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四天王  作者: シュガーイーター
ライオネル・ソウル編
8/34

乱闘

今回は道場内での戦闘です。何か誤字等ありましたら、お教えください。



2017,10,7  改行、加筆修正を行いました。

 薫が着替えに行ってすぐに、軽装備の男達が道場内に入ってきた。門下生達から何事かとどよめきが漏れる。


 突入してきたのは白人から黒人まで様々だが、共通しているのは――拳銃を向けて英語でがなっていることぐらいだ。


「動くな! 言う通りにしろ。さもなければ射殺する!」


 ――さて、どうするか……。


 先ずは、門下生達に被害が及ばないようにしなければならない。空手を学んでいるからとはいえ、殺しを生業とする者たちを相手にするのは分が悪すぎる。

 しかも、こちらには武器がない。更衣室に行った薫は持っていたはずだが、生憎と他の者は持っている気配はない。


 取り敢えず、この場の責任者として対話をした方がいいだろう。


「煜、武器は?」

「いつでも転送魔術で取り出せる」


 周りには聞こえない程度の小さな声で言葉を交わし、目の前に立つ男に向かって英語で声を張り上げた。


「ここの責任者の者だ。あなた達は、何をしにここへ来た?」


 刺激しないようにゆっくりとその場に座る。両手を頭につけ、服従のポーズを取る。煜達も続いて両手を後頭部につけ、相手を刺激しないようゆっくりと座る。


 一際体格のいい男が篠原を指差し、言葉を紡いだ。


「その女をこちらに渡してもらおう。そうすれば、命の安全を保障する」


 ――やはり、狙いは篠原か……。


 作戦については大体のことは聞いている。だが、経緯やこうなればいい、という狙いは聞いていない。

 だが、やはり身柄を渡すのは駄目だろう。


 彼女は、依頼主であると同時に我が空手道場の見学者だ。とても熱心に、門下生達の練習風景に見入っていたことに、千尋は気づいている。

 だからこそ、いきなりだが近くの剣道有段者を呼び寄せ異種試合を行ったのだ。


「断る。彼女はこの道場に――武道に興味を持つ見学者だ。客人をこれ以上危険な目にあわせるわけにはいかない!」


 実際は、これからたっぷりと危険な目にあうのだが、その時の千尋はその事を知らない。


「では、仕方がないが、力づくでその娘をいただこう」


 返しは千尋の予想通りだ。


 仕方がないが、武力には武力で返すしかない。

 その為には、先ずは公平な状況にした方が被害が少なくなっていいだろう。完璧に公平にならなくても、取り敢えずは相手の遠距離武器――銃を使用不可にする必要がある。


 ここで使えるのは、煜だ。

 仲間内で神速を持つ男、葛原煜。

 この男は女好きでもあるため、特に女に銃口が向いていれば尚更動く奴だ。だからこそ、扱いやすい。


 懸念事項としては、もう一人。薫だ。

 薫は元殺し屋の暗殺者。一番戦場に赴いているため戦慣れしており、更に気配を消し去る事など専売特許だ。

 そして、どこで習ったのかはわからないが、薫は盗みの腕も超一級。盗まれた者は、いつ盗られたかもわからないほどだ。


 ――まずは……。


 千尋は息を吸い込むと、ゆっくりとした動作で息を吐き出しながら立ち上がる。同時に、男達の銃口もいくつかこちらに向けられる。

 心の中で、何度も落ち着けと連呼し、強張った身体を落ち着かせる。


「では、こちらもそれ相応の手段を取らせてもらおう。まずはじめに、あなた方は誰に向けて銃を向けている? 特に女子供に向けているとは何事だ?」


 男達への挑発で、煜をその気にさせる。


 煜は千尋の言葉を聞き、辺りを囲む男達に視線を向け、銃口の向きを即座に確認。

 いくつか女に向いている銃を見つけると、憤怒の形相で睨みつけた。


「お前ら……なにやってんねんアホがッ!」


 言うが早いか、煜が即座に地面を蹴った。


 目にも留まらぬ速さで距離を詰めると、小太刀を一本転送魔術で取り出し、男達の持つ銃の銃身を斬りつけた。

 その一動作で止まらず、他の女に銃口が向いている銃のみ(・・)を一瞬で全て真っ二つにした。まさに疾風迅雷だ。

 ただ、千尋としては、それをするなら残った他の連中の銃も破壊してほしかったのだが。

 やはり、四天王は――自分も含めて――性格が一癖も二癖もある者たちの集まりだと改めて実感した。


「なっ!?」


 いつの間にか、座っていたはずの男が仲間の側で小太刀を持って立っている事に驚きを隠せない男達は、皆目を見開いて驚きを表している。


 煜は納刀し、周囲の男達を睥睨する。


 それを見届け、千尋はすぐさま次の言葉を紡いだ。


「次に、あなた方は我々を蹂躙する準備は出来ているのか? 残念ながら、私の目には銃の形をしたガラクタを持っているだけにしか見えないが?」


 千尋に問われ、皆が訝しみながら銃を確認する。

 が、その全てから弾倉が抜き取られ、装填されていたはずの初弾すらも抜き取られていた。そして、予備のマガジンまでも。


 ガチャガチャッと何かが落ちる音が道場内に響き渡り、自然と皆の視線がそちらに集まる。


 そこには着替え終えた薫がいつの間にか戻ってきており、その足下に盗んだ大量の弾倉や弾丸が転がっていた。ただ、道場内で動きやすいようにか裸足だ。

 そして、ポケットに手を入れ持ち前のロングスライドカスタムのガバメントを一丁白人の女に手渡し、もう一丁をレイラに渡した。


「一気にこれだけの量を盗ったのは初めてだ」


 薫は冷ややかな笑みを浮かべて声高に、訛りのある英語で告げる。

 首をゴキリと鳴らすと、底冷えする冷徹な眼光を周囲の男達に向ける。

 一人一人の武器を確認し、誰に気付かれるともなく小さく息を吐き出した。


「やはり、まだまだ温いわね。(かつ)てのウィルはどこに行ったのかしら?」

「言ってくれるな。これでも努力してんだよ。あれだ、もう一度ボスの所で修行をつけてもらわねぇとな」

「あっ、さんせーい! その方がいいと思うよ」


 ほのぼのとした雰囲気での薫達の英語の会話が続くが、その中にも周囲への警戒を怠っていない。

 薫はもちろんとして、レイラと白人の女も改めて強いと認識させられる。

 これほど殺伐とした雰囲気の中ででもリラックスしており、それでも隙を微塵も感じさせない。自身を落ち着かせようと必死になっている千尋や煜とは違い、明らかな余裕がある。


「そういえば、名前を聞いてませんでしたね。私、レイラ・A・シャドウと言います」

「よろしく、レイラ。“ヴァローナ”でいいわ。……でも、あなたウィルの妹だったわよね? じゃあ、あなたも私のことを姉と思ってくれていいわ。気軽に『お姉ちゃん』でも、『姉さん』でもいいわ」


 なにやら勝手に自己紹介が始まった。

 流石にこれは止めるべきだろう。

 皆は言葉を理解出来ていないが、理解出来ている者にとっては場違い過ぎてイライラしてくる。

 まぁ、煜はクスクス笑っているが。


「姉貴、自己紹介はそこまでだ。敵味方問わず今にも飛びかかってきそうだ。武器は渡したそれを使ってくれ。レイラもだ」


 薫が苦笑しながら止めに入った。

 が、どうやら公平な戦いには興味ないらしい。一般人が背後にいるにも関わらず、銃を使わせるようだ。


「私、転送魔術でいつでも取り出せるよ?」

「いいから使っとけ。千尋、いい加減進めようぜ」

「誰のせいでこうなってると思ってるんだ?」

「少なくとも俺は関係ねぇよ」


 文句を口にするが、薫は肩を竦めてみせるだけだ。

 千尋は小さくため息を吐き、辺りを囲む男達に意識を向ける。


 銃を無効化させはしたが、それでも完全に戦えなくしたわけではない。

 そこらに屯している不良やチンピラとは違い、落ちぶれても殺しのプロだ。武器がなくても戦える。


「数は二十八、ナイフを持ってる連中ばかりだ。こっちも殺す気でいくぜ?」

「それはお前だけで充分だ。攻めは俺と薫、守りは煜とレイラだ」


 千尋の語りかけで、皆がこくりと頷く。

 戦える者が集まると、交わす言葉が少なくても想いが伝わるため、やりやすい。


「師匠! 私はどうすれば?」

「お前は他の門下生を落ち着かせていろ。戦闘の参加は許さん」


 彼女はこの戦いに無関係だ。

 復讐のために力を得たからと言って、彼女はまだスポーツの範囲の実力でしかない。


 しかし、今回の相手は、先程のスポーツの剣道のような相手ではなく、人を殺す術を学び、実際に殺してきた者達だ。そんな相手にスポーツで戦ったからと言って、勝てる見込みはない。

 (たと)え勝ったとしても、ほとんどまぐれだろうし、更に絶え間なく続く戦闘に命を落としかねない。


 彼女の一生を、ここで終わらせてはいけない。亡き両親よりも長い日々を生きてもらわないといけない。


「姉貴はレイラと一緒に門下生の守りを頼む」

「弾を頂戴な」


 薫は持っていたマガジンを、レイラに三つ、ヴァローナにふたつ渡す。


 ヴァローナは肩をグルグルと回して身体をほぐし、ひとつ伸びをして意識を集中させる。

 その雰囲気は猛々しい虎だ。太々しく笑った顔を見ると、獲物を見つけた猛獣そのものだ。


「銃がなくても強いんだがな」

「確かになくても戦えるけど、そうね――久しぶりの戦争だ。楽しむとしようか」


 なんだか恐ろしい会話が聞こえてくるが、千尋はもう何も聞いていない。聞こうともしていない。


「さて、では私達は……」

「お前が敬語を使うと気持ち(わり)ィな。不良だった頃を知ってるからか?」

「あれ、そうやったんか?」

「そういや、お前だけ中学が違ったからな。千尋は中二の頃不良だったぜ」

「余計なことを言わなくていいんだよ!」

「へぇ、可愛いところもあるね」

「放っておいてくれ!」


 流石に緊張感がなくなってくる。

 なるべく緊張感を持っていないと、自分たちでさえ寝首をかかれることがある。

 特に薫以外の三人は――千尋は昨日殺したが――殺しの経験がない。つまり、人を殺すことに躊躇いがあるのも事実だ。


「それに、敬語を使って気持ち悪いってなんだよ!?」

「これから死ぬ奴らに対して敬語を使ってるのを見るのは滑稽だぜ」

「それには一理あるがな……」

「はいはい、お二人さん。そこまでや。軽口は後にして、今は目の前の敵に集中」


 敵は既にナイフを手に、いつでも攻めてこれるようにこちらの様子を窺っている。


「おいおい、俺から軽口を奪ったら何が残るんだ?」

「せやなぁ。口が悪いのと、人間否定の思想と化物発言」

「案外残ってやがる……」


 止めに入った煜も、結局は他愛ない談笑に混じる。


 三年前の地獄を経験してるせいか、二人は頭では危険とわかってはいても、どうしてもそれを行動に移そうとしない。

 知性のない化物よりも、知性のある人間の方がよっぽど危険だと千尋は思うのだが。


 その瞬間、一人の男が真っ直ぐに駆けてきた。

 千尋は咄嗟に身構えるが、薫はまるで友人に近づくかのような気楽さで足を進めた。


「レイラ、暴力教会行ったことあるか?」

「そこに一人友達もいるけど?」


 しかも、なにやら英語で会話が始まった。


「あそこのジジイ、まだ生きてんのか?」

「まだまだ死ぬ気配はないね」


 今まさに敵に襲われているこの状況で、なんて気楽さだ。ここまで来ると呆れを通り越して感嘆してしまう。


 男がナイフを構え、コンパクトな動作で頸動脈めがけて突き出す。

 が――


「少し(りき)んだな」


 いつの間にか背後を取っていた薫が足を払い、男を転倒させた。


 うつ伏せで倒れた男は、背中に足を叩きつけられ意識を飛ばされた――いや、心臓震盪を起こして心臓を止められた。

 いわば、千尋の『凱旋』の足技版、それも背中側からだ。


 ――子供のいる前で躊躇(ちゅうちょ)なく殺しやがった!


 薫は視線を周囲の男達に向け、ニヒルな冷笑を浮かべてみせる。両手のひらを上に向け、くいくいと指を動かして挑発する。

 それだけで相手に火をつけるには充分だった。


 男達は一斉に地面を蹴り、裂帛(れっぱく)の気合いを(あらわ)にしている。


「ったく……レイラ! 煜! 門下生達の守りは任せたぞ!」


 そうとだけ言うと、地面を蹴って向かってくる男達の群れの中に潜り込む。


 こちらに斬りかかってくる者や、殴りかかってくる者を、千尋は事も無げに対処していく。受け、払い、時には躱す。隙があればどんどんと攻撃する。


 躊躇(ためら)えばこちらが死ぬ。

 だからと言って、こちらが命を奪うかと聞かれれば、それは違う。


 薫が一旦隠れて手を打たない訳がない。

 おそらくは、和希にこの事を伝えただろう。

 彼は今日は副業である美容院の出勤日だったはずだ。仕事の合間に警察に通報ぐらいはしてくれるはず。


 チラリと首を傾け、薫の様子を確認する。


 変わらず冷徹な眼光で、向かってくる男達に相対している。

 水月、こめかみ、人中などの人体の急所の悉くを躊躇わずに突く。

 更には拳を唸らせ、肘が飛び、膝が跳ね、蹴りが舞う。それに伴い、相手の肘を潰し、膝を砕き、首を折り、投げ飛ばした。

 悪魔直伝の体術以外の自身が嗜む数多くの武術を巧みに操り、変幻自在の攻めを見せている。


 よくあれだけの武術をここまで使いこなすものだ。


 驚くべきは、薫が向かってくる男達を悉く絶命、又は瀕死の重傷を負わせていることだ。

 一般人が後ろで怯えているにも関わらずだ。


 ふと、薫が後ろから羽交い締めにされた。それに呼応して、薫と対峙していた男が、ナイフを腰に構え突進していく。


 ――助けにッ!


 千尋は対峙している男のこめかみに、遠心力を利用した裏拳でこめかみを叩いて昏倒させる。

 そして、助けに行こうとした時――


 薫がナイフを持った男の腕を下から蹴り上げた。


「グッ!?」


 腕を蹴られ、男は苦渋の表情になる。だが、切り替えが早い。即座に拳を構え、薫に距離を詰めていく。


 薫はそれを一目見て取ると、(かかと)蹴りを後ろから羽交い締めにしている男の股間に見舞う。


「ガァッ!?」


 それによって拘束が外れて自由になる。すると、股間を押さえている男に向けて――ダンッ、と勢いよく踏み込んで背中を向けたまま体当たりをする。

 八極拳の靠撃(こうげき)だ。

 八極拳で、肩や背中での超至近距離に用いられる突進。

 日本でのメディア作品等では一撃必殺の技としての扱いが多いが、実際は防御を崩すために用いられることが多い。


 薫はそれを距離を開けるために利用したのだ。体当たりを受けた男は勢いよく飛ばされ、バランスを崩して倒れこんだ。

 薫はそれを尻目に、もう一人の男に対して身構える。


「シュッ!」


 男は全く無駄のない突きを放つ。しかも、極真空手と同じように、拳が当たるタイミングに合わせて拳に回転を加える。


 薫はそれを左手で――自分の体から外側へと容易く流し、相手の勢いを殺さないように流した男の手首を掴む。そして、空手では見たことのない滑らかな動きで男の脇の下に身を入れ、後ろを取る。

 その時にも男の勢いは未だ消え切っておらず、僅かに重心が前を向いている。

 薫は再びその勢いを利用して、男の身体を重心の向きへ押し飛ばした。


「うおっ!?」


 男はいきなりのことに体勢を崩してしまい、勢いよく地面を転がっていく。その進行方向には、薫の突進を受けて倒れ込んでいた男が立ち上がろうとしており、()す術なくぶつかってしまう。


 薫は二人に駆け寄り、近くにいる男の後頭部に飛び蹴りを繰り出す。その衝撃に、男は勢いよく地面に額を叩きつけ、沈黙した。


「クソッ!」


 自分にもたれかかる形で意識を失った仲間を払いのけ、立ち上がろうとした顔面に薫の渾身の蹴りが打ち付けられる。

 バァンッ、と肉を蹴ったとは程遠い音が道場内に響き、男の顔から真っ赤な血が噴き出す。

 よく見ると、顔面がひしゃげ、それでも生きているようで、うぅ、と弱々しい呻き声が漏れている。それだけで虫の息だということはすぐにわかった。


 見ていて、吐き気が千尋を襲う。


 外科医として、急患が運ばれた時、四肢が皮一枚で繋がっているような状態で運ばれたのを手術したことがある。

 だが、顔面が潰れた人間など初めて見る。これほど生々しく、そして気味の悪いものはあまり見たくない。

 だが、肉が食い千切られ(・・・・・・・・)、それによって生じる悲鳴が頭にこびりついているため、吐くまではいかなかった。


 ――ここまでするかよ……。


 彼の行動には頭を悩ませたりもするが、この男が敵でなくて心より良かったと思ってしまう。

 そして、そんな風に安心している自分がとても腹立たしくも思う。


 ふと、千尋と薫を素通りして後衛の方へと何人か向かっていった。


 ――クソッ!


 その男を追おうと足を動かすが、それを阻むように別の男が立ち塞がる。それが、後ろにも。


「どうしても、追わせないってことか」

「お前も知ってるぜ。お前みたいな有名人と殺り合いたかったんだ。相手してくれよ」


 立ち塞がった男は、ギラリと不気味に煌めくナイフを手に身構える。

 チラと背後の男を見ると、その男もナイフを手にこちらの様子を窺っている。


 ――煜がいるから大丈夫か。


 自分たち前衛組を抜けていった男達は、煜達に任せることにする。そのための守りだ。


 煜は、自分たちに膂力は劣っても、弱いというわけではない。更に、一応はとある格闘技も極めている。人間性は微妙だが、それでも背中は預けられる。


 彼も、伊達に四天王と呼ばれているわけではないのだ。出来れば遠慮したい呼び名なのだが。


 ――集中!


 今、千尋がしなければならないのは、まだたくさんの残っている傭兵達を撃退すること。出来れば、あまり殺したくはない。

 千尋は後屈立ちになり、男達の攻撃に備えた。




 草薙にとって、それは理解出来ないことだった。頭を鈍器で殴られた感覚さえしたほどだ。


 一体なぜ、自分はこの戦闘に参加してはいけないのだろう?


 自分のことを思ってのことだと言うことは理解出来る。

 だが、それがどうにも歯痒い。


 自分は強くなった。師匠と共に師範として門下生に稽古をつけられる程に。両親の仇に近い立場に立てるほどに。

 少なくとも、自分自身ではそう感じている。


 だが、結果はどうだ?


 自分は戦闘の参加を許されず、あろうことか仇敵(きゅうてき)である男は師匠と肩を並べて対峙する外国人達を蹂躙(じゅうりん)している。


 いてもたってもいられず、自分も隙を見て参戦しようと身体が動いた。

 しかし、煜に肩を掴まれ、止められた。


「何してるんや? 怯えてる門下生達を元気付けやんでええんか?」

「離せ! 私は、師匠の役に立ちたいんだ!」


 心からの言葉だ。


 しかし、煜はフッと表情を消すと、目つきを鋭くして草薙と視線を交差させる。



「だから、そのために門下生達を任されたんと違うんか?」

「そういうことじゃない! 私は、師匠に背中を預けてもらい、共に戦えるような手助けをしたいんだ!」


 薫が千尋と肩を並べているのを見るのが、どうにももどかしい。


 煜は、表情を少し和らげ――次の瞬間には再び鋭い視線を自分に向ける。


「……あんまり女を傷つける事を言いたくないけど、千尋も望んでへんことやし言わせてもらうわ。アカン。実力不足や」

「何を馬鹿な――」

「じゃぁ、薫に喧嘩売って一発でも当てたことあるか? さっきの剣道の試合もそうや。自分、相手の見た目から動きが遅いって決めつけて戦ったやろ。その結果負けた。そんなんが薫を殺そうとしても、傷ひとつつけられるわけないやん。草薙がやってんのは、空手って武道と同じ名前をしたスポーツや」


 女子を相手によくもここまでづけづけも言ってくれるものだ。

 だが、自分もここで引くつもりは毛頭ない。


「私のがスポーツと言うなら、あの男はどうなの? 確かに空手を使っていない時もあるけど、時折空手であいつらを圧倒してる。それに、師匠はどうなの? あの人も私と同じ空手で戦ってるじゃない!」

「薫がやってんのは間違いなく殺しや。殺す事に何の躊躇も、葛藤もない。見てみ、薫に挑んだ連中はどうなってる? みんなピクリともせんやろ? 顔面が潰れた奴もおる。ちょっと悶えてる奴もおるけど、それ以外は全く動く気配がない。理由は至極簡単。殺したからや」


 言われてみると確かにそうだ。


 薫によって地面に寝かされた男達は、皆虚ろな目をしてそこにうずくまるか、顔の筋肉を強張らせ、気づかないうちにこの世からあの世へと旅立ってしまっている。


 それを思うと、これはとても恐ろしい事だ。

 殺しに躊躇がなくなれば、(たが)が外れてすぐさま刑務所の檻の中に入る事になる。


 失念していたが、薫は人殺しなのだ。恨むべき両親の仇としか見ていなかった為に忘れていたが、何億人と殺してきた犯罪者なのだ。


 もはや、言葉も出ない。


 だが、煜はそのまま口を開く。


「あと、草薙と千尋の違いやけど、それは地力の差。わかりやすく言えば、格が違いすぎる。あれ見て敵うと思うか?」


 問われ、ぐうの音も出なくなる。


 千尋は外国人達の攻撃を注意深く観察し、即座に最小限の動きで躱し、突きや蹴りを打ち込んでいる。中には筋肉断裂を起こした者もいるようで、足を庇うように動いている者もいる。


 氷崎千尋という人間は、四天王の中でも筋力や膂力が飛び抜けて秀でている。

 一時期、体重が九〇半ばを越えていたこともあった。見た目のバランスが悪いと言って、今の七十六キロまで絞ったのだが、それでもその力は健在だ。


 それに比べ、自分はどうだ?

 人並み程度の実力でありながら、薫のひとつ下の段位まで上がったというだけで天狗になり、我が物顔で門下生に指南しているのだ。そんな今までの自分に腹が立つ。


 実際、まだ十七でありながら、空手六段になっている時点で、空手家としてはかなりの実力を有している証拠。空手最高段の十段である千尋と力の差が出る事は当然の事なのだ。


 対し、薫は様々な武術をかじっており、嘗ての経験から七段で千尋と互角の実力を有しているのは、本人にとってすれば当然の事。ましてや、千尋達では相手にならないような者達と生活をしていたこともある身だ。そんなものと生活をしていれば、嫌でもそうなってしまうだろう。


 しかし、草薙の頭からはそんな事は既に吹き飛び、自分自身への怒りが支配していた。


 ――精進……あるのみ!


 今はただ、師匠の言う通りに門下生達を落ち着かせる。


「……抜けてきたな」


 背後に立つ煜が小さく呟き、言葉もなしにレイラと白人の女が身構えた。


 見ると、一人が抜けてきた拍子に二人、三人と応戦する千尋達の横を抜けてきている。全部で七人。

 門下生やその保護者達は、皆恐怖の表情で肩を抱き合ったり、成す術がないと苦悶の表情をしている。


 男達は皆血相を変え、来た時に比べて些か余裕を失っている様子だ。

 しかし、それでもするべき事は理解しているようで、全員の視線を客人の一人である少女へと移っていく。

 が、それを阻むように立つ煜とレイラ、白人の女に目を向ける。


 すると、言葉を交わすことなく煜に三人、レイラと女に二人ずつ対峙した。


「おい、女は殺すなよ?」

「あぁ、わかってる。ある程度まで痛めつけたら、金玉が痛くなるまでファックしてやる! そうじゃねぇと、割に合わねえよ!」


 草薙には何を言っているのかはわからないが、下卑た顔で舌なめずりしているところを見るに、卑猥(ひわい)なことを考えているのだろう。煜が聞いて怒りに満ちているのが何よりの証拠だ。


 が、不意にレイラと女が可笑しそうに笑いだした。


「随分と励むね? 『金玉が痛くなるまで』? それよりも先に『金玉が潰れる』方を心配したら? 神様に電話で聞いてみたら? 大笑いしながら教えてくれるだろうから」

「それか頭に尻の穴が増えることを確認した方がいいかもねぇ?」


 クスクスと二人がバカにしたように笑う。

 だが、英語が苦手な草薙は、相変わらず何を言っているのかわからない。

 どうやら挑発だったらしく、男達は頭に血が上ったようで、ギリギリと歯軋りする。


 その隙に煜が対峙する男達の一人に近づくと、地面を強く踏みしめての掌打を叩き込んだ。

 掌打は見事に鳩尾に突き入れられ、一撃で男を昏倒させた。

 そのまま腰を落として足を開き、肘を九〇度に曲げてダンッと足を踏み鳴らして威嚇する。


 その構えは見たことがある。確か、カンフーの八卦掌の構えだ。

 煜がカンフーを使えるのは初めて知った。正直、驚きを隠せない。


「お前ら、あの二人抜けたからって気ィ抜いたらアカンで? 一応、もう一人番人がおるからな。男相手に、容赦せんからそのつもりでな?」


 煜がにこやかな笑顔を浮かべて告げる。


 煜は四天王の中では膂力が大きく劣る。

 それでも一般に比べれば並外れているが、それと引き換えに信じられないぐらい足が速い。少し本気を出せば、バイクと並走出来る程に。

 本気を出せば、姿が見えなくなるらしいが、生憎と見たことがない。一度は見てみたいものだ。


「来いや。蹴散らしたる」


 煜がそう言うと、他の二人がグッと重心を下げ、


「うおおぉぉぉっ!」


 裂帛の気合いさながらに距離を詰めてくる。

 同時に、女性陣にも男達が躍り掛かった。


 レイラは向かってきた一人を、渡されたガバメントを足下に置き、素手で迎え撃った。

 ナイフの軌道を見極め、最小の動きで淡々と躱していく。


 男はナイフを逆手に持ち、左肩を狙って振り下ろした。

 レイラはそれを見てすぐさま右足を軸に半回転。薫と同じ身軽な身のこなしで男の肩に足をかけ、少し力を加えて首を捻る。直後に、バキッ、と嫌な音が響き、男の身体が無気力にその場に崩れ落ちた。


 もう一人の女の方も、同じように一人ずつ襲いかかってきた。

 だが、振り下ろされたナイフを軽く払い――


 次の瞬間には、男の体が宙を舞った。逆一本背負いによって地面に叩きつけられて生じる鈍い音と共に、肘の位置から乾いた音が聞こえた。それが何を意味しているのかは想像に難くない。

 突如として生じる激痛に男は表情を歪めるが、アドレナリンが分泌されているのだろう。声を上げることもなく、荒い息を吐くだけ。ところか、すぐに捕まれた腕を振り払おうと動き出した。


「甘いわね」


 女が何か呟くと、掴んでいる右腕の肩口を容赦なく踏みつけた。動こうともがくが、完全に押さえ込まれており身動きが出来ていない。


 にたり、と不気味に女が嗤う。その姿が、得物を前にして笑みを浮かべる獰猛な獣に見えて背筋が凍った。

 もう一人が即座に動く。仲間を助けようとしたのか、それは定かではない。女は男が動いたことを察し、足下で呻く男を撃ち抜いた。

 乾いた音が響き、男の後頭部に大きな風穴が開く。そこに大きな血だまりが出来る。


 それを見た門下生が驚いて悲鳴を上げた。


 男は小さく舌打ち。相手が銃を用いたことで、思わず足を止めた。


 女はいやらしく笑うと、こっちへ来いと手招きする。明らかに相手を舐めきっていた。だが、それは致し方ないことではあるだろう。彼女にとって、目の前の男は虫けらも同然の取るに足りない相手だったからだ。


 男はその事にプライドを傷つけられたのか、激昂して飛びかかった。

 放つ連撃。コンパクトな動作で、しかし一部の無駄のない洗練された猛攻に草薙は息を呑んだ。それほどまでに見事なものだったのだ。


 女はそれを的確に防ぐ。拳を受け、蹴りを払い、右に左にと動きながらもその猛攻を凌ぐ。少しでも隙を見つければ反撃に移る。一進一退の攻防。まさに演舞を見ているかのような圧巻の光景。


 それを織り成しているのは武術家ではなく、戦争屋。命の奪い合いである。何のルールも取り決められていない殺し合いがそんなに綺麗なもののはずがない。


 女が腕を取る。させじと振り払い、距離を取るように前蹴りを繰り出す。それをすくい受けるとガラ空きになったあそこを容赦なく握った。


 男はたまらず絶叫する。

 草薙は女であるためそれがどのような痛みを放つのかはわからない。だが、見ている限りは生半なものではないのだろう。同じくそれを見ていた門下生の男達は、表情を青ざめさせ、内股で自分のそこに手をやっていた。


 女は握りしめたそれを更に強く握り、それを高く、自分に寄せるように引く。男は何とかして痛みから逃れようと自らそちらに寄っていく。

 女は軽く持っていた拳銃を頭上に放り投げ、空いた左手を胸ぐらに伸ばして、流れる動きで後方に投げ飛ばした。後頭部から地面に打ち付けられ、それまでに感じていた痛みも合わさり、男は白い顔になってぴくりとも動かない。


 女はつまらなそうに息を吐くと、重力に従い落ちてきた拳銃をキャッチ。自然な動作で倒れた男に拳銃を向ける。


「やっ──!?」


 思わず制止の言葉をかけようとする。だが、遅かった。

 発砲。着弾した頭がビクンと痙攣し、動かなくなった。地面に血が飛び散り、それを見た草薙も必死に吐きそうになるのを堪える。


 テレビドラマでもこんなシーンを見かけるが、やはり現実で見るのとフィクションで見るのとでは大きく違う。精神的にも、ズンと疲労が溜まる。

 門下生達も、なんとか吐くのをこらえているらしかった。


 ――あの男の知り合いには、まともなのはいないの!?


 それが、心から思ったことだった。




 薫と千尋は全て終わった。

 薫は向かってくる全ての敵を、瀕死の重傷か息の根を止め、千尋は戦闘不能にする程度に抑えていた。


 ――甘い男だ。


 それか、殺しに慣れていないだけか。


 千尋は先日の襲撃にあった際、人生で初めて人を殺した。その夜にぐっすりと眠れたのならいいが、ある程度は萎縮してしまってそれどころではなくなってしまうだろう。

 実際あまり眠れていないようだ。

 レイラも初めて人を殺したその日の夜は魘され、跳ね起き、声を上げて泣いていたものだ。

 薫は同じ部屋だったため、仕方なしに同じベッドに入り、安心させてやったことを覚えている。


 薫を除く面々で、千尋もついに人を殺し、まだ手を汚していないのは煜と和希の二人になる。


 正直、彼らが手を汚そうがどうしようがどうでもいいが、出来れば汚れ役は自分が買って出る方がいいと思っている。

 それも、彼らの世間の目を思ってのことだ。


 千尋も含め、彼らはまだ人を殺すことに抵抗がある。それは人として当然のことではあるのだが、汚れ役を買って出ている薫も、それが時折もどかしく感じることがある。

 しかし、殺しを強要するようなことはない。

 彼らには、出来ればこっち側にはなって欲しくない。彼らの心の闇もあり、それは無理な相談だろうが。


 不意に発砲音が聞こえ、反射的に視線を向ける。

 ソフィアが動かなくなった肉塊に冷ややかな視線を向け、次にレイラと対峙する男を睨めつける。

 どうやら煜ももう終わっているらしく、残る一人に向けて鋭利な刃物のように双眸を細めて睨んでいる。


「馬鹿な!? ただでさえあの男共が化物みたいに強いってのに、女まで恐ろしく強いじゃねぇか!」


 大声で騒ぐ男に向かって小さくため息を吐き、千尋と視線を交わして頷き合う。


「ざっけんな! 急いで隊長に伝えて――」


 薫は気配を断って男に近づき、肩を叩く。


 男はビクッと身動ぎし、悲鳴を上げながらナイフを振り回した。

 薫はそれを容易くいなし、手首を掴んで男の体をクルリと回転させる。

 合気道の四方投げだ。


 突然の風景の逆転に思考の追いついていない男からナイフを奪い取り、明後日の方向へ投げ捨てる。


 男は思考の定まらないまま立ち上がり、敵意を露わに薫に対峙する。

 拳を構え、鋭い殺気を飛ばしてくる。

 薫はそれを涼しい顔で受ける。この程度のものなら、大して怖くもない。


 薫は身体の前で手を交差させ、右手を上に、下の左手よりも少し前に出す。手は両方とも開手。

 合気道の基本的な右構えだ。育ての母親やソフィアなど、世話になった何人かの手ほどきのおかげで暗殺術やコマンドサンボ、アメリカ陸軍の軍人格闘術のように体に染みついている。

 千尋の空手、煜のカンフー。そして、薫の合気道と言える程の実力があることを自負している。


 男は鋭い呼気を吐いて間合いを詰め、薫の顎目掛けて鋭い掌打を放つ。


「フッ――!」


 小さく呼気を吐き出し、目にも留まらぬ早業で男の腕を背中に回してしっかりと極め、自由を奪う。


「あいつ、ホンマに合気道出来たんやな」


 煜がボソッと声を漏らしたが、そちらは気にしない。

 そのまま首に腕を回して完全に自由を奪う。


「ヘイ、お前に聞きてぇことがある。話せば見逃してやるよ。目的は何だ?」

「誰が、言うものか……!」

「そう言うと思ったぜ。千尋」


 薫は視線をそちらに向け、千尋を呼び寄せる。

 千尋は近づいてくると、ぼそぼそと小さな声で何事かを呟き、男の額に人差し指を当てる。その間に攻撃されないよう煜が側に――護衛として立つ。


 しばらく目を閉じたまま男の額に指を当てていたが、その間にも言葉に出来ない恐ろしい威圧感が滲み出ていた。

 男はそれに気圧され、僅かに震えてしまっている。


「……こいつらの狙いは軍への復帰だ。データを手に入れて、軍を脅そうとしていたようだな。まぁ、それではいそうですか、と聞き入れるとはとても思えないが。承諾されなかった場合は、情報を世間一般に流すつもりだったようだ」


 千尋が感情を含まない淡白とした声音で告げ、男が千尋を怯えながらも睨む。煜は呆れた顔で男を眺め、薫は深いため息を吐いた。


 もちろん、軍がそのような脅しに屈服するはずもない。多少時間をもらい、その間に小隊を送り込む。殲滅されて終わりだ。

 その時には、おそらく薫も呼び出されるだろう。


 ――その時は、もしかしたら俺が指揮を取るかもしれねぇな。


 実は、薫は今から一ヶ月前に軍からの指令で海外の戦争に参加している。その功績で薫は少佐になってしまったわけだが、その作戦内容がイスラム国残党の処理だ。

 六年前に軍を脱退――脱退扱いにはされていなかったが――する前、最後に参加した戦争がイスラム国撃滅作戦だ。

 ちなみに、ソフィアとはその時に知り合った。


 話が脱線したが、昨晩の薫の通話。

 アメリカ陸軍の元帥であり、薫の第三の師匠でもある人物に、『容赦はするな』と指示をもらっている。

 そんな命令が出ているということは、軍は要求を絶対に飲まない。


 結論として、どの道この傭兵達は死ぬしかない。


 ――人生詰んでるな。


 何故、千尋がそんなことがわかったかというと、薫が教えた透視魔術だ。第四位階に分類されるもの。本来なら物質を透過して物事を見るために用いるもの。家の前で使うと、家の壁をすり抜けて中の様子がわかるようなる。そして、煜は一時期女の服を透視して下着を見るのに使っていた。もちろん、魔術の使用の有無を気付ける薫が即座に縛り上げて千尋に突き出したのは言うまでもない。その後どうなったかも。

 そして、その応用で記憶を覗くことに使っているのだ。


 薫なら、目を合わせるだけで相手の記憶を覗くことが出来るのだが、千尋は相手の額に触れなければ透視することが出来ない。少し、魔術に関しての未熟が理由だ。


 この魔術は使い勝手はいいのだが、相手がその記憶を忘れてしまっていれば、こちらはその情報を見ることが出来ない。そうなると、もう打つ手はない。

 そんなことは滅多に起こらないが、稀にいるのだ。自身の記憶を魔術で消してしまう輩が。喋る前に自殺する者もいる。


「千尋、これどうする?」

「相手の目的も知れた。菅ちゃんにも連絡したんだろ? なら、警察が来た時のために引き渡しやすいよう意識を奪っとけ」

「お前がやってくれ。人中叩けば一発だろ」


 人体の急所である人中。それは相手を仮死状態にさせることを可能としている箇所で、気つけで仮死状態から戻すことも出来る。


 はぁ、と小さくため息を吐くと、千尋は拳を軽く握り、手の甲を薫が捕縛している男に向ける。


 次の瞬間――


 男の体が僅かに揺れ、全身の力が抜けた。

 薫は手を離すと、男は無気力に膝から崩れ落ちた。


「相変わらず早いし、威力も高いわ」

「武の申し子は末恐ろしいことだ」

「お前が言うな。『人類の到達点』」

「俺はもう人間はやめている」

「ほら出た。薫の化物発言!」


 一応のひと段落に三人が軽口を言い合う。

 どうやら増援もないらしく、少し待っても何も起こらない。

 外の道路を通る車の音と、まだ心配そうにひそひそと話す門下生達の声しか聞こえない。


「さて、全員を安心させてやるか」


 千尋は門下生達に近づき、声を張り上げる。その内容に、皆が安堵し、嬉し涙を流す者もいた。


 薫は足下や周囲に転がっている男達を――生死問わず――入り口近くの隅に引きずり始める。


 最後に残った男の行動。男は何が起こったのかの理解は出来ていないようだったが、自分のすべきことは理解していたように思える。

 たった一人でここにいる人間離れした人間達に勝てるとは思っていなかった。どうにかしてここから脱出し、仲間と合流したかったはずだ。

 しかし、直ぐにそれは却下されたことだろう。薫達がそうやすやすと逃がすとは思わなかっただろうからだ。

 つまり、男は既に詰んでいた。

 だったら、余計な概念は捨て、残っている仲間の為にひとつでも多くの手傷を負わせようとしたのだ。


 ――敵として、天晴(あっぱ)れだ。


 レイラ達は、薫が何をしようとしているのかを見てとると、近場に転がっている男達の首根っこを掴んで引きずり始めた。


「手伝うよ、薫」

「ガバメント持って来いよ」

「あっ、忘れてた」


 ソフィアもレイラが置いて来たガバメントを拾い、男を引きずってくる。


 警察が来た時に引き渡しやすいように一箇所に集めておくのだ。顔面を薫によって潰された男も、既に息を引き取っていた。

 一通り集め終えると、ソフィアが薫のガバメントを恭しく眺め始めた。


 少し唸った後、にこやかな笑みを浮かべた。


「よく手入れされている。やはり、後の問題は――」


 その言葉の続きは拳だった。

 薫は不意を突かれた形になったが、それでも反射的に左腕を盾にして掌打を防いだ。


 ――重いッ!


 その威力は予想以上の一撃だった。防いだ箇所が麻痺したかのように痺れてしまっている。


 門下生達も、これからの指示を出していた千尋もいきなりのことにギョッとして、自然とこちらに視線が集まってくる。


 左腕を右脇に後ろから潜らせ、左腕を回してガラ空きに。そこに身体を寄せ、右腕を戻せないようにつっかえにする。

 そして、ガラ空きになった脇下目掛け掌底を打つ。

 だが――


「まだ甘い」


 ガッ、と手首を左手で掴まれ、次の瞬間にはソフィアの身体が飛んできている。


 ――コマンドサンボの組技!


 サンボは元々は組技主体の格闘技であり、技の種類はとても多い。薫にもその全てを認識しているかはわからない。

 コマンドサンボは、サンボのルールを無くし、打撃を使うことも良しとされ、ロシア人の軍人格闘術として用いられている。素手で人を殺すことを可能とする格闘技である。


 薫はソフィアからコマンドサンボを学んだ。そのため、その強さは骨身に沁みて理解している。

 言ってみれば、彼女は薫の四人目の師匠だ。


 薫は飛んでくる身体を受け止め、その刹那には薫の身体を締め上げようと足が開かれる。

 OLと似たような服装をしているため、動きにくいのにも関わらずそれを感じさせない実力。感服する他ないが、下着が見えるのでやめてもらいたい。黒の紐パンだったのは余談だ。

 まぁ、戦闘に集中して大して気にならなかったためいいのだが。


 ここまででレイラも追いつかなくなってきたらしい。口を開けてポカンとしている。開いた口が塞がらないとはまさしくこのことだろう。


 薫は開かれた股に左腕を通し、右足の付け根を押さえ、掴まれた右腕をジャケットの肩口まで強引に伸ばし、背後の壁に叩きつけた。

 しかし、それだけではまだ解けない。

 足を背中に回され、ガッチリと固定される。離れない。


 ――クソッ!


 心の中で毒づき、それとは別に体が無意識に動く。


 背中から地面に倒れる。固められた足を解くためだ。

 予想通りに固定されていた足が離された。

 しかし、休む間なく今度は身体を上から押さえようとしてくる。


 これだけ激しい組技の攻防の中でも、薫の意識は鮮明だった。アドレナリンが分泌され、次に何をすればいいかが即座に浮かんでくる。

 このままでは腕十字固めで腕を潰されてしまう。


 ――させるかよ。


 必死に抵抗しようと腕に力を込めるが、所詮は腕のみの力。ソフィアの全体重を乗せた物に比べると、流石に抗いきることは出来ない。


「グッ!」


 しかし、これ以上肘関節を圧迫されることもない。どころか、少しずつだが、薫が力で勝ち始めている。ゆっくりと腕が肘の部分から曲がり始めている。


 時折、ソフィアの意識を削ごうと先ほどから身体を無理に動かしているが、それは悪魔直伝の格闘術や暗殺術では当然のこと。

 本来なら身体を痛めかねないが、薫はどうということはない。力も半減されることなく発揮している。


「さっきより、動きが――っ!!」


 こちらの様子を窺ったソフィアが不意に言葉を止め、表情を強張らせた。

 次の瞬間には愉悦に浸っている様子で表情を歪めた。

 それを見ていたレイラまでもがハッと息を呑んだ。


 薫はそれらを気にせずに次の動作に移った。

 掴まれた右腕を強引に捻り、ジャケットの襟を掴み、開いた左手をジャケットの右袖へ伸ばす。

 無理矢理身体を少し起こし、右腕の肘関節をこれまで以上に力任せに曲げる。


 知らずのうちに身体の内から力が沸き上がってくる。

 本来、腕十字固めを極められれば、力任せに抜けることは出来ない。

 ソフィアがこちらを見て少し力を抜いたのだ。あるはずのない、大佐殿の隙だ。

 腕を曲げたことにより、僅かに隙間が出来た。そこに足を潜らせ、そのまま――


「隙ありだ、姉貴」

「っ!」


 気づけば首に足が伸び、三角締めを極めていた。

 豊満な胸が邪魔で、なかなか首に足を回すことが出来なかったが、なんとか極められてよかった。

 体勢が悪く、ソフィアも三角締めを抜けることが出来ない。


 結果、ギブアップを示すタップをして突然の攻防が幕を閉じた。


 いきなりのことによくあそこまでついていけたものだ。自分で自分を褒めたくなる。

 しかも、戦っている最中の感覚はまさしく全盛期のそれだった。


「戦っている最中、出ていたわ。『死を呼ぶ黒狼コール・オブ・デッド・ブラックヴォルフ』が」


 それを聞いて、薫はフッと微笑する。レイラもコクコクと嬉しそうに頷いていた。

 ソフィアが言った『死を呼ぶ黒狼』とは、薫がアメリカで暮らしていた時――暗殺者、軍人ウィリアム・A・ブラウンの通り名だ。出来ればフルで呼ばれたくはないものだが。


 全盛期に近づけた気がして嬉しかったが、次の瞬間には突然の痛みに薫がうずくまることになった。


「こんの、アホォッ!」

「――ガハッ!?」


 煜だ。

 神速で近づかれ、発勁を打ち込まれた。しかも、浸透頸だ。

 胃から気持ちの悪いものがこみ上げ、小さい血塊を吐き出す。

 地面に這いつくばり、何故か憤った様子の煜を睨む。理由は簡単に理解出来るが。


「女に手ェ上げんなって言ったやろうが! シバくで!」

「もうシバいてんじゃねぇかッ! それも、浸透頸で!!」


 予想通りの怒りに内心ため息を吐く。


 千尋は門下生達に今日はもうお開きにする旨を伝えている。

 ちなみに、篠原と近衛はこちらへと歩み寄ってきている。


「俺ら二人共血の一滴も流れてねぇぞ! 断固抗議する!」

「女に手を上げる方が悪い。だいたい――」



「――桜衝っ!」



 不意に、その場にいる誰もが意識していなかった方向からそんな声が聞こえ、次の瞬間には煜の側頭部に渾身の正拳突きが襲った。


「ぐべらっ!?」

「ひ、煜さんっ!?」


 いきなりの一撃に煜が完全に伸び、近衛が大慌てで駆け寄り身体を揺らしている。

 煜を殴り飛ばした張本人であるレイラは、大層ご立腹のようだった。


 薫もソフィアも、突然のことに理解が全く追いつかない。


「よくも……ウィルに――薫に傷を負わせたなっ!」


 ハッと我に帰ると、レイラが拳を振り上げトドメを刺そうとしている。


 咄嗟にレイラに飛びついて組み伏せ、左腕を首の後ろに回して左肩口の袖を掴み、スラリと伸びたレイラの右腕を左腕と左脚で挟む。上から豊満な胸に自分の胸を押し当て、右腕をレイラの左腕と身体の間に入れる。

 柔道の四方固めだ。


「落ち着け! 俺は大丈夫だ!」

「薫、私の気が収まらない。トドメを刺させて」

「それを収めてくれ」

「ダメ」

「どうしてもか?」

「どうしても」


 これは簡単にやめてもらえそうにない。このままでは煜が冗談抜きに殺されかねない。

 少し気恥ずかしいが、昔通用した手を使うしかない。

 柄じゃない為に本当にやりたくない。しかし、やらないと煜が死ぬ。


 ――手間かけさせやがって!


「レイラ、頼むぜ……俺はその気持ちだけで嬉しい。だがな、俺の愛する守護天使(アークエンジェル)がその綺麗な手を汚す必要なんてない。ほら、いい子だからその怒りを抑えてくれ。代わりと言ってはなんだが、お前が俺にして欲しいことをひとつ、ひとつだけ聞いてやるから、な?」


 ――思えば六年ぶりだが、今でも効くのか?


 昔は添い寝して欲しい、抱きしめて欲しい、一緒にお風呂に入って欲しいなどという血迷ったお願いをされたこともあるが、それで機嫌も直ったために――当時は子供だったため――まだよかった。


 だが、それはまだ彼女が幼かったからだと薫は考えている。寂しさを拭うためだったのではとも考えている。

 しかし、今は薫と同じ十八歳のいい歳をした大人だ。もしかしたら通じないのではないか?


 そんな心配が頭を過ぎるが、果たしてレイラは目を少しとろけさせてナンバーワンホストの使命を得たかの様子で嬉しそうに微笑んだ。


「ホントに? ホントにホント? じゃあ……子作り」

「――却下!」

「えーっ!? 何でもって言ったじゃん! だ・か・ら」

「殺すぞ」


 レイラは、流石の恋愛やその気持ちに果てしなく鈍い薫でもドキッとする上目遣いでこちらを見上げてくる。

 しかも、距離的には拳ひとつ分のキスしそうな距離なのだ。先ほどからお互いの吐く息がかかる。

 考えようによれば、床ドンだ。

 自分でもそんな感情があったのかと驚くほど動悸が早まる。


「俺は何でも(・・・)とは言ってねぇよ。他だ他」


 ポーカーフェイスを装い、淡々と否定の意を示す。

 レイラは少し残念そうにするが、また優しく微笑んだ。


「じゃあ、今夜一緒にお風呂入ろ?」

「この歳でかッ!? お互い体も心も大人に成長したこの状態なのにか!?」

「安心して! 昔みたいに貧相な体つきじゃないから! いつでも襲っていいよ! そして、その勢いで子作り――」

「結局そこに行き着くのかよ!? 却下だ! ……あと、貧相な体つきじゃねぇってのは、その……今身を持って理解させられてるから」


 自分の胸に当たるふくよかな胸の感触に顔を赤らめ、声が小さくなりながらもそう伝える。


 千尋は必死に笑いを堪えながら、指示を終えこちらに足を向けていた。

 ソフィアも苦笑しながら腕を組み、壁に背を預ける。

 篠原は言葉が伝わっていないため、入口に近い位置で小首を傾げ、近衛は変わらず煜の体を揺すっている。


 次の瞬間、千尋の顔から笑顔が消えた。


「薫っ!!」


 と叫んだのと、篠原が、きゃぁっ、と小さく悲鳴を上げたのは同時だった。


 薫達がいたのは入口近くの壁際。その入り口に一番近くいたのが、先述の通り篠原だ。

 その入口から軽装備の屈強な男が篠原を背後から担ぎ上げ、外に走って行った。

 篠原を入口近くに立たせたのが悪かった。


 薫達が三人に、強くなった妹と軍人崩れの女という五人がいることに慢心していたが故に起こった油断だ。

 その油断が引き起こした結果がこれだ。


「クソッ!」

「圭子ちゃん!」


 直後、背後からの発砲音が轟き入口の壁にひとつの小さい穴が空いた。


「外した? 久しぶりだと手元が狂うわね」


 ソフィアが小さく呟き、薫はすぐに立ち上がって入口の前に躍り出る。

 が、直後に視界の中にハンビーが入り、その中に押し込まれた篠原と、篠原を入れた男ともう一人の屈強な男がこちらに向けてAK-47の銃口を向け、引き金(トリガー)を引いた。


 咄嗟に地面を蹴って元いた位置にとんぼを切る。


「姉貴、ガバメントと弾を!」


 渡したガバメントと弾倉(マガジン)を受け取り、残弾を確認。どうやら、残りは五発と六発に弾倉(マガジン)五つ。

 弾数の多い後者のガバメントをレイラに渡し、物陰から様子を確認する。

 一人はハンヴィーに乗り込み、もう一人はこちらに残って足止めをするらしい。


 ――流石に統率がとれているな。


 薫はコンバットナイフを手に取り、その身を晒す。


「薫! 戻れっ、危険だ! 起きろ煜! 出番だ!」


 千尋が未だ伸びたままの煜の首を平手で叩き、意識を引っ張り戻す。


「ん〜? 昼飯か?」

「寝ぼけてる場合か!! 篠原が攫われた!」


 千尋が説明しているうちに、薫は構わずに突っ込む。

 銃弾の雨あられを身軽な動きで躱していく。

 その間にハンヴィーが発進した。


「ッ!」


 鋭く舌打ちしながらも銃弾を躱し続け、男の懐へと潜り込んだ。ナイフを逆手に持ち、右手に握ったガバメントで右足を撃つ。間髪入れずにナイフで喉笛を掻き切った。

 鮮血が舞い、その返り血を頬に受けながらもハンヴィーに向けて発砲。

 しかし、流石は軍用モデル。ビクともしない。


「ッ!」

「薫、追いかけよう!」


 レイラが薫のコンバットブーツを持って近づいてくる。

 それを受け取り、すぐに履くとバイクのエンジンに火をつける。


「薫! すぐに煜を追わせる。交通規制は任せろ!」


 道場内から千尋の声が響き、次いでソフィアの声が聞こえた。


「私の部下も手伝わせる。お前なら見ればわかるだろう。行け、ウィル!」


 頷き、懐から色眼鏡をかけ、髪を掻き上げた。

 不思議なことに、まるでワックスでもつけたかのように止まった。


 レイラが乗ったことを確認すると、ハンドルを回し、けたたましいエンジン音を轟かせながらハンヴィーを追う。


「レイラ! 弾は持ってるな?」

「もちろん!」


 レイラが元気よく声を返し、薫も冷ややかな笑みを浮かべる。


「日本にて|デス・ブレット《Death bullet》最強コンビ、『死を呼ぶ黒狼』と『青雷の舞姫』の復活だ! とは言っても、強くなってからのお前と組むのは今回が初だが。相手は確認するまでもねぇが、軍人崩れの傭兵! 任務内容は篠原の救出に連中の無力化! 聞きたいことは?」

「報酬は?」

「お前の望む物! 子作り、風呂以外だ!」

「……どうしても?」

「他に聞きてェことは?」


 その一言に恐ろしいまでの殺気を感じ、慌ててレイラは首を横に振った。


「ジョーク!! ジョークに決まってるでしょ!?」

「本音は?」

「半分本気」

「一度お前をマモンかキャルマタに引き渡した方が良いかもしれない。切実に」


 そうこう騒いでいるうちに、車の通りが多い中にハンヴィーが見えてきた。反対車線には数台のパトカーが道場の方角に向かって赤いサイレンを輝かせながら通っていく。

 交通規制はまだ行われていないが、仕方がない。


 邪魔な車を持ち前のテクニックで躱し、スピードを上げる。ハンヴィーに徐々に追いつかせる。


「地獄の一丁目だ! 行くぞ!」


 二人はそうして銃を構えた。

ブクマ、感想等お待ちしています。

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