想い
「じゃあね、さよなら」
そう言って、君をただ遠ざけた。
八月の夜、小さな河川敷、蝉の鳴き声。
ひんやりと冷たい空気が頬をかすめた。
自分勝手な別れから何年か過ぎた。
私は昔と同じように河川敷に一人で来ている。
昼間の暑さを忘れてしまうほどの涼しい風が心地よく、私はそのまま座り込んだ。
そうして、私は君の事を思い出す。
私は県外の四年制の大学に進み、完全に縁を切ってしまった彼は今どこにいるのかすらわからない。
進学しただろうか。
友達はできただろうか。
大事な人はいるのだろうか。
自分から別れを切り出したくせに、未練がましく、君のことを思い出す。
もしかしたら、私は君がいなくなったことを少しは寂しく感じているのかもしれない。
だから、今でも思い出してしまうのだと思う。
もし、どちらかが離れないと言ったのなら、未来は変わっていたのだろうか。
きっとどちらも、寂しがり屋なだけで、決断しなければ前に進むことが出来なかった。
君は優しくて、一緒にいると楽しくて、正義感が強い人だった。
そして、私は、我儘たった。ただ、一人の人をずっと好きでいられるのかという先の分からない不安を抱いていた。そんなこと考えても答えは出ないのに。
私は人に好かれることに対して臆病で、弱い自分が嫌いで、甘えたい気持ちが強くて、それなのに人一倍自分の気持ちを偽ることが得意だった。
取り繕って、笑って、君には別の人がお似合いだと、私はどう足掻いても君の一番にはなれないのだと思っていたんだ。
そうして、君に言いたいことを言えずに、私じゃだめなんだって勝手に思い込んでいた。
今になって、あの時の私はまだ子どもだったんだと感じる。
相手の許せないところをずっと理由にして、私は自分からは何も行動出来なかった。
それでも、あの時の決断は正しかったんだと思いたい。
あのままでは2人とも大人になれなかった。
ふと、目の前に2匹の蛍が飛び交うのを見て、頭の中によぎった言葉。
『鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす』
そんな言葉を誰かに教えてもらった覚えがある。
誰かではなく、もしかしたら君だったかもしれない。
あの頃の自分はそんなふうに身を焦がせるほどの気持ちでいただろうか。
心の中で深く深く相手のことを想えていたのだろうか。
子どもだったあの頃より成長をしているはずなのに、大人の私にはやっぱり分からなくて。
大人になると余計に自分の気持ちを信じられなくなってしまう。
大人にはなりたくなかった。
でも、大人にならなければ分からないこともある。
蛍が2匹、3匹と出てきて、空を舞う。
「あー、蛍だ」
お祭りの帰り道を歩いていた小さな子どもたちが指をさす。
浴衣を着て、片手には綿あめや水風船を持っていた。
「いいねー、きれいだね」と、口々に言い、笑い合う。
そんな姿を見て、微笑ましく、可愛く思った。
「お姉ちゃん、泣いてるの?」
そう声をかけられた。
伏せていた顔を上げると小さな男の子が私の顔をのぞきこんでいた。
自分の頬が濡れていることに気が付き、はっとする。
手で涙を拭くが、泣いていたのを隠せるわけでもない。
「悲しいの?」
男の子が心配そうな顔で話しかけてきた。
「ううん、悲しくないよ。大丈夫」
「本当?あのね、悲しいときは泣いていいんだって、お母さんが言ってたよ。
僕の綿あめ分けてあげるから元気だして」
そう言って男の子は、自分の綿あめを少し手に取り、ふんわりと私の手のひらに落とした。
「ありがとう」
お礼を言うと、男の子はニコッと笑い、満足気な顔をした。
男の子は友だちの方へと戻って行った。
そうして、また私は一人になる。
辺りは一層静まり返り、遠いどこかでお祭りの賑やかな音がする。
そろそろ自分も帰ろうと腰を上げ、河川敷を後にする。
初夏の風が私の背中と情けない気持ちを後押しする。
下は向かず、前だけを見つめる。
今度はもっと自分の気持ちに正直になろうと。
自分が感じている気持ちを伝えられるようになろうと。
そしたら、また、君と出逢った時に、正直に自分の気持ちを言えるだろうか。
君を好きになっても幸せになれないと考える頭と少しずつ君の存在に惹かれてしまう心の狭間で、私はずっと想っていたことを。
いつか何処かで会う時が来たら、また君と話がしたい。