風情のある散り桜
2017,11,18 一文加筆しました。
2018,2,22 改行作業、修正を行いました。
その後、左眼を閉じて意識を失った二人を瓦礫の山から救出作業をしていた。ようやく意識を取り戻した千尋と和希に獅童の言っていた事を話し、この仕事はようやく終わった。
レイラと近衛は共に精神的にやられており、少し休息させてからその場を後にした。
その戻る時、イリカ、リム、アロン、巴の四人に加え、なんと篠原の父親も共にいた。殺されているとばかり思っていたが、その予想は外れ、虫の息になりながらもしっかりと生きていたのだ。
それをパイモンが見つけ、薫が肩に担いで連れ帰った。
そして、もうひとつ重要な物も得た。何故、乙葉が狙われたのかだ。
パティンが見つけた書類に事細かに書かれてあった。
鷲峰組という氣櫻組傘下の組織が組よりも優位に立とうと人質として捕らえようとしたらしい。
構成員の一人である薫からしてみれば、こうなってしまってはどうしようもない。降りかかる火の粉は払うまでだ。
赤崎に渡すように伝え、薫は前を歩く千尋達に追いつくよう小走りに追った。
何事もなく脱出すると、直ぐに千尋が経営する氷崎総合病院へと直行。
煜は包帯とギプスでグルグル巻きにし、千尋は獅童の攻撃を防いだ際に折れた腕にギプスを巻き、和希は幸い大事がなかった。厳しい厳しい師匠の修行のおかげで、打たれ強くなっているのだろう、と二人で青ざめながら笑った。
篠原の父親は緊急オペの後、集中治療室に入れる事になった。
薫は白衣に袖を通し、こびりついた返り血を水で洗い流すのにかなり苦労していた。洗い落とすまで、その部屋から出させてもらえなかったし、九老に指を差されて笑われた。
暗殺者三人も一応経過を見るために三日間入院する事になった。イリカに関しては一週間の入院だ。担当医師は患者の意向を尊重して薫ということになった。解せぬ。
巴も経過を見るために入院をすることになった。しかし、彼女はテロリストのため、退院した後に警察へと引き渡されることになる。
レイラは直ぐに篠原へと電話すると、近くで仕事をしていたらしく、仕事を放って篠原が駆け込んできた。
大きく肩を揺らし、滴る汗を拭う素振りをせず集中治療室のガラスに駆け寄った。そこで静かに眠る父親の姿を認め、大粒の涙が絶え間なく溢れ出る。
「生きてた……!」
「ウィルが見つけたんだよ!」
薫は皆に九老以外に探し物を探させている悪魔達を教えていない。それによって、篠原の父親は薫が見つけたということになっていた。
篠原はそれを聞くと、ふらふらとおぼつかない足取りで薫の前に立ち、一度背を正すと、頭を下げた。
「父を見つけてくれて、ありがとうございました!」
「たまたま見つけただけだ。礼を言われるようなことじゃねぇ」
「それでも、お礼を言わせてください」
「…………」
ここまで律儀にお礼を言われると少々むず痒くなってくる。
頭を少々かき、中の篠原の父親に視線を向けた。
「問題はこれからだ。正直あと少し見つけるのが遅ければ助からなかっただろう」
それを聞き、篠原は表情を曇らせる。そして、視線を父親に向けた。
「診た限り、打撲、膨疹、擦過傷、爪甲剥奪創、右下腕骨が粉砕骨折。左上腕骨は複雑骨折。胸骨が三本と尺骨にヒビが見られた。両足の腱にはボルトがはめられてある。残念だが、もう歩くことは出来ないだろうな」
「そんな……!」
「これだけやっても埒があかなかったからか、奴らは自白剤も投与したようだ。意識を取り戻したとしても、しばらくはリハビリの毎日だろうな」
案外上手くやったようにも見えるが、そんなことはない。確かに完全に下手くそとは言い難いが、プロであるとも言い難い。
やることがどれも雑なのだ。爪を剥がしたことはまだわかる。それが終わった後は指を砕けばいいものを何故腕を砕いたのだろうか。
それに、自白剤があるなら初めから使えばよかっただろうに。
そんな風に思っていると、不意に篠原が口を開いた。
「それでもいいです」
「えっ? でも、日常生活が……」
レイラが悲しげに言うと、篠原は首を横に振った。
「それでもいいの。生きてさえいてくれれば」
その目に嘘偽りはない。純粋に、心からそう思っている。
だが、薫はそれを信じることはない。人間の心は脆く、直ぐに気持ちが変わる。
だからこそ、思わずにはいられない。
いつの日か、元に戻してほしいと言ってくるかもしれないと。
人柄的にそれはないと言い切れそうなものだが、他人を信用しない薫の悪い癖だった。
ふと時計に目を向ける。もうすぐ昼を回ろうかという頃合いだ。
この時間にはイリカたちのところに顔を見せるようにと千尋に言われているのだ。
小さく溜息を吐くと、重い足取りで歩き出した。
「レイラ、少し篠原を休ませてやれ」
「ウィルは?」
「仕事」
そうとだけ言い、その場から離れていく。その時、篠原が再び頭を下げた気配がしたが、薫は振り返ることなく立ち去った。
薫が嫌われているのはこの病院でも同じこと。すれ違う看護師や医者達は薫とは目も合わせようとせず、患者達も白い目で薫のことを睨み続けていた。
居心地の悪い思いをしながら真っ直ぐイリカ達の病室へと向かう。その途中に煜の病室を見つけ、ついでにと中に入った。
「何や、薫か。美人の看護婦が来たんかと思ったわ」
「その状態でよくもそんなことが言えるものだ」
煜の姿はほとんどミイラといっても差し支えない。ほとんどが包帯やギプスで真っ白になっているのだ。
それでも、元気そうだった。いや、元気を装っていた。普段通りに軽口を口にし、怪我なんてしていないかのように笑う。
しかし、薫は獅童のことに触れないように気を使って話していた。
煜にとって獅童がどのような存在なのか知っている。そして、どれほど許せない存在なのかも充分理解しているつもりだ。
だからこそ、本人が気づかないよう気を使って談笑を組み立てていく。
薫が気を使う点はそこだけではない。
煜は今回人間を殺した。その瞬間を見ていたわけではないが、表情や目つきがそのことを雄弁に物語っている。
この男は他の四天王に比べて感受性が豊かだ。そのため、もしかすると心へのダメージも千尋に比べて強いのかもしれない。
そして、他の者に気をかける度量を持った男でもある。だからこそ、心配させまいと空元気を出して談笑に浸っているのだ。
そんな男と長話をしていては、薫自身気が滅入る。今は落ち着かせるために、早々に病室から出た方が良い。
「さて、そろそろ俺は仕事に戻らせてもらう。安静にしてろよ」
「わかっとるわ」
薫の言葉を聞き、僅かに安堵の表情になったことは気付かないふりをした。
「看護婦のケツを追いかけようとするなよ」
「せぇへんわ!」
そんな他愛ない会話を終え、煜の病室から出る。
静かに病室の戸を閉め、再びイリカ達の病室へと向かう。
「あ、あの!」
途中、一人の少女に呼び止められた。
茶髪のショートカットで細い四肢。それでも華奢ではなく、筋肉のつき方から何かスポーツでもやっているのだろう。身長は一五〇前半。白いワンピースにハンドバックを手に持ったどこか清楚さを感じさせる少女だった。
「五一六号室ってどこでしょうか?」
「すぐそこの病室だ。あそこの輸血パックが乗ったワゴンの前」
「ありがとうございました! 失礼します」
少女はペコリと一度頭を下げると、薫に言われた病室に入っていった。
薫は再び歩き出し――不意に立ち止まり、少女が入っていった病室に振り返った。
彼女が入っていった病室は、今薫が出てきたばかりの病室。そして、五一六号室は個室の病室だ。
つまり、必然的に煜への見舞い人ということになる。
――煜に、女の面会者……!?
今話しかけてきた少女はホストクラブに行くようには見えない。プライベートで何か付き合いでもあるのだろうか?
「こいつは、明日一雨来るな」
一雨どころか雷の雨が降るかもしれない、と失礼なことを考えながら、薫は再び足を動かし始めた。
イリカ達の病室の前に来た時、中から男女の話し声が聞こえて来た。千尋とリムのものだ。
――随分と仲良くなったものだ。
そう思い病室に入ろうとして――思わず立ち止まった。
会話の内容が聞こえたからだ。
「私と、付き合ってください!」
そう言った。さっきまで敵として戦った相手にまさかのお付き合いを申し込んだ。こればかりは呆れを通り越して感嘆する。
どのような返事を返すのか。それを聞くまでは入らないと決め、気配を可能な限り消し、耳をそばだてる。
「俺で良ければ、喜んで」
あっさりと承諾してしまった。もしかしたら和希以上のお人好しなのではと思ってしまう。
まぁ、人の恋愛事情にとやかく言うつもりもない。千尋の返事も聞いたため、仕方なく病室に入って行く。
そして、すぐにそれを後悔する。
病室に入った瞬間、ピンク色の空気が空間に漂っているからだ。今すぐ踵を返して立ち去りたい気持ちでいっぱいになる。
いや、そうするべきだ。
「来たな、薫」
タイミングを逃した。
「簡単に仕事を済ませて、俺は帰るぞ。花見がしたい」
「もう半分以上は散っていると思うんだが?」
「散り桜も、風情があるだろう?」
そうとだけ言うと、リムのベッドの対面にあるイリカが横になるベッドの傍らに立つ。
「傷の具合は? 痛みとかはないか?」
「うん、なんともない」
「顔が赤いぞ? 熱でもあるのか?」
「えっ!? いや、そうじゃなくて……」
「まぁ、なんでもいいが」
その後、簡単な問診を済ませ、少し談笑を交わしてから薫は病室から立ち去る。
そこでようやく息を吐いた。
あのような甘ったるい空間は勘弁願いたい。そもそも、他人の恋愛には興味がないのだが、イチャイチャしているのを見ると体がむず痒くなって仕方がない。
近衛は食堂にいるところを見かけた。肩を落とし、伏し目がちに味気ない食堂のメニューを食べている。
どうやら、かなり精神的にまいっている。死んだ人間の中に、彼女と仲の良い人物もいたのだろうか。それとも、あの醜悪な化物を見たからか。
どちらにしろ、薫にとっては瑣末なことだ。そして、興味もない。
薫はそれを尻目にその場から立ち去る。
何と声をかければ良いのかわからないし、なによりもう仕事は終わっている。依頼人と請負人という関係がなくなった以上、薫が手をかけてやる必要性がないのだ。
薫は残る仕事を頭に思い浮かべる。今頃は会議をしているだろうが、することが予想通りであるなら、やっとゆっくりすることができる。
「さて、最後の仕事を片すか」
そう小さく呟いた言葉は、順番待ちの患者達の騒音に掻き消されていった。
同日、午後九時過ぎ、都内某所――
すっかり人通りが少なくなった道路を二人の男が歩いて行く。
赤崎と蒼坂だ。
昼間薫の部下を名乗る一風変わった男からとある資料が手渡され、その中身について会議が始まった。
その結果、満場一致で鷲峰組を潰すということが決まった。
そう。今二人が向かっているのは、鷲峰組の本部だ。だが、二人で攻め込むわけではない。既に何人か鷲峰組の周囲に蒼坂の部下を武装させ何人も配置している。
「何で薫の野郎がいねえんだ!」
蒼坂が腹立たしそうに文句を口にする。
本来なら、ここに薫もいなければならない。何しろ、使い物にならなくなった組を潰すことが薫の仕事になっているのだ。
にも関わらず、今ここに薫の姿はない。
「まあまあ、落ち着きなよお。鬼桜は朝っぱらからテロリストとやりあってたんだ。今回は、休ませてやろうや」
「バカ言ってんじゃねえ! 組を潰すのは奴の仕事だろうが! それを俺たちにまで回してんじゃねえよ」
「荒れてるねえ。まっ、どうだっていいさ。相手、何人ぐらいだっけ?」
「五十かそこらだ。たったそれだけで、俺たちに喧嘩売るたぁ太え奴らだ」
鷲峰組は氣櫻組が吸収し、組にとって利益となることをさせ続けた組織。まだ捨て駒として使うことが出来たのだが、牙を剥いてくるとなれば放任しておくわけにもいかない。
構成員も氣櫻組に比べれば少なく、更に個としての力でも武闘派の三人がいればどうにでもなる程度の実力しか持っていないのだ。
彼らにとって動くということは、彼らにとって利益ある行動と見ての判断だったことだろう。
しかし、結局は目論見は潰えてしまった。
「まったくだ。今回はアンタに同意するよ」
「ほぉ、珍しいこともあるもんだ」
「今回のことは俺もむかっ腹に来てんだよお。あいつらの腑を抉り出してもまだ収まらねえ」
蒼坂が赤崎を一瞥し、どうやら本気らしいと悟ると、鼻を鳴らして進行方向の建物に目を向ける。
「はんっ! てめえにしては珍しいじゃねえか。いいこった。それより、見えてきたぞ」
促され、赤崎もそちらに目を向ける。標的の建物を視界に収めると、小さく息を吐く。
赤崎達にとってこれは久しぶりの抗争だ。だからこそ、赤崎にはやりたいことがあった。
「なぁ、蒼坂さん。久しぶりに、どっちが多く殺れるか競争でもするかい?」
赤崎がそう提案する。
昔はこんな抗争の時は赤崎と蒼坂の二人が多くの敵を再起不能にしてきた。どれだけ多く倒したか、それが二人の抗争の際の会話の常だった。
今までは互角の勝負をしていたが、薫が組に入ってからはそんな機会がなかなかやってこない。
氣櫻組の構成員の多くを薙ぎ倒し、当時氣櫻組の双角と言われていた二人を倒してしまったのだ。そのおかげで、こういったイベントは随分と懐かしい。
だからこそ、文句を口にしつつも、願っても無い提案だった。蒼坂はギラついた笑みを浮かべ、「上等だ」と笑う。
「さあて、それじゃあいっちょやるかぁ!」
「ケッ――簡単に命ァ取られんじゃねえぞ?」
「そんなヘマしねぇよお。あんたこそ、凄えのは顔だけじゃねえってこと、見せて欲しいもんだ」
「減らず口を」
蒼坂は忌々しそうに顔をしかめ、組長の家ほどではないにせよそこそこ豪勢な大きな屋敷の前に立った。
すると、そこかしこから強面の男達が現れ、蒼坂の後ろに立つ。皆、蒼坂の部下達だ。
赤崎の部下はどうしたのかというと、赤崎がケツ持ちしている店の様子の確認に行かせている。
少し前に綾人達が暴れた騒動があったため、見回りを少し強化してある。丁度それと被ってしまっていたのだ。
だから、赤崎は部下を連れず一人でこの場にいる。それでも、赤崎には不安なんてこれっぽっちもない。
それは、長年培った経験からくる自信だった。
「てめえら、鷲峰組の様子は?」
「特にこれといったことは。今はどうやら、何か会議をしているようです」
「奴ら、全員揃ってんだろうな?」
「もちろんです。気取られるようなこともしていません」
部下の報告に面倒そうに鼻を鳴らす。
蒼坂は多少めんどくさがりな面がある。こういった形式的なことも面倒がって行わないことも稀にある。
赤崎はその扉の前に立つと、一度蒼坂に視線を向ける。
蒼坂が頷くと、赤崎はその大きな屋敷の扉を無遠慮に叩いた。
扉を叩き続けることしばし、中から一人の足音が聞こえてくる。それに気づき、蒼坂の部下達はすぐに臨戦態勢を取った。
「誰だっ! さっきからうるせえなあ!!」
扉が開き、中からスキンヘッドの男が怒気をあらわに姿を現した。
体格が良く、スーツの上からでも筋肉質なことがわかる。堅気であるなら、そのほとんどが彼の顔を見ただけで怯えてしまいそうな強面だった。
だが、その男は訪問者が誰かを認識した途端、目に見えてわかるほど萎縮してしまった。
「あ、赤崎さん!? な、なな、何で此処に!?」
「いやね? ちょっと気になることが出来ちゃってさ。だから、ちょっとばかしお話に来たってえわけ」
「お、お話……?」
そのワードを聞いた途端、男の表情が思わず強張る。廊下の向こうを見ると、急に声のトーンが変わったからか何人かが様子を見に来ているのが目に入った。
赤崎は、ニヘラ、と何を考えているのかわからない笑みを顔面に貼り付ける。不気味に微笑むその顔は、彼らには悪鬼に見えていたことだろう。
そして、無意識にこの後に起こることを直感させた。だが、手を打つには遅かった。
「この間、うちのお嬢が襲われてねえ。その連中を調べてたら、何でも鷲峰の名前が出て来たんだよ」
赤崎は男を観察する。不気味な笑みの下にあるはらわたが煮えくり返るほどの強烈な怒りを、男は何となく察した。
そして、どれほど弁明しようとしても、それはもう手遅れだと言うことをわからせた。
赤崎達が此処に来たときには既に、彼らは気付かぬうちに死刑台を上っていたのだ。
「ネタは上がってんだ。覚悟は、良いんだろ?」
「こんなことして、上納金で済ませようったって、そうはいかねえよお」
蒼坂が背後から男に声をかけ、それに続き赤崎も死刑宣告を口にする。
組長の孫を狙えば、どれだけ上納金を支払おうが無駄な足掻きでしかないのだ。
「ひ――!」
下された宣告に弱々しい悲鳴をあげ、一目散に駆け出す。だが、それを赤崎がみすみす許すわけがない。
すぐに襟首に手を伸ばし、その男を腕力だけで引き戻した。
「ざーんねん。お前さんの死と共に、開戦の狼煙としようや!」
そう言って、赤崎は男の顔面に拳を叩きつけた。男の体が吹き飛び、それを合図に控えていた蒼坂の部下達が邸内へと駆け込んでいき、様々な箇所から野太い悲鳴や家具が破砕する音が響き始めた。
そこからは凄惨なものだった。ドスや日本刀。果てには拳銃を構えた強面の男達が殺到するが、その男達は皆完全に怯えきってしまっていた。
それも無理もない。
なんせ、赤崎と蒼坂の二人がわざわざ出張っているのだ。それはつまり、氣櫻組は組の全力をもって、何が何でも叩き潰すと言うことの証明だからだ。
この業界で、赤崎と蒼坂という氣櫻組の双角を知らない者はいない。そして、様々な逸話があると言うことは、名を馳せる偉業を行なったと言うことの裏返しだ。
中にはそんな人物を見事打ち倒し、名を馳せようとする勇敢な者もいた。それも、赤崎や蒼坂には傷ひとつ与えられず、二人の怒涛の猛攻は止まることを知らない。
高笑いと共に赤崎の拳が唸る。たった一度殴り飛ばしただけで、幾人もの人々が一気に薙ぎ倒される。
倒れたうちの一人に手を伸ばすと、力任せに投げ飛ばした。投げ飛ばされた男は壁に叩きつけられ、それだけでは威力が収まらなかったらしく、壁を破って隣の部屋を転がった。
屋敷は大きかった見た目に相応しく広々としており、蒼坂は部下に二人一組になり散会させた。
だが、蒼坂と赤崎は例外だった。
二人は相手が素手だろうが、凶器を持っていようが相手にならない。
蒼坂は若い頃はキックボクシングを嗜んでいたらしく、その技の数々に衰えなんてない。
怒涛の猛攻を跳ねるようなフットワークで右に左にと躱し、がら空きになった腹部や急所を流れるような曲線を描いて回し蹴りを繰り出す。
それに比べ、赤崎には格闘技なんてものは一度も学んだことがない。ただ、昔から力が強かったこともあり、それを思うがまま振るっているだけだった。
だが、それも武術家には簡単に読まれる。薫と戦った時も、その単調な攻撃を歯牙にもかけなかったのだ。
だが、それでも薫を呆然とさせた。単調であっても、経験が、振るい続けてきた拳が、無意識に相手を捉えるのだ。
体に染みつかせた感覚は、長い年月をかけて恐ろしいまでに敵を殴り飛ばすという結果を確定づける、薫にとっては魔術の類なのではないかと思わせる境地に至らしめた。
そこに技術云々なんてない。ただ、独自の足運びや戦闘勘を信じた故の結果だ。
一時間ほどが経った頃。敵に動けるものは一人もいなくなっていた。
そして、そのほとんどが息をしていない。
だが、その中に組長であるはずの男の姿がないのだ。
すぐに探し回っても見つからない。まさかと思い、裏口に回ると、小柄の男が蒼坂の部下達に今まさにトドメを刺そうとしていた。
「おらっ!」
蒼坂が迫るのをすぐに察知したらしい男はすぐに飛び退き、蒼坂と赤崎の二人と対峙した。
「てめえら、鷲峰一暁はどうした?」
「に、逃げられました……! こ、この男が……ぐっ!」
青坂の視線は再び目の前の男に向けられる。
――強えな。
思わずそう思った。小柄でありながらも強力な殺気を放ち、それだけで赤崎の動きをも抑制しているところからして明らかだ。
しかし、ここで止まっていられない。
仕事は鷲峰組の壊滅。その親が残ってるとあっては、仕事は終わったことにはならない。
「なんだい、随分と腕の立つ護衛がいたみたいだねえ」
赤崎はニヤニヤと笑いながらそう言うが、目が笑っていない。
今まさに飛びかからんばかりの殺気を見せているが、それでも彼自身がそれを思いとどまっている。
今までの雑魚とは比べ物にならない。それがわかっているからこそ、そう簡単に前に出れないのだ。
「どのみち、全滅させなきゃならねえんだ。赤崎、手ェ貸せ!」
「仕方ないねえ。今回ばかりは乗ってやるよ」
それだけを交わすと、どちらからともなく疾走した。
その頃――
鷲峰一暁は必死に逃げていた。
中年太りした腹を手で押さえ、ぜえはあと息を荒げて静かな夜の街を走り抜けていく。
しかし、日頃の運動不足が祟ってすぐに横っ腹が痛くなる。
幸い、追手は護衛が足止めしてくれているらしく、今は誰も来る様子はない。
――くそっ、なんだってこんな目に!
親に刃向かおうと思ったのは単に出来心だった。だが、それが何を意味するのかは散々部下達から説かれてよくわかっていた。
いや、わかっているつもりだった。
いざ、その非情な現実が目の前に来ると、恐怖で何も出来なかった。
鷲峰組は一暁で三代目だ。それまでは広く名を馳せている組織ではあったのだが、一暁が組長に就任した途端どんどんと衰退していった。
彼には、この業界が向いていなかったのだ。
それに嫌気のさした部下達は何人も離れていった。自分が不甲斐ないばかりに、組の存続すらも危ぶまれていた
だからこそ、氣櫻組を潰して見返そうと思ったのだ。
その為に、テロリストを利用した。多額の金も払った。
だが、その結果組の壊滅間近という大惨事に陥ってしまった。
――もう嫌だ!
もともと向いていない。それに、組ももう再興するのはほぼ不可能だろう。
それなら、もうこんなことからは足を洗い、堅気として、まっとうに生きていく。
もちろん、氣櫻組は草の根わけてでも探し出すだろう。その為に、名前を変え、ここから遠く離れた土地へと高飛びするのだ。
それだけで逃げ果せることができるとは思っていない。だが、出来ると思っておかなければ、これからの人生が怖くて仕方がない。
ここまで休まず走り続けてきた一暁だったが、流石に体力の限界を感じ、仕方なく立ち止まった。
ゆっくり深呼吸をして、息を整える。そして、今一度屋敷のある方向に目を向ける。
先ほどまでの騒がしかった音は聞こえない。もう既に、部下達は全滅しているのだろう。
このまま逃げ切らなければ、自分もそうなる。
「……もっと、遠くへ」
それだけを何度も反芻し、歩いてその場を後にする。
だが、不意にその足を止めた。
前から人が来たのだ。
まさか回り込まれたかとも思ったが、そんな風には見えない。
コンビニ袋を左手に持った長身痩躯の男だ。モッズコートを風になびかせ、右手にある缶ビールを、ぐいっ、と呷る。
その様子に、ただの一般人か、と安堵の息を漏らす。
一暁は止めていた足を再び動かし、普段通りを装ってその距離を縮めていく。
そして、互いの距離が一メートルほどになった時、ようやくその者の顔が見えた。
左目に傷があり、凍てつく眼差しは呆然と虚空を眺めている。長い黒髪はボサボサに跳ねまわり、その顔には堅気といった様子が微塵もない。
男はこちらに一瞥もくれず、ただ手に持った缶ビールを呷っているだけだった。
あまり堅気然としない男の容姿に身体が強張ったが、それも思い過ごしだと思い、歩みを止めない。
だが、一暁は気づけなかった。
先ほどまで右手にあった缶ビールが、今は左手に持ち替えられていたことに。
何事もなくすれ違う――
直後、突如として強い衝撃が奔り、その衝撃に吹き飛ばされるように一暁は倒れた。
何が起きたのかすらわからない。そもそも、どうして視界が横向きになっているのか。
体に力を込めようとしても、全く力が入らない。それどころか、指一本動かすことが出来ないのだ。
――恨むなら、己の愚行を恨め――
それが誰の言葉なのかわからない。
誰かを懸命に思い出そうとするが、そのまま意識が深い闇の中に沈んでいった。
その時、視界に入った空。雲ひとつない中にひとつの月が浮かんでいた。それが、妙に美しく見えた。
――とんだ素人だな。
レイラとの待ち合わせの前に、止められていた仕事を片付ける。
まさか、休むようにと言われるとは思いもしなかったが、そう言われてはいそうですかと休むような男ではない。
自分で休みたいときに休み、片付けたいときに仕事を片付けるのが薫のポリシー、というわけでもないが、単に自分がその場にいたのに――それ以前に、他の組を壊滅させるのは薫の仕事である、という思いがあるために推参したのだ。
そのほとんどは赤崎と蒼坂の二人が片付けたようだが、最後の最後で親玉の始末をつけることが出来たために良しとしよう。
薫はガバメントを左脇のホルスターに収め、赤崎達には挨拶はせず、そのまままっすぐ待ち合わせの公園に向かった。
その途中、ゴミ箱に空薬莢入りの飲み干した缶ビールをひとつ捨てた。
待ち合わせの公園に着く。まだレイラは来ていないらしく、時間が時間のために人っ子一人いない空間に、数多くの桜が花を散らしていた。
桜の花弁のひとつひとつがゆらゆらと風に揺れ、儚げに散っていく。その光景は、薫が好きな光景である。
何より、夜桜というものが好きだ。そして、そのシチュエーションの中でその命を終え、一年が経つと再び咲き誇る桜の在り方が好きだった。
そのうち腰の落ち着けられそうな手頃な石を見つけ、そこに腰掛ける。その脇に一本の立派な桜の木が天を衝く勢いで伸びている。
薫はそれを一度感慨深そうに仰ぎ見、缶ビールをひとつ取り出し、それを開けた。
薫は毎年この時期になると、人間のいない時を見計らっては公園に赴き、桜を眺めている。
「……兄貴、レイラが来た」
ボソリと、小さい声でもういない相手へと語り始める。
「まさか、こんなところに来るとは思わなかったぜ。おかげで、こっちの事情に巻き込む羽目になっちまった」
もともと、薫はレイラを薫達の復讐劇に巻き込むつもりなんて毛頭なかったのだ。
それもここに来るまではの話。
彼女の性格はある程度わかっているつもりだ。昔はよく薫の後をついてくるような少女だったため、もしここに来たら、自分からその戦いに首を突っ込もうとしたことだろう。
だから、自分から戦力になると千尋に進言したのだ。
事実、こちらの思惑を知らないレイラは喜んで今回の仕事に首を突っ込んで来た。いや、始まりは巻き込まれただけだったが、ごく自然にその後の戦いにも赴いていた。
思っていた通りの出来事に、薫自身嘆息するしかない。
「あいつの成長は、純粋に喜ばしいものだ。内面はまだまだのようだったがな」
脇にある桜の木の根元に開けた缶ビールを置き、袋からもうひとつのビールを取り出した。
「そうだ、こいつは傑作だぜ? アイツ、ビーストに俺が力業でいくと言った時何を口走ったと思う? 『あれに勝つのは無理だ、考え直そう!?』だとよ! あの街に暮らす俺らは、歩く死人だってのによ」
ビーストというのはあの醜悪な化物のことだ。それは正式に決まっている名称ではない。
薫達の間で、変異体の中で一番獣に近い姿をしているためにそう呼んでいるのだ。
他の生存者があの化物をなんと呼んでいるかは、計り知れないところだった。
「まぁ、確かにあれを初見で、しかも、ろくな武装もしてなけりゃそんな考えにも至るだろうがな」
クツクツと可笑しそうに笑う。
薫達でさえそうだった。いや、比較的薫は落ち着いていたが、他の者達は皆唖然として戦いには役立たなかった。
初めて変異体を見たのは、世界に災厄が起こってから五日ほど経った頃だ。その頃から、変異体が多々見受けられるようになった。
その種類ごとに攻撃手段も変わり、中には面倒な特殊能力を持った個体まで現れる始末だった。
当時は九人で行動していたが、それも二週間を生き残ったのは薫を含めて五人だけ。中学卒業見込み程度の子供が九人で行動して、五人が生き残ったというのだから上々だろう。
少なくとも、薫はそう思っていた。
「なに、レイラはこれからもっと鍛えていくさ。なんせ、ビーストを相手にしてあの程度の立ち回りしかできねぇのなら、他の変異体を相手にして生き残れねぇからな。なんなら、側近に鍛えさせるのも悪くない」
なにより、彼女には落ち着きが足りていない。
変異体を相手にして、いや、変異体だけに言えることではなく、なにを相手にするにも先ずは冷静にならなければ話にならない。
冷静になれなければ、戦場で死ぬ確率もグンと上がる。それは母親からも散々説かれてきたことだ。
そして、その他の数々の師匠達からも、冷静さを欠くな、と口を揃えて言われている。
缶ビールを開け、乾杯、と小さく口にした後、それを一口呷った。先程薫が置いた缶ビールはその姿を消していた。
「あいつには、もしかしたらスカアハの殺気を浴びさせたほうがいいかもしれねぇな。それも、意識を手放しかけるレベルのものを五百回ほど」
なんなら、薫自身がやってもいいのだが、今のなまくらになった自分の殺意を向けたところで、レイラは恐らく動じない。
少なくとも、獅童ほどの物を出せるようになるまでは持ち直したいとは思うが、それでもまだまだ時間はかかりそうだった。
不意に薫は第三者の気配を察知する。この時間にこの場所に来る時点で、相手はもう決まっている。
「……! どうやら、来たらしい。今年のおしゃべりは、これで終いだな。また来年来る」
公園の入り口に目を向ける。そこにはちょうどレイラが公園に足を踏み入れる頃だった。
薫は悠然と立ち上がり、レイラが側に来るのを待ち構える。
月光が公園にいる二人を照らす。ひとつ、またひとつと散っていく花弁を眺めながら、確信する。この三年間のような生温い生活は、この先しばらく起きることはないのだと――
薫の体内の化物との同化進行率、五十四・六パーセント。
ようやく第一章が終了です。長くなり、くどくなり、最後あたり(個人的に)雑に感じるので、申し訳ないです!
第二章はここまで長くならない……と思います。いえ、確証はありません。
ではでは、第二章にてまた!




