ゴルゴーン戦①
長くなったのでふたつに分けました。
2018,3,4 改行作業、微修正を行いました。
闘技場――
先ほどと変わらないその場所に、レイラとイリカの二人だけが残り小休止を交えながら修行に励んでいる。
イリカは体術の心得がないらしく、この一週間は薫が彼女に徒手空拳において基本的な突きや蹴り、受け方を教え何度もそれを反復させていた。
しかし、一週間でそれが身につくというわけもなく、まだ素人の域を出ていない。
それでも、もともと――我流だが――剣術を齧っていたこともあり、千尋の道場に入ったばかりの篠原に比べては幾分かマシな部類である。
レイラはそんな彼女の組手の相手になったり、薫と話し合って投げ技を教える前準備として受け身も練習させていた。
レイラの教えることが出来るのは、母親直伝の合気道の投げのみ。薫のように柔術やコマンドサンボなどの多くの技術を身につけているわけではないため、教えられることは限られている。
もちろん、その分考える事も少ないため、より濃密に、より深く教え込むことが出来た。
しかし、まだ練習を始めたばかりという事もあり、原理を完全に理解しているわけでなく、遮二無二それを行い、少しでも完成に近づけようとしているだけ。未だ完成には程遠いし、実戦に使えるものでもない。一番形になっているものと言えば、薫に教えられた一本背負いだけだ。
先ほどのスカアハという女性との模擬戦から二時間が経過した。
本来なら、スカアハによって薫の自室に戻されているはずだが、二人がまだしばらくここで鍛錬すると頼み、承諾してもらったのだ。
そのことは薫も認識しているだろう。
二人がこの魔界に来て一週間。その毎日が驚きの連続だった。
悪魔王としての薫の姿。
その従属である人外達。
悪魔王と同盟を結んだ異形達。
そして、その全員の人智を超えた戦闘技術。
二人がこの一週間で戦ったのは、九老、サリエル、アスモデウス、パイモン、スカアハ、薫の六人。
その中で特に驚かされたのは、やはり薫だ。
以前の組手では互角に渡り合えたはずが、今回は二人掛かりで、それも武器ありで挑んでも返り討ちにあった。薫はその組手の間中無手、体術のみでの戦闘だった。
そして、その体術はアスモデウスと同じものだった。
スカアハ曰く、アスモデウスは薫の体術の師匠であるらしく、人間を装っている際の戦闘では滅多にそれを使うことはないらしい。
そして、スカアハは薫と和希の師匠だと、スカアハ本人から聞いた。余談だが、薫とはそれなりに長い付き合いらしく、膝枕をした経験もあるのだそう。
薫は魔界では多忙の身。スカアハが来てからは彼女がレイラ達の相手をしてくれていた。
おかげで、レイラ達も知らない薫の姿を聞くことが出来た。
レイラが再開してから思ったことは、薫の性格が作られているように感じることだ。それは知らない者からすれば全く気付かない違和感だろう。以前を知っているレイラですら、違和感を違和感として認識しにくい程度のものだった。
レイラが今までに見た中でも、薫は三つの顔を持っている。
悪党としての薫。
四天王としての薫。
悪魔王としての薫。
いったいどの薫が真実なのだろうかと。それをスカアハ本人に問い掛けた。
それを聞いたスカアハは感心したように声を漏らした。
「よく気付いたな。確かに坊は己の在り方を変えて、仮面を付けて暮らしている。その上で言えば、どれも坊であり、坊ではない」
そんな答えが返された。
「どういう事……?」
「どの坊も、全て模倣なのだ。身近にいる者の真似をして坊は生きている。そうでもしなければならないほど、坊の感情の欠落は激しかったのだ。普段の、地上では……『四天王』とか言ったか。その時の坊はパティンとゴルゴーンの模倣。おぬしがよく知る坊はパイモンと義母の模倣。そして、儂と会話する時やこの世界にいる時は、ある女の模倣。無論、坊は完全な模倣は成し得てはおらん。そこに己の考えも僅かに紛れ込んでいる。言ってしまえば、それが本当の坊とも言えるかもしれん」
それはレイラ以上に付き合いのあった者の言葉なら、信憑性は自然と高まる。
しかし、そうなると気になることもあった。
「そんなにいろんな自分を作って、薫は混乱しないの?」
「している」
スカアハの簡潔な返答に、レイラとイリカは押し黙った。
「元々坊はそれほど器用な男ではないのでな。手先が不器用であるように、その在り方も不器用だ。だからこそ、時折色々な面の坊が混ざってしまう」
「手先が不器用……? でも、料理は美味しいし、細かい作業とかも馴れた手つきでこなしてたよ?」
「それは馴れているからだ。何度も同じことを反復していれば、いやでもそれは体に染みつき、頭を空っぽにしていても出来るだろう。それと同じだ」
つまり、薫が日常生活で得意としていることは、どれも日頃から反復していることにすぎないのだという。
確かに薫自身、料理や家事は一人暮らしをしているうちに勝手に出来るようになった、とレイラは聞いていた。謙遜だと思っていたが、どうやらそれは真実を語っていたらしい。
スカアハは少しの間黙っていたかと思うと、
「おぬしは坊を心から誇れるか?」
と意味不明な問いを投げかけられた。
それはレイラにとって、考えるまでもないことだ。レイラはその時、腹の底から肯定の言葉を口にした。
「もちろん!」
その答えに満足したのか、スカアハは一度快活に笑い、
「それなら良い。あのイかれた男は本来成し得られぬことを可能にしているからな」
そう言った。
スカアハが去り、しばらく経った今でもその言葉の意味はわからない。唯一わかったことは、バカにしていると言った様子ではなかったことだけ。
彼女にとって薫はとても出来のいい弟子であることだろう。
先月の獅童という男と繰り広げた戦闘。その時に見せた薫の槍の術技は荒れ狂う大波の如き力強さに、そよ風の如き滑らかさがあった。
それまでは抜刀術と暗殺術しか見せられていなかったレイラにしてみれば、その時の薫の姿は衝撃的で、それ以上に今まで以上の誇らしさが胸中を支配した。
レイラは話を聞いた時のスカアハの様子を頭の中に思い浮かべながら、イリカの相手を続ける。
腰もろくに入っていない突きを内から外に払い、腹部を狙って繰り出される蹴りを、形になる前に太腿を蹴って崩す。イリカはそれに押されるようにたたらを踏み、僅かに視線を下げた。
レイラはその隙を見逃さず、持ち前の俊敏さで彼女の背後に回り込む。
「どこっ!?」
すぐに視線を戻し、その場にいたはずの敵の姿がないことを悟り、すぐにその姿を探す。
そんな彼女の肩を、トントン、と優しく叩いた。
それだけで背中を取られていることを察したイリカは、振り返りざまその遠心力を生かした裏拳を放ち――
次の瞬間にはレイラの手によってうつ伏せに押さえつけられていた。
「あれっ!?」
「はい、一本。一瞬でも相手から視線を逸らしちゃダメ。刀での戦いでもそうでしょ?」
そう言いながら手を離す。
レイラはこの組手では自分から攻撃することはしなかった。イリカの繰り出す攻撃をひとつひとつ捌き、少しでも軸がブレるとすぐに投げに移る。
それも、彼女の傷が開かないよう地面につける瞬間に痛くないように優しく。
スカアハのような厳しい戦闘でもなく、薫のような実戦を想定した苛烈な模擬戦でもなく、ただ基礎を体に覚えさせるだけの機械的なもの。ただの作業であるかのよう淡々とそれを続けていた。
それをただ続けるだけでも意外に効果はあったりする。
ただ、それを薫が見れば頭を抱えるかもしれない。
戦闘というものは同じことが何度も起こるものではない。その戦況を見極め、柔軟に対応しなければならない。
しかし、バカのひとつ覚えに同じことを繰り広げても、咄嗟に体が覚えているそれが出て、それが悪手の場合もあるのだ。
基礎的な事を繰り返させるのは悪いことではないが、それならレイラも攻撃を出し防御の練習もさせろ、と言うことだろう。
そうでなければ――
「――実戦で死ぬことになりますよ」
「!?」
突如背後から声が聞こえ、そちらに振り返る。
そこにはやけに髪の長い黒いローブのような装束を着た女性が立っていた。
――いつの間に……?
レイラも別に気を抜いていたわけではない。それどころか、この魔界に来る前に「自分の身は自分で守れ」と言われていたため、今まで以上に周囲には気を配っているつもりだった。
イリカも彼女が近づいていることには気付けなかったらしく、驚きに目を丸くしていた。
「あんたは……?」
この魔界に来てから一週間が経ち、様々な悪魔や異形達を見てきた。特に薫の側近と思しき者達のほとんどはレイラとイリカの修行を眺めに来たり、暇潰しと嘯き相手をしてくれていた。
しかし、彼女は今初めて見た。
銀の瞳は静かにレイラを捉え、なぜかその目を見ると身体が縛られているような錯覚を覚える。
一言で言えば、気が抜けない女だ。今の所敵意はないが、その這うような視線には総毛立つような不気味さがある。
女性はしばらくそのままでいたかと思うと、
「ゴルゴーンです。カオルと同盟を組んでいる者です」
そう静かに答えた。
「私はレイラ。ウィル――薫の妹よ。彼女はイリカ」
「どうも」
簡単な紹介をすると、ゴルゴーンは先ほどと同じ視線を今度はイリカに向けた。その視線を受け、イリカが「ひっ」と小さく声を上げる。
――読めない。
ゴルゴーンと名乗った女性は無表情を崩さない。彼女には感情というものがないのかと思ってしまうほどに表情に変化が生じない。
そのおかげで、三人の間に沈黙が流れる。その沈黙が、どうにも耐え難い。
「何か用?」
居ても立っても居られずに口を開く。
「いえ。私もこのまま部屋に戻ろうとしていたのですが」
ゴルゴーンは不意に視線を右側に移動させる。つられて見てみると、離れた観客席に二人の人影があった。
一人はレイラも見たことのあるアスモデウス。彼女はレイラ達に一概に友好的とは言いがたいが、比較的温厚に接してくれる数少ない悪魔だ。
しかし、もう一人の方は見たことがない。
深緑の髪に、傍らには不気味な威圧感を持った大鎌が置かれている。そのこちらを見る視線は明らかに友好的ではない。
「あの角を生やした女が一度くらい立ち合ってやれと煩かったので」
「えっと、つまり……?」
「組手の相手になってくれるってことよ、イリカ」
レイラの言葉を肯定するようにゴルゴーンが首肯する。
レイラはゴルゴーンがどんな人物かを知らない。しかし、薫の魔界における同盟者というのであれば、やはり規格外の実力者であることは間違いないだろう。
その証拠に、自然体であるだけのゴルゴーンには隙がなく、どうしてか髪の毛が不気味に蠢き始める。蠢き、集い、幾本の束になり、それぞれの束がまるで生きているように持ち上がった。
「……って、えっ!?」
「は!?」
レイラとイリカは思わず素っ頓狂な声を上げる。
この魔界に来て何人も悪魔を目にして来たが、こんな驚愕の出来事が起こるとは誰が思うだろうか? まぁ、冷静に考えれば人外の巣窟であるため、こういうこともあるのだろう。
しかし、やはり初めてそれを目にする人間からすると、当然の反応でもある。
ゴルゴーンはその髪の束のひとつひとつを優しく撫でる。
「では、構えてください。すぐに終わらせて部屋に戻りたいので」
淡々とそれだけを言い、ゴルゴーンが右足を半歩下げた。
「……確認したいんだけど」
ゴルゴーンは無言のままにレイラの言葉の続きを待つ。
「武器は使っていいの?」
「お好きに」
「あなたは武器は使うんですか?」
「いえ」
二人の問いにゴルゴーンは必要最低限以上に口を開かない。
レイラとイリカはどちらからともなく視線を合わせ、ゆっくりと構えた。
レイラは飛雪暗殺術の基本構え。
イリカは足を前後に開き、肩から力を抜いて構える。どうやら、イリカも体術で挑むらしい。
――気を抜かないように!
自分に言い聞かせる。スカアハを相手にした時のようなミスは繰り返さない。
レイラとイリカが初めてスカアハと対峙した時、二人は一度も視線を外さないまま懐にまで潜り込まれたことがあった。
ゴルゴーンもそんなことが出来るかどうかはわからないが、出来る、と仮定していた方が良いかもしれない。
彼女がレイラ達に近づいた際、二人とも気付けなかったこともあり、その判断はあながち間違いではないかもしれなかった。
「レイラ。何か体術での組手でコツみたいなの、ある?」
「コツ?」
「えぇ。体術で気をつけた方が良いこと」
そんなことを言われても、間合いが違う、という事以外は基本的に変わらない。
戦闘での心構えは既に理解している彼女には、改めて伝えるものはなかった。
「残念だけどないよ」
「そんなぁ……」
「あっ、でもひとつだけ言えることがあった」
「えっ? ホント!? なになに?」
イリカが弾かれるようにこちらに振り向く。
その瞬間、視線が外れたことを悟ったゴルゴーンが地面を蹴る。狙いは当然イリカだ。レイラが即応。ゴルゴーンとイリカの直線上に立ち、唸る左拳の側面に手を当てて軌道を変える。
「……!」
続くゴルゴーンの右拳。今度はそれを内から外に払い、お返しにとばかりに腹部を狙った蹴撃を繰り出す。しかし、バックステップで後退され蹴りは空を切った。
突然の事に目をパチクリとさせているイリカに、レイラは相手から視線を外さないままひらひらと手を振り、イリカの意識を戦闘に戻させる。
「今のだよ。その敵から視線を外すのはどうにかした方が良いよ? いつ敵が攻めてくるかわからないんだから」
「――まったくです」
背後から聞こえた声に、知らず背筋が凍った。
今のは明らかにイリカの声ではない。恐ろしく甘い声。その声を聞いた瞬間、頭の中が引っ張られるような妙な感覚に襲われる。
――やっぱり……!!
視界からゴルゴーンが消えている。レイラは彼女から一度も視線を外してはいない。にも拘らず、レイラは背後を取られ、絶好の隙を与えてしまっている。
――こんな時こそ冷静に!
目の前から敵の姿が消えていることを認識したと同時にレイラは背後の気配を探る。
背後に感じる敵意はレイラを狙っているようで、その細かい箇所まではわからないが拳を振り上げる様子が伝わってくる。
薫のように風の流れを読むという荒唐無稽なことは出来ないが、母親直伝の空間把握術は息をするように自然にこなすことが出来る。
静かに絶好のタイミングを待ち構え、
「そこ!」
左足を軸に半回転。右腕でゴルゴーンの右拳を払い一歩入身。ゴルゴーンの流れる身体の側面を狙い、頸の爆発力を利用した中段突き。
相手はまだモーションの途中。放つ拳はガラ空きになった右脇下目掛けてまっすぐ進んでいく。
確実に防げない必殺の一撃。イリカもそう思い、小さく感嘆の声を漏らす。
しかし――
その拳が突如何かに阻まれる。
レイラは目に入ったそれに思わず絶句した。
「えっ……!?」
レイラの拳を止めたのは、あろうことかゴルゴーンの髪の毛だった。幾本もある髪の束のうちのひとつが拳を止め、それだけに留まらず離れないよう複雑に絡みつき、がっしりと固定されている。
「どうなってるの……!?」
イリカも目の前の出来事に瞠目し、口から喘ぐような声を漏らす。
とにかく逃れようと遮二無二蹴撃を繰り出すが、ゴルゴーンはもう体勢を整えており、迫る蹴り足を容易に掴み止めてみせる。
「くっ――!」
掴み止められた蹴り足を軸にゴルゴーンの顔面へ再び蹴りを出そうとして――
「私のことは知らないのですね」
抑揚のない声でそれだけを口にすると、レイラの身体を片腕で振り回し始めた。
「レイラ!」
イリカが叫び、地面を蹴る。その進行をゴルゴーンは許さず、イリカに向けてレイラを投げ飛ばした。
咄嗟に受け止めようと足を踏ん張るがそれも虚しく、激突と共に二人は地面を転がる。
転がる途中でレイラは地面に手をつき、宙に腕力のみで飛ぶ事によりすぐに体勢を整え柔らかに着地。
ゴルゴーンは泰然自若としてレイラ達を観察していた。
「レイラ、あの人」
「スカアハとはまた違った手強さだね」
「……うん。それもそうだけど、あの髪」
言われ、視線を彼女の髪に向ける。
彼女の髪の束はそれぞれに意思があるように別々の動きをする。そして、あのようにゴルゴーンが動けないと思われる時に攻撃を防ぐ。
これまで腕に覚えのある人間しか相手にしていないためにこれほどやりにくい相手はいない。
――それなら……!
ゴルゴーンの髪の毛のことはよくわからないが、今は何よりも情報が少ない。それは彼女にとっても同じ条件だ。
だからこそ、自身の取れる手段を用いている際に情報を得ていけばいい。
「イリカ。合わせられたらでいいから、合わせてね」
「どういうこと?」
「こういうこと」
地面を蹴る。飛雪暗殺術歩法、飛雪。千秋から瞬間移動だと教わった歩法だ。レイラは知らないが、実際はただの縮地なのだが。
レイラは背後に回り込むと、一瞬だけ溜め、溜めた力を一気に爆発させた横蹴り。
しかし、それはまたも髪の毛に阻まれる。しかも今度は足に絡み付こうとしてきた。
「っ!」
すぐにその毛束を振りほどき、右大腿部を狙った下段蹴り。それを見もせずに、ただまとわりつく羽虫を払うような手つきで弾かれる。
たったそれだけのことでたたらを踏み、その隙を見てゴルゴーンがこちらを振り返る。
拳は硬く握り締められており、振り返る遠心力を乗せた一撃を放つ。
体勢が整うのが僅かに間に合わず、受け流せずに腕を盾にした。
その瞬間、
「ぐぅっ!?」
根元から骨ごと吹き飛ばしそうな衝撃が右腕を貫き、たった一撃で防御が崩される。まるで散弾銃を食らったかのような強烈な威力に奥歯を噛み締め、眉間にしわを寄せる。
――よかった、腕はある……!
拳を受けた時、まるで腕が吹き飛んだかのような錯覚を覚え、無意識にそうなってはいないことに安堵する。
しかし、これは何度も受けていれば本当にいつかは腕がなくなってしまうかもしれない。
そんなことを思いゾッとしていると、その間にもゴルゴーンの玄翁じみた拳は止むことがない。
満足に動かない右腕を無理にでも動かし、迫る拳を左右に流し、決して受けないように払い続ける。
無駄のない拳の雨霰。その無機質さはどこか腕を振るうだけの機械を連想させた。
だが、何よりも驚くべきは彼女の怪力だ。先ほどのレイラの身体を苦もなく片腕で振り回したばかりか、今も繰り出される一撃は全てその腕力に物を言わせてのもの。
おかげで捌けなくはないが、受ければ先ほどのように大ダメージを負うことは想像に難くない。
そんな攻防の中、イリカもゴルゴーンへと間合いを詰め、実に甘い突きを放ち――
先ほどのレイラと同じように髪がその腕を阻む。そのまま腕に絡みつき、イリカをその場に縫い付けた。
「と、取れない!」
なんとか解こうと無事な手でその髪を毟るが髪は余計に絡まり、寧ろどんどんと絡みついた箇所が増えていく。
「ふふ、いい子ね」
それまで無言だったゴルゴーンが不意に口を開いた。そのまま鎌首をもたげ、ゆっくりと足を上げる。たったそれだけのことで、恐怖心が煽られる。
「イリカ! 避けてっ!!」
これから何が起きるのか、それをレイラは無意識に悟り、イリカに向けて絶叫に近い声で警告を促す。
しかし、それは手遅れだった。
「え?」
レイラの絶叫に驚き、呆然と視線を目の前の女に戻した刹那、その腹部に杭打ちの如き強烈な蹴りが抉り込んだ。
「が……ッ!?」
絡みついていた髪がするりと解け、イリカの体は目測十五メートル程先まで蹴り飛ばされ、地面に無抵抗に叩きつけられる。
「あ、ぐ――!?」
蹴りつけられた腹部を押さえ、苦しみにのたうちまわる。口の端には血のあぶくが浮かび、息をするのも苦しそうだ。
「このっ!」
顎を狙った後ろ回し蹴り。しかしそれは普段の戦闘においても悪手であることに変わりない。
今回もその例に漏れず、ゴルゴーンはスウェーで軌道先から逃れ、レイラの頬に平手を打った。肌を打つ快音が響き渡る。
「力を出し惜しみするつもりですか?」
感情のない声で言う。
だがレイラはそれどころではない。思った以上に平手が効いた。脳が少し揺れたのか視界が少しブレている。
――きっつ〜!
フラフラとおぼつかない足取りで、それでも懸命に足を踏ん張って立つ。
もし意識がはっきりしていれば、ゴルゴーンの言葉にどきりとしただろう。
魔界に来てから今まで、未だ青雷を使ってはいない。使えばこれまで以上に拮抗出来るだろうが、そんな力もなしにどこまで通用するかを試したかったのだ。
理由としてはただそれだけの単純なもの。
しかし、戦っている相手にとってみれば、力を隠されるのは侮辱も同然。少しでも憤りを感じる者もいる。
ゴルゴーンもそうだ。表情は全く変えず、しかしその内に静かな怒りを宿して――
「どうしても力を隠すのであれば、ここまでですね」
今までのように手を抜きつつ、しかし込められた力はそれまでとは比べ物にならないもの。その一撃を持って彼女の意識を奪い、戦闘を終わらせるものだ。
そんな一撃を隙だらけの顔に向けて拳を放つ。
一拍遅れてレイラが反応するが、間に合わない。レイラの敗北をその場にいる誰もが確信する。
が――
拳は受け止められ、突如ゴルゴーンの体を浮遊感が襲う。
「なっ……!?」
思わずゴルゴーンから驚愕の声が漏れる。当然だろう。レイラの抵抗は意味を成すようには見えなかったのだから。
背中から地面に激突。とはいえそれでダメージを負うほどヤワではない。その証拠にゴルゴーンにダメージはない。
「面白そうなことをしているな。私も混ぜてもらおうか」
突如としてその場にいないはずの者の声が耳に届く。
気づけば、自分の拳はまだ誰かに触れられている。その手の主人を見て、ハッと息を呑んだ。
そこにはニヒルな冷笑を浮かべた薫の姿があったのだから。
次回、薫とゴルゴーンの組手です。戦闘シーンは多いかどうか? ……まだ途中だから、多分?




