魔性の笑み
今回は今までよりも短い作品となっていると思います。長い、という指摘が多かったため、感覚的にですが少なくしたと思います。その分進むのが遅くなりますが、まぁ、そのままでも少しは長かったと思います。
では、どうぞ。
2018,2,15 改行作業、微加筆しました
薫は片手でバイクの運転をしながら撃つ。
バイクの運転、二人乗り、一般車の往来という障害が数多く生じているため、思うように狙った場所に当たらない。
中の様子を窺おうとするも、追い越せばAK-47の応射が待ち構えている。
仕方なしにあまり前に出るようなことはせず、後ろから後を追いかける形で走行している。
不意に頭上で轟き続いていた銃声が止んだ。
「あー、もうっ! マガジン一個無駄にしたー!」
レイラが腹立たしそうに叫ぶ。
彼女は運転しているわけではないため、狙った場所に向けて当てることは出来ているのだが、薫のような同じ場所に何度も弾を当てるという芸当は出来ていない。
ハンヴィーはそもそも軍用に開発された汎用輸送車両だ。薫も嘗ての作戦で何度も乗ったことがある。その度に酔った苦い記憶も今となっては懐かしい。
その車両は装甲の脆弱性に問題があり、新たに装甲強化キットが作られるなどの手を尽くされている。
しかし、いくら装甲が脆弱だとはいえ、こちらの武器は所詮はハンドガン。45口径だからとはいえ、その猛威を振るうのは対人だ。
薫の欲を言えば、30口径以上のライフルが欲しい。特によく使っているのはバレットM82、SVD、MSRだが、生憎ここにはない。それに、あったとしてもこの状況じゃ撃てない。撃ったところで弾がどこに飛ぶかわかったものではない。
薫はハンヴィーのタイヤに向けて弾が無くなるまで撃ち尽くす。
やはりと言うべきか、タイヤもパンクしないよう、エアを使わない特殊な完全ゴム製となっていた。
「さて、どうしようか。圧倒的に火力不足だな」
「手榴弾!」
「持ってねぇよ」
「フラッシュバン!」
「持ってねぇし、ここで大事故が起きそうだ」
「スタングレネード!」
「さっきからグレネードばっかじゃねぇか!? 持って来てねぇって言ってんだろうが!」
何故さっきからグレネードばかり言うのだろうか? 過去に苦戦させられた記憶でもあるのだろうか?
だが、火力不足は少し面倒だ。
さっきから薫達が銃撃戦を繰り広げているおかげで、同じ通りを走行していた車は全て――とは言わないが、殆どが蜘蛛の子を散らすように逃げている。ハンヴィーが全速力で逃走を図っているため、前にいた車をぶっ飛ばしてはいるが、それでも大した被害ではなさそうだ。
火力不足を補うためには、薫が魔術を用いるしかなくなってくるが、実の所あまり使いたくない。
男を吹っ飛ばすだけでもいいが、そうなると中に乗り合わせている篠原が怯えてしまい、操縦出来ない状態で事故を起こしそうになるのだ。そうなると、タイヤをロックして操縦不能にする案もあるが、そうなると結末は同じ。
車自体を停め、薫とレイラの二人で囲む案も出てくるが、そうなると依頼人が人質にされる。魔術だとどうやっても最悪の未来しか見えないのだ。
不意にハンヴィーが角を右に曲がり、明治通りから目白通りに入った。薫もそれに続いて曲がる。
その時、遠くからパトカーのサイレン音が聞こえ始めた。どうやら、ようやく警察が交通規制を始めたようだった。辺りから一般車両が消えた。
「どうするの? 被害は出なくなったみたいだけど、火力不足の問題は解消出来てないよ?」
「あぁ、わかってる。しかも、そろそろマズイな」
「何がマズイの?」
薫は片手でスピードリロードしつつ、周囲の状況を顎で示してやる。空のマガジンはレイラがキャッチした。
そこには、大小様々なビルや建物が立ち並んでおり、所々にある桜が花を僅かに散らしているのが目に入る。
「わぁ、綺麗な桜だね!」
「それには同意するが、見るべきポイントが違う。この通りにある建物からはここを狙い放題だ。予想じゃ、この辺りで一斉掃射してくるだろうよ」
実際は、現在も前からハンヴィーの窓から箱乗り状態で一人の男がAK-47を撃ちまくっているのだが、それはなんとか躱している。
この辺りのビルには企業の人間のみならず、一般人も入れるような建物となっているために狙いやすい場所だった。
しかし、桜が道路端に何本か植えられているため、絶好の場所、というわけでもない。枝葉が邪魔をして、射撃の阻害になることもある。
だが、幾つかの建物の特定の部屋からは枝葉が大して問題にならない場所も存在するのだ。
先ほどの薫の言い方にするならば、地獄の二丁目に突入、といったところだった。
もし、薫が相手の立場なら、その部屋に牽制として部下を配備する。相手の損耗を増やすという考えではない。少しでも味方車輌を撤退させるための時間稼ぎとして必要になるのだ。その者達の役割は、足止めで丁度良い。
「じゃあ、どうするの?」
「こちらの弾にも限りがある。応戦は難しいな」
実際、お互いに残りリロード一回のマガジンふたつ分のみ。自然とばら撒く撃ち方をしなくなってくる。
薫が一斉掃射してくるであろう連中を応戦したところで、まだハンヴィーというものが残っている。撃てども銃弾を通さないのだ。それに、応戦すればしたで連中の思う壺だ。
「どうしたものか……」
「――お困りのようやな、お二人さん?」
不意に近くからそんな声が聞こえた。
その方向を見てみると、ビッグスクーターと並走している煜の姿が目に入った。
もちろん、乗り物を使わずにダッシュだ。生まれ持っての異能とはいえ、バイクの速度と並走出来るこの男のスピードにはいつも驚かされる。……薫にはもう見慣れたものだが。
だが、いいタイミングで来てくれた。この男なら、この先のことを任せられる。
その旨を伝えると、流石、と煜が呟いた。
「さっきちょい走って確認したんやけどさ、お前の懸念通り、銃構えた連中がゴロゴロおったわ」
「だろうな。……レイラ、あの箱乗り黙らせろ」
「任せて」
先ほどから何度も何度もこちらに向けて撃ってくるあの男が面倒だった。
薫の運転するビッグスクーターの両隣の地面や、それまで薫たちがいた虚空をAK-47の弾幕が飛来していた。右に左にと動いて躱すために、レイラに上手く狙いをつけさせてやれない。
仕方なく、一度被弾を覚悟でまっすぐ運転する。
レイラは軽く立ち上がり、よく狙いを定めてトリガーを引き絞る。発射された45ACP弾は男の左肩を抉り、大きく仰け反らせた。
――流石、45口径だ。
男はバランスを崩すも、無事な左手でハンヴィーに捕まり何とか落ちずに済んだようだ。こちらとしては残念の一言だが。
「レイラ、どこにでもいい。当ててあそこから落とせ。この速度だ。無事じゃ済まねぇよ」
「わかった!」
「へぇ、いい腕してるやん。俺らは銃無理やからな」
「ベレッタを全弾撃たせて、的に当たったのが三発だけだったからな、このノーコンめ!」
「うるせーやい!」
煜が感嘆の声を漏らしながら余裕そうにビッグスクーターの速度についてくる。薫はそれに軽口で応じる。
煜が視線をこちらに向けて問いかけてきている。言葉にせずに視線だけで、どうするんだ、と。
やはり懸念事項としては待ち構えているらしい連中を排除するに限る。だが、煜はまだ殺しの童貞。きっと殺すことはないのだろう。精々戦闘不能まで痛めつけ、後は警察に引き渡しそうだ。
だが、この男の実力は認めざるを得ない。お互いに手を抜いているとはいえ、普段の薫と煜の絡みで薫の蹴りと拳の嵐を涼しい顔で捌くような実力なのだ。
任せる理由としては、それだけで充分だった。
「この先の連中、任せる」
「一捻りやわ」
煜は明るい笑顔を見せると、一気に速度を上げて建物に飛び込んでいった。
直後、発砲音が轟き始めた。戦闘が始まったらしい。
あの男の実力なら心配は無用だ。油断しなければ容易く蹴散らせる。問題はこれからのことだ。
今回、あの依頼主の心の問題でこれからの薫の行動が変わってくる。
見ている限りでは、彼女は根性はあっても少し脆い印象がある。明るい少女を装ってはいるが、少し注意深く観察してみればその仕草に気づくことが出来る。割り切りは良いようだが、流石に今回のこの出来事は割り切るにはまだ彼女でも完璧には無理だろう。
それが薫の見解だった。
「ウィル! 前!」
レイラにその名で呼ばれ思考を一旦中止し、言われるように前を見る。すると、先ほどまで箱乗り状態だった男がハンヴィーから転げ落ちていた。それが、まっすぐビッグスクーターまで転がってくる。
「うおっ!?」
車体を傾け何とか躱すも、もう少し反応が遅ければ足を失くすところだった。これにはレイラに感謝をしなければならない。
「悪い、気づかなかった。残弾は?」
「あとマガジン一個と、三発!」
正直、このままでは振り切られる可能性が高い。スピードとしては大した問題ではないのだが、ビッグスクーターのガソリンが残り僅かとなってしまっているのだ。
この速度で走行し続けると、保って後十分もない。それまでにあれをどうにかして止める必要がある。
だが、どうすれば良いだろうか?
今二人で所持している得物はガバメント、薫はマガジンふたつ、レイラはひとつと三発。尻の下にナイフ。手元にはそれだけだった。
こうなっては思案していた通り魔術を使うか、ビッグスクーターをお釈迦にする代わりにハンヴィーに乗り込むか。
増援に関しては、こちらはいつになるかはわからないがソフィアが送るらしい。だが、すぐかどうかの確信がないために、今は頭の片隅に押し退けるしかない。
「あの開いてる窓からどうにか出来ない?」
レイラが今まで男が座っていた窓を指差す。
確かにあそこから侵入するのも手だ。運転手である男がさせまいと何かしらの抵抗を見せるだろうが、その場合は薫が援護すれば良いだけだ。
「しっかり掴まってろ!」
薫はアクセルを目一杯回し、開いている窓の位置と並走する。
その時、ふとあることに思い至った。
中に入り、敵を無力化した後このハンヴィーを一時的とはいえ操縦しなくてはいけない。だが、レイラが運転など出来るのだろうか?
バイクの運転に関しては昨日見せたように可能らしい。
だが、車の運転――それも軍用車の運転が出来るかはまだわからないのだ。流石の母親も軍用車までは持っていない。
「レイラ、運転は?」
「バイク? 出来るよ?」
「このデカブツのことだ」
「あ〜、見てみないことには。多分いけると思うけど」
だったら大丈夫だろう。いや、大丈夫であってほしい。依頼人、家族共に失うのは『魔王』であっても辛い。特に家族の方が。具体的に言えば、育ての母親の嘆きの声が。依頼人は別に痛くも痒くもない。なんと言っても赤の他人だから。
「よし、行け!」
薫の合図を聞き、レイラが飛び出す。窓縁に手を置き、頭を車内に入れる。だが、スピードが出ているために風がレイラの身体を襲い、車体から転げ落ちそうになる。
レイラは窓にしがみつき、何とか落ちずには済んだ。だが、今度は運転手が入らせまいとレイラの額にベレッタを向ける。
薫はそれを見咎めると、すぐさまその腕を撃った。
レイラの体ギリギリを45ACP弾が通過し、ベレッタを握る男の指を吹っ飛ばした。鮮血と抉った指先が助手席側に散らばる。ベレッタも共に助手席に飛んでいく。
「ぐぁあぁっ!?」
「きゃあっ!!」
男の悲鳴が聞こえるが、そんなもの知ったことではない。
レイラが中に入ろうと頑張っているが、なかなか入ることが出来ない。何とか上半身は車内に潜り込むことは出来ているが、このままでは彼女自身が危険だ。
中では篠原が怯えているらしく、レイラが必死に宥めようとしている声が聞こえてくる。
薫は運転手の動作に意識を向けつつ、アクセルを握っていない左手でレイラの尻を押し上げ中に入れる。その刹那に運転手の指と手首に、僅かに力が込もったのを見逃さなかった。
いきなりのことにレイラ自身が驚き、きゃっ、と可愛らしい悲鳴が聞こえてきた。
その直後、運転手が薫を離そうとしたのか、レイラがまだ乗り込んではいないと考えたのか、荒い運転を始めた。車体を大きく揺らし、ジグザグと動き回る。
もう少しレイラを押し込むのが遅ければ、レイラが危険だったのは言うまでもないだろう。内心でホッと息を吐いた。
薫は一旦距離を取り、ダメ元で横から運転席に向かって引鉄を引いた。
だが、やはり窓が閉まっているため45ACP弾を通さない。蜘蛛の巣状に小さく傷が入るだけだ。
そして、ようやく元の運転に戻った。
レイラが男の側頭部にガバメントの銃口を当てているのが見える。そのまま助手席に移動し、英語で何事か言っている。読唇してみると、「車を止めろ。さもないと、痛い目にあってもらうよ」と、レベルの低い脅しを言っているようだった。
何とか最悪の結果は免れたと思い、視線を正面に戻す。
すると、丁度その時に正面の離れた位置にある建物の屋上が、チカッと光ったのが見えた。間違いない。マズルフラッシュだ。
「伏せろ!!」
ほとんど反射的に叫んだと同時に、ハンヴィーのフロントガラスに穴が開き、後部座席と運転席側の窓を真っ赤な液体で染めた。
甲高い、声にならない絶叫が響き、それで篠原の無事が確認出来た。血に濡れた窓からうっすらと金髪が揺れるのが見え、レイラも無事ということが確認できた。
レイラはアクセルを踏みっぱなしの男の足を蹴飛ばし、ブレーキを全力で踏む。右手でハンドルを握り、転倒しないようにしている。
ハンヴィーは歩道にまで乗り込み、何人かの人間を巻き添えにしながらも六メートルほどの距離を滑り、やがて止まった。その時には外見上、血に塗れたおぞましい車になっていた。
歩道を歩いていた人々もパニックになり、駆け足で離れていく。愛人や子供だった肉塊を手に泣き叫んでいる。対岸の歩道では携帯を手に叫ぶ者や写真を撮っている者までいる始末だ。
「……ふぅ」
薫はそれらに苛立ちながらも、レイラたちが無事だったことに安堵の息を漏らし、停まったハンヴィーの側にビッグスクーターを寄せる。ガバメントのセイフティをかけ、ポケットにしまった。
中の様子を見ると、泣き崩れてしまっている篠原を安心させようとレイラが胸を貸していた。それを見ると、彼女が大人になっていることが尚のこと実感できた。
「……ん?」
ふと携帯に電話が来た。
ポケットに入った携帯を手に取り、そして通話ボタンを押した。耳に当てると、低い声でロシア語が聞こえ出した。
『久しぶりだな、ウィル。大佐の指示で援護射撃に移った』
「おかげで妹が死にかけるところだったぜ。その場合はどう責任を取ってくれるつもりだった、オブラソワ?」
ロシア語で怒気を孕んだ高圧的な物言いをすると、通話相手は少ししおらしくなった。どうやら、申し訳ないという気持ちは残っていたらしい。
つまり、そのことを考えていなかったということだ。
『すまない。だが、急だった。急いでスナイパーを用意し、車を止めようとしたんだ。それだけはわかってくれ』
薫はハンヴィーの扉を開け、男の死体を確認する。
被弾した頭からは未だにとくとくと血が溢れ、運転席の背もたれと服を真っ赤に染めている。後部座席には脳漿と肉片がぶちまけられ、見るに堪えない惨状となっていた。
確かに、初めて目の前で人間が殺されるのを見れば、これほどまでに泣きわめくことだろう。
「……まぁ、援護してくれたことには感謝している。SVDか?」
『そうだ。我々にとっては肉親よりも信頼に足る銃だ』
「相変わらずだな。……今この周辺は警察が警戒しているはずだ。撤退には骨が折れるだろうが、気をつけてくれ。以上だ」
『了解!』
薫は男の持ち物を調べながら通話相手に注意を促し、そして、通話を切る。携帯をポケットに戻した。
薫が今求めているのは、目の前で血臭を漂わせている男が拠点を見つける鍵を持っているかどうかだ。
後部座席では相変わらず篠原が泣きじゃくり、レイラが涙で濡れるのを構わずに胸を貸してやっている。その行動は育ての母親とそっくりだった。
それに薫は微笑ましく思いながらも持ち物検査を続ける。
財布、ベレッタM92FS、無線機、コンバットナイフなど、潜伏先を掴むためのめぼしいものは特にない。
それに内心苛立つ。だが、それが当然でもあるため、特に表情は変えずに今度はハンヴィーの車内を漁り始める。発煙筒があったため、一応貰っておく。
「……」
以前薫が仕掛けた発信機で潜伏先を簡単には確認出来るだろうが、それでも、もしかしたら潜伏先を変えているかもしれない。
――いや、無理だな。
改めて思えば、薫が発信機を仕掛けたルリエンスは死んだ。再び確認をすることは出来ない。それに、奴らが問題行動連中の間抜け達だろうと、仕掛けられた発信機に気づかないほど馬鹿ではない。それに気づけばすぐに潜伏先を移動させることだろう。
――アイツに当たるか……?
ハンヴィーの中を漁りながら、知り合いの中では一番の情報屋を思い浮かべる。海外からも情報を得ようと依頼して来る者も数多くいる。
薫はそんな情報屋のお得意さんでもあった。
傭兵達の潜伏先を調べているのには理由がある。
今現在、薫は考えていた作戦に変更を加えようとしている。ただ待つだけだったこの作戦を、こちらから攻め込む作戦に変更するのだ。
理由としてはいくつかある。だが、あえて挙げるとすれば、篠原の心の問題だ。いきなりのこのような事態に陥ったのは――薫にとっては予想通りのことだった。
だが、どうやら篠原にとっては刺激の強いことであり、受け入れ難いことだったらしく、このままでは先に彼女が精神的に病んでしまう。正に、薫の見立て通りの状況だった。
そうなる前に、連中を片付ける。
「!」
視線を外に向けると、近くの路地に一人の男が立っていることに気づいた。携帯を片手に、誰かと通話している禿頭の筋骨隆々の男だ。どうやら、西洋人のようだった。
ポロシャツにカーゴパンツと一般的な服装でリュックサックを背負っているため、ただの観光客に見えなくもない。だが、薫と視線が合うと、少し慌てたように、しかし平静を装ってそれとなく目線を逸らしたのだ。
そして、その場から離れていく。
薫にとってはこれほどまでに怪しい行動はそうそう見ない。野次馬が集まっているために見つからないとでも思ったのかもしれないが、外国人がいれば嫌でも目立ってしまう。
そのための変装ではなかったのか?
「レイラ、篠原が落ち着いたらバイクに乗ってここを離れてくれ。あぁ、帰りにガソリン入れてってくれ。金は後で払うから。じゃ、任せた」
「えっ!? ちょっ、ガソリン!? どこに行くの!?」
「合流は道場近くのコンビニだ。それじゃ、打ち合わせ通りに」
「ほぼ一方的に決めたよね? 打ち合わせしてないと思うんだけど!?」
レイラが驚くほど喚くが、薫はもう聞いてはいなかった。
ビッグスクーターの収納スペースに入れてあるコンバットナイフとホルスターを取り出し、加えて同じく入っていたコンバットコートを羽織り、ナイフを懐にホルスターと共に取り付ける。ガバメントもポケットから左脇のホルスターに。レイラに貸し与えている方はもう少し貸しておく。
しばらく見ていなかったコートがここに入っていたことに多少の驚きがあるが、今は特に考えない。
立ち去ったあの男を追いかけるのが先決。余計なことを考えている間に逃げられてしまう。
念の為に、ガバメントの弾薬を確認。マガジン一本に四発。
いざとなれば体術で戦えばいい。やはり、こういう時になると戦闘手段の多彩さは思考を柔軟にしてくれる。
地形に関しても、すでに頭に叩き込んでいるため、更に様々なことを思い浮かべる。
――さて、行くか。
薫はいつも通りの仏頂面を崩さず、大騒ぎとなっている歩道に入る。救急車の音も遠くから聞こえてきた。
それらの一切合切を無視し、薫は立ち去った男の後を追った。
だが、その後を追う者は一人もいなかった。皆、恨みがましい目で薫の背を睨みつける者ばかりだった。
「……申し訳ありません。やはり、気づかれてしまったようです。尾けられています」
男は携帯を手に通話相手にそう告げる。
通話相手は特に驚いた様子は見せず、落ち着いた声音で言葉を返してきた。
『まぁ、「魔王」なら当然だろう。厄介な男を敵に回したものだ』
「如何しましょう?」
『なんとか振り切り、他の偵察隊と合流し、すぐに撤収せよ。やむを得ない場合は応戦を許可する』
「了解!」
男は通話を切り、気づかれないように追手の確認をする。
そこには鋭い眼光の放った男が十五メートルの距離を保ちながらついてくる。まさに手馴れたもので、動きにも無駄がない。そういった経験に富んだ男なのだろう。
男は偵察隊の一人に電話をかける。
「俺だ。済まない、勘付かれてしまった。この先の裏通りで奴を誘き寄せる。準備をしておいてくれ。……あぁ、そうだ」
それから二言、三言話すと通話を切る。そして、再度確認。
やはり後をついてくる。小さいものだが探りを入れてみても、全く乗ってこない。もしかすると、ただ進行方向が同じなだけでは?
それはない。薫はバイクに乗ってハンヴィーを追ったのだ。喩え進行方向が同じだとしても、その時はバイクに乗って移動するはずだ。
遠目でわかりにくく、それも一瞬しか確認出来ていないため確信はないが、ホルスターをつけているのがチラッと見えた気がする。
こちらの装備はナイフが一本にベレッタM92FS。マガジンがふたつ。これから合流する偵察隊は二人。装備は同じ。
目的としている裏通りまであと五歩。
男ははやる気持ちを抑え、今までと同じペースで裏通りに入る。
少し入口から離れると、すぐに脇のベレッタに手を伸ばす。セイフティは解除しておき、いつでも撃てるようにする。
あの距離だとすぐにあとを追いかけてくるはずだ。一度入口脇に身を隠し、そうして突入してくるはず。
そのタイミングを狙い、呼吸を整える。抜き撃ちに関しては自分は仲間達の中でも特筆した技術を持っていると自負している。
相手がどれほどの化物だろうと、落ち着いてやれば倒せるはずだ。喩えそれが『魔王』だとしてもだ。
『魔王』についてよく知られていることは、人類存続戦争の戦果だ。たった一人で、わかる範囲で五億という数の兵士達を殺した。だが、それ以降にもそれ以前にも、あの男が戦争を経験したという話は全く聞かない。
つまり、戦争屋である自分達とは場数が違うのだ。
――勝てる。
内心でそうほくそ笑んだ。
だが、そこでおかしいことにも気づいた。どれほど待っても、薫が姿を見せないのだ。流石にもう顔ぐらい出してもおかしくないのにもだ。
「どうなってる……?」
「――こうなってる」
そんな声と同時に、後頭部に銃口が押し付けられる感覚。一瞬で血の気が失せる感覚がした。
「ど、どうやって……」
「このビルの壁面を登って飛び降りた」
「なっ!?」
予想の斜め上の答えが返ってきた。思わず驚きの声が漏れたほどだ。
だが、薫は嘲笑する。
「冗談だ。お前が曲がったタイミングで俺も曲がって来ただけだ」
言われ、今まで通っていた道を思い出してみる。
男が曲がった通り、その前にも確かに同じような通りがあった。どうやら、そこを通って来たらしい。
コンタクトするまでにかかった時間を考えれば、薫は悠々と歩いてきたらしい。いや、それにしてもまだ少し時間がかかっているように感じる。
まさか、と口を突いて出る。それを聞き、「あぁ」と薫が呟いた。
「あの二人のことを考えているのか? あいつらなら、そこで寝てるぜ。首をへし折られてな」
「!!」
馬鹿な、と思わず叫びたくなった。合流する予定だった男達は古くからの友人だった。だからこそ、その腕っぷしの強さも、何もかも理解している。
それが『魔王』とはいえ、これほど静かに二人も倒すことができるのだろうか? 喩え薫自身が音を立てずとも、二人が何かしらの音を立ててこちらに知らせてくるはずだった。
その時に、耳に何かの音が入ってきた。何かが噴き出しているような、そんな音。気のせいか、背後が赤く光っているようにも感じる。
「嘘だと思うなら、背後を振り返ってみろ。ベレッタから手を離して、ゆっくりとな」
おかしな真似をすれば殺す、と補足も訊き、渋々と愛銃から手を離して振り返る。
そこで目に入ったものに絶句した。
音の正体は発煙筒だ。ハンヴィーの中に取り付けられていた物で間違いない。
それが、今では煙を噴き出しながら、一人の男の口に突っ込まれていた。
口から上は押し潰されたように潰れ、穴という穴から赤い液体がとくとくと溢れ出している。もう一人も傍らで倒れ、話の通り首がおかしな方向へ曲げられている。
「ちなみに言っておくが、こいつらかなり騒いでいたぜ? 通行人も思わず叫んで離れていったさ。なんせ、発煙筒から煙が抜き出し、人間が目の前で顔を潰されたんだからな。もう大騒ぎだ」
言われてみると、確かに路地を出たところから人々の逃げ惑う姿が一部だけだが確認出来る。そんな状況に陥っているにも関わらず、どうして自分はこの事に気付けなかったのだろうか?
「お前、深く考え過ぎだ。周りの音がほとんど聞こえないほど考え込んでいたわけだ。仲間が助けを求めていたのになァ?」
薫は挑発するように笑う。銃口は変わらず男の額。人差し指も、いつでも撃てるように引鉄にかかっている。動こうにも動けない。
「さて、訊きたいことがある。貴様らの潜伏先を言え。時間は限りがあるからな。すぐにでも答えてもらいたい」
言うと、薫の目が禍々しく輝き始めた。赤黒く、血を彷彿とさせるように。
まるで、ホラー映画のワンシーンを見ているかのようだ。瞳孔も獣のように鋭く細められ、尚一層恐怖心が駆り立てられる。
「い、言うものか……!」
直後、肩の肉が抉られる。金色の薬莢がガバメントから吐き出され、再び額に銃口が戻った。
男はあまりの衝撃で地面に倒れ込み、血が噴き出す肩を必死に抑える。指の隙間からも赤い液体が流れてくる。
「なに、心配はいらない。俺の言葉をよく訊けよ? 俺は世間で言われているほど鬼ではない。話せば、すぐに開放してやろう」
明らかな嘘だ。ありがちな虚言に騙されるほど、男は馬鹿ではない。……そのはずだった。
その言葉が、耳の中で木霊し、その言葉に甘えそうになってくる。聞こえてくる言葉のひとつひとつが、やけに優しく聞こえる。
本来なら嘘だとわかるようなくだらない台詞だったが、抗い難い包容力がそれにはあった。
目の前に立つ、恐怖の化身。鋭く、射抜くような切れ長の瞳。赤黒く輝くその瞳から目が離せない。吸い込まれるように男の目をまっすぐ見返す。
「さぁ、吐いてスッキリしちまえ。そうすれば、お前は五体満足で、鼻歌を歌いながら帰ることが出来るんだぜ?」
何も問題はない、とまるで呪文をかけ直すかのように再び薫が呟く。それに続けて、言葉を震わせながら、男が同じ言葉を言う。
そうか、何も問題はないのか。
目の前にいる化物の言葉が、やけに信頼出来る気がしてきた。
薫の赤黒い瞳が再び色を変えた。濃密なワインレッドの瞳が、男の恐怖心を払いさってくれるかのような安心感がそこにはあった。
――これは……夢でも見ているのか?
男は何度も目を瞬く。だが、目から脳へと伝えられる情報が、どうにも信じ難い。
薫の姿が、何故か女に見えるのだ。恐ろしく長く透き通る金髪、ワインレッドの切れ長の瞳にふっくらとした柔らかそうな唇。身体も出るとこは出て、引き締まるところは引き締まった姿をしている。
その姿は、今まで見てきたどんな女よりも美しく、そして艶めかしかった。
女が艶やかな微笑を浮かべる。
全ての生物を魅了するような魔性の笑みを浮かべ、優しい声音で口を開いた。
「さぁ……知ってることを全て言ってしまえ」
その声を聞いた瞬間、男の目から光が消えた。思考も働かず、考えることを放棄した。
「……お、俺たちの……潜伏場所は――」
数分後、路地裏から発砲音が轟き渡り、次いで何事もなかったかのように薫が姿を現した。
瞳はワインレッドから元の色に戻り――いや、今まで以上にどす黒い闇を抱えているかのような、おぞましい目をしていた。
口元には先ほどと違い、ニヤリと不気味な笑みを浮かべ、氷崎極真館方面へと足を速めていく。
「くだらん」
そう、小さく呟いた。
表情とは違う言葉に、薫本人は気付いてはいなかった。
いかがだったでしょうか?
ブクマ、感想等お待ちしています。