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四天王  作者: シュガーイーター
ライオネル・ソウル編
3/34

三幹部

 千尋は目の前に仁王立ちしている男を睨みつける。

 よく鍛えられた筋肉があらわになった筋肉ダルマだが、それを見せびらかせているのは、露出狂のケでもあるのだろうか。なんとも、教育に悪い男だ。


 視線をチラッと男の背後の社員たちに向ける。


 皆、ガタガタと震え、肩を抱き寄せている。負傷者もどれも軽傷で、命に関わるものはない。そこは、一先ず安心だ。


 とにかく、これからすることは限られてくる。


 ――先ずは、社員たちを逃がさないとな。


 なるべく早く目の前の男を撃退するか、隙を見て社員を逃す必要がある。しかし、社員たちは非戦闘員。民間人だ。

 千尋のように戦争を経験している者もいるからか、腰を抜かしている人はいないが、恐怖心は少なからずあるだろう。


 視線を目の前の男に戻す。そして、少し考える素振りを見せる。

 男が自分で名乗った名に聞き覚えがあるのだ。


 以前、業務提携先の会社の社長が言っていた事なのだが、一ヶ月ほど前にニュースになり、世界中が驚きを露わにした事件がある。

 それが、『ロシア連邦軍軍備大破事件』だ。

 ある男によってロシア連邦軍の戦車や戦闘機などを破壊され、それを止めに入ったロシア軍人にも多大な被害を与えたそうだ。

 そんな被害を与えた人物の名が、確かグルタフだった筈だ。

 だが、それも運良く旅行から帰省していたロシア連邦陸軍少佐の女によって撃退されたようで、それ以上の被害が出なかった事を聞いた。


 そんな男が馬鹿な野望の持った組織にいるのはとてももったいないことだ。しかし、他人の人生に口出しするほど自分は偉くない。そんな権利もないのだ。


「オレたちはお前達を目標にして結成された組織だ」


 不意にグルタフと名乗った男がそんな事を語りだした。

 千尋は訝しみながらもその言葉に耳を傾ける。


「確かにオレたちの組織はお前たちと違い、構成員の数が多い。そこは認めるさ。だが、その分部下たちはまだまだ訓練不足。ぶつかったところで負けるのは目に見えている。今のこの状況が何よりの証拠だな? しかし、それでもオレたちは攻めてきた。それは何故か? オレたちの進む先には必ずお前たちが立つだろうからだ――」


 千尋は、グルタフの言葉にあくびが出そうになってくる。聞いてもいないことをベラベラと話しているが、もともとそんなものは聞く気などなかった。

 だが、それを噛み殺してグルタフの熱弁に耳を傾ける。何かこの男の口から、自分達にとって重要なことを聞けるかと思ったからだ。

 今のところは、そんな要素は皆無だが。


「――お前らのような奴らなら世間のことを色々と知らなくちゃならないだろ? なら知ってるはずだ。オレたちは日本政府に対してテロの予告をした。四天王は政治にも口出し出来る存在だ。遅くても、その時にぶつかる。だったら、多大な損耗を覚悟で攻めてきたってわけだ……って、あれ?」


 流石の千尋ももう聞く意味無しと判断し、男の横を通って肩を抱き寄せて怯えている社員たちを避難させていた。

 涙目になっている社員たち一人一人に、「もう大丈夫」「無事でよかった」と語りかけて安心させてやる。


「おい! テメェ、無視するんじゃねぇ!」


 グルタフは話を聞いていない千尋に向かって吼える。


 千尋も社員たちを避難させ終わり、男に向き直った。憤った形相でこちらを睨んでくるが、知ったことではない。勝手に意味もないことを語り出したこの男が悪いのだ。


「お前達ライオネル・ソウルの事情は知らないし、長い話を聞く気もない。俺たちは、ただ襲撃してきた敵を倒すだけだ」


 千尋は敵意を露わにグルタフを睨みつける。

 拳を硬く握り締め、小さく息を吐く。その動作ひとつで一切の雑念が取り払われ、目の前の事に集中出来る。


 千尋の様子を見て、グルタフはニィッと歪んだ笑みを浮かべた。


 それを見ていると、心から戦闘を楽しんでいる時の誰かさん()が脳裏に浮かぶ。あいつに比べれば、放つ殺気も足元にも及ばないが。


 改めて思い返せば、最近は薫のそんな姿を見ない。戦闘狂から普通の青年へと心境が変化したのだろうか? それとも、物事に無関心になっただけか。


「ケハハッ、いいねぇ……! そのやる気の目、たまらねえよ!」


 グルタフは重心を下げ、千尋の攻撃をいつでも防げるようにしている。だが、武術家の視点からしてみると、隙だらけだ。

 よく見ると、猫足立ちの構えになっているところを見るに、グルタフは空手を嗜むらしい。


 ――空手家に空手で挑むとは、いい度胸だ!


「行くぞ! オレは――」


 グルタフが何かを話そうとしたが、千尋は構わずに地面を蹴って距離を詰める。

 グルタフはそれに面食らった様子で目を丸くした。そのおかげで反応が少し遅れた。


 千尋はグルタフの腹部に裸拳を撃ち込む。

 バチィッ、と音を響かせながらそれを腕をクロスして防ぐグルタフだったが、苦悶の表情を浮かべて防いだ腕を見ている。


 ――このぐらいだったら、まだ耐えられるか。


 相手の力量を測るために、かなり力を抑えてみたが、もう少し力を込めてもよさそうだ。防御が少しぎこちないが。


「ラァッ!」


 グルタフは雄叫びをあげながら腕を振るい、千尋を振り払おうとするが、千尋はそれを正面から受け止めた。


「な……っ!」


 千尋は何も言わずに下段を狙った蹴りを繰り出す。

 グルタフは咄嗟にジャンプして躱そうとしたが、その後の出来事にグルタフは呆然とした。

 下段を狙ったと思われた蹴りが、軌道を変え、上から叩きつけられるように蹴りがグルタフを襲ったのだ。

 頭を強く蹴られ、宙にいたグルタフは顔から地面に叩きつけられた。


 ――ブラジリアンキックには対応出来ないのか……。


 これは相手の底が知れた気がした。いや、既に知れていたが、これで確信になった。

 武術家にとってはこの程度のことは簡単に対処出来る。例え出来なかったとしても、ダメージを最小限に抑えられる。


 ――コイツ、防御が下手だな……。


「これなら、すぐに終わりそうだ」


 言うが早いか、すぐに距離を詰めると、胸の中心に狙いをつける。


 あまりそうしたくはないが、襲撃され、部下に傷を負わせられたのだ。薫じゃなくても頭にくる。見返りに、心臓の停止をくれてやることを心に決めた。


 だが、何を思ったかグルタフは後ろに飛び退くと、壁に背をつけた。逃げ場をなくし、しかし獰猛な笑みを顔に張り付けながらも構える。

 グルタフの構えは相変わらず猫足立ちの構え。

 猫足立ちの構えは、前蹴りを出すのに適した構えであり、実際にもそこから前蹴りを繰り出す者も多い。

 つまり、グルタフが蹴りを狙っていることは明らかなのだ。


「何の真似だ?」


 千尋は相手の行動の意味を半ば理解しながら問いかける。


「なに、気付いてるんだろ? 背水の陣ってやつだよ」


 意図的に背水の陣を作るのはいいが、先ずは相手を倒す妙案を出さなければいけないだろう。


 その点、千尋はその案が出ている。

 武器は壁際に落ちているコンバットナイフひとつ。他にも銃も転がっているが、腕に自信がないため拾わない。そもそも、武器など使うつもりもない。


 空手家の――空手だけではないだろうが――武器は、鍛え抜かれた自身の体だ。武器を使わずに手を空にする。長年鍛え続けられたその拳は有象無象の凶器に比べれば、その破壊力も、切れ味も計り知れないものとなる。

 ましてや、それを千尋が使っているとなれば、その脅威がぐんと跳ね上がる。

 事実として、仲間内の四天王は千尋の実力を恐れて、あまり千尋と本気で争うようなことはしようとしない。


 千尋はグルタフを見据えていると、地面を蹴ってグルタフが迫ってきた。初めの一撃に、予想通りに足が飛んでくる。

 内心でほくそ笑みながらも足刀押え受け――繰り出された瞬間に足の裏で押さえるように受けた。


 グルタフは読まれていたことに舌打ち、続けて無我夢中に腕や足を振り回す。

 千尋はそれらを事もなさげに受け、払い、いなしていく。


 正直、あくびが出そうなほど弱い。弟子の方がまだ強い。

 一発、一発が、雑になり、加えてそのどれにも腰が入っていない。まるで幼子が喧嘩の際に腕を振り回しているようなそんな攻撃だった。


「ラアァァァアアッ!」


 グルタフは雄叫びを上げながら一方的に攻撃を仕掛けてくる。突き、手刀、足刀蹴り、回し蹴り、貫手。


 ――なるほど。


 千尋は相手の意図を理解した。


 先ほどから無我夢中に繰り出されるグルタフの攻撃は、正直言って技術どころか狙いすら雑だ。適当に(・・・)振り回しているだけなのだ。

 それがこの男の狙いだ。

 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、というように、適当に振り回し、更にこちらが攻撃する隙を与えないために、一方的に攻めてきているのだ。


 ――だが、まだ甘い。


 千尋には、この程度の攻撃を抜ける事は容易い。攻撃のひとつひとつがまるで止まって見える(・・・・・・・)。息をつく暇さえあるほどだ。


 ――凱旋(がいせん)


 千尋は相手の攻撃の隙間を狙い、胸の中心に向かって掌打を撃ち抜いた。

 パァンッ、と快音を響かせ、馴染みのある拳が抉りこむ感覚が伝わってくる。


 グルタフの体が大きく吹き飛び、少し離れた壁に背中から激突する。

 だが、グルタフは何の反応も見せず、ピクリとも動かない。目の焦点も合っていない。無気力に脱力して、壁際に腰を下ろしてしまっている。


 確かめるまでもない。


 グルタフは、もう死んでいる。


 人間の心臓は特定の角度、範囲、威力で非穿通性の衝撃が与えられると――振動によって『心臓震盪(しんぞうしんとう)』という致死的不整脈(ちしてきふせいみゃく)を起こし、急停止してしまう。

 千尋の『凱旋』は、それを意図的に起こす殴打技。

 更に余剰のエネルギーで横隔膜震盪(おうかくまくしんとう)をも起こさせ、呼吸も止める。

 簡単に言えば、『相手の心肺を停止させる技』だ。

 これはかなり器用な――人間が使うにはかなり難しい離れ業だ。


「……ふぅ」


 息を吐き、ゆっくりとした動作で体から力を抜いて自然体になる。


 これで、現在敵対している組織の底が知れた気がした。幹部でこの程度なのだ。

 人を殺すのは気が引けるが、必要であれば殺す。


 今日が千尋にとって初めての殺人だったが、やはり精神的なダメージはかなりある。しかし、目的のためには(・・・・・・・)これに慣れなくてはならない。人を殺す感覚を、体に染み込ませる必要がある。

 千尋たち四天王は、ある目的がある。それを達成するには、因縁のある組織の重役を殺す必要があるのだ。


 取り敢えず、今は今回の依頼のことを考えよう。


 ――この依頼、内容の割には案外簡単かもしれないな。


 内容は何とも馬鹿らしい物だが、スケールはなかなかに大きい。多少だったが、重く見ておく必要もあったのだ。


 そう思ったのも束の間、死んだと思われたグルタフが立ち上がり、襲い掛かってきた。


「まだだぁぁぁああぁっ!!」

「っ!?」


 いきなりの事で対応が遅れ、一発攻撃をもらってしまう。流石はロシアで事件を起こしただけはある、体重の乗ったいいパンチだった。


 ――残心を忘れてたか。


 千尋は己の落ち度を反省した。

 口の端に浮かんだ血を手の甲で拭うと、思考を巡らせた。


 なぜ、死んだ筈の男が立ち上がったのか。

 それを考えた時、一瞬忌まわしい記憶が脳裏をよぎったが、すぐにそれを払いのける。


 ――あの時のあれは、死体だ。理性などなかった……!


 その時、また別の事が頭をよぎった。

 それは、三葉からの情報だった。


 ――『三幹部には、個々に特殊な能力を持っている』。


 そして、その能力は先ほども見た『雷』。

 そういった特異な能力の専門家ではないために、詳しいことはわからない。だが、おそらく魔術か異能の類だろう。


 ――なるほど、電気ショックか!


 体外式除細動器、通称AEDと呼ばれる物や、手術(オペ)中に心拍数が低下した患者の心拍数を戻すために用いるものだ。

 止まった心臓に直接ショックを与え、再び心臓を動かすための療法。


 千尋はこれでも医者、それも院長だ。人間の体の構造などはある程度は理解している。

 だからこそ、今回のことは少し驚いた。


 ――心臓を停止させられても、能力を使って即時蘇生する。少し、厄介だが……次の案は浮かんだ。


 その案は、先ほどよりも力の使い方は荒っぽくて構わない。

 心臓を『止める』のではなく、『破壊』する。そうすれば、電気ショックで蘇生されることもない。死んでいなかったことに、心のどこかで安堵していたが、しかし、手は下さざるを得ない。


 千尋はそう考え、首をコキリと鳴らした。




 グルタフは内心恐れていた。

 相手は世に名を連ねるほどの男。それも、空手を習っている者なら知らない者などいないほどの。


 グルタフは十代の頃に空手を嗜んでおり、しかし、すぐに辞めてしまい段位は三級。まだ段にもなっていない弱者だ。

 そのために、戦う前に保険をかけていた。

 心臓の動きが停止したら、すぐに電気ショックを行うように仕込んでおいたのだ。


 生まれつき使える雷の異能。その制御が出来るようになったのは五年ほど前だが、使いようによってはかなり使える。今までも幾度となくこの異能に救われた。

 今回に限っては、あのまま死んだ方が楽だったのだが。


 ――ここまで強いとは……!


 グルタフは最近負け続きだ。

 ロシアに力を試しに行った時も、槍を持った女に敗北し、今回も既に一度殺されている。

 ライオネル・ソウル内でもグルタフに勝る膂力の持ち主はいなかったし、異能に関しても、同じ三幹部の中ではかなり有力な異能だと自負している。


 だが、自分の持ち得る技術をフルに使っても、氷崎千尋には勝てるとは到底思えなかった。


 ――接近戦では圧倒的にオレが不利。だったら、ドンドン能力(ちから)を使っていくしかねぇ!


「ハッハッハッ」


 すると、千尋がいきなり笑い出した。

 グルタフは双眸を細めて千尋を睨む。侮辱されている気がしたからだ。


「ハッハッハッ、まさか一発貰うとはな。正直驚いた」

「まだまだこれからだぜ? 楽しませろよぉっ!」


 グルタフは腕を高く振り上げ、勢いよく振り下ろす。雷の異能を解放し、遂に戦闘に使用する。


 異能には、魔術と同じように術式というもので構成されているらしく、世の中には異能と魔術を同一視するような人もいるらしい。

 しかし、魔術の術式は、まだ詳しくは知らないが、数式の塊のようなものだ。それを自身の魔力回路を使って魔力を流し、特定の術式を構築することにより発動を可能としている。

 本来、魔術の行使には詠唱を必要とするらしいが、生まれつき異能を使えた自分は詠唱などという面倒なものは必要ない。


 仲間の魔術師を名乗っている男は詠唱しているが、苦戦を強いる場合や、強敵と対峙した時は詠唱していない。

 それを思うと、絶対に詠唱をする必要があるわけではないらしい。


 術式が展開された刹那――


 千尋の頭上から落雷が降り注ぎ、視界を真っ白に塗りつぶした。だが、ここで止まるわけにはいかない。

 この男がどれほどヤバいかは、先ほどの肉弾戦で嫌になる程理解させられた。


「まだまだぁっ!」


 グルタフは絶え間なく雷を放つ。

 呼吸する暇も与えず、攻める暇を与えない。

 だが、先ほどはそれを容易に抜けられた。それだけで戦闘能力の高さがわかったが、力の奥底がどれほどかはまだまだ計り知れない。


 それに、こちらが使っているのは雷。

 人の反射神経や動体視力では捉えられない一瞬のものだ。躱そうと思っても躱しきれないはずだ。

 自分でも――雷を使う相手と出会ったことはないが――躱すことは出来ないだろう。


 そう思っていた矢先、左頬に鈍痛が走った。そのまま痛みが引く前に腹部と脇腹、胸の中心にも重い一撃を連続で打ち据えられる。

 大きく仰け反ったグルタフは、何が起こったのかがわからない。だが、気づいたときには目の前に千尋が余裕の面持ちで立っていた。

 信じられないことにあの雷の雨霰を抜けて来たのだ。およそ人間の成せる技ではない。


 千尋は烈火の如き眼光でグルタフのことを見据え、しゃがみこんだグルタフを静観している。


「相手が薫じゃなくてラッキーだったな」


 ふと、千尋がそんなことを言ってくる。


「どういうことだ……?」


 その意図を理解出来ず、言葉を返した。

 千尋はフッと微笑を浮かべ、グルタフの目をまっすぐ見返してくる。馬鹿にされているのかとも思ったが、それにしては真剣な態度だ。


「あいつ、お前たちも知ってるように大の人間嫌いだろ? でもさ、それ以上に戦いが好きでな。いや、戦いというよりは、殺しをか? あいつは自分より弱い奴には容赦はしないし、強い奴ならとことん楽しむ。だからさ、もしアイツが戦ってるお前の仲間が弱かったら……あいつ、すぐにでもこっちに攻めてくるぞ?」


 グルタフには言葉の内容をうまく理解出来ない。あいつとは、一体誰だろうか?

 それを考えても頭が回らないが、言葉には出来ない恐怖がその身を襲ってくる。


 千尋の表情は優しい。優しいのにも関わらず、何故か圧力で押し潰されそうになる。次第に呼吸が荒くなり、額に大量の汗が浮かび上がってくる。それに、少し息苦しい(・・・・)


「でさ、お前は周りの気配とか感じられるタイプか?」


 唐突にそんなことを聞いてくる。


 その時だ。確かに感じた。自分に向けられた殺気。だが、それは目の前にいる千尋からではない。

 今まで感じたこともないほどの凄烈な殺気だった。

 あの女でも感じない。目の前の男からも感じない。どこか体に粘りつくような禍々しい狂気。死刑台に立たされているかのような錯覚さえも覚えた。


 どんどんと強張っていく表情を見て、千尋は苦笑した。


「手は出すなよ? こいつは俺の相手だ。今のうちに、殺しに慣れておかないといけないからな」


 千尋は誰に発したのかわからないが、本来はここにいないであろう人物に声をかける。


「!!」


 グルタフと千尋の直線上。千尋で姿が隠れて見えなかったが、いつからいたのだろうか。そこには隻眼の男が言葉に出来ないほどの殺気を向けて佇んでいた。

 間違いない。鬼桜薫だ。


 グルタフたち『ライオネル・ソウル』は四天王のことを調べるために一人一人の情報は得ていた。どれだけ他愛のない情報だろうと、しっかりと頭に叩き込んだ。

 その中でも驚くべきは鬼桜薫だった。

 経歴が多彩であり、そして異質。とても一人の少年の出来事とは思えなかった。

 情報が情報だけに、薫とだけは戦いたくないと思っていたのも事実。だが、だからと言って他の四天王は倒せるのかと問われれば、答えは否。正直、足元にも及ばない。

 どれだけ攻めても、どれだけ拳を撃ち込んでも、どれだけ能力を使おうとも、涼しい顔でそれらを抜けてくる。

 なんともやりにくい相手だ。


 例えば、氷崎千尋。彼は幼い頃から空手を習っており、現在若くして極真空手十段(最高段)。池袋にも道場を建て、子供から大人までの幅広い層に空手の指南をしている。

 グルタフも空手を齧ったことがあるため、それがどれほどすごいことか理解できる。


「人間を殺すことに慣れる必要はない。むしろ人殺しになれるのは余程の外道しかしない」

「お前から道徳について語られるとはな。ま、殺しに慣れた男が言うと説得力に欠けるがな」

「つまり、俺は余程の外道と言うことだ」

「シャレになってねえよ」


 目の前に敵がいるというのに、余裕そうに談笑をしている。これほどの侮辱は初めてだ。


 ――何なんだよ……こいつらは!


 四天王は化物だってわかっていた。だが、ここまで力の差を見せつけられるなどといったい誰が思っただろう?

 たった数回殴られただけだが、それだけでグルタフの身体は悲鳴を上げていた。少し呼吸が難しくなり、胸に鈍い痛みがあることから、肋骨も何本かやられているのかもしれない。もしかすると、肺も……。


「ハハッ、あいつの前に立った時点で、詰んでいたわけか……」


 思わず渇いた笑みが漏れる。なんて愚かだったのだろうか。

 互いの力量を正しく把握できていれば、このような馬鹿なことはせず、タイミングを見て撤退するなり何でも出来たはずだ。

 いや、もしかすると、それでもグルタフはこの場に残ったかもしれない。戦いしかない身としては、それ以外に自分を肯定する手段がなかった。だから、自分は様子見という任務でもありながら、もうひとつの死刑宣告である殲滅という任務を無意識に選んでいたのだ。


 これまでの愚かな自分を回想する様子を薫は軽口を口にしつつ、横目で観察していたが、手を出そうとはしない。千尋が自分で相手にすると言った以上、手を出すつもりはないのだろう。完全に静観を決め込んでいた。


 ──しゃあねぇか……。


 グルタフはゆっくり立ち上がると、捨て身覚悟で内に秘める全拘束を解除した。

 自分が使える雷の異能。

 異能はその使用者の肉体に合わせて自然とストッパーを作り出すようになっている。だが、命を引き換えにそのストッパーを外すと、強大な力を得ることが出来るのだ。


 殲滅は不可能。かといって、様子見も出来なくなった以上、ここで倒れることは必然。彼らの様子から殺されるのは月を見るより明らかだ。

 口の端に血を浮かべつつ、太々しく笑ってみせる。

 みすみす、殺されてやるつもりもない。任務が続行できないのなら、生き残っている部下や、今回任務に赴いていない本部の連中の助けになれるよう、可能な限り傷を与える。与えなければならない。


 そんなグルタフの変化を虚無の眼差しが捉える。千尋もその様子に釣られて、ようやくグルタフが着々と攻撃の手段を整えていることに気付いたようだった。だが、もう遅い。どんなに腕の良い魔術師でも、彼らがどれほど強いのだとしても、防がせない。防がれてたまるか。


 ――やってやる。


 命を引き換えにすることになるが、構わない。一人でも多く四天王に傷を負わせられるなら、それでいい。


「なっ……!」

「……」


 千尋は双眸を鋭くし、対して薫は呆れたように目を伏せた。


「悪いな……もっと続けようかと思ったんだが、時間切れのようだ……! テメェらを道連れにあの世に行ってやる! くらえぇぇっ!!」


 刹那、辺りが真っ白に染まり大爆発が起こった。しばらくの間、氷崎グループビルを中心に、半径一キロ圏内から音が消えた。

 壁は砕け、窓ガラスは粉々に粉砕し、食堂を真っ白に塗りつぶした。爆風が吹き荒れ、六本木のビル群に巨大な爆発音を轟かせる。


 グルタフの最後の力を振り絞った異能の威力は凄まじく、衝撃の余波だけで地面を大きく揺るがし、大気もビリビリと振動しているかのようだった。

 薄れゆく意識の中、ふたつの黒い物体が目に入った。それがグルタフの見た最期の光景だった。




「……この程度か。お前が戦っていたのは」


 薫は真っ黒になったグルタフを踏みつけ、千尋に語りかける。


「なかなかいい相手だったんだがな」


 ありえない。千尋に言われるまで自分の存在に気付かず、捨て身の自爆は薫の魔術によって二人には無傷。確かにそこらの魔術師でも、一流と言われるレベルの魔術師でもただではすまないような手傷を負わせられるものだった。その点に関しては評価できた。

 だが、魔術師という枠組みの中で言えば、薫の実力は常軌を逸している。その技量も、魔力量も、魔術におけるありとあらゆるものは他の追従を許さない程だ。それによって、苦も無く防いでしまった。

 社員の避難も終了していたため、被害者は無し。


 グルタフの狙いは、完全に不発に終わった。


「お前も戦ってたんだろ? 三幹部」

「あぁ、逃げた」


 薫の言葉に千尋は目を丸くした。少し意外そうな反応を見せる。


「何だ、逃がしたのか? お前が? あの傍若無人で人の心なんて欠片も持ち合わせてはいない人でなしの碌でなし。数多くの人々を殺して、目の前で知り合いが死んでも興味がないとバッサリ切り捨てた――」

「三年前のことまだ根に持ってやがる……。あれは、お前の二年の頃の担当教師で、俺はあいつの授業を習ったことなんかねぇよ」


 千尋が言っているのは、三年前の大厄災での話だ。

 アンデット達の蔓延(はびこ)る校舎内を、千尋の妹を探しに行く際に見た光景のことだった。

 その時に、少し口論になり殴り飛ばされた記憶がある。

 当時も、現在ほど人間離れした膂力ではなかったにせよ、中学生とは思えない重い拳だったのはよく覚えている。


「冗談だ。あの時のことはもう気にしていない」

「どうかな。今でもその光景を夢に見ているだろうよ」

「……まるで見ているかのような言い方だな」


 千尋が口を噤み、少し暗い表情をしてしまう。彼の性格上、人の死に関しては受け止めにくいことだろう。


 三年前の大厄災でも、死んでいく人々を見てパニックを起こしていた。それが他人だろうと、家族だろうと、千尋には誰の死も全て平等なのだ。

 それら全てを冷めた眼差しで見送っていた薫とは違い、千尋には他人の命をも慮る聖職者のような心の持ち主であることを思い知った、そんな出来事だった。


「暗い話はよそう。それよりも、本当に珍しいこともあったな。お前が敵を殺さないのは初めてじゃないか?」

「初めてではない。まぁ、生かした分は痛めつけてやったがな――」


 薫はゆっくりと先ほどのことについて、口を開いた。




 千尋とグルタフの戦闘が始まると同時刻に薫の方でも戦闘が始まった。

 相手はローブを身にまとい、分厚い魔道書のような物を手に持った赤毛の男だった。明らかな魔術師というような格好ではあるが、今時そんな格好をしている魔術師は先ずいない。そのせいか、薫の目からは浮いているようにしか見えなかった。

 

 大物ぶって現れたはいいが、先ほどの爆発系魔術はお話にならないものだ。それだけで、男の程度が知れるというものだ。

 加えて、薫に魔術で挑むというのも、滑稽な話だった。


 薫は三葉の情報を思い返す。


 ――『三幹部には個々に能力を持っている』――


 ――十中八九魔術がそうだな。


 お話にならない程度のものだが、魔術であることは確か。それに、爆発系は初心者には少し難度の高いものだ。

 そもそも、魔術はその扱いの難しさによって五つの難度で区別されている。


 第一位階に属する魔術が最も制御を容易としており、魔術師の間でも基本中の基本として扱われている。その効果も魔術の中では小さいものだ。例を挙げるなら、指先に小さな光を点したり、虚空から小さな水を作り出す、などである。使用用途としては、日常生活に用いる魔術師が多いのが主だ。

 位階の数字が増えていくにつれ、その制御が難しくなっていき、それに比例してその効果が大きくなる。そういった理由から、魔術師達は細心の注意を払って魔術を使っているのだ。

 その中で今見た爆発系は、第三位階に分類されるものである。

 そう考えると、一目見ての男の魔術の扱いからあの威力に納得が出来た。もちろん、悪い意味でだが。


 ――それに、この男の名。


 先ほど、目の前の男はルーレンと名乗った。

 薫には、その名にはひとつだけ心当たりがある――というより、自分で調べた。


『東洋の魔術師』と呼ばれ、出身の村には恐れられ、追い出された男だ。

 その後、その村は全焼。塵ひとつ残らなかったらしい。


 以前、軍隊から連絡が来た時の内容にも『東洋の魔術師』のことが記されており、調べた内容を軍に報告した記憶がある。既に自分は脱退してるはずだと不思議に思ったのを覚えている。

 だが、結論として相手としては不足だ。


 その時、先ほどと同じ現象が起こり、周囲の気温が一気に上昇している。

 直後、爆発を起こす。小さな爆発だったが、大気を揺るがす爆音が廊下内を響き渡り、ガラスが木っ端微塵に吹き飛んだ。


 薫はそれを敢えて受けた。

 その威力を自分の身で確かめたかったのだ。

 結論として、威力は殺傷力としては低い。故に、恐るるに足りない。

 今一度直撃を受けたはずの体の具合を見てみても、服が焼け焦げ、多くの傷痕のある肌が外気に触れているだけだった。


 本来、爆発系魔術は殺傷力の高いものだ。戦いで使用するときは、弱くて手榴弾(グレネード)程度だ。今受けたものはそれにも満たない。酷くて火傷程度のものでしかない。


 原因としては、わかる範囲でふたつ。


 まずひとつは、術式が雑だ。所々に欠陥があり、簡単に無効化させることも容易なほど――薫にとってはどの魔術も無効化は容易いのだが。


 ふたつ目は、ルーレンが詠唱を省いているのだ。

 魔術に詠唱が必要不可欠というわけではないが、詠唱をするだけでその正確性、威力は驚くほど違う。特に、三流の魔術師には詠唱の有無で魔術の制御が左右されるほどだ。


 ――この程度で魔術師か。飛んだお笑い種だ。


 これで出身の村を、塵も残さないほどに焼き払ったいうのは事実かどうか甚だ疑問だ。


「何故避けなかったのです?」

「避ける必要を感じなかったからな。……ルーレンとか言ったな? お前に十分やる」


 薫の挑発に、ルーレンは訝しんだ表情を見せる。


「その間、こちらからは攻めない。何処からでも打ってこい」


 薫は両手を広げ、ワザと隙を与える。明らかな罠だ。この程度の挑発に乗るのは余程の間抜けぐらいだろう。


 果たしてルーレンはワナワナと拳を震わせ、キッと薫を睨んでくる。


「舐めやがって……!」


 と小声で呟いたところを見るに、効果は絶大だ。


 ──余程の大馬鹿者だな。


 ルーレンは指を鳴らすと、バランスボールほどの大きさの火球が五つ現れ、薫に迫ってきた。どれも術式が適当だ。


「へぇ」


 薫はそれらを最小限の動きで余裕を持って避け、最後のひとつには懐に入れていたタバコ(アメリカンスピリット)を一本取り出して火をつけた。それを咥えて紫煙を吸い込む。


「火をどうも」


 感情のこもっていない言葉を掛け、相手の出方を窺う。

 ルーレンは歯軋りをしており、こちらの態度が腹立たしそうだ。ここまで挑発に乗りやすいと、さすがに呆れてくる。


 ルーレンがもう一度パチンと指を鳴らし、火球が五つ現れる。

 薫はそれを先ほどと同じようにして躱した。が、すぐに違和感を感じる。注意深く観察してみると、すぐに違和感の正体に気づいた。


 ――術式が違う。


 念のために背後に視線を向けると、躱したはずの火球が戻ってきており、薫に迫りつつあった。


 ――なるほど、追尾型か。


 即座にその戦法を見て取ると、薫は肺いっぱいに酸素を吸い込む。

 そして、


「――――喝ッッッッッ!!――――」


 一喝すると、驚いたことに火球が消えていった。


 ちょっとした魔術の妨害工作だ。

 魔術回路からの魔力の供給を不安定にしてしまえば、どんな魔術だろうと暴走してしまう。

 それはそれで面倒なため、魔力供給を遮断したのだ。魔力が供給されないことには魔術が発動することはない。火球が消えた原理はそれだ。


 これにはルーレンも瞠目し、目を丸くしている。


「だったら……!」


 ルーレンは地面を蹴って距離を詰め、拳を振るう。だが、相手が悪かった。


 薫は、正面から受け止めるでも、受け流すでもなく、相手の勢いを利用して関節をへし折った。

 ボキリと鈍い音がするのと、ルーレンの苦しげな呻き声が漏れるのはほぼ同時だった。


 薫は嗜虐的な笑みを浮かべると、


「十分保つか?」

「くっ、攻撃しないのではなかったのか!? 信じた私がバカだった!!」


 ルーレンは苦悶の表情で腕を押さえながら薫を睨んでいる。

 その目には明らかな憎悪の念がある。信じていたのに、とも言いたそうだ。

 だが、薫はそれを見て嗤う。さもおかしそうに。


「な、何がおかしい!」

「クククッ、お前吐き違えるなよ? 確かにこちらからは攻めないとは言ったが、『反撃しない』とは一言も言ってねぇだろ。……それに、お前は信じたんじゃねぇよ。激情に駆られただけだ」


 実際、薫はそのつもりでいた。相手の攻撃を利用し、相手の腕をへし折る。昔習っていたやり方だ。

 そして、それが薫の好きな手口でもある。こういう時の相手の表情は滑稽なのだ。


「それと、ひとつ教えておいてやる。ピアスはやめておけ。肉を引き千切られるぞ――こんな風にな」


 言うと、ルーレンのピアスに手を伸ばし、思い切り引き千切る。肉が裂け、鮮血が飛び散る。


「ぐあぁぁぁあぁっ!」


 その痛みにルーレンが悶え、耳からはポタポタと赤い雫が絶え間なく溢れ出る。足下にも小さいが血溜まりが出来ている。


「いい勉強になっただろ」


 薫は耳から血を流す男に向かって冷酷に吐き捨てる。


 これでは準備運動にもならない。昔、自分に指南していた人々はもっともっと強かった。何度空を仰ぎ見たことか。

 そのおかげもあってか、今は相手を圧倒し、こちらは息を吐く余裕がある。


 ――あの人達には感謝だな。


 その時、予兆も無しに薫のいた場所が爆発した。

 爆煙が廊下を包み込み、ルーレンが煙を吸って咳き込んでいる。


「けほっ、けほっ……これなら、殺傷力は低くても、少しは傷つけることは出来たでしょう」


 ルーレンはゆっくりと立ち上がり、目の前の爆煙に目を凝らす。


「!!」


 そして、見た惨状に息を呑んだ。


「……で?」


 タバコの煙を吹かしながら、無傷の薫が冷徹な眼光でルーレンを睨みつける。視線が一気に氷点を下回り、まるで凍土の中にいるかのような錯覚すら覚える。


 ――元々威力が低い癖に、更に低くしてどうする……。


 首をゴキリと鳴らし、指をパキパキと鳴らして更に挑発する。


「どうする? 早くしねぇと十分経っちまうぜ?」


 薫は感情の込もっていない声で言い放つ。

 だが、ルーレンは苦悶の表情でこちらを睨むだけで動かない。

 無理も無いだろう。魔術を使っての攻撃をいくら試みても薫は無傷で凌ぎ、接近戦ならばカウンターを受けるだけ。どう考えても詰んでいる。


「どうした? 万策尽きたか?」


 薫は小馬鹿にしたようにルーレンに問いかける。


 その時、視界の隅にチラッと映ったひとつの光。マズルフラッシュだ。

 薫は反射的にバックステップで後退。

 直後、ガラスの破砕音に続いて窓が割れ、壁に風穴が空いた。七・六二×五一ミリNATO弾だ。


 薫は先ほど光った場所に目を凝らすと、一人の男がこちらに銃口を向けているのが見えた。急いで場所を変えようとしているが、慣れていないからか動きがぎこちない。


 薫は足下に手を伸ばし、転がっていたナイフを掴むと一気に投擲する。

 放たれたナイフは一寸の狂いもなく、ただ一直線に狙撃手(スナイパー)の喉元に迫る。


「上がこれなら部下もこの程度か」


 喉元にナイフが突き刺さった男が血を噴き流しながら倒れ、動かないのを確認すると視線を苦悶の表情のルーレンに向ける。


 ──そろそろか……。


 薫はふぅ、と小さく息を吐くとルーレンを睨む眼光の鋭さが増した。薫がどんどんと殺気立つ。同時に辺りの温度が急激に冷え込んだ感覚が辺りを支配する。


 ルーレンはビクッと体を震わせ身構える。


「……十分経った。神への祈りは済んだか? 茨の道を選んだのはお前だ。だったら、文句はねぇよな?」


 直後、薫が地面を蹴り距離を詰める。

 ルーレンの目には薫の姿が見えず、突然眼前に現れた薫の姿に目を見開いて驚愕を顕わにしていた。


 ――桜衝(おうしょう)


 薫は驚きに目を見開いているルーレンの顔面めがけての、加減された正拳突きを放つ。

 その動作のひとつひとつが早く、少しでも視線を外せば間違いなく相手を叩き潰す威圧の一撃。

 ルーレンは、それを躱すことが出来なかった。

 パァンッと音を響かせ、顔面から大量の血を流しながら、殴り飛ばされる。


 まず、間違いなく鼻の骨は折れているだろう。そんな感触が伝わってきた。

 薫が先ほどまでいた地面は抉れ、どれほどの力で地面を蹴ったかの証明だった。恐ろしいほど人間離れした身体能力。


 ――あの人の教えはこうも役立つとはな……。


 薫は世間が知るように、大の嫌われ者だった。

 道を歩けば石を投げられ、時には発砲されることもあった。

 そんな時、いつも薫のことを庇う女がいた。

 その女は薫より十歳年上。更には薫のいた殺し屋の親玉で、薫をスカウトした張本人だった。


 女はキリッとした佇まいで、凛とした態度で周囲と接していた。時には笑い合い、部下が問題を起こした時は我先にと足を突っ込み、問題を最小限に抑えていった。

 薫はその女のことは好きだった。何より、人間ではないことが好印象だった。

 薫のことを我が子のように愛情を持って育て、体を張って薫のことを庇った。

 薫はこんな風に子を愛し、子を守るような存在になりたいと少なからず思ったこともあった。一生そんな日は来ないと思っているが。


 それから数年後には薫のことを慕う同い年の少女も現れ、その時の生活は楽しかった。妹として薫はその少女のことを扱った。


 薫とその少女は、育ての親であるその女から暗殺術の手ほどきを受け、強くなった。他にも戦いの極意、人間の急所、身体の構造など様々なことも教わった。

 薫の人間離れした身体能力もそのひとつだ。過酷な修行の果てに得た身体能力は、身体を身軽にする。柔軟性に高く、どのような体勢からでも攻撃に移ることを可能としている。


 薫は曲がった鼻から血を流しているルーレンを睨み付けると、足元に何か描かれているのが見えた。

 見ると、何かの魔法陣が描かれており、この構造はかなり複雑なものだ。


 ――爆破系魔術……いや、違うな。これは……第四位階の灼熱系魔術か?


 これほどのものを使いこなすのは、彼のような三流魔術師には至難の技だ。それこそ、ルーレン程度の実力しかないのなら詠唱は必須。そうでなければ、流し込む魔力が暴れ回り、制御が効かなくなって魔術が暴走してしまう。そうなってしまえば、最も被害を被ることになるのは術者だ。


 魔術とは、本来扱いが難しく、応用が利き、使える人間が少ないのが特徴だ。全人類の中でも魔術を使えるものは三十七パーセント。更には魔術の深淵を覗いたものはほんの一握り。世界でも二十人いるかいないか。

 そして、薫は最年少の十二歳でそこへと至った男だ。それまでの最年少記録は六十七歳である。それでもかなり速い部類だったはずだが、それを大きく覆す結果となり魔術師達を騒然とさせたものだ。

 薫の場合は、師事していた相手に恵まれた結果だった。恐ろしくスパルタだったのが辛いところだが。


 薫は一目見た瞬間に魔術の術式を読み解き、対抗策を即座に編み出す。

 術式の識別なんてものは魔術の深淵を見たものにしか出来ない事であり、かなりの集中力を必要とする荒技だ。術式を覗いたとき、身体への負担も大きく、一度見ただけで目眩を起こして倒れる者もいる。

 薫はそうならないように、訓練を怠らずにいる。


「……あなた方の、情報は得ていました」


 ふと、ルーレンが語り出した。

 薫はその意図を察しながらもゆっくりと近づいていく。

 その間、体内の魔力を循環させ、いつでも魔力を行使できるよう準備を怠らない。同時に、頭の中に対抗手段として四十を超える魔術式を展開している。

 世界広しと言えど、そんな事をやってのけるのは恐らく薫を置いて他にはいない。主に人間の中には、という注釈はつくのだが。


「氷崎千尋は人を殺した事がなく、社員思いのいい社長。子供に格闘技を教えるときも心優しい青年として有名」


 薫はこくりと頷いていた。


 千尋はあの若さで極真空手十段を取得。池袋にある道場で空手を子供達に教え、人当たりの良い事から子供達の保護者からも人気がある。

 実際は、千尋の顔見たさに我が子を道場に入門させる大人も存在する。その子供はもちろんやる気などない。

 だが、千尋はそんな子供にも空手に興味を持たせるように語り掛ける。

 千尋の周りはいつも笑顔が絶えない。

 薫も一応そこの師範として教えてはいるが、滅多に顔を出さない。


 薫は極真空手七段。空手家の中でもそこそこ有名であり、他にもテコンドーや中国拳法(カンフー)などを使う事から異種格闘技戦に招待される事が度々ある。


 薫も子供からは人気がある。だが、その度に親が子供を引っ張って薫から離す。

 要は、子供は大人に束縛されていると考えている。子供のしたい事が出来ないことばかりだ。

 子供の身の安全を考えてのことだろうから、仕方がないところもあるだろうと割り切っているが。


「……で?」


 薫はルーレンに続きを言うように促す。


「空手家の中ではかなり有名であり、向かう所敵なしの強者とされ、更には他企業からはかなりの切れ者として見られている」


 ――情報屋もいい仕事してるな。


 だが、千尋の日常のことばかりで戦闘面の情報は特にない。

 これは仕方がないのだ。

 千尋はルーレンが言ったように、世間では人当たりの良い好青年として思われている。

 薫はそのイメージを崩さないよう、汚れ役をいっぺんに買っている。社内にいる他企業のスパイは半殺しにして追い返し、不正行為を働いた社員は薫が精神的に追い詰め――いわゆる脅して退社させる。

 しかし、千尋は薫が退社させた社員にも次の就職先を取り次いだりと優し過ぎる対応をしている。

 更には千尋を引きずり降ろそうと文句を言ってくる客に対し、千尋を出す前に薫が出て精神的に衰弱させ、そして千尋を呼ぶ。

 そのおかげあってか、薫の印象は最悪。対する千尋の印象は高評価。

 千尋も千尋で薫のイメージアップを何度も試みているが、薫はそれを全て無碍にしている。


「俺の情報とかはあるのか?」


 薫は目つきを鋭くして尋ねかける。

 ルーレンは額に大量の汗をかきながらゆっくりと話し始めた。


「鬼桜薫。幼少の頃に『人類存続戦争』を起こし、わかる範囲で五億人を殺害。終戦の後、すぐに殺し屋にスカウトされ、その翌年には軍隊に入隊。一年ほど経った後、武器商人の護衛につき、十一になったときには解雇され、殺し屋に戻る。現在は池袋に在住し、池袋で『絶対に喧嘩を売ってはいけない人』としても有名……それ以上のことは何も」

「ほぉ」


 千尋はルーレンの語った情報に感嘆の声を漏らした。


 薫は過去の情報は隠蔽していたはずなのだ。その隠された情報を探し出すのは至難の技だ。

 知っている情報屋は、わかる範囲で一人だけ。だが、薫はまだそのことに気づいていない。


 ――その情報屋は良く見つけたものだ。


 実際のところ、情報の間違いはひとつだけだ。


 薫は護衛を解雇されたのではない。解雇してもらったのだ。自分から頼み込み、雇い主が渋々と解雇を言い渡したのを覚えている。


「……聞きたいことは聞けた。さて、王手詰み(チェックメイト)だ。……どうする?」


 薫は尋ねかけると、ルーレンが不敵に笑い出した。


「ふ、ふふふ……一体何のためにこんな長話をしたと思っているんですか?」


 その言葉に薫は特に反応を見せない。話の変え方が露骨過ぎて、時間稼ぎだということは目に見えていたからだ。

 薫は敢えてそれに乗ってやった。


 魔法陣を見ると、既に術式が完成し、発動間近に迫っていた。相変わらず詠唱をせず、術式の構築も杜撰なために正確性に欠けるが、それでもいいところまではいっている。その事に関しては素直に評価してやっても良いだろう。


 だが、薫は焦ることなく泰然と待ち構えた。


 ――あの術式を崩すのは容易いが、この男の力作であろうこの魔術を見てみたい。


 手を出すことをせず、静観を決め込む。見るだけに留めるつもりだが、おおよその威力や範囲はその術式を見て判断は済んでいた。それを見ての予測では、第四位階の魔術にして最低な出来である。発動範囲は狭く、威力は先程の第三位階の魔術に比べれば確かに殺傷能力はあった。それでもまだまだだ。


 そんなことを思っているとはつゆ知らず、ルーレンはこれ好機にと恍惚に笑って見せた。


「終わりです! バーンブレンド!!」


 術式が発動。燃え盛る灼熱の炎が薫に肉薄する。廊下は炎で赤く染まり、熱気が薫の頬を撫でる。暑さで額にはうっすらと汗が浮かぶ。

 その中でも薫は何時もの仏頂面を絶やさない。何所までも、予想通りだった。


 腕を雲霞をなぎ払うかのように振り払う。すると、魔力が渦を巻き、一迅の風が吹き荒れ、灼熱の業火を吹き飛ばした。


 ルーレンの魔術を消し飛ばしたのは第五位階の魔術だった。しかも、それを緻密に操り消費した魔力も通常に比べて少なく、威力も、作用させる対象をも的確に指定してのもの。術式を展開させるのにもコンマゼロ一秒で完了させていた。

 ルーレンが第四位階を使う際に時間稼ぎをしたのに比べ、薫のそれは片手間で終わらせられるほどのものでしかなかった。使用した魔術に違いはあれど、同じ条件で、且つ同じ方法での魔術の使用にこれほどまでの違いが出れば、どんな素人だろうと彼我の実力差は明らかだった。

 わかりきっていたことだが、二人の技量には隔絶した差があった。


 その中で、呆気にとられて佇んでいるルーレンは、夢でも見ているかのように目には光を失っている。


「……?」


 薫は不審に思って近づくと、いきなりパチパチと音を出しながら燃え始めた。その身を炎に包まれ、黒煙を上げる。


 ――コイツは……!


 薫は炎に包まれたルーレンの頭に上段回し蹴りを叩き込む。

 ルーレンはメキャッと音を立てて首が外れ、壁に叩きつけられる。

 だが、本来なら出るはずの血が出ない。そうなると、考えられるのは――


「……逃げたか。悪くない判断だ」


 薫は踵を返して千尋のいる食堂に向かって歩き始める。


「この程度ならもう片方も底が知れるが、存外に苦戦しているようだ」


 実際はあまり本気で相手をしていなかっただけなのだが、薫はそのことを知らない。

 心の中ではないと思っていることを予想しながら千尋の元に向かう。


 その時、手に握っている物に気が付きそれを見る。

 それはルーレンがつけていたピアスだった。獅子の装飾がつけられたものだったが、良く目を凝らしてみると何か文字が彫られている。


 ――これは……フランス語?


 どういうことだろうか。薫の記憶が正しければ、ルーレンはフィリピンの出身者だった筈だ。


 ――『その身を屍へと捧げろ』だと?


 薫は額に血管を浮かべて怒りを露わにする。

 この言葉は、薫たち四天王が探し求めている因縁の組織の言葉だった。


「……野郎には、訊かねぇとならねぇことが出来たな……!」


 薫は放たれた殺気を隠そうともせずに食堂に向かって歩いていった。

今回は少し適当みたいになったかもしれません。


感想、ブクマ等お待ちしてます。

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