表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/47

結婚式

教会の鐘が辺りに響き渡る。春の爽やかな空気と夏を先取りしたような日差しを感じる晴れた日に、アリシアはドレスを着つけてもらっていた。腰のあたりからサテンが大きくドレープを作り、その上にたっぷりと幾重にもレースを重ねたウエディングドレスは、アリシアのお腹のふくらみを上手く目立たせなくしている。


胸元に飾ったオレンジの花は、ライラから借りたハンカチを折って作ったものだ。市場をデートしている時に見かけて気に入ったのを、買ってもらったのだと言っていた。もしかしてバーデン氏の素顔を知っているのかと尋ねれば、ライラは可笑しそうに頷いた。けれど教えてあげないと言われ、アリシアは疼く好奇心を持て余さざるを得なかった。


「とても良くお似合いですわ、奥様」


気付けを手伝ってくれた恰幅の良い女性が、そうアリシアに言う。彼女はオレイアに育児の知恵を一から叩きこんでくれている人物なのだと聞いていた。


「本当に、素敵ですわ」


オレイアもうっとりとしていて、アリシアも今日だけは自信に満ちた気持ちで鏡の中の自分を見つめる。そこに居る自分は、いつもより少し大人びて見えた。やや童顔な所のあるアリシアだから、歳相応と言った方が正しいのかもしれない。


「アリシア様、準備はよろしいですか?」


ブーケを渡されながら、アリシアはコクリと頷く。招待客はもう揃っているようだ。心の準備というか、実感はまだまだ無かったけれど、あまり待たせてしまうのも申し訳なかった。





参列者は、極僅かに絞った。そもそも籍を入れてから大分時間が経っているので、事情を知らない人々には今更な感が拭えないだろう。リカルドに良くしてくれるという老夫婦と、屋敷の使用人達。そして、ライラという気が置けない面々だけが集まった、とても素敵な式だった。クラウスもバーデンも仕事で、ローレンは行く資格が無いからと断わりを入れて来たから、本当にこれだけの小規模な式だ。


アリシアにも、リカルドにも、血を分けた親族は居ない。厳密に言えばアリシアには父親が残っているけれど、既に一生自由の身になる事は無いと決まっていた。教会内がこんなにも笑顔に包まれているのに、ふとリカルドと二人で世の中から孤立してしまったかのように感じた。今更な事実が、とても心許ない気にさせる。こんな余計な事を考えてしまうのは、思った以上に緊張しているからだろうか。



アロイスの腕を取って、赤い絨毯の上を進む。毛足の長いバージンロードは、いつもは履かないようなヒールの高い靴の足音を全て吸い取ってしまっていた。数m先で柔らかく微笑むリカルドの下へと足を進めながら、アリシアはぼんやりと昨日の事を思い出す。

子供みたいに緊張と興奮で眠れなくて、式とこれからの期待を、ベッドの中二人で一晩中語り明かした。愛してる、と何度も何度も囁かれた。飽きないのかしらと思う程アリシアの髪を、頬を、お腹を撫でて、何度もキスをするリカルドに、アリシアはこの先何があっても愛情が消える事はないだろうと思ったものだ。きっと貰ったのと同じだけの愛情を返せてはいないだろうと思う。

どうしても自分から伝えるのに戸惑ってしまうアリシアを、リカルドはどう感じているのだろうか。正直、物足りなさを感じられていても仕方ない。オレイアにでもこっそりコツを聞いてみようかなと考えて、アリシアは少し頬を赤くした。




「アリシア……その、なんだ、凄く――綺麗だ」


漸く隣に並んだアリシアを、リカルドは目を細めて見つめていた。人前でそう言われた事が照れくさくて、アリシアはちょっと笑ってしまう。リカルドも髪をキッチリと固めていて男前が上がっていたけれど、イイトコのお坊ちゃんみたいで面白いと思ってしまったのは内緒にしておこうと思った。


神父がお決まりの文句を厳粛な雰囲気で述べている時も、二人は横目で見つめ合っていた。何も言わないけれど、それでも同じ気持ちなんだろうと何の根拠も無くただそう思った。


「あなたは、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」


神父に尋ねられて、リカルドは「はい」と、力強く答えた。アリシアが同じ事を訊かれた時、今更ながら実感が湧いてきて、泣きたいのを堪えて返事をした。大きな拍手が、二人を包み込む。家族なんだ、と思った。夫婦だ、と言われるよりもずっとずっと重くて、けれど温かい言葉だと感じた。






「本日はお越しいただき、有難うございます」


披露宴は、リカルドのその一言から始まった。今日だけは、使用人達も客人扱いだ。だから、リカルドも丁寧に彼らに頭を下げた。

チラリと、リカルドがアリシアの方を見る。それから、真剣な顔をして前を向いた。


「……私は、約1年前、彼女と籍を入れました。ここに居る多くの方々が御存知のように、その頃の私は、ただ仕事の延長線でしか彼女を見ていなかった」


リカルドの急な独白に、アリシアは目を見開く。


「その事を、私は今、酷く後悔しています。先日親しい友人に指摘されて、それを改めて感じました」


クラウスの事だ、と思った。あれから特に変わった様子は無かったのに、実は気にしていなのかもしれないと思うと、アリシアはそんな彼の気持ちに気付けなかった自分が恥ずかしかった。


「だから、皆さんに、誓いたいと思います。私、リカルド・ブランは、この先彼女を命がけで守り、尽くしていくと――アリシア」


「は、はい」


左手を、と言われて、アリシアは手を差し出す。その薬指に、シルバーの指輪が嵌められた。上下に細くゴールドのラインが入った、洗練された美しい指輪だった。「俺にも嵌めて」と小さく呟かれ、アリシアは漸くこれが指輪交換なのだと気付いた。必要ないだろうと思い、結婚式で省いた行程だった。


「愛してる」


昨日と同じその言葉に込められた想いを、自分はやっと本当に理解したんじゃないかと思った。堪え切れなくて涙が一筋頬を伝う。続けて訪れた口付けは、触れるだけの優しいものだった。


「何か、皆に言っておきたい事はある?」


静かに涙を流し続けるアリシアに、リカルドはそっとそう訊いた。アリシアは頷いて、招待客の方へ向き直る。声が震えてしまわないように、大きく息を吸って呼吸を整えた。


「私、は、この先、御迷惑をかけてしまうと思います。皆さんの大切な、リカルド様を困らせてしまう事を、どうか許してください」


頭を下げる間も、皆の視線を感じていた。特に使用人達にしてみれば、元使用人のリカルドは親しみやすい良い主人だろう。だからこそ、一番に認めて欲しい人達だった。シンと静まりかえった会場を見渡して、アリシアはゴクリと唾を飲む。


「その代わり、私は私の持てる全てを、リカルド様に捧げると誓います。後ろ盾も人脈も無い私が持っている物は本当に少ないと理解していますが、だからこそリカルド様とブラン家を守って行く為に、失う物は多くありません」


犯罪者の娘と、アリシアを見る世間の目は決して温かいものだけじゃない。それはリカルドの懐の深さを強調する材料にもなるけれど、全ての人に通じる訳ではないのだ。


「この人を無くしてしまう以上に、怖い物はありません。それが何よりの本音で、私の全てです」


「……アリシア」


アリシアの肩に、リカルドの手がそっと乗った。そんなリカルドを見つめて、アリシアは笑う。


「愛しています」


大切な一言だと強く実感したばかりの言葉を、ゆっくりと囁いた。

その瞬間、大きな拍手が沸き起こった。それからは乾杯の音頭がなされ、アルコールの入った披露宴は、辛気臭い空気も何処へやら、笑い声の絶えないものへと移り変わって行った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ