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四天王  作者: シュガーイーター
戦いの世界編
30/34

魔獣の森

当作では久しぶりの戦闘シーンが含まれます

 深い森の中を進む。鬱蒼と生い茂る木々は天高くまで伸びており、枝葉によって陽の光は遮られ、昼間でありながら薄暗く、踏み入る者の恐怖心を煽る。木の一本、一本が人一人覆い隠せそうなほどに太く、視界に飛び込んでくる圧迫感によって見た目以上に狭い印象を受ける。

 そんな場所を先頭に立って歩く薫は涼しい顔をしていた。その歩みは止まらず、整備のされていない獣道を、まるで勝手知ったる我が家とでも言いたげに進んでいく。


 とはいえ、その速度は普段に比べれば遅い。

 理由は、今回連れてきている面々が森の歩き方を心得ていないからだ。


 薫が森の歩き方を心得ているのは特殊部隊に所属していた経験もそうだが、スカアハに師事していた事が大きい。


 彼女は古くから戦士として戦っていた人物であり、数多の戦士を鍛えた存在でもある。

 その当時は、今のような効率的に鍛えられる器具なんて物はなく、自然の中で鍛え、また向き合い方を学ぶ必要があった。

 その為、彼女の稽古には、厳しい自然でのサバイバルが存在している。

 気温の落差の激しい砂漠。空気の薄い山脈。感覚の狂う熱帯雨林等々、その場所は様々だ。

 そんな場所に身ひとつで放り出されれば、必死に生きる為の術を身につけなければならない。

 結果、薫は足場の不安定な場所であろうと、足を取られる事なく踏破する術を身につけた。


 しかし、今連れている三人はそんな訓練は積んでいない。それも、一人は訓練すら受けたことの無い素人である。他二人も訓練は受けているとはいえ、このような場所は門外漢だ。

 彼女らの主な現場は整備された街中であり、間違っても右も左も分からない森の中での戦闘なんてものは想定していないのだ。


 結果、森の中を進む彼女らは剥き出しの木の根っこに足を引っ掛けたり、陽の光の通らない場所でぬかるんだ地面に足を取られて蹈鞴を踏んだりと忙しない。

 その所為で余計に体力を取られ、歩く速度を緩めてしまっていた。


「こんなんじゃ今日中に辿り着けねぇよ」

「なんで、そんなに元気なの……? ていうか、足早すぎ」


 苦言を呈すれど、呼吸の乱れたイリカが文句を言う。

 他の二人は反応がないが、同じようなことは思っているようだ。


「鍛え方の問題だろう。合わせてやってんだから、足を動かせ」

「後で覚えてなさいよ……!」


 ぶつくさと文句を垂れるも、反抗はしない。

 彼女も、早くこの森から出たい一心であることは間違いない。


 その為、軽くアドバイスぐらいはしてやる。


「お前らさっきから視野が狭いんだよ。もっと広げろ。前だけじゃなく、周囲の全てを見る感覚だ。それで多少は動きやすくなる」

「オーケー。わかった」


 視野を目の前の一点だけにしているから意図しない物に足を取られる。見えていれば、そんな物簡単に対処できる。


 その助言を従順にやってのけ始めるレイラに、同じく挑戦し、しかし拙い足取りでまた転びかけるシーニャ。

 イリカもなんとか言われた通りにやっていたが、時折見落としてしまい足を取られている。


 こればかりは完全に地力の差とも言うべきか、三桁と一桁の違いだろう。


「おぉ、歩きやすくなった」

「筋がいい。伊達にボスに鍛えられてるわけじゃねぇな。シーニャ、疲れたら言え。担いでやる」

「は、はい!」


 シーニャが言われてすぐにできるなんて思っていない。ろくに鍛えてもいない少女に、機敏に動けと言ってもどだい無理な話だ。

 流石の薫もそんなことは承知している。だからこそ、彼女には疲れたら言うように言いつけていた。


 しかし、そんな助言も虚しく、再び木の根っこに足を引っ掛け、転びそうになるイリカを薫が片腕で受け止める。


「わたっ!? あっぶな~」

「だーから、視野が狭いって言ってるだろうが。地面だけじゃねぇ。木の配置も見ろ。踏み場にしやすい場所とそうじゃねぇ場所を見分けろ。その上で歩く道を見つけるんだ」

「なんで木の配置も見ないといけないのよ?」

「また根っこに引っかかりてぇなら言え」

「……そう言うことか」


 勿論それだけではないのだが、今はそこを特に気にしていればいい。

 余裕ができたら、そこに潜んでいるであろう外敵も見分けられるようになってもらう。


 なぜ四人がこんな森の中を歩いているのか。

 それは、四人がこの地に足を踏み入れた時まで遡る。


 バトルプラネットに辿り着き、それぞれが思い思いに目に映る光景を堪能していた。

 そんな皆の意識を自分に移させるように声を上げ、薫は目的地となる方向を親指の先を向け、


「この森を抜けた先に見えるアレが、目的地であるレンストンだ」


 そう言って、薫は視界の先にある城を指し示した。

 とはいえそれは薫だから城とわかるだけであり、他三人にはぼんやりと街のようなものがある、とわかるだけだ。


 その為今いる場所を説明する必要があった。


「シーニャにはこれだけ言えば、伝わるか? ここはレンストンから魔獣の森を挟んだ先の丘だ」

「……あ、わかりました。こんな場所があったんですね」


 無事に伝わったらしい。

 流石に彼女の地元という事もあり、自国の周辺の地図ぐらいはわかっているだろうと言ってみたが、伝わってくれて助かった。


 魔獣の森と言うのは、レンストン王国の西側に広がっている場所で、その名の通り魔獣が出るとされる場所だ。


 魔獣と言っても、魔界に生息しているものと比べるとその危険度は大きく下がる。

 それでも、一般人にとっては危険な事に変わりはない。

 中でも、ここにいる魔獣の中には、擬態を得意とする個体も存在した。もしそんな個体と出くわしてしまえば面倒でしかない。


 何年か前に、魔獣の森に生息している魔獣の一匹が『ゲート』を通って迷い込んできた事があった。


 警察の特殊部隊も動員され、なかなかに騒ぎになったのだが、死者はゼロで抑える事ができた。

 その時はたまたま近くにいた煜が退治したのだが、そうでなければ二十を超える死者が出ていた事だろう。


 そんな場所にいる以上、急ぎこの場を離れようと皆が思うのも当然で、シーニャも少し慌てたようにキョロキョロと周囲を見回した。


「は、早くここから離れましょう!」

「そういうわけだ。ここ突っ切るぞ」

「はぁ? 危険だって言ってるくせに、わざわざそんな場所を通る必要があるの?」

「考え方によって変わるだろう。一応、少し回れば街道は出てくるが、生憎そっちは遠回りでな。俺個人の考えじゃ、回り道するよりはこの中を突っ切った方が早い」


 それはこの近辺に住む者からすれば命知らずの所業だ。


 薫本人は知らないことであったが、魔獣の森に入って生き残っていたものは少ない。

 時折、森から出てきた魔獣を討伐するためにレンストン王家に仕える騎士達に加え、腕っ節の立つ者を含めた討伐隊を編成することも多い。

 勿論、編成された騎士は国王の親衛隊を含めた精鋭ばかりで、新兵や序列の低い者は参加出来ないようにされているほどだ。


 そんな背景がある場所を突っ切ろうという薫を、シーニャは信じられない物を見る目になった。


「精神異常者を見る目で見られてるわよ、あんた」

「正す必要はねぇだろ。なんら間違っちゃいねぇよ」

「自覚ある方がタチが悪いわよ」

「あの環境で育てば、大体こうなる」


 シーニャの様子を見てイリカが言うが、自他共に認める異常者である薫は涼しい顔だ。どころか、レイラもそれの何がおかしいのかわからないと言いたげな顔である。

 それを見て、イリカはため息を吐いた。


「あんた達兄妹の頭がイカれてるって事がよくわかったわよ」

「そいつは結構。警戒は怠るなよ。怠れば首がなくなるからな」


 そう注意を促して、四人は出発した。


 初めのうちは危険地帯を進む事に怯えるシーニャを元気づけるべく、イリカとレイラがシーニャに語りかけていたわけだが、時間が経つにつれその元気もなくなり、冒頭の状況に至った。


 その間、薫はずっと黙ったままだった。


 薫自身、自分の今の役割はシーニャの護衛。それに加えてレンストン王国内の状況把握であって、世話をするのは仕事のうちではないと思っていた。

 その為、守りはするが、それ以上は最低限の面倒を見るつもりでしかなく、それを空気から察しているレイラが相手をする形が自然と出来上がっていた。


 ふと森の隙間から西日が差し込んでいることに気づく。

 どうやらもうかなり陽が傾いているらしい。木々によって視認出来ないが、東側はもう暗くなってきているだろう。


「こいつは、この辺りで野宿だな」

「へ?」

「……ここ、危険な場所だって言ってなかった?」

「まぁ、多少は危険な場所だな。少なくとも、お前らにとっては」


 薫の感覚はもう随分と麻痺している発言である。

 これにはレイラも苦笑するしかなく、シーニャは空いた口が塞がらない。


 イリカも呆れたと言いたげに息を吐くも、この一ヶ月で薫の人となりをある程度は認識したらしい。

 やれやれ、と肩を竦め、


「野宿するにしても、なにも準備がないんだけど?」

「それならある。最低限しかねぇがな」


 そう言って、薫は親指を立てて背負うバックパックを指し示す。


「随分準備がいいみたいね」

「当たり前の備えだろう」

「少なくとも暗殺者はそんな準備しないでしょ」

「誰も暗殺者として当然の備えとは言ってねぇよ」


 とはいえ、今いる場は少々ぬかるんでおり、野営には向いていない。

 どこか空が見える場所であれば個人的にもやりやすい。そう言った旨を伝え、周辺の散策を開始する。


「……あそこはどうでしょうか?」


 小一時間が経った頃、シーニャがとある一角を指差した。

 その先を追ってみると、木々の隙間から空が覗け、少し開けた空間があった。


「お手柄だ。あそこにしよう」


 いい場所を見つけたシーニャを褒め、そちらへと足を向ける。

 数歩ほど進み、不意に薫が足を止める。


 薫が先導するように進んでいた為、必然的に後をついてきていた三人は足を止めざるを得ず、イリカは訝しげに薫を見た。


「なによ、急に立ち止まって――」

「……持ってろ」


 背負っていたバックパックを強引に投げ渡す。

 突然飛んできたそれにイリカは驚き、反射的に受け止めた。思ったよりも重かったらしく、取り落としそうになる。


「ちょ、いきなり何なの……!?」

「イリカ」


 文句を口にしようとしたイリカをレイラが止める。

 薫の横顔が見えたのか、薫の変化の理由に気づいたのかわからないが、レイラの表情が鋭くなっている。

 それを見て、イリカも何かが起きている事を察し、周辺の警戒を強める。


 そんな周囲の変化についていけず、シーニャはオロオロと戸惑いを隠せずにいた。

 そんな少女の肩にレイラが手を置く。


 背後のそんな様子を他所に、薫は摺り足で進んだ。


 その場所を見た瞬間には特になにも感じなかった。だが、少ししてからある違和感が胸中に浮かんでくる。

 その違和感の理由を探り、気付いた。


 ――焚き火の準備がされている。


 薪割りされた木材が、いくつか空間の中心となる場所に置かれている。

 まだ使われた様子はないが、それはつまり、この周辺にそれを用意した何者かがいるという事だ。


 素早く周辺へと視線を飛ばす。木々の隙間、木の上。目に入る至る所に視線を、鋭敏な嗅覚、聴覚、空間把握能力を用いて索敵を手早く行った。


「――そこか」


 自分から見て左前方。開けた空間から最も薫に近い木の裏。

 隠すつもりがないのか、それとも隠れているつもりなのか定かではないが、そこに何者かがいることをすぐに看破する。


 居場所がわかれば次の行動は速い。

 僅かに足を早め、しかし依然として摺り足のまま、木から離れ、回り込むようにして近づいていく。


 木の裏から相手の衣服と思しき布が見えた。


 次の瞬間――


 突如相手が隠れている木が一閃され、周囲の木々を巻き込みながら、薫に目掛けて倒れ込んできた。


「チッ」


 舌打ちひとつと共に跳ぶ。来た道を僅かに戻り、受け身を取って向き直った。

 その眼前に、刀を持った女が肉薄する。


 即座に迎撃に移る。片膝をついた状況から即座に抜刀。迫る白刃をすんでのところで弾き、返す刀で首を目掛けて振るう。


 入った、と誰もが思った。

 しかし、女は迫る凶刃を認識すると、急制動。それで勢いを削ぎ、先ほどの薫のように横っ跳んだ。


 ほとんど反射的な行動のようだったが、そのおかげで相手はその命を繋いだ。


 ――やるな。


 胸中でそう相手を称賛し、今度は薫から距離を詰める。

 一瞬のうちに間合いを詰め、洗練された斬撃を放つ。


 迎え撃つは鋭い殺意の込められた剣線。

 鋼同士が激突する。火花を散らしながら甲高い音を響かせ、双方がどちらからともなく距離を取った。


 そこでようやく相手を観察する余裕ができた。


 長い青髪を後頭部で結い、赤を基調とした絢爛な着物に身を包んだ女。


 だが、薫はそれを一目では着物と判別できなかった。

 学生の改造制服よろしく、その着物は改造が施されていたからだ。

 袖は余分な面積などなく、肌に触れる程度の布量。また、丈も短く、本来なら隠されているであろう絶対領域が見え隠れしている。


 それはおそらく、本来なら動きにくい筈の着物を身につける以上、必然的なことだったのだろう。明らかに動きやすさを重視した改造だ。


 そして、そんな恰好からは不釣り合いな二振りの刀が腰間に差してあった。

 その長さを見るに、片方は今まさに握り構えている打刀。それと、鞘に収まったままの脇差だ。


 秀麗な顔立ちをしているが、顔面に貼り付けられている獣を彷彿とさせる凶悪な笑みがそれを台無しにしていた。


 しかし、なによりも薫の目が行ったのが、その佇まいだった。

 一振りの刀の如く洗練された佇まい。揺るがぬ信念を胸に鍛え上げられただろうその力。


 目の前の女は既に、薫や千尋達と同じ領域まで至っている事がすぐにわかった。


 この世界の基準で割り当てれば、目の前の女はランキング一桁だと言われても大いに納得できる。寧ろ一位だと言われても疑わない。

 以前調べた際には彼女に該当するような特徴を持った人物はいなかった。

 恐らく、その後台頭してきた人物なのだろうと推測する。


 互いに睨み合うこと暫し、弾丸の如く女が疾駆する。

 横薙ぎに振われる一太刀を、薫は刀の腹で受ける。衝撃が全身を貫き、思わず瞠目した。


 ――重いッ!


 手が痺れ、刀を取り落としそうになるが、それを堪えて柄を握る手を気合いで強める。


 防がれたことを見るや、即座に二の太刀が弧を描くようにして迫る。

 それに応じるように刀を振るい弾くも、今度はそこに込められた力が弱く、つんのめるようにして薫の体勢が崩れる。

 同時に、それが牽制なのだと察した。


 そして迫る本命の三の太刀。


「ゼァアアアッ!!」


 凄絶な一撃が両断せんとばかりに振り下ろされる。


 ――受ければ死ぬ。


 無意識にそう意識した。

 確信があったわけではない。だが、防げば手に持つ妖刀ごと切り捨てられる姿を幻視したのだ。


 しかし、それを振り払い、柄が刀身よりも上になるように掲げる。

 白刃が黒刃に触れる。と同時に滑るように薫の側面へと流れ落ちていく。受けるのではなく、摩擦で滑らせるようにして流したのだ。


 来ると思われた衝撃が来なかったことで、女の体が前方へと崩れた。

 対し、流麗な足捌きで女の側面へと回り込んだ薫は、既に次の行動へと移れる状況だった。


 追撃。が、手応えはなく刀は空を切る。

 女が力の流れに逆らわず自ら前方へと跳んだ。まさに間一髪のタイミングだったが、おかげで女は負傷することを逃れる事ができた。


 薫は追わない。相手は既にこちらへと向き直り、油断なく刀を構えていた。

 今追ってしまえば、即座に斬り伏せられるという予感があった。


 ふぅ、と双方が同時に息を吐く。


 強い。少なくとも、イリカよりもかなり。下手をすれば、レイラでも危うい相手かもしれない。

 まだほんの数合打ち合っただけだが、それでも相手の強さは漠然と判別できた。


 まだ確証はない。しかし、どうしても思わずにはいられなかった。

 純粋な剣術において、目の前に立つ女は自分よりも卓越している、と。


 ジリジリと互いに間合いを計る。

 双方に言葉はない。

 言葉を発する余裕がないわけではない。だが、戦闘狂と揶揄される故か、目の前の女と心ゆくまで戦いたくなったのだ。


 それはどうやらあちらも同じらしい。

 隙のない構えを取り、その顔面には獰猛な笑みが張り付けられていた。


「――ッ」


 踏み込まれる剣風。剛剣一閃。力強い一撃が、躊躇なく薫へと振り下ろされる。


 即応。側面から叩き落とすようにして打ち弾く。転瞬、入れ替わるように薫が突出した。

 旋風が振われる。応じる剣線が火花を散らした。


「チィ――」


 響く剣戟。

 その合間に混ざる薫の舌打ち。


 女は薫の刀を苦もなく払いのけ、更に繰り出される剣線を弾き返し、その都度、薫は後退を余儀なくされる。


 その最中、胸中で抱いていた予想がガチリとハマった。


 やはり、この女は自らよりも剣の腕が上だ。


 薫は既に手を抜いてはいない。

 普段なら様子を見つつ相手を圧倒するスタイルを取るが、それでは危険と判断し、既に本気で挑みかかっていた。

 その悉くを弾き返し、薫はただただ圧倒されていた。


 とはいえ、総合的な戦闘能力という観点で見れば、互いの間に大した差はないだろう。

 こと剣術における斬り合いは確かに相手に分がある。しかし、あくまでもそれは剣術に限った話だ。

 薫は流麗な足運びを持って、豪風を右に左にと躱し続ける。

 しかし、誰が見てもわかるほど退がり続けていた。


「――――」


 鋭い呼気に乗せて振われる一閃。

 それを、手にする刀で確実に弾き逸らし、間髪入れずに間合いを詰める女。


 ――下段からの斬り上げ!


 薫は迫る凶刃に沿わせるように刀を置き、勢いは殺さずに軌道を変える。

 かろうじて回避が間に合うと、即座に一歩詰め、最短距離を通っての刺突。


「――ッ!」


 女は迫る刺突を目にし、両手で握っていた刀から左手を離し、腰に差している脇差を抜き放った。

 流れる動作で脇差を逆手持ちのまま縦に構え、狙われた喉元を防ぎにかかる。

 閃光が弾け、不快な金属音が響く。残念なことに手応えはない。薫の刺突は女の首皮一枚を裂くにとどまり、折角の好機を逃したことを悟った。


 薫はすぐに刀を引き戻す。

 が、それを許さないと女が一歩踏み込む。くるりと背を向け、回転の勢いのまま一閃した。


 だが、超至近距離だ。この間合いであれば、刀よりも拳の方が速い。


 引き戻した動作を利用し、回転しながらその場でしゃがみ込む。片足を折り曲げ、もう片足を伸ばした体勢。折り曲げた足を軸に、女の軸足ごと払った。


「く……っ!?」


 認識外の攻撃に女は転倒し、苦悶の声が漏れる。

 そんな女を押し出すように蹴り飛ばす。


 次の瞬間、女の体が冗談でなく、文字通り宙を舞った。


 元々、薫の脚力は――封印時であっても――人間の頭を踏み潰す事も出来る。

 そんな男が本気で相手を蹴り飛ばせば、その体は常識外れに浮き上がっても不思議ではない。


 女はすんでのところで腕を差し込み防御することに成功したようだったが、その状況に瞠目し、身を硬直させてしまっていた。

 その結果、飛ばされた先にあった木に背中から叩きつけられ、「カハッ!?」と肺の中の空気を吐き出し、咳き込んだ。


 ――好機だ。


 薫はそう判断し、疾風の如く間合いを詰める。自身の敏捷性を活かし、一気呵成に攻め立てる。


「さぁ、遊ぼうぜ」


 獣臭い獰猛な笑みを浮かべ、妖刀を振るう腕が激しさを増す。

 絶え間ない、豪雨染みた剣の舞。


「チ――」


 黒と白の軌跡が交差する。

 即座に片膝立ちとなり、二刀を振るって防ぎきる女。

 飛び散る火花は、鍛冶場の錬鉄を想起させ、薄暗い森の中を彩った。


 ――流石だ。復活が速い。


 薫が動いたとわかった瞬間、体に鞭を打って、強引に動かした。

 そして、その腕前には敵ながら感嘆せずにはいられない。さらに驚くべきは、女は薫の体重を乗せた剣戟を腕力だけで捌いていた。剣術は腕の力だけで振るうものではない。それは薫の我流剣術も例外ではなく、体重を乗せた剣技を女は腕力だけで受け止め、払い落す。


 これには薫も驚嘆するも、攻撃の手は緩めない。寧ろ、面白いと言わんばかりに好戦的に笑う。


「ハ――ッ!」


 だが、それもそこまで。

 無理な体勢で捌くにはその猛攻は苛烈過ぎた。


 一刀と二刀では当然その手数に差が生まれる。

 しかし、それは体勢が整った状況という前提条件が必要だ。

 女は今、なんとかして体勢を整えたい。

 それがわかっているから、薫はそうさせないように立ち回る。


 流麗な足運びで攻める箇所を変える。呼吸を読み、意識の変化を肌で感じ取り、させじと攻める方向を変えて猛威を振るった。


 変幻自在の剣線。正面、側面、下段、上段――

 三次元的な猛攻に加え、両手、片手、順手に逆手と変化する握りに力の強弱。

 本来の剣士なら行わない――剣を扱う上での常識を無視した剣舞は、体勢というアドバンテージがなければ成り立たない。

 しかし、それを繰り返して来た薫だからこそ形成された剣技は、滅茶苦茶でありながらひとつの『技』として確立されたものだった。


 これにはさしもの女も忌々しそうに表情を歪める。


「調子に乗るなっ!」


 一喝。弧を描いて迫る一撃を二刀で弾くと、強引に地面を蹴り付け、返す刀で薫に斬りかかった。


 たまらず地を蹴り、消えたと錯覚するほどの速度で後退。

 直後、先ほどまで薫がいた場所に振り下ろされる二刀の渾身の一振りが叩きつけられた。

 ごうん、と空を切って地面を砕き、土塊を巻き上げる女の一撃。


 それは悪手だ。

 大地を砕いた女の一撃は確かに強力なものだった。

 しかし、言い換えれば、力に物を言わせて振われた大振り。そんなものはテレフォンパンチと一緒だ。


 そんな無駄の多い一撃には、当然隙が生じる。

 その隙を見逃す薫ではない。


「間抜け――」


 三角跳びのように、自らの跳躍を巻き戻すかのように女へと飛びかかる。


 対して、女は動かない。刀を地面に打ちつけた体勢のまま動く素振りがなかった。

 その隙はもはや取り戻しようがない。


 一秒とかからず舞い戻ってくる黒刃。

 間違いなく女の首を斬り払うであろう必殺の一閃。


 だが、突如女が取った行動に薫が目を見開いた。


 ぐるん。そんな擬音がぴったりだろう。

 刀を振り下ろしたまま、女はコマのように体を反転させた。全身の体重移動に加え、遠心力を利用した体ごと薙ぎ払う渾身の一太刀。


「ぐっ――!?」


 手から全身に伝わる大きな衝撃。その衝撃によって腕が痺れ、握りが弱まった手から刀が離れた。

 先程の意趣返しか、弾いた刀ごと薫の体が僅かに浮かび上がり、自身を苛む浮遊感を振り払って着地する。


 薫と女は互いに不満の色を示した。


 お互いがお互いを仕留めようと放った必殺の一手だった。

 たとえ窮地を凌いだとしても、決めきれなかったのだからそんなものに価値はない。


 間合いは大きく離れた。

 一拍遅れて離れた場所から、スコンッ、と聞き慣れない音が周囲に響く。

 横目で音のした方を見れば、離れた場所にある木に、根元まで突き刺さった愛刀が目に入った。


 今の交錯で、弾かれた妖刀が薫の手から離れ、六メートルほど離れた木に激突したのだ。


 いくら妖刀の切れ味がいいとはいえ、弾かれただけで根本まで突き刺さることはない。

 これにはもはや渇いた笑みしか浮かばなかった。必然筋力は男よりも劣るはずだが、それでもこうはならない。

 呆れるほどの怪力である。


 だが、今の攻防はお互いに負担が大きかった。

 薫は手の痺れがひどく、握力が戻るまで少し時間が必要だ。

 どうやら女も無理な体勢からの一撃が堪えたらしく、体勢を整えた後も構えるのみで攻めてこようとしない。


 このまま睨み合っていてもいいが、自分が回復するよりも先に動かれてしまえば流石にどうしようもない。


 そう思い、不敵な笑みを浮かべたまま声をかける。


「ハッ。やるな、女剣士。俺の師ほどではないとはいえ、これ程までの技量を持つ相手は久しく見なかったぜ」

「そちらこそ。今まで私とこれほどまでに斬り合って生きていた剣士は初めて。ううん、傷をつけられない相手自体が初めてですとも」

「防御には少しばかり自信があってな」


 薫が普段手合わせの相手にするのは格上ばかりだ。

 そんな相手と戦闘をしたところで、防御一辺倒にならざるを得ず、スカアハを相手にした際はそれが顕著に出ている。


「あなたの剣、それは我流?」

「わかるのか?」

「もちろん。型破りな動きが多いもの」

「そうかい。なら、突くならそこだな」

「それはどうでしょう? 私がもう活路を見出しているかもしれない」

「そいつは怖ぇな。だったら、その活路を崩そうか」


 薫が言い放った言葉に、女は表情を凶悪に歪める。侮られていると思ったのだろう。


 だが、それは否だ。目の前の女剣士は間違いなく強い。

 今の薫では、純粋な剣技で勝てるビジョンが浮かばなかった。


 そんな相手を侮るほど、薫は傲慢ではない。


 同じ土俵で勝てないのなら――業腹だが――一旦その土俵から降りるしかない。


 故に、薫は離れた場所で刺さったままの妖刀を拾いにいかない。行けない、というのも理由のひとつではあるが。


「貴様、ずいぶんナメてくれる」

「侮りではない。先の剣技を目にして、侮れるほど俺は傲ってねぇよ」


 女の表情が訝しげなものに変わる。

 言葉の意味を理解できなかったらしい。


「勝てねぇのなら、勝てるようにする。闘争ってのは……そういうものだろう?」


 幾分か痺れが和らいだ腕を上げる。


「――っ!?」


 一瞬。目を離した、なんてことはない。女は間違いなく薫を注視していた。

 だというのに、突如現れた赫い二メートルにも及ぶ凶器に気付くのが遅れた。

 まるで、最初からそこにあったかのような自然さに、反応が遅れてしまった。


 薫は腰に差したままの鞘を引き抜き、レイラ達の方へと放り投げる。

 これから長物を扱う以上、あのまま鞘があれば邪魔になってしまう。


「一体どこから……?」

「手品のようだろう? 元はこちらが主流でね。剣も槍も、弓も銃も全て後付けのものだ。だが――」


 感覚を確認するために手元で槍を弄ぶ。


「――後付けだからと言って、容易く下せると思うなよ?」


 なんということのない、飄々とした薫の声。


 そんなもので、女が冷や汗を額に浮かべる。

 女だけではない。離れた位置で見守っているレイラ達もその声に背筋が凍りついた。


 だが、女はすぐに表情を好戦的な笑みで上書きした。


「本気? 長物を振り回すのに適してない場所だけど」


 僅かに嘲りの色を滲ませた女の声。


 彼女の言う通り、槍を振り回すにはいささか手狭だ。木々が邪魔をして思うように動かせないと思っても仕方のないことだろう。


 薫はそれに胸中で同意しながらも、肩を竦めるだけだった。


 しばしの沈黙。遅れて、「そう」と女が小さく溢した。


「あなたがその気なら、いいでしょう。まだちょっと侮られてる気がしてムカムカしますが!」

「いやいや。寧ろ俺のことをよく知る連中がこの状況を見れば誰もが驚愕するぜ。俺に槍を使わせるってのは、そういうことだ」


 そう言って獰猛に笑う。女もつられるように好戦的な笑みを浮かべた。


「その言葉、嘘でないことを祈りましょうか!」

「あぁ、期待してろ。我が槍の妙技、その目に焼き付けな!」


 互いに構える。


 双方の間が歪んだように錯覚する。二人の放つ剣気がぶつかり合い、物理的に空間が捻じ曲がったように錯覚した。全身に打ち据えられる重圧が一層強まる。それに心地よさを感じつつ、相手の一挙手一投足を注視した。


 不意に女が構えたまま声を上げる。


「二天一流、宮本武蔵。いざ、参る!」


 唐突な名乗りに、また、その内容に思わず目を瞠る。


 その流派と名は剣術を扱う上で聞かない事はないだろう。それだけ有名な名だ。


 名乗られたからには名乗り返すのが礼儀。

 薫もそれぐらいは理解している。

 しかし、薫の扱う槍術には明確な流派の名など存在しない。

 嘗てはあったのかもしれないが、少なくとも薫はその流派の名を聞いた試しがない。


 あえて名乗るとすれば、安直ではあるがこれがいいだろう。


「ケルト流槍術、鬼桜薫。参る!」


 その名乗りに、女――武蔵は特に反応はない。

 反応するほどの存在だと認知されていないのか、そもそも知らないのか。


 まぁ、どちらでもいい。

 今は刃を交わすのが先決だ。早く斬り合いたくてウズウズする。

 どうやら武蔵もそうなのか、今にも飛び出しそうな雰囲気だ。どこまでも似たもの同士だった。


 そうして、二人の火蓋が切って落とされた。




 それは異次元の戦いだった。


 今目の前で繰り広げられている攻防が異常であることは、素人ながらに理解できた。

 それは自分と一緒に見ている二人の様子を見ても明らかだ。


 ――凄い。


 そんな面白みのない感想しか出てこない。


 自らを悪人だと言い放つような男ではあるが、シーニャはそんな彼の非道な行いをするところを見たことがない。なんなら戦闘を見るのも初めてだった。

 これまで見たことがないからこそ、自分の故郷であるバトルプラネットが危険な場所であると宣い、危険だと身を案じるようなことを口にしてきた。


 バトルランキングの上位者がシーニャの中では全てだった。それ以上に強い人物が想像もつかなかったのだ。


 しかし、そんなシーニャの常識は、音を立てて崩れ去った。

 それほどまでに、目の前の光景が凄まじかった。


「ぜぇいっ!!」


 渦巻く突風。

 二刀によって繰り出される剣戟。


「ふ――!」


 迎え撃つは必殺の槍突。

 突風の如く飛び出す女剣士を神風の如く弾く槍兵。


 奔る刃、流す一撃。

 高速で突き出される槍の一撃を、武蔵と名乗った女剣士はすんでに受け流す。


 互いの間合いは変わらない。

 薫は自らの得意な間合いへと潜ろうとする武蔵を嘲笑うかのようにその足を止めさせる。


 たったの二メートル。それだけの距離を、武蔵は詰めることができない。それどころか、逆に押し返されていた。


 明らかに槍を振り回すには狭いこの空間の中、どのような扱いをしているのか、槍は不規則に並び立つ木々につかえることなく美しい弧を描きながら振り回される。かと思えば直線的な軌跡が降り注ぎ、対峙する剣士を穿たんと荒れ狂う。


「まったく見えない……!」


 正直、シーニャの目には二人の攻防が追いきれなかった。

 先程から絶え間なく鳴り響く剣戟の音と、二人の間で生じる火花によって戦闘が行われていると判断できるだけで、何をどのようにしているのかは判別できないでいる。


 だが、それはどうやら自分だけではないらしい。

 隣で見ているイリカは、その光景を見て言葉を失っていた。


「凄いね、あれ」

「レイラお姉さん、あれが見えるんですか……?」

「見えるよ。うちの家族って、五感を特に鋭敏になるように鍛えるから、動体視力も結構いいの。……でも、あれはちょっと私でも入っていけない」

「なっ、レイラでも!?」


 レイラの言葉に、イリカが驚愕の声を上げた。


「うん。実を言うと、私達って剣術に関してはみんな我流になっちゃうから、剣の達人なんかと比べちゃうとやっぱりその差は出てくるの」

「それって、どういう……?」

「簡単に言っちゃうと、動きに無駄が多かったり、隙が多かったりするの」


 確かに達人であれば、戦闘中に生じる隙を見逃さないだろう。

 それは素人であるシーニャにも理解できる。


「で、ですが、お兄さんはあんなに強いですよ……?」


 自分でそう口にして、改めて納得する。

 薫は強い。今は槍を使って戦っているが、その前の片刃の剣を手にした時も武蔵と互角に渡り合っていたように思う。


 そんなシーニャの言葉に、レイラも同意するように頷いた。


「確かにウィルは強いよ。それは間違いない。でもね、純粋な剣術だけで言えば、実はそうでもないんだよ」

「どういうことよ?」

「ひとつだけ強調させてもらうと、別に『弱い』とは言ってないからね? 技術も純粋な身体能力も並の人間よりは高い。それはイリカも体験した後だから、言われなくてもわかるでしょ?」

「……まぁ、それは」

「それって実はスカアハさんとか、色んな人に見てもらってるから、あの我流剣術が形になってるわけ。そりゃそうだよね。一回戦ったからわかるけど――あの人、ちょっとでも隙を見せたらすぐにそこから切り崩してくるから」


 そのスカアハという人物を知らないため、シーニャは何も言えない。

 聞くと、薫の師匠らしいのだが、その人物は薫のような剣術は使わないのだと言う。


「それじゃあ何? あの女と渡り合えてるのは、あのバケモノ集団との戦闘経験があるから出来てるだけっていいたいわけ?」

「まぁ、それであってるよ。と言っても、状況証拠みたいな物でしかないけど。だって、自分の目で見たわけでも聞いたわけでもないから」

「……それで結局何が言いたいわけ?」

「ウィルは刀を手放して、槍を手に取った。つまり、剣術では勝ち目がないって判断したんだよ。じゃないと、ウィルの性格上、相手と違う得物は手にしないだろうし、私も最近知ったばかりだけど、ウィルの槍術は間違いなく達人だもん」


 あの戦闘に第三者が介入するのは嫌がりそうだけど、と付け加え、レイラは苦笑する。


 シーニャは武人ではない為、今行われていることがどれだけ凄いことなのか理解できていないのかもしれない。


「イリカも見たらわかると思うけど、あれはレベルが高過ぎる。下手に入っていった瞬間斬り刻まれちゃう」


 少し茶化した物言いだったが、その目は本気だ。

 レイラは本気で介入すれば死ぬと言っていた。


 その瞬間を想像し、恐怖からぶるりと体が震えた。

 同時に、そんな人物に拾われていたのかという強い安心感を抱いた。


 不意に断続的に続いた剣戟の音が止んだ。

 見ると、先程まで距離を詰めようとしていた武蔵が退がり、薫は隙のない構えで相手を睨め付けていた。


 どちらもその顔面に浮かぶのは獰猛な笑み。

 あり得ないことに、この二人は戦闘を愉しんでいる。歓喜しているのだ。

 いつ自分が殺されるかわからない極限の緊張状態の中、それが楽しくて仕方がないと言いたげに笑っていた。


 ハッキリ言って、シーニャには到底理解できない感情だ。


 次の瞬間、薫の姿が霞む。遅れて鋼同士が激突し、火花が薄暗い夜闇を彩った。

 稲妻の如く突出した槍突を、白刃が確と捉えた。


「長物を使っておきながら、自ら距離を詰めるとは!」

「それで敗北と、そう言うかよ?」


 急所を穿つ槍突を、その軌跡を見切った武蔵が柄を打って弾き、嘲りの言葉と共に自らの間合いに入った薫を斬りかかる。


 返す言葉も嘲りの言葉。

 それ以上は口にせず、答えとばかりに繰り出される突きは先ほどよりも更に速い。


「くっ――!?」


 軌道を逸らそうといなす武蔵の顔は苦い。それほどまでに捌きにくいのだ。

 息を吐く間も無く繰り出される連撃を捌く事は非常に困難。

 その使い手が達人であれば尚更である。


 しかし、武蔵もまた剣術の達人だ。

 辛うじて後退しつつ弾く武蔵も、その猛攻に徐々に合わせていく。速度に慣れてきたらしい。


「ッハ! 人間でここまで凌ぐ奴はいつぶりだ?」

「ふっ――! それは、どう……もぉっ!!」


 遂にその速度から一手返す隙を見定め、放たれる一閃は鋭く、まるで吸い込まれるように薫に迫った。


 それを薫は高速で引き戻した槍の一捌きで打ち落とし、お返しとばかりにこれまでよりも重い打突。

 武蔵はそれを残しておいた左手の脇差で体の側面へと打ち逸らし、それでも危うかったのか僅かに後退した。


 その間隙。離れた間合いを更に助走とし、更なる連撃を見舞う薫。


 嵐の如く収まることを知らない猛攻。

 それを今の一瞬で既に十合。

 いや、実際はその倍か、はたまたそれ以上か。生憎シーニャの目では追いつけなかった。


 直線的な槍の豪雨は、尚勢いを増して武蔵を穿たんと降り注ぐ。

 繰り広げられる鋼の真空。

 終わることのない剣戟音が、さながら楽団の演奏の如く暗い森の中に響き渡った。


 武蔵は懸命に食らいつく。歯を食いしばり、二刀を巧みに扱い悉くを捌いた。

 不規則に外気に身を晒す木の根によって、平地とは違い足場はかなり悪い。

 シーニャが今日一日歩いて体感したそれは、戦闘においてはかなりやりにくいことだろう。そんな不安定な足場を物ともせず、木の根に引っかかることなく迫る猛攻を凌ぐ様はまさに達人だった。


 一際高く響き渡る剣戟音。それを最後に、双方が距離を取る。


 もうレイラ達から言葉は漏れていない。

 完全に見惚れていた。口を半開きにし、ただ茫然と立ち尽くしたままだった。


 だからだろう。シーニャ達は目の前で繰り広げられる戦闘に集中するあまり、今どこにいるのかを完全に忘れてしまっていたのだ。


 不意に片眉を動かした薫が地面を蹴る。それはこれまで見せた卓越したものとは違い、一切の余分な動作を省きつつ、しかし愚直なまでに真っ直ぐに武蔵へと飛びかかった。

 明らかにこれまでと違い馬鹿正直過ぎた。それはシーニャでさえも気づけたほど。

 シーニャにも気付けることを、武蔵が気づけないわけがない。


 その考えを認めるように、武蔵が身構えた。


 得物の違いから、薫が先に射程圏内に入る。

 しかし、なぜだか薫は動かない。

 遅れて、武蔵の間合いになる。


 今にも斬りかかろうと、武蔵の手がピクリと動き――


「危ない!」


 シーニャが思わず叫んだ。数瞬後に起こるであろう情景を予想し、反射的なものだった。


 その直後だ。

 背後で何かが動く気配がした。


「えっ?」


 その気配につられるように背後を振り返ると、そこでは大きな動物が腕を振り上げた姿で佇んでいた。


 全身が毛むくじゃらで、体が大きく、シーニャの体よりも太い腕が四つ。

 外見で言えばゴリラが近い。それが手を組み、大きく振り上げていることから、何をしようとしているのかは想像に難くない。


「え?」

「シーニャっ!!」


 茫然と声が漏れた。遅れて気づいたレイラが慌てて絶叫し、自身の刀に手を伸ばしたが、到底間に合うはずもない。


 明確に迫る死の気配を前に、シーニャは考えることを放棄した。


 刹那、一陣の風がすぐ横を通過し、獣の喉元に深く突き刺さった。


 獣が痛みに悶え、ギャアギャアと気味の悪い悲鳴を上げながら、何かが突き刺さった喉元に自らの手を伸ばす。


「何が……?」


 急な展開に頭がついていかず、ただ目の前の光景を眺めるしかなかった。


 だが、状況は待ってはくれない。


「そこの三人! ボーッとしてないで、早くこっちに来なさい!」


 背後から鋭い声で怒鳴られた直後、ぐんっ、と強い力で引っ張られた。一拍遅れて誰かに抱き止められる感覚。


 背後を見ると、離れた場所にいた筈の薫がいた。

 原理はわからないが、どうやら自分は何かしらの方法によって薫の腕の中に抱かれているらしい。


 そんな薫の目も鋭く細められており、小さく舌打ちをすると、足元にシーニャを下ろした。


「少し遊び過ぎたか」


 そう小さくごちながら、先程も見せたように槍を一捌きさせる。

 すると、その背後で絶叫が聞こえた。


 見ると、そこには三匹にも及ぶ巨大な獣が傷を負って倒れていた。


 その獣は巨大で、ギョロっとした目玉が気持ち悪く動き回り、気味の悪い声で悲鳴のようなものを上げる。


「喧しい」


 薫が冷たく吐き捨てると、獣の喉笛を素早く掻き切る。一際大きな絶叫がしたかと思うと、その場で事切れた。


 その様を尻目に、先ほどまでシーニャがいた場所で声にならない声を上げているのと同じ獣の亡骸の横で周囲を一瞥した武蔵が声をかける。


「休戦といきません? 流石に対処しないと面倒ですし」

「乗った。お前にはコイツを救ってもらった恩もある」

「話がわっかるぅ! そういう人、嫌いじゃないわ!」

「言ってろ」


 それまで互いに殺し合いをしていたとは思えないほどの気軽さに、シーニャは頭がこんがらがる。


 遅れて二人の元にレイラ達がやってくると、


「お前らはシーニャを守れ」

「いいけど、ウィルはどうするの?」

「武蔵と二人で掃除する。なに、そう時間はかからん」

「わかった」


 薫がそう短く言い放つと、武蔵が大きく駆け出した。

 狙いは先程シーニャの背後にいた獣。喉元に突き刺さったままの何かを回収するためだろうか。

 いつの間にか左手が空となっていた武蔵は、まっすぐその獣に向かって駆けていく。


 獣も自身に迫る存在に気づき、浅い呼吸で一際大きな咆哮を上げる。その声量たるや、十メートル以上は離れているにも関わらず、耳を塞がざるを得ないほどだった。


 しかし、唐突にその咆哮が止まる。

 薫が手に持つ真紅の槍を投擲し、寸分違わず心臓に突き刺さった事で強制的に止めさせたのだ。


「お見事!」


 武蔵が讃える声を上げ、亡骸となった獣から自身の脇差を引き抜く。


 その時、武蔵の頭上から今屠られたものと同じ獣が降ってきた。


 それに気づいた武蔵が一刀の元に斬り捨てる。

 その太刀筋は緻密でありながら凄絶で、その傷ひとつで致命傷になっていた。


「お前もな」


 その全てを見送った薫も、武蔵を讃えるように言葉を送り、素早く周囲に視線を巡らせる。


「周辺のが根こそぎ集まってきたってところか。とはいえ、所詮はアームゴリラとシャドウカメレオンの群れだ。大した脅威じゃねぇな」

「そもそも、そんなに危険な魔獣はこの森にはいないでしょうに」

「それもそうだ。取り敢えず、とっとと片付けるとしようか」

「賛成!」


 二人はそう短く言葉を交わすと、蹂躙を開始したのだった。

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