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四天王  作者: シュガーイーター
ライオネル・ソウル編
7/34

異種試合

遅れてしまい申し訳有りません。

リアルで色々と事情があり、投稿するのがかなり遅くなってしまいました。



2017,10,6  改行、加筆修正を行いました。

 組手を終えてリビングに戻り、薫は二人に水を出してやる。


 薫の左腕はレイラの手によって包帯で巻かれ、元の手の形で何不自由なく動かしている。

 それを見た篠原が目を見開いて驚いていたが、気にしない。


 出された水に、レイラはごくごくと喉を鳴らしながら飲み干し、篠原は少し辛そうにしながらちびちびと水を口に含んでいく。顔色も悪く、呼吸も少し乱れている。

 おそらく、薫の瘴気に当てられたのだろう。鍛えている者に対しては害はそれほどないが、あまり体を鍛えていない者にとっては悪影響でしかない。

 最悪、命を落とすこともある。

 篠原にはUSBメモリについて詳しく聞きたいのだが、可能だろうか?


 薫はふと、先ほど襲撃してきた男が発した言葉を思い出す。


 ――『ジャーナリストが手に入れたアメリカ軍の裏情報――』


 アメリカ軍の裏情報とは何だろうか?

 組織の裏情報なら、定石としては裏金の流通や裏組織との繋がりが無難なところだが、確認してみないことにはわからない。


「いや〜やっぱり強いね! 必死に強くなったのに、まだ勝てないなんて」


 勢いよく水を飲み干したレイラが、声を漏らした。

 だが、レイラも惜しいところまでは薫を追い詰めていたのだ。助太刀がなければ、あのままレイラが勝負を決めていたかもしれない。


「お前もかなり強くなってて嬉しいぞ。隙もねぇし、決めるところも見逃さずに攻めてきた。以前なら出来なかったことだ。まぁ、欲を言えば――もう少し搦め手を増やせばもっとよくなるがな」


 押されていた薫が言えたことではないかもしれないが、それでも薫の方が長く死地を生き抜いてきたからこそ言えるアドバイスでもあった。

 今回の組手で、勝敗を決めたのはたった一発の拳だったが、それを理解していれば、実戦でも形勢を逆転することは可能になる。


 薫のアドバイスを聞いたレイラは、こくこくと頷いて了解の意を示した。

 薫は視線を篠原に向け、なるべく優しく語りかける。


「……聞きたいことがあるが、話せるか?」


 レイラも視線を篠原に移し、少し心配するような視線になる。

 篠原は一瞬肩をビクッと動かしてからおずおずと頷いた。


 それを見て、ただでさえ鈍感である薫でも気付いた。気がつくことが出来てしまった。

 彼女の恐怖の対象は薫だ。

 誘拐されかけて生じた恐怖心だとばかり思っていたが、明らかに自分に対して恐怖心を抱いている。そうなれば、理由など多過ぎて考える余地もないほどに。

 レイラが篠原の反応を見て、やっちゃった、というような仕草で顔に手をついたのを見て、どうやら彼女はそのことに気づいていたらしい。


 ――あの人によく鍛えられているな。


 薫は小さく溜息を吐き、出来るだけ刺激しないように優しい態度を心がける。


「連中が欲しがっているUSBメモリだが、中身の確認は?」


 薫の確認に、篠原はコクリと頷いた。


「で、ですが……よくわからないんですよ」


 篠原の言葉に、薫は眉をピクリと動かした。


「……よく、わからない?」


 薫はレイラと顔を見合わせた。どういうことかと続きの言葉を促す。


「仕事の合間にパソコンを使って確認したんですけど、英語や数字の羅列ばかりで何が書かれているかがよくわからなかったんです。……私、機械には強いんですけど、英語や数学は苦手で……」

「貸してみろ」


 薫は手を出し、USBメモリを出すように促す。

 渡すのを渋るかとも考えたが、思いの外すんなりと渡されたため、少し拍子抜けした。

 だが、彼女が持っていても理解出来ないものをそのまま持っていても意味がないのは確かだ。だったら、誰かに渡した方が気が楽だろう。


「これはどうやって手に入れたんだ?」

「父から、郵送で」

「その後、親父さんとは?」


 薫の問いに、篠原は首を横に振った。


「そうか」


 薫が小さく息を吐いた。

 チラリとレイラを見ても、彼女は首を横に振るだけだ。

 今、薫が彼女にしてやれることは、USBメモリの中身を確認して、事の筋道を立てていく事だ。


「いつから連絡がつかなくなった?」

「……それが送られてくる前日からです」


 篠原の目には涙が溜まっており、今にも溢れ出してしまいそうだ。

 それを一瞥し、ふぅ、と小さく息を零した。


「中身を確認してくる。二人は疲れを癒してくれ」


 薫は立ち上がり、部屋から出て行く。


 レイラが追って来ようとしたが、薫がそれを手で制する。

 怯えている少女を一人にするわけにはいかない。彼女はレイラには心を許しているようにも見えたので、あとはレイラに任せた方がいいだろう。

 レイラもそれに気付いてか、コクリと一度頷き篠原の傍らに腰を下ろした。

 薫はそれを尻目に、部屋から立ち去った。




 二人とも、今日は疲れたはずだ。

 方や、日中東京の街を歩き続け、方や誘拐されかけたのだ。身体的にも精神的にも疲れは酷いだろう。

 風呂の湯をいれ、薫は二階の書斎に足を踏み入れ、PCを立ち上げる。USBメモリを差し込み、中身を確認する。


 ――なるほど……。


 見てみると、篠原がよくわからないといった理由がよくわかった。


 ――これは、和希にもわからないだろうな。


 四天王の中で機械に一番強いのは和希なのだが、内容が分かっていないとこれの理解は無理だ。

 英語の文にたくさんの数字の羅列。それに加えて、屈強な男達や強面の女達の写真が載ったリスト。

 これは、予想通りの裏金の流出の情報だ。それだけだなく、地下に潜った陸海空軍のリストや、水面下で行われた闇取引の情報まで様々だ。


 ――これは……!


 薫はその時、リストの中に懐かしい名を見つけて苦笑した。


「なるほど、だから時々連絡が来るわけだ。脱退扱いになっていなかったのか」


 お陰で今は少佐。予想だにしていなかった昇格だ。年齢を考えればエリート街道まっしぐら、というところだろうか?


 確認していくにつれ、あの軍人崩れの傭兵たちがUSBメモリを欲する理由がうっすらとわかった気がする。

 国が内密に進めた作戦や取引などが載っており、これをネタにアメリカを脅そうとしているのだろう。

 まだ決まった訳ではないが、今のところはその線を主軸にして考えていけばいい。


 その時、ドアがノックされ声を返した。

 ガチャッとドアが開き、レイラが顔を覗かせた。


「これから私たち、お風呂に入るね」


 どうやら、報告のようだ。


「あぁ、わかった。しっかり湯に浸かって疲れを癒すといい」


 薫がそう返すと、ニコッと微笑んでからドアを閉めた。が、もう一度ドアが開かれ、満面の笑みのレイラが顔を見せた。


「覗きたかったら覗いていいからね!」

「馬鹿なことを言ってねぇでとっとと入ってこい」


 レイラの冗談を一蹴し、再びパソコンの画面に意識を向ける。

 すると、ひとつだけ動画があるのを見つけた。

 開いてみると、顎に白い髭を蓄えた中年の男が映し出され、英語で何やら話し始めた。



『――これを見ている時、もしかすると私はもうこの世にはいないかもしれない。私の名はベン・ルーサー。軍事ジャーナリストだ。私は軍の内部に視点を置いて色々と調べてみた。すると、知ってはいけないことを――』



 そんな言葉から始まり、男が息を荒げながら早口で語っていく。


 どうやら、彼はアメリカでフリーのジャーナリストらしかった。ミリタリー関連の記事を数多く出版したり、民間人にも話せる程度の情報を数多く握っている男だったらしい。

 聞いていると、今回も軍事関連の記事を書こうとした際、ジャーナリストが知るには重過ぎる内容を見つけてしまったらしい。

 薫の目から見ても、ここに書かれている情報は民間人が知ってはいけないところまで踏み込んでいることがわかる。


 ――馬鹿なことをしたものだ。……そう言えば、あいつを調べてみるか。


 薫はポケットから認識票(タグ)を取り出した。

 初めに薫達を襲撃した男のポケットに入っていたタグをくすねておいたのだ。

 その男の名は、ルリエンス・ヒューリー。元アメリカ海兵隊。

 薫はそれを軍人のリストで打ち込み、検索をかけてみる。

 動画は別で流したまま、待つこと数秒。一人の男の写真と、関わった任務、その業績が映し出された。


「……ルリエンス・ヒューリー中尉。……教官殺し?」


 どうやら、ルリエンスは教官殺しの罪により、軍を辞めさせられた男らしい。


 ーーだったら……。


 薫はポケットからふたつ目のタグを取り出し、そこに書かれていた名前を打ち込み、検索をかけた。

 この認識票の持ち主は、薫が水月(鳩尾)に肘を叩き込んで昏倒させた男のものだ。


「ジョゼフ・トンプソン准尉、アメリカ中央陸軍……救出作戦の際、犯人と思しき犯行グループと銃撃戦になり、仲間の兵を三人誤射……」


 それだけに留まらず、被害者である男女のカップルを人質に取られ、人質ごと射殺。

 結果、ジョゼフはその日のうちに軍人資格の剥奪。一週間後、行方を眩ませた。


 正直、コイツらは米軍を恨んでいるのだとしたらただの逆恨みだ。何をどうすればそんなことになるのか。特にジョゼフ。

 結論からして、今見た限りではこいつらは問題行為を起こした連中の集まりだという様にしか思えない。


 ふと、流し続けていた動画のことを思い出し、画面いっぱいに先ほどの映像の続きを表示した。

 どうやら、動画もそろそろ終わりに差し掛かっている。

 薫は軍人崩れのタグをゴミ箱へ放り投げ、耳に入った言葉に隻眼を鋭くさせた。



『――私は、この映像と見つけた情報をこのUSBメモリに入れ、友人である日本人ジャーナリストの篠原幸夫(ユキオ・シノハラ)に送る。国外に送った方が、国にとっても安全だと考えたのだ――』



 ――なるほど。それで篠原に送られてきたわけか。


 この映像を撮られてすぐに篠原の父親に送ったのだろうが、この男は命を狙われたくなかっただけにしか思えない。

 すぐにデータを消去してしまえばこんなことにならなかっただろうし、国外に出してしまった方が危険だということぐらい簡単にわかるだろう。よほどの間抜けか大馬鹿者か。


 おそらく、あの傭兵達はその時にUSBメモリの存在を知ったのだ。そして、篠原幸夫を襲った。

 彼はUSBメモリの中身の重大さを理解し、奪われぬ様にやむなく娘に送りつけた。その辺りは、薫もいい判断だと拍手を送る。

 もし、日本政府にこのUSBメモリのことを知られても、それが原因で国交が悪くなるかもしれない。それは世間から見て絶対にしてはいけないことだ。

 彼は行方不明だと聞いたところを考えると、おそらく連中に殺されている。もしくは、金に雇われたライオネル・ソウルに拷問されたか……。どのみち既に死んでいる可能性はかなり高いだろう。


「とんでもねぇ拾い物をしたな……」


 薫は小さく溜息を吐き、デスクの引き出しを開く。

 そこには、タグと消音器(サプレッサー)弾倉(マガジン)が三つ入っていた。


 サプレッサーに手を伸ばし、ガバメントに取り付ける。サプレッサーも取り付け終わると、携帯を手に取り千尋にメールを入れておく。

 電話だと、先ほどのことの文句を言われそうだったからだ。それに加え、彼の精神面の心配も多少はある。が、メールではあまり触れないでおく。

 頼みごとを伝え、戦力としてレイラを加える旨を送信する。


 時計を見ると、午前〇時を過ぎたところだった。


 ――時間差は確かマイナス一三時間だったはずだ。だったら頃合いか。こちらに時折出される指令にも従っているし、名前も残されていたし大丈夫だろう。


 そう思い、ある電話番号に電話をかける。二度コール音がした辺りで相手が電話に出た。


『陸軍作戦司令室』


 電話の先から、英語の低い声が聞こえてきた。

 薫はそれに恐れることなく口を開いた。


「アメリカ陸軍第一九特殊部隊(グリーンベレー)グループ所属、ウィリアム(William)・A・ブラウン(Brown)少佐であります。カトラス元帥に至急お伝えしたいことが――」


 その後、薫の部屋から三十分近く英語が漏れ聞こえた。




 通話を終え、パソコンの画面を東京の地図で広げる。

 池袋の住宅街の一角に赤の逆三角形が示されている。

 そこが薫の現在地――つまり、薫の家だ。

 そして、池袋の雑居ビルが建ち並ぶ区画に青い丸が示されている。


 ――連中はここか……。


 実は、今回の襲撃に対し、薫は誰一人として殺してはいない。少なくとも、今のところは。

 そして、薫がレイラたちを一旦逃した時に、男を無力化にして小型の発信機を取り付けておいたのだ。


 この情報を随時携帯に送られてくるように設定し、PCを閉じた。


 部屋を出て、一階に降りるとレイラたちの声が聞こえ出し、そういえば入浴していたことを思い出した。

 だが、薫の気配を感じたのか、レイラが洗面所へと続く扉を内側から勢いよく開いた。


「薫、タオルどこ〜?」

「レ、レイラさんっ!?」


 金髪を下ろし、スラリと伸びた手足に、キュッと引き締まったくびれ。昔よりも成長した豊満な胸。そして、水に濡れた肌色。隠さなければいけないところも隠さずに、男である薫の前に現れた。

 声の位置からして、篠原も後ろにいるらしい。

 流石の薫もすぐに視線を逸らし、顔を少し赤くしながら言葉を返した。


「その前に、前を隠せ! お前には羞恥心がねぇのかっ!?」


 しかし、突然のことに動揺して英語になってしまっている。


「なーに言ってるの。私たちの間に羞恥心なんてあるわけないでしょ? それに、ホントは嬉しいんじゃないの〜?」

「馬鹿か!? お前がよくても、俺が困るんだよ! いいから隠せ!」

「じゃんじゃん見ていいよ! 昔は一緒にお風呂も入ったもんね〜……あ、なんならこれから一緒に入っちゃう?」


 今になってやっと薫は英語になっていることを思い出し、ハッとして日本語で言葉を返した。


「そんな昔の話を掘り出してくるんじゃねぇよ! いいから、隠せっ!」


 薫の必死の様子に、仕方ないという様子で洗面所へと戻っていった。少しムッとしていたのは気のせいだろう。


 ――あいつのこれからが心配だ……。


「で、タオルどこ?」

「風呂出て右手に見える棚の一番上にはねぇか?」


 薫がそう尋ねると、何やら小さく呻く声が耳に入ってきた。


「……篠原、届かねぇならレイラに開けてもらってくれ」


 それほど高めにあるわけではないのだが、篠原が小さいのだろうか? だが、見た限りでは一五六センチぐらいだ。普通に届くと思うのだが……届かなかったらしい。


 その時、薫の携帯に着信が入った。

 画面に表示されている名前は、千尋だ。


 ――どうするかな……。


 正直かけてくることは考えてはいたのだが、そんなことは起こらないことを願っていた。

 どうせ、電話の内容は、送られてきた連中の文句だ。あと説教。

 居留守しようかとも考えたが、その場合、次に会う時が怖いため、仕方なく電話に出た。


「……はい」

『よう、調子はどうだ?』

「おかげさまで、いきなり体調を崩した気がする」

『そうか、そのまま死ね』


 千尋が苛立ちを隠そうとせずにピシャリと吐き捨てた。


「どうした? やけに不機嫌じゃねぇか。カルシウムは足りてるか?」

『なんだ? 煽ってるのか? 煽ってるんだな!? 上等だ、買ってやるよ!』

「落ち着け。そうなるとお互い無事じゃすまねぇよ。主に俺の肉体とお前の精神が」

『……お前に言いくるめられるとは。大体お前、なんで俺に送りつけてきた! お前の方が拷問は得意だろ!?』

「別に得意じゃねぇよ。癖で人体の急所突いて殺してしまうかもしれねぇからな。それと、客が来ててな。察してくれ」

『客? お前にか? お前にしては下手な――』

「薫! ちょっと大変なことが……あれ、通話中?」


 良いタイミングでレイラが声を掛けてきた。

 チラリと横目でレイラを見ると、無事に服は着ている。彼女の寝間着なのか、キャミソールに黒い下着という薄い格好だ。

 服を着ていることに内心で安堵の息を漏らしたが、何事かと続きを促した。


 通話相手は衝撃を受けているようで、電話越しから『アイツに客が……!? しかも、女だと!?』と呟く声が聞こえてくる。


「圭子ちゃんなんだけど……」


 そう言うと、中からバスタオルを体に巻いただけの篠原が姿を現した。


「あ、あの……」

「……」


 いきなりのことに薫は硬直してしまった。

 それも無理もないだろう。大の女好きである煜ならば喜んで踊り狂い――もとい、襲いかかりそうだが、薫はそれを心から喜ぶような性格ではない。

 まともな判断は可能だ。


「圭子ちゃん、服がないから着替えることが出来ないんだって」

「服がない? ……まぁ、それも仕方がねぇかもな。……下着は?」

「それもない」

「……どうするかなぁ。俺の家には女物の服も下着もねぇぞ?」


 千尋が電話の奥で声を潜めて笑っているのが聞こえてくる。


 薫は取り敢えず服を着せるために、服を収納している部屋に足を向ける。タンスを漁り、スウェットに黒い無地のシャツを手に取り篠原に投げ渡した。


「俺の寝間着だ。デカイだろうが、一晩の辛抱だ。今日来ていた服は洗濯して、明日には着れるようにしておく」

「下着はどうするの?」


 レイラが小首を傾げながら確認してきた。


「お前のを貸してやれ」

「いいけど、ブラの大きさが合わないよ?」


 言われてみると、確かにレイラと篠原では胸の大きさが――本人には悪いが――かなり違う。ブラがどういう仕組みのものなのかはわからないが、とてもレイラのものを篠原がつけられるとは思えなかった。


「だったら下だけ貸してやれ。悪いな、出来るだけ速く洗濯する」

「は、はい……」


 薫は踵を返し、リビングに足を踏み入れる。篠原が着替えるのに、男である薫が近くにいるのは落ち着かないだろうと判断しての心遣いだ。


「俺は嘘をついてねぇだろう?」

『あ、あぁ。笑わせてもらった。……それより、さっきから聞いてると、メールにあった篠原圭子だが……そこにいるのか?』


 千尋は真剣な声音になり詰問してくる。


「あぁ。家で保護している。敵はメールにも書いた通り、軍人崩れの傭兵集団とライオネル・ソウルだ。だが、後者はおそらくもう動かねえだろう」


 ライオネル・ソウルは尋問したところ、金で傭兵集団から篠原の誘拐を頼まれ、あの寿司屋で篠原を引き渡す予定だったらしい。

 だが、そこに上から言われていた氣櫻組組長の孫が来たために、一石二鳥と思い手を出したらしい。


 ――何故お嬢が狙われたのかはあいつらは知らされてなかった……。


 そうすると、奴らは組織の中でもかなりの下っ端だということが容易に理解出来る。

 そして、それには千尋も異論はないようだ。


 その時、着替えの終わった篠原を連れてレイラがリビングに入ってきた。

 だが、薫は一度チラリとそちらを見ただけで何も反応は示さない。すぐに通話へと意識を向けた。


『前者だが、何故軍人崩れだと?』

「連中のポケットにタグがあったのをくすねてな。アメリカ海兵隊って書いてあるのを上から消してあった。全員が元アメリカ海兵隊かは保証しかねるが、それでも全員が軍人の集まりだって判断は出来る。ちなみに、陸軍もいた」


 薫の説明に、『なるほど』と小さく声を漏らした。


 相手が元軍人となると、面倒なことこの上ない。特に、軍人崩れの傭兵などたまったものではない。金をもらって殺しをする碌でなしだが、その技術に関しては目を瞠るものがある。

 まぁ、金をもらって殺しをする碌でなしは薫も同じなのだが。


『それで、何でマスコミに篠原が誘拐されたって情報を流すんだ? そんな事をしても特に変化はないはずだろ?』


 その話になり薫はハッとして、チラリと二人に視線を移す。

 この話はまだ篠原が知るには重過ぎる内容だからだ。

 レイラにも先ずは隠しておき、明日目覚めた時に伝えればいい事だ。だが、そうなるとレイラにも聞かれないようにしなければならない。しかし、レイラは少なくとも英語と日本語、そしてオランダ語も話せる。


 ーー……確か、中国語はわからなかった筈だ。……あれから習ってなければの話だがな。


 習っていない事を賭けるしかない。


『……薫? どうした?』

「いや、なんでもない。確かにお前の言う通りだろう。だが、連中は動く筈だ」

『何で中国語になったのかは聞かん。大体の事は理解出来る。……お前がそう言い切れる根拠は?』


 中国語で返答した事で、レイラは怪訝そうな顔になる。だが、その意図まではわからなかったらしい。すぐに、篠原との会話に戻った。


「連中が欲しがっている物はこちらの手中だ。それを先に使われるか、中身を消去されるかで連中の目論見は達成されない――まぁ、何を企んでいるかは知らねぇが、連中はそれだけは避けたい筈だ。そして、動き出して接触してきたところを叩く」


 実際、連中が駐留している場所は掴んでいる。

 千尋にはただ篠原が誘拐されたとだけマスコミに情報を流してもらい、世間を騒がせる。

 連中はそれを見て慌てるはずだ。急いで、篠原の居場所を探り始めるだろう。

 そして、篠原を探しているうちに、先日邪魔をした人物を思い出し、接触を試みるだろう。そこで潰せば一件落着だ。

 上に確認したところ、それをご所望だった。


「速くて明日中には片がつく」


 聞かせてはいけないところは話し終えたため、日本語で続きの言葉を紡ぐ。電話の奥で、千尋が笑う声が聞こえてくる。


『大変だな、お前も。ふたつの仕事を同時に受けるなんてな』

「一日の休みがあるから出来る作戦だ」


 実際には、一日で解決出来なくても彼女を守る術はある。

 千尋は電話越しにひとつ大きな欠伸をし、眠そうな声が携帯から聞こえてきた。


『それでも、明日は道場に来いよ』


 千尋の言う道場とは、千尋が指南している極真空手の道場のことだ。

 千尋が行くのだから、薫が行く必要もないだろうに。


「師範のお前が行くんだから、俺は行かなくてもいいだろ?」

『お前も師範だろうが』

「俺は師範じゃなくて助手だ」

『助手なら尚更来い。近衛がお前の空手を見たがっている』

「俺の空手を見たって何になる。空手といえばお前だろ? それに、こっちには護衛対象がいるんだよ」

『心配するな。車で迎えに行ってやるよ。じゃあな』

「ちょっ、おい待ッ……切りやがった」


 薫は携帯をポケットに入れ、ソファーに腰を下ろした。リモコンを手に取り、報道番組を映す。


 案の定と言うべきか、先ほどの騒ぎがニュースで取り上げられている。

 テロップには、『四天王、街中で銃撃戦』というつまらない見出しで取り上げられている。

 アナウンサーが現場で状況の説明をしていた。後ろではたくさんの人混みが出来、携帯を手に持っている者や、何人かで話している姿が目に入る。映像には、警察の姿も見受けられた。



『――幸い負傷者や死傷者は一人も出ておらず、監視カメラに映っていた映像や、目撃者の証言により、四天王「魔王」が何者かと銃撃――』



 薫はチャンネルを変えるが、どこも同じことを報道していた。やはり、四天王が関わっている事件だといいネタになるようだ。


 テレビを消し、ソファーから立ち上がろうと足に力を込めた瞬間、背後から何者かにのしかかられた。

 今この家の中でこんなことをする輩は一人しか思い浮かばない。

 視線を向けると、そこには可愛らしいレイラの顔がこちらに向いていた。後ろでは、篠原が驚きの様子で目を丸くしている。


「ほらね! 何もしないでしょ? 圭子ちゃんもやってみなよ!」

「言われてやる馬鹿が何処にいる」


 薫はレイラの服の襟首を掴み、仔猫のように吊り下げてひっぺがした。


「えっ?」


 これを見て、またもや篠原が驚きの声を漏らした。

 人一人を片手で持ち上げたのだ。しかも、自分と同い年の女をだ。篠原たち一般の人間には驚くなという方が無理だろう。


 薫はレイラを下ろすと、隣の和室に入り、襖を開けて布団を敷き始める。

 薫の家には布団はふたつしかない。つまり、一人はリビングに置いてあるソファーで寝ることになる。消去法でソファーで眠るのは薫だ。二人には、布団で疲れをじっくり癒してもらわなければならない。


 そして、その時に思い出した。言われてやる馬鹿が……。




 七年前。


 まだ薫とレイラが十一で、当時の薫の名は一哉だった頃。二人での初めての依頼を達成してから二週間が経過した時のことだ。


 二人は話すようにはなったのだが、薫から話しかけることはほとんどなく、レイラは今とは違い、まだ少し内気な性格だったために声をかけてくることも今に比べて少なかった。

 その時に、二人の育ての母親である女がレイラに安全だと教えるために取った行動から、今のような性格へと変えた。


 それは、殺し屋組織内での薫の部屋で家族が集まった時のことだ。

 部屋には、薫、レイラ、育ての母――そして、兄がいた。

 女は薫が気付かないように気配を消して背後から近寄り、ギュッと力強く抱きしめてきたのだ。


「!? 何してッ……!?」

「ほら見ろレイラ。こいつは何もしない。怖がる必要はないさ」


 当時のレイラはまだ日本語は勉強中で、あまり理解は出来なかった為、彼女とは皆英語で話していた。

 レイラに薫は安全だと教える為とはいえ、こんなことをされれば気が気ではない。


「いいから、早く離せ!」

「まぁもう少しこうさせろバカ息子。一度でいいからこうしたかったんだ」

「男作ってそいつに……」

「……」


 どうやら、指摘されたくはなかったようで、抱きしめる力がどんどんと強くなっていく。息苦しい上に骨が軋んで痛い。

 抵抗しようともがいても、緩む気配すらない。

 薫は諦めて、されるがままになっていた。裸締めと同じだ。極められるともう脱出出来ない。


 薫が抵抗しなくなった辺りで女も手を緩めてくれる。そして、薫の額と頰に唇を接触させ――いわゆるキスをしてきた。された瞬間にはげんなりとした表情になった。


「……」

「ふふ、安心しろ。ただの挨拶だ。日本じゃあまりない風習だがな」

「それぐらいは知ってる。俺だってアメリカ人だ。たまにやったりやられたりする。だが、いきなりそんな挨拶してくる必要はないだろ」

「何だ? 次は唇にして欲しいってことか?」

「勘弁。そんな趣味はない」


 薫がそう吐き捨てた時、


「隙あり!」


 薫の唇に女の唇が合わさった。

 柔らかい感触に、桜の香りが口いっぱいに広がる。

 いきなりのことに薫は硬直してしまい、頭の中が真っ白になる。

 まさか、本当にしてくるとは思わなかったのだ。


「愛してるぜ、一哉」

「……勝手に言ってろ」


 女のくせに妙にカッコいい表情で言ってきた。

 薫は赤くなってしまい、返した言葉は果たして声に出せていただろうか。

 女はこれまた赤くなってしまっているレイラに向き直り、爽やかな笑顔で笑いかけた。


「ほらな? 何もしない。お前もやってみろ」

「う、うん!」

「やらんでいい! 兄貴、助けてくれ!」


 薫は椅子にもたれかかり、終始傍観していた白髪の少年に助けを求める。


「諦めろ。あれで赤くなってるってことは……お前、将来女に尻に敷かれるな。はははははっ!」


 兄にそう笑われ、助けてもらえなかった。


 結局、抱きついて挨拶のキスまでされ、このままでは唇にまでされそうだったため、逆に抱きしめてやり、そして脱出した。




 現在。


「そういえばいたな。やってみろと言われてやる馬鹿が」


 薫の発した言葉に、レイラはクスッと小さく笑い、サイズが大きくズレ落ちそうになっているスウェットを手で押さえていた篠原が目をパチクリとさせた。


「い、いたんですか? そんな人」


 篠原が尋ねてくる。薫はそれに頷いた。


「あぁ。しかもそこから挨拶のキスまでして、更に唇にまでしようとしてきたからな。お前の隣にいる奴は」


 篠原の視線が、薫から隣にいるレイラに流れ、それに気付いたレイラがピースサインで応える。


 ――そこでピースサインの意味がわからん。


 薫はキッチンに入り、コーヒーを作り始める。


 チラリとレイラ達に視線を向けると、頬を赤く染めたレイラが嬉しそうに当時のことを話し、それを聞いている篠原の顔が真っ赤になっている。


 説明するようなことではないだろうに、と苦笑し、コーヒーをブラックで飲み始める。

 口いっぱいにコーヒーの苦味と濃厚な味わいが広がり、その苦味を楽しむ。


「ほら、お前らはもう寝ろ。明日は千尋がお前らを拾って道場に連れて行くらしいからな。ちなみに、俺も行かされる」


 先ほどの千尋との会話の一部を伝えると、レイラが反応を示し、篠原も少し興味深そうに聞き耳を立てた。


「道場って?」

「俺らの中で最強の男、氷崎千尋が指南している極真空手の道場だ。門下生もそれなりにいる。まぁ、俺は師範の一人に命を狙われてるがな」


 薫は自嘲気味に笑う。

 命を狙われるのは仕方のないことだ。

 薫は人類存続戦争の時にたくさんの命を奪っている。その仇を取ろうと殺しに来る者もいれば、その筋では薫は六百万ドルの賞金首として知られており、賞金稼ぎと出くわすと攻撃される。最近は懸賞金が増えたと聞いたが、興味も無いためいくらだったかは忘れてしまった。

 また、あるいは殺し屋の追手が命を狙って襲撃してくることもある。


 そんな存在を千尋は気にせずに、幼馴染みというだけで同じ会社に置いてくれているのだ。


 ――とんだお人好しだな。


「……ねぇ、薫」


 レイラに向き直ると、少し殺気立っている様子なのがわかる。目も本気だ。


「その殺しに来る人、()ってもいいの?」

「駄目だ。ガキどもからかなり好かれているからな。殺したら門下生のガキどもが悲しむ」


 一度、レイラと同じことを考えたこともあった。

 だが、殺そうとしても、その場には千尋がいる。千尋が介入してくれば、間違いなく薫は返り討ちにあうだろう。それを考えると、あまり得策な判断ではない。


「まぁ、そういうわけだから明日は早い。もう寝ろ」


 薫は残っていたコーヒーを口の中に流し込み、部屋から立ち去ろうとして――


「レイラ」


 英語でレイラに話しかけた。


「何?」

「……ボス――お袋から、名は貰えたのか?」


 それを聞き、レイラが驚いたように目を瞠り、微笑した。


「薫が母さんのことをそう呼ぶの、初めてじゃない? ……電話でも言ったはずだけど、無事に貰えたよ。今とそう変わらないけど」

「何て名だ?」

「“レイラ(Layla)・A・シャドウ(Shadow)”。いつも通り、『レイラ』って呼んでくれればいいよ」


 薫はニヤリと不敵に笑うと、その場を後にした。




 朝、七時過ぎ。


 レイラはごそごそと蠢きながら目を覚ました。

 カーテンの隙間から差し込む陽の光がリビングで眠る薫を照らしていた。


 薫は小さな寝息を立てながら眠っており、何故か上半身は服を着ていない為、傷痕だらけの肌が露わになっている。

 包帯を巻いた左腕を見ると、どうやらもう完治しているようで、解けた包帯の隙間から肌色の肌が覗ける。

 相変わらず凄い自然治癒力だ。

 薫の境遇は以前に一度聞いたことがあるために驚きはしないが、それでも、普通に考えれば異質であることは間違いないだろう。

 薫の手元には、ロングスライドバレルのガバメントが置かれており、眠っている間に奇襲を受けた時の準備も万端の様だった。


 その時、インターホンが鳴り、同時に薫が目を覚ました。


「おはよう、薫」

「……あぁ、おはよう。レイラ」


 薫は重い体を持ち上げ、和室で眠る篠原に一度視線を向けてから体を伸ばす。


「……何時に寝たんだ?」


 薫が眠そうに目をこすりながら尋ねてくる。


 昨夜はあの後、篠原の薫に対する恐怖心を払拭しようと薫の話をしたため、寝たのは薫が戻って来た午前三時過ぎだったはずだ。その頃には薫もすぐに眠りについていた。


「薫と同じ時間」

「……よく、起きれたな」


 薫は朝に弱い。レイラはそれを知っているため、相変わらずだと思わざるを得ない。

 薫はゆらゆらと重い身体を引きずってインターホンに応じる。


「……はい? ……あぁ、煜か。何だ?」


 煜といえば、昨夜の寿司屋の騒動が収まった頃に踏み込んできた男だったはずだ。そんな人物がこんな朝早くから何の用だろうか?


「……あァ? そんなところで喚くな。今開けるから、喚くなら家で喚け」


 薫はリビングから出て行き、ゆっくりと玄関まで歩いていった。


 レイラはその間に冷蔵庫を開け、牛乳を取り出し、コップに注いで喉を鳴らしながら飲んだ。


「日本の牛乳も美味しい」


 レイラは牛乳が好きだ。幼い頃から朝起きるといつも欠かさず飲んでいる。おかげで身長が一七〇を超えたのは誇らしい。


 その時、玄関から何やら騒がしい声が聞こえてきた。


「見たかニュース! 俺ファンやったってのに……てか、なんでお前裸やねん」

「ニュースなんて見てねぇよ。俺は今起きたばかりだぜ?」

「何やと!? はっ、まさかお前、エロゲよろしく妹に手ェ出して遅くまでくんずほぐれつ繰り広げていたせい──ぐむぅっ!?」

「貴様の命運ここに尽きた。その首をいざ断ち切らんッ!!」

「まてぇ! ジョークやんか!! お前んところの故郷はそんな感じのトーク多かったんやろ!?」

「安心しろ。時折貴様のような事を口にする輩はいたが、そいつは次の日には用水路で死体で見つかったさ」

「安心する要素が無い!? ヘールプ! 誰か、ヘーーールプゥッ!!」


 昨夜聞いた煜の声と、薫がなにやら言い合っているのが聞こえてくる。

 レイラはその会話に聞き耳をたてる。


「って、んなアホなことやっとる場合ちゃうわ! あの国民的アイドルの篠原圭子が何者かに誘拐されたらしいねん! 早よ見つけ出したらな……!」


 ――えっ?


 篠原なら隣の部屋で今も幸せそうに寝息を立てながら眠っているはずだ。


 まさか、薫に誘拐されたと誤報されているのではないか? だが、そうだとしたら『薫に誘拐された』と報道され、今の様な会話にはならないだろう。

 それに、煜は『何者か』と言った。

 ということは、薫が犯人と思われているわけではない、ということだろうか?


 ――もしかして、昨日薫が電話中にいきなり言語を変えたことに関係がある……?


 初めは不思議に思ったが、それでも自分たちには聞かせたくない会話だったのだろうと高を括っていたが……。


「それなら心配はいらねぇよ。ここで保護してるからな」

「……は? なんの冗談や?」

「来てみろ。そして見たら死ね」

「理不尽!? ピリピリしたらあかん。もっとカルシウム取っとき」

「案ずるな。手を下すのは俺ではない。マモンに放り渡す」

「勘弁してつかあさい!」


 足音がどんどんと近づいてくる。

 ドアが開かれ、昨夜の派手なスーツ姿とは違いアロハシャツにチノパンツを履き、頭にヘアバンドを巻いた男が入ってきた。

 煜がこちらに気づき、「やあ」と軽く手を上げ、こちらも同じ様にして応える。


「ほら、そこの和室」

「……ホンマや。いや〜寝顔もええなぁ。流石俺がアイドルの中で唯一認めた子ォや」


 瞬きすらしていないのにも関わらず、いつの間にか煜の姿が薫の後ろから篠原の枕元に移動していた。

 動き出す素振りなどまるっきり見せていなかった。それなのに、目を離していないのに瞬間移動したかの様な錯覚すら覚えた。


 ――速いっ!


 レイラは唖然とするしかない。

 もしかすると、育ての親である女といい勝負をするかもしれない。


 篠原の寝顔を見て興奮気味の煜に、薫は気配を殺して背後に忍び寄り、裸締めを極める。


「ぐっ……!?」


 なんとか解こうともがくが、裸締めは極められればそう簡単に抜けることはできない。ただ苦しそうに悶えるだけだ。

 薫はそれを意に介さず、ズルズルとリビングまで引っ張ってきた。

 ガッチリと固定していた腕を解き、煜を解放すると勢いよく咳き込んだ。


「ゲホッゴホッ……! 何すんねん!」

「あいつは心身共に疲れ果ててんだよ。起きるようなことをしてんじゃねぇよ。そして死ね」

「しつこい!」


 薫の言うのも尤もだ。最後の一言は別として。

 煜も「そうやな」と小さく漏らし、ソファーに腰を下ろした。


「それじゃ、説明してもらおか? なんでここにあの子が?」


 煜は値踏みするような視線で薫を見上げる。それが妙に威圧的で、レイラはゴクリと生唾を飲んだ。


「昨日の寿司屋の騒動があったろ? あの時、結果的に誘拐されそうなところを助けてたんだよ」

「敵は?」

「ライオネル・ソウルと軍人崩れの傭兵集団。前者はおそらくもう攻めてこないと考えて、実質後者のみだ」


 薫の説明を聞き、煜は呻き声を漏らした。


「……アメリカの兵隊か?」

「陸軍に海兵隊もいた。この様子だと、空軍もいそうだな」


 薫の軽い補足を開き、またも煜が唸る。

 これはレイラが思っていたよりも事態は重い。流石にここまでとは考えていなかったのだ。軍人崩れという予想までは当たっていたが、重大さの認識はまだ少し甘かった形になる。


 レイラはまだ幼い頃に傭兵や用心棒と殺し合ったこともある。、薫は言わずもがな。

 だが、他の四天王が軍人と戦った経験があるかはわからない。

 聞いている限り、ほとんどの情報屋が口を揃えて言うことが、薫以外の四天王は殺しをしたことがない、ということだ。

 それを視野に入れると、おそらくまだ戦ったことはないだろう。戦争屋を相手に殺さないという甘い行為は危険なのだ。


 レイラがそのように思考している横で、二人の簡単な会話は続いていく。


「連中の狙いは?」

「あいつが持っていたUSBメモリ」

「中身は?」

「米軍の裏情報」

「なんで彼女がそんなもんを?」


 煜の問いに、薫も余すところなく答える。


「親父さんがジャーナリストでな。その友人にアメリカのジャーナリストがいて、そいつがその情報を手に入れてな。そいつから送られてきた。それを追って、連中も海を渡ったようだ。

 ここからは推測だが、あいつに聞いたところ、USBメモリが送られてくる前日から連絡がつかなくなっていたらしい。おそらく、連中か金に雇われたライオネル・ソウルに捕まって拷問死したと俺は考えている。あいつの親父は命の危険に気づき、捕まる前にUSBメモリを送ってきたんじゃねぇか、っていうのが俺の見解だ」


 煜は顎に手をつき、何やら考える素振りを見せる。

 薫の予想はおそらく当たりだ。喩え違っていても、正解に近いはずだ。たった一晩でよくそこまでわかったものだ。


 以前の薫に比べ、頭の回転が速くなっている。

 以前ならば、証拠がなくてもそこに自分から攻め込んでいくのが常套手段だったが、成長した薫の凄さを垣間見た瞬間に思えた。


「この報道についても、お前の差し金か?」


 煜の問いについて、レイラもハッとした。

 確かにこの報道についてはレイラも何も聞いていない。今、レイラが最も知っておきたいことだった。

 果たして薫はコクリと頷き、チラリとこちらにも視線を向けてきた。


「このままでもいずれあいつの所属事務所から行方不明として捜索届けが出されていただろうからな。だったら、誘拐された、と先に偽の情報を報道させて世間を騒がせる。連中の狙いの物は先にアメリカに対して使われるか、データを削除されるかすれば終いだ。それを防ぐためにすぐにでも動き出すだろう。

 俺とレイラは昨日、連中の邪魔者として何人か叩きのめしている。その存在を思い出してもらえれば、あとは接触されるのを待つだけだ。そこを叩く」


 ――なるほど。


 薫はそこまで見越しての考えでこの作戦を組んでいたようだ。

 では、何故薫は昨夜の時点でそのことを伝えてくれなかったのだろうか? 自分ではまだ力不足だと思われているのだろうか?


「……悪かったなレイラ。疲れている状態のお前に知らせるべきではないと判断して教えなかったんだ」

「……心配してくれてたんだ」

「へぇ、お前が女の身を案じるとは……俺の熱弁は無駄やなかったみたいやな」

「やけに熱い演説だったからな。まだ頭の片隅に残ってるぜ」

「守ってるか?」

「……………………それなりに」

「その間は何やねん。んん?」


 レイラが少し顔を赤らめ、煜がニヤリと笑いながら言葉を挟む。


 確かに、自分は昨夜はとても疲れていた。数日間歩き続けていた疲れに、薫との組手での体力の消耗。

 顔には出さないようにしていたのだが、どうやら気づかれていたらしい。


 ――やっぱり、敵わないな……。


 フッと小さく笑い、遠い過去の記憶を思い出す。

 幸せだった生活が一転、悲しみのどん底へと落とされたレイラの過去。しかし、それがレイラにとって更に幸せな生活の幕開けだった。

 今はとても幸せだ。ずっとこの想いに浸っていたいくらいに。


「……にしても、随分とデカイ賭けに出たもんやな。いつからギャンブラーになったんや?」


 煜が呆れたように笑う。薫も理解はしているのか、苦笑を返した。


「俺はギャンブルは好きじゃねぇな。当たらねぇから。……だが、今はこれ以上の策は思い浮かばねぇから仕方がない」


 薫はそう謙遜したが、事実考えとしては悪くない。後は、こちらの思惑通りに進めばいい。


 ――喩え、思うようにいかなくても、こっちには私という存在がいる。


 四天王は聞いている限りではライオネル・ソウルとの戦いの最中。今日一日で片付かなくても、自由に動けるレイラがいる。

 大丈夫だ。何も心配はない。


「さて、そろそろ着替えますかね。洗濯物も乾いてりゃいいが……」


 そう言って、薫は部屋から出ていった。


 ――私もそろそろ着替えよ。


 そう思い、立ち上がったところで煜と目が合った。こちらを見てニヤニヤしている。


「……何?」

「いや、あいつにはもったいないぐらいの別嬪やな、って思ってさ。確か、ちっさい時に一緒に暮らしてたんやんな?」


 驚いた。何故そんなことを知っているのだろうか?

 考えてみれば、答えはひとつしかない。


「薫から聞いたの?」


 レイラの問いに、煜は「そうや」と首肯した。


「なんせ、ずっと肌身離さずに同じ写真を持ってんねんからな。隙を見て確認したら可愛い子ぉと写ってるから腰抜かしたわ」


 煜はハハハッ、と笑う。


 レイラはあの写真を肌身離さず持っていてくれていたという事実が何よりも嬉しかった。

 薫が出ていって初めの間は、あの写真を捨ててはいないだろうかと心配になっていたが、杞憂だと知り、涙が出そうになったものだ。


「あの金髪の子ぉが君やろ? えっと、レイラやったか? じゃあ、あの黒髪の姉ちゃんは誰なん?」

「お母さん」

「若すぎるやろ!? ……レイラの?」

「私と薫とお兄ちゃんの」

「……お母さん? ……お兄ちゃん?」


 レイラからの返答に、煜は小首を傾げる。


「あの人は、私と薫ともう一人――お兄ちゃんのお母さん。みんな血は繋がってないけど、その絆は本物の家族よりも強いよ。私と薫とは十歳しか離れてないけどね」


 レイラはとても誇らしげに教えてやる。


 レイラは母が大好きだ。今言ったように血は繋がってないが、我が子のように愛情を持って育ててくれた。

 薫もぶっきらぼうな態度で接していたが、心の中では大好きだったに違いない。少なくとも、レイラはそう思っていた。

 だが、煜は少し困惑した様子で唸り声を漏らしていた。


「……どうしたの?」

「いや、あいつ母親が大っ嫌いやからさ……別に母親がおったことに驚いただけや」


 言われてみると、確かに二人はそんな会話をしていた気がする。

 母が、


「母ちゃんと呼ばねぇかバカ息子!」


 と言う度に、


「お断りだ、バーカ!」


 と返して袋叩きにされていた記憶がある。

 男の子は素直じゃないだけだと思っていたが、どうやらそういうわけではないらしい。


 その時、インターホンがなった。

 時計を見ると、もうそろそろで八時になる頃だった。


「……ん? 客か?」

「みたいね」


 レイラは薫のやっていた通りにインターホンに出る。


「はーい」


 レイラが出ると、相手は一瞬驚いた様子だったが、すぐに納得した様子で声を返した。


『氷崎千尋だ。迎えに来たって薫に伝えてくれ』


 言われてそんな時間なのかと驚いた。


 その時、Vネックのカットソーにジーンズを履いた薫が、乾いた洗濯物を手に戻ってきた。


「あぁ、千尋が来たのか。悪いが開けてやってくれ。煜、何か飲むか?」

「出来れば飯も出してくれん? 何も食わんと来てん」

「じゃあ、ドッグフードと水な」

「死ね。普通のもん出せや」

「馳走になるというのに、随分と大きな態度だな。なら、魔界原産の魔界料理を振る舞ってやろうか?」

「あんな見てくれが悪いもんは願い下げや! ようあんなもん食えるな!?」

「味は確かなんだがな……。じゃあ、レイラ大好きミックスサンドを作るから待ってろ。コーヒーでいいか?」

「砂糖とミルク多めな」

「はいよ」


 言って、薫は篠原の着ていた服をたたんで篠原の枕元に置いた。煜が興奮しないように、下着を服の下に隠す。


 レイラは玄関を開け、黒を基調にしたライダースジャケットを着た茶髪で高身の男と、一人の少女がハイエースに乗っているのを見つけた。


「えっと、確かレイラだったか? 薫から聞いている。これからよろしく。強いなら戦力としても大歓迎だ」

「レイラ・A・シャドウよ。よろしく」


 レイラは千尋の握手に応じる。


 だが、戦力としても、とはどういうことだろうか?

 薫たち四天王はライオネル・ソウルとの戦闘を明日に控えている。自分もその戦力の一人として数えられたということだろうか。

 そうだとすれば、遂に薫に認めてもらえた気がしてとても嬉しかった。


 だが、千尋は疑問を感じたように小首を傾げている。


「どうしたの?」

「いや、失礼だがレイラ・コルトって名前だと聞いていてな。少し困惑している」


 それを聞いて、合点がいく。

 つまり、薫に教える前に教えられたのだろう。


「確かにそっちでも合ってるけど、今の私の名前はレイラ・A・シャドウよ」


 千尋はまだ少し疑問が残っているらしかったが、どうやら考えないようにしたらしい。


「薫は?」

「中よ。入って。私達、まだ朝ごはんも食べてないの」


 レイラは先に中に入り、着替えるためにキャリーバッグの置いてある部屋に入り、着替えを始めた。



 千尋が近衛を連れて家に入ってきた。どうやら、レイラは着替えに行ったらしい。

 千尋は煜の姿を認めると、小さく笑った。


「……ナンバーワンホストがここで何をしてるんだ?」

「国民的アイドルの寝顔を見に」

「確か、篠原圭子だったか?」

「えっ!? 圭子ちゃんがここにいるんですか!?」

「そこの和室で寝てんで」


 と、会話が聞こえてくる。


 薫はキッチンから顔を出し、千尋に声をかける。


「千尋、何か飲むか?」

「あー、カプチーノ」

「はいよ。……近衛はどうだ?」

「ふぇっ!? あ、じゃあレモンティーを」


 どうやら、こいつらは同じものに合わせるつもりは毛頭ないらしい。作る側の身にもなってもらいたいものだ。


 すると、千尋がキッチンに入ってきた。


「何か手伝おうか?」

「オーナー。だったら、今四人分のミックスサンドが出来たところだ。……オーナー達も食うか?」

「あぁ、途中で買っていこうかとも考えていたんだ。手間が省けて助かる」

「だったら、残り二人分作ってくれ。俺は、取り敢えず注文のドリンクを終わらせる」

「わかった」


 まるで、レストランの厨房内のような会話だったが、二人にとってはそれはいつも通りのことだった。

 実は千尋は副業で三ツ星レストランのオーナー兼コック長を勤めており、薫はコックとして厨房に立っている。


「なかなかいいジーンズだな。どこで買ったんだ?」

「渋谷だ」


 と時折雑談を交えながら料理をてきぱきと終わらせる。その動きには一切の無駄がなく、ものの数分で完成させた。


 その時、チラリと千尋の目の下を横目で見やる。


 ――やはりな。


 千尋の目の下には(くま)が出来ていた。あまり寝れていない証拠だ。

 初めて人間を殺した時、ほとんどの人間は精神的なダメージを受ける。

 千尋もきっとそれで眠れなかったのだろう。レイラも同じようなことになっていたことを覚えているため、心配はしていたのだ。


「隠せてねぇぞ」

「何がだ?」

「隈だ」

「!」


 千尋は驚いたように目を瞬かせた。

 薫はそれを無視してキッチンから料理を持って出た。


「出来たぞ」


 リビングのテーブルの上に作ったミックスサンドと各々の注文であるドリンクを出す。

 煜はコーヒー、砂糖とミルク多め。

 千尋はカプチーノ。

 近衛はレモンティー。

 丁度着替えから戻ってきたレイラにはホットミルク。

 まだ眠っている篠原の分はキッチンでラップをかけて置いておき、薫は昨夜と同じでコーヒーをブラックで。


「相変わらず凄いな〜。三ツ星レストランのシェフたちは」


 煜の言葉にピクリとレイラと近衛が反応した。


「誰が?」

「もしかして、千尋さんがそうなんですか?」


 近衛の疑問の声に煜は首肯で返した。


「そうやで。それと、薫もな」


 煜の言葉に、二人の視線が同時にこちらへと向く。が、薫は無視して食べ続けた。


 時計の針は既に八時半を差し、道場の練習は九時半から。あと一時間しかない。


 ――まぁ、家から車を一五分走らせれば着く程度の距離なんだがな……。


 薫は皆が話している間も黙々と一人で食べ続ける。いち早く食べ終えると、コーヒーを口の中に注ぎ込む。


「……!」


 ふと、和室から何かが動いた気配がした。どうやら、レイラも気付いたようで、視線を篠原へと向けた。


 篠原は眠そうに目をこすりながら、布団から立ち上がり、薫の寝間着だということを忘れているのか、下が脱げたまま立ち上がり、リビングへと出てきた。

 もちろん、煜にはすぐさま腕ひしぎを極め、動けないように全体重をかけてのしかかり、押さえ込んだ。


「おはよう……ございます」

「あぁ、おはよう。よく眠れたか?」

「あ、はい。……あれ、人が増えてる?」

「うひょぉぉおおぉっ!! は、離せ! 匂いを嗅ぎたい!」

「とんだエロ野郎だな、コイツは!」

「エロいんとちゃうわ、アホども! 官能と言え!!」

「似たようなものだろうが!!」


 篠原にとっては大きめの寝間着だからか、裾の長さで下着は隠れているのだが、絶対領域が丸見えだ。


「千尋、エロ野郎を押さえるのを手伝ってくれ!」

「任せろ!」


 寝ぼけているのか、何に騒いでいるのかが篠原にはわかっていない。


「圭子ちゃん、枕元に服を置いてあるから、すぐに着替えて来なよ。美味しい朝食も出来てるよ〜! あと、急いだ方が良いよ。急がないと、薫が押さえ込んでるアイツの脳内にあられもない圭子ちゃんの姿が灼きついちゃうから」


 篠原には何がなんだかわかってはいない様子だったが、視線を自分の格好へと移すと、顔がどんどんと真っ赤に染まっていった。なかなかの急速赤面術だ。


「きゃああぁぁぁぁあぁっ!?」


 篠原はすぐに和室へと戻り、薫は煜を押さえながらレイラに和室を閉めるように伝える。


 ――朝っぱらから疲れる……。


 薫ははぁ、と大きなため息を吐き、煜へと声をかける。

 返ってきた答えは案の定のものだった。


「煜、今の気持ちは?」

「死んでもいい」

「こいつの女好きも相当だな」

「その女好きの持論には、俺も賛同出来る部分もあるんだがな……」


 数分が経つと、顔を赤くしたままの篠原がリビングへと入ってきた。

 その顔色は昨夜に比べ、幾分か良くなっている。


「気分は?」

「大丈夫、です」

「……そいつは重畳」


 それに、気の所為か昨夜に比べて自分への怯えた態度も和らいでいる気がする。レイラが何かしたのだろうか?


 ――まぁいい。


 薫は特に気にする素振りもなく、コーヒーを口に含み、その苦味に身を委ねる。

 横目でレイラに視線を向けてみると、好物であるミックスサンドを幸せそうに頬張っている。


 ――相変わらず、美味そうに食う奴だ。


 薫は知らずのうちに、安堵の笑みを浮かべていた。

 殺し屋で長い間――特に幼い頃から――生きてきた人間は、少し人間性が欠如してしまうことが多い。

 その証拠として、薫には人の心がない。……いや、ただ心がないといえば語弊があるだろう。

 薫には、他人のことを憐れむ心がない。

 人が“かわいそう”と口を揃えて言うようなものも、薫には何も感じない。

 まぁ、薫がそうなってしまった原因は、それだけではないのだが……。

 それを考えると、今のところのレイラを見ると、案外大丈夫なようだ。昔はよく泣くこともあったが、今では身体的にも、精神的にも成長しているらしい。


「薫、何かを忘れているぞ」


 不意に、千尋がそんなことを言ってきた。


「あァ? ……あっ、忘れていた。すぐに用意する――何を飲む?」


 すっかり忘れていた。千尋が指摘してくれていなければ、最後まで気づかなかっただろう。

 篠原に形だけは謝罪はしておき、何を飲むかを尋ねてみた。

 昨夜のように怯えられることもなく、普通に返事を返してきた。


「じゃあ、カフェオレをお願いします!」


 やはり、コイツらは飲み物を統一する気は無いらしい。



 時計の針は午前九時を差し、篠原は目を輝かせながら動かす手を加速させる。


「か、薫さんって……はむっ……料理……はむっ……出来るん……はむっ……ですね……あむっ!」

「あぁ、まぁな。これでも三ツ星レストランのコックを勤めてるからな……それと、食うか喋るかどっちかにしろ」


 薫の指摘に篠原はピタリと口を閉ざした。

 皿に盛られたミックスサンドを食べ終えるのは、そのあとすぐのことだった。


「さて、篠原も完食したところで、出発するか?」


 篠原が食べ終わったのを見計らって、薫は皆に切り出す。


「でも、どうすんねん? 彼女は今誘拐されてることになってるやん」

「えっ?」


 煜の言葉に、篠原は目を見開いた。次いで、近衛も目を丸くした。


「どうやら、君にはまだ伝えていなかったらしいな。先ず、君は今誘拐されていることになっている。君を狙っている連中を騙すためだ。もちろん、君には手を出させない。腕利きのボディーガードが一人……なぁ、レイラはどうだ?」


 千尋は諭すように、ゆっくりと語りかける。が、説明の途中で思い出したらしく、疑問の眼差しでこちらに振り返った。


「合格だ。左腕の細胞を壊死させられ、使い物にならなくされた。俺たちと互角レベルだ」


 その説明に頷くと、千尋は再び篠原に向き直る。


「優秀なボディーガードが二人、君を守る。ただし、その間君には彼らと共にいてもらう。作戦通りに事が進めば今日中に君は元の生活に戻ることが出来る。それまでの辛抱だ」


 流石と言うべきか、こういう時千尋はあてになる。薫だと、こうはいかない。


「それじゃ、そろそろ出ようぜ? あと二十分しかねぇからな。篠原、他にも聞きたいことはあるだろうが、それは千尋の車の中で聞いてくれ」

「なに? もうそんな時間か? 急がないと遅れるな……よし、それじゃあ行こうか」


 千尋の合図で皆が立ち上がり、ぞろぞろと立ち去っていく。

 千尋とのすれ違い様に、ボソッと声をかけられた。


「どれだけ寝た?」

三十分(・・・)


 薫の返答を聞き、千尋は苦笑を漏らしながら皆を連れて部屋を出ていく。


「レイラ、俺はバイクを飛ばしていく。篠原のことは任せた」

オーライ(Allght)!」


 レイラはグッと親指を立てて笑顔で返してくる。

 それに頷き、道着を持ち、マガジンを五つ、コンバットナイフを一本、ガバメントを二丁手に取り部屋から出た。

 コンバットブーツを履き、書斎から持ってきたタグをポケットに入れ家から出た。


 ガレージにあるビッグスクーターの収納スペースに持って来た物を放り込み、けたたましいエンジン音を鳴らしながら千尋の車を見る。

 向こうも準備は整っているらしく、いつでも出れるようにはなっているらしい。

 色眼鏡をかけ、千尋に頷きかけるとハンドルを一気に回して先導し、千尋の車も後に続いて発信した。



 池袋、氷崎極真館道場。


 千尋の指南している空手道場の駐車場にバイクを止め、ついてきていた千尋の車も止まる。

 中からは興味深そうに道場を見上げているレイラに、黒ぶちの伊達眼鏡をかけ、昨夜と同じパーカーのフードをかぶって顔をわからなくしている篠原に、中から聞こえてくるサンドバッグを打つ音にビクッと反応を見せている近衛が出てくる。


 道着を手に運転席から千尋が、助手席からは煜が降りる。


「篠原の格好はそのままか? 中でフードを被ってると不自然じゃねぇか?」


 先導していた薫がビッグスクーターを停め、千尋たちに近づいてきた。


「安心しろ。初めから誰かを理解しているやつには効かないが、そうじゃない奴には認識させないように魔術を施している。そう簡単にはバレないだろう」


 薫の疑問に千尋が答える。


 今一度、薫の切れ長の瞳が篠原へと移る。

 篠原にかけられた魔術の術式を見ているのだろう。四人の中で薫だけが出来る事だ。


「ちなみに聞いておくが、誰がかけた?」

「俺や」

「あぁ、納得。だから、詰めが甘いのか」

「はぁっ!? マジ? どっか穴空いてる?」

「二割ほど術式を書き違えているぞ。まぁ、バレても俺がなんとかするし、大丈夫だろ」


 煜はその辺りは適当にする節が見受けられる。今回もそうだ。

 だが、その程度ならよく見なければわからない。

 人は他人をあまりよくは見ないため、おそらくは大丈夫だろう。


「さて、じゃあ入ろうか」


 千尋の言葉に皆が道場内に入っていく。

 薫はビッグスクーターの収納スペースに入った道着と武器を取り出して後に続いた。


 中には熱気と共に喧騒が響き渡っている。その姿は、サンドバッグを打つ者や、型の練習をしている者。更には、大人から子供まで様々だ。

 薫がこの道場に来るのは実に四ヶ月ぶりにもなる。いつも、ここに来ることは避けていたからだ。

 その理由のひとつとして――



「師匠、遅いです!」



 道場に女の声が響き渡り、道場内が更に騒がしくなった。

 その様子を見て、ここに初めて足を踏み入れた三人は目を丸くしてしまっている。


「すまない、少し用事があってな。すぐに着替えてくる」


 千尋は声の主に声を返す。


 そこには、空手の道着を来た少女が腰に手を当て立っていた。目測百六十前後の身長を持った少女だ。

 髪の色は赤、瞳は茶色、よく鍛えられた肉体に、その間にも周囲に隙は見せていない。よく鍛えられた少女だった。


 だが、少女は薫の姿を視認すると、表情を一変させ、牙を剥いて今にも襲いかかりそうになる。それを見て、薫は深いため息を吐いた。


「鬼桜ぁ……っ! 今日こそ、父と母の仇……打たせてもらう!」

「……懲りねぇなぁ、お前」


 薫はブーツを脱ぎ、自然体で少女に近づいていく。

 一歩、また一歩と近づくにつれ、少女も緊張の面持ちで構える。


 お互いが拳の射程距離に入り、少女は薫目掛けて踊りかかった。

 勢いよく地面を蹴り、渾身の突きを唸らせ――次の瞬間には少女の身体は宙を舞っていた。

 ダァンッ――と地面に叩きつけられる音が響き、「かはっ!」と少女が肺の中の空気を一気に吐き出した。


 薫は放たれた突きを内から外へとすくい受け、そのまま相手の勢いを利用して一本背負いで少女を放り投げたのだ。

 それを見た篠原と近衛は声を失っている。レイラに至っては双眸を鋭くさせ、少女に向かって殺気を放っているくらいだ。


 少女は何をされたか咄嗟に理解すると、そのままの体勢で蹴りを繰り出した。が、薫は容易く受け止め、掴んだ足を脇で挟み込み、そのままアキレス腱固め。


「ぐっ! 痛い痛いっ!」


 少女がバンバンと地面を二度叩いたのを確認した薫は手を離してやる。

 しかし、少女はニヤリと不敵に微笑むと、


「ここでやめるわけないだろっ!」


 地面を蹴って薫に向かって身を投げ出した。

 だが、薫もまた一枚上手だった。

 咄嗟のことにも驚かず、冷静に対処せしめたのだ。

 気が付けば、少女は三角締めを極められ苦しそうに悶えている。


 残念なことに、この光景は薫が来た時はいつもの事だ。初めて見た者以外は誰も驚かない。


 今薫と戦っている少女の名は草薙鷹穂(くさなぎたかほ)

 十年前、人類存続戦争の際、薫の手によって両親を殺された悲しい少女だ。


 彼女はその後、復讐を誓って強くなった。

 薫とは会う度に少女から仇討ちを仕掛けるのだが、その度に今の様に軽くあしらわれるのだ。

 だが、これでも彼女は六段の実力者。千尋や薫と共に師範として門下生達に空手を指導している。

 実力としては申し分ないのだが、何故薫にこうも軽く遊ばれるのかというと、決定的に場数の違い――経験不足が原因だ。


「先に着替えてるぞ」

「あぁ、すぐに終わらせる」

「殺すなよ」

「聞けねぇ相談──」

「もう一度言ってくれ」

「善処する」


 薫が技を極めながらそう返してくる。一瞬怒気を噴出してみせると、薫は即座に意見をねじ曲げた。


「と、止めなくていいんですか!?」

「あぁ、いつもの事だ。すぐに終わる」


 千尋は素っ気なく答え、煜なんかは道場に増えた女性の門下生を見て鼻の下を伸ばしているくらいだ。誰も二人の戦闘を気にしていなかった。

 レイラは相変わらず薫を注意深く観察しているが、その双眸は何かを疑問に感じているようだ。


「煜。女性陣は任せたぞ」

「バッチリエスコートしとくわ」


 千尋は道着を担ぎ、男子更衣室に入っていった。

 千尋は服を脱ぎ、急いで道着を着込む。程なくして、薫も更衣室へと入ってきた。


「四ヶ月ぶりに受けてみたが、驚くべきものだな」

「何がだ?」


 薫は服を脱ぎ、道着を着込む。その時に、引き締まった筋肉に身体中に残っている傷痕が姿を覗かせた。

 帯を締める以外の着替えを終えた薫は、そのまま出口へと歩き出した。


 そして、出口で一度止まると、


「アイツの成長度合いがだ」


 そう言って、更衣室から出て行った。

 その直後に怒号が聞こえたために薫は鬱陶しそうにしていた。


「……成長度合い、ねぇ」


 薫にしてはなかなか褒めている方だ。正直言って珍しい。


 ――昔とは、少しは変わったか……。


 千尋はその変化を嬉しく思い、帯を締めて更衣室を出た。


 煜と女性陣は見学として――しかし、子供の門下生の保護者に篠原の事を気付かれないよう、念の為に他の見学者とは離れた場所で座って見学している。ちなみにフードは外している。


「さぁ、始めるぞ。薫、帯を閉めろ。全員、いつも通りに先ず座って黙祷だ」



「なぁ、ひとつ聞いていいか?」

「なんだ?」

「どうしてこうなった?」


 現在、道場内では二時間が経過し、更には千尋、薫、草薙の順で正座で座っている。

 そして、その向かいには何故か剣道の防具を見に包んだ三人の男が正座で座っている。


 わけがわからない。一体何故異種試合(こんなこと)になったのだろうか?


「近衛がお前の空手を見たい、と言っていてな」

「――それは聞いた」

「まぁ、聞け。それでな、篠原も空手に興味があるらしく、試合を見たいらしくてな。それで、急遽近くの剣道道場の有段者三人にお越しいただいたんだ」

「帰っていいか?」

「駄目だ」


 即答だった。


 薫はやるせない気持ちで背後に座る見学者に視線を向けた。

 近衛と篠原は何故か目を輝かせて食い入るように見ている。

 視線を目の前に座る三人に向ける。全員が薫に向けて殺気を込めた目を向けてきている。おそらく、皆薫に恨みがあるのだろう。


 ――こういう相手は……武道精神など皆無だろうな。


 人間は恨みの対象と対峙すれば、どのような手段を行使しても、必ず勝とうとする。

 草薙がいい例だ。いつも、薫に関節技を極められ、ギブアップをするくせに、離されると直ぐにまた襲いかかってくる。更には時折足を踏んで動きを封じてくる。


 今回の試合でそのような手を相手が行えば、こちらもそれ相応の返答を返す必要がある。


 ――もしそうくれば、俺は手を下すぞ。格闘技の範疇で済めばいいがな……。


「なんだ鬼桜ぁ? アンタまさか、怖いのか?」

「ほざいてろ、クソアマ」

「おい! 今なんて言った!? なんて言ったかわかんないけど、悪口だってことはわかるぞ!」


 草薙は食ってかかるが、薫は無視を決め込む。

 ちなみに、薫の罵倒の英語を理解出来る千尋、煜、レイラの三人は小さく笑っている。

 が、レイラが立ち上がり、道場の真ん中に立ち、双方に視線を向けると、声を張り上げた。


「審判を勤めさせてもらうね。相手を再起不能、もしくは降参させれば勝ち! 勝てればなんでもオーケイ! 試合が続行不能と私が判断すれば、そこで試合は終了だよ!」

「わかりやすい」


 レイラの説明に薫がコクリと頷く。が、それだけでは草薙は小首を傾げるだけだった。


「反則は?」

「ないよ」

「はぁ!?」


 簡潔な返答に草薙は声を漏らした。

 空手――主に薫達の行うフルコンタクト形式のルールでは、顔面や金的などの突きや蹴りを禁止されており、制限時間内に双方が攻防を繰り広げ、その内容を見て審判が勝敗を言い渡す。


 それに対し、剣道のルールでは、四分以内に一本を先取した側の勝ちというよく知られたルールである。

 もっと細かく言えば、剣道は反則を二回取られるとその者に一本を言い渡される。


 嘗て、剣道は異種試合を行っていたらしいが、そのどれも鎖鎌や銃剣、薙刀などとの試合が主だったらしく、今では薙刀との試合以外に主立ったルールは取り決められてはいない。

 そんなものを相手に、いちいちルールを取り決めるのにはそれなりに時間を要する。それなら、レイラが言ったようにこれといったルールを作らないというのも手ではある。


 だが、それに納得の出来ない草薙は立ち上がり、レイラの胸ぐらを掴んだ。


「ふざけんな! これは遊びじゃないの! 真面目に審判しないとぶっ飛ばすよ? 異種試合はそれぞれルールが違うから共通のルールを作って危険がないようにするのが当たり前! それなのに、ルールを作らないって何? どういう事よ!?」


 何故か喧嘩腰だが、彼女はそれを認めるだけの実力はある。加えて、彼女の主張はどれも正論である。

 だが、今回は相手が悪い。口で、というよりも腕っぷしで。

 千尋が止めようと立ち上がりかけるが、薫がそれを手で制する。


「いいのか?」

「アレが相手を見て物を言うことを学ぶいい機会だ」


 ――驚く面が目に浮かぶな……。


 薫は不敵に笑い、チラリとこちらを見るレイラに、「好きにしろ」と手をヒラヒラと動かす。


「……出来るものならやってみれば?」

「何?」

「出来るものならやってみろって言ってんの。アンタ、薫を殺すために躍起になってるらしいけどさ……その程度じゃ傷をつけるどころか、すぐに殺されて終わりだよ。……薫、思ってたこと言っていい?」


 何故かこちらにまで飛び火が来たのだが、好きにさせておこう。

 壁際には門下生たちやその保護者など、更には折角来た剣道有段者三人までも待っている状況なのだが、薫にはどうでもいいだろう。


「好きにしろ」

「じゃあ、そうさせてもらうね。……薫、鈍った?」


 レイラの的を射た言葉に薫は虚をつかれ、更には黙っていた千尋と煜も瞠目している。

 その反応を見て、レイラも「やっぱり」と声を漏らした。


「来た時に襲われた対応を見て思ったんだよね。昔よりも弱いな、って。本来なら、私なんか軽く遊ばれるはずだから――」

「――ふざけんなっ!」


 レイラの言葉を黙って聞いていた草薙が吼え、一気に右拳を放つ。


 確かに、レイラの薫への指摘は――遠回しに草薙への暴言にも近い。言外にレイラは伝えてきているのだ。


「昔の薫なら、草薙程度の相手なら一瞬で殺すことが出来ただろう」


 レイラと同じことは、海外にいる腕利きの悪党の知り合いに会えば、よく言われることではあるのだ。

 昔の方がイカしてカッコよかった、クールだった、目が死んでいる、などと色々言われているものだ。

 まさか、それがレイラからも言われるとは思わなかった。


 レイラは自分に向けられた右突きを払い、そのまま左手で流す様に引き、右の腕を相手の首に当て――草薙の体重移動を利用して投げた。

 まるで流れるかのように――しかし、キレがあり素早い動きで、気付いた時には草薙は宙を回っていた。

 合気道の投げ、入身投げだ。

 草薙の身体はその場で一回転し、本人が気がついた時には既に地面で寝転がっていたのだ。


「……!?」


 投げた本人は冷ややかな笑みを浮かべ、それを見ていた皆は騒然としていた。特に、千尋と煜が。


「合気道……!? 彼女、日本にいたことは?」

「わかる範囲ではねぇな」

「だったら……!」

「そこまで驚くことじゃねぇよ。俺も合気道は使える。ボスに習ってな」


 その言葉に、千尋はこちらに視線を向ける。その目には、言外に信じられないと言っているのがわかる。

 だが、これは事実だ。

 薫とレイラが使う暗殺術は、合気道をベースに複数の武術を混ぜ込んだものだ。

 その為に、初めに師匠から合気道を叩き込まれたのだ。


 ――お袋に日本語を習ったにしては、優しいイメージだったが……どうやら、お袋に似た部分もあるようだ。


 実に滑稽だ。再開した時からおかしいとは思っていたのだ。言葉遣いが健気な少女のようであることに。

 それもどうやら、猫被りだったらしい。


 レイラは地面に寝転がり、何が起こったのかを理解していない様子の草薙を見下ろし、


「アンタがどうしようが知ったことじゃないけどさ、相手見て物を言わないといつか死ぬよ。少し力があるからって、経験が足りなさすぎんの。わかる? 私らみたいに慣れた人の手にかかれば、アンタ程度すぐに殺せるの」


 ――へぇ、言うじゃねぇか。


 だが、レイラの言い分は正しい。どれも事実だ。

 レイラは薫に視線を向けると、いつものように可愛らしい笑顔になった。


「やっぱり、鈍ったね」

「ぬるま湯に浸かり過ぎたようだ。昔の様に戻りてぇな」

「戻れるよ、薫ならね。……それじゃ、ちょっと騒ぎになったけど、始めるね。先鋒戦、選手は出てきて」


 仕切り直す様に、レイラが声を上げる。


 それを聞き、バツの悪そうな顔をして草薙が立ち上がり、乱れた道着の裾を正す。

 相手からは、こちらから見て一番右側、少し強面の男が面を着け立ち上がった。


「薫、これはどうなると思う?」

「……あいつ、それなりに出来るな。それに、あれだけでは特に問題にはならねぇだろうが、一瞬だけ実力を見られた。身長――」

「その辺はいい」

「――手足共に右利き、体重移動は普通の剣道と違い、我流だろう。……見た目よりも軽い。あいつ、速さが自慢の人間だ」

「なるほど、それに比べて草薙は一点集中のパワー型。スピードは最近気にしだした程度。動体視力は並程度、剣の速度についていく視力は生憎となし」

「そういうことだ」


 やはり、長く空手をやってる格闘家にはこういう話では結構合う。それに、こちらが全てを言わなくても先に気づき続けてくれる。

 やりやすい奴だ。


「草薙、相手の動きをしっかり見ろよー。特に手首の動きをなー!」

「わかってます、師匠!」


 千尋の指摘に草薙は素直に頷く。


 相手は鎧を着込んでいるが、その分こちらは身軽。

 まぁ、草薙はそれを見て勝気でいるが。


 レイラは双方の準備が整ったことを確認し、ひとつ頷く。


「準備はオーケイ? 私が危険と感じた行為は、止めに入るからね。……力づくで」


 一瞬の殺意を込めた言動に、草薙と相手の剣道有力者は、ゾクリと身震いした。

 背後から門下生達の応援の声がする。中には篠原と近衛の応援の声もするが、果たしてどうなることやら。


「それじゃ、試合開始!」



 レイラが声を張り上げ、二人が一歩分後退。

 相手は一歩下がった瞬間、全身のバネを使って踊りかかってくる。

 構えは上段。


「!」


 上段を受けようと手を出したところを、荒い弧を描いて狙いは足。


「くっ!」


 反射的に身体が動き、一太刀を払う。


 ――いきなりフェイントかよ!


 一旦距離を開けようとトンボを切るが、それに合わせて相手も追ってくる。鎧を着ているにしては、予想以上に速い。


「面っ!」


 咄嗟に上段受けをとり、直後左腕に感じる鈍い痛み。

 それを思考から外して、右の拳に渾身の力を込め――

 一気に突く。


「えいっ!」


 気合の息吹を込め、突き込んだ中段突き。相手の身体は衝撃で後退を許した。

 相手の驚く顔が面越しに見て取れる。それを見て、少し機嫌が良くなった。


 先ほどの審判の態度が頭にくる。両親の仇である男と仲良く会話し、挙げ句の果てには自分のことを遠回しに弱いと言い捨てた。

 これほど頭にくることはない。しかも、鬼桜は認めるかの様な言動を取った。

 どこまで侮辱すれば気がすむのか。


 だが、今は目の前の相手に集中することが最優先。

 今回の試合は勝ち抜き戦ではない。先に二勝すれば勝てる。草薙が勝ち、屈辱だが鬼桜で勝負を終わらせる。


「ふぅ……!」


 小さく息を吐き、一気に駆ける。相手は表情を引き締め、八相の構えで竹刀を握る。


 拳の射程距離まで入ると、再び渾身の突きを打つ。

 が、


「籠手っ!」


 手の甲を打たれ、軌道をずらされる。

 そのまま――


「胴っ!」


 腹部を強く竹刀で打たれる。


 ――クソッ!


 男の追撃が止まらない。

 突き、面打ち、切り上げ、胴、袈裟斬り――こちらは防御をしても、その隙間を掻い潜られどんどんと打ち込まれる。


「師範頑張ってー!」

「鷹穂ねーちゃん、負けるなー!」


 声援がとても遠くに聞こえる。

 少しでも防御を解けば、とどめを刺される。だが、このまま防御をしていてもジリジリと体力を削られ結末は同じ。


 ――どうする?


 ここで敗北を認めてしまうことはどうしても避けたい。

 だが、自分は相手の速い動きにもついていけず、更には剣筋を見極めることは出来ない。


 ふと、先ほどの師匠の言葉を思い出した。


 ――『相手の動きを見ろ、特に“手首の動き”を』


 そうだ、師匠は初めから戦いのヒントを教えてくれていたではないか。


 双眸を鋭く細め、相手の手首の動きに意識を向ける。


 ――上段の突き!


 左足を軸に半回転、突きを掻い潜り鳩尾の位置に肘を打ち込む。相手が怯んだところを、先ほどとは逆回転。相手の足を蹴り払い、転ばせた。

 その一連の動きを見て、審判の女が少し驚いた表情を見せた気がしたが、生憎とそちらを見る余裕すらない。


 ――少しでも気を抜けば負ける!


 自分に喝を入れ、尻餅をついている男目掛けて胴回し回転蹴りを叩き込む。


 相手の面を上から一気に叩きつけたかに思えた。タイミングとしては完璧だった。

 しかし、蹴りは空を切った。男が身を捻って躱したのだ。


 立ち上がろうとした次の瞬間、鳩尾に抉り込まれるような感覚に、込み上げてくる嘔吐感。

 そして、こめかみに響く鈍痛に、人中を打ち上げられた。


「か……は……っ!?」


 その場に倒れ、あまりの痛みに動けない。何が起こったのかを理解しきる前に、彼女の意識が闇の中へと沈んでいった。


 結果は、慢心が生んだ惨敗だった。



「勝負あり!」


 レイラの一声により、試合が止められた。


 薫は立ち上がり、草薙の身体を担ぎ座っていた場所に下ろす。


「野郎、徹底的に人体の弱点を狙いやがったな」

「途中からはよかったんだがな……」


 最初のうちは、薫の予想通り慢心が生んだ隙をとことん突かれた。

 反則とは言わないが、女を相手にするには残虐的だろう。人のことは言えないが。


「ここからは勝ち抜き戦にしてもらおう!」


 相手の野太い声が面越しに聞こえてくる。

 大方、あの男にとって、薫は余程の憎悪の対象なのだろう。いや、もしくは全員がそうかもしれない。


 レイラはこちらに采配を求めて視線を向けてくる。断る理由はない。


「……好きにしろ。だが、二人までだ。大将は大将同士でやれ」


 薫は隻眼を鋭く細めて睨んだ。


 薫は先ほどまで草薙が戦っていた場所に足を踏み入れる。

 レイラはこちらを見る目が変わり、ニヤリと好戦的に笑った。


「その顔……懐かしいなぁ。薫、戻れてるよ」


 冷徹で残虐的な顔でレイラをチラリと見る。だが、笑いかけることはない。


「……全盛期に比べれば、まだ足りない」


 そう言い捨て、目の前に立ち竹刀を構える男を見据える。


「き、鬼桜さん……頑張ってください!」

「頑張ってくださいー!」


 篠原と近衛の声援が聞こえる。そちらを見ずに、ひらひらと手を挙げて声援に応え、腕を身体の前でクロスさせ十字を切った。

 そして、レイラにひとつ頷く。


「……準備はいい? それじゃ、始め!」


 合図と同時に上段に持ち――竹刀を振り下ろす瞬間、喉仏に前蹴りを繰り出し、昏倒させた。面についた喉当て越しに喉仏を的確に蹴った感触を味わう。


「そこまで!」


 勝負は一瞬。たった一撃で終わった。

 薫にとって、この男はただの雑魚。首を掴み、仲間のところに放り投げてやる。


「来い。次だ」


 真ん中に座っていた男が竹刀を持って立ち上がり、


「うおぉおおぉぉっ!!」


 雄叫びをあげて躍りかかってくる男を上体の動きだけで躱し、中段突きを打ち込み、そのまま上段後ろ回し蹴りを面に守られている側頭部へと叩き込む。

 バチィッ――と音が道場内に響き、男が三メートルほど吹っ飛ばされた。


 薫は飢えた獣のような眼光で起き上がろうとしている男を睨めつける。


 不意に、視線を感じ、小窓の外に視線を向ける。

 そこでは一人の女が中を覗いていた。

 ブロンドの髪を後頭部で結い、一見するとOLのような印象を受ける。上質なシャツにジャケット。

 だが、目を見ればわかる。兵隊だ。


 薫はその女を知っている。とても懐かしい顔だ。

 千尋も薫の視線を追って女がいることを気付き、動こうとしたが、目で制した。


「どこ見てやがる!」


 背後から大声で叫ばれ、今が試合中であることを思い出した。が、そちらは見ない。


「おらあぁぁああぁっ!!」


 男の近づいてくる足音に、絶叫が耳に入る。


 ――地面の沈み具合、構えは上段。空気の流れから、右斜め三十七度から左斜めにかけての大振り……。


 薫はそちらを見ずに身体を逸らして攻撃を躱した。


「なっ!?」


 男の驚く声が耳に入り、更にはそれを見ていた門下生たちからもどよめきが漏れる。子供の門下生達は「すげえ!」と大歓声を上げている。


「ほら、どうした? 好きに斬りかかってこいよ」


 薫は視線をこちらを覗く女に向けながら、背後の男に告げる。

 女は薫に手を振り、薫はそれに冷ややかな笑みを返す。女はそれを見ておかしそうに微笑んだ。


「こッのッ野郎ッ!! 舐めやがってぇッ!!」


 男が竹刀を握り、振り下ろすまでの動作が手に取るようにわかる。

 そちらも見ずに、竹刀を躱し続ける。時には突きも交えて攻めてくるが、薫はそのどれもを躱し続けた。


「くそおっ!」

「下がガラ空きだ」


 薫は振り返りざまに足を払い、その勢いを殺さずに、倒れ樣の側頭部目掛けて後ろ回し蹴りを一切の加減なく蹴り飛ばした。

 パァンッ――と音が響き、またも男の身体は大きく飛ばされる。


 薫は倒れこむ男に近づき、


「終いだ」


 水月目掛け、加減なく下段突き。

 ズドンッ――と衝撃が地面を走り、防具が砕け散り、男が面越しにも泡を吹いているのがわかる。


「そこまで!」


 レイラの声が響き、観客の歓声が大きく響き渡った。


「すげえぇぇぇえぇっ!」

「マジかよ! 躱しまくってたぞ!」


 千尋の側に戻ると、草薙も目を覚ましていたようで、目をぱちくりとさせている。


「お前のは、油断が招いた結果だ」

「う、うるさい!」

「薫、あれは誰だ?」


 千尋の視線の先には、先ほどの女がいる。


「ちょっとしたロシアの知り合いだ」

「ロシア?」


 千尋が首を傾げるが、薫はそのまま女の元へ。


「鬼桜さん! 凄かったです!」

「そいつはどうも」


 篠原に賞賛され、取り敢えず素っ気ない返答を返し、女の元へ。


「姉貴、久しぶりだな。こっちには仕事か?」


 ロシア語で声をかけると、ひとつ笑ってから日本語が帰ってきた。


「久しぶりね、ウィル。仕事は終わって、一日休暇よ」


 女は笑ってそう答えた。近づいてわかったが、彼女はシャツの隙間から覗く胸には火傷の痕がある。


 彼女の名は、ソフィア(София)アバカロヴァ(Абакарова)。通称"ヴァローナ(カラス)"として知られ、ロシアでは一番の勢力を誇っているマフィアの親玉だ。


 彼女のことを「姉貴」と呼ぶ者は世界広しといえど、薫だけだろう。

 ちなみに、初めは「母親と思ってもらって良いぞ?」と言われていたが、殺し屋時代の薫は「お袋は間に合ってる」と答え、姉ということで手を打ったのだ。


「その面、何年ぶりに見たか」

「戻ってたか?」

「まだ以前のような威圧感はないわ。けれど、今よりは幾分もクールだった」

「そいつはどうも。何だったら、上がって見ていくか?」


 薫はそう提案する。

 ソフィアは少し考える素振りを見せ、ひとつ頷くと立ち上がった。


 入口の方へと向かった様で、薫は入口に向かおうとして、不意に立ち止まった。

 鼻に突くような異臭、嗅ぎ慣れた鉄の臭い(・・・・)濃密な血臭(・・・・・)臓物の臭い(・・・・・)

 気になって、ソフィアがいた場所をもう一度見てみると、全身血だらけで転がっている肉塊が三つ見つかった。

 どうして今まで気づけなかったのだろうか? 彼女と久しぶりの再会だからか? それとも、周囲の確認を怠っていた自分のミスか。

 しかも、ひとつは見覚えがある。

 昨夜、銃撃戦を繰り広げたルリエンスだった。


「……ククッ、ハハハッ! 流石は元第四五独立親衛(スペツナズ)特殊連隊の大佐だ。白兵戦でも衰えてはいないようだな」


 薫は急いで入口に回り、ソフィアを招き入れる。


 ソフィアは中を一望し、微笑を浮かべた後、ヒールを脱いで裸足になり、道場に一礼をしてから足を踏み入れた。

 それを見た千尋は、「へぇ」と声を漏らし、煜は「またアイツに女の知り合いが!」と項垂れている。ぶれない奴だ。


 どうやら、薫が倒した男の手当てをしているようで、一旦試合は中断となっていたらしい。


「ここで座っていてくれ。そこで項垂れている男が日本での仲間だ。後、今相手を手当てしている男が日本での俺の上司であり仲間。で、あそこで立っている金髪の女が俺の妹だ。で、こっちを見てる赤髪は因縁あり。そこで唖然としてる二人の日本人は今の仕事の依頼人だ」


 薫のロシア語での雑な説明に、ソフィアは相槌を打ちながら一人一人に目を向けていく。帰ってくる言葉も先ほどとは違い、ロシア語だった。


「他はここの門下生と言ったところかしら? では、なぜこちらを睨んでいるの?」

「あぁ、気にしないでくれ。それより、聞きたいことがある。外に転がってる連中なんだが……」


 それだけを言うと、何が言いたいかを理解したようで、「あぁ」と口を開いた。


「ここを通りかかる時に中を覗いていてな。何を見ているのかと思えばお前と更にその日本人の女だ。そして、無線機を手に何か言っていたからな。痛めつけさせてもらった。白兵戦は随分と久しぶりだったけど、なかなかどうして鈍ってはいないものだな」

「姉貴の鈍ってる姿なんか想像出来ねぇよ」


 薫は笑い、ソフィアもつられて笑った。


「薫、そろそろ大将戦を始める。ここ座っとけ」

「はいよ」


 千尋にそう返答し、ソフィアに告げて草薙の隣に戻る。


「誰だ? アイツ」

「口には気をつけろよ? あの人、容赦ねぇぞ」


 それだけ伝え、視線を前に向ける。


「準備はいい? それじゃ、最終戦……始め!」


 レイラの開始の合図が道場内を木霊し、その数秒後に勝敗は決した。

 千尋の正拳突き、たったこれだけで防具を粉々に砕き、十メートルほど離れた壁まで殴り飛ばされ背中を強打。肺の中の空気と共に、僅かに口の端に血を滲ませ意識を奪った。


「そ、そこまで! ……うっそ、ホントに?」


 試合終了を告げたレイラでさえ、あまりの出来事に呆然としてしまっている。

 ソフィアなんて、好戦的な笑みを浮かべているほどだ。


「まぁ、二勝一敗で俺たち氷崎極真館の勝ち」


 薫がそう告げ、千尋が残心を解く。

 そして、三人に近づき礼をした。


「この度は急な呼びかけに応じていただきありがとうございました。これからも、精進していくことを」


 数々の女を自然と虜にしてきた笑顔で握手を交わし、薫たちの元へ戻ってきた。

 剣道有段者の三人はそそくさと帰る準備をして帰っていった。

 道場を出て行く際、恨みがましい目で薫を見てきたのは余談だ。


「薫、あの人は?」


 レイラが近づいて来ると、ソフィアに視線を向けて尋ねてくる。

 レイラはおそらく気づいているのだろう。彼女から漂う、染み付いた血の臭いに。


「昔話しただろう? 姉貴だ」


 そう言うと、理解したように「あぁ、あの……」と声を漏らした。


 レイラには彼女のことを殺し屋時代に話したことがある。様々な逸話を冗談半分で聞いていたが、そのどれもが真実だと風格からして明らかだ。


 ふと気付けば煜が話しかけている。


 ――行動が速い……。


「なぁ、姉ちゃん薫とどんな関係?」

「……? ウィル、通訳してくれ」

「姉貴、そいつロシア語は理解出来る」


 薫の言葉に千尋と煜が驚きに目を見開いた。近衛と篠原は全く言葉を理解出来ていない。


「あ、姉!? ってホンマですか!?」

「血のつながりはないわ。私がそう呼ぶように言っただけよ」


 煜は驚愕に足が震えてしまっている。

 が――


「……!」

「早速、狙い通りになったわけか」

「タイミングが悪い。俺らにとっても――連中にとっても」


 篠原と近衛は言葉の意味がわかっていない。

 ソフィアは、言葉はわからないが、態度を見て何事かは理解したらしい。双眸が鋭くなっている。


「着替えてくる。それまでは任せる。レイラ、篠原は任せたぞ」

「わかった!」


 薫は大急ぎで更衣室に入り、着替えを始める。

 薫が更衣室に入ってすぐ、入口から発砲音が鳴り響き悲鳴が道場を轟かせる。


「動くな! 全員一箇所に集まれ!」


 英語で叫ぶ声が聞こえる。


 ――取り敢えずは計画通り、か。


 一般人を巻き込む惨事となってしまったため、タイミングとしては最悪過ぎるが……。


 癪だが、連中(警察)を呼んでおくのも手だ。


 和希に襲撃にあったとメールを入れておき、薫は着替えを終わらせ持ってきていたコンバットナイフを足につけ、ポケットに弾倉(マガジン)を入れ、カスタムされたガバメントを手に持ち、髪を掻き上げて大荒れの道場内に姿を見せた。

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