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育つ不安


助産師の女性も屋敷に住み込みでアリシアに付くようになり、ブラン家には、いよいよなんだというそわそわとした空気が漂っていた。

けれど、心配でと入れ代わり立ち代わり人の居る生活は、あまりにいつも見張られているような感覚を与えて気の休まる暇が無い。その上囁かれる子どもへの期待が、今まで以上にプレッシャーとなって圧し掛かってきた。オレイアはその辺を敏感に察するようで、気分転換にと定期的に散歩に誘ってくれる。

気を紛らわせるために子供用の靴下を編んでいたアリシアは、おずおずと入ってきたオレイアに気付いて顔を上げた。


「あの、アリシア様。ええと、お客様が……いらしていますが」


「あら、誰かしら」


特に予定は無かった筈だけれど、と首を傾げるアリシアに、オレイアは困った顔をしながら口を開いた。


「その……ルイス、様なのです」


「えっ、」


予想外過ぎる来客に、アリシアは一瞬固まる。困惑するオレイアの様子にも納得がいった。


「如何いたしましょう。アリシア様も大変な時期ですし、体調が優れないのでしたら、無理をなさらなくても……」


遠まわしに、会わない方が良いと言われている。それでも、とアリシアは大きく張ったお腹に手を当てた。少し前まで驚く程動いていた赤ちゃんは、ここ最近大人しくなってきている。何でも、段々と自由に動き回れなくなって、生まれてくる大勢を取るのだそうだ。


「お会い、します。……この子にとっても親戚になる人ですものね」


この子が男の子なら、家を継ぐことになるだろう。そうしたら、ルイスとの関係だって重要な物になるかもしれない。アリシアが嫌いだからという理由で、この子の将来に影を落としたくなかった。





「会ってくれないかと思いましたよ」


右手で髪を掻き上げながら入ってきたルイスは、笑ってそう言いながら椅子に腰を下ろした。


「まあ、御冗談を。それで、本日は何の御用で?」


「ちょっと当主に会って話したい事があってね。……出かけているようだけれど。それに、次期当主にも御挨拶をと」


「そう、ですか」


リカルドは、領地でのちょっとしたトラブルの知らせを受けて出て行ったばかりだった。アリシアに会うために来た訳ではないのだと分かると、途端に肩の力が抜ける。


「おや、身構えていましたか? 俺だって、それなりに身分を弁えているつもりですけどね」


飄々と言ってのけるルイスに、アリシアは小さく溜め息を吐いた。


「……随分と、殊勝な態度ですね」


それならいっそ会いに来てくれなくても良いのにと思いながら、恨みがましい目でルイスを見遣る。そんなアリシアに、ルイスは苦笑した。


「そりゃまあ……正直、もう痛い目は見たくないんでね」


「痛い目?」


「リカルドを本気で怒らせると怖いってことです。てか、リカルドってあんな風に怒るんだなって初めて知ったから」


何を今更、と思いつつも、一体どんな痛い目にあったんだろうと首を捻る。


「しょっちゅう喧嘩しているじゃないですか」


「まあね。でもどんなに貶したって、アイツは悔しそうに顔を歪めるかちょっと反論するだけですよ。拾われ子の負い目があるから、キレはしない」


「そう、ですか」


言われてみれば、ルイス相手に怒鳴っている所なんて見た事もない。寧ろ気が済むまで付き合ってやっている、と言った方がしっくりくるような気がした。


「それに、気の触れた奥様に刺されでもしたら洒落になんないし?」


「なっ、」


急に投げ込まれた嫌味にムッとしながらも、けれどそれがアリシアに対するブラン家の人達の見方なんじゃないかと思った。なにせ愛の証に焼印を刻むような女だという事になっているのだから。



「ところで、子供は順調に?」


「ええ。もう1月もすれば生まれてくるかもしれないとお医者様が」


ふうん、と返事をしながら、ルイスは物珍しそうにアリシアのお腹を見ている。妊婦が珍しいのかしら、と思いながらも、そうじろじろと見られると落ち着かなかった。


「そ、そんなに見たって生まれてきませんよっ。それに、心配なさらなくてもリカルド様に似て賢い子に育ちますから」


「リカルドにねぇ……まあ、優秀だと俺も嬉しい限りですけど」


そこでルイスはお茶を一口飲み、それからアリシアの方を見て、態とらしく溜め息を吐いた。


「犯罪者と拾われ者の血なんて受け継いで、タダでさえ風当たりが強いだろうからなぁ」


「……っ」


ドキリと、アリシアの心臓が嫌に大きな音を立てた。思わず目線を逸らしたアリシアに、ルイスはそれ以上何も言わない。言わないけれど、静寂が訪れた分、その言葉はアリシアの中でぐるぐると回った。


「……私が犯罪者の娘だと、その。やはり、世間体は悪い、のでしょうか」


2世代も離れた、この子にも? そう思わず尋ねてしまって、アリシアはハッと口を押さえた。自分は何をしているのだろう。ずっと不安だった。とても心もとなくて、けれどだからと言って、よりにも寄ってルイスに意見を求めるなんて。


「……驚いた。貴女でも、そうやって弱った姿を見せるんだな」


ルイスも自分で話題をフッたくせに、目を丸くしている。


「忘れて下さい」


「ははっ、顔が真っ赤だよ。今更恥ずかしくなった? ……そうだね、まあ面白い物を見せてもらったし、客観的な意見をあげる。この社会は、血統を重んじる。それは、貴女も重々承知だろう。だから、そういう腐った血が混ざるってのは、正直痛いよ。でもまあ、罪を犯したのは父親でも母親でもないんだから、その分マシかもね。それでも……犯罪者の娘であるアンタに育てられてるって事で倦厭されることはあるだろうさ」


「私が、育てる、ことで」


それから黙りこんでしまったアリシアに、ルイスは少し困ったような顔をした。


「なんだよ、いつもみたいに少しは反論してみたら? これからだって、そういう嫌味を跳ね返してくだけの気概は必要だろ?」


でも、本当の事だから。ルイスの言い方は、オブラートに包むどころか剥き出しにした上に辛子を塗ったくらい痛いものだけれど、その内容に嘘はないように思えた。


「……あんまり、思い詰めるなよな。これで万が一流産とかって結末になったら、俺、間違いなく殺される。――なんなんだよ、ホント張り合い無くなっちゃって」


ルイスなりの慰めだったのかもしれない。けれどアリシアには、更にストレスにしかならなかった。





数日経っても、ルイスの言葉が頭から離れなかった。それは、今まで見て見ぬフリをしてきた事実から目を逸らせなくなったからかもしれない。

――そう、ずっと気付いていた。

それでも皆が良くしてくれるからと、祝福の言葉と感情だけ受け取って、幸せな気分に浸っていたかった。それでも、と思う。アリシアは、母親になる。守らなければならない弱い者ができるのは、正直怖くて自信もないけれど、それでも母親になる。けれど、自分が母親になることで、この子を不利な立場にしてしまうとしたら? この家にはこの子を愛してくれるだろう人々が沢山いる。子どもが育つ環境も整っている。じゃあ、自分が育てる意味は何なのだろう。

アリシアは段々と分からなくなってきていた。そうして自分の中で不安が募る程に、流産という恐ろしい単語が頭を過る。泣きたい程不安定で、けれど周りには言えない。アリシアを無条件で擁護してくれるような人達に、私を励ましてくださいと言っているようなものだ。正直そういう言葉に縋りたいとは思う。けれど、本当に必要なのは、もう少し客観的な判断だ。

この子が産まれたら――私は、離れるべきなのか否か。例えその判断がアリシアにとって絶望的な物でも、その決心がつけば、きっと揺るがない。すぐに別れてしまうことが分かっていても、この子を想ってそれまでの期間を穏やかに過ごせるような気がした。


「オレイアさん、お願いがあるの」


「あら、何でしょう。珍しいですね、アリシア様がお願いだなんて」


近づいてきたオレイアに、アリシアは周囲に誰も居ないことを確認してからそっと告げた。


「できれば……誰にも、内緒で、会いたい人が居るの。リカルド様にも、内緒で」




遅くなりました。本作品は、今月中に完結する予定です。もう少しお付き合いいただければと思います。

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