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四天王  作者: シュガーイーター
戦いの世界編
23/34

スカアハの評価

2018,3,1  改行作業、加筆修正を行いました。

 闘技場の観客席に足を踏み入れる。

 この闘技場は普段でも娯楽として人外同士の模擬戦をしたり、人体実験好きな悪魔が捕らえたり攫ったりした人間を見せしめに、人体実験を見せる場としても使われていた。

 その所為で血や臓物の臭いがこびりついており、もうその臭いは取れそうにもなかった。あまり四天王の面々を立たせてやりたくない場所だ。


 そんな闘技場の中心で、三人の影があった。

 一人はレイラだ。血の繋がりはないが、家族として共に育った女性だ。実のところ、書類上ではレイラが姉になっているのだが、本人達が今のように接しているため当時の千秋もそのように二人を育てた。

 息を乱し、フラグネルロングシャツを翻し、刀を手に必死に敵の猛攻を受け流している。


 二人目はイリカ。先月の戦いで敵として戦った暗殺者だ。

 黒い髪を跳ねさせながら、レイラと同じく必死に敵の怒涛の攻撃を受けていた。

 薫につけられた体の傷はまだ完治とは言えなく、暴れ過ぎると傷が開いてしまう可能性がある。

 その為、彼女には薫からドクターストップをかけたこともこの一週間で何度もあった。

 彼女はもう殺し屋を抜けたらしく、他二人と共に――薫と同じように――追われる身となっている。


 三人目は薫の槍の師匠でもあるスカアハだ。顔半分を黒いマスクで隠し、肌にぴっちりと張り付くような黒い服に、黒い外套を纏い手に持つ紅い槍でレイラとイリカの二人を圧倒する。


 髪が揺れる。外套を翻しながら急所を穿たんと銀光が奔る。それをイリカが防いだ瞬間、今度は懐に潜り込み後ろ回し蹴りを繰り出す。

 まるでそうなることがわかっていたかのようなタイミングでの行動だった。

 咄嗟に身を捻って受け流そうとするが、それでも威力を殺しきれず、イリカの体は大きく飛ばされた。目測十メートル程は飛んだだろうか? 地面に強く叩きつけられ、苦しそうに息を吐き出す。

 その隙を狙ったレイラだったが、間合いを活かしてレイラの身体を横から払った。

 咄嗟にその槍の運動エネルギーと同じ方向に跳び、威力の半減を狙ったが、それは彼女には意味をなさない。

 即座にその狙いを見て取ったスカアハは、グッと槍を握る手に力を込め、今よりもなお疾く、力強く振り払った。


「ようやく進展した、ってところですよ」


 不意に声をかけられ、そちらに目を向ける。

 すると、そこには長い藍色の髪を首の後ろでひとつにまとめ、無地のシャツの上に革のロングコートを羽織り、カーゴパンツにジャングルブーツを履いた男が座っていた。

 長身で体格がいいが中性的な顔立ちをしており、コートの袖を七分までまくってある。両目尻には水をイメージしたペイントが施され、優しい笑みを浮かべている。


「パイモン。ここで見ていたのか?」

「そうっすよ。人間でありながらよくあそこまで持ちこたえたもんだ」

「同感だな。まぁ、スカアハに傷がないのは想定内だが」

「あれに傷つけるのはまだまだ無理無理――あいてっ!?」


 突然パイモンが何者かに頭を叩かれる。


 そちらを見ると、そこには一人の少女が立っていた。

 背は低く一五〇前半ほど。紫がかった髪の毛はよく手入れされて艶がある。髪留めなのか、彼女の頭には蝙蝠の羽のような物が着けられている。

 肌は色白――というよりも屍人のようで血色がなく、寧ろ立っていることさえ疑問に思えてしまうほど。

 紅いカーディガンにロングスカートを履き、手には日除け傘が閉じて握られていた。

 少女の見た目ではあるが、美しいと言わしめる優雅さがあった。今は表情をしかめさせているが、それでもなお綺麗だと思わずにはいられない。


「なんだ、キャルマタかよ。ひっでえなぁ、いきなり頭を叩くなんてよ」


 パイモンの抗議の声に、少女――キャルマタのこめかみがひくひくと動く。なんでかはわからないが、相当お怒りのようだった。


「仕方ないでありんす。だって、我らの愛しき器様に対して言葉がなってないでありんすれば。悪魔王様のお怒りを代弁してるだけでありんす」


 彼女の独特の話し方が、薫は思わず時代劇の吉原の女を思い浮かべてしまう。


 彼女がキャルマタ。薫が魔界に帰って来たばかりの時に、ベルフェゴールと共に戦場に赴いた吸血姫の第二真祖だ。詳しいことは知らないが、吸血鬼達の真祖の数字は産まれた順番と彼らの序列を示すらしく、それが意味するところは、キャルマタは吸血鬼達の真祖の中で二番目に力を持っている存在ということだ。正に人は見た目に寄らないということの証左だろう。

 第一真祖も、実は知った仲なのだが、それは今は置いておこう。

 やけに彼女から気に入られているのだが、薫本人にはそんな自覚は全くない。一際忠誠心が強い、という認識でしかなかった。


 そんな彼女は何かとパイモンによく突っかかる。忠義のかけらもない彼の口調が、彼女には許せないのだろう。

 薫本人としては公の場でなければ別に構わないのだが、そんなことは彼女の知り得ることではない。


「なーに言ってんの〜。見てみろってあの顔。怒ってるように見えるか?」

「慈悲深い御方だからこそ、表情にそのお怒りをお出しにならないでありんす。だからこそ、わちきが代弁しているでありんす!」

「いやいや、あれほんとに怒ってないから。お前が許せないだけだからな、ソレ」

「わちきがアンタを許せないのは当然でありんす。忠義が全く感じられないその態度、言葉遣い、何から何まで看過できんせん!」


 恐ろしいまでの怒気を放つキャルマタだが、パイモンはそんな彼女は慣れたもの。涼しい顔で受け流し、笑って思ってることを口にし続ける。

 だが、流石にこれ以上続けば手が出かねない。二人がここで戦闘を行えば、この一帯が吹き飛ぶのは必至だろう。


「そこまでだ。キャルマタ。私のことを思って言ってくれるのはありがたい。だが、パイモンの言う通り私は怒ってはいない。公の場ではないんだ。お前も楽にしてくれて構わんのだぞ」

「め、滅相もありんせん! あ、悪魔王様にそのような無礼は……!」

「ふん、忠に厚い女だ。些か厚すぎる気もするが、まぁいいだろう。さて、そろそろ私達も座らせてもらおうか」


 言うと、キャルマタが薫にパイモン達よりも一段高い石段を勧めようとして、ハッとした。


「あ、悪魔王様をこの様な汚れた場所に座らせるなどっ!? わちきはなんと無礼なことを!!」


 他に座る場所もないのだから仕方のないことなのだが、彼女はそうは思っていないらしくわなわなと自責の念に捉われ始めた。

 そんなキャルマタの様子を眺めながらパイモン達と同じ石段に座る面々は、


「ここまでくると重症ね、こいつ」

「言うな言うな。これがあるから面白いんだよ。そう思うだろ、茨木童子?」

「クハハッ、まぁのぅ。吾はここにくると、いつもこれを楽しみにしておるわ!」

「はーん? あたしにはさっぱりだわ」

「なんでもいいけど、スカアハは止めなくていいの? あの黒髪の人間、そろそろ止めないと傷が開くわよ」

「いーのいーの。修行つけてるだけなんだろ? じゃ大丈夫だろ。いくらあいつでもトドメは刺さないって。いや、寧ろあの人間自身もう動けないかもな」


 などとそれぞれの会話を続けていく。

 その間もキャルマタは慌てふためき、果てには、


「わ、わちきが椅子になりんす!!」


 と言う始末。正直どうすればいいのかわからない。手に負えないのだが善意なのであまり無碍にもできない。

 結局、彼女が椅子になることで落ち着いた。やけに息遣いが荒く、顔が赤いのだが、聞くのが怖いので放っておこう。時折、小声で変な喘ぎ声の様なものも聞こえるから尚居心地が悪い。というより落ち着かない。


「……重くないか?」


 薫の体重は七十二キロ。鍛えてる人物からすれば軽い方だが、それでも人間相手に重いことには変わりない。

 吸血鬼である彼女には心配する必要はないかもしれないが、それでも問わずにはいられなかった。


「だ、大丈夫でありんす! このくらい、なんてことありんせんっ! はぁ、はぁ……」

「そ、そうか」


 その割には息が荒いのだが、本人が大丈夫と言うのだ。部下の言葉を信じてやるのも上に立つ者の務めだ。

 薫は気付いていないのだが、下からそれを見上げている者達は、キャルマタが恍惚の笑みを浮かべていることを見てそれぞれが笑っていたり引いていたりする。


 薫が闘技場に視線を戻すと、既に勝敗は決していた。

 イリカは刀を遠くへと弾き飛ばされ、首筋に槍の穂先が据えられている。レイラはスカアハに背中に足を乗せられ、その首筋に空いた左手にもう一本の紅槍の穂先を当てていた。


 薫はそれを見ると、立ち上がる。キャルマタが「あぁ……っ!?」と残念そうに声を上げたが、無視して闘技場に飛び降りた。

 七メートルほどの高さから飛び降り、二本の足で着地。全身のバネを使って衝撃を吸収した。


 その時、スカアハがこちらに気づいた様で二人から槍を退け、マスクを外してこちらを見る。


「流石はスカアハといったところか。二人もなかなかに凌いだようだが」

「正直ここまで長引くとは思わんだ。なかなかにいい娘達だな。鍛え甲斐もある」

「そう言ってもらえると連れてきた甲斐もあると言うものだ。――ほら、立てるか?」


 レイラに肩を貸そうと手を伸ばすが、大粒の汗をかき、息を乱してしまっている二人はすぐには立てそうにはなく、喋る余裕すらもないようだった。差し出された手を取ることも出来ないというのはよほどのものだ。

 どうやら、相当厳しくしごかれたらしい。

 イリカはともかく、レイラまでそうなるとは思ってもみなかったが、修行の際のスカアハは相手の技量を見極め、それよりも少し高めの技術で攻める。そして、それを限界ギリギリまで痛めつけるのだからたまったものではない。……まぁ、それは本人にとっては修行と言うよりも遊びと言った方が正しいのだろうが……。


 薫は二人を肩に担ぎ、壁際に座らせる。

 二人はぜぇはぁと呼吸を乱したままで、何事かを話そうとはするのだが、それがなかなか出来ない。


「お疲れさん。ゆっくり休め」


 二人にそれだけを言うと、立ち上がり、スカアハの元に戻る。

 彼女には聞かなくてはならないことがある。それをわかってか、スカアハは泰然と待ち構えていた。


「スカアハ、貴様から見てあの二人はどうだ?」


 それはこれから先、いつか必ず起きる千尋達の復讐劇において、その彼女の評価で二人を使っていくかの参考のための質問だった。

 彼女は相手を見る目があり、その者に才能があれば徹底的に指導をする女性だ。

 事実、彼女のその目があるからこそ、兄弟子(クー・フーリン)は才能があると認められ彼女の下で修行を積み、世界的に有名な人物になっているのだ。

 彼女の言葉は何においても信頼に足る。


 スカアハは今一度疲労しきった二人に目を向け、少しの黙考。そして、ゆっくり手を上げイリカを指差した。


「その黒髪の娘。そいつは驚くほどの潜在能力を持っているな。鍛えようによっては、もしかすると坊や他の若造共とも肩を並べられるかもしれない」


 それを聞き、純粋に驚いてみせる。

 潜在能力については薫もサリエル達と話していた通り感じてはいたことだが、まさかスカアハにそこまで言わせるほどのものとは想像もしていなかった。

 そんな薫の反応を見て、スカアハはクスリと笑った。その瞳は優しく、包み込むような暖かさがあった。


「意外か?」

「あぁ、そこまでとは私も思ってはいなかった」

「今のままのやり方では何十年かかるかわかったものではないがな。……坊。あの娘、影の国に連れてこないか?」


 これも驚くべき提案だ。あの影の国の女王御自らの招待。それはさぞ名誉あることだろう。もちろん、行われるのは血塗れの修行という名のパーティーなのだが。

 しかし、それは薫の一存で決められることではない。

 イリカは妹の友人であって、薫の部下ではないのだ。そんな人物を自分の勝手な采配で振り回すことなんて出来るはずがない。


「その辺りは、あいつ本人に直接伝えてやってくれ。私が決めることではない」


 その答えを予想していたのか、やれやれと肩を竦めてみせる。


 なんだかんだ言いながらも、彼女とはもう七年の付き合いだ。相手がどんな性格をしているのか、何を癖にしているのかなども見ていれば自然と理解出来る。

 そしてなにより、彼女とはウマが合う。薫の境遇も知っている存在なために相談事をすることも多々あった。

 だからこそ、彼女は信頼が出来る。なにより彼女は薫に対して悪意を持っていない。

 純粋に善意で付き合ってくれているのは、これまで接した中でもう明らかなのだ。

 薫に対してそんな風に接するのは極めて稀だ。勿論、薫の従える悪魔達も悪意などない。しかし、それは悪魔王の器としか見ていない節も多く見受けられる。

 だからこそ、信頼はしていても腹の底から己の思いを吐露するほどではなかった。


「レイラはどうだ?」

「あの金髪の方か? あれはダイヤの原石だ。それも、半ば完成している。余程良い師に巡り合ったのだな。剣術、体術は坊と同じ部分が多い」

「あぁ、それは同じ師だからだろう」

「やはりか。だが、あの娘はまだ何かを隠している。それを使えば、私にも手傷のひとつは与えられたかもしれんな」


 実に高評価だ。確かにレイラは昔に比べ強くなっている。そして、当時は気付けなかったが才能がある。

 薫がレイラから離れてからの六年で、彼女は薫に近い位にまで上り詰め、『青雷の舞姫』という異名もつけられたほどだ。

 恐らく、隠しているのはその力なのだろう。


 しかし、それを踏まえてもスカアハに傷をつけられるかどうかは――


「ないな」


 喩えレイラがその力を使っていたとしても、スカアハには傷をつけることはできなかっただろう。

 これは確信して言えることだった。


「そうか?」

「そうだ。この私ですら貴様には傷をつけられるかはわからない。レイラは今の状態の私にも恐らくは傷ひとつつけられんだろうからな」


 これは事実だ。

 実際、スカアハがここを訪れたのが五日前。それまでの二日間は今の状態の薫が相手をした。


 三つの封印の解放に加えて左眼の解放状態。悪魔王として少し枷を外した状態での戦闘は、薫の独壇場と言っても良かった。

 以前の組手ではレイラは互角以上に渡り合ったが、それは人間相手に戦えるギリギリのラインの封印があったから。それを少しでも解除すればそれはもう人間の領域から大きく外れた身体能力を見せる。

 結果として、レイラは薫には傷ひとつつけることができなかった。薫にはまだ息を吐く余裕すらあったため、彼女が力を発動していたとしても傷をつけられることはなかっただろう。

 それはイリカに対しても同じこと。まだ完治していないために優しく突いたのだが、それでも彼女はすぐに倒された。


 そんな二人がどうしてスカアハを相手にここまで粘り強かったのかは、恐らくその戦闘を経験し、尚且つスカアハが来た時の薫と彼女の戦闘を観察していたからだろう。

 確かにそれを見た後では、今回の攻防はまだまだ楽なものだったろう。


「これからの戦い。あの二人は戦えると思うか?」


 返答次第では二人はその戦いからは遠ざけねばという思いを込めて、スカアハに詰め寄った。

 薫の真剣な面持ちを見て、スカアハも双眸を鋭く細める。そして、フッ、とたおやかな笑みを見せた。


「安心しろ。戦える」


 その言葉に薫は僅かに表情を綻ばせた。

 勿論、今のままでは無理だということは百も承知だ。二人の技術、その将来性を見て、スカアハは戦えると判断したのだ。


「また機会があれば、あの二人に修行をつけてやってもらえないか?」

「坊直々の頼みなのだ。無碍にはしない」

「恩にきる。この礼は、今からの戦闘で」


 そう言って薫は自室に置かれている妖刀を転移させて腰を落とした。

 その妖刀を見たスカアハが、ほぉ、と小さく声を漏らした。


「村正か。それにしては少し力不足にも見えるが、問題はない。惜しむらくはくれてやった槍ではないことだな」


 流石は影の女王。薫の妖刀を一目見て、すぐにその刀の銘を言い当ててみせた。

 薫の持つ刀は妖刀村正。持ち主を選定する、呪われた刀だ。

 その刃の斬れ味は凄まじく、風に乗って流れる葉を滑るように両断してみせる。


 スカアハもすぐに槍を一本だけにして構えた。

 距離は二メートル。この距離なら一足で詰められるし、なにより相手の槍ではこの程度の間合いはほとんど無いに等しい。

 間合いの差をどう対処するか、接近出来たとしてどう攻めるかが鍵になる。


「フッ――」

「ヒュッ――」


 二人が同時に小さく息を吐く。それだけで二人は既に呼吸を整え、臨戦体勢に移っている。

 絶好の隙を見極め、攻め入るパターンをいくつも頭の中に浮かべる。

 それに対し、スカアハはいつ攻め込まれようと対処するという気迫が現れていた。

 二人はどちらも動かない。互いに隙など微塵もなく、半端な攻めでは逆に返されて終わる。

 更に言うならスカアハはその間合いを活かして薫が動くのを待ち構えるだけでいいのだ。


 ――埒があかない。


 ここは敢えて仕掛ける。その先に起こることはいくつも想定出来るが、ある程度なら薫も対処は可能だ。


 薫が身を深く沈ませる。そして、今まさに飛び出そうとして――

 出来なかった。

 薫の背後に何物かが立ったからだ。


「悪魔王様、人間の使者がやってまいりました」


 二人は同時に戦闘体勢を解き、薫は声の主を振り返った。

 一九〇前後ほどはある長身にスラリとしたスマートな青年だ。丁寧に整えられた黒髪に、日焼けと縁のない生白い肌。目鼻立ちの整った美形で、ジャケットこそ着ていないものの、上質な白いシャツの上にベスト、下はグレーのスラックスに革靴を履いていた。手には甲の部分に何かの魔法陣が描かれた白い手袋。首元までもキチッと着こなされており、気取った格好だったが、最も目を引くのはやはり、右目にかけられた片眼鏡(モノクル)だろう。その格好から、前世紀の貴族を彷彿させる。

 そんな青年の言葉を聞いた時、薫の中でスイッチが入れ替わった。厳格な態度を心掛け、主君としての威厳を醸し出す。


「使者だと?」


 はい、と青年は頷く。


「何処のものだ」

「バトルプラネット、レンストン王国です」

「レンストン王国? パティン、間違いはないか?」


 青年――パティンは黙ったまま一度頷く。


「そうか。――アスタロト!」


 薫は観客席にいるアスタロトに声をかける。レンストン王国へと続くゲートを創ったのはアスタロトだ。それなら、ゲートが開いた際に察知しているはずだ。

 果たしてアスタロトはすぐ側まで転移し、悪びれる様子もなく口を開いた。


「ごめ〜ん、わっすれてた〜!」

「忘れていた? 伝えるのが面倒だっただけではないのか」

「さっすが悪魔王様。わかってる〜!」


 彼女の反応に思わず呻き声を漏らす。この悪魔にはいつか本当にお灸を据えてやる必要があるかもしれない。


「如何されますか?」


 御決断を、とパティンが指示を求める。


 わざわざこんなところにまで出向いて来たのだ。業腹だが出向かないわけにはいかない。だが、今までの経験上、ここに使者を送ってくる時の多くは厄介事になる。

 唯一そうならなかったのは今回の使者が送られてきたレンストン王国なのだが、相手方の目論見や要件がわからない以上は警戒を向けていく。

 今回もその例に漏れない。


「パティン。現在この城には誰がいる?」

「この場にいる者を含み、後はベルフェゴール、ゴルゴーン、フェンリル、バハムート、マモン、アスモデウスがおります」


 それを聞き、薫は頷く。

 薫が悪魔王となったばかりの頃は他にもっと多くの悪魔がいたのだが、薫が化物と契約した際不満を持ち離反した悪魔達も多い。

 いずれはその悪魔達を軍門へ戻そうと考えているが、今はどうだっていいことだ。


 薫はすぐにアスタロトに指示を出す。


「アスタロト、皆に伝達。至急玉座の間に集結せよ、と」

「ゴルゴーンはどうされます~?」

「おそらく来ないだろうが、一応伝えておけ」

「了解で〜す!」


 言うと空中に手をかざす。すると、その手を中心にひとつの魔術方陣が浮かび上がり、今度は開いた左手を自分のこめかみに当て、トントン、と二度指で叩いた。念話だ。

 皆を集結させる際、薫は今回のようにアスタロトに指示を出すか、掃除や食事を作るといった身の回りの世話をするメイドに任せる。

 もちろん、メイドといっても人間ではない。この城にいるメイドはその全てが人外だ。

 今回は身近にアスタロトがいて、メイドがいなかったため彼女に任せたのだ。


 すると、無礼者め、とキャルマタが小さく口にし、


「悪魔王様、わちきはこれよりゴルゴーンの下に向かい、引き摺ってでも連れてくるでありんす」

「不要だ」


 即座に下される否定の言葉にキャルマタが驚愕に目を見開き、無言で理由を求める。


「奴はスカアハと同じく同盟相手であり部下ではない。そんな者に、強制するわけにもいくまい」

「し、しかしあの者はこの城に常に入り浸っているでありんす。それも、そのうちの一部屋を我が物顔で……!」

「私自ら与えた部屋だ。どう扱おうとゴルゴーンの自由だろう」

「あの女は自由にし過ぎているでありんす。それに悪魔王様直々の御厚意を鼻で笑い、無碍にしているのを見るのはわちきの堪忍袋ももう限界でありんす」


 静かだが、そこに隠された怒りは余程のものだろう。それにこれは、彼女ほど忠義心が強いからこその言葉でもある。

 彼女の堪忍袋が限界だと聞くのは、この一週間で十回目なのだが……。


「……わかった。キャルマタ、それは貴様の自由にしろ。ゴルゴーンが来るかどうかは、貴様の腕にかかっていると知れ」

「はっ!」


 力強く返事をすると、彼女の身体がどんどん崩れていき、崩れていった箇所から蝙蝠となって飛び立った。その数はおよそ五十匹。その一匹一匹が全てキャルマタの眷属であり、またそれぞれに自身の意識をバラバラに植え込んだ彼女本人なのである。


 その蝙蝠達が飛び立っていくのを見送ると、薫はパティンに視線を戻した。


「使者は今どこに?」

「城門前にて待たせてあります。今はメリーナが相手をしております」


 メリーナとは薫の世話係のメイドの一人である。


「わかった。引き続きメリーナに相手をさせ、準備が整い次第引き入れるよう指示を出しておけ。パイモン、貴様は一足先に玉座の間に向かい、他の者達に事の次第を話しておけ」

「畏まりました」

「はっ」


 指示が下されると行動が早い。パイモンとパティンの姿が煙のように消え、その場にはアスタロトとサリエルと九老が残った。


「伝達、完了しました〜」

「御苦労。では、九老と共にパイモンの後を追え。九老――」

「わかっておる。吾は護法。主を守れる位置に立っておるわ」


 そう言うと、アスタロトと九老も一足先に闘技場から去る。

 薫は村正を自室へと転移させ、黙って事を見守っていたスカアハに振り返る。


「そういうことだ。すまないが――」

「何も言う必要はない。私もあの二人を部屋に送り届けたらすぐに向かう」


 薫は一度レイラ達に視線を向け、


「頼んだ。もしかすると、既に始まっているかも知れないが……」

「音もなく入り込めればそれで良い。では、また後でな」


 彼女の言葉に頷きで返し、唯一残ったサリエルに首を巡らせた。


「サリエル、これより準備に移る。付いて来い」

「わかりました」


 観客席にいた他の皆がアスタロトに続いて傍らに立ち、薫の指示受けたサリエルが先程と違い恭しい態度で頭を下げた。




 匂いがする。

 草の匂い、土の匂い、風の匂い、水の匂い。

 もう嗅ぎ慣れた匂いばかり。


 だが、その中に別の臭いが紛れ込んでいる。

 本来魔界にいるはずもない、人間の臭い。


 手入れのされていないぼうぼうと生え渡る草をかき分け、臭いのする方へ向かう。


 その途中に音が聞こえた。馬の嘶き。足音。そして、カラカラと何かが回る音に鞭を打つ音。ボソボソと小さく聞こえる話し声。

 きっと人間が入った動く箱だろう。もう最近見慣れた、『車』というものではない。アレは音はするが馬のような声では鳴かない。

 そうなると、大昔に貴族が乗っていた、『馬車』というものだろう。

 今でも時折魔界に来るのを見ることはあるが、それは決まって荒事を宣言されるだけだ。

 今回もきっとその類いに違いない。


 そう思って音は無視をして、臭いのする方へと向かう。


 見つけた。


 林立する巨木の根元近くに、一人の人間がうつ伏せで倒れていた。


 まだ子供だ。銀の髪を長く伸ばし、荒事には向かないぷにぷにとした柔らかい肌。上品そうな服を着てはいるが、そこかしこに泥が跳ねて台無しにしている。


 その矮躯を眺めて、きっと貴族だと思った。貴族でなければこんな上品そうな服はあり得ない。


 ふと視界に何か綺麗なものが映り込んだ。

 ペンダントだ。それも、何処かで見たことのある紋章が彫られている。

 それがどこのものかを考える。


 この間までいた地上にはこんなものは見なかった。そうなると、違う場所のものだ。しかし、雰囲気からあの場所ではないだろう。


 ずっとそのように思案していると――



 ――あー、あー、聞こえますか〜? アスタロトでーす!――



 不意にそんなふざけた声が聞こえ、辺りに首を巡らす。しかし、彼女の姿はどこにもない。


 それで思い至った。これは彼女の念話だ。魔界にいる魔術使いの中でもアスタロトのみしか使えない念話の魔術。

 難度が高いというわけではなく、単にガンガン火力で押すという考えの魔界では、交流手段なんて必要としないため誰も会得しようとしないのだ。



 ――こればかりは真面目にしますか。えーっと、これより高位の悪魔、同盟を組んだ者は至急玉座の間に集結せよ! 繰り返す。至急玉座の間に集結せよ! いーじょう!――



 そう言って、念話が切れる。

 同盟相手ということは、自分も行かなくてはならない。

 大方、先ほどの馬車が原因だろう。


 足下の人間を見る。ここで見捨ててもいい。そうすれば、この辺りに生息している魔獣が捕食する。

 だが、なんでか放っておけない。ペンダントの紋章が気になって仕方がないのだ。

 仕方なく、住処に持って帰る。少し遅れるが、それでも自分の脚なら何でもない僅かな時間だ。

 この人間をどうするかは、後で決めよう。


 そう思い、住処へと急いだ。

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