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四天王  作者: シュガーイーター
ライオネル・ソウル編
18/34

殺しの重み

受験があったから今まで以上に酷い文章だよ……泣けてきますよ



2018,2,18  改行作業、微加筆修正を行いました。

 金属同士がぶつかる音がする。火花を散らせ、拮抗する二人を彩っていく。

 しかし、一人は防戦一方となり、もう一人は恐ろしい速度で肉薄する。


 ダッサムの持つ斧と煜の持つ小太刀では否応なしに速度に差が出来てしまう。大振りに振るわれる斧も、煜は落ち着いて躱しすぐに間合いを詰めて攻撃を繰り返す。

 そこから間合いを開けず、ずっと側でふた振りの小太刀を振るい続けた。


「ぬぅぅああぁぁっ!!」


 だが、それで簡単に倒されてくれる相手ではない。煜に向かって体当たりを仕掛けてきた。

 バックステップでそれを受けないように距離を開ける。すると、体を使ってフルスイングの一撃が繰り出された。


「よっと」


 それを見ても慌てず、掻い潜るようにして避けると再び間合いを詰めた。

 赤い体液が迸る。息もつかせぬ連続攻撃。それが煜の使う剣術だった。


 そもそも、煜は剣術と呼べる剣術の心得はない。それでも、自身の異能を使えば――絶対とは言わなくても――ある程度の相手をすることができると自負している。

 戦況はほとんど一方的だった。それでも、ダッサムの目からは闘志が消えない。目で追うことが出来なくても、必死に煜を捉えようとしている。

 それもままならず、煜は小太刀を無意識に強く握った。もう一度、追撃に移ろうと踏み込み、


「――おっ!?」


 背筋が凍った。何か嫌な予感が脳裏を過る。

 煜は自分の感じた感覚に従い、咄嗟に距離を取る。刹那、地面から氷の杭が伸びた。

 作り物でも何でもない。冷気をまとい、魔力で作られた殺人のための術である。

 あのまま攻撃に移っていれば、今頃はあの氷の杭によって串刺しになっていただろう。


「チィッ! 外したか」

「やっぱ魔術……いや、この感覚は異能か。使えるとは思ってたんや」

「ふんっ。次は外さんぞ」

「やれるもんならやってみ」


 直後、四方八方から氷の杭が煜に向けて殺到する。煜はすぐに行動に移る。

 大きさは様々だが、鋭く尖った氷柱が肉を貫かんと肉薄する。


「よっと――!」


 煜はそれらを俊敏な動きで躱していく。結界を張るまでもない。無尽蔵に湧き出てくる氷杭程度なら、躱すだけでどうにでもなる。

 問題は、どんどんと相手から離れていることだ。それが目的だったのではないだろうかと、思ってしまう。

 その予想は当たっていたらしく、ダッサムがニヤリとほくそ笑んだ。どうやら、上手く誘導されてしまったらしい。


 懸念事項はまだある。これは相手の力量のことではなく、自身のことだ。

 単純な火力不足である。千尋のような膂力に魔力を纏わせての一撃必殺のような戦法も出来ず、薫のような人体の限界を超えた身体能力を用いた殺戮の技術もない。

 その証拠に、鎧にばかり傷がつき、ダッサム自身の傷となると一気に少なくなる。

 これには殺人へと至るまでの覚悟がまだないからだろう。煜もまた、和希と同じく殺人は良しとはしない。


 千尋は既に何人かの襲撃者は殺した。本人もあまり良しとはしない殺人の罪を犯したのだ。これからの可能性を潰してしまった。

 これからの人生において、その十字架はどれほどの重荷となるだろうか?

 未だ殺しの経験がない煜には想像もできない。

 それでも、煜たちは復讐者だ。奴らに対し、法などというものでは生温い。

 完膚なきまでに叩き潰す。誰一人として逃しはしない。これは、四人の利害の一致だ。

 だからこそ、いつかは殺しを行わなくてはならない。


 だが今は火力不足をどうにかする必要性がある。そんな自分たちの事情はこの場では関係のないことだ。


「おっ!?」


 直後、背後から氷杭が肉薄した。

 咄嗟に結界を張るが、煜は魔術の扱いは――業腹だが――四人の中で一番下手だ。昨日の篠原にかけた魔術がいい例である。

 術式の組み方、魔力の込める細かな作業。そんな細かい作業が煜は苦手だった。

 にも関わらず、浸透頸という複雑な技術は使えるというのは不思議な話だ。

 今度の結界は出力が弱かったらしく、なんとか阻むことは成功したが、いつ破られるか気が気ではなかった。

 ほっと胸をなでおろすが、そんな場合ではない。


「あっぶね〜! これは調子乗ったらあかんわ」

「まだまだいくぞ!!」


 ダッサムが絶叫すると、再び同じように氷杭が煜を襲う。同じようにその場から離れようとするが、体がその場から動かない。

 ぎょっとして足元を見ると、


「凍っとる……!」


 思わず絶句するが、そこに氷杭が強襲する。


「くっ!」


 先ほどよりも魔力を流し込み、結界を張る。バキッ、と音が鳴り結界が氷杭を防ぐ。

 そう思った瞬間、頭上から鋭く鋭利な雹が降り注いできた。すぐに反応するが、その直後に氷の礫が足元から飛び上がってきた。


「くそっ!」


 少しでも反応が遅ければ終わりだ。

 即座に魔力練り上げ、自分を巻き込む形で熱風を叩きつけた。

 熱風によって氷が全て蒸発し、それによって水蒸気が煜を襲った。白い噴霧が煜を覆い、次の瞬間には霧の中に閉じ込められた形になる。


 ――これはヤバイ!


 しかし、どこから攻撃が来るかわからないため、下手に動くわけにはいかない。防御に徹する。それしかない。


「――っ!」


 魔力のうねりを察知し、煜は即座に己を結界で囲う。直後、氷の刃が結界を打つ。

 一度や二度ではない。間断なく、魔力の供給を休ませる暇がない。

 結界を打つ乾いた音の向こう側から、ダッサムの高笑いが聞こえて来る。

 その笑い声が、やけに癇に障った。


「調子に……のんな!!」


 術式を雑に構築し、一気に展開する。

 どんっ、と巨大な爆音が轟く。しかし、煜を襲う魔術は衰えず、相手が無事に凌いだことを察する。

 それか、自立防御の術式を噛ませていただけか。

 どちらにしても、攻撃が止むことがないのなら、煜も手を休めるわけにはいかない。

 結界を維持しつつ、左手に魔力を収束させ、地面に強く叩きつけた。


地の精霊よ(ルィングーラ)ッ!!」


 地面に叩きつけた魔力が煜の拙い魔界言語の呪文に反応。ぐにゃりと地面が渦を巻き、その場にいる者の足を沈み込ませ、その場に固定した。

 ここはもう煜の領域。何かの反応があれば、煜の指示によって地面が牙を剥く。


 煜は目を閉じ、魔力の流れからどこで反応があったかを確認。先ほどの位置から横に一メートルほどの場所に反応があった。


我が障害を排し(マランツ・クパラニカ)掃討せよ(スマントレィ)──ファランクス!」


 唱えると、標的を中心に四方八方から土塊の一斉掃射。弾丸を形作った土、まるで槍のような鋭い岩石。それらがまるで煜の手足となったかのように標的を襲う。

 地面が隆起し、そこからは鋭利な棘を作り出し標的に殺到させる。


「――防いだなっ! かまへん! それやったら、力技でいく!!」


 魔力によってその戦場を感覚的に認識できる煜だが、その攻撃の全てが結界によって阻まれていることがわかる。

 それなら、あまり好きな戦法ではないが、魔力の出力を上げる。

 それを呼び水に、ひとつひとつの威力は凄まじいものとなり、掃射される量も倍以上になる。

 そして遂に――


 パキンッ、という乾いた音がする。同時に、先ほどまであった生体反応が消えた。

 肉薄していた氷の刃もなりを潜め、霧も晴れつつあった。


「……ふぅ」


 煜は軽く息を吐く。殺した。殺してしまった。

 そのように自覚してしまうと、いやに足が重く感じる。心臓の鼓動音がやけに遠く感じ、身体中で嫌な汗が流れる。ぐっと気持ちの悪いものが胃から逆流している感覚がする。


 ――死体の確認しやな……。


 煜は先ほどまで感じていた生体反応のあった場所に足を動かす。その間に霧も完全に晴れ、薄暗い中でいくつかの松明によって彩られた空間が露わになる。


 そして、煜はそこで見た光景にハッと息を呑んだ。


「――おらん」


 そこには死体がなかった。足を奪っていた地面には具足だけが取り残されており、血の跡はほとんどなかった。

 つまり――


「ぬぅぅああぁぁっ!!」

「ホンマ、ようやるわ」


 背後でダッサムが大気を――正確には空気中に作り出した氷の足場を――蹴って、斧を振り下ろした。

 煜はそちらも見ないまま、何のモーションも起こさない。だが、煜の展開した魔術はまだ生きていた。

 足元の地面がどろりと歪み、凝固し、何本もの柱となって隆起する。幾重に伸びた柱はダッサムの体を押さえ、斧を弾き飛ばした。

 そして、その喉元に唯一ひとつだけ鋭く尖った杭が突きつけられる。


「ぐ……ぬぅっ!」


 ダッサムも思わず呻く。

 あと少し動かせばダッサムの首筋をやすやすと貫き、その命を奪える。生殺与奪権は、煜の手の中にあった。


「考えは悪くない。確かに、この魔術は相手の動きに反応してその居場所を示すやつや。こっちの視界がない以上、そうするしかないからな」


 煜はゆっくりと背後の男に向き直る。


「実際、手としては悪ない。千尋にも一回同じように凌がれたことがあったからな。今回は、その教訓が生きたってことや。あんたには残念なことやろうけどな」


 煜は以前に他の三人にこの魔術を試されてもらった。

 その時、千尋は今言ったようにダッサムと同じ手段を取って煜を下した。

 薫の場合、煜は相手にもならなかった。術式を破壊する、という手段を取ることはなかったのだが、すぐに術式を乗っ取り、攻めていたのが一転し、攻められる立場となったのだ。

 唯一、勝つことができたのが和希だ。正直、自分の首があと少し上にあったなら、負けていたのは自分だった。


 それから多少の改善を加えたのが、今の状態である。煜が魔力を流し込み、その魔力が切れるまでは自分の思う通りに出来る。

 そして、煜が操っていない際にまだ魔力が残っていた場合、自立制御に変更されるようになっている。

 ダッサムが攻撃を仕掛けた時、煜が何もせずに魔術が行使されたのは、自立防御システムが発動されたからだった。

 ダッサムは何が起きたのか詳しい理解は出来てはいないだろうが、現在の状況を見て渋面を浮かべている。


「でも、ありがたいわ。なんも見えへん状態で勢いで殺す、ってのは逃げやんな。そういうのは、覚悟決めてやらなあかんよな」


 煜はそう言うと、スッと自身の目の高さに手を挙げた。

 それを見て、ダッサムが目を見開いた。この後に起こる出来事を察したのだ。


「ま、待てっ! 貴様は――」

「悪いけど、こう言う時は何を言っても無視しろってのが教えやねん。それじゃあな」


 煜はグッと拳を握る。直後、喉元に突きつけられていた岩が命を得たかのように動き出し、なおも何かを言おうとしていたダッサムを貫いた。

 首に大きな風穴が空き、ドロリと毒々しい血の瀑布が流れ出てくる。どうやら、首の骨も共に吹き飛ばしていたらしく、重力に従い首が歪に折れ曲がった。

 そこで魔力が尽きたらしく、岩は動かなくなり、その場で動かなくなった岩に死体が覆い被さる不気味なオブジェとして残る。


 グッと吐き気を催す。思わず口を押さえてその場にしゃがみこみそうになるも、理性でなんとか跳ね除ける。

 人が殺しているのを見るのと、自分が殺してしまうのとでは、こうも違うものなのか。

 ジワリと汗が浮かぶ。あれだけの醜悪な化物を見た後でさえ、自分の手で人を殺すとこうも精神的に追い詰められるのか。

 重い。実に重い十字架だ。その重みを背負って生きるのは、並大抵の精神力では挫折しそうだ。

 思わず涙が浮かぶ。しかし、立ち止まってはいられない。まだここは戦場だ。仲間が、まだ戦っている。行かなくてはならない。

 そう思い、足を動かそうとするが、動かない。まるでコンクリートに固められたようにビクともしない。


 自分にとって、よほどショックな出来事だったのだろう。それでも、己に喝を入れ、壁に手をつきながらもゆっくりと苦労しながら歩き出した。


「すまん」


 今一度、煜は目の前の肉塊に謝罪し、重い足取りで音のする方に向かっていった。




 化物は和希の牽制の矢をものともせず、薫に向かって飛びかかった。ガパッ、と口を大きく開き、口の端から唾液が垂れる。

 もう二人の距離は目と鼻の先。

 和希はなんとしてでも防ごうと矢に魔力を注ぐが、今射ったところでもう間に合わない。

 足下のレイラは呆然と目の前の光景を目に焼き付けており、現在の自分の状況が頭から抜け落ちているらしい。


 ――クソッ……!


 思わず心の中で毒づいたその時、

 ごう、一陣の風が吹き、化物の牙は後少しで薫には届かず、その場に叩きつけられた。

 頭部は拳大に陥没しており、化物も痛そうに悲鳴を上げ、その場でのたうちまわる。


 思わず大きく息を吐く。足下では化物がブルブルと首を振り、立ち上がろうとしている。しかし、平衡感覚を失ったのか、フラフラとおぼつかない足取りでいる。そして、再びその場に倒れた。


 ――産まれたての子鹿のようだ。


 それが、見ていての率直な感想だった。


 薫は己の傍らに立つ九老に目を向ける。

 握りこぶしを作った九老はまじまじと化物の様子を観察した後、馬鹿にしたような笑みで薫に首を巡らせた。


「滑稽よな。実に滑稽。足手まといはその場で殺させた方が、貴様も楽なのではないか?」

「……否定はしない。否定はしないが……今日のところはまだ慣れさせるためのものだ。俺らの家はな、死ぬのは二度目からって言われてるんだよ。一回目は意地でも生きて帰れ、だと」


 九老はニヤリと不敵に笑い、手の力を緩める。

 薫はそれに育ての親が――勝手に――決めた家のルールを口にして諌めた。

 まぁ、それを律儀に守るわけもなく、一人はいなくなってしまったのだが。


 それよりも、今のは危なかった。九老が拳を振り下ろさなければ、今頃は薫は肉を食い散らかされ、あの世に逝ってしまっていたに違いない。

 そして、その少し後に立ち上がっていただろう。


「何故、俺を助けた?」


 薫自身、呆けた表情のまま思ったことを口にする。

 確かに彼女と薫は持ちつ持たれつやっているが、助けられるとは夢にも思わなかったのだ。

 だが、当の本人はきょとんとした顔で目を見開き、「当然よのぅ」と呆れ眼で薫を睨む。ペシッと彼女にしては優しいデコピン付きでだ。


「貴様は吾の主。吾はその式、護法。ならば、その危機に参じるは当然のことであろぅに。他の者共ら(・・・・・)もこの場にいれば、同じことを言ったろぅよ」


 九老はいったん息を吐き、それに、と続ける。


「貴様自身、勅命を出した筈。『弾薬がなくなれば、俺と共に前に出よ』とな。吾はそれに従ったまでよ」


 驚いてはいないといえば嘘になる。彼女はそこまで自分に忠誠を誓ってはいない。それ故に、薫自身も好きなようにさせてきた。


 薫は彼女の行為を嬉しく思いつつも、こんなことをしている場合ではないと切り替える。

 その様子を見てとった九老は化物に向き直る。そこに千尋が近づいてきた。


 九老をまじまじと見つめ、


「流石、噂に名高い茨木童子、と言ったところか」


 と素直な感想を述べる。

 そして、レイラに手を貸してやりつつ、


「薫、お前は怪我はないか?」

「見ての通りだ。護法のおかげでね」

「それは僥倖だ。ひとまず、いったん距離を取ろう。今の一撃でかなりダメージを受けているようだが、用心はしておいた方がいい」

「そうだな。幸い、奴らは手を出そうとしねぇからな。下手に動かれるより、傍観されている方がやりやすい。──九老」


 九老は呼びかけに頷くと、大きく後方に飛び退いた。それに続き、薫達も後方に下がる。


 ――ここはどうするべきだ?


 薫は自問する。

 首を落とす。今なら絶好の機会であることは間違いないだろう。

 だが、念には念を入れた方がいい。いつあの化物が体勢を整えるのかはわからないのだ。

 次に浮かんだのは魔術。

 魔術であれば、遠距離から狙うことも出来るし、尚且つこちらに被害が及ぶ危険性も限りなく少ない。

 薫はかぶりを振る。

 今この場に仲間だけの状態なら出来ただろう。しかし、残念なことに敵の残存兵力がまだ何人か残っているのだ。

 そんな存在がいる中でみすみす手の内を明かすのは躊躇われた。

 チラリと九老を見る。

 愉悦そうに口元を歪め、可笑しそうに化物がのたうちまわる姿を見て嗤っていた。


 ――コイツと同じ手段を取るか。


 そう思うと、薫はわざとらしいため息を吐いた。


「千尋。手刀で首を落とせるか?」

「俺はまだそこまでの境地には至ってないな。無機質なら出来なくはないんだが」

「そうか。九老、貴様なら可能だろう?」

「無論よ。吾が本気でこの拳を振るえば、熟れたトマトのような頭が弾け飛ぶことも容易」


 それを聞き、薫も愉悦そうに嗤う。

 人間相手の話よりは、異形を相手にしている方が、個人的には性に合っている。


 薫は未だ遠くで矢を引き絞っている和希に目を向け、


「和希。そのアバズレの相手に戻ってくれ。すぐに済む」

「何をする気なんだい?」

「奴の動きを止める。技術ではなく、力で」

「あれに力で勝つなんて無理だよ!! 薫、考え直そう!?」


 レイラが悲痛な叫び声を上げる。今回の攻防で、レイラの精神を一気に打ち砕かれたらしい。

 そんなものなら、これからの戦いは厳しいものだ。前座だと思わなければ、戦っていけない。

 薫はレイラの悲鳴を涼しい顔で聞き流し、正面の化物に向き直る。


「いいのか? それは、お前が嫌いなやり方じゃなかったか?」

「嫌いじゃねぇよ。単に、疲れるからやりたくねぇだけだ。九老、行くぞ」

「応よ。レイラ、そこで見ているがいい。貴様の愚兄の、ヒトならざる姿の一端を」

「愚兄とか言うな」


 薫は泰然として胸を張る。ひとつ深呼吸をすると、ゆっくりと歩き出す。

 武術家が歩くようなものではない。素人が何気なしに歩いているような気楽さで化物に向けて進軍する。


 それに化物が気づく。

 キュルキュル、と怖気のするような音を出し、フラつきながらもゆっくりと歩いてくる敵対者に狙いを定めた。

 そこに恐怖の色はなかった。そもそも、恐怖を知っているかすらわからない。

 ただ、捕食の対象としか捉えていないのかもしれない。


 その慢心が付け入る隙であり、薫の癇に障った。


第二封印スィファルタ・ティネヴィア解放(アタカルタ)


 薫は小さく呟く。早口気味なものではあったが、その言葉には魔力が込められていることは魔術を扱えるものなら誰もがわかったことだろう。


 ドクン、と肉体が一度脈動する。外見的な変化は特に見受けられない。それでも、相手の力量を悟ることの出来る人物ならその劇的な変化は感じられることだろう。

 悪魔王の力を封じる十の封印。その第二。

 封じられているのは膂力。それは鬼には劣るが常軌を逸した破格のものである。

 人間的な膂力では驚異の存在である千尋。大の男が二十人集まってようやく開くような扉を一人で開け、それでもまだ余裕があるというほどの存在。

 それを単純な力比べで下してしまうほどの力だといえば、その凄さはなんとなくは理解できるだろう。ただ、まだ完全ではないため、下せはしても余裕ではない、と言った程度だが。


 普段なら、このぐらいが人間のギリギリのラインだと定めた程度の力を残して封印されているものだ。

 だが、それも人間の世界にいる時のみ。魔界であったり、悪魔や人外などの魔族が多くを占める場所では封印をいくつか解放している。

 しかし、同化が済んでいない今ではその疲労は大きい。十の封印の内半分を解放すれば、力が薫を呑み込み半暴走状態を作り出してしまう。そうなれば、周囲への被害は甚大なものとなる。

 同化がどれほど進めばそうならなくなるのかはわからない。今はその力の手綱を握ろうとしているところだった。


 それを見ていた千尋と和希の眼光が鋭くなる。その半暴走状態を知っているため、無意識に警戒してしまうのだ。この場に煜がいれば、彼も同じように臨戦態勢をとることだろう。


 射程内に入る。化物は口を大きく開き、後ろ足を僅かに下げる。次いで、巨大な腕がゆっくりと持ち上げられる。

 その爪で、今まで何人が餌食となったのだろう。かなり古い血痕がこびりつき、顔が近づくことによって思わず鼻をつまんでしまいたくなるほどの腐臭がする。


 九老は薫の二歩後ろから付き従う。ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら、次に漂う腐臭を感じて思わず顔を顰める。


 薫は化物が攻撃出来る中での絶好のポイントで立ち止まる。それに皆が瞠目し、馬鹿にするようなどよめきが漏れた。


 そして、高く掲げられた化物の鉤爪が振り下ろされた。

 誰もがこの後に起こりうるだろう事柄に息を呑み――

 その光景に眦が張り裂けんばかりに見開かれた。


 薫はその鉤爪を手の平の位置で正面から受け止めたのだ。その衝撃の強さは、戦った者は痛いほど知っているし、研究していたものにとってもよく知っているもの。

 それを、涼しい顔で受け止めている人間がいることに驚きを隠せないでいた。


「なっ!? なななっ、なんでぇっ!? なんであんなことが出来るのよ!?」


 巴の驚くほど大きな声が響き渡る。それが、それを見た者たちの代弁であることは間違いないだろう。


 千尋と和希は呆れるように息を吐き、


「勝ったな」


 と小さく呟いた。


 これには化物自身も少しは驚愕してほしいものだが、そんなことはならず更に力を込めて薫を押し潰そうとする。

 しかし、ビクともしない。寧ろ、徐々に押し返されつつある。

 薫の悪魔王としての膂力はこんなものではない。同化が進む度に、力が溢れ出してくる。

 自身が求めた力のため、いらないとは言わない。しかし、その力を使えば対等に戦える輩も少なくなることが悩みでもあった。


「そら、来るがいい木偶の坊。これだけか? 違うだろう? もう少しでこの首に食らいつけるのだ。その牙は飾りか? 違うというのであればその証明をしてみせるがよい」


 普段は封印を解放してる時は悪魔達を支配している時のため、自然とその者達と対峙した時の高圧的な口調になる。


 理性のない化物に挑発が有効なのかはわからない。

 だが、化物はその挑発に応じたようにその牙を剥いた。言われたように首筋に食らいつこうと首を伸ばす。

 しかし、その牙は薫には届かず、懐に入り込んでいた九老の殴打。首の骨を打ち砕き、容赦のない一撃は首の肉を裂き、膨大な量の血液を噴出させながら跳ね飛ばした。


 今まで何人も食らったおかげで巨大化した身体はビクリと身動ぎし、大きな音を立ててその場に力なく崩れ落ちた。どくどくと噴水のように赤い液体がゆっくりと足下を濡らす。


 跳ね飛ばした首のおかげで僅かながらに降り注いだ血の雨は二人の化物を濡らし、ただ佇むだけの二人をおぞましいものとして目に映らせた。

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