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四天王  作者: シュガーイーター
ライオネル・ソウル編
4/34

再開

感想、ブクマ等いただくと跳ねて喜びます。お気に入りになった場合は、是非よろしくお願いします。




2017,9,30。改行、加筆修正。


2018,3,7  一部分をカットしました。

「……なるほどな。つまり、お前はタバコを吸ってたわけだ」

「まぁな。……あ」


 余計なことを言った、と薫は顔を青ざめる。が、すぐに割り切ったように元の仏頂面に戻った。

 過ぎたことは仕方がない。うっかりそこまで口を滑らせてしまうとは思わなかった。どうやら内面的にもかなり甘ったれになってしまっているらしい。

 本来、氷崎グループ内は禁煙。一フロアにひとつずつある喫煙ルームでしか吸えない。


 千尋は怖い笑顔を浮かべ、不吉な雰囲気を纏いながら言葉もなしに威圧してくる。


「で? お前は何処で吸っていた?」

「廊下」


 千尋の確認の問いに、薫は即答する。それだけで、千尋のこめかみがピクリと動いたのを見逃さなかった。

 大層ご立腹のようだ。


「覚悟は?」

「ねぇな」


 刹那、薫は踵を返して全速力で駆け出した。それは常人なら消えたようにしか見えないだろう。本来なら間合いを詰める為に用いる歩法である縮地を使ったのだ。

 薫は一心不乱に地面を蹴り、とにかく出口に――階段に向けて足を動かし続ける。周りの風景が勢いよく流れていく。


「逃がすかッ!」


 だが、千尋はそれよりも速かった。単純な縮地の技量に関しては、薫の方が上だ。ただ、千尋の方がコンマ一秒早く縮地を用いたのだ。

 走る薫の先に千尋が現れ、薫の顔を鷲掴みにして壁に叩きつけた。しかも、どうやらよほどの力を振るわれたらしく、叩きつけられた壁に大きく亀裂が生じる。


「ガッ……!」


 鈍痛が叩きつけられた側頭部に響く。当たりどころが悪ければ、こめかみに直撃して今以上の激痛に悶えていたかもしれない。

 まぁ、実際痛いことには変わらないのだが。


 千尋が手を離すと、薫の身体が重力に従い地面に倒れ伏せる。痛みに悶え、側頭部を抑えながら地面を転げ回る。

 千尋はそれを見て、呆れ混じりのため息を吐く。


「ったく……これで勘弁してやる」

「痛〜ッ!」


 薫は涙目になりながら立ち上がる。予想以上に痛い。頭がジンジンする。耳鳴りもするが、まぁいつもの殺し合いに比べればまだマシな部類だ。

 しかも、これで勘弁してやるときた。つまり、千尋にとっては今の膂力も大した力は出していないということになる。

 自分が行ったこと(・・・・・・・・)とはいえ、改めて考えると恐ろしくなるほどの膂力だった。


 その時、ふとあることを思い出した。

 副業の会議だ。強面のおじさんばかりの集まるものだが、それでも自分以上にドス黒い雰囲気を醸し出せる存在はいない。しかしながら、堅気とは程遠いその雰囲気がどこか心地よく感じる。


「なぁ、今何時だ?」

「はぁ? 午後の二時過ぎだが?」


 薫はそれを聞くと表情を鋭くした。

 確か、赤崎が言っていた会議は昼の三時からの筈。会社を出るとすれば頃合いだろう。


 ――そろそろ出るか。


 薫は痛む頭をさすりながらゆっくりと立ち上がる。

 流石に春になるとモッズコートを着ていては暑い。夜になるとまだ冷えるが、昔の仕事の関係で極寒地に赴いた経験からか寒さにはめっぽう強い。暑さにも比例して強いが。

 さらに加えて、先ほどの戦闘で服の一部が焼け焦げ、未だ腹を見せたままになっている。

 流石にこのままでは面倒な騒動になりそうだ。一度家に帰り、服を着替えたほうがいいだろう。


「悪い。俺帰るわ」

「何だ? 用事でもあるのか? 行くにしても戻して(・・・)から行け」


 千尋が訝しげな様子で尋ねてくる。


「まぁ、そんなところだ。それに、もう戻した(・・・・・)


 千尋はまだ怪しんでいたが、薫は踵を返して千尋に背を向けた。


 千尋の『戻せ』の意味は、薫の魔術を使って損傷した会社を損傷する前の状態に時間を戻せ、ということだ。それが自然についた傷ならば意味をなさないが、人為的に破壊されたりしたものならば元に戻すことは容易だ。


 一度家に帰るのならば、もう一度歩いて出るのは些か疲れる。それなら、家に置いてあるバイクを利用する。


 ――バイクにも、たまにはエンジンに火をつけてやらねぇとな。


 薫が持っているバイクは黒を基調としたビッグスクーターFORZAだ。オーディオが聞け、収納スペースも広いため薫はそれに決めた。

 他にももう一台あるが、主にそれを使っている。


 薫はバイクや乗り物には興味がない。だが、足がないとなかなか不便でもある。それにより、千尋に色々頼んで何台かバイクを選んだ。

 それに合わせ、黒一色のフルフェイスヘルメットも購入しているが、使った試しがない。

 つまり、ノーヘル運転。犯罪だ。よく白バイクや見回り中の警察と出くわし、追いかけられている。その度に撒くのに一苦労だ。


 本来乗り物酔いする薫だが、自転車やバイクなどでは何故か酔った試しがない。なのにも関わらず、幼い頃ブランコで酔った経験がある。ちなみにメリーゴーランドでも酔った。


 薫は家に戻る為にエレベーターに乗ろうとボタンを押し、エレベーターが到着するのを待ち構える。

 千尋はまだ信じていないのか、ここまで送り迎えしてくれている――というより、見張っているかのようだ。


「お前、他の連中みたいに仕事の掛け持ちしてないんだろ? じゃあ何してるんだ? 暇な時」


 千尋の問いに、薫は微笑を浮かべて返した。


「知ってるだろ? 社長殿」

「……ゲーセン、か?」


 千尋の確認に薫は何も言わない。

 否定とも肯定とも取れる態度を見て、千尋は少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。


 四天王は皆、氷崎グループ以外にも仕事を持っている。

 例えば千尋は極真空手の範士。子供に空手を教えて鍛えるかわりに金も貰っている。しかも、人当たりの良い性格に整った顔立ちをしている為、女性ウケもいい。

 その他にも、三ツ星レストランオーナーや、総合病院の院長など多岐に渡る。


 そして、薫は暴力団。だが、周りには隠している。その他に千尋と同じ職業をいくつか。

 薫が氣櫻組に入って早三年だが、今の所千尋たちに気付かれた様子もない。


「それよりどうするんだ? どうせ、またマスコミが来てるぞ」


 マスコミは四天王関係に何かあると、かなりの人数の死者や行方不明者が出るような大きな事件や事故が起きない限り、必ずと言っていいほど四天王の事件を報道する。

 その真意はわからないが、薫はそれを避けて行動している。


「また質問に答えて帰らせるさ」


 千尋は苦笑気味に首を振り、肩を竦めてみせる。

 マスコミからは時折頭に来るような質問も来ることがある。その時は薫がその会社を潰しにかかるか、千尋御自ら威圧をかける。


 その時、エレベーターが到着し、ゆっくりと開いていく。開け放たれたエレベーター内の様子を確認し、乗り込む。千尋も後をついてエレベーターに足を踏み入れる。


「……で、他に用か?」


 薫はそちらを見ずに言葉を発する。背後から感じる視線は鋭く、相手を値踏みする時に千尋がよくするものだ。


「薫、隠し事は無しだとはもう言わない。だが、たまには道場に顔を見せろ。子供達が恋しがってる」


 千尋の言葉に、薫は馬鹿にしたように鼻で笑った。だが、表情は何も変わっていない。


 薫は千尋達に自分のことはある程度教えた。力のこと。嘗ての職業のこと。化物のこと。ある程度は話している。しかし、隠蔽されているものまでは伝えていない。

 だが、今回の襲撃で相手が答えた薫の情報には隠蔽していた情報が含まれていた。


 ――思えば、アイツだけだよな。知ってる奴は。


 知り合いの貧民街育ちの情報屋のことを思い出し、苛立ちを内に秘めながら、今度お礼参りに行こうと頭の片隅に刻みつけておく。

 その情報屋は腕はいいのだが、少々人柄に問題がある。それでもあの類の人間は――特に日本という国においては数多くいるだろう。


 薫は隻眼を鋭くし、背後で背中を壁に預けている千尋に視線を向ける。目が合い、お互い剣呑な雰囲気がエレベーター内に漂い始める。


「……そうだ。伝え忘れていたことがあった」

「何だ?」


 薫の言葉に千尋は反応を示す。

 だが、その目は鋭く細められている。どうやら、千尋の気を削ごうという考えに捉えられたのか、いつでも対応出来るように臨戦態勢になっている。


 ――信用のないものだ。


 だが、その一方で千尋のこの態度は良い兆候とも言える。

 一度の戦争に参戦した経験のある千尋だったが、それは相手が意志や理性の存在するものだったから。

 しかし、三年前の大厄災に関しては、そんな経験なんて何の役にも立たないものだった。


 今でこそ、こうして身内に油断ならない存在がいるから出来ているが、そうでなかった場合にはどうしていただろうか。想像に難くない。


「今回の敵、連中(・・)が一枚噛んでいる」


 それを聞き、千尋はピクッと眉を動かした。


 薫を除く、千尋達三人には、内に秘める憎悪がある。

 薫達が生まれ育った世界はたった一日で『災厄の世界』と呼称される現象が起きた。それを行った黒幕を復讐の対象として、追っているのだ。

 人間嫌いだった薫にとっては、元々持っていた嫌悪感しかないが、他の三人からしてみれば憎くてたまらない相手だ。

 いつか必ず、その関係者を皆殺しにしてやる、と憎悪の言葉を並べていた光景が懐かしい。


 千尋は一見すると特に反応を示していないようにも思われるが、組んでいた腕に力が込もっている。まさに噴火寸前の火山のような印象を与えられ、エレベーター内に恐ろしいほどの怒気が充満する。


「……その根拠は?」


 念の為か千尋は確認の声を出す。

 この反応は概ね予想通りだ。だが、あの組織絡みとなると致し方ないが、四天王は――薫は別として――怒りをあらわにする。


 薫はポケットに入れていたルーレンのピアスを投げ渡す。

 千尋はそれを掴むと、忌々しげにピアスを眺め出す。

 そして、小さく掘られたフランス語の文字に気づくとハッとした表情で目を見開き、次の瞬間にはピアスを握り潰していた。

 呼吸は荒く、額にも血管が浮かんでいる。表情も先程までと違い、禍々しさが垣間見える凶相になった。


 千尋はゆっくり深呼吸をし、ポケットから常備している精神安定剤の入った瓶を取り出し、中から二錠掴み取り、口に放る。

 ガリッ、ゴリッと錠剤を噛み砕く音に次いで、それを飲み込む音が静かなエレベーター内でよく聞こえてきた。


 しばらくすると、ようやく落ち着いたようで普段の表情に戻っている。だが、未だ憤りは収まっていないらしく語気は強めだった。


「……わかった。二人にも伝えておこう」

「何かわかったらまた連絡する」


 その言葉を合図にエレベーターの扉が開かれた。




 エントランスホールに出ると、予想通り沢山のマスコミ関係者が詰め掛けていた。それに一人一人に対応している秘書の津村が落ち着いた様子で声を張り上げている。


 すると、薫がそれを尻目にこちらに向き直った。


「じゃ、俺は行く」

「おう。また、何か決まったら連絡する」


 その言葉を合図に薫の姿が消えた。比喩ではなく、本当に煙のように消えたのだ。

 転移魔術。魔術の難度としては最高難度──つまりは、第五位階──として知られている魔術だ。千尋では詠唱なくして使うことは出来ない。いや、寧ろ成功する方が少ない、謂わば未だに完全には習得出来ていない未完成のものだ。どころか、恐らくその筋で知られる一流の魔術師の多くも、主に転移魔術を習得している者で、出来て詠唱の省略程度だろう。

 そもそも、一流魔術師ならせめてひとつは第五位階の魔術を使えるようになっているのが常である。その証拠に、千尋もひとつだけ第五位階に分類される魔術を使えるし、薫と千尋を除いた二人も同じくひとつずつ習得している。千尋が転移魔術を完全に成功できるようになれば、ふたつの第五位階に分類される魔術を扱えるようになるということだ。

 とは言っても、そこはやはり最高難度と言われるだけはあり、一流と呼ばれる彼らの中の何割かは第五位階の魔術を習得出来ていない者もいる。そういったところから、必ずしも第五位階を使える必要は無いのだ。使えない場合、一流魔術師の判別がかなりシビアなことになるのだが。


 それにしても……。


 ――いつの間に術式を展開したんだ……。しかも、詠唱破棄か。


 魔術の使用は、術式の構築から始まり、使用者の魔術回路から魔力を流し、術式を展開させる。

 手順としてはこれだけ。これだけを見ると簡単なことではある。術式は最低限形だけ出来ていれば後はどうにかなる。

 しかし、その分威力も落ちるし制御も難しくなっている。術式は数式の塊であり、高難度の魔術を使う場合、数式の量も自然と多くなってくる。文字をなくして数字のみにすれば、下手をすれば十億を超える数字の羅列だ。その場合、少しでも弄ってしまえば無力化され、発動されることがなくなる。

 簡単なように見えて、案外難しい。


 だが、薫はその工程のふたつを一気に飛ばして魔術を使用している。更には構築中の術式を見て、それが何の魔術かを理解し、術式を崩すことも可能としている。それが例え魔術でなくても、術式があれば大抵のことは理解出来る。

 そして何より、薫の魔術の才はおかしな事になっている。先述の第五位階の魔術を、詠唱破棄で少なくとも三十。それを省いたものは、詠唱して、確認されているものは全て扱えるというぶっ壊れである。しかも、時折新たな第五位階の魔術を創作したりする辺り、そのチートとも言えるような技量は留まるところを知らない。

 それに加え、魔術の上にある魔法と称される第六位階。机上の空論として語られる、第五位階の更に上に分類される第六位階の魔法の計五つ。魔術師はそれらの魔法を編み出すという偉業を成し遂げるという悲願を掲げている。それは、魔術の深淵を覗いた者達にも簡単にはいかないもので、それを成し遂げるだけでその業界に大きな衝撃をもたらすであろう超絶難度の魔術。その内のふたつを扱えるという偉業を成し遂げていたりする。片方は本人の意図とは別に、という注釈がつくのだが。

 もう片方の魔法は、実は常時展開されている。それでも、その魔法が効果を発動するにはとある条件があり、その条件が達成されてようやくその効果を発揮する。薫はわざとその条件を達成しないようにして、魔法が発動するのを防いでいる。千尋自身もその魔法が発動されるのを見たことはないが、発動してしまえば無傷で無双することも容易にしてしまうらしい。だから、蹂躙する場合を除き、普段は魔法を使わずに殺し合っているのだ。


 もはや、チートは彼のための言葉と言っても過言ではないだろう。ただし、それは魔術を使用するという場合のみなのだが。案外体術は──千尋達の間では──並程度だったりする。


「あいつ、本当に人間離れしていってるな」


 実際、薫は自分のことを化物と表現している。

 確かに悪魔王のことは聞いた。それがどれだけ力を持った存在かも。だが、薫は毎日それと向き合って生きている。


 千尋は、それも立派な人間の行いだと感じている。毎日、己を蝕んでいく闇に必死に抗っているのだ。

 まさしく、誇るべき人間の姿である。少なくとも、千尋はそう思っている。


 ――今は、目の前のことを片付けるか……。


 千尋はゆっくりとマスコミ達に近づいていく。


 マスコミの一人が千尋に気づき、大声を張り上げた。


「おい! 氷崎社長だぞ! ちゃんと撮れ!」


 その声を聞いたマスコミ達はすぐに千尋に向かって近寄ってくる。

 四方八方を囲まれ、辺りから瞬くフラッシュに目を細めながらマスコミの取材に応じる。


「氷崎社長! 今回の事件、一体どんな対処をなさるおつもりですか?」「氷崎社長! 今回の被害者は一体何人ですか?」「氷崎社長!」


 千尋は周囲を見回し、耳に入る質問の数々に内心ため息を吐く。中には案の定、彼の道徳的には頭に来るような質問もあった。


 ――この会社、覚えたからな。


 千尋はマスコミの一人一人の質問に営業スマイルで応じていった。


 後日、頭に来るような質問をした会社に薫が乗り込み、それらを武力で徹底的に衰弱させ、千尋が権力を使って倒産間際まで追い詰めたのは、別のお話。




 薫は家に帰ると、着ていたモッズコートの一点を握る。パキリと音がなり、手を開くと小さな機械の残骸が残っていた。それは、発信機だ。


 ――付けるならもっとバレねぇようにしようぜ?


 薫は無感情にそれを見下ろし、心の中で小さくボヤいた。


 モッズコートをソファに脱ぎ捨て、すぐに同じ種類のカットソーへと着替える。

 焼け焦げてしまった服は発信機の残骸と一緒にゴミ箱に捨て、衣服の収納されている部屋のタンスから全く同じ種類のカットソーを取り出し、それを身に纏いつつそのまま二階へと上っていく。


 二階に着き、一番手近な部屋を開ける。そこが薫の書斎だ。

 部屋に入り先ず目に入るのが、重厚な造りのデスク。壁は天井まで書架で埋まり、中には様々な種類のファイル、小説やライトノベル、他にも漫画など様々な種類の本がびっしり詰められていた。しかし、そんな書架だらけの中にもひとつだけクローゼットが置かれていた。


 薫はデスクの引き出しを開け、鍵とロングスライドにカスタムされ、ダブルアクションに改造されたコルト・ガバメント(M1911)を取り出す。残弾を確認。安全装置(セイフティ)をロックし、そのままクローゼットに近づいていく。

 クローゼットを開けると、中には黒光りしているものが沢山入れられていた。AK-74、イサカM37ライオット・ショットガン、SV98、マグプル・マサダ、FN SCAR、M21、もう一丁のガバメントなどその他にも様々な種類の銃に、コンバットナイフに手榴弾。大量の銃弾に、一本の禍々しい日本刀。これが妖刀だ。


 薫はガバメントの弾倉を五つ取り出し、クローゼットを閉める。


 書斎から出ると、前髪を掻き上げオールバックにし、ガバメントをポケットに入れ玄関に向かう。


 その時、携帯に一本の電話が入った。相手は、赤崎だ。


「はい?」

『あぁ、見たよニュース。何だい襲撃を受けてたのかい』


 赤崎は半ば心配するような――しかし、どこか笑っているかのような声音で先ほどまでの薫の境遇を口にした。


「……あぁ」


 薫はそれに肯定の言葉を伝えておき、コンバットブーツを履いて立ち上がる。

 そして、その視線の先には一枚の写真。


 薫はそれを見た後、家から出て鍵を閉め、裏のガレージに向かう。そこにバイクが置いてある。

 収納スペースにガバメントと弾倉を入れ、フルフェイスヘルメットも入れる。


『どうだい? 会議には間に合いそうかい?』

「なんとかな。これから出るところだ」


 薫はバイクにまたがりエンジンをかける。

 エンジンがかかり、けたたましいエンジン音が響きわたる。

 薫はポケットから眼鏡ケースを取り出し、その中から高級物っぽい色眼鏡を取り出してかける。以前、赤崎がくれた物だ。


『そうだ。君に伝えたいことがあってね』

「俺にか?」


 一体何だろうか。薫は発せられる言葉を聞き逃すまいと集中する。


 ――いよいよ警察(サツ)が俺を指名手配でもしたか?


 薫はそう思った。

 事実、警察内部では薫のことを警察殺しの悪魔と言って蔑んでおり、薫の手によって殉死した警官は数多く存在している。全て、薫の違反であったり、無実の罪で陥れようとした際に殺してやった。


 だが、伝えられた内容は想像していたものと全く違った。


『何でも、部下が聞かれたらしいんだけどねぇ。外国人の女が君の家を探してるらしいよ。それも、大きな荷物を持って』


 薫はそれを聞いて、一瞬意味がわからず小首を傾げる。

 人が、それも女が自分のことを探しているというのだ。ネズミが空を飛ぶぐらい信じられない。


「……そうか。それで、伝えたのか?」

『いや、伝えてないらしい。だけど、いつでもいいよう気をつけた方がいい。その女からは、硝煙の香りがしたらしいからさ』


 となると堅気ではないだろう。

 薫は隻眼を鋭くし、忠告をありがたく貰っておく。

 考えられる限りでは殺し屋の追手の線もある。何はともあれ、準備はしておいた方がいいだろう。


「はいよ。それじゃ、今から向かうから」


 薫はそれだけ言い残すと通話を切り、バイクを発進させ、全身に強い風を浴びながら池袋の街を駆け抜けた。





 午前。まだ薫が近衛三葉を氷崎グループに招き入れたばかりの時。

 東京の街で一人の女性がキャリーバッグを三つ引いて歩いていた。


 顔立ちは端正に整っており、しかしそれは明らかに日本人ではない。

 見た目は薫と同い年かひとつ違い。白い肌に、透き通る金髪を後頭部で結んでポニーテールにし、瞳の色は青。

 無地の黒いタンクトップを着てヘソを見せており、デニムパンツを履いている。一七〇前半ほどはある長身で、豊満な胸に、適度に鍛えられた筋肉。更には美しいボディラインが女性の美しさを際立たせ、どこか艶かしい印象を与えていた。

 すれ違えば、男は十人中十人が振り返るほどの美貌の持ち主で、女性にも見惚れさせるほどだ。そして、その腰には刀袋に入れられた日本刀が提げられている。


 女性は、持っているキャリーバッグを引いてキョロキョロと街を眺めながら歩いていた。その様はただの荷物の多い観光客にしか見えない。

 だが、軍人や暴力団など少しなりとも銃を使う職業の人間ならば気付くだろう。彼女からは硝煙の香りがすることに。


 女は辺りを見回し、一人の男に近づいていった。そして、若い見た目の割には流暢な日本語で男に声をかけた。


「すみません。この人の家が何処か知りませんか?」


 女性の手には一枚の写真があった。

 声をかけられた男はその写真を覗き込む。直後、男の顔から一気に血の気が失せていった。


 そこには、一人の青年が写っていた。跳ね回った長い髪に、左目に付いた真一文字の傷痕。更に首筋、左手の甲、左胸、右胸など見える範囲の肌に沢山の傷痕がついていた。

 間違いない。十年前に『人類存続戦争』を起こし、世界中に恐怖させた男。鬼桜薫だ。


「し、知らないっ。他を当たってくれ!」


 男は悲鳴に近い声で叫び、逃げるようにして駆けていく。

 女性は男を見送ると、ガックリと肩を落とした。


「……またか」


 女性は残念な様子で写真に写っている薫を見る。その表情はどこか誇らしそうであり、悲しそうでもある。


ウィル(・・・)、どうやら相変わらずみたいだな〜」


 女性は英語で何事か呟き、写真をしまうと、再びキャリーバッグを引いて歩いていく。


 その後も様々な人々に薫の家の場所を聞き続けた。だが、誰一人として知る者はおらず、初めの男と同じように皆が逃げて行ってしまう。


 そして時間は流れ、氷崎グループが襲撃を受けている頃。

 昼食を終えた女性はキャリーバッグを引いて、再び薫の住所を尋ね続けていた。


「……これじゃ、もしかしたら今夜もホテルかなぁ」


 ――お母さんの言った通りだったな。


 女性はまた男を見かけると、近づいていった。


 その男は明らかに堅気ではない雰囲気を発している。彼は氣櫻組の構成員で、赤崎の部下だ。

 そんなことはつゆ知らず、女性は男に物怖じせずに近付き声をかけた。


「すみません」

「ん? 何だ姉ちゃん」

「この人が何処に住んでるか知りませんか?」


 女性は薫の写真を男に見せる。

 男はそれを覗き込むと、双眸を鋭くした。


「……!」


 女性はそれを見逃さなかった。


 ――今までの人達と反応が違う。


 今まで女性が聞いていた人々は、薫の写真を見ると、皆一様に青ざめ、滝のような汗を流しながら逃げ出した。

 だが、この男は違った。


 ――この人、何かを知ってる……?


「何か知ってるんですか?」


 女性は期待で胸を弾ませながら尋ねる。だが、男は首を横に振った。


「……いや、悪いね。知らないな」

「そう……ですか」


 男の言葉に女性は肩を落とした。当たりを引いたかとも思ったのだが、どうやらそう簡単にもいかないらしい。


 そもそも、彼女が探している薫は、殺し屋組織内でもナンバースリーの実力者だった。

 一度隠れれば、影も形もない。尾行を成功させた者もいなかった。そんな彼だからこそ、そう簡単に見つけようというのも無理な話だ。


 踵を返し、キャリーバッグを引いて再び歩き始めた。


「……確かめる術、あるのはあるんだけどなぁ」


 女性はポケットから一枚の紙を取り出した。そこにはひとつの電話番号が書かれている。

 それは、かつて薫が使っていた電話番号。それも、六年ほど前のものだ。流石にもう変わっている可能性が高いだろう。


 だが、彼女はそれをまだ確認していなかった。彼女は信じていたのだ。その電話番号が、きっと薫に繋がるだろう。きっと出会えるだろう、と。


「……これは最後の手段。でも、もう三日も経つし……今日の夜にでもかけよう」


 女性はまた人を決めては尋ねかけていった。





 千尋は社長室にいた。そこには津村と近衛三葉。千尋に更にもう一人の男がいた。


 整った顔立ちに、チェック柄のシャツにカーゴパンツを履いている。身長は高く、一七〇半ばほどはありそうだ。

 表情は優しく、草食系のような柔らかな表情が見る者を千尋とは違った風に魅了する。


「紹介する。三葉、こいつは菅峰和希(すがみねかずき)。世間体で言えば、四天王一の優男だ。菅ちゃん、彼女は近衛三葉。今回の依頼人だ」


 千尋の紹介に二人は挨拶を交わす。


「よろしく。菅峰和希です。大変だったね」

「あ、あっ、近衛三葉です! よ、よろしくおねがいします!」


 三葉はガチガチになりながらも挨拶をした。和希はそれを見てくすくすと笑っている。


 三葉は少しの間目を輝かせながら和希を見ていたのだが、ふと何を思ったのか、チラリとこちらを見た。


「あの、四天王ってどんな仕事を……?」


 本当にいきなりの問いに疑問を持った二人だったが、取り敢えず四天王は千尋自身が社長を務め、その他は氷崎グループの幹部などの重役だ。

 そのため、答えは大雑把になるが――必然的に世間でも知られている氷崎グループの経営の話になる。

 世間では知られていない薬物関係の仕事もあるが、それは言うべきものではない。


「氷崎グループの経営。業務提携先の仕事を手伝ったり、後は消耗品や日常品、電化製品などを開発している。更には保険にも手を出している。それがどうかしたか?」

「いえ、でもそれだと依頼人だとか、そう言ったものが出る要因が――」

「あれ、言ってないの?」


 和希が視線を千尋に向け、疑問を口にする。千尋は肩を竦めて見せた。


「薫が連れてきたから、薫が言っているものだと思っていたな。それに、普通に知ってるものとばかり思っててなぁ」


 思えば薫は依頼人とは必要最低限以上に付き合うことはないし、赤の他人に対しては殺意すれすれに凄むことも多い。

 それを思えば、薫が自分達が何故依頼を受けるかを伝えていないのも頷ける。


 和希は少し頭を掻くと、二人の視線が自然と三葉に向く。そこには咎めるような雰囲気は全くない。むしろ、とても優しい。


「俺たちは、何でも屋みたいなこともやってるんだ。ペットの世話をしてほしいとか、掃除をしてほしいとか。そういう他愛のないものや、不良を懲らしめてくれ、とか誰かを殺してくれとか――そう言った荒事は全部薫が請け負っているよ」


 最後の方にとても物騒な内容が聞こえたが、今は黙っていよう。どうやら三葉も同じ考えらしく、特に触れるような素振りは見せなかった。

 だが、自分の頼みを受けてもらったカラクリはそう言うことだったのか、と納得しているのは側から見てわかった。


 大層疑問に思ったことだろう。善意で受けたにしては、薫がやけにすんなり受け入れただろうからだ。薫に善意というものがあるのかは甚だ疑問ではあるのだが……。


 三葉が一人説明に納得していると、和希は千尋に視線を向けた。


「……で、薫は?」

「用事があるんだと」


 和希が声を潜めて薫の名を出すと、津村が一瞬露骨に嫌そうな顔になった。二人はそれを気づいていないフリで話を続ける。


「薫が用事? ……ゲーセン行ってない?」

「行ってないようだ。あいつのコートに発信機を仕掛けてたんだが、家に着いた瞬間破壊された」


 気づかれるとは思っていたが、こうもすぐに気づかれるとは思っていなかった。

 あの男は四人の中で一番の戦闘手段の持ち主であり、一番の潜入向きの存在だ。そんな男は周囲に常に気を配り、ちょっとした変化も見逃さないようにしている。


 薫は千尋が仕掛けたのをすぐに気付いたのだ。


 ――鋭い奴だ。


 正直、薫が敵でなくて本当に良かったと千尋は思う。


「破壊されたのならわからないんじゃないの?」


 和希の指摘も尤もだ。だが、千尋は確信を持っている。

 薫は案外正直な性格なのか、ゲームセンターに行く時だけはしっかりと「行く」と伝えるのだ。まぁ、会社から直接行く場合のみだが。


「いや、それはないだろう。それより、薫からの情報だ」


 千尋は和希の耳に口を近づけ、声を更に潜める。


「今回の相手、連中(・・)が何かしら関わっているようだ」


 それを聞くと和希は双眸を鋭くした。僅かに殺気が混じっている。

 それに驚いた三葉が怯えた様子になるが、津村が背中をさすり落ち着かせる。

 千尋もあの組織に対しての憎悪は強いが、和希と比べると別格だった。当然だ。彼は目の前で友人を何人も食い殺されたのだから。


「先ずはどうするんだい? 直接本拠を叩くとしても、それなりに準備は必要になってくる」


 和希の言葉に千尋は頷く。


「明日、もしくは明後日の方が良いんだが……」

「明日は無理だろうね」

「だよなぁ。じゃあ、明後日だな。薫には伝えておく」


 千尋はポケットの携帯に手を伸ばした。


 その刹那、千尋が動きを止め、和希も身構える。そして、二人が視線を千尋の椅子に向けた。

 そこには千尋達よりも二、三歳年下と思しき少女が腰かけていた。

 サイドテールにベージュの髪。碧眼に何処か得意げの笑みを顔面に張り付けている。


 いつこの部屋に入ってきたのだろうか? 情けないことだが、全く気づかなかった。


「誰だ?」


 千尋は警戒心を露わに問う。少女は不敵な笑みを絶やさずに立ち上がった。


「私は巴千恵子(ともえちえこ)。ライオネル・ソウルのボスを務めているの」


 こんな子供が?

 にわかには信じられないが、気付かれずにここまで入り込んだことがその証明だろう。


 ――少しはできるようだ。


「そんな奴が何の用だ? 裏切り者を捕らえに来たか? しかも、ボスであるお前がか?」


 千尋の詰問に和希は三葉を背に庇う位置取りに着く。

 その間、ほんの少しだけ顎を下げた。戦闘準備は整っているようだった。


「違うわ。今日のところは唯の挨拶。あなた達がどうしているかを部下に見張らせてたんだけどね」



「――その部下ってのはこいつら?」



 不意に廊下から声がした。皆が一斉にそちらに視線を向けると、扉が開け放たれ、二人の男が放り投げられた。


「ひっ!」


 二人の男は顔面をパンパンに腫らし、血で真っ赤に染まっていた。相当殴られているのは見てわかる。

 しかし、二人とも死んではいない。虫の息になってはいるが。


 そして、扉で佇む男が一人。

 ヘアバンドを頭につけ、ヴィンテージ物のアロハシャツに、チノパンツを履いている。和希と比べれば少し身長が低い――それでも一般的に見れば高い。


 その男は飄々とした態度で立っているが、その中で全く隙が見当たらない。ニマリと笑ってはいるが、不思議と抜き身の刀のような印象を受けた。

 その拳は血で濡れており、この男が男達をボコボコにしたことは間違いないだろう。


「戻ったか」

葛原煜(くずはらひかる)。テレクラの手伝いからただいま参上! ってね」


 煜は室内を一望すると、三葉に視線を向けた。


「あ、あの! こ、近衛三葉といいます!」

「あぁ、よろしく。……ちっぱいか。良いねぇ……! いじる時がこれまた面白くてね」

「エロ野郎は帰ってどーぞ」

「悪かったって。後でするから」

「セクハラ行為は確定かよ。菅ちゃん、あの女が消えたら警察に電話」

「大丈夫、もう準備はしてるよ」


 こんな状況にも関わらず、三人のいつも通りの会話に拍子抜けしてしまう。


 葛原煜は超が付くほどのエロ野郎だ。薫がいれば、即座に蹴りの制裁を受けている。

 しかし、これでも煜はホストもしており、しかも指名度ナンバーワンだ。

 この男のどこがそんなに良いのかわからないが、薫曰く、女にはとびきり優しいらしい。薫も煜に「女」の熱弁を聞き、それ以降は女にも少しは優しくするようにしている。


「それで、あの子消えてるけど」

「なに!?」


 見ると本当に姿が消えていた。転移系か、はたまた透過系か、薫のいない今の自分達ではわからないが、それでも面倒な魔術を使うらしい。

 純粋な戦いではそこまで強くはない。そこまで武術の嗜みなどはないらしい。我流か、もしくはストリートファイト辺りだろう。


 ――……逃げたか。


 千尋は完全にではないが警戒心を解き、携帯に手を伸ばす。


「なかなか、面倒なことになってるな」


 千尋は薫にメールを送り、ポケットに携帯を戻して室内を一望する。


 煜は三葉から依頼内容など様々な事を聞いている。その表情はいつになく真剣だ。理由は相手が女だからだろう。


「よし、煜も来たし、これからの事を伝える」


 千尋の言葉に、多少賑やかだった室内が一気に静かになった。そして、皆一様に千尋に注目する。


「ライオネル・ソウルに攻め込むにしても準備が必要だ。明日は皆準備をしながら英気を養い、明後日の戦闘に備えてくれ!」

「薫には?」


 先ほどよりも眼光が鋭くなった煜が千尋を捉え、ここにいない者の事を尋ねかける。


「あいつにはもう伝えた」

「明後日の攻め入る時の時間帯は?」

「明日伝える」


 和希の問いに千尋は淡々と答える。先ほどまで話していた時の様子と打って変わった三人に、三葉は驚いた様子で目を白黒させている。


「じゃ、解散!」

「仕事は?」

「もう無理だろ? この状態じゃ」


 千尋は腕を広げて見せる。

 会社は外見、内面共に元の状態に戻っているが、社員は既に全員逃げて社内はもぬけの殻。千尋達以外には誰もいない。これでは、仕事をしようにも出来ない。故にこれで解散にする事にした。

 現在昼の三時三十五分だ。

 終わるにはかなり速いが、やむを得ない。


「では、私は失礼します。社長」

「お疲れ様です」


 津村は深々と千尋にお辞儀をすると扉を開け、廊下の奥へと消えていった。


「さーて、菅ちゃん! キャバクラ行かへん?」

「行かないよ」

「お前は変わらずそれかよ」


 三人の楽しそうな喧騒が聞こえ出し、三葉はホッと胸をなでおろした。

 だが、千尋は考えてもいなかったが、ひとつだけ問題があった。


「あの……」


 三葉の声に三人が視線を向ける。


「どうした?」

「わ、私……行くところがないんですけど、どうしたらいいですかね?」


 ――嘘だろ?


 千尋は目を丸くしてから迂闊だったと額を叩いた。

 そりゃそうだ。彼女は今朝寝泊まりしていた場所から逃走した者。そんな彼女が寝泊まりする場所があるはずがない。


「そうだなぁ……」


 すると、軽快な声が社長室に響き渡る。


「はいはーい! それなら、俺の家にこーへん? もてなすでー!」

「お前は襲いそうだから却下」

「何!?」


 煜が手を挙げるが、千尋が即座に切り捨てる。


 ――菅ちゃんは……無理だろうな。


 和希は確かに人に優しく、嫌われる事が無いのだが、実は女性に対して多少コミュ症なところがあり、女子との会話は慣れるまでは苦手なのだ。

 特にこれといった違和感がないため相手に気付かれることはないが、長い付き合いである自分達はぎこちなさを感じられる。

 それを思いだし、千尋は、ふぅ、と息を漏らす。


「あ、あの……なんだったら路上で寝ます!」

「ダメだ」


 三葉は声を張り上げるが、年頃の少女にそんな事はさせられない。


 千尋は決心すると、組んでいた腕を解いて三葉に向き直る。


「俺の家に来い。この依頼が終われば住む家を見つけてやる」


 千尋の言葉に、三葉は目を丸くする。流石に申し訳ないようでいた。


「金も無いんだろ? だったら、ホテルに泊まるわけにもいかないだろ。うちに来い」


 三葉は少し考える素振りを見せると、顔を上げて千尋を真っ直ぐ見据える。


「では、よろしくお願いします……」


 三葉は深々と頭を下げ、千尋はそれを見て頷いた。


 チラリと煜を見ると、壁に手をついてうな垂れていた。大方、何でお前(千尋)はいいのに()はあかんねん、だとかそういう辺りだろう。


「それじゃ、行こうか。夕飯の材料も買って帰るから、少しスーパーに寄るぞ」


 千尋はそう断っておき、社長室から出て行った。




 時間は経過して午後七時過ぎ。都内某所、氣櫻組本部。


 その会議室では沢山の男達が剣呑な雰囲気で大きなテーブルを囲んでいた。男たちの雰囲気から、その場にいる全員が堅気ではない事がわかるだろう。


「それで、結局どうするんです?」


 声を上げたのは、赤崎俊明(あかさきとしあき)だ。

 派手なスーツを着こなし、如何にも高級品と思わしき色眼鏡をかけている。

 細身の引き締まった身体つきに、その頰には大きな傷がある。その顔面にはヘラヘラとした笑みがこびりついている。座っているためわからないが、身長は一九〇センチ近くある。


 彼は氣櫻組の幹部であり、かなりの武闘派である事は周囲の雰囲気ですぐにわかる。


「……まさか、このことについてでこんなに時間を食うとは思わなかったぜ」


 次に声を上げたのは鬼桜薫。前髪を掻き上げてオールバックにし、仏頂面で周囲を睥睨している。


 薫も氣櫻組幹部、しかも武闘派だ。


「……とにかく、俺は反対だ。今まで堅気をやってた奴に、組の人間を仕切れるわけがねぇ。鬼桜ぁ、テメェも同じ考えだよな?」


 図太い声で薫に声をかけたのは蒼坂幸蔵(あおさかこうぞう)

 赤碕と同じく一九〇センチ近くある身長に、背丈に合わせただけのスーツがはち切れんばかりある筋肉。


 彼も氣櫻組幹部。武闘派だ。その威圧感は尋常じゃなく、睨まれただけで構成員は萎縮してしまうほど。そして、上記の三人は氣櫻組でトップスリーの実力者達だった。

 薫はもちろん、赤崎と蒼坂は実は人間離れした強さの持ち主で、薫とタイマンを張れるほどだ。


「……賛成か否かは置いておくとして、それでも推奨は出来ねぇだろうな。氣櫻組(ウチ)の穴と思われて、そこを突かれちゃどうしようもねぇ」


 薫は先に前置きをして、自分の考えを述べる。だが、結局の所は反対の意見と同義だ。


「その辺は俺もわかっている。それを承知でやろうとしてるんだ。こちらでも策は打つ」


 そう声を張り上げたのは、氣櫻敦樹(きざくらあつき)。組長である氣櫻道元(きざくらどうげん)の一人息子で、今回組長の座を継ぐと言い出した張本人だ。


 身長は薫より少し高い程度。それに、今までの会話の通り彼は今まで堅気の仕事をしていた。そのため、名を響かせる経歴は無く、そこを突かれてはそこから組が崩されるのだ。


 氣櫻組は東京を縄張りにしており、その組織力は関東に数ある暴力団の中でも三本の指に入る。そして、組織の構成員の正確な数は、一般には知られていない。


「まぁ、いいじゃねぇか」

「会長」


 皆を制する声を発したのは、氣櫻組組長の氣櫻道元。

 大きく蓄えた白髭に綺麗に整えられた純白の髪が特徴的。若い頃は『鬼の道元』と呼ばれ、その筋の人間の間では怖れられていた。


 当時は人間離れした強さを誇っていたらしいが、現在は多少衰えている。


「会長、あなたはどう思ってらっしゃるんで?」


 道元に尋ねかけたのは氣櫻組の切れ者、岸本隆昭(きしもとたかあき)


「俺は実のところ薫と同じ考えだ。風切、お前はどう思う?」


 道元は視線を岸本の隣に座った男に向ける。


 男の名は風切盈(かざきりみつる)。氣櫻組の拷問のプロだ。彼が拷問した相手は――時間に差はあれど――最終的には全ての情報を吐く。

 それにより、他の組の人間も、氣櫻組には絶対に捕まりたくないと思っている。


「私は構わないと思っています。腕の立つ部下を護衛としてつけておけば心配するこたぁありませんよ」


 風切の意見に道元もふむ、と頷く。


 ちなみに、赤崎はどっちでもいいらしい。


 その時、静まり返った会議室に携帯の着信音が鳴り始めた。

 それに対して蒼坂が怒りを爆発させた。


「誰だァ? こんな大事な時に電話鳴らしてる奴は?」

「悪いな蒼坂さん。俺だ」


 声を上げたのは薫だった。


 薫は唾を飛ばして説教してくる蒼坂を無視して携帯の画面を見る。初めは千尋か誰かだと思っていたが、違った。


 ――誰だ? 知らねぇ番号だな。


 それに、この番号は海外で使っている携帯番号だ。ということは相手は外国人だろうか。


「少し、すみません」


 薫は道元に謝っておき、携帯の通話ボタンをタップして耳に当てた。


もしもし(Hello)?」


 薫は英語で通話相手に語りかける。すると、快活な女の声が聞こえてきた。


『あっ! 繋がった! ウィル……一哉(かずや)って呼んだ方がいいかな? 私だよ! 覚えてる?』


 日本語で明るい声で騒ぎ立てられ、薫は訝しげな表情になる。


 ――俺に女の知り合いなんて数え切れるほどしかいねえぞ?


 もしかすると、その中の誰かか。だが、薫のことを一哉――日本で名乗ったことのないためにウィルもそうだが――と呼ぶ人物は今やいないと思っていた。

 何故なら、三年前にその名を捨てて世界中の人間たちの記憶から消したからだ。


「誰だ。お前」


 薫はドスの利いた声で通話相手に凄む。だが、通話相手の女は怯える様子も無く、少し悲しげなため息が電話越しに聞こえてくる。


『……やっぱり忘れてるか〜。わかってはいても、かなり辛いものだね……』

「あァ?」


 薫の電話の態度に周囲の面々も何事かと視線を向けてくる。


『私だよ。レイラ! レイラ・コルト! あっ、でも今はお母さんから名前を――』

「……!」


 薫はその名に覚えがある。忘れるはずがない。

 かつて、薫が殺し屋にいた時に共に生活した女だ。薫の家に飾ってある写真に写っている金髪の少女がそうだ。


 薫は一瞬だけ呆けた顔になったが、すぐに元の表情に戻った。


「お前、レイラか? マジかよ、まだ生きてやがったか!」


 薫の反応に、通話相手の女――レイラも喜んでいるようだ。


『うん! そうだよ! ……よかった、わかってくれた……!』


 レイラもどうやら嬉しいようで涙ぐんでいる様子が伝わってくる。


「何だ? 何か用か?」

『……実は、住むところがなくなって、今、日本にいてね? それで、しばらく家に置いて欲しいんだけど……』


 薫は少し考える。

 現在、氷崎グループは依頼により戦闘の真っ只中。確かに少しでも戦える者を増やしたいところだが、レイラを連れてもいいのだろうか。

 以前のレイラはよく泣き、正直足手まといなところがあった。だが、人懐っこいところもあり、よく薫にくっついてきたのを覚えている。


 ――まだ、生きているってことは強くなったってことか……? 会って確かめるか。


「今、お前は何処にいる?」

『……わかんない』

「周りに何がある?」


 薫は部下の一人を手招きして呼び寄せる。

 部下が恭しく薫の隣につき、膝をついて顔の位置を合わせる。


「何です?」

「表に俺のバイクを用意しといてくれ。すぐに」


 薫はポケットからバイクの鍵を取り出し、男に手渡す。だが、薫の言葉に部下は目を丸くして狼狽えだす。

 まだ会議中なのだ。それなのにも関わらず、ここから出ようとしていることに驚きを隠せないのだろう。


 薫はそれを無視するが、その様子を道元が見逃さなかった。


「何だ? 薫、お前何処かに行くのか?」


 道元のその言葉に周囲の視線がこちらに向けられる。

 その声音には、こちらを圧倒する長い間培われてきた威圧感があった。


「すみません、組長(オヤジ)。少し、出させてもらいます。俺がガキの頃に共に育った家族がいるらしいんで、迎えに行って来ますわ」


 そうして立ち上がると、赤崎が口を開いた。


「どうしたァ? 仏頂面の君が、何処か嬉しそうじゃないか。珍しく口角が上がってやがる」

「そりゃ、嬉しいね。なんせ、六年ぶりに会うからな」


 薫の様子を見て、赤崎が驚きに目を見開かせた。今までこんなことはなかったと言うように。


「鬼桜さん。バイクの準備、完了しました」

「わかった。それと、数人車に乗ってついて来い。そいつの荷物を俺の家に届けてくれ」

「わかりました。車はどうしましょう?」

「荷物を俺の家に置いてくれるだけでいいから、小せぇので構わねぇよ」


 薫の指示を聞くと、部下の男は一礼して一足先に部屋から出て行った。


 薫はテーブルを囲む氣櫻組の主力たちに視線を向け、道元に視線を向けて一礼する。


「それでは、少し失礼します組長(オヤジ)。また連絡してくれ赤崎さん。迎えに行ったらまた戻ってくるから」

「わかった。また色々と伝えるよ」


 薫はその言葉を背に、会議室から出ようと扉に足を向ける。扉の前にいた部下の男達が薫を通そうと扉を開けた時、


「鬼桜」


 赤崎が声をかけてきた。

 見ると、好奇心の塊のような顔で薫のことを見てくる赤崎と目が合った。


「何だ?」

「ついでに聞いておきたいんだが……その相手、女か?」


 薫は赤崎の目を真っ直ぐ見据え、ニヤリと不敵に笑った。


「あぁ、妹だ」


 それを聞いて赤崎は不敵に微笑み、「ほぉ」と感嘆の声を零した。


「君に妹がいたなんてねえ。美人かい?」

「おそらくな。そして、俺の数少ない大切なものだ」


 赤崎はそれを聞くと、今まで以上にニヤリと下卑た笑みを浮かべた。


 薫はそれを尻目に部屋から出て行った。




「……待たせて悪かったな。それで、今何処だ?」

『美人……大切な……ふふっ♪ これは、入籍出来る……!』


 電話越しにレイラが英語で何事か呟いているのが耳に入るが、薫は意味がわからない。


「……?」


 レイラは確か薫がいた殺し屋組織にいたはずだ。そんな彼女が何故日本にいるのかわからない。


 ――まさか、俺を殺しに来た追手……?


 それにしては、口調が明るい気がする。用心に越したことはないだろうが。


 薫は本部から出ると、エンジンがかかった薫のバイクが置かれていた。そして、その近くには二人の部下の男が車に乗って待っていた。


「何処に行けばいいんです?」

「今聞いている」


 薫はそう一言返し、通話相手を呼びかける。


「おい、今何処だ? 目印になる物とかねぇのか?」


 その時やっと話しかけられてると気づいたのか、レイラは慌てた様子で反応した。


『あ、えっと……大きな家の前。なんて読むの、これ……「きざくら」? って書かれてるけど』


 薫は色眼鏡をかけ、頭を掻く。


 レイラが言った場所には心当たりがある。全部で三つの当てがあるが、そのうちのひとつがここだ。詰まる所、残りふたつ。今会議の話題となっている敦樹の家と自分の家。大きさで見れば敦樹の家の方が大きい。


 ――まさか……。


「近くに自販機がないか? タバコ屋の隣に」


 薫の確認にレイラは驚いたようで、一瞬だけ黙り込んだ。

 薫は念の為に元から収納スペースに入れていたコンバットナイフをジーンズの後ろポケットに入れ、ガバメントもポケットに入れる。


『なんでわかったの!?』

「そこで待ってろ」


 薫は通話を切り、携帯をポケットに入れてバイクに跨る。その隣に、車に乗った部下が車をつける。


「行き先はどこです?」

「敦樹さんの家だ。俺が先を走る。付いて来い」


 言うと、薫はバイクを発進させた。

 その身に強い風が打ち、周りの景色がどんどん流れていく。


 敦樹の家は幸いなことに氣櫻組本部に近く、薫は二年前までよく上がらせてもらっていた。

 なぜなら、敦樹の一人娘の遊び相手になりに行っていたからだ。


 氣櫻組は知っての通り暴力団。構成員は皆おじさんばかりで、薫が一番歳が近かったのだ。聞くところによると、それまではよく赤崎が面倒を見ていたらしい。

 その娘の名は氣櫻乙葉(きざくらおとは)。記憶が正しければ、現在小学六年生のはずだ。

 なぜ、遊び相手でなくなったのかというと、当時小学四年生になった乙葉に薫の仕事を知らせないように会うことを控えるように言われたのだ。それも、一種の愛情なのだろう。


 彼女は家族が大好きなのだ。その彼女の祖父が暴力団だと知れば、どれほどショックを受けるだろうか。


 薫は流れる景色を尻目に、敦樹の家に向かって進む。

 そして、そのまま走り続けること二十分。ようやく大きな家が見えてきた。


 周囲に視線を彷徨わせると、街灯の明かりの下に立っている金髪の女性が目に入った。

 足元には三つのキャリーバッグに、腰には刀袋に入れられた日本刀が提げられている。


 薫はかつての姿と照らし合わせ、かなり女らしく成長していることをとても嬉しく思った。ただ、タンクトップなのはいただけない。


 ――ヘソ出し、加えてあのデケェ胸の谷間を強調させてやがる。あの人の教育はどうなったんだ?


 女性はバイクの音に気付いたのかこちらに視線を向けてきた。

 薫はバイクを止め、降りると色眼鏡を外してポケットに入れる。前髪を下ろすと、レイラに相対する。


 レイラは目に涙を溜め、心底嬉しそうな顔になっている。そして、抱きついてきた。

 薫はそれを優しく抱きとめる。周りから見れば、まるで久しぶりに会った夫婦のように見えるだろう。

 適度に鍛えられた腕を首に回されガッチリと固定され、豊満な胸が身体に押し当てられドキリとする。そして、鼻をくすぐるレイラの香りはとてもいい香りがした。


 挨拶として頬と額にキスをする。随分と久しぶりにやった。


「……久しぶりだな。レイラ」


 ようやく手を離して地に降り立ったレイラに向かって優しく口を開く。

 レイラは嬉し涙を流しながら薫を見上げて嬉しそうに笑っている。その笑顔がとても可愛いらしい。


「うん。久しぶり、かず――」


 レイラの言葉を、薫はレイラの唇に人差し指を当てて言葉の続きを阻んだ。


「今は、鬼桜薫だ。レイラ。なんなら、ウィリアムでいい。仲間の前では遠慮願う呼び名だがな」


 レイラは一瞬呆けた顔をするが、すぐにまた笑顔になった。


「わかった、薫! 会えて嬉しいよ!」


 そう言うと、また抱きついてくる。


 薫はそれを優しく抱きとめると、視線を街灯の下に照らされている三つのキャリーバッグに向けた。


 ――荷物が多いな……。女はやはり荷物の量が馬鹿にならねぇな。


 薫は車で待機している部下に目配せをして、頷く。

 車に乗っている二人の部下たちも、それに頷き返すと、車から出て来てキャリーバッグに近づいていく。


「荷物はこれで全部か?」


 薫の確認の言葉にレイラは頷く。


 が、すぐに双眸を鋭くして薫から離れると、近づいている部下の男達の背後を取った。その速度は俊敏で、男達には姿が消えたようにしか見えなかっただろう。


 レイラは蠱惑的な脚線を誇る右足を、獰猛な唸りを上げて跳ね上げた。

 バチィッと音が夜の街に響く。

 レイラの蹴りは男達には当たらなかった。レイラの蹴りが男達を捉える前に薫が受け止めたのだ。


 ――威力では煜に匹敵するな……!


 更に、今見せた身のこなしは薫と同じ。同じ流派の者同士はやはり似るようだ。と言うか、師匠が同じなため教わることは同じである。その為、同じ動きを取ることは当然と言えば当然だった。

 加えて今のは同じ流派の「飛雪」と呼ばれる歩法だった。原理は縮地と同じだ。


 ヒリヒリと痛む左腕をさすりながら薫は笑みを浮かべる。

 部下の男達はいきなりのことで思考がついていかず、狼狽している。そんな部下達にキャリーバッグを指差して行動させた。


「なんで? なんで邪魔するの? この人たち泥棒でしょ!?」

「こんな堂々としてる泥棒なんか俺以外にいねぇよ。安心しろ、俺の部下だ。荷物を家に届けさせる」


 薫は言うと、家の鍵を取り出し部下に投げ渡す。


「鬼桜さんのお宅に運んだ後はどうしましょう?」

「鍵かけて本部にいる俺のところに持って来い。荷物は玄関に置くだけでいい」

「わかりました」


 レイラはその様子をポカンとした様子で見ていた。だが、部下だということを承知したようで、すぐに戦闘態勢を解く。


「そういうことなら……」


 薫はバイクの収納スペースからフルフェイスヘルメットを取り出すと、レイラに投げ渡した。

 ポケットから携帯を取り出し、連絡がないかどうかを確認する。

 まだ一応は会議中のようでメールも電話も入っていない。


「悪いな、レイラ。まだ仕事中でな……すぐに仕事場に戻らなねぇといけねぇから、客室で待っててくれねぇか? 仕事が終われば、再会を祝して飯でも食いに行こう」


 それを聞いたレイラは嬉しそうに頷いた。


 ――禁煙しねぇとな……。


 薫はレイラの身体のことを思い、禁煙を――少なくともレイラの前では吸わないことを心に決めた。




 二十分後。


「戻りました」

「おう、薫」

「どうだったんだい? 妹さんは」


 皆会議中にも関わらず、薫の方に意識を向けてきた。会議はいいのかと思ってしまうが、こんな職場だからこそ心が多少なりとも落ち着かせることが出来るのだろう。


「驚いたぜ。マジで美人になってたからな」

「本当かいそれは? いやー羨ましいねぇ。ついに一匹狼の鬼桜にも春が来たか」


 薫はそれを聞いて苦笑する。


「妹相手にそれはねぇよ。それに、一匹狼はあんただろ」


 薫は座っていた椅子に腰を下ろし、赤崎に言葉を返す。赤崎も「違いない」と何を考えているのかわからない笑みを浮かべた。

 そして、表情を引き締めると、皆も薫が出る前と同じ剣呑な雰囲気が漂い出した。


「で、どこまで話が進んだ?」

「そろそろ可決されるところだ。会長も、まだ譲れないということで『組長』ではなく、『若頭』ということで話がまとまり出したところだ」


 薫はそれを聞いて頷く。それはいいかもしれない。そこを突かれてはいけないということは変わらないが、それでも組が腑抜けになる可能性は多少なりと低くなった。


「俺もそれには賛成だな」


 薫の一言で、全員の顔が安堵の表情に変わる。


「では、そういうことで……これからよろしく頼む」


 敦樹が立ち上がり、周囲を一望して頭を下げた。

 すると、周囲で立って話を聞いていた構成員達も皆頭を下げる。そして、皆同じタイミングで「よろしくお願いします」と声を張り上げた。


「そういうことだ。全員、長い間ご苦労だった。解散」


 道元の一言で会議は閉められ、皆蜘蛛の子を散らすように会議室から出て行った。


 薫も立ち上がり、客室に向かう。そこにレイラを待たせているのだ。


「鬼桜、飯行かねぇか?」

「悪ィな蒼坂さん。今日は妹と飯食うんでな。また今度、誘ってくれ」

「そうかよ」


 薫は蒼坂の誘いを断って会議室から出て行った。

 長い廊下を歩き、入った部屋にはソファに腰掛け、テーブルに飲み物の入ったコップを置き、テレビで歌番を見ているレイラがいた。


 レイラが夢中になって見ている歌番では、今超売れっ子アイドルの篠原圭子(しのはらけいこ)が映っている。

 歳は薫よりひとつ下で、確かまだ高校三年生だったはず。高校に通いながらも芸能活動に励み、高みへと登りつめた努力のアイドルだ。

 間違いでなければ、煜が唯一認めたアイドルだったはずだ。


「篠原圭子、好きなのか?」


 その声で薫が入ってきたことに気付いたレイラが頷いた。


「日本に来て最初に聞いた曲が彼女のなんだけど、メロディが気に入ってね。今ではすっかりファンだよ! この三日の間に彼女の曲全部聞いたもん!」

「そいつはスゲェな」


 彼女の歌う曲は正直薫の好みに合わない。

 薫がよく聞いているのは、ロックかクラシックかポップだ。随分とバラバラである。


「それより、仕事は終わったの?」


 レイラは思い出したように口にした。薫はそれに首肯で返す。


「あぁ、飯食いに行こうぜ」


 薫は優しい笑みを浮かべ、レイラを誘う。

 レイラは嬉しそうに立ち上がり、扉に向かって足速に歩いて行く。その時、レイラのポケットから一枚の写真がヒラヒラと零れ落ちた。


「何か落ちたぞ?」


 薫はそれを拾い、見てみると表情を綻ばせた。

 それは、薫が玄関に飾ってある写真と同じ写真だった。十歳の薫とレイラ。その後ろで二人の肩に手を回して笑顔で映る黒髪の女。


「それ、何かあったら見てたんだ」


 レイラがそう説明してくる。

 つまり、これはレイラの心の拠り所だったのだ。

 薫はそう思うと笑いがこみ上げてくる。


「……同じ写真を心の拠り所にしてたんだな」

「え?」


 レイラは言葉の意味をよく理解出来なかったようで、クエスチョンマークを頭に浮かべている。


「……俺も、この写真を家に飾ってある。家から出るときとか、頻繁に見て心を落ち着かせていた」


 レイラは一瞬キョトンとした表情だったが、すぐに「ふふっ」と笑い出した。


四人(・・)全員が映ってる写真はこれしかないもんね?」

「あぁ」


 レイラの言葉に薫は首肯する。


 その時、ドアがノックされた。

 薫はドアを開くと、荷物を頼んだ男達がいた。そして、その手には薫の家の鍵が握られている。


「鬼桜さん、荷物は言われた通り玄関に置いておきました」

「ご苦労だった。会議ももう終わったし、今日は終いだ」


 薫の言葉に頷くと、二人は「失礼します」と断り廊下を歩いて行った。


 薫はレイラを振り返ると、廊下の奥を指し示す。


「さて、飯食いに行くか」

「何処に行くの?」


 レイラは部屋から出てきながら尋ねてくる。

 薫とレイラは長い廊下を歩きながら会話を弾ませていく。


「俺は池袋に住んでるんだがな。池袋に俺の知り合いのアメリカ人が経営してる寿司屋があるんだ。そこに行くぞ」

「お寿司? 私お寿司食べたことない」

「なら、初めての寿司だな。多分気にいるだろうよ」

「楽しみ〜!」


 二人は外に出ると、バイクにまたがり真っ暗な外にエンジン音を轟かせながら進んでいった。

 薫はその間、背中に豊満な胸が押し当てられ、顔を少し赤らめていたことは誰も知らない。

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