こっていた竜巻や嵐が嘘だったかのように消えて綺麗な青空が広がる。
いつの間にか、突き出していた手も力なく横でだらんと下げられていた。
「さて。落ち着いたみたいだね。大丈夫かな」
自分を止めたらしい人物は私の目の前にしゃがむと、私の顔をのぞき込んでにこりと微笑んだ。
金髪碧目のととのった顔立ち。見覚えがある。
そう、この国に連れてこられる時に馬車に乗り込んできたあの変な男だ。
彼は私が彼を目に映した途端満足そうな顔をしたあと、立ち上がった。そしてそのまま私の魔法の被害にあった隊員達の元へと歩いていく。
私は突然の出来事に動くことが出来なかった。
「で、君たちは平気?」
「ティーヴァ副隊長、すみません」
隊員達を見回して、彼は呆れたようにため息をついた。
シルヴィアさんの副隊長という声に全員が一斉に彼に視線を向け、慌てて立ち上がり始める。
副隊長。この男が?
張り詰めた空間で、目の前に立つ線の細い男が副隊長なのかと、不思議に思ってしまう。
しかしその中でも、エセルバートは彼の姿を目に映すと不機嫌を隠さないような表情で彼の方へと近づいていった。
「あいつだ。あいつが魔力を暴走させて、全員を危険に晒した。僕らのことが気に食わないんだろう。」
そして彼の目の前に立つと、その背後に座りこむ私へ鋭い視線を投げた。
「このままここにいたら裏切って僕らを殺そうとするに決まってる。現にあいつは殺そうとした。アル、はやくあいつを」
「さっきの暴走は誰でもとめられるレベルのものだ。そう、発生源である彼女を落ち着かせれば、容易くね。」
この場にいるほとんどが、エセルバートの味方だと思っていた。
だから、彼がエセルバートの言葉を軽く流したのを見て心底驚いた。
私は責められるのだと、そう思っていたのに。
「なにを...!アル、あいつは、」
「黙るんだエセルバート。俺は君に、目上の人物に対するそんな口の聞き方を教えた覚えはないよ。」
副隊長である彼を「アル」と、愛称らしきもので呼んでいたエセルバートと副隊長には何かしらの接点があるのかもしれない。
エセルバートは、信じられない、という表情で副隊長を見たあと、悔しそうに唇を噛み締めた。
「頭を冷やせ。それで、シルヴィア」
しかし、副隊長はそんな彼ををばっさりと切り捨て、シルヴィアさんの前に立った。
「初日で申し訳ないんだけど、やっぱり彼女は俺の方で受け持つことにする。」
「...ですが...いえ、はい。任せていただいたのに、何もできず...」
「君が謝る必要は全くない。別に暴走をとめられなかったことが理由じゃないしね。彼女にはしばらく座学で、魔法について根本的なことを知ってもらう必要がありそうだ。実践から入らせるのはちょっとはやすぎた。俺の判断が間違ってた。だから、何も気にしなくて良い。」
「わかりました。...ジネボラ、ごめんね。」
自分を置いて進む話についていけずにいると、シルヴィアさんが申し訳なさそうにこちらに来て頭を下げてくる。
謝罪の意味が分からず、私は咄嗟に首を振った。
「シルヴィアさんが悪いわけが...」
「いえ。今思い返してみると、上司失格だったわ。ごめんね。」
しかし、シルヴィアさんは譲ることなく真剣な表情で私に謝罪を続ける。
私に何も言わせるまいと、彼女は私の戸惑いをその瞳で制し続けた。
その後ろでエセルバートが今にも噛みつきに来そうな視線をこちらに寄越していたが、それも当たり前だ。
なにも知らずに突っ走った私が悪いのだ。自分だけですんだのならまだ良かった。
しかし自分は傷つかず、関係の無い人を巻き込んで、上司のプライドにも傷をつけた。
エセルバートの罵倒に乗せられて一時的に意地を張った自分が恥ずかしくなった。
それから私は副隊長に山のように手渡された魔法書を自室で読み込むよう言われ、今に至る。
あれから数日経っているが、山のように積まれた魔法書のうちの一冊の半分までしか読めていない。
「...はあ」
エセルバートに否定され続け、本来の自分が目覚めたなんて、ただの自己満足だったのかもしれない。でも、それでもあの時の気持ちは今でも変わらない。
ただ、人を巻き込んで、迷惑をかけておいて、強気で自分を保っていられるほど私はまだ強くはなかったのだ。ただ、それだけ。
訓練から外された日から、こんなことばかり考えている。
やっと半分読み終えた魔法書の内容すら、考え事をしすぎて前半の方はもう覚えていないし、食事も、食堂に顔を出しには行っているものの食欲がわかず、一口二口食べたら自室に戻るというのを繰り返していた。
「ジネボラ。様子はどう?」
しばらく魔法書の同じページをぼんやりと眺めていると、ドアの向こうで副隊長の声が聞こえた。
魔法書を渡された日から初めての訪問である。
驚いて返事をしようとするものの、水分をとったのがだいぶ前なせいか素直に声は出てくれない。
仕方なくドアの方へ歩いて行こうと久しぶりに腰を上げようとすると、突然目の前が真っ暗になり身体が地面へスローモーションで倒れていくのを感じた。
「ジネボラ?どうした?」
体と一緒に椅子が倒れた派手な音がしたせいか、副隊長の声はやや驚いたものにかわりすぐに部屋の扉が開け放たれる。
鈍い痛みが遅れて全身に広がっていくのを感じながら、入ってきた副隊長を見上げると彼は慌てたように私の体を抱き起こした。
「ジネボラ、大丈夫?...予想はしていたけど。まさかこんなにひどい状態になるとは。...だから言っただろ」
「...いな」
優しげな瞳が私を映したが、すぐに彼は自分の後方に視線を向け冷たい声を発する。
副隊長以外にも誰かいるのだろうかと彼の後方を確認しようとするが、そこで私の意識はぷつりと途切れた。
*
「...なら、直ちに...する」
「んな、それは...だろ」
誰かの話し声がする。
ぼんやりと目を開くと、徐々に意識が浮上して視界がはっきりとし始めた。一番最初に目にしたのは天井で、ちらりと話し声のする方へ視線だけ向けると、何故かそこには副隊長と向き合うエセルバートの背中があった。
変な夢でも見ているのかと思わず身体を勢いよく起こす。
途端に目眩がしたが、そもそもなんで自分は寝台の上に横たわっていたんだろうか。
なんでふたりが私の部屋に?
記憶を遡ろうとしてみるが、頭がズキズキとして二人がここにいる経緯がまったく思い出せない。
代わりに魔法書のよくわからない一説がふわふわと浮かんでは消えていく。
私が体を起こして鳴った布の擦れる音に気づいたのか、二人は驚いたようにこちらに視線をよこした。
思わず体を震わせると、副隊長は眉を下げてこちらへ近づいてくる。
「起きたね。調子はどう?」
「...目覚めたんだから良いに決まってるだろ」
「お前には聞いてない」
私が口を開く前に答えたエセルバートに、副隊長がすかさず冷たい声で返した。
「チッ…一目見ればわかるだろ。僕だって忙しいんだよ、いい加減」
「一目見てもわからないのか。睡眠と栄養が不足しきって倒れて、まだ目覚めたばかりの彼女が快調に見えるの?誰のせいだと?」
「意味がわからない、そうなったのはこいつの管理不足だ!僕に原因なんか」
「うるさい。頭に響く。…とにかく何を喚こうがさっきの話が覆ることはない。」
さっきの話、とはなんだろうか。
自分を置いて進んでいく二人のやり取りに思わず顔を上げると、舌打ちをしたエセルバートと目が合う。
訓練から外された日から一月は経っているが、私を見るエセルバートの目はあの時と変わらなかった。
燃える紅い瞳の奥から、氷のような冷たさを感じるのだ。
…けれどきっとこの目で見られたあの日から私も、彼と同じような目をしているのだろう。
「…」
エセルバートとのにらみ合いのような状況が続いている。一体なぜ目覚めてすぐにこんな状況下にあるのか。
しばらく続く沈黙の中、目頭に手を当てていた副隊長が短くため息をつき、私のほうを見た。
「色々とすまなかった。来て早々、心も体の準備も出来ていない状況で、団の中に入れてしまった。精神的にも追い詰めてしまった。休息を与えるつもりで、訓練から外したけど、何の説明もなしさらに君を不安定にさせてしまった。本当に申し訳なく思ってる。加えてこのバカが酷い事をした。」
「おい、バカって」
「バカだよ。普通に考えてみろ。お前は自分がしたことを、他人にされたらどう思うんだ?自分の私情ばかり考えずに客観的に自分の心と向き合え。それができなければ、時期が来ても俺はお前が正騎士になることを許さないからね。」
突然の謝罪に反応する隙もなくエセルバートが噛み付いたことによって、副隊長が低い声で彼を制した。
すかさず反論しようとしていたように見えたエセルバートも副隊長の低い声にぐ、と声をつまらせ、視線をさまよわせる。
一体何の話なのだろう。
エセルバートが自分にしたこと、それは最初の訓練の時の罵倒のことだろうか。だとしても、なぜ、副隊長がそのことを知っているのだろう。
「...とにかく、暫く休んでね。...エセルバート、事の説明は自分からしろよ。任せるから。それじゃ、ジネボラ。」
事の説明。なんだそれは。
頭に疑問符ばかりが浮かんだが、副隊長はそんな私に気づいているのか気づいていないのかひらひら手を振って軽やかに部屋を出ていった。
「...」
エセルバートと二人きり。
彼は副隊長が出ていった方を向いたまま無言で、こちらを見ようともしないし喋ろうともしない。
話す気がないのか、それとも、私と同じように困惑しているのか、あるいは、私が声をかけるまで動かないつもりなのか。
...いや、もしかしたら全部なのかもしれない。
どちらにせよ、この時間が続くのは正直かなり厳しいものがある。
「...事の説明、とは何でしょうか。....殿下。」
思い切って口を開くと、エセルバートがゆっくりとこちらの方を向いた。
その表情は...言葉では表しきれないくらいに複雑に歪んでいる。
「...僕が。お前に。魔法学を。1から。教えるんだと。」
一つ一つ言葉を切って、その全てに嫌味を含ませて彼はそう言った。
...エセルバートが私に魔法学を教える。
なぜ、そんなことになっているんだろう。
「お前がいつまでたっても回復しないせいだ。言っておくけど、僕は謝るつもりはこれっぽっちもないからね。けど、アルからの命令だ、従わざるを得ない。...教えるからには短期間ですぐに全部マスターしてもらうから。」
彼は刺々しくそういうと、机の上に開きっぱなしの魔法書をちらりと覗き込み、大きくため息をついた。こんなものを読むのにどれだけ時間を費やしてるんだ、とでも言いたげな表情だ。
「...なんで殿下が」
「そんなの僕の方が聞きたい。お前が来なければこんなことにはならなかった。」
私に全ての苛立ちをぶつけるように彼は荒々しい口調でそう言い放った。
その言葉に僅かに苛立ちが募る。
私に非があるとしても、腑に落ちない状況に置かれているのは彼だけではない。私だって同じだ。
「私だって...」
「は?」
「...いえ。」
反論しかけて、エセルバートの刺すような声を聞いて我に返る。
...全ては私が始めたこと。
それに、何を言ったところで私を死ぬほど嫌っているであろう彼には届かないし、これから先も私の気持ちなど伝わりはしない。
ここで、自分の不服を吐いたところでどうにもならないのだ。
再び沈黙が流れ、エセルバートはちらりと机の上に置かれた魔法書たちをなめまわすように見たあと私の方へ視線を移した。
「...明日の朝から中心階にある図書館に来い。ここにある魔法書は、読み込みの早い者向けの、上級者向けの魔法書だ。いくら読んだところでお前には理解できない。」
「…はい」
「…勘違いするなよ、僕は」
「勘違いなんて最初からするつもりも、する要素もないです。」
言ってからしまった、と口をつぐんだが彼はかすかに瞳を見開いただけで、何も言おうとはしてこない。
しばらく私をじっと見つめた後、無言で部屋を出て行ってしまった。
ドアが閉まった音がしても、居心地の悪い空気は消えず、体全体が石に覆われたかのように重い。
明日からまた、始まる。
自分を殺さなければいけない日々が。