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四天王  作者: シュガーイーター
戦いの世界編
28/34

状況説明

お待たせしました。お待たせしすぎたのかも知れません(某競馬好き芸人風挨拶)


ちょっと擬人化競走馬にハマっておりまして……皇帝さんとかシャドーロールの怪物さんとかカッコいいと思いません?女帝さんもふつくしい……。


ともあれ、お待たせした事は大変申し訳なく思っております。

内容ももう忘れてしまわれているかと存じますので、僭越ながら酷く簡潔ではありますが箇条書きで前回のあらすじをば。


・魔界の城から帰還


・拾った少女が目覚め、薫に怯える


・食事を提供し、話を聞いたら少女が泣いた←今ココ



今回は長めです。

それでは、どうぞご覧ください。

「イラッシャーイ! レイラちゃーん、ヨク来たネ! ウレシくてお腹イッパイイッパイなるネー!」


 店に来た客の顔が見知った人物のものだと知るや、マルコはニッコリと人好きのする柔らかな笑みを浮かべる。


 相変わらず日本語は上手いとは言えないが、少しでも話せるのなら彼の努力がよくわかるというものだ。

 自分も異国語を学ぶ難しさを見に滲みて理解している為、そんな彼に共感しつつ声をかける。


「ハーイ、マルコ。ウィルから連絡がいってると思うんだけど、大丈夫?」

「ダイジョブ。ご予約八名サマネ? ささっ、コッチオイデ」


 巨体の見た目でありながら、可愛らしく手招きするそのギャップにレイラはクスリとする。


 日本に来てからよく来るようになった寿司屋は相変わらず賑やかで、食事を楽しむ人種は様々だ。


 通っているうちに知ったが、アメリカ人の二人が経営しているという事もあり、生魚が苦手な外国人でも楽しめるようなメニューも数多く取り扱っている。

 店内の滑稽な様相とは打って変わり、商売には真摯な様子が伝わってくる。


 生魚が苦手な外国人は世の中にはたくさんいる。

 そんな人々に焦点を当てて料理を提供するその商人魂には舌を巻くというものだ。


「やっほー、大将。またご馳走になるね!」

「おう。金払って大人しく寿司食ってくまでは大切な客だ。せいぜい金落としていきな。――うん? なんだ、その娘っ子は」


 カウンターにいた板前のリーターに声をかけると、いつものように粗雑な挨拶が返ってきた。

 日本で商売するならそれはどうなのだ、とは思わなくもないが、故郷ではそれが普通な為レイラは特に気にしなかった。


 そんなリーターの視線がレイラの後ろに向くと、訝しげに片眉を上げる。


 その視線の先には、年相応の可愛らしい格好をしたシーニャがレイラの裾に手を伸ばし、少し身を縮こまらせながら立っている。


「産んだか? 孕んでから出すまでが早くねえか?」

「そんなわけないじゃ〜ん! ちょっと事情があってさ。うちで預かってるの」

「何だそうかい。攫ってきたってことか」

「邪推するのが趣味なわけ? メーヨキソンで訴えるよ〜」


 どうやらリーターはレイラを――いや、おそらくは薫をよほど悪者に仕立て上げたいらしい。


 それが彼らの間でよく繰り広げられる冗談だとわかっているが、それでも少し不快な気持ちになる。


「やめろやめろ。商売ができなくなるだろうが。引き止めて悪かったな。他の連中は後から来るのか?」


 現在、彼の店に来ているのはレイラとシーニャの二人だけ。リーターの言葉を信じるなら、他の面々はまだ来ていないらしい。


「そ。多分バラバラに来るんじゃない?」

「わかった。ほれ、さっさと行きな。客の注文が待ってるんだ」


 その言葉を最後に、カウンター席に座る客の方に向かっていく。


 それを見送り、先導していたマルコの後に続く。


「さっ、ココ使って!」


 連れられてきたのは店の奥ばった場所に隠れるようにして存在する個室だった。

 入り口からは見えにくく、初めてこの店に来たら間違いなく気付けないだろう部屋だ。


 内装は特に変わりはなく、座敷が広がっているのみ。

 唯一おかしなところがあるとすれば、壁に『悪霊退散』と書かれた札が貼られてあるぐらいだ。


 純粋にセンスを疑うレベルである。


「こんな場所あったんだ」

「カオルが予約スル時はいつもココーネ」

「へ〜」

「ココに靴入れて入ってチョンマゲ」


 おかしな語尾には触れず、マルコが指差す下駄箱を見やる。


 日本に来てからよく見かけた木造のシンプルなものだ。


 ――特におかしなところなし。


 当然と言えば当然の事だが、職業柄初めて目にする物、場所では意識せずに変なところがないか目を走らせるようにしている。

 昔は意識しなければならなかったが、今では意識せずに行えるようになった。


 言われたようにその場で靴を脱ぎ、下駄箱に靴を入れ座敷に上がる。


 中程まで来たところで、それまで感じていた小さな気配が遠ざかっていることに気づき、背後を振り返る。


「あの……えっと……その……」

「ドシタノ? どこか痛イ?」


 シーニャは座敷の前に立ち止まってオドオドとしていた。

 きっと座敷なんて目にするのは初めてなのだろう。


 初めて目にする物に戸惑い、どうすればいいのかわからなくなっているようだ。

 困惑する少女を見て、また困惑するマルコ。

 それを見てると、篠原に教わった日本の童謡を思い出すが、すぐにその思考を払拭して近づいていく。


「ここで靴を脱ぐの。で、ここに入れてね」

「靴を……?」

「そうだよ。……あっ、そう言えばその靴初めて履いたんだっけ。脱ぎ方わかる?」

「は、はい」


 初めは戸惑いつつも、レイラが笑いかけてやると少しは安心したらしい。座敷の縁側に腰掛けて靴を脱ぎ始めた。


「この子、ドシタノ?」

「日本は初めてなんだって。だから、風習に困惑してるみたい。マルコも覚えがあるでしょ?」

「オー、ソゆこと! 慣レるマデ大変ダッタヨ!」

「そういうこと。暖かく見守ってあげなくちゃ!」


 もしかしたら理由はそれだけではないのかもしれない。だが、それは彼女自身がわかっていればいいことだ。


 自分から異国の地に足を踏み入れたのならまだしも、シーニャは意図せずこの国に足を踏み入れている。

 それを思えば、ちょっとやそっとの迷惑など迷惑にすら思わなかった。


 少しもたつきながらも靴を脱ぎ終えたシーニャは、レイラに言われた通りに靴箱に靴を置き、座敷に上がってくる。


 その様子を最後まで見送っていたマルコは満足そうにひとつ頷き、


「ジャ、おしぼり持っテくるヨ」


 そう言って、去っていった。




 この店に来た理由は数時間前まで遡る。


 レイラが目が覚め、イリカも目が覚めた時、先に目が覚めていたシーニャと薫が何か話している頃だった。


 表情は少女と対峙しているには不釣り合いな仏頂面。しかし、その目はシーニャの目を、表情筋の動きを、唇の動きを静かに凝視していた。


 起きたばかりで頭がうまく働いていなかったことで、話の内容を上手く理解出来ていなかったのだが、シーニャが言葉を紡ぐ速度はそれほど速くなかった事は覚えている。

 ポツリ、ポツリと語るその姿は、まるで神に懺悔する敬虔な信者のように見えた。


 そして、ゆっくりと紡ぐ少女を前に、体の前で腕を組む男の頭は早く回転していた。


 頭の中で数々の思案がなされる。

 何が起きたのか理解し、それによって生じる事象、考えられる現象が幾千幾万の可能性となって組み立てられていく。


 一通り語り終えた少女を前に、薫は表情を変えず――声音は優しく――口を開いた。


「辛かっただろう。後は、俺が何とかしてやる」


 そう言ってシーニャの頭を優しく撫でる。


 直後、薫の背後にバティンが忽然と姿を現した。

 いつからそこにいたのかは誰にもわからない。もしかしたら、ちょうどそのタイミングで現れただけなのかもしれない。


 確かな事は、唐突に目の前に現れた男にシーニャは驚き、小さく悲鳴を上げた事だ。

 それを不快げに睨め付けたバティンだったが、すぐに興味を失ったように彼女を視界から外した。


「もうお目覚めでしたか。お早いお目覚めですね」

「そんなに寝てねぇよ。おかげで寝不足だ」

「それはいけない。睡眠を怠ると脳の働きを阻害する。急ぎ床につかれては?」

「そんな暇はない。今、そう出来ねぇ理由が出来た」


 ゆっくりと立ち上がり、静かに棚に向けて歩いていく。

 そこに無造作に置かれていた財布を手に取り、そこから数枚の紙片を取り出した。


「情報は得られたのですか?」

「あぁ。興味深い話が聞けたぜ。大まかなところは自分で調べるが、どのような変化が起きたのかは事前に知っておきたい。アスタロトに調べさせろ」

「それは構いませんが、よろしいので? 奴に任せてしまえば、酷く大雑把な報告にしかなりません」

「それでいい。奴の性格上、それで充分だ」


 薫はそう断じると、少し足りねぇか、と小さくこぼし、リビングから出て行った。


 それを見送り、バティンはいなくなるかと思えばそうではなかった。


 カツッ、と靴底を鳴らすと、今一度シーニャに目をやった。


「目が覚めたようだな。寝覚めはどうかね?」

「あ……えと……」

「ふむ。良好のようだ。あの方に感謝することだ」


 それだけを一方的に告げると、未だ寝ぼけ眼だったレイラに近づいてきた。


「人間はもう目覚める時間だと思ったのだが?」

「生憎、私は寝起きが悪いの」

「そのようだ。そちらの女も、何故ここにいる?」

「時間が夜も遅かったから泊めてもらってたんです〜」


 バティンは目を細めて二人を睨む。

 その視線は人を見る目ではなく、明らかな嫌悪感が滲み出している。


 魔界にいた頃から感じていたが、どうやらこの悪魔は、人間が嫌いなようだ。


「おやおや、日頃の愛想の良さはどこに行ったのやら」


 声が聞こえていたのか、部屋から出ていた薫が紙片を手に持ちながら戻ってきていた。


 すると、バティンは取り繕う様子もなく、ゆっくりとした所作で彼に向き直った。


「愛想を尽くすほどの相手ではないでしょう」

「見定めるのが早かったな。見限ったとも取れるが……それで? 何の用だ?」


 クツクツ、と小さく笑うと、シーニャの元に近づきながらそう声をかけた。

 すると、その言葉を待ってましたと言わんばかりに要件を口にした。


「使者が参りました」

「またか。今度はどこだ」


 薫はため息を吐きつつ、シーニャの傍に置いてあったコップに牛乳を注ぐ。


 言葉にはしていないが、飲め、ということらしい。

 しかし、それが伝わっておらず、薫と牛乳の入ったコップを交互に目にするだけだった。


「『ニールマーナ』です」

「なに? あそこはスケアって奴が仕切っている場所じゃねぇのか?」

「仰る通り『ニールマーナ』はスケアが王に命じられ管理している世界。しかし、奴の治める国は強固な結界に守られているので、そう簡単には辿り着けぬ場所にあります。

 結果、奴に接触できなかった者が未踏査領域を超えて我々のもとにやってくる、というカラクリです」

「なるほど。……毎度思うが、あそこを超えてくるならもうそれは未踏査じゃねぇだろうに。――それで? 使者は何者だ?」


 薫の表情が鋭くなる。


 レイラたちも詳しい内容はわからないが、どうやら何か騒ぎがあったらしい。

 聞き慣れない単語がいくつも飛び出してくるが、周囲の様子を置き去りに二人の会話は続いていく。


「エルフです。御身への謁見を求めて、未踏査領域を進んでいたところをバハムートの部下が発見しました」

「あぁ、なるほど。渡りきってないのか。だとしたら、やはりリィンナーデを末席に入れて正解だったな。――あそこで発見されたということは……あの時の跳ねっ返りが見つけたか?」

「そのようです」

「ククッ。壮健なようで何よりだ。牙を向けられたとはいえ、奴の腕を落とした事と片目を潰した事を悪くは思っているからな」

「あれについては自業自得でしょう。天狗になっていた小娘に灸を据えただけ。――今はそのようなことはどうでもよろしい」

「そうだな。異種族が求めるのならそれには応えねばならん。急ぎ戻るとしよう。九老を呼び出せ」


 方針は決まったらしく、薫が指示を出し始める。

 それをボーッと見送りながら、レイラはのそのそと布団から這い出る。


 バティンのせいで目が完全に覚めてしまい、起きざるを得なかったのだ。

 ふあ、とあくびをひとつしながらシーニャの隣に腰掛ける。


「おはよ。よく眠れた?」

「えと……はい」

「それは良かった。私はレイラ。レイラ・A・シャドウ。あなたは?」

「シーニャ・ヌオ・ヤニオラ・レンストンです」

「わーお。多分だけど王族の人? すごい人が来ちゃったな〜」


 確証があったわけではない。

 だが、名前が長く気品のある人物は大体王族だろう、というレイラ自身の偏見と経験則からの決めつけだった。


 だが、その偏見は間違っていなかったのだから別に良いだろう。


「ねえねえ、どうして魔界なんかにいたの? お父さんやお母さんはどうしたの?」


 そう尋ねたのは、純粋な好奇心が半分と、家族と離れ離れは嫌だろうという思いが半分からくるものだった。


 家族と離れる事の寂しさや辛さは、誰よりもよくわかる。だからこそ、もし両親がわかるのなら連れて行ってやりたかった。


 しかし、少女は瞳を濡らしながら、嗚咽を噛み殺すように目を伏せた。


 それで察した。同時に、自分の無神経さを呪った。


 この子にはもう、両親はいないのだ……。


「……そう」


 ハッキリ言って、言葉を失った。

 何とか絞り出した声は、声になっていただろうか。


 どう話しかけたら良いのだろうか。あまりにも衝撃的な事実に、頭の中が真っ白になってしまった。

 初手から彼女の地雷を踏んでしまったのだ。次にかける言葉は慎重にならざるを得ない。


 月並みな言葉でいいのか。

 だが、このタイミングでそんな月並みなセリフを口にしたところで、彼女に辛い現実を叩きつけて追い討ちをかける事にならないだろうか。


 そんな気持ちが胸中で燻り、沈鬱な面持ちで黙りこくる。


 シーニャも目を伏せたまま動かない。途中、殺しきれずに嗚咽が漏れるのが聞こえ、更に居た堪れなさに襲われた。

 途中、イリカも起きてきたようだったが、あまりにも沈んだ空気にギョッとして、戸惑っていた。


 そこに――


「なんだ、通夜でもやっておるのか? ――いや、もしや吾の恐ろしさをようやく理解したか! クハハ! よいのぅ、よいのぅ! 恐れよ、跪け! 大江山の鬼が首魁、この茨木童子を崇めよ!」

「やめとけやめとけ。明らかに場違いだ」


 重苦しい空気に酷く場違いな高笑いが響き、視線を下げていた面々が弾かれたようにそちらへと向く。


 そこには予想通りというか、着物をだらしなくはだけさせた金髪の美女が哄笑を上げ、薫が静かに諫める姿があった。


 諌められた九老は不思議そうに小首を傾げ、薫に視線を寄越す。


「むぅ? なんだ。吾を恐れて頭を垂れておるのではないのか?」

「違ぇよ。昨日の今日で恐れられるような事を何かしたのかお前は」

「存在そのものが敬いたくなるほどに偉大であろぅ?」

「ッハ」

「なにゆえ鼻で笑った!?」


 薫に詰問する姿には威厳なんてものは感じられず、ただだらしない女が戯れているだけにしか見えない。

 しかし、彼女がいると必然と騒がしくなり、重苦しい空気を吹き飛ばす。


 今回もその例に漏れず、空気感など微塵も気にしない鬼が騒ぎ、その主や部下達が諌め、しかし諌めきれず流されるように騒がしくなっていく様を見て、シーニャも少しだけ表情が綻んだようだった。


「レイラ、お前にこいつを渡しておく」


 不意にそう言われ、差し出された紙片に目を向ける。

 それは日本の通貨であるお札だった。


「これは?」

「今一度、隣の奴見直してみると自ずとわかる」


 言われ、隣に座る少女に視線をくれる。

 そして、すぐに意図を察した。


 シーニャはそれはもう可愛らしい少女だ。それはきっと誰が見ても同じ事を考えるだろうぐらいには美少女だと言っていい。


 しかし、今の彼女はかなりみすぼらしい――いや、言っては悪いが汚らしい印象を与えていた。


 透き通った銀髪には泥が跳ね、あちらこちらに乱れており、元は随分と高そうな材質の服は見る影もなく煤と泥で染め上げられている。

 所々生地が裂け、ほつれて糸が露出していたりといった外的要因から、その外見を随分と貧相にしてしまっていた。


「オーライ! 任せて!」

「渡した分はいくら使ってくれてもいい。超えた時も言え。終わった後で払う。――とはいえ、先ずは風呂にでもぶちこんどけ。まだ朝は早い。どこも開いてねぇだろ」

「りょーかい!」

「シーニャ、綺麗にしてもらっとけ」


 薫はそう言うと、背後に控えていたバティンからレッグホルスターに納められたガバメントを受け取り、それを右足に装着する。


 その作業が終わると、城へと戻るのだろうと思っていたのだが、こっちへ来いと手招きされた。


「何?」

「今晩、他の連中を集めてこの事を話そうと思う」


 この事、というのはきっとシーニャのことだろう、と当たりをつけた。


「それは良いけど、一体何を?」

「……あのガキの境遇、とでも言うべきか。後は、そこから俺に対して喧嘩売ってきやがったろ? その事も話す」

「止められない?」

「まぁ、不平不満は出るだろうが……俺の性格は連中もわかってんだろうよ。だから押し切る」

「押し切るの使い方間違ってない?」

「放っておけ」


 薫は軽く言うと、肩を叩かれそちらに振り返る。


「お急ぎを。まもなく使者が到着する頃かと」

「そうか」

「うん? 吾は事の次第を聞いておらぬぞ?」

「お前聞いたってわかんねぇだろ」

「わかるわぃ!」

「だったら道すがら話してやる。だから少し待ってろ。そら、これでもやるから今は能面のように黙ってろ」


 そう言って、どこから取り出したのか一升瓶を九老に投げ渡した。

 それを無造作に掴み取ると、そのラベルに目を通し、「うん?」と首を傾げる。


「どこぞで見た覚えのある酒よな?」

「気の所為だろ」


 その時の薫は明後日の方向を向いていた。

 きっと、九老の寝ぐらにあるのを転移させて渡したのだろう。


 不思議そうにしていた九老だったが、考える事をやめたのか、一升瓶の栓を開け、ラッパ飲みし始めた。


「場所はリーターの店だ。時間は決まり次第連絡する。他の連中にも連絡はしておくから、シーニャのことは任せた」

「オーライ! こっちは任せて」

「あんたは早く行って。みんな待ってるんでしょ?」

「お前は一旦帰れ、露出魔」


 さらりと話の輪に混ざってきていたイリカに間髪入れずに罵倒を返し、話は終わりだと二人から離れていく。


「行くぞ」

「既に黒王が家の前に待機しております」

「わかった。九老、行くぞ」

「うむ。ではな、小娘共」

「……そういやお前隠形は?」

「面倒ゆえしておらなんだわ、クハハッ!」

「してろっつったろうがッ!」


 と最後まで騒がしくして行ったのは実に彼ららしい。


 その姿を見送り、しんと静まり返った室内で呆然としていたシーニャは、


「あの人は、どこかの王様なんですか……?」


 と本当の事を言って良いのか迷う問いを投げかけてくるのだった。




 そうして昼間は言われた通りシーニャの服を買い、軽く街を渡り歩いて時間を潰した。


 目を丸くして周囲の景色を目に焼き付けている姿は、田舎から観光に来た少女を彷彿とさせ、温かい気持ちになった。

 あれはなんだ、これはなんだ、といった事は一言も口にしなかったが、見た事のないものを見ると目が輝く様子を見て取り、それはこういったものだと教えてやった。


 その様子を見て、少なくとも退屈はしてなさそうだ、とほっと胸を撫で下ろしたのは余談だ。


 そうして夜になり、リーターの寿司屋にやってきたのだった。


「ここはどういったお店なんですか?」

「ん〜? ここは、そうだなぁ……お寿司ってわかる?」

「オスシ?」

「小さく形を整えたお米の上に、お魚の切り身を乗せた食べ物だよ」


 シーニャとは今日一日一緒にいたからか、随分と打ち解けることができた。

 どうやら彼女の中で、レイラは敵ではないと判別は済んだらしい。


 レイラの説明を聞いた少女は、なるほど、と頷いた後、周囲の物色を始める。


 店内の滑稽な飾り付けはおそらくここだけのものの為、この店を一番最初に見せるのはどうだろう、という気持ちはあったが、考えてみればレイラも初めての寿司屋がここだった為、大丈夫か、と楽観的に考えた。


 そうしてなんでもない事を二人で話していると、


「邪魔すんで〜」

「……えっと、落ちろカトンボ!」

「それちゃう。求めてんのと違う」

「そんなこと言われても、多分薫しかそれ通じないんじゃない?」

「いや、他の二人も通じるやろ」


 出身地同じやし、と続ける煜に、ふーん、とつまらなそうに言う。


 同じ出身地だと言うには、彼以外は普通の日本語を話している。

 きっと彼のは方言のようなものだろうと思うが、同じ出身地なら同じ方言になってる筈ではないか? とレイラは訝しんだ。


 単に二人は矯正し、薫は標準語を話す母親に引っ張られてそうなっただけだが、そんな事はレイラは知らない。


 そんな事を言い合っていると、不意に背中に感触を受ける。

 振り返ると、現れた煜から隠れるようにしているシーニャがいた。


 そんな彼女の頭を優しく撫でてやり、


「ほらー! 変なこと言うからうちの子怖がってるじゃん!」

「レイラちゃんそういうのどこで知ったん?」

「乙女の秘密」

「秘密の内容がどうでも良過ぎへん?」


 そう苦笑すると、煜は靴を脱いで座敷に上がってくる。そうして、レイラ達の向かいに腰を下ろした。


「その子が例の?」

「そ。ほら、シーニャ。この人は大丈夫」

「よろしゅう。葛原煜です。言葉、わかる? なんやったら英語にしよか?」

「わ、わかります。ヘイン語もステラスト語も出来ます」


 その妙な言語の名称にレイラはよくわからず小首を傾げるのみだったが、その意味するところを理解した煜は感嘆したように声を漏らした。


「その歳でヘイン語(英語)ステラスト語(日本語)もできるって凄いやん! いっぱい勉強したん?」

「は、はい!」

「えらいなぁ。誰かさんは勉強が嫌過ぎて逃げまわってんのに」

「そんな人がいるんですか?」

「おるおる。ホンマに勉強嫌いでな〜。大暴れした事もあるんやから」

「子供みたいですね」


 その会話が誰の事を言っているのかを理解しているレイラは、苦笑しつつも、自分も勉強が嫌で中学を中退した過去があるから何も言えない。


 きっと煜は心の中で思ってるだろう。


 ――言われてるぞ、(おこさま)


 と。


 今でも必死に笑いを堪えてるのがよくわかる。小刻みに震えて、自分の腕を必死につねっていた。


「どうしたの? かなり楽しそうにしてるけど」

「一人は楽しそうとは言えなさそうなんだが……」


 次に現れたのはイリカとアロンだった。


 また見たことない人物が現れたわけだが、イリカとは朝にも顔を合わせていたからか先ほどのように隠れる事はなく、少し表情が落ち着いた。


 それを一目で見て取った煜は何気ない様子で、


「おーう、アロンこっち来ぃ。イリカちゃんはそっちな。合コンや合コン」

「知人しかいない合コンは御免だな」


 と、茶化しながらアロンを呼び招く。

 意外にも煜は配慮ができる人物だった。


 まぁ、彼をよく知る面々からすれば、女にはいつもの事、と特になにも思わないのだろうが、生憎今この場にいるのは彼と出会って最長で一ヶ月しか経っていない者しかいない。


 その為、お前配慮が出来る男だったのか、と静かに愕然とされていたのだが、その事を本人は知る事はなかった。


「迷わんかったか?」

「なんとかな。和希から事前に地図を送ってもらっていたおかげだ」


 そう言って、腰を下ろしたアロンは手持ちの携帯が入っているのであろうポケットを軽く叩いた。


 どうやら二人はこの店に来るのは初めてだったらしい。

 それをわかってか、和希はアロンに地図を送っていたようだ。


「あれ、リムは?」


 ふと、彼らと行動を共にする女性の姿が見えない事に疑問を覚え、彼らに問いかける。


「今東京にいないんだよね、リム」

「えっ、そうなの?」

「私も今日知ったんだけど、千尋について行ってるんだって」

「あのカップル仲いいよね〜」


 千尋とリムが付き合い始めて一ヶ月だが、仲良く共にいる姿はよく見かけられている。

 ネットでは千尋とよく一緒にいる女は誰だ、とそれなりに騒ぎになっているのだが、レイラが知る事はなかった。


「でもそれじゃあ、今日は誰が来るの?」

「今ここにおるメンツと、薫と菅ちゃんやな。千尋は他会社との会議があって、昨日からこっちにおらんねん。せやから、時間が合えば通話での参加やな」

「あれ、でも一人足りなくない? 八人って聞いたけど」

「あの鬼来るんちゃう? 知らんけど」


 それを聞いて、煜は軽くため息を吐いた。

 どうやら、彼も九老のことを少し苦手にしているようだ。


「和希は?」

「千尋がおらん間会社任されてるんは菅ちゃんやからな。そっち終わらせてから来る」

「へぇ。真面目だねぇ」

「そういうそっちは? 黒狼はどうした?」


 アロンはこの場にいない呼び出した張本人の姿がない事を問いかけてきた。


「なんか、使者が来たとかなんとかって朝から騒がしかったよ?」

「は〜? あいつのとこに使者が来るとか大抵荒事やろ? 今度はどこが滅ぶんやろうな」

「どういうこと?」

「あそこの戦力見てきたんやろ? あそこを率いる薫は異種族の事に関しては容赦せんから、それで滅んだ国や世界がゴロゴロあるんよ。なにより、本人の魔力が底無しやから、世界ひとつ破壊しても動けるぐらいには余裕がある。こっちでも事後処理が面倒な事も多いんやけどなぁ」


 辟易とした様子の煜は嘘をついている様子はない。


 確かに、あの城の戦力を思い返せば、どれだけの国が束になってかかっても落とせるとは思えなかった。


 あの国はメイドですら戦闘力を求められる場所なのだという。

 確かに一目見て、こいつには勝てない、と思ったメイドは数多い。

 回廊ですれ違う者も等しく強力。城に入ってすぐの頃、誰かを目にする度に戦慄した感覚は今も覚えている。


 そう考えると、薫の率いるあの軍勢ならば、幾つもの国や世界を滅ぼしたとしても不思議ではなかった。


 だが、それを見ていない者は当然疑問を抱く。


「本当にそんなことが可能なのか? 確かに、黒狼は異常な身体能力を有しているとは思うが、それでも国ひとつ潰すなどそうそうできるものではないだろう」

「それやんのがあの軍勢や。じゃあ、見てきた二人に聞こか。どれだけの面子を見たんかは知らんけど、まぁ見た中での判断でいいわ。――あの軍勢が国潰せるかどうか」

「出来る」

「出来そう、かな」


 即答と、考えた上で、という違いはあるが、二人とも可能という答えだった。


「ほらな?」

「――物騒な話はそこまでにしときなよ」


 不意に座敷の外からそんな声が聞こえて視線をやると、そこには仕事上がりらしい和希が疲れた顔をしながら上がってくるところだった。


 それに煜は手を軽く上げる。


「おう、お疲れ〜。疲れてんな」

「激務だよ。千尋っていつもあんなのをしてるの?」

「津村さんはおるんやろ?」

「あの人スケジュール管理厳しくない? 師匠のところにいた頃を思い出したよ」

「それまた忙しさの種類が違うやろ。どっちがしんどかった?」

「圧倒的に師匠のところ」


 よほどその師匠が厳しかったらしい。若干目が死んでるのを見ると、その心労は計り知れない。


 ふと気づくと、レイラの裾を掴む力が強まっている事に気付いた。それだけではない。


 ――少し震えてる……?


 不思議に思い、手の主人である少女の方へ振り向こうとした――その時だった。


「きゃああぁぁ――――っ!!」


 甲高い絶叫が室内に響き渡った。

 慌てて振り返ると、全身をガタガタと震わせ、恐怖で引きつった顔で和希を凝視するシーニャがいた。


「ど、どうしたのシーニャ!?」

「落ち着いて、大丈夫だから!」

「いや……殺される……殺される……っ!」

「誰もあなたに危害を加えないよ? 大丈夫、大丈夫……!」


 レイラは落ち着かせるようにシーニャを抱き寄せ、和希から隠れるように身を盾にする。

 本人から和希を見えないようにした方がいいだろう、という考えからの行動だったが、なかなか少女の恐慌は治らない。


「菅ちゃん何したん!?」

「何もしてないよ! この子とは初対面だし、怯えられるような事は何も……!」

「ではなぜこうも怯えているんだ?」

「なぜって言われても、わからないとしか……」


 煜とアロンは和希に詰め寄るも、本人はわからないとしか言わない。怯えられるような事は全くしておらず、初対面であることを主張する。


 しかし、それではシーニャがこれほど怯える理由にはならない。

 何か身に危険が及ぼされない限りはできない怯え方だった。


「――うるせぇぞ、何の騒ぎだ?」


 パニックに陥る現場に、薫が姿を見せる。

 薫は室内の様子を一瞥し、怯えたシーニャの下にやって来ると、優しく頭を撫でて様子を見る。


「おいで、シーニャ」


 普段とは違い、優しい声音、優しい表情になった薫は怯える少女に声をかける。


 声をかけられたシーニャはすぐに薫に飛びつき、譫言のように、殺される、と口にしていた。


「どうした、シーニャ。何かあったか?」

「殺される……殺される……!」

「そいつは穏やかじゃねぇな。どうして殺されるんだ?」

「……わかりません。私は何もしてないのに……」


 今にも泣き出してしまいそうな声で、ポツリポツリと訴えるシーニャ。


「じゃあ、シーニャを殺そうとしたのはあの男なのか?」

「そうです。ずっと追いかけてきて……剣で斬りかかってきて……!」

「剣、か……」

「ずっと笑って……目がギラギラしてて……」


 聞いて、レイラは和希の方を振り向く。


 彼の目には戸惑いの色が濃く映っている。

 普段の和希を知っている身としては、彼のギラついた眼差しというものを見たことがない。


 いつも温厚で、優しげな笑みを浮かべる穏やかな青年というのが全員の認識だった。

 ある琴線に触れると憤怒の形相になるが、それはギラついているというよりも血走っていると表現した方が正しい。


 そして思い返せば彼の主武装は剣ではなく弓。彼がそれ以外を使っている姿は見たことがなく、使えるかどうかは定かではない。


「ちなみに聞くけど、和希は剣は?」

「……一応」


 使えるらしい。


 否定する要素を探したいのだが、そんなものが見つからない。

 なにより、シーニャ自身が和希の顔を鮮明に覚えてしまっていることからほぼほぼ間違いない事実として判断するしか無くなってくる。


「メリーナ、そこを閉めておけ。下手に覗かれると死体が増えることになる」

「畏まりました」


 不意に明後日の方向に不穏な指示を出した薫の声に、女性の声が応じた。


 座敷の扉の前には一人のメイドが立っていた。

 赤毛で陽に焼けた褐色の少女。歳はレイラとあまり変わらないぐらいだろうか。


 彼女とは面識があるが、親しい関係ではない。だが、獣人という特徴的な外見をしている彼女の姿はよく覚えていた。

 が、そんな彼女の象徴とも言える獣の耳と尻尾が見当たらない。


 そんな彼女は命じられた通り座敷の戸を閉めると、壁際に下がり静かに控えた。


「八人目はメリーナさんだったのか」

「お久しぶりにございます、菅峰様。随分と怯えられておられるご様子ですね」

「身に覚えがないんだけど……」

「そうですか。わたくしに仰られても擁護は致しかねます」


 情を感じさせない無機質な声音だった。


「大丈夫だ。俺がここにいる。俺のいる前では、奴に手出しはさせない。必ずだ」

「でも……」

「信じてくれ、などと言わん。ここは、俺の顔を立ててはくれねぇか?」

「……」


 薫は優しく撫でる手を止めず、懇願するように語りかけた。

 まだ出会ってそれほど時間が経っていない為、信用する事はなかなかできないだろう。


 今日一日一緒に行動していたからこそわかったが、シーニャは他者を慮る心優しい性格をしている。

 薫はその性格を朝の段階で既に察していたのだろう。言い方は悪くなるが、その性格を利用する形で言葉を紡いだのだ。


 果たして、しばらく薫の胸に顔を埋めていたシーニャは、弱々しくだが頷いた。


「……わかり、ました」

「ありがとよ。腹が減ったろう。すぐに何か頼もうか。シーニャは生魚は大丈夫か?」

「大丈夫、です」

「わかった。メリーナ、マルコを呼んでくれ。デカイ黒人だ」


 ひとまずシーニャを落ち着かせることに成功した薫は、控えていた自身のメイドに指示を出すのだった。




「さて、そろそろ本題に入ろうか」


 食事も佳境に入った頃、シーニャに付きっきりになっていた薫が静かに切り出した。

 それに応じるように視線が集まってくる。


 注文の際、マルコが何かあったのかと色々問いただしてきたが、シーニャは昔誘拐されたことがある。そいつが和希に似てる所為で和希を見て悲鳴を上げただけ。

 と嘘と真実を織り交ぜた内容を伝え、今は落ち着いたと自分の注文を続けた。


 ――厄介なことになった。


 それが率直な感想だ。


 薫は恐らく仲間内で最も親しいのが和希であると思っている。

 その為、話を聞いた時に和希が彼女を襲ったのか、という考えを即座に張り巡らせた。


 結論として、彼はそんなことをしていないだろう。


 和希がシーニャを襲う理由がないのだ。周囲からも思われているように彼は温厚な男であり、理由もなく他者に斬りかかるような狂人などでは断じてない。


 魔術で彼女の記憶を覗いたところ、確かにシーニャに襲い掛かった人物は和希と同じ顔をしていた。

 同じ髪型、同じ顔。

 違う点といえば、彼がする事のない歪んだ笑み。

 そしてその手に持つ、湾曲した剣。恐らくカトラスだろう。


 確かに和希は剣を扱える。

 それだけではない。薫と同じように槍も、手斧も、なんなら木槌といったものも扱ってみせる。


 しかし、彼がそうしないのは、最も誇れる技量なのが弓だからだ。


 年季の違いでもあるだろうが、剣や槍等は薫の方がよほど巧く扱ってみせる自信はある。

 だが、弓だけは別だった。

 昔から銃火器を好んで扱ってきたせいか、同じ中、遠距離として使える弓を使う機会は少なくなってしまい、最も苦手なものとして認識している。


 その代わりという形か、和希は弓を手に取り、薫以上の腕前になったのだ。


 そんな彼が――もしも本当に和希だとして――何か標的を狙うのであれば、逃げ惑う少女をカトラスを手に追いかけ回すのではなく、何処かから狙撃する方がよほど確実性がある。


 チラリ、と胡座をかいた上に腰を落ち着けるシーニャを見やる。


 暗示をかけたおかげか、今は落ち着いてくれていた。

 ただ落ち着けようとしても、生憎と深い関わりがない薫ではあまり意味はないだろう。今日一日共にいたレイラでも落ち着けることが出来ないのだから、早朝に話をした程度の薫では尚更だ。

 その為、ゴルゴーンとの戦闘中のように声に呪力を乗せて、気を安らげるように言い聞かせたのだ。


 恐らくその事に気付いている者はメリーナぐらいだろう。


「じゃあ、先ずは俺から話そうか」


 薫の言葉に反応し、和希が名乗り出る。


「菅ちゃんから? 薫の今の状況把握から入んのが先ちゃう?」

「それもそうだけど、どうせ話が長くなるってわかってるからね」


 そう言いながら手元の携帯を弄っていた和希は、その画面を皆に見せるようにする。


「それに、そう俺たちのボスが言ってるしね」

『そういう事だ』


 画面は通話状態を示しており、相手は千尋の様だった。スピーカーモードになった携帯から聞こえてくる男の声に、薫達は肩を竦めた。


「通話での参加は間に合ったわけか」

『あぁ。メールで把握した以上はまだ何も出てないよな?』

「そうやな。ちょっと変な騒動は起こったけど、話はこれからや」

『騒動? また薫が何かしたのか?』


 煜の一言に千尋が反応を示し、薫は眉間の皺を深めた。


「なんでもかんでも俺の所為にするんじゃねぇよ」

『日頃の行いだろ』

「日頃の行いやな」

「日頃の行いかな」


 どうやら幼馴染みに味方はいないらしい。


 あまり期待せずに他の面々に目をやるが、レイラ以外はそっと目を逸らした。レイラに限っては、寿司を頬張ることに集中していて視線には気付いていない。


「薫様は悪いことをする方なんですか?」

「勿論。俺以上の悪人はそういねぇだろうよ」

『胸張って言うことか』

「見えてねぇくせに言うんじゃねぇ」

『でも胸張ってただろ?』

「さて、どうだかな」


 シーニャの不思議そうな声に即答で肯定の意を示した薫に、胡座の上で少し難しい顔になる。


 彼女が何を思ってそんな顔をしているのかは定かではないが、そんなことに興味を示す薫ではない。

 ただひとつ、むず痒い事を言われたのには少し意識を向けざるを得なかった。


「それとシーニャ。出来れば『様』はやめてくれねぇか。むず痒くていけねぇ」

「では、何と呼べばいいですか……?」

「その辺りは好きにしてくれ。なんなら呼び捨てにしてくれてもいい」

「それはちょっと……」


 薫の言い分に困ったように笑うと、自分の中で呼び名を決めたのだろう。うん、と頷くと、


「では、お兄様、と」

「ブッフゥ!」

「結局『様』になってんじゃねぇか!」

『ハハハハハッ! や、ヤバイ……腹痛えっ! いやもう最っ高!』


 シーニャの捻り出した呼び方に、座敷内が一気に沸く。薫を除く全員――通話先の二人も――腹を抱えて笑い転げ、薫は苦虫を噛み潰した顔で唸った。

 薫の思わずといった指摘に、シーニャも「あっ」と声を上げる。どうやら、少し天然らしい。


「で、では、お兄さんはどうでしょうか……?」

「あぁ、それでいい。これまでで一番マシだ」


 そうぶっきらぼうに答え、薫は寿司をひとつ口の中に放り込んだ。


 数度の咀嚼の後に嚥下。そして、切り替えるように小さく息を吐くと、和希に視線で報告を促した。

 それに応じるように頷くと、空咳をひとつ。未だ笑い転げていた皆の視線を集めた。


「それじゃ、始めようか。――先日、ある場所からこれが届いた」


 そう言って和希はウエストバックから一枚の封筒を取り出し、軽く掲げた。


 その封筒は蝋で封をした形跡があり、そこに刻まれている印璽を見て、こことは別の世界からのものだと察せられた。


 どうやらそう考えたのは薫だけではなく、煜とレイラも同じだったらしい。


「それ、ここの世界の国じゃないね。その封蝋の紋、見たことない場所のだ」

「俺も見たことないわ。お二人さんは?」

「生憎だが、俺達はどこかの最強暗殺組織と違ってここの世界限定、それも王族やら国の重鎮やらと関わる事もないからな。印璽なんてものは、そう覚えてはいない」

「そうね。どこかの誰かさん達と違って、大した実力者のいない底辺組織だったものね」


 少々僻みのようなものを言われてしまったが、薫もレイラも特に気にした様子もなく素知らぬフリで流した。


 各々の反応を尻目に、和希は言葉を続ける。


「千尋には見えてないからもう言っちゃうけど、これはレンストン王国からの書状だよ」


 言われ、改めて印璽を見直してみると、確かにシーニャの持っていたネックレスと同じ紋章が描かれているのがわかった。


 もしこの場に千尋がいればすぐに分かったのだろうが、生憎そういったものに興味を示す事が少ない薫には気付けと言うのが無理な話である。


 レンストン王国、と自分の国の名前が出て来たことでシーニャが少し身動ぎしたが、薫はその事には反応しなかった。


「内容は?」

「先王の崩御と、その弟が新しく王に即位した事が書かれていたよ」

「っ!」

「一大事じゃないのか? 一国の王が死んだ、などと」


 和希の口にした内容に、黙って話を聞いていたシーニャが小さく息を呑む。自然と身が強張り、小刻みに震え始めた。


 そんな様子にも気づかず、アロンは細かな説明を求めた。


「残念だけど、詳しい理由までは書いてなかったよ。病気だって話もなかったし」

「考えられるとすれば、暗殺か?」

「さぁね。いくらこの事を話していても、結局は推測の域を出ないさ」

「せやな。それに――」


 そこで言葉を止めた煜は、静かに薫に視線を寄越す。


 ――お前、なんか知ってるやろ?


 そう言葉にせずとも言っているのが表情から読み取れた。

 それに否定も肯定もせず、肩を竦めるだけに留める。


「千尋が黙ってるのは、事前に聞いてたの?」

『あぁ。生憎と出張中で調べられないから、見送っていたがな』

『一番耳が早そうな人はいなかったしね〜?』

「ほっとけ」


 レイラの確認の声に、携帯から千尋とリムの応じる声が聞こえてきた。


 安直な非難の声を投げやりに返し、薫はテーブルの上に置いてあったお猪口を静かに横に掲げる。

 すると、いつの間にかそこに控えていたメリーナが、注文していた熱燗を注ぐ。適量で注ぐ手を止めたのを見ずに、お猪口の中身を一気に呷った。


 いつの間にその場に移動していたのか多くの者が気付けず、元暗殺者二人はギョッとした様子で身を竦ませ、レイラですら瞠目して飛び退った。


 しかし、幼馴染み二人はこの光景には慣れたもので、


「相変わらず自然とその場に現れるよね」

「楚々として主人を立てる、って感じやな」

『……聞く感じ誰かいるな? まさかとは思うが、メイド長でも来てるのか?』

「ウェナキシリア様はご多忙の身。悪魔王様のお世話を一任されているのはわたくしでございます。お間違いなさらないようお願いいたします、人間の王」


 そう否定の言葉を返しつつ、空になったお猪口に酒を足すメリーナ。


 人間嫌いの彼女はやはり素っ気ない対応をする事が多かったが、皆彼女の境遇を知っている為、苦笑するだけに留まった。


 結果、出てくる文句といえば――


「薫。会議中」

「こんなもんで頭イかれるかよ。そもそも、俺は酔えねぇし」

「体面ってもんがあるやろ」

「少なくとも、寿司屋で体面なんぞ気にしてりゃ馬鹿みてぇじゃねぇか。そんなことよりも、報告は終わりか?」


 相変わらずのスタイルに、必然和希達からため息が漏れる。

 そんな彼らに対し、文句があるか、とメリーナが睨みつければ、降参だと手を上げた。


 悪魔王の城では盲目的に薫を慕う者達が少なからず存在する。

 陰で狂信者と揶揄される者達がそうなのだが、メリーナはその中でも群を抜いて薫の事を崇拝していた。

 その為、薫のイエスマンとなり、薫の主義主張に文句のひとつでもしようものなら即座に威圧してくる奇妙な番犬と化していた。


 加えて、メリーナ自身千尋達の間で一目を置かれている人物で、戦闘力が高い悪魔王の城のメイド衆の中でも敵対してはいけない存在だとされている。

 彼らが本気になれば手も足も出ないという事はないだろうが、もし彼女を破ろうものなら今度はそれ以上に強力な存在が意趣返ししてくる可能性が出てくる以上、彼らは強く出られなかった。


 脱線した話を戻す為に薫が続きを促すと、和希は再びウエストバックに手を入れ、もう一枚の封筒を取り出した。


「これはまだ千尋にも伝えてないんだけど、今日の夕方にまた書状が届いたんだ」


 そう言って、彼は煜にそれを手渡す。


 中身を改めると、先ほどと同じく書状が入っており、内容を読み進める煜がどんどん苦い顔になっていった。


「俺からの報告はこんなところかな」

『ちょっと待ってくれ。まだ肝心の中身を聞いてないぞ』

「それは多分、これから薫に言ってもらえると思うよ」

「ほら、チャキチャキ吐け」


 二人の様子を目に、書状の中身をなんとなしに察した。


 この場で薫が悪魔王だと知らない者は、恐らくシーニャだけだろう。

 今朝の出来事で悟られた可能性もあるが、バレたからといって何か不都合な事が起きるわけではない。


 もちろん、元暗殺者組にもその事は伝えてあるが、半信半疑の状態だった。今はイリカが体験した話を聞き、信じているのだろうが。


 通話先の千尋も黙っているという事は、きっと彼も自分の報告を待っているのだろう。


 そう考え、静かに口を開いた。


「なら、俺の報告だ。――先日、私に対しレンストン王国が宣戦布告してきた」

『やっぱりやらかしてんじゃねえか』

「俺から仕掛けたわけじゃねぇ。向こうから喧嘩売って来やがったんだ。結論を言えば、我々は彼の国との戦争する事になった。一応友好条約は結んであるが知ったことじゃねぇ。そもそも我々が条約を遵守してやる理由なんざねぇからな」

「随分と物騒だな」


 千尋達はレンストン王国と薫――悪魔王としての立場――とで友好条約を結んでいる事を知っている。


 一言で友好条約と言っても、有事の際に力を借りる、支援をする、といった取り決めは行われておらず、お互いが不干渉でいるという協定としての意味合いが強い。


 もちろん、自国の民が魔界領に迷い込んだところを発見された場合は保護し、その旨を報せてもらいたい、という約定はあった。

 しかし、そもそも魔界領に迷い込む人間など存在することすら珍しく、また迷い込んだとしても魔界を跋扈する魔物や魔獣に喰い殺されるばかりである。


 結果、保護するに至らず、アスタロトが人間が侵入してきた事を察知したという記録しか残らないのだ。


『友好条約云々はこの際置いておこう。お前はレンストン王国で何が起こっているのかを把握しているのか? 具体的に言えば、ヴァニラ王の崩御の真相とか』

「あぁ、知っている。巻き込まれた本人から聞いたからな」


 言って、薫はシーニャの頭を優しく撫でる。


 そうだ。今この場には当事者がいるのだ。その事はもう既に千尋達には伝えている。


 だからこそ、彼らはシーニャがいる事に疑問を覚えない。

 だが、彼らには詳しい事は伝えてはいなかった。いちいち文字で打つよりも、一気に集まって言葉にした方が楽だったからだ。


 彼らが把握している事といえば、何かしらの騒動が起きた事。

 そして、その騒動から命からがら逃げてきた少女がいる事だけだった。


 シーニャは少し困ったように周りを見回す。

 皆から浴びせられる視線に萎縮したようだ。


「これはコイツから今朝聞いた話だが、どうやらレンストンでクーデターが起きたらしい」

「クーデター?」


 薫の口から飛び出した単語に、全員の表情が引き締まる。

 レイラも寿司を頬張る手を止め、まっすぐ薫の方を注視していた。


「なんでクーデターが起きたん? 話やと、先代の王様って出来た人やったんやろ?」

『あぁ。民を大事にする人物だった。証拠に、国民からの支持も厚く、とても信頼されている王だった。他国との関係も良好で、確認した限りでは悪い印象は受けなかったな』


 煜の疑問の声に、千尋が認めるように先代のヴァニラ王の人となりを語った。


 ヴァニラ王と面識があるのは、この中では実の娘であるシーニャと直接会った事のある薫と千尋の三人のみ。


 改めて思い出そうとしてみるが、あの頃は今以上に人間を敵視していた頃だ。

 その為、あまり多くを覚えておらず、薫にとっての総合的な評価がぼんやりと思い起こされるだけだった。


「悪魔王様以上の王など存在しません!」

「あっはい」

「よせ、メリーナ。本当の事を言っては()()()()()ではないか」

「これは出過ぎた真似を。申し訳ありません」


 突然口を開いたメリーナに元暗殺者組が驚き、その内容に和希達が嘆息する。


 彼ら悪魔王の軍勢の薫に対するヨイショを昔から聞いている面々からすれば、あぁ始まった、という感覚でしかない。

 ただ、今回はその王家の関係者がいる以上、時と場所を考えてくれ、と思わずにはいられなかった。

 が、やめさせようとすると彼女らは逆に騒がしくなることを経験で理解していた。

 その為、彼等はただ黙っているだけに留めたのだった。


 薫はあまりそのような事を気にしてはいない。だが、話とは関係がない為あっさりと流して本題へと戻す。


「ただ、今回ばかりは少々悪手だったな」


 言い、熱燗を一口呷る。


 すると、話を途中で止められた事に焦れたのか、アロンが追求してきた。


「何をしたんだ?」

「あの世界の政策を――自国限定ではあるが――廃止しようとしたらしい」

「政策? 何よそれ?」

『ちょっと待て! 政策ってまさか……バトルランキングをか!?』


 彼女らの知らない渦中の異世界の常識を聞き、頭に疑問符を浮かべて追求してきたイリカだったが、それを遮るように千尋が声を荒げた。


 軽く周りを見回すと、その反応は二分されていた。

 バトルランキングを知っている者と、そうでない者だ。


 和希と煜は薫と千尋から聞いたことがある為、納得したような嘆息したような微妙な反応だった。

 しかし、残りのシーニャを除いた面々は耳にしたことがないらしい。それぞれが顔を見合わせ、かぶりを振り合っている。

 恐らく、リムも同じような反応をしていることだろう。


 そんな周囲の様子を無視し、薫は話を続ける。


「そうだ。どんな考えがあってそうしたのかは知らねぇが、あの世界は力が――ランキングがモノを言う場所だからな。暴動が起きるのは必然って訳だ」

『実際、バトルランキングで今の地位を手にした連中も少なくないだろ。どうしてそんな事を……』

「前に二人から聞いた話じゃ、彼は人が傷つく事を嫌う性格だったんだっけ? それが起因してるんじゃないか?」

『正しくは、争い事を嫌う人物だった。他国とは違い、レンストン王国だけにしかない法律も存在したぐらいだ。なんだったっけな……』

「……『決闘法』です」

「……あったなそんなの」


 千尋達の繰り広げる会話に生じる疑問。その解を放った少女に、曖昧な表情で薫は言葉を溢した。


『決闘法』とは、戦闘を行う際、身につけているもの――一般には手袋等――を相手に投げつけ、相手が拾えば戦闘が開始されるひとつの工程のことをいう。


 本来、バトルランキングは自分よりも順位の高い相手を倒せば順位が変動するもので、戦闘に至るまでに細かなルールというものはない。

 即ち、暗殺や罠を張ると言った外道の行為すらも認められた危険度の高いものである。

 その為、所構わず戦闘行為が行われ、巻き込まれる人物が出てくるという事も度々あった。

 それを防ぐ為にヴァニラ王は、


『レンストン国内に限り、戦闘行為を行う際は決闘に基づく行為を行う事』


 という御触れを出した。


 簡単に言ってしまえば、決闘に基づき、周囲の人間にもわかりやすく意思表示し、正々堂々とやれ、という事を義務付けた訳だ。


 当初はそれを律儀に守る者は少なかったが、衛兵達に捕まる者が現れてからは多少は少なくなったようだ。


「まぁ、出来た人物ではあるのだろうな」

「生温い。戦に細かなルールなんざいらねぇよ。生か死だ」

「今はあんたの持論は聞いてないわよ。――でも、仮にそんな施策を行って、反感を買うものなの?」

『バトルランキングの歴史はあの世界で随分昔からある。それこそ、百年、二百年の話じゃない。その制度は民衆と密接に関わり、根強く縛っていると言ってもいいかもしれない』


 要するに、彼らの常識を否定するような法を出そうとしたわけだ。


 本来なら万民から支持されるような事柄なのかもしれないが、あの世界では寧ろそれで成り上がった者も数多く存在する。

 こうなってしまうのも必然の事だっただろう。


 気の所為か、空気が重くなったように感じる。

 当事者のいる中で様々な議論が為されていれば、そうなってしまっても仕方のない面があるだろう。


 チラ、とシーニャの様子を窺う。


 シーニャは先ほどから黙ったままだ。

 だが、話にはしっかりと耳を傾けているようで、会話の内容に時折小さく反応を示しているのを感じていた。


 彼女は俯いている。薫からの位置からは見えないが、その目には涙が溜まっている事だろう。


 父親の話だ。繰り広げられる会話の全てを理解するのは難しいかもしれないが、あまり称賛されていない事は子供でもわかる筈。


 薫はそんな少女の様子を見て取り、話を今後の方針へと切り替えるべく口を開いた。


「そんな話は別の機会でもいいじゃねぇか。今重要なのは、今後どう動くかだ」


 先を進めようとした薫に何人かは訝しげに見てくるが、残りの面々は当事者がいることを思い出したのだろう。同調するように薫の言葉に乗ってくる。


「それもそうやな。もう薫とあの国が争うんは覆されへんやろ。問題はその話がこっちにまで転がってきてることや」

『どういう事よ?』

「実は、今日送られてきたこの書状には、俺達への召喚命令が書かれてるんだ」

「なるほど。俺らを手前の駒だと驕っているわけか。反吐が出る」


 和希の補足に薫は鋭い眼差しになり吐き捨てる。


 あの国の兵力では魔界の軍勢に勝つ事は不可能だ。それを知ってか知らずか、一度挨拶に来た事のある薫達にも参戦させようとしているらしい。


 その姿勢には和希達も渋面を浮かべており、皆好ましく思っていない事が察せられた。


「なんか小難しい事を色々書いとるけど、要約したら――魔界とちょっと戦争するからお前らも参加しろ、やと」

「なるほど。自殺志願者なんだな。察した」

『殺意を滾らせてる奴は放っておいて、俺達がその命令に従う必要性を感じないな。ハッキリとさせておくが、俺達は可能な限り魔界とは敵対しない方針を取る。薫には、出来る限り死者を出さないように頼みたいが……』

「断る」


 薫の即答に通話先からため息の音が届く。


『……まぁ、そうだろうな。だが厄介なことになったな。確認するが、全員この方針に異論はないか?』


 半ば諦観の籠もった声で皆に確認を取る。

 すると、皆からは異議なしの旨が伝えられる。


 薫だけは確認を取られる必要はなかった為、再びメリーナに酌をしてもらい、酒を呷った。


 全員の意思を聞いた千尋は、よし、と呟くと、


『それなら、断りの書状をしたためないといけないな。悪いけど頼めるか、菅ちゃん?』

「その必要はねぇよ。俺が直接出向く」


 千尋の組み立てた方針に、必要ないと薫は申し出る。


 元々、あの国には今回の事で調べる必要があると感じ、向かうつもりではいたのだ。

 そのついでとして、彼らのお使いをするぐらいは余裕もある。


 そう言えば、和希も納得したように頷いた。


『何を確認するのか、聞いても良いか?』

「先王の崩御によって生じる変化。それと、少しばかり国の裏を」

「ブラックなところをあっさりと確認するって言うところは流石やわ」

「それがウィ――薫だから」

「無理して言い直さなくて良いよ?」

「癖って怖いね〜」


 話が徐々に脱線し始めた事に千尋が空咳を打って止める。


 一通り静かになったところで千尋が再び口を開いた。


『話はわかった。一人で行くのか?』

「その予定だが――」

「私も行く」

「私も連れて行ってください!」


 一人で行く、と言えばレイラは必ず反応すると思っていた。

 だが、思わぬ事にこれまで黙って俯いていたシーニャまでもが同行を願い出てきた。


 これには薫も瞠目し、周囲の皆もそれぞれ驚きを露わにする。


「あ、危ないよ? 辞めておいた方がいいんじゃない……?」

「……それでも、国がどうなってるのか、私も知りたいんです!」

「クーデターが起きて先王が死んだというのなら、その娘であるお前も見つかればどうなるかわからんぞ? 殺される可能性すらある」

「構いません!」


 和希だけでなく、アロンまでもが説得しようとする。

 それでも、シーニャは頑なだった。

 ただ真っ直ぐ、涙の溜まった力強い眼差しで薫を見つめる。


 残念ながら、薫に彼女の胸中を推し量る事はできない。だが、強い信念を抱き、このような願いを口にしている事はその瞳を見れば明らかだった。


 自然と薫の雰囲気が厳かなものへと移ろいゆく。

 その微妙な変化に気付いた者達は、説得の声を止めて事を見守る。

 幾許(いくばく)かの時間の後、黙って見上げる眼差しを見返している薫が遂に口火を切った。


「先もアロンが言った通り、お前は殺される可能性がある。それでも、お前は連れて行けと宣うか?」

「はい!」

「覚悟があると?」

「はいっ!」


 その目から一筋の滴が落ちる。その声もお世辞にも力強さはなかった。それでも毅然とあろうと不格好ながらも問いに応えた。


 皆が固唾を飲んで見守る。思うところはあるものの、彼女の意思は皆痛いほどに感じていた。


 家族を失った今、彼女に残っているのは生まれ育った己の国のみ。

 それが良くない状況に転がるのが嫌なのだ。


 その目に復讐の色はなかった。

 あるのは不安。それは国の先行きを思ってか、それとも今の自分の境遇にか。

 どちらとも取れるが、そんな不安を押し隠して懇願する少女に、人知れず感嘆の念を抱いた。


 そして、薫は静かに決断した。

読了、ありがとうございます。


次話は早めに投稿できるよう努力いたします。


一回の育成にかかる時間もっと短くしてくれないかな……。

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