表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四天王  作者: シュガーイーター
戦いの世界編
29/34

バトルプラネットへようこそ

 バックパックに出立の準備を詰め込む。

 携帯食から予備弾倉に至るまでの必要なものをこれでもかと詰め込み、パンパンに膨れ上がったそれを傍に置く。

 腕にズッシリとのしかかる重みに、自然と身が引き締まる。

 嘗ての経験故か、これから戦場に赴くのだという叱咤にも近い何かを感じた。


 寿司屋での話し合いから一晩が経った。

 あの後、シーニャの件でゴタゴタしたが元の食事に戻った。

 しかし、薫が謁見することについて、当人の性格を把握している面々としてはやはり心配は多かったらしい。謁見するにあたって「頼むから穏便に済ますようにしてくれ」と口を酸っぱくして言われた。

 千尋達にとって薫はやはり何をするかわからない狂犬という認識なのだろう。それに苦言を呈そうとメリーナはしていたが、そこは彼らの認識を察した薫自身が先んじて制していたため口を噤んでいた。


 千尋達は気が気でないだろう。メリーナ云々は置いておいても、薫自身が気に入らなければ王族相手であろうとも容赦なく噛みつこうとする。そんなことになってしまえば、千尋達を通じてこちらの世界と結んだ友好関係に亀裂を生じる危険性が出てくるのだ。

 レンストンが取る方針にいい気はしないものの、こちらにまで攻撃の矛先が向くことは避けたい。

 だからこそ、本当は千尋自身が謁見して拒否の意思を伝えるか、その旨を書状にしたためるといった手段で済ませたかったはずだ。

 だが、薫はこれから直接レンストンに向かうつもりであるとわかってしまえば、その手段は難しいだろう。二度手間になるのもそうだが、いらぬ混乱が生じてしまう危険性がある。


 そういったことから、薫達が取るべき方針を定めたうえで、「丁寧な口調を心がけろ。喧嘩は売るな」と強く言い含められたわけだ。言いつけを守るかどうかは相手次第だ、と密かに考えているのは余談である。


 外はようやく太陽が顔を出した頃合い。まだ薄暗い外を眩く照らし、カーテンの隙間から覗く日光に眉根を寄せ、逃れるようにその場から離れる。


 クローゼットからいつものモッズコートを取り出し袖を通す。

 春も中頃となる今の時期には不要だと断じられるものだが、そこにナイフ等を仕込んである為、荒事に出向く際には羽織る事が多かった。


 レッグホルスターに収められたガバメントを抜き出し、不調がないかを入念にチェックする。


 そして、ようやくそれが終えた頃、背後に何者かが現れる気配を感じた。


 それが誰なのかは大凡察していた為、気負いなく肩越しに振り返る。

 やはりというか、そこには横になり、肘を立てて頭を支える姿で浮遊するアスタロトがいた。


「おっ、やってるやってる。たっだいま~! 命令はしっかりこなしてきたアスタロト様のお帰りよ~!」

「戻ったか。奴らはどうだった?」

「いやもうさいっこうに面白かったわ~。みんな仰天って感じ? これだからやめらんないのよね~」

「お気に召したようで何よりだ」


 すこぶるご満悦に笑う彼女に、ク、と小さく笑って返す。


 怠慢を謳歌する彼女であろうと、側近衆という卓越した集団に数えられる一人だ。

 彼女が最強である、という事はないが、それでも魔界で一、二を争う魔術の使い手である以上、この程度の命令は朝飯前だっただろう。


 伊達に薫に魔術を教えたわけではないのだ。


 では、パティンに言付けておいた内容はどうだったのだろうか。


 問うと、あーはいはいあれね、とおざなりに反応した。


「ほんっとに大雑把にしか見てないけど~、それでも?」

「構わん」


 りょーかーい、と間延びした返事をすると、くるりと空中で身を翻し、胡座を組む。

 表情に変化はないが、纏う空気感が僅かに引き締まった事から、彼女の中でのスイッチが切り替わったことを悟った。


「なーんかちょっと治安が悪くなってる感じ? 前から感じたけど、今はそれ以上に濃密な負の感情を色濃く感じるわ~。あーいうの、ちょっと好き」

「悪魔が好む環境になりつつある、か」


 悪魔が好む環境は、今アスタロトの言った通り負の感情が渦巻く場所のことを言う。

 スラムや人々の悪意が渦巻く場所等が良い例だろうか。


「――あぁ、それと奴隷もいた」

「なに?」


 不意に落とされた爆弾に思考を止めた。


「確かか?」

「間違いなさそう。首輪や奴隷紋もあったし、困惑してる人間もいたぐらいだから」


 それは要約するとつまり、奴隷制度を新たに発足し、奴隷のいる生活にまだ馴染めていない人間が困惑しているという事だろうか。

 もしそうだとすると、先王の政策とは正反対の施策を行っているようだ。


「やりたい放題だな」

「人間らしいっていえばそうじゃない? どうでも良いけどね~」

「奴隷に共通性は?」

「あるよ。異種族」


 薫の目が鋭く細められる。それを見て、アスタロトは、やれやれ、と言いたげに肩を竦めた。


「ひとまず、奴隷は確認しておこう。マモンに金を用意させておけ」

「はいは~い! それじゃ私は城に戻るから~」


 再び空気を弛緩させ、それで彼女からの報告は以上なのだと察する。

 相変わらず大雑把な報告だが、話の核となる部分はしっかり口にするという辺りは評価していた。


「――あっ、そうだ」


 不意に思い出したように声を漏らすアスタロト。

 話は終わったと、今にも部屋から出ようと扉に手を伸ばしたままの姿で止まり、訝しげに振り返る。


「何だ?」

「いや~もうひとつ面白い事あったのよ。はいコレ」


 粗雑な所作でアスタロトが腕を振るう。すると、突然目の前に掌サイズの小さな羊皮紙が現れた。


「こいつは?」


 羊皮紙に魔界言語で書かれる内容に目を通す。どうやら、住所かそれに近しいもののようだ。

 しかし、それを渡された意図がわからない。


 アスタロトは、んふっ、とおかしそうに笑うと、


「何かあった時はそこに行ってね~? もしもの時の備えってやつ」

「ほう? 貴様にしては珍しいな」

「まぁね。先客がいるけど、問題はないから。悪魔王様でも、一目で信頼すると思うわ」

「そこまで言わせるほどか。まぁ、頭の片隅にでも入れておこう」


 肩に背負ったバックパックの位置を調整し、薫は部屋を後にする。


 その後ろ姿を見届けた側近は、嗜虐的な笑みを浮かべ、その姿を静かに消した。




 顔を覗かせていた太陽が、僅かに位置を移す。眩い光が苦手な薫は、太陽から逃れるように顔を背け、鋭い眼差しですれ違う人々を牽制していた。


 季節には不釣り合いのモッズコートに、普段の薫からは想像がつかないほどの大荷物である。それはもう人目についた。

 先ほどからすれ違う人々は何事かと視線を向け、そこに立つ存在を認識すると、逃れるように足早に去っていく。


「本当にこんな場所に……『ゲート』があるの?」


 周囲から向けられる視線を気にした様子もないレイラが、訝しげに問いかける。

 それは彼女のそばにいるシーニャも同様で、口には出さずとも疑問を感じているらしいことは表情から察せられた。


 現在シーニャはスポーティーな格好に身を包み、キャップを被っている。

 彼女の特徴的な長い銀髪の大部分をキャップの内に隠し、可能な限り中性的に見えるようにしていた。


 間違いなく一国の王女がする格好ではないが、彼女は狙われる身。その上でレンストンへと戻ろうと言うのだから、危険なことこの上ない。

 その為、最低限の変装ということで、このような格好をさせていた。


 今三人がいるのは、都内に存在する繁華街、その入り口となる場所だ。

 夜になると、その繁華街は人でごった返し、客引きや仕事終わりの大人達の騒がしい声で埋め尽くされる。

 煜が働いているホストクラブがあるのもこの繁華街で、繁華街から出て少し行くと、リーターとマルコが経営する寿司屋がある。


 しかし、今はまだ早朝だ。そんな時間から開いている店はこの付近には少なく、道ゆく人々も出勤等で通過するために歩く者ばかりである。


「ある。といっても、そうわかりやすい場所じゃねぇ。少しばかり奥に行かねぇと見つからん」

「ふーん。まずはそこを目指すの?」

「そんなもん五分も歩かねぇよ。問題は、『ゲート』を通った後だ」

「危険なんだ?」


 レイラの問いに、薫は少し思案する。


「まぁ、多少はな。その方が早く着く」

「危険な場所を通るってことね。――聞いてなかったんだけど、どういう世界なの? こことの違いってある?」


 流石は兄妹というか、薫の曖昧な答えからすぐに言わんとしたことを汲み取った。

 その事に手間が省けるという気持ちになりながら、しかし、続く言葉に嘆息する。


「昨日話してたろうが」

「そうだけどさ、食べるのに夢中になっててあんまり聞いてなかったんだよね」


 そう言われてみれば、その話をしている時にもこの女は次から次へと追加の注文をしては胃袋に収めていた。


 話が始まった当初、クーデターの話、というなかなか重い話から始まった事で、レイラも話に集中していた。

 その話が終わり、シーニャを連れて行くかどうかの問答も終わった後、レイラは再び食事に戻ったのだ。

 食べ終わった後も、疲れて眠ってしまったシーニャを膝に乗せていた事もあり、完全にマイペースに過ごしていたと記憶している。


 それなら聞いていなくても仕方がない、という気持ちと、殺し屋としてどうなんだそれは、という至極当然な気持ちに苛まれたのは致し方のない事だろう。


 非難の意をこめて、わかりやすく一度嘆息し、改めてバトルプラネットの説明を簡潔に始める。


「あそこは、謂わば戦闘狂(バトルジャンキー)が蔓延る世界だとでも思えばいい。それぞれにランキングが設けられ、常に上の順位を目指して目を光らせている。上に上がりゃ、国によっては貴族位を貰って貴族になれるんだ。どいつもこいつも躍起になるわな」

「貴族云々はちょっとわかんないけど、要するにアサシンランキングみたいなもの?」

「似てるが別物だ。アサシンランキングは実力、実績、依頼人からの信頼度を総合的に判断して序列が決まる。が、あっちは実力しか見てねぇ。それも、実際に出た結果しか見ねぇ」


 意味がわかるか、と無言で問いかける。


 このランキングはとある問題がある。それに気づいているからこそ、薫はバトルランキングは質が悪いと非難しているのだ。


 果たして、レイラはその問題に気付いた素振りもなく、


「シンプルだからわかりやすいね!」


 と、単純な観点からの発言をした。


 流石にそこまで頭が回るわけではないか、と溜息を吐く。


「アホ抜かせ。お前、このランキングの質がいいとか思ってねぇだろうな?」

「え? 何か問題ある?」

「大ありだボケナス!」


 薫の暴言に、少しむくれるレイラ。頬を膨らませて、抗議の意思を示した彼女に、あのな、と諭すように言葉を紡いだ。


「結果しか見ねぇ、ってことはな、人柄やら手段は完全に度外視されてんだよ。おつむの出来も含めてな」

「……?」

「簡単に言っちまえば、正式な戦闘でなく、闇討ちやら暗殺やらでも順位はそこに当て嵌められちまうわけだ」


 例えば、百位の人物がいたとする。

 それよりも順位が低い者は、その人物を倒せば問答無用で押し上げられる。

 しかし、その者は百位の人物よりも明らかに実力が足りていなかった。


 それなら、それ以上に強くなればいい。

 そう単純に考える者も当然存在する。それなら実力は見合う為、薫も苦言は呈さない。


 だが、そう考えない者も存在する。


 百位が第三者と序列をかけて争いを起こす。その第三者も、その者と同じく百位よりも序列は低く、実力も百位よりも低かった。

 結果、百位は何事もなく勝利を収めた。

 百位の人物は、無事に序列を守ることができた。やったぞ、ざまあみろ。

 その瞬間、背後から拳銃で撃たれ、百位だった者は肉塊となり果てた。

 その下手人である者は、諸手をあげて喜んだ。やったぞ、俺が今この時から百位だ。


 つまり、大して戦闘をしていないにもかかわらず、その者を倒したという事実だけで順位は変動してしまうわけだ。


「なにそれ。つまんない」

「だろう? それだけじゃねぇ。自分よりも実力の高い奴の食事に毒を混ぜて毒殺しても、その順位になれちまう。結果、順位に見合わない雑魚がのさばる世の中の完成だ。加えて、おつむの出来も悪いおかげで悪法が敷かれるなんてのもザラだ」

「なるほどねぇ。でも、それだけなら戦いになっても楽に終わるから、こっちとしてはいいんじゃないの?」

「それだけで問題は終わらねぇんだよ」


 吐き捨てるように言う薫に、今一度レイラは考える素振りを見せた。


 質が低いと薫が宣う理由として、先述の内容も多分に含んだ評価だけではなく、それ以外にも問題がある。


 確かにレイラの言う通り、これから荒事になる薫にとっては、弱者しかいない連中を一方的に蹂躙することのやりやすさに繋がる問題ではある。

 その観点で見れば、特に苦労せずに鏖殺出来ると喜ぶべきものだ。


 しかし、今の論点はバトルランキングの問題点であって、戦いになった際の問題とは関係のない事だ。

 いや、完全にないと言ってしまえば語弊はあるが、比較的関係はない話である。


 流石にもう気づいてくれよ、と祈るような気持ちでレイラの答えを待つ。

 その間、シーニャの様子を見ると、彼女も考えているようで、顎に手を当てて視線を虚空で彷徨わせていた。


 彼女は先王である父親から、荒事の内容からはなるべく離して生活させられていたらしい。

 となると、父親が興した政策等は認知していても、その実態までは掴めていなかったのだろう。


 そんな二人の様子を見て、さて、どちらが先に気づくかを待っていると、あろうことかシーニャが先に答えを察したようだ。


 シーニャはハッとした様子で薫に視線をやった。


「その順位の人を倒せないと序列は変わらない……?」

「……そう考えた理由は?」


 答え合わせをする為に、理由を尋ねる。

 シーニャは内容を整理するように何度も口内で噛み合わせてから、自分の考えを口にし始めた。


「さっきから聞いていると、自分よりも上の順位の人を倒すことでその順位に上がれる、と繰り返していました。結果しか見ていないと仰っていた事からもそのお話は間違いないと思います」

「確かに言った。だが、それだけでは、先程のシーニャが出した結論に至るには少し足りねぇな?」

「はい。そこでひとつ質問なんですけど、先程のお話の場合、百位の人を千位の人が倒しても、その人は百位になるんですか? その……順位がひとつかふたつ上がるわけじゃなく、一気に……」

「そうだ。百位を殺した奴が万位だろうが億位だろうが、関係なく百位に躍り出る。その途中をすっ飛ばしてな」


 シーニャの疑問を解消するべく、質問にもわかりやすいように答える。


 その二人のやり取りを聞き、ようやくレイラも気づいたらしい。

 あっ、と小さくこぼしたのがわかった。


 シーニャは薫の返答を聞き、確信を得たらしい。やっぱり、と小さく口にした。


「つまり、順位を上げるには――どうしてもその順位の人と戦う必要があるわけですよね? 逆に言うと、会えなければ順位は変わらない、ということではないですか?」


 へぇ、と内心で感嘆の念を抱いた。


「その通りだ。結果しか見ず、順位の変動は己よりも上の奴を蹴散らした時のみ。シーニャの言う通り実際に遭遇しなければ変わりようがねぇって事だ」


 唯一の例外としては、戦闘で複数人が減った場合、その中で勝利した者が、戦った連中の中で最も序列が高かった順位に収められる。

 だが、生き残ったのがその者しかいなかった場合、どうしても空きは出てしまう。その空きの分、それ以下の連中の順位は頭数の減った分上がるようになっていた。


「確かにその順位の人は当然その人しかいないから、それまでは順位を変えられないんだ」

「会えなけりゃ殺し合いなんざ出来ねぇ。当然だろ? その所為で、実力はあるくせに低い序列のままでいる状況に陥ることになる。それが俺がバトルランキングを嫌う理由だ」


 アサシンランキングは複数の要因からでの観点だが、バトルランキングはたったひとつしか見ていないことによる弊害だった。


 だが、そういった状況に陥った者と遭遇したことはない。

 仮に遭遇していたとしても、薫達はバトルランキングなんてものに微塵も興味を示していなかった為、見向きもしていなかった。


 今伝えた情報は、バトルランキングがどのようなものなのかというひとつの知識として調べたものに過ぎない。

 それでも、調べてみれば今話したような状況になっている者はいくらでも出てくるだろう。


 それが容易にわかるからこそ、バトルランキングは質が低いと断言するのだ。


「よくわかったなシーニャ。事前知識の有無もあるだろうが、ある程度話の流れから予想も組み立てていた様だな」


 少なくとも、今横にいる女よりかは圧倒的に賢いことは間違いない。

 知らない場所で引き合いに出されているレイラも、そんな薫の言葉を認めるように、コクコクと何度も頷いていた。


 すると、シーニャは若干遠い目になりながら、乾いた笑みを漏らした。


「お城ではお勉強か読書ぐらいしか、することがありませんから」

「あぁ、なるほど。悪さをしねぇ良い子ちゃんゆえか。城内じゃ色々としがらみもあるだろうし、よくわかる」

「……わかってくれますか」

「あれ、これ地雷踏んだ?」


 当然ではあるが、勉強が好きだ、と言う人間はそうそういないだろう。

 シーニャも、どうやら勉強は嫌いらしい。その気持ちは痛いほどわかる。やってられるか、と投げ出すのが薫の常なのだから。


 薫とシーニャの違いは、根の真面目さだろう。

 嫌なものは嫌だ、と逃げまわる薫と、真面目で言われた事をしっかりとやり遂げる几帳面な性格であろうシーニャ。

 世間的にどちらが評価されるかは語るべくもない。


 とはいえ、今現在、シーニャの周りにいる兄妹は両方共勉学を嫌がり逃げたあぶれ者である。

 なんだかんだと真面目に取り組んできた彼女に対し、言葉をかけることは――無意識に――憚られた。


 少しばかり遠い目をしたシーニャを尻目に、薫は繁華街の方へと目線を向ける。

 相変わらずまばらに通行する人間には目を向けず、目的地である『ゲート』がある方向を真っ直ぐ見据える。


 薫達がこの繁華街にやってきてもうすぐ十分は経つ。それまではこうして会話で暇を潰していたが、流石にそろそろ焦れてくる。


 証拠に、レイラがソワソワとし始めた。

 彼女は昔から暇な時間を何かしらに当てており、こう退屈な時間が続けばじっとしていられなくなってしまう。

 おかげで、当時の仕事の際、標的を待ち構える間、ぶらぶらと忙しない様子だったのを思い出す。


「ねぇ、いつまでここにいるわけ? そろそろ行こうよ」


 遂に我慢も限界に来たらしい。目的地まで行こうと急かし始めた。


「まだだ。まだ一人来てねぇ」

「どなたかいらっしゃるんですか?」

「お前は寝ていたから知らねぇか。もう一人ついてくるとやかましく騒いだ奴がいたからな。今はそいつ待ちだ」

「――誰がやかましく騒いだって?」


 シーニャの疑問に答えた時、不服そうな声が後ろからかけられる。

 近づいてくる人物がいたことに気配で気づいていた薫とレイラは、自然な動作で振り返る。

 しかし、そんな訓練を受けたこともないシーニャは、ビックリしたように勢いよく振り返った。


 そんな対照的な動作を前に、腰に手を当て、いかにも不服ですと言いたげな顔のイリカ。

 遅刻したことを気にした様子はなく、気に入らない物言いに文句を言い出そうとしている彼女に、親しげに手を挙げるレイラ。


「おはよう、イリカ。イリカも来るんだ?」

「……おはよ。あんな話を聞いちゃったら、ほっとけないでしょ?」

「おはようございます。イリカお姉さん」

「おはよ、シーニャちゃん。今日もいい天気ね」


 呑気に挨拶を交わし合い始めた女性陣を冷ややかに見やる。


「五分遅刻だ」

「時間は正確にしてよ。実際は四分と四十五秒」

「四捨五入で五分だ。暗殺者(アサシン)なら時間は厳守しろ」

「そう言うあんたはどうなのよ?」

「俺らは五分前行動してんだよ。真面目だからな」

「どの口が言うのやら。同業者の間で有名よ? 『死を呼び招く黒狼』は時間にルーズだって」

「アメリカ人はそういうものだろう。違うか?」

「あんた、アメリカ人に謝った方がいいんじゃない?」


 苦言を呈すれば、容赦なく口撃が飛んできた。


 遅刻した奴が何を言おうが、痛くも痒くもない。というより、口で何を言っても、案外薫は気にしていなかったりする。

 なにせ、悪魔王の軍勢は皆気分屋で、何かしら時間を指定したところで数時間遅れてくることもザラである。

 下手をすれば丸一日遅刻してくることもあるのだ。


 そんな面々を見てきていれば、他者の遅刻なんて気にしていても仕方ないと思ってしまっても仕方がなかった。


 しかし、理由はそれだけではない。


 もうひとつの理由は、昔の生活環境であった。


 幼い頃、アメリカで暮らし、仕事で海外を回ることも多く、それぞれの国の風習を経験していると、多少時間にルーズになるというもの。


 海外の電車の時間は有名な話だろう。

 日本の電車であれば――余程のトラブルでもない限り――遅れてもたかが数分だが、海外では、国によっては三十分未満の遅延は遅延とは認められていなかったりする。


 海外の人々はそれが当たり前であり、それを踏まえて行動するのだが、薫は幼年期日本住みだった事もあり、


「そういうものなのか。それなら遅れても仕方ねぇな」


 と間違った思考をしてしまい、結果、時間にルーズになったまま育ってしまった。


 だからこそ、薫は中学時代には遅刻常習犯で、千尋と和希の誘いで入っていた部活動の顧問からお叱りを受ける毎日であったが、それももう過去のことだ。


 とはいえ、顔ぶれが全員揃ったならこれ以上ここで話していても仕方がない。


 そんな思いで、尚も言い募るイリカを無視し、


「行くぞ。益のねぇ話は終いだ」

「ちょっと? 私の話はまだ終わってないんだけど。誰が騒いだってのよ?」

「い、イリカお姉さん、落ち着いて……」

「これじゃあ、どっちが大人かわかったものじゃないね」


 無視して歩を進める薫。

 それに噛みつくイリカ。

 憤慨するイリカを宥めようと頑張るシーニャ。

 やれやれと苦笑するレイラ。


 そんなある種混沌とした空気感のまま、四人は騒がしいままに繁華街の奥へと進んでいった。




 ある程度進んだところで裏道に進む。薄暗く、細い道を薫を先頭にして進むと、少し開けた場所に辿り着いた。


 周囲は建物に囲まれており、道といえば今通ってきた背後にしか存在しない。

 開けた、と言っても所詮は裏路地。幼い子供が遊ぶ分には充分だが、そうでなければ少々手狭な空間だ。


 昔はこの辺りで幅を利かせていた不良達の屯する場所だったのだが、『ゲート』が発見されて以降、その姿はめっきり見なくなった。


 まぁ、繋がっている先が物騒な世界であるというのも理由のうちだろうが、ここから出てくるのはなにも人間だけではないからだろうと予想している。


「行き止まりですね」

「本当にこんなところに『ゲート』なんてあるの?」


 その場所を流し見て、シーニャとイリカが思ったことを口にする。


 彼女らは、『ゲート』についての知識は、ハッキリ言ってそこまでない。

 これまで関わってこなかったのだから、仕方のない事ではあるのだろう。


 しかし、レイラは二人のように口を開かない。

 それどころか、その空間を一望し、納得したように頷いた。


「うん、あるね」


 レイラの言葉を認めるように、薫も無言で頷く。


 だが、そこにある事がわからない二人は混乱するしかない。

 改めてその場を見回すが、面白みのない無機質な空間が広がっているだけだ。


「どうしてわかるの?」


 イリカがたまらず問いかけた。

 レイラは、だって、と呟くと、


「この一帯の魔力が一箇所に流れ込んでる」

「魔力が?」


 言われ、イリカも周囲を視る。


 そうして少しすると、確かに、とこぼした。


 しかし、魔術の心得があるからこそわかるが、そうでなければ『ゲート』の存在などわかるものではない。

 二人の会話についていけないシーニャは、小首を傾げる他なく、レイラは困ったように笑った。


「見ててね?」


 そう言って、レイラは『ゲート』に近づいていく。

 目の前に止まると、眼前の虚空に手を伸ばした。

 すると、突如空間に大きな孔が開いた。

 孔の中は真っ暗で、広く、深い。万物を覆い隠す程の漆黒。一歩でも足を踏み入れてしまえば戻ってこられないような不気味な感覚に襲われ、シーニャとイリカは、無意識に後退った。


「ほらね?」

「なんか、私が知ってるのとは違うんだけど……」


 一瞬、薫の頭に疑問符が浮かぶ。


「それはあの城のことを言ってるのか? だったら違って当然だ。あっちは特別性で、任意の場所に繋がるように出来ている。基本的には、俺の家にしか繋がらねぇようにしてあるが」

「そうなの? じゃあ、もしかしてこの中もずっと真っ暗ってこと?」


 悪魔王の城からの帰り道を思い出したのか、イリカの表情が翳る。


 あの『ゲート』は確かにどこにでも繋がるが、その分かなり移動距離が出来てしまう欠点があった。

 世界間を行き来するのだから、相応に移動しなければならないのは当然だろうが、毎度あの距離を歩いていては辟易するというもの。


 普段は薫一人しか通る事もないため、黒王の背に跨り疾駆している訳だが、先日の帰省の際は人数がいた為致し方のない事だったのだ。


 とはいえ、そう言った事情を知っているのは薫のみ。

 他の『ゲート』を知っているレイラは口をつぐんでいる以上、またあの長くて何も見えない場所を歩かなければならないのかと思ってしまうのも無理はなかった。


「あれとの違いはな、歩かなくていい事だ」

「……え?」

「こいつは一箇所としか繋がらない代わりに、移動距離も少なく、勝手に前に進むように出来ている。簡単に言えば、動く歩道に乗っている感覚だな。ただ、前に進む速度は一定でな? 歩こうが走ろうが速さは変わらん」

「だから、歩く必要がない、という事ですか?」


 そうだ、とシーニャの言葉に頷く。

 よく見ると、シーニャはどこか不安そうだった。


 彼女は意識が朦朧としている際に一度通っているはずだが、周囲を気にする余裕はなかった。

 つまり、意識のある状態で『ゲート』を通るのは初体験になるという事だ。

 その事に対する不安感が、まだ未熟な少女の顔に出てきているのだろう。


 ――いや、それだけじゃねぇな。


 クーデターによって、彼女は国を追われている。

 昨日、薫を相手に、真正面から「覚悟はある」と告げたが、それでも彼女はまだ十にも満たない幼な子だ。

 覚悟はあるのだろう。そこに嘘はない。

 だが、同じかそれ以上に恐怖を感じてしまうのだ。


「さて、これからこいつに飛び込む訳だが」

「本当に安全に行けるんでしょうね……?」

「大丈夫だって。ここに証人が二人いるから」

「いいえ、一桁だから無事という考えもあるでしょ?」

「そんなお前に残念なニュースだ。俺はまだ暗殺者になる前、七つの頃にはもう既に『ゲート』を通ってる。ついでに言うと、当時は全く鍛えてねぇ」

「……じゃあ大丈夫ね」


 まぁ、その先で薫は契約を交わし、感情を失ってしまったのだから、一概に大丈夫とは言えないかもしれない。

 まぁ、そのケースが特殊なだけで、意識が混濁としていたシーニャも、五体満足に『ゲート』を通っている事実がある。


 通った先については限りではないが、ただ通るだけの行程に危険がないのは間違いない。


 まだ少し怖いのか、ぶつぶつと恐怖を誤魔化しにかかるイリカを無視し、シーニャに向き直る。


 目線を合わせるなどということはしないが、彼女を見下ろし、その目から視線を外さない。


「これで訊くのは最後だ。マジで、いいんだな?」


 何が、とは言わない。そんなことは語らなくても伝わる。


 レイラも、イリカも、何も言わない。ただ心配そうに、彼女を見遣るだけだ。


 シーニャは僅かに逡巡を見せる。

 一度決めた事に迷いが生じるのは大人でもよくある事だ。その事に薫は何も言わない。


 ただ黙って、彼女の意思を待った。


「行きます!」


 ようやく、振り絞って出された声は震えていた。彼女の意思はどうやら硬いらしい。


 それがわかれば後はどうでもいい。


「そうか」


 それだけを口にし、薫は『ゲート』に向き直る。


「行くぞ」

「シーニャ、一緒に行こっか?」


 レイラが後ろでシーニャに声をかける。

 見はしなかったが、彼女が頷く気配を感じた。


「わ、私も一緒に良い……?」

「お前は一人で入れボケナス」

「そんな言い方はないんじゃない!? モテないよ」

「恋愛なんぞするつもりはねぇんだよ」


 その言葉を最後に、薫は『ゲート』に飛び込んだ。ぬるり、と全身に気味の悪い物体が触れる悪寒。

 ぬらぬらとした触手が全身を包む感覚に近いと感じるが、人によってはその感触は違うらしい。


 確か、千尋はゼリーの中に入る感覚と言っていたか。言われて、その表現に納得する自分がいた。


 一寸先の闇。深い深い深淵を進む感覚に襲われる。

 初めて『ゲート』を通った時、自分は何を感じたのだろうか。もう十年以上も前だ。


 あの頃は人並みの感情があった。人並み以上の恐怖心があった。まぁ、ただビビリだっただけだが。

 それを思えば、きっと怯えたのだろう。


 子供の多くは感じるかもしれないが、まだ契約を交わす前、薫は暗闇に仄かに浮かぶ光が怖かった。

 一例を挙げるなら、電子機器の電源だ。


 そんな他愛もない事を考えているうちに、視線の先に光が見えた。


 ――やはり、城のものと比べると随分早い。


 光がみるみるうちに大きくなり、視界いっぱいに光の先の光景がぼんやりと見えた。


 不意に全身が抜け出す感覚。

 これは『ゲート』を出た際に感じるもので、目的地についた事を示す。背後を見ると、行きに通ってきたものと同じ孔がポッカリと開いていた。


 このままでは後から来る皆が出てくる際に大惨事になってしまう為、軽く移動して立ち止まる。

 すると、『ゲート』は自然に閉じられ、なんの変哲もない景色が広がるだけだった。


 薫が立っている場所は小高い丘になっており、軽く周囲を見回せるようになっていた。

 視界の先は森が広がっており、向かって右側には海があるらしく、群青が広がっていた。


 視線を正面に向ける。なかなかに距離があるが、遠くの方に街が見えた。

 薫の常人離れした視力であれば城があることもわかるが、そうでなければぼんやりと街のようなものがあることがわかる程度だろう。


 不意に周囲の魔力が収束する。『ゲート』の開く合図だ。


 薫が振り返るのと同時に、『ゲート』が開き、中から三人が飛び出してきた。レイラを中心に二人が彼女に捕まる形。

 かなり動きにくそうだ。それが思ったことだった。


「つ、着いた? 着いた?」

「着いた着いた。そこにウィルがいるでしょ?」


 レイラはどうやら、出てきた際に薫に気付いていたらしい。生まれたての子鹿並にガクガクと震えるイリカの問いに応え、こちらを指差した。


 その先を追って薫に気づいたイリカは、キッ、と眦を鋭くして詰め寄ってきた。


「なんで先に行くのよ!?」

「くっちゃべってる時間がもったいねぇからだ。ほれ、カッカしてんな。良い景色でも見て心を落ち着けろよ。ほとんど木しかねぇがな」


 イリカの苦言を意に介さず、視線を薫の背後の景色へと向けさせる。

 その隙に薫はレイラ達に近づいていく。


「両方引っ付けてくるとはな」

「そうじゃないと動きそうになかったから」


 薫が『ゲート』を通る前の様子を見ると、それも納得だ。

 クッ、と肩を揺すって笑い、シーニャへと視線を移した。


「どうだ、シーニャ。初めての『ゲート』の感想は?」

「……気持ち悪いです。お水の中でふわふわと浮かんでいる感覚がまだ抜けきれません」

「水に浮かぶ感覚、か。なるほど」


 一人で納得した風に頷く薫を、レイラが訝しげに見てくるが、なんでもないとかぶりを振る。


「まぁ、慣れれば病みつきになるだろうよ。煜は慣れた頃からこいつで遊び始めたからな」


 今この場にいない女好きは、ある程度『ゲート』を使うようになった頃、入る瞬間に親指を立てて、


「アイルビーバック!」


 と言って、ゆっくりと全身を沈んでいってみせた事があった。

 勿論、サムズアップした手が最後になるように後ろ向きでだ。


「スッと行けや」


 と蹴り入れたのは仕方のないことだろう。


 そんなどうでも良いことはさておき、薫は再び背後の景色を一望できる場所に立ち、芝居がかった動きで振り返る。

 その動きに釣られ、景色を見ていたイリカも薫に意識を向けた。


「なにはともあれ、ようこそ。頭のネジが(バトル)ぶっ飛んだ世界(プラネット)へ」


 好戦的な笑みを顔面に貼り付けた薫の言葉に、それぞれが気を引き締めるように息を吐いた。

まだ数話ストックがありますので、一週間後にまた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ