思わぬ強敵
2018,2,15 改行作業、加筆修正を行いました。
足立区某所。
薫たちは近くの駐車場にビッグスクーターを停め、目的地であるラーメン屋に向かって歩く。
まだ二十メートルは離れているであろうにもかかわらず、こってりとした脂っこい匂いが辺りに漂ってきている。その匂いを嗅ぎ、レイラと篠原の二人の腹が一際大きな音を鳴らす。
薫はそんな二人を取り敢えず意識の外に追いやり、待ち合わせているはずの男を探すことにする。
どうやら交通規制は既に解除されていたらしく、面倒な警察と出会うこともなくここまで来ることが出来た。ハンヴィーも既に撤去済みで、痛々しい爪痕と血痕がその場に残っているのみだった。
それを見た篠原が悲しそうな顔をし、レイラがそれを見て悲しげに笑ったのを覚えている。
「ねぇ、まだー?」
「もうすぐだ。……お、いたな」
レイラの不満に軽く対応しつつ、目的の店の前でガードレールに腰を預けている和希を見つけた。向こうもこちらの姿を認めると、腰を離して軽く手を挙げてくる。
薫もそれに対して同じように手を挙げ、歩くペースを変えずに彼の前に立った。
ちょうど場所が場所だからか、ラーメンのこってりとした匂いが先ほどまでより一際強くなる。それに共鳴するように、二人の腹が再び音を鳴らした。
「千尋が嘆いていたよ。“道着を置いていったままだ”って」
「そのまま置いて帰っても俺は構わねぇよ。まぁ、それは置いといて、俺の妹だ」
俺はそう言い、レイラの背を押して和希の前に立たせる。
レイラは特に緊張した様子はないのだが、女性と対峙すると生じる和希のコミュ症が発動してしまう。
わかりにくい差だが、多少よそよそしくなり、視線が泳ぐ。終いには薫に助けの視線を送ってくる始末である。
いい加減に治した方がこれからが大変そうだが。
幸いなのが、これが軽度のものだということである。応対や軽い挨拶なら何不自由なく話せるし、慣れれば普段通りに会話することが出来るのだ。
レイラが握手を交わそうと右手を差し出す。
「初めまして。レイラよ。兄がお世話になってます」
「初めまして。菅峰和希です。一応、薫とは幼馴染ってやつだよ。これからよろしく。普段通りにしてくれればいいよ」
レイラがニコッと可愛らしく笑い、和希もそれにつられるように優しく微笑んで見せた。そうして、互いに握手を交わす。
――レイラはなんとか大丈夫、と。
薫はそう判断すると、顔を赤くしている篠原を手招きする。
「で、今少しばかり騒動になってる篠原圭子だ」
「しっ、篠原圭子と言います! よろしく、お願いします!」
篠原が何を興奮しているのか早口で、そして深々と和希に頭を下げる。
薫はその意図がよくわからず首を傾げ、レイラは微笑ましそうに笑っていた。
「初めまして。ニュースでももう君のことを取り上げられているからね。自然と君のことは耳に入ってきたよ。事務所には連絡したかい? きっとマネージャーさんや社長さんも心配してるよ」
和希が篠原の肩に優しく手を置き、先ほどと同じく優しい笑みで笑って見せた。
篠原はその笑顔を至近距離で見たことにより、心を奪われたかのように動かなくなった。
その間に薫は連絡についてを考えていた。
確かに携帯でネットに繋げて見ると、最新のニュースにハンヴィーのことが書かれており、更に篠原がそこで泣き崩れている写真が写り込んでいる。
そうなると、今世間では『篠原圭子は誘拐されかけたが、無事に救出された』ということになっているのではないだろうか。
記事の内容に詳しく目を向けていないためになんとも言えないが、所属事務所は写り込んでいる篠原を見つけないわけがない。そうなると、彼女に何かしらの連絡を取ってくるはずだ。
今まで電源を切らせていたためにそんなことはなかったが、電源をつければ今は大変な通知の量だろう。
今晩にはこの仕事を終わらせるつもりのため、少なくとも夜まではこちらの保護下に置かなければいけないのが現状だ。しかし、篠原の所属事務所は彼女が狙われる理由がわからず、連絡の取れない彼女になんとかして会おうとしているはず。もし、それに遭遇してしまえば面倒だ。
和希の言う通り、彼女の所属事務所には一報を入れておいた方が今後の心配事を減らすのに効率がいい。
そう思った矢先、可愛らしい空腹を知らせる音が聞こえ、思考が打ち切られた。
どうやら、篠原が腹を鳴らしたらしく顔を真っ赤にして腹を押さえているのが目に入った。和希がクスクスと笑い出し、レイラの視線が薫へ向いた。
薫もそれに頷き、親指でラーメン屋を指した。
「とりあえず、食おうか。二人空腹の奴がいるからな」
「んぐっ、んぐっ……ぷはぁ〜!」
レイラが喉を鳴らしながらこってりのスープを飲み干し、ダン、と勢いよく皿を叩き置く。
「いい食いっぷりだな。口に合うようでなによりだ。大将、麺大盛、バリカタで替え玉」
「はいよ!」
「同じく俺も追加お願いします」
「はいよぉっ!」
薫と和希は敢えてスープを残し、替え玉を注文する。
麺が届く前に篠原の口に合っているかを盗み見るが、その心配は杞憂だったようだ。ゆっくりとだが、美味しそうにギトギトのスープを染み込ませた麺を啜っている。
店に入ってから一応すぐに注文し、待ち時間の間に篠原に携帯の電源を入れさせた。すぐに物凄い通知の量を見て、篠原が目を丸くしていたのは余談だ。
次に所属事務所から連絡が来た時のみ、通話に出ることを伝え、更に夜まではこちらの保護下に置く旨も伝えた。その理由で、今は事務所に戻れないと断らせるためだ。
突如、篠原が食べていた手を止め、急いで携帯を取り出した。画面には所属事務所なのだろう会社の名前、そして代表取締役という役職らしい人物の番号からだ。
篠原はこちらに視線を向け、どうしましょう、と視線で訴えかけてくる。
もちろん、出させる。
篠原は店の中だと迷惑になると考えたのか、一旦店の外に出て行った。
薫は篠原の食べていた皿を一目見、残りはスープだけと確認する。
「レイラ、クライアントに何かあったら事だ。頼むぞ」
「うん」
レイラはそう簡単な返事を返すと、立ち上がって篠原の後を追っていった。
レイラが完全に店から出た時、和希が安堵のため息を吐いたのを聞き逃さなかった。
「はいよ、替え玉お待ち!」
大将の声に二人の意識は一瞬そちらに向けられ、麺にスープを絡ませる作業に移る。
「……あの子、強いね。妹がいるっていうのは聞いていたけど、強いとは聞いてなかったからね。驚いたよ」
「俺も会ってみて驚いたさ。あれだけ泣き虫だった奴が、六年でこうまでなるのは予想外だったからな」
実は薫は和希には妹であるレイラの事を伝えていた。煜には写真を盗み見られてザックリとした説明をしていたが、和希にはどんな奴だったか、などを説明してある。
「それは薫も一緒だよ。小さい頃はあれだけ泣き虫だったのに、今じゃ世間一般で化物扱いだからね」
「……黒歴史だ」
二人は充分に麺にスープが絡んだと思ったタイミングで、麺を啜る。少し喉が渇いたと思い、薫は水に手を伸ばす。
そこで、和希の目の色が変わった。薫のように物理的な変化ではないが、纏う空気感がほんの少しだけ剣呑な方向に傾いた。
「あれは放っておくの? 会った時からいたけど」
「放っておけ。大して強くない、が、プロである事はわかる。自分の居場所を悟らせはしないからな」
薫は先ほどソフィアに胸倉を掴まれた時、注意しろ、と言われており、その前から視線には気づいていた。
敢えて泳がせ、チャンスと思い飛びついてきたところを叩くつもりだったのだが、存外に乗ってこない。誘き寄せようと普段通りわざと隙を晒していたが、レイラがその場にいるために乗って来れないことを考慮していなかった。
「……じゃあ、どうするの? 傭兵のスナイパーとかじゃないの?」
「確かに殺してUSBを持っていくのは単純だが簡単な事だ。その為のレイラでもある。あいつも視線と気配には気づいているからな。気配の変化には流石に鋭くなってるだろうから、大丈夫だろう。――ただ、俺の予想じゃ、こいつは傭兵じゃないな」
薫はそう言い、麺を啜る。和希も話を聞きながら、同じように麺を啜っている。
薫の予想としては、暗殺者。それも、ランキング四桁、いや、三桁に入っているような強者だ。
「そう思う理由は?」
「大抵の戦争屋経験者は作戦行動中――単独行動をしているわけじゃなけりゃ――常に複数人で行動する。特にスナイパーはそれが多い。二人一組がよくあるな」
「どういうこと?」
「よく戦争モノの映画とかでも見るだろ? スナイパーの隣で同じように伏せ――または、姿勢を低くしながら座り――双眼鏡を覗いている奴。あれは観測者って言ってな。横風、距離、その他諸々をスナイパーの代わりに分析して伝え、また、手の離せないスナイパーの代わりに本部などの通信を受け、伝える仕事をこなす連中がいる」
「薫が軍事オタクって言われても、もう信じるよ」
「違う。俺はオタクじゃねぇよ。……まぁ、そういう連中がいるはずなんだ。本来はな。だが、こちらを見ているであろう視線はひとつ。だが、うっすらと気配は感じられるが、それはふたつ」
「――つまり、スナイパーとスポッターの役割をこなしているわけではなく、一人一人が別の対象を見張っているってことになるのか」
薫が言おうとしていることを察した和希が、確認の意を込めて言葉を続けた。薫はそれに頷く。
でも、と和希は自分の考えも共に告げる。
「確かにそういうわけじゃないことはわかったけど、こうは考えられない? 今こちらを見ている敵は一人。でも、行動は二人一組。じゃあ、スナイパーとスポッターという関係性ではなくても、片方は別の対象を見ておき、もう一人の方がスナイパーとしてこちらを狙い、スポッターがやっていることを一人で行っている。そして、今も引き金に指をかけたまま、狙撃のタイミングを見計らっている」
和希の考えも、もちろんあり得る。
先述の通り、スナイパーとスポッターで組むというのがセオリーだ。しかし、単独で動いている者には必然的にスポッターはいなくなる。
そして、スナイパーが一人で横風の有無、風の影響、距離、弾道特性という狙撃に影響するもの全てを計算し、狙撃するということも充分にあり得るのだ。
実際、薫にもそういった経験は多彩だ。
「確かにその可能性も否定出来ない。だからこそ、今一番狙われやすいあいつに護衛をつけているんだからな」
まだ、何がどこまで出来るといったことを完璧には理解しきれていないが、今は彼女を信じるしかないのだ。
「……!」
「気配が消えたか。攻撃してくれば楽になったんだがな」
視線と気配が消えた。どうやら、撤退を始めたらしい。
ここは篠原が攻撃されなかったことを喜ぶべきか、仕事が少しとはいえ長引くことになったことを嘆くのか、悩みどころだった。薫は面倒ごとを嫌うために、後者だが。
「これからどうする?」
「取り敢えず、傭兵達の拠点を探すさ。悪いが、千尋に伝えておいてくれないか?」
「何を?」
「“作戦変更、防衛より攻勢へ転じる”ってよ」
薫は替え玉を平らげ、スープも胃袋へと収めてしまう。和希も同じようにして皿を空にする。
爪楊枝で少し歯の間の掃除をしつつ、和希は片手間に千尋にメールを打っている。
「当ては?」
「ある」
薫は素っ気ない声で言葉を返し、重い腰を上げる。
このラーメン屋は店に入った時に食券で欲しいラーメンを買う、という手段を取っているため、出る時には金を支払う必要がない。まぁ、替え玉分の金は皿の側に置いてあるが。
そこに和希の鋭い声がかけられた。
「あぁ、なるほど。目を使ったね? 悪魔の目を」
「その言い方は少し違う。悪魔王の眼だ」
薫がそう返すと、和希はひとつため息を吐き、
「よくそれで相手を安心させられるものだよ」
「催眠状態にしてるだけだ」
「そうなると、恐ろしい眼をしてるとしみじみ思うよ。あ、ご馳走様です」
「あざぁっしたぁー!」
店員の元気な声を聞き流し、携帯がバイブレーションで震えているのを感じつつ、背後の和希に目を向けた。
「それはそうと、今日の夕方から少し忙しくなるかもしれねぇ。で、お前に二時間でいい、篠原を預かってくれ」
「了解。仕事のひとつを片すってわけか」
「そういうことだ」
互いにニヤリと笑みを見せ、そして、外で通話しているであろう二人の女の前に姿を見せるのだった。
「お、来たな。どーしたイリカぁ? 顔色わりーぜ?」
チャラ男が店に入ってきたハンドポーチを持ったキャミソールに、ホットパンツを履いた金髪の女と、無地のシャツにベストを羽織りカーゴパンツを履いた黒髪の女を視界に収め、千恵子と出会った時と同じように声を上げた。
確かに、チャラ男の言う通り、イリカの表情が少し青ざめてしまっている。何かあったのだろうか?
それに対して、リムの方は何故か顔を少し赤らめているが。
「それに相反して、リムは嬉しそうだな。何かあったか?」
「一目惚れしちゃった♪」
「いやぁ、遂に俺にも春が来ちゃったってわけ? いやぁ、照れるね〜」
「粋がるなよ、セックス依存症が。ヤりたいんなら風俗でも行ってきなさい」
「……そこまで言う必要ねーじゃんかよ」
「で、誰にだ?」
「四天王最強」
「標的じゃないか!?」
先ほどまで仕事の話をしていた時とは違い、一気に場が和んでいくのがわかる。仕事とそうでない時のメリハリは大事だ。
「えー? あんなイケメン滅多に見ないって」
「それで、リムは好きな人物が出来、対して未だにそういった人物が現れないイリカは落ち込んでいるというわけか?」
アロンがそう言ったのを聞き、皆がイリカに視線を向ける。だが、それにしてはどこか違う気がする。
「イリカはちょっと違うわ。私は最強、イリカは『魔王』を見ていたんだけど、そのときよ。五分ぐらいしてから、滝のような汗をかき始めて、次第に表情も……」
「イリカ、何を見た?」
アロンの問いかけに、智恵子はイリカに飲みかけのコーラを手渡し座らせる。
少し口を付けた後、ゆっくりと息を吸い、そして吐いた。
「……別に単独行動をしていた、ってわけじゃない。一緒に白人の女も、途中で菅峰和希も出てきた。けど、その間もあの男はこちらに隙を見せてきてた。“いつでも来い、必ず血祭りに上げてやる”って言ってるようにも見えて、名状しがたい恐怖の念に襲われたわ」
「じゃぁ、気づかれてたってこと!? 私達二人共?」
リムの驚いたような声に、イリカがコクリと弱々しく頷いた。
智恵子はその場にいたわけでもないし、『魔王』と顔を合わせたわけでもない。そうなると、耳に入る情報でどれほどのスペックを持ち合わせているのかを見極めなければならない。
今、聞いている限りでは相当のものだ。
「本来なら危険な単独行動で挑発してくる相手が多いけど、あの男は違う。単独で動いても刺客を返り討ちに出来る武力を兼ね備えているからか、それとも頭が良く切れることの証明か。複数人で動いておきながら、こちらに対して禍々しいまでの殺意を向けてきていた……」
「……それ、仲間がいるから安心して挑発してきてるだけじゃねーの?」
「複数人でいれば手が出しにくいってこちらの先入観を利用してるのよ」
チャラ男がイリカの言葉を聞き、そのような結論を出した。それにリム自身がイリカの考えを代弁した。チャラ男はそれでも首を傾げているのだが、無視していた方がいいだろう。
確かに、普通ならそう言った考えでも間違いではない。だが、相手が四天王、それも『魔王』が絡んでいるとなると特に神経質になる。『魔王』を相手に、神経質になり過ぎるということはないのだ。
実際、彼女は滝のような汗を流すほどの強烈な殺意を向けられていた。それも、観察している間ずっと。
本当のところは、薫は一人になっても同じ事をしていただろうが、レイラがいることを考慮せずに普段通りの行動を取っていただけだったが、彼らはそれを知る由もない。
「で、結局何がわかったんだ?」
フードを被った男が場をまとめるように問いかける。そして、リムが即答した。
「四天王は全員イケメン」
「……イリカ。何がわかったんだ?」
「無視って酷くない?」
「リムの言ってることはあながち間違いじゃない。後は、四天王は――特に『魔王』は常日頃から周囲に気を配ってるってことぐらい。隙って言える隙もないし、どれだけイメージトレーニングをしても、返り討ちにあうイメージしかわかない」
「スカル、どう思う?」
アロンに名を呼ばれ、フードで顔を隠した男が小さく唸る。
智恵子にしてみれば、大人しそうな見た目とは一八〇度反対の名前をしていたということに少なからず驚愕があったのだが、ここは口を挟むタイミングではない。それぐらいは学のない智恵子自身にも察することが出来たため、黙っておいた。
「得物によるが、二人一組で相手にあたり、相手の出鼻をくじく。仕掛けられる分の仕掛け罠を用いて敵の意識を削げ。そうすれば、少しは勝機もあるかもしれない」
「よぉ、確か二人はカメラを持って行ってたよな? 一人一人の写真を写したりしなかったのか?」
「ちょっと待って。私が持ってる」
チャラ男の問いかけに、リムがハンドポーチに手を伸ばす。
「四天王の情報は……」
「さっきも言った通り、『魔王』以外の情報は特になかった。特に戦闘面での情報なんか言うに及ばずよ」
アロンの言葉を智恵子が引き継ぎ、頭の中で情報屋から買った情報を思い出してみる。
まずは四天王最強。人柄の良さと切れ者であるといった生活面のみ。唯一の嬉しい情報は空手最高段のみ。
次に四天王最速。大の女好きで、よく仲間を誘ってキャバクラに行ったり、合コンを開いたりしているらしい。戦闘面は中国武術か何かの拳法が使えるのだとか。
次に四天王最優。氷崎千尋よりも優しい人柄の良さに加え、女性の心を奪う草食系の柔らかな笑み。女性からのモテ度も、千尋に次いで仲間内で二番目らしい。
最後に四天王最凶。この男は本名と戦闘面に関しての情報ばかりという、こちらにとっては是非もない情報ばかりだ。だが、戦いがオールラウンダー過ぎて対策のしようがない。
しかも、その戦闘スタイルもその時の気分や相手、環境によって変わるのだからたまったものじゃない。
兎にも角にも、まずは銃火器を用いる中距離、体術や剣術の近距離の対策を取っておけばいいだろう。
しかし、部下達にそんなことをする技量があるかといえば、残念ながら否だ。拳銃を扱えても、まだイマイチ狙いが定まらない。しかも、接敵から攻撃態勢へ移る速度もまだまだ遅い。
三幹部ならまだ及第点の動きは出来るのだが、そこまでだ。部下達の間では十人がかりで挑んでも敵わないと騒がれているのだが、事実場数を踏めば皆それぐらいは出来るのだ。
喩えば同じ条件で『魔王』と戦わせてみれば、十人どころかうん百人と戦わせても足止めにしかならないだろう。
せめて、四天王最強と相手取っていた連中のうち、一人でもいいから帰ってきたのなら良かったのだが……過ぎたことを言っても仕方がない。
「あった!」
リムが声を上げ、皆の視線が机の上に広げられた写真に目を向ける。智恵子も思考を一旦中断し、目の前の七枚の写真に目を向けた。
四天王と白人の女に篠原圭子。他にも極道を思わせる出で立ちの女と全部で七枚の写真が目に入る。
篠原圭子は文句なしで部外者だ。今現在追われているだけであり、戦闘能力は有していない一般人である。
だが、極道然とした女は違う。顔を見ればわかるが、明らかに多くの死線を越えてきた筋者の目をしている。
だからと言って、彼女が脅威であるかと問われれば否だ。
何と言っても彼女は部外者。この戦いに関わってくるかどうかは誰にもわからないのだ。
智恵子は敢えて、この女は参戦しないと仮定して話を進めようと思った。
そこで、チャラ男が一枚の写真を手に取る。そして、おい、とラッパーにその写真を見せた。
「何よ。綾人、冬馬、あんた達なんか知ってるわけ?」
「大物だぜ。まず殺し屋であったり、裏で生きている連中ならまずこれは聞いたことあるんじゃねーか? 『青雷の舞姫』」
その名を告げた途端、その場にいる智恵子以外の全員の双眸が鋭くなった。
生憎裏で生きているはずの智恵子にはそんな通り名は聞いたことがない。自然と辺りに視線を巡らせる。
「こいつがそうだっていうのか?」
「一回本物見たことあったがよぉ、かなりのいい女だったからつい調べたんだ。そしたらそんな情報が出たからまず間違いねえ」
チャラ男――冬馬と呼ばれた男はそこで一度言葉を区切る。店員の一人がこちらに近づいてきたからだ。
「お客様、他のお客様に御迷惑のかかることはおやめください」
「すまないねえ。もーちょい声の音量を下げっからさ」
軽くそう言って店員を追い返し、先ほどよりも声を潜めて続ける。
「『青雷の舞姫』だが、驚いたことに最強の殺し屋組織として名高いデス・ブレットのナンバースリーだ。本名はレイラ・A・シャドウ」
「となると、アサシンランキング一位、阿久根千秋の娘ってことか。でも、そんな人物がどうしてこんなところで、『魔王』と?」
イリカの疑問も理解出来る。
今聞いた内容では二人の関わりは全くない。偶然日本に旅行で来ており、たまたま居合わせたという可能性もなくはないが、それでもこれほど偶然が繋がるだろうか?
レイラと呼ばれるその女が、四天王か篠原圭子と何かしらの関係があると考えるのが自然だ。
名前を聞いた途端の皆の反応と、スッと出た名前から察するに、ランキングもかなり高いことが予想される。
そして、その考えを裏付ける情報が出た。
「アサシンランキングは七位。まさに化物クラスだ。腕利きの用心棒五人と殺り合っても無傷だったって聞いたぜ?」
アサシンランキング七位――
その単語を聞いただけで目眩がしそうだった。
今ここにいる暗殺者の中でも飛び抜けて高い。
もし彼女がこの戦闘に参加してきたらを思うと、ただでさえ低い勝率が更に低くなってしまう。
だが、やはりわからないことは、なぜ『魔王』と行動しているかだ。何かしらの関係があるとしても、いくら考えたところで答えなんて出ない。男と女の関係も考えてはみたが、人間嫌いで知られている『魔王』に、それはないと断言出来てしまう。
「『青雷の舞姫』の家族関係は?」
リムが冬馬に問う。
「さっきも言った通り、アサシンランキング一位、余談だがNHRの二位でもあるらしい阿久根千秋を母親に、アサシンランキング二位、スノウ・A・ホワイトが兄――」
「『鬼喰い』の母親と、『白い死神』の兄か……」
「最近は『黒豹』って呼ばれてるみてぇだな」
「ねぇ、NHRってなに?」
智恵子が説明の中に出てきた聞き慣れない単語を問いかける。
「NHRってのは……」
「ちょい待ち。まだ俺の話は終わってねえぞ」
綾人が説明をしようとしたところで、まだ話の途中だったらしい冬馬が間に割り込んできた。
NHRが何なのかは気になるが、今この件に関して特に関係のないことでもあるので、再度訊き直すことはなかった。
「まだもう一人兄貴がいるんだ。アサシンランキング三位、『死を呼ぶ黒狼』で知られる軍人のウィリアム・A・ブラウン――」
「――なに!?」
だ――と言い切る前に、智恵子が思わず叫んでしまう。その声に驚いた他の客の視線がこちらに向き、すみません、と軽く謝罪しておきすぐに驚き顔の皆に視線を向ける。
「どうした? 何か驚くようなことか? 確かに家族構成はかなり驚きだが……」
「い、今、ウィリアム・A・ブラウンって言った!?」
「それがどーしたよ?」
「ちー? どうしたの?」
ちーとは、リムとイリカからの智恵子の呼び名だ。
だが、考えてもわからないものがわかってしまった。
何か関係のあるだろうと思ってはいたが、まさか、兄妹だったとは思ってもみなかった。
「アメリカ陸軍の人間兵器が兄貴、しかも、家族全員アサシンランキングの上位三人なんだからな。驚かずにはいられないだろうな」
「それもあるけど違う! 四天王の情報に、“『魔王』以外の情報はない”って言ったでしょ!? その情報で、『魔王』こと鬼桜薫、本名は、ウィリアム・A・ブラウンって……」
そこまで言うと、皆にも事の重大さがわかったのか、今まで以上に表情が強張った。
結論として、やはり『魔王』と『青雷の舞姫』は関係者であり、理由は知らないが高確率でこの件に関わってくるだろう。
誰かからの依頼か、それとも兄の戦いに自ら踏み込んだのかはわからないが、彼女の対策も練らなくてはならない。
それだけは、この場にいる誰もが理解している。
「――すまないねぇ、少しいいかな?」
ふと、誰かに声をかけられた。皆が弾かれたようにそちらに視線を向け、そして絶句した。
そこに立っていたのは、氣櫻組の武闘派幹部として知られる赤崎だった。
別に大した相手ではないのかもしれないが、依頼を受けている以上構成員は――幹部以上は特に――調べている。
この男は腕っ節だけで、つまり、実力だけで幹部になった男である。
そんな男がなぜこんな場所に? まさか、自分がライオネル・ソウルのボスだとバレたのだろうか?
そう一人で焦っていると、冬馬が立ち上がった。
「なんだぁ、オッさん? 俺たちは今仕事の話をしてんの。道にでも迷ったのか? 悪いが、他の奴に当たってくれ」
「おいおい、声をかけただけだろうに。まぁ、いいや。用があるのは、そこの二人だから」
赤崎の色眼鏡越しの視線がリムとイリカに向けられる。
二人は特に反応は見せていないが、いつでも戦闘に移れるように呼吸が変わっている。
先ほどまでの真面目な雰囲気が、殺伐としたものへと瞬時に変わった。
「そう睨みなさんな。君達さ、確か前においちゃんのケツ持ちしてるクラブで暴れた奴らのツレだったよね? あの二人さ、逃げられちゃったからさ。居場所を知らないかなぁ、って思ってさ」
ニヘラ、と何を考えているのかわからない、顔面に貼り付けたような笑みを浮かべ、リムとイリカの一挙手一投足を観察している。
その時、綾人と冬馬の二人が何かを思い出したように、目を見開いた。それに気付けたのは黙って見ていたアロンとスカルの二人だけだったのだが。
ふとその視線が二人から離れ、テーブルに広げられた数枚の写真に移った。
すると、赤崎の笑みが更に嗜虐に歪んだのを智恵子は見逃さなかった。
「おいおい、君ら四天王に喧嘩売るのかい? やめときなって。痛い目見るだけだよ? 特に君とか、君とかもそうだな」
赤崎の嘲りの言葉と共に、彼の人差し指が綾人と冬馬に向けられる。
彼は特に武術に精通しているわけではないはずだったが、敵が強いかどうかの見極めは出来るらしい。ヤクザはそういう眼がないと生きていけないらしく、そうなると当然のことではあるのだろう。
「あれ、どこかで見た面だねぇ。どこだったか……あぁ! 思い出した」
「ラアァッ!」
流石に我慢の限界だったのか、綾人が隠し持っていたスペツナズナイフを手に、赤崎に躍りかかった。
その隙に、リムは広げていた写真をハンドポーチに収め、すぐに立ち退く準備をした。智恵子もそれに習って店を出る準備を始めた。
「おやおや、若いのはいつの時代も血気盛んだねぇ」
赤崎は変わらず笑みを絶やさないまま、スペツナズナイフを持った手を横から払い、左頬に強烈な殴打が抉りこんだ。
バチィッ――と乾いた音と共に、僅かに綾人の身体が浮き上がり、幾つかの椅子やテーブルを巻き込みながら倒れた。
それを見た客が悲鳴を上げ、我先にと店の外へと走る。店員も、泣きそうな顔をしながら、落ち着いてください、と逃げる客を誘導し、すぐに誰もいなくなってしまった。
冬馬がその隙にポケットからメリケンを取り出し、それを手にはめて殴りかかる。
一介の殺し屋がチンピラのようなことをしていることに笑いがこみあげそうだが、それを手玉にとる赤崎の所為でそうもいかなかった。
「おっと」
横合いからの攻撃をスウェーで躱し、一旦距離をとる。その間も、終始笑っていた。
「仕方ないねぇ」
赤崎が小さく息を吐く。
彼の表情から笑みが僅かに薄れ、明らかな敵意が身体に打ち据えられる。
四天王には及ばずとも、強力なその眼光は寒気がするほど。
「綾人、死んでない?」
「なんつーパンチだ!? 歯ぁ一本抜けちまった!」
「面白くないわ。どうせ抜けるなら全部抜けなさいよ」
「イリカ、テメェ覚えてやがれ……!」
その間に、再び冬馬が地面を蹴って赤崎に肉薄する。
やはり、赤崎は武術の心得がないらしく、軽く両拳を作っているだけで、何かの意味を持っているわけではないらしかった。
それでも、長年培ってきた五感をフルに使い、冬馬の攻撃を軽々と防ぎ、また、躱してしまう。
「やっぱり、それで四天王に喧嘩を売るのは、無謀だねぇ。おっと、あいつの前でそれを言ったら殺されちまうや」
赤崎はそう笑いながら言いつつ、潜るようにしてフックを躱し、ボディブロー。そのまま足を踏み、動けないようにロックしたところで全体重を乗せた裸拳。
倒れそうになり半歩下がるが、片足がロックされているため動けない。
冬馬は仕方なしに牽制として何発かジャブを打つが、上半身のバネで当たらない。
「うらぁっ!」
裂帛の雄叫びと共に打ち出された右ストレート。鞭のように強かな攻撃を、赤崎は半歩下がり、ギリギリ射程外に移動して難を逃れた。それだけに留まらず、腕の伸びきったタイミングで外から内に肘関節を殴り、直後、パキリ、と乾いた音が響いた。
「ッガァ! クソッタレ!」
「瞬発力高過ぎでしょ!?」
「それに、目も良いわね」
「そうね、よく見てる」
智恵子の驚きの言葉に続き、リムとイリカが相手に感嘆の声を上げる。
相手の攻撃を躱しつつ、腕の伸び切るタイミングを狙って拳を打つのは並大抵の瞬発力ではほぼほぼ無理だ。智恵子にも出来ない。
そのまま赤崎は蹲った冬馬の首筋とベルトを掴み、三メートル程離れた壁に放り投げた。
「セェヤァァッ!」
「がふっ!」
顔面からぶつかることは防ぎ、背中からぶつかったのだが、それでも衝撃は強かったらしく肺の中の空気が吐き出されている。
「じゃ、君ら二人を連れて行かせてもらうよ。取り敢えず、東京湾か溶鉱炉か選ばせてあげるからさ」
「済まないが、それは俺たちが困る」
言うなりアロンが飛びかかる。二人と違い、拳が彼のメインアームでもあるため、やはりその威力も練度もかけ離れている。赤崎すらも、ほぉ、と感嘆の声を漏らしたほどだ。
が――
「良い腕してるねぇ」
赤崎がそう言うと、次の瞬間、アロンの顎に赤崎の拳が当てられた。僅かによろけたところに、鳩尾に掌打。もろに鳩尾に受けたらしく、流石のアロンも体勢を崩した。
それで赤崎の攻撃も止まることはなく、片手でアロンの髪を掴み、顔面を思い切り膝に叩きつけた。
鼻血を吹き出しながら近くのソファに倒れこみ、あまりの出来事にアロン自身が動けない。
殺しのプロが、暴力団の幹部に徹底的に叩きのめされているのだ。これにはイリカも、リムも瞠目せざるを得ない。
「もう五年は鍛えれば、良い線いくんじゃないかい? じゃ、この二人は貰っていくよ?」
「人を物扱いしてんじゃねー!」
綾人がスペツナズナイフのスイッチを押し、刹那、刃先が赤崎目掛けて飛ぶ。
「おっと、危ない」
赤崎は馬鹿にするように言ってから、悠々と躱してのけた。
そして、赤崎が綾人に向けて一歩踏み出したその時、ピタッとその足を止めた。
リムが動いたのだ。彼女は体術に関しては簡単にしか出来ないが、それでもこの中では二番目に強い。体術で一番なのは、実はアロンだ。
「嬉しいねぇ。こんなに若い女の子がおいちゃんと踊ってくれるなんてねぇ」
リムのメインアームは西洋でよく見られる両刃の剣だ。今はそれを持ち歩いてはいないため、どうしても決定打が打てない。しかも、ナンバーワンであるイリカも、メインアームは刀。それ以外は全く使えないと言っても過言ではないのだ。
そうなると、体術と多少の魔術を使う自分が手を貸さなければならない。
「全員、目を瞑って!」
頭の中で術式を展開。幾つかの必要な部分を蹴り、そして発動する。攻撃目的ではなく、目を奪うために。
眩い閃光が放たれ、赤崎の小さな悲鳴が耳に入る。瞼の裏から感じる焼けるような感覚に、智恵子は内心喜ぶ。
光が収まり、目を開けると、そこでは赤崎が目を押さえながら蹲っていた。
他の皆は指示に従ったらしく、既に撤退の準備を整えていた。
「即座に撤退!」
「急げ!」
智恵子を含む七人は慌ただしくファストフード店から飛び出し、非常階段からビルを駆け下りたのだった。
その時、人知れず赤崎の口が三日月に歪んでいたのを知る者は最後までいなかった。




